続 グレコ・ローマンにおける危険技・禁止技


フランス国立図書館 BNF(Bibliotheque Nationale de France)の電子図書館 Gallica
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Match (Paris) 1934/04/24
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k55006379/f14.image.langFR

 20世紀前半にフランスで発行されたスポーツ週刊誌です。“Andre Geiger”(アンドレ・ゲジェ)の署名記事、“L’epoque heroique de la lutte, par un temoin”(レスリングの英雄時代、ある目撃者による)より引用します。左から2列目、下から5つ目の段落です。


 En 1889 arriva a Paris Tom Canon, Americain. Il fut, sinon l’inventeur, du moins le pratiquant du ≪ bras a l’americaine ≫, c’est-a-dire le bras ramene en arriere dans le dos, ce qui tombe l’adversaire par la souffrance. ≪ Coup ≫ interdit aujourd’hui.

 米国人、トム・キャノンが1889年にパリにやって来た。彼が、その発明者ではないとしても、少なくともその実践者であったのは「腕の米国風」、換言すれば背中の後ろに持って来られた腕、敵を苦痛によって倒す所のもの。「技」は今日禁じられている。



La Presse (Paris.)  1889/10/31
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k545727v/f4.image
 最右列、上から4つ目の広告。


 FOLIES-BERGERE. ― 8 h. 1/2. Grandes luttes avec Tom Cannon, le premier champion d’Amerique. ― Robert Macaire, pantomime par les celeb. Martinetti.

 フォリ・ベルジェール。 … 8時半。大レスリング出演トム・キャノン、最高の米国王者。 … ロベール・マケール、名士による無言劇。マルティネッティ。


 
Le Gaulois (Paris.)  1890/11/24
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k527441d/f1.image
 左から3列目、下から4つ目の記事。


 Ce soir, au Casino de Paris, Tom Cannon prend sa revanche sur Paul Pons. La lutte promet d’etre emouvante, elle aura lieu sur la scene du theatre, a onze heures, apres la representation du ballet.

 今宵、カジノ・ド・パリにて、トム・キャノンがポール・ポンに復讐を果す。そのレスリングは興奮すること請け合い、それがその劇場の舞台にて行われようは、十一時に、バレエの上演の後で。




 トム・キャノンは当時の英国を代表するレスラーで、ランカシャー生まれともアイルランド出身とも言われますが、意外に米国人とされることも多く、英国の新聞にそう書かれたこともあります。
 1880年代から1890年代にかけて、米・豪・仏・独・英各国を巡って闘っていました。上記の広告のように、米国でのタイトル歴を誇っていたので米国人と思われたのかもしれません。彼がフランスにもたらしたとされる腕固めも「米国風」と呼ばれています。

 別ページ「1907 グレコ・ローマンにおける危険技・禁止技」でご紹介したフランソワ・ル・ボルドレの著書のイラストによれば、“prise de bras a l’americaine”(腕固め米国風)は今で言うダブル・リストロックですが、“prise de bras a l’americaine avec appui sur la nuque”(襟首の押さえと共に腕固め米国風)は片手決めのハンマーロックの複合技になっており、ハンマーロックとダブル・リストロックは名称上厳密に区別はされていなかったと思われます。英語でも“hammerlock”という言葉は“double wristlock”という言葉よりも大分早くから見られるようです。


 別ページ「1890.4.5 W・ミラー 対 D・C・ロス」でご紹介したように、オーストラリアにはクラレンス・ホイッスラーが1885年にハンマーロックを伝えています。ホイッスラーは米国人で、恐らくまだ「ハンマーロック」という言葉のない時代からその技を使っていました(「1881.3.31 C・ホイッスラー 対 H・M・ダファー」)。

 ではやはり米国発祥の技なのかと言えば、そうとも限りません。英国では“arm up back”(腕背後上げ)という更に古い名称の技が使われていましたし(「1881 I・スミス 対 J・アクトン」)、またホイッスラーがその技をフランス人から習った可能性があります。



NATIONAL LIBRARY OF NEW ZEALAND(ニュージーランド国立図書館)
PAPERSPAST(過去の新聞)
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=p&p=home&e=-------10--1----0-all

LAND & WATER.  Otago Witness, 15 October 1886
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&d=OW18861015.2.70&e=-------10--1----0-all


 … In one of their exhibitions, Chiritol had shown Whistler a powerful stop for a body-hold. A year after, in a match, Whistler quick as lightning, profited by his lesson, with the result that the bone of Christol’s arm was seriously displaced, or as he describes it, “the back part brought in front.” …

 (前略) 彼らが模範試合を行った際、クリストルがホイッスラーにある強力なボディ・ホールドの破り方を教えた。一年後、試合において、ホイッスラーは電光石火、その教えの恩恵を受けた。その結果として、クリストルの腕の骨はひどくずれ、ないしは彼の表現によれば「後ろの側を前にした」状態になった。 (後略)


 
 別ページ「「オタゴ・ウィットネス」より(1)クリストル大いに語る」でご紹介した記事です。「ボディ・ホールド」とは、相手の胴に腕を回して抱える技の名称です。バックを取られた時に相手の腕を取ってダブル・リストロックを決めるのは桜庭和志が得意としており、「サクラバロック」とも呼ばれますが、「パリの覆面男」アンドレ・クリストルがホイッスラーに教えたのも同じ技術ではなかったでしょうか。それを寝技に応用したのがホイッスラーの「ハンマーロック」なのかもしれません。

 元々はフランスのグレコ・ローマンにあった技だったが、(クリストルの離仏と共に、あるいは禁じ手とされたために?)使われなくなっていつしか忘れられ、トム・キャノンの渡仏によって再発見された…という可能性もありましょうか?
 
 クリストル、ホイッスラーとキャノンは、米国時代に練習を共にしたり試合をしたりしています。
 キャノンもハンマーロックは得意だったようですが、使われて負けたこともあります。別ページ「1899 T・キャノン 対 J・カーキーク」、「1902.9.13 T・キャノン 対 G・ハッケンシュミット」)等に書いています。



 
The Library of Congress 米国議会図書館(LC)
http://www.loc.gov/index.html
Chronicling America: Historic American Newspapers
http://chroniclingamerica.loc.gov/

St. Paul daily globe  June 07, 1886
http://chroniclingamerica.loc.gov/lccn/sn90059522/1886-06-07/ed-1/seq-1/

 左から3列目の下部から4列目の上部にかけて、キャノン対「ザ・ジャップ」(日本人初のプロレスラー、松田そら吉)戦が報じられています。ハンマーロックの他、スタンドで「クロス・アームロック」という技も使っていますが、どういうものかはわかりません。



UNITED WORLD WRESTLING(旧FILA)
http://unitedworldwrestling.org/

SPORTS-BIBLIOTHEQUE  LA LUTTE  Par PAUL PONS (1912)
   スポーツ叢書       レスリング   ポール・ポン著 
http://www.fila-official.com/images/FILA/livres/LG20/LG20.pdf
P98〜99(ファイル上はP114〜115)

LA CRAVATE
ネクタイ

La cravate partagea pendant longtemps le sort du collier de force. Elle fut interdite, mais on en retablit l’usage au moment du premier championnat du monde, et depuis cette epoque, il est admis d’en faire usage. Le collier de force est une forme de l’etranglement ; il doit etre rigoureusement interdit aux amateurs. La cravate est moins autoritaire, encore que penible, et il faut dans le monde de l’amateurisme en user avec moderation. Et voici maintenant comment on doit passer une cravate. La main droite prend a droite le cote gauche du menton de l’adversaire, tandis que la main gauche glissee sous le cou, s’empare a gauche de la tete. L’interversion dans les prises peut naturellement se faire.

ネクタイは力のネックレスと運命を長い間共にした。それは禁じられたものの、人々は最初の世界選手権の際にその使用を復活させ、そしてその時期以来、それを使用することが認められている。力のネックレスは絞殺の一形式である。それはアマチュアに於いては厳しく禁じられねばならない。ネクタイは、きつくはあるけれど、比べるにより威力的でなく、そしてそれはアマチュア界に於いては節度を持って用いられねばならない。そして今如何に人がネクタイを受けねばならないかがこれである。右手は右に敵のあごの左側を掴み、一方左手は首の下に滑り込ませて、頭の左をしっかり掴む。掴みに於ける置き換えは当然に行われてよい。

 Ces prises assurees que faut-il faire ? ≪ Devisser la tete du patient en lui tordant le cou jusqu’a ce que la douleur l’oblige a aller au tapis. On l’y suit en se laissant tomber a genoux ; une fois a terre, on continue l’effort pour amener le tomber, ou l’on porte une des attaques entre lesquelles on a le choix, etant donne qu’on se trouve dans la position dessus pour amener l’adversaire sur les epaules.

 しっかり固められたこれらの掴みは何をなすに違いないのか?「苦痛が彼に敷物に行くことを強制するまでその首をねじることによって忍耐強い男の蓋をこじ開けて返すこと。貴兄はそこでひざまずいたまま彼の後について行く。地面上に一度、貴兄は転倒を生ぜしめるために努力を続け、あるいは貴兄は貴兄が選択肢を持つ中の攻撃の一つを繰り出す、上の態勢に貴兄はいるので敵をその両肩の上に運ぶために。

 Il n’y a, a vrai dire, qu’une parade a la cravate : c’est de rentrer le plus possible le cou dans les epaules, si on a le temps de le faire, au moment ou l’adversaire avance les mains pour vous la passer. On peut, et on doit meme si l’on a ete pris, se debarrasser de la main qui vous tient au menton. C’est celle-la la plus dangereuse.

 実を言えば、ネクタイには一つの防御しかない。敵が両手を前に出す瞬間に貴兄が彼を透かすために、もし貴兄がそれをする時間を持つならば、可能な限り首を両肩の内に引っ込めることがそれである。貴兄は、貴兄のあごを掴むその手から免れてよいし、もし貴兄が既に捕らえられていたらむしろしなければならない。それは最も危険なものである。


 
“Lachi”
http://lachi1.narod.ru/
 “SPORT CLUB LACHI”によるレスリングのウェブ・サイトです(ロシア語)。
http://lachi1.narod.ru/z1-glavnaja-profi.html
 19世紀末から20世紀初頭、欧州各地で行われたプロレス・トーナメントの貴重な記録があります。
http://lachi1.narod.ru/1-mir.profi.1898g-pariz.html
 1898年12月17日から29日にかけてパリで開催された、第一回目とされる「フランス式レスリング世界選手権」の結果が記されています。 優勝者は「フランスの巨人」ポール・ポンその人です。
 
 ネクタイ(ネック・ロック)が、力のネックレス(絞め技)と共に禁じられたのは、別ページ「カジノのレスリング」でご紹介した力のネックレスによる死亡事故が発生した1870年以降でしょうか。




追記 2014.12.6

 黎明期のフランス・プロレスを発展させた「興行師の王」ロシニョール・ロランは、宣伝の天才でした。その手になるポスターの文面が紹介されています。

La Culture physique  1914/05/01
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6131973k/f7.image

AMBROISE, le ≪ Colosse de la Savoie ≫
アンブロワーズ、「サヴォワの巨人」

 Des montagnes de la Savoie, le lion a rugi !

 サヴォワの山脈、獅子吼せり!

 Ambroise a releve le defi de Faouet ! Cette lutte sera a outrance et sans pitie ! Les colliers de force et les retournements de bras seront autorises pour cette lutte seulement.

 アンブロワーズがファウエの挑戦に応じた!そのレスリングは徹底的で情け容赦なかろう!力のネックレスと腕の逆はそのレスリングのためにのみ許可されよう。


 ボルドーでの興行用ですが、残念ながら時期がわかりません。ロランが興行師として活動したのは、1854年から1872年までです。通常の試合では絞め技と腕関節技は禁じられていたが、許容される条件(英語で言えば「ノー・ホールズ・バード」)で試合が行われることもあった、ということでしょうか。
 「腕の逆」は、具体的にはハンマーロック系の技を指すのではないかと思います。“retournement”は、「逆さにする」「裏返しにする」という意味の動詞“retourner”(英語の“return”に相当)の名詞形です。やはりハンマーロックはトム・キャノン以前にも使われていたのではないでしょうか。



La Bibliotheque municipale de Lyon リヨン市立図書館
 Press lyonnaise du ]\°siecle 十九世紀のリヨンの新聞
http://collections.bm-lyon.fr/presseXIX/showObject?id=PER003&date=00000604

Lyon-sport  06 decembre 1902
http://collections.bm-lyon.fr/PER00319034?page=1
http://collections.bm-lyon.fr/PER00319034/PAGE0_View
http://collections.bm-lyon.fr/PER00319034/PAGE0_PDF

3me Championnat du Sud-Est
LUTTES AU CASINO
REGLEMENT OFFICIEL

第3回南東部選手権
カジノでのレスリング
公式規定

 Voici le reglement qui a ete adopte par le jury du Championnat International de Lutte du Sud-Est.

 これは南東部のレスリング国際選手権の審査委員達によって採択された規定である。

 1° L’arbitre est maitre souverain de la direction des luttes. Toute decision prise par lui relativement aux luttes et conformement au reglement est sans appel.

 第一、行司はレスリングの管理に関する至上の支配者である。レスリングに関してかつ規定に従って彼により下されたあらゆる判定は決定的で控訴はない。

 2° Toute infraction quelconque au present reglement, toute entente constatee entre concurrents, tout acte d’insubordination au cours des luttes, entraineront la disqualification qui sera prononcee par l’arbitre.

 第ニ、この規定に対するあらゆる任意の違反、競技者間で確認されたあらゆる了解、レスリングの最中のあらゆる不服従の行為は、行司によって宣告されよう失格をもたらそう。

 3° Tout concurrent, qui, pour quelque motif que ce soit, abandonnera la lutte ou quittera le ring au cours de la lutte, sera declare vaincu.

 第三、あらゆる競技者は、皆、それに如何なる理由があろうとも、レスリングを諦めるかまたはレスリングの最中にリングを離れるかしよう者は、負けを宣せられよう。

 4° Les prises ne peuvent se faire qu’audessus de la ceinture et a main plate.

 第四、掴みは腰より上にかつ平手でなされる他は許されない。

 5° Il est interdit de saisir de quelque maniere que ce soit les mains de l’adversaire.

 第五、それが如何なる仕方であろうとも敵の両手を握ることは禁じられる。

 6° Les coups suivants sont formellement interdits :
 Les torsions de doigts.
 Les crocs en jambe.
 Les passements de jambe.
 Les retournements de bras dits ≪ coups de bras ≫ a l’americaine.
 Les colliers de force.

 第六、次の技は明確に禁じられる。
 指の捻り。
 脚絡み。
 脚の突き。
 腕の逆又の名を「腕固め」米国風。
 力のネックレス。

 7° Le lutteur devra toujours accompagner a terre son adversaire.

 第七、レスラーは常に地面上には彼の敵と同行しなければならない。

 8° Les lutteurs ne peuvent se graisser, ni s’oindre d’un corps gras quelconque, quelque partie du corps que ce soit et ne peuvent egalement se passer les mains a la colophane.

 第八、レスラー達は身にグリースを塗ることも、それが如何なる物体の一部であろうとも、任意の脂っぽい物体を身に塗布することも許されずかつ手を松脂に着けることもまた許されない。

 9° La duree des reprises est fixee a 15 minutes avec une minute d’intervalle.
 Si une deuxieme reprise n’avait donne aucun resultat, il y aurait lieu a une troisieme reprise, celle-ci a duree illimitee qui pourra avoir lieu dans une seance ulterieure.
 L’arbitre pourra cependant arreter la lutte lorsqu’il le jugera necessaire et elle sera reprise si un des adversaires le reclame, dans la position ou les lutteurs se trouvaient lorsque l’arbitre les a arretes.

 第九、各ラウンドの継続時間は一分の合間を伴う15分と定められる。
 もし第二ラウンドが如何なる結果ももたらしていなかったならば、第三ラウンドの場があろう、こちらは時間無制限にてその後の大会の中で行われることがあり得よう。
 行司はしかしながら彼がそれを必要と判断した時にレスリングを止めることができそしてもし選手の一人がそれを要求するならば、行司が彼等を止めた時にレスラー達がある所の態勢に於いて、それは再開となろう。

 10° Les reprises a terre pourront durer au maximum 4 minutes; a l’expiration de celles-ci, l’arbitre arretera le combat qui sera recommence instantanement debout. Toutefois, s’il y a prise engagee, l’arbitre pourra, s’il le juge a propos, prolonger le combat a terre au dela de ces 4 minutes.

 第十、地面上の継続は最大4分保ち得る。こちらの期限満了時に、行司は闘いを止めそれは直ちに立って再開されよう。ただし、もし掛かっている技がある場合、行司は、もし彼がそれを適当と判断すれば、地面上での闘いをその4分以上に延長し得る。

 11° Pour qu’un concurrent soit declare vainqueur d’une lutte, il faut que les epaules de son adversaire touchent simultanement le tapis pendant une duree d’au moins 2 secondes.

 第十一、競技者があるレスリングの勝者と宣せられるためには、彼の敵の両肩が同時に敷物に持続して少なくとも2秒間着かなければならない。

 12° Le temps des prises, des repos, des reprises et des arrets de luttes sera pris par un chronometreur.

 第十二、レスリングの闘い、休憩、再開と停止の時間は計時係によって計測されよう。

 13° Les organisateurs ne prennent aucune responsabilite des accidents de toutes natures qui pourraient survenir aux lutteurs au cours du tournoi.

 第十三、試合の最中にレスラー達に起こり得る所のあらゆる自然の事故について主催組織は如何なる責任も取らない

 14° Les lutteurs devront se tenir chaque jour a la disposition du comite organisateur.

 第十四、レスラー達は組織委員会の意向に日々従わねばならない。



 第7条は、立技を避けて自ら寝て寝技に誘う行為を禁じたものだと思います。
 第9条は、「ストップ・ドント・ムーブ」のようなことを選手が要求できる、ということでしょうか。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンにおける同種のルールについては、別ページ「大正元年のドント・ムーブ」に書いています。

 第10、11条に定める、寝技の時間制限とピン・フォールの秒数条件は、オーストラリアにも例があります。


WRESTLING  Otago Witness, 29 August 1885
http://paperspast.natlib.govt.nz/cgi-bin/paperspast?a=d&cl=search&d=OW18850829.2.51&srpos=23

 こちらの記事で報じられたドナルド・ディーニー対ウィリアム・ミラーの5種目レスリング試合では、グレコ・ローマンにおいて5秒間のピンでフォールとなっています。



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