柳澤健「レスリングとオリンピック まだらのルーツ」について



 「Dropkick vol.9」(2013年5月1日発行、晋遊舎)に掲載された柳澤健さんのインタビュー記事「レスリングとオリンピック まだらのルーツ」を読み、誰も知らないと思ってか適当なことを言っているな、という印象を持ちました。Dropkicのウェブ・サイトでもその記事が公開されたのを機会に、2015年4月4日から6日にかけて、批判する内容のTweetを行いました。以下にまとめます。



Dropkic 柳澤健ロングインタビュー「レスリングとオリンピック まだらのルーツ」
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar760943
1)英仏の覇権争いから、フランスのグレコローマンに対抗して、足を掴んでもいい英国のキャッチ・アズ・キャッチ・キャンが後からできた、とあります。
https://twitter.com/tentaq4/status/584174749284044800


2)これは虚構のストーリーでしょう。そもそも柳澤さん自身が「キャッチの誕生は18世紀後半」「グレコローマンは1848年に始まった」(つまりグレコの方が新しい)と言っておられて辻褄が合わない。
両スタイルは組み手が自由なルース・レスリングとしてむしろ近しいと英米人は認識していた。
https://twitter.com/tentaQ4/status/584178002914717696


3)1896アテネ、レスリングはグレコ1種目の由だが、レッグ・ホールド(脚取り)も使えてフリーに近い?仏国人不出場。1900パリはレスリングなし。1904セントルイスはキャッチ、米国人と在米外国人出場。1908ロンドンから2種目に。五輪レスリングではフランスの主導権は感じられず。
https://twitter.com/tentaQ4/status/584184911772262400


4)『「ギブアップ」による決着が、記録にまったく残っていない』も誤り。プロレスに公式記録はなく新聞等から個別に拾って行くしかない。「まったく」と言い得る程には調べてないでしょう。「ミロンからロンドスまで」にもウィリアム・マルドゥーンやフランク・ゴッチのギブアップ勝ちの記述がある。
https://twitter.com/tentaQ4/status/584191257880104960


5)「レスリングのルーツは興行」「キャッチも米国でプロ興行が人気を博すとアマチュアでやろうという人間も出てくる」「五輪で銀メダルを取ったプロレスラーはダニー・ホッジだけ」も正確でない。五輪のレスリング種目で銀だけを取った人でもナット・ペンドルトンがいる。金も銀も取った人は他にも。
https://twitter.com/tentaQ4/status/584194078398525440


6)レスリングにおける「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」(掴める様に掴め)という用語は、(スタイルに関わらず)「組み手が自由」という条件(コンディション)を示すものであったが、その条件を最大の特徴とする「ランカシャー・スタイル」の別称(つまりスタイル名)ともなって行ったようだ。
https://twitter.com/tentaQ4/status/584731552401104896


7)19世紀中頃盛んであったレスリングのスタイルは、英国ではカンバーランド・アンド・ウェストモーランド、米国ではカラー・アンド・エルボー、何れも組み手に決まりがあった。その頃フランスで生まれた組み手自由のグレコローマンも、英米人には「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」と言い得た。
https://twitter.com/tentaQ4/status/584732768002646016


8)ニューヨーク・タイムズはグレコローマンを「腰から上をキャッチ・アズ・キャッチ・キャン」と紹介(1875)。「レスリング」(1889)の著者アームストロングは「ランカシャー式とフランス式は近い同類」と記した。端的に「フランス式はキャッチ・アズ・キャッチ・キャン」と書いた記事も。
https://twitter.com/tentaQ4/status/584736351687290880


9)1870年にロンドンでレスリング英仏対抗戦が行われたが、英国代表はカンバーランド・スタイルの王者達であった。ランカシャー・スタイルは当時の英国では傍流で、寝技を嫌う人もいたようだ。
キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの五輪種目採用と継続には、米国の意向も大きかったのではないか。
https://twitter.com/tentaQ4/status/584738287362777088



2015.9.27追記
 Twitterで「虚構のストーリー」と言った所以を説明します。以下、茶色字は引用です。

柳澤 なんでも争うんですよね。そうなると、レスリングでも争う。フランスにグレコローマン・レスリングがあるとなると「イギリスにもレスリングがなければいけない」という発想になる。そこで出てきたのがフリースタイルです。
――あ、フリースタイルを制限したものがグレコローマンってことじゃないんですね。
柳澤 違うんですよ。フランスのグレコローマンに対抗するためのものなんです。そのフリースタイルっていう名前も、じつは第二次大戦後のもの。その前はキャッチ・アズ・キャッチ・キャンと呼ばれてました。
(中略) まず、なぜキャッチ・アズ・キャッチ・キャンという名前なのか。これは「どこを掴んでもいい」っていう意味です。
――それが文字どおりの意味ですよね。
柳澤 なぜそういう名前かというと、「足を掴んでもいいですよ」ってことからきてるんですよ。
――「グレコローマンとは違いますよ」と。
柳澤 だからキャッチ・アズ・キャッチ・キャンは、グレコローマンより先にあったものじゃないんです。「どこを掴んでもいい」という競技名は、下半身に触っちゃいけないグレコが先にあるからこそ出てくる。グレコローマンがあったから、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンができたんです。

 一見もっともらしい説明で、なるほどと思ってしまいますが、すぐ後でご自分で否定してしまっています。

「アイルランドの肉体労働者がやっていたスポーツが、ボクシングでありキャッチ・アズ・キャッチ・キャン」
「キャッチ・アズ・キャッチ・キャンが誕生したのは、18世紀後半のイギリス、ランカシャー地方」
「ランカシャーには炭鉱がたくさんあって、アイルランド人が出稼ぎに来てたんですよ。賭けボクシングとかキャッチ・アズ・キャッチ・キャンも、アイルランド人が始めたもの」
「グレコローマンは1848年、フランスで元軍人のジョン・エクスブロイヤが始めたもの」

 キャッチ・アズ・キャッチ・キャンがアイルランド人炭鉱夫の始めたものなら、英仏の覇権争いは関係がないでしょうし、そもそも後からできたというグレコローマンを意識し得ようもありません。語源的にもグレコローマンに対抗したものでないことはTwitterに書いた通りです。矛盾する話を平気でしている(編集者も見逃している)のは全く理解に苦しみます。
 もっともらしい語りで人を感心させたいだけで、それが事実か嘘かは問わないのだとしたら、読者は試されている、と感じます。


追記2015.10.3
 もう少し説明します。各形式の発祥の年代をキャッチ・アズ・キャッチ・キャン→グレコローマンの順で述べながら、一方においては「キャッチ・アズ・キャッチ・キャンは、グレコローマンより先にあったものじゃない」「グレコローマンがあったから、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンができた」と主張するのはなぜなのか。
 レスリングの形式そのものではなく、あくまでも近代オリンピックの種目としてキャッチ・アズ・キャッチ・キャンが「できた」(→採用された)のが、グレコローマンより後だと言いたかったのだ、と仮定してみましょう(語源への言及もあり、自然にそうは読めないことは否めず、かなり無理がありますが)。
 近代オリンピックの初回、1896年のアテネ大会で行なわれたレスリングは、グレコローマン・スタイルを基礎として行われたとされる(オフィシャル・レポートには「レスリング」とあるのみで形式名はない)ものの、レッグ・ホールド(脚取り)が許されており、実際には別の形式と言うべきでしょう。一説には、近代五輪に先駆けて19世紀にギリシャ国内で行われたザッパス・オリンピックのレスリングのルールが用いられたとのこと。フランス人の参加がなかったことは既に述べました。
 第2回1900年パリは、近代オリンピックで唯一、レスリングが行われなかった大会です。古代オリンピックの花形であり、近代五輪の初回でも行われたレスリングを、フランスは自国開催の大会において実施種目からはずしました。これは柳澤さんも述べられています。
 第3回1904年セントルイス大会で、レスリングが復活。キャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイルで、なんとAAU選手権を兼ねて行われ、参加は米国人と在米外国人のみ。フランス人はもちろん英国人の参加もありませんでした。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの初採用は、英国ではなく米国の主導(あるいは独善)によって行われました。
 グレコローマンとキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(フリースタイル)の2種目が行われるのは、第4回1908年ロンドン大会からです。
 以上からわかるのは、近代オリンピックへのレスリング種目採用においても、英仏が覇権争いをした事実が認められないことです。また、グレコローマン・スタイルが五輪で行われたのは、実際にはキャッチ・アズ・キャッチ・キャンより後です。
 結局、柳澤さんのお説はどう考えてみても根拠を見出し得ません。


※参考

1896アテネ大会の公式報告書。右が英語、左が独語。
http://library.la84.org/6oic/OfficialReports/1896/1896.pdf
 203と207頁に写真(決勝前)と絵。210〜211、213〜214頁に記事、ルールの記載はなし。ギリシャ、ドイツ、ハンガリー、大英帝国より5名が出場。


Sports-Reference.comより、五輪レスリングの記録。

1896アテネ大会
http://www.sports-reference.com/olympics/summer/1896/WRE/mens-unlimited-class-greco-roman.html
 “It was contested basically in the Greco-Roman style although some legholds were allowed.”とあります。

1904セントルイス大会
http://www.sports-reference.com/olympics/summer/1904/WRE/
 “Event”の各階級のリンク先に出場選手リストがあります。ほとんどが米国人です。

1906アテネ大会
http://www.sports-reference.com/olympics/summer/1906/WRE/
 1904セントルイスと1908ロンドンの間の「中間大会」、後に非公式扱い。グレコローマンのみが行われており、やっとフランス人の参加も見られます。


ウィキペディア フリー百科事典
ザッパスオリンピック
 
 ザッパス・オリンピックと1896年アテネ五輪のレスリングについては、世界の伝統レスリングに詳しいヤス@SHOOTWRESTLING1さんに教えて頂きました。ありがとうございました。



メニューページ「柳澤健「1984年のUWF」について」へ戻る