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剣法至極詳伝 |
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国立国会図書館デジタルコレクション 木下寿徳「剣法至極詳伝」(武道奨励会、1913) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949379 (P13 コマ番号17 〜) 五 警視廳と等級 警視廳に於ては等級を分ちて七級より二級に至る六階級あれど七級は畧々級外と看做すべきを以て眞の等級は六級よりとす而して六級五級四級には各上中下あり三級二級に至りては上下なし斯くの如くに級を更に上中下に區分する緻密なる眼光に至りては敬服すべきに似たりと雖も中には當を得ざるもの尠しとせずそは上中下の中にて中に位すべきものに下等あり下等に位すべきものに上等あり只だよく當るものあり地に強きものあり或は又體勢華かなるあり各得意とする所によつて業の進むものなり地に強きものは打ち方に上手少なく打ち方上手なるものは腕強からず然るを三本勝負にて勝を制するを多くは強きものとして進級せしむるを常とせり是れ過てりと謂はざるべからず劍法豈唯打つのみを以て能事終れリとなすものならむや故に等級を定むるは容易の技に非ず眞に察するに餘あり其當時の等級を定めし劍道家を擧ぐれば先づ劍客の牛耳を取りし者警視廳にては第一梶川義正幕府の人逸見莊助佐倉の人植田美忠宇土の人此の三名が協議の上等級を定めたりと云ふ其當時の等級姓名を記せば左の如し |
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※名前に色(黄色)がついている人は、明治18年10月弥生祭武術試合出場者。 太字の人は、「1888年(明治21年)頃の警視庁武術世話掛」(写真)に写っている人。 黒字は「剣道範士高橋先生八十年史」の「明治21年6月警視庁撃剣世話掛及びその階級」に合致、赤字は合致せず。 括弧書きは他の資料に見る表記の異同です。 もちろん原典にこのような加工はありません。 追記2016.9.4 青字の流儀名は山下素治「明治の剣術―鉄舟・警視庁・榊原」(新人物往来社、1980)より。 高橋範士記録との異同について同書は、「例えば二級の部に松島秀実(神道無念流)が挙げられ、後藤利直と夏目又之進は省かれている。これら両名は、後藤が憲兵、夏目が当時はまだ千葉県御用掛で、ともに警視庁員ではなかったからである。」と記している。 余再び警視廳に劍法を教授するに至りたれば等級及び其他劍法に對する要點を協議せんと謀りしも其機を得ず不幸退職するの止むなきに至りたり今日我邦劍法の隆昌を来したるは或は時勢の然らしむる所なるべしと雖も又實に警視廳の賜と謂はざるべからず蓋し警視廳に於ては明治十年西南戦役後劍道の有益なることを認め警部巡査の中より劍道に上達せるものを採用して以て教師となし禮を厚うし優遇頗る盡せりここを以て各縣に閑居する劍道家其待遇の篤きを以て漸次警視廳に集り斯くて劍道の勃興を致せるなり若し警視廳にして其當時劍道家を採用することなかりせば其の技術や既に衰亡に歸せしなるべし勿論此間に於て多少の冷熱なきにあらずと雖も兎に角今日の盛況を見るに至りたるは警視廳の賜といふべし余は素より各劍道家に於ても齊しく感謝する所にして國家の爲め喜ばざるを得ざるなり 追記2016.8.21 省略しましたが、「剣法至極詳伝」には四級(「目録」に相当)の人の名前もあります。その中に見える藤田五郎は、新選組の斎藤一の改名とのことです。 メニューページ「警視庁武術世話掛」へ戻る |