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警視庁武道九十年史 |
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警視庁警務部教養課編「警視庁武道九十年史」(警視庁警務部教養課、1965) I 明治編 : 5 武術世話係を置く : (P20〜) 福岡県久留米商業高等学校教諭柔道師範、石橋和男氏の著わす『良移心頭流中村半助手帖』によると、中村半助の先生下坂才蔵師範あてに、警視庁から初代柔術指南役(世話係)に招聘依嘱の書簡が着いたのが、明治十五年秋ということである。ところが、下坂才蔵師範は家事の都合で上京できなかった。その代りとして 関口流 久富鉄太郎 関口新々流 仲段蔵 良移心頭流 上原庄吾 良移心頭流 中村半助 の四名を推せん、折り返し警視庁から採用通知状が届けられた。隆々たる鉄腕を撫でながら久留米柔術の真価を世に問うべく、花のお江戸に着いたのが明治十六年三月という。ちょうどこの一月 「今度警視庁にては、各屯所詰の巡査一同へ自今撃剣同様、柔術をも修業すべきよし内達ありしと」 各署へ公然の内達が出されたということが、篠田鉱造氏の『警察百話』に掲載されている。これらのことから考え合わせて、柔術世話係が置かれたのは、剣道におくれること四年と考えてもまちがいはないようだ。今日、柔剣道といえば武道の両輪として歩調をそろえ、警察官にとって心身鍛錬の必須課目となっているが、その出発点においては、このような遅速があったということは、思いがけないことだった。 : |
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V 付録編 : 2 武道教養担当者の変遷 (P387〜) : 余談にわたるが、大正九年の『自警』誌の写真欄に「三十二年前の武道師範」という見出しで、当時の世話係の先生方の写真を発見した。大正九年から三十二年前といえば明治二十一年頃にあたる。巻頭に紹介した写真は当時の世話係の先生方の真姿を伝える唯一の貴重な資料で、いかに名人、達人、強豪を擁していたか、その充実さを物語る証拠にはなるであろうと思う。とくと御覧いただきたい。 その写真はウィキペディアで公開されています。 ウィキペディア フリー百科事典 警視庁武術世話掛 (記事) |
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w:ウィキペディアに個人名の記事あり 流派名のみはウィキペディア「警視庁武術世話掛」より 順番は五十音順 追記2016.8.23 上記のうち柔術の世話掛と思われる人です。講道館からはこの他に横山作次郎がいたはずです。
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