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職員録 |
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国立国会図書館デジタルコレクション これまで挙げて来た資料より、警視庁武術世話掛であったと考えられる人達の名前を、「職員録」に探してみました。ちなみに「職員録(乙)」には地方官が記載されています。 職員録. 明治19年(甲) 1886/11/30現在 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779753 : ○警視庁 : ○警視本署 本庁内 庁中取締 警部 判任官六等 勲七等 梶川義正 警部補 判任官六等 逸見宗助 上田美忠 判任官九等 久富鉄太郎 守備掛 警部補 判任官十等 得能関四郎 (P403 コマ番号220) ○芝愛宕町警察署 外勤 警部補 判任官十等 鈴木正森 (P405 コマ番号221) ○品川警察署 内勤 警部補 判任官八等 門井辰之助 外勤 警部 判任官五等 江原則明 (P406 コマ番号222) ○赤坂警察署 外勤 警部 判任官六等 乙ノ部長 勲八等 松島秀實 (P407 コマ番号222) ○四谷警察署 外勤 警部 判任官六等 勲七等 鈴木忠恕 警部補 判任官十等 勲八等 横山武蔵 (P407 コマ番号222) ○牛込警察署 外勤 警部補 判任官十等 片山清 (P408 コマ番号223) ○本郷警察署 外勤 警部補 判任官十等 山里忠徳 (P409 コマ番号223) ○板橋警察署 外勤 警部補 判任官八等 森俊 判任官九等 小泉則忠 (P409 コマ番号223) ○浅草猿屋町警察署 外勤 警部補 判任官八等 勲七等 佐藤正實 判任官十等 高橋吉正 (P410 コマ番号224) ○浅草田町警察署 外勤 警部補 判任官九等 金子茂順 判任官十等 勲八等 長坂忠哉 判任官十等 前田忠擧 (P410 コマ番号224) ○富岡門前警察署 外勤 警部補 判任官十等 小崎豊 (P411 コマ番号224) 判任官である警部補以上の名前が記載されています。 ちなみに、嘉納師範はその上の奏任官でした。 ○宮内省 : ○学習院 奏任官三等 教頭 教授 従六位 嘉納治五郎 奏任官三等(下) 教授 兼教頭 従六位 嘉納治五郎 (P25 コマ番号26) : |
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職員録. 明治23年(甲) 1890/12/10現在 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779761 : ○警視庁 : ○第三局 局員 属 五等(上) 門井辰之助 (P318 コマ番号169) : ○警視本署 本庁内 警部 五等(上)勲七等 梶川義正 五等(上) 逸見宗助 五等(月一八) 久富鉄太郎 特別警衛 警部 五等(下) 得能関四郎 (P319 コマ番号169) ○品川警察署 外勤 警部 四等(上) 江原則明 五等(月一八)小林定之 警部補 六等(上) 太田資道 (P321 コマ番号170) ○四谷警察署 外勤 警部 五等(上) 鈴木忠恕 警部補 六等(上)勲八等 横山武蔵 (P321 コマ番号170) ○牛込警察署 外勤 警部補 六等(上) 片山清 (P322 コマ番号171) ○本郷警察署 外勤 警部補 六等(上) 山里忠徳 (P322 コマ番号171) ○板橋警察署 外勤 警部 五等(月一五) 小泉則忠 (P323 コマ番号171) ○浅草猿屋町警察署 外勤 警部 五等(下)勲七等 佐藤正實 警部補 六等(上) 高橋吉正 (P323 コマ番号171) ○浅草象潟町警察署 外勤 警部 五等(月一五) 金子茂順 警部補 六等(上) 前田忠擧 六等(上)勲八等 長坂忠哉 (P323 コマ番号171) ○下谷警察署 内勤 警部補 六等(上) 小崎豊 (P323 コマ番号171) ○宮内省 : ○学習院 教授 奏三等(三) 宮内省御用掛兼勤 従六位 嘉納治五郎 (P29 コマ番号24) 凡例 : 一 勅奏任官ハ官名ノ下「勅一等」「奏二等」又判任官ハ「何等」ト記シテ其官等ヲ示シ俸給ニ次第アルモノ尚ホ其下(上)(中)(下)或ハ(年一〇〇〇)(月一〇〇)ト記シ次第ナキモノ等ハ之ヲ掲ケス (P1 コマ番号2) |
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職員録. 明治25年(甲) 1892/1/1現在 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779763 : ○警視庁 : ○第一部 属 六 門井辰之助 (P418 コマ番号228) : ○品川警察署 外勤 警部 (月二〇) 太田資道 (P421 コマ番号229) ○牛込警察署 警部 外勤 (月二〇) 片山清 (P422 コマ番号230) ○赤阪警察署 内勤 警部 (月二五) 会計主務 小崎豊 外勤 警部 (月三五) 甲ノ部長 鈴木忠恕 (P422 コマ番号230) ○四谷警察署 外勤 警部 (月一五)勲八 横山武蔵 (P422 コマ番号230) ○浅草猿屋町警察署 外勤 警部 (月二〇) 高橋吉正 (P423 コマ番号230) 「警視本署」にいた大家連の名前は見えなくなりました。組織の改変もあったようですので、ここに載らない立場に変わったのかもしれません。各署に警部として記載され続けている人達(警部補は載らなくなっています)は、あるいは基本的に警察官としての勤務をしていたのかもしれません。 追記2016.9.4 山下素治「明治の剣術―鉄舟・警視庁・榊原」(新人物往来社、1980)に、次のようにありました。 明治二十三年十一月二十九日、明治天皇隣席のもとに開院され、翌二十四年三月八日をもって終った第一回帝国議会において、二十四年度歳出予算に関する政府案が議会の大幅な減額修正案に屈したため、同年度財政は政府にとって極めて苦しいものとなった。このため政府各省と全国府県庁はきびしい経費節減を強いられることとなったが、この被害を最も大きく蒙ったのはほかならぬ警視庁であった。時の警視総監田中光顕は憤然として辞任、後任者園田安賢によって同年四月一日警視庁官制改正が交付されると同時にかつてない大量の人員削減が断行された。警部の半数が諭旨免職や非職を申し渡された中に梶川、逸見、得能ら撃剣警部も含まれていた。もっとも一旦依願退職ののちひき続き巡査として再採用されたので見掛け上は格下げであった。 ○文部省 : 参事官 一(兼)第五高等中学校長 正六 嘉納治五郎 (P294 コマ番号166) ○第五高等中学校 長 兼文部省参事官 正六 嘉納治五郎 (P310 コマ番号174) ウィキペディア フリー百科事典 判任官 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A4%E4%BB%BB%E5%AE%98 警察官は警部、警部補が判任官であった。なお、巡査部長、巡査は判任待遇であった。 高等官 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AE%98 奏任官 奏任官は、三等から八等の高等官を指した。内閣総理大臣が、天皇の裁可を得て、任命する形式を採った。武官では大佐から少尉までが奏任官とされた。 追記2016.8.21 新選組の斎藤一は、明治期には藤田五郎の名前で警視庁に奉職の由。職員録にその名前を探してみました。 職員録. 明治19年(甲) 1886/11/30現在 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779753/220 : ○警視庁 : ○警視本署 本廳内 : 守衛掛 警部補 判任官八等 勲七等 藤田五郎 (P403 コマ番号220) 職員録. 明治20年(甲) 1887/11/30現在 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779755/176 : ○警視庁 : ○警視本署 本廳内 : 特別警衛 警部補 八等 勲七等 藤田五郎 (P331 コマ番号176) 職員録. 明治21年(甲) 1888/12/10現在 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779757/188 : ○警視庁 : ○麻布警察署 外勤 警部 八等(中)勲七等 藤田五郎 (P355 コマ番号188) 職員録. 明治23年(甲) 1890/12/10現在 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779761/171 : ○警視庁 : ○本郷警察署 外勤 警部 五等(月一五)勲七等 藤田五郎 (P322 コマ番号171) 次の「職員録. 明治25年(甲)」には見当たりませんでした。 メニューページ「警視庁武術世話掛」へ戻る |