明治20年11月 弥生祭武術大会

 

 

読売新聞 明治20(1887)年10月12日朝刊

○彌生社祭典 芝公園地内へ新築の彌生社祭典ハ追追延引せしが愈よ来月五日六日の両日執行し両日共大角觝を興行さるる趣きにて既に東京角力協會へ其の沙汰をせられたり因て目下出稼ぎ中の力士へ帰京の旨を報知し成べき丈當日までに繰合せ間に合せんと協議中なりと

 

読売新聞 明治20(1887)年11月16日朝刊

○巡査の野仕合 芝公園東照宮の前に出来たる故川路大警視の霊を祭りし彌生舎並びに撃劍場とも全く落成したるにつき来る廿四、廿五の両日同所にて府下甲乙両部の巡査千六百名が半數づつ二度に野仕合を執行し且つ府下在住の警視部内に職を奉ぜる撃劍家二十組の試合がある由

 

読売新聞 明治20(1887)年11月22日朝刊

○彌生神社大祭 曩(さき)にしばしば記載の如く来る廿六廿七日の両日芝公園に新築落成せし彌生神社の大祭を執行せらるるに付例年の通り撃剱角力等あり

聖上皇后宮にも行幸啓あらせらるるよし

 

読売新聞 明治20(1887)年11月26日朝刊

   宮廷録事

○行幸啓 聖上にハ明後二十八日午後一時御出門にて芝公園内彌生社へ行幸の旨昨二十五日仰せ出され又両后宮陛下にハ二十六日彌生社へ行啓ハ御延引仰せ出されたり

 

読売新聞 明治20(1887)年11月27日朝刊

○彌生神社遷宮 芝公園地に新築せられし彌生神社ハ前號にしばしば記載の如く普請全く落成につき昨日午前九時三島警視総監を始め各警視官警部等一同参集して向ヶ岡彌生神社の遷宮式を執行せられ右畢て警部巡査の撃剣柔術等ありたる由 

 

読売新聞 明治20(1887)年11月29日朝刊

   宮廷録事

○行幸御延引 昨日ハ彌生神社へ行幸の筈なりしが御延引相成りたり

 

東京日日新聞 明治20(1887)年11月29日朝刊

○彌生社の祭典  前號にも記せし如く同社の祭典は日比谷神社神官田中大教正外数名にて去廿六日午前九時より社前に於て行はれ三島警視総監を始め警視廳高等官及警官巡査消防夫水防夫等の職務の爲に斃れたる遺族何れも参拝したり境内の中央には電気燈と彌生神社の四大字を書したる大幟二本を立て拝殿社殿には五色の幕を張廻し社前には楽隊の控所あり土俵の両花道には青竹の手摺を設け緋羅紗の幕にて四本柱の上部など外側を蔽ひて美々しく装はれたり兼ては皇太后宮皇后宮にも行啓あらせ玉ふべき筈なりしが御都合にて延引を仰出されたるに付諸種の技藝は一切見合され撃剣三本勝負の試合にて終られたり廿七日には祭典を休まれ昨廿八日は撃剣野試合相撲力持等種々の技藝を催ほされたり

 

東京日日新聞 明治20(1887)年11月30日朝刊

○彌生神社の祭典  芝公園内の彌生社にて催ほされし祭典の模様は昨日の紙上に記せしが尚其の委しきを記さんに抑も此の彌生社は芝公園内なる三縁山の山門より斜めに東南に方れる舊(旧)寺院の跡なり入口の門には國旗を打違ひに掲げ門を入りて南の端に木製の西洋舘あり此舘を玉座及び明宮、皇族、大臣の御席とし内務宮内の官吏も此舘に陪席せり又力士等に角觝せしめられん爲め舘の前に土俵を築き土俵は例に因りて四本柱を建て家根を葺き四面に注連縄を張り土俵の脇に桟敷を設け同日案内を得たる貴紳の見物所とせられぬ境内に大なる池あり築山あり樹木あり池の傍らに彌生神社あり社殿の後ろを軍楽隊の詰所とし之に添ひて池を隔てて遥に西洋舘に相對ひたる舊寺院の座敷あり此の所を元老院議官各省の次官将校各院長各局長等都(すべ)て勅奏任官の休憩所に充られ東京府のみは判任の人々も侍ひたり扨(さて)来賓の餘興にとて土俵の上に畳を敷き先づ柔術の亂取り凡そ十番次に剣術の試合十番此中に鎖り鎌を遣ひし者一人あり此事終りて旗奪ひあり赤白各百五十人を一隊とし何れも面臂小手順笞鞋掛けと云へる打粉にて赤白ともに彼の勅奏官休憩所の左右より繰出し何れも奮つて腕力を戦はしめ勝負二回の中一回は赤の勝となり一回は白の勝となり次ぎは五六百人皆前に云ふ如き一様の打粉にて野試合ひを爲さしむ此人々は何れも警官にて平生撃劍丹練の人々なれば打つべきに打ち打たるべきに打たれ勇ましなんど申すも愚かなりき唯をかしかりしは誰も彼れも打ち合ひに身が入り司令官が引上げを命したる號令も耳に入らず勇戦慣闘相互に一歩も引かじと仕合たれば警察官は止を得ず順笞を揮ひて之を制し漸くに解散せしめたり此等の物全く終り土俵に敷きありたる畳を取除け東京の海山西京の小柳以下の相撲の番ひぞ始りぬ此相撲には花道あり勝たる者に簪花を賜ふ抔(など)都て天覧角觝の通りなり此の日 聖上には御風気のよしにて臨幸在らせられず明宮様を始め皇族大臣次官議官将校各院長は大かた臨場せられたれば無應数百人の群集にて之に馬車あり人力車あり随分雑踏を極むべかりしを流石に御手の物だけありて表門より裏門巡査官を以て垣を結ひたる如く土俵の最寄りへは車夫馬丁体の者一人も出さざるのみ歟此数人の帰路も査垣の中を通行なせば恰も無人の界を往く如く毫も混雑を感ぜざりき且敢て境内に電気燈の設けあり殊に皎々たる冬月之を扶け夜も却て白晝を欺くばかりなるに行届きたる盛事にてありき

 

 

 殉職警察官を祀る弥生神社は明治20年に本郷向ヶ岡から芝公園へ移り、最初の祭典に明治天皇の行幸が予定されていましたが、風邪気味のため延期になりました。祭祀と奉納武術は下記日程で行われました。

 

 11/26 招魂祭、撃剣三本勝負

 11/27 休み

 11/28 柔術・剣術各十番程、旗奪い、野試合、相撲

 

読売新聞11月16日朝刊にある「府下在住の警視部内に職を奉ぜる撃劍家二十組の試合」のみが、26日に行われたのではないかと想像します。

 28日の柔術、剣術の出場者については情報がありません。

 

 

三島通庸関係文書

https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/mishimamichitsune.php

『三島通庸関係文書目録』(憲政資料目録第11)国立国会図書館編刊、1977

https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/tmp/index_mishimamichitsune.pdf

 :

書類の部

 :

●警視庁関係

○五二四、 警視庁一般

11 弥生社落成式関係書類

■ホ 撃剣組合セ 一綴

(ファイルのP124)

 

 

撃剣組合セ

 

 

 

 

 

 

1

愛宕町屯所

 

井上武三

 

小川町屯所

 

遠藤三郎

 

 

 

 

2

麻布屯所

 

加藤隼馬

 

板橋屯所

 

森俊

 

 

 

 

3

猿屋町屯所

 

伊藤槌彌

 

吾妻橋屯所

 

富山圓

 

 

 

 

4

西黒門町屯所

 

荒井久記

 

水上屯所

 

丸山市也

 

 

 

 

5

板橋屯所

柳剛流

小泉則忠

 

 

朽原義治

 

 

 

 

6

新宿屯所

 

除川喜十郎

 

元富士町屯所

 

山里忠徳

 

 

 

 

7

小石川屯所

 

藤嵜政明

 

水上屯所

露木帍之助

 

 

 

 

8

麻布屯所

二刀

安住義忠

 

四ッ谷屯所

 

柴田衛守

 

 

 

 

9

小石川屯所

 

稲川奥郎

 

市谷監獄署

 

江原則明

 

守衛

 

杉持八郎

10

坂本町屯所

 

嵜田美実

 

富岡門前屯所

両刀

平賀萬三雄

 

 

 

矢部庸徳

 

 

 

 

11

和泉橋屯所

 

井上達

 

赤坂屯所

 

松島秀実

 

 

 

 

12

神楽町屯所

 

武藤秀茂

 

田町屯所

 

會田定次郎

 

 

 

 

13

田町屯所

 

大久保忠徳

 

品川屯所

 

太田資道

 

 

 

 

14

高輪屯所

 

雨宮直三郎

 

麹町屯所

 

樋口行正

 

 

 

 

15

西黒門町屯所

 

廣瀬廉

 

本所元町屯所

 

柿本清吉

 

 

 

 

16

久松町屯所

 

村井光智

 

第二局

警視属

上村信夫

 

 

 

 

京橋

 

松下一郎

 

市ヶ谷監獄署

 

矢嶋安清

 

 

 

 

17

京橋屯所

 

勝間田彌太郎

 

守衛掛

部長

杉持八郎

 

 

 

 

18

水上屯所

 

島村遠

 

石川島監獄署

 

三輪廣居

 

 

 

 

19

本巡査本部

 

小林定之

 

守衛掛

 

得能關四郎

 

 

 

 

20

廳中取締

部長

梶川義正

 

京橋屯所

 

渡邊楽之助

 

 

 

 

21

富岡門前屯所

 

渥美直貞

 

坂本町屯所

 

下江秀太郎

 

 

 

 

22

富岡門前屯所

部長

鈴木重孝

 

京橋屯所

 

渡邊楽之助

 

 

 

 

 

〆 二十二組

 

 

 

アラビア数字の番号は便宜上振った。

※は後から隙間に書き加えられているので、初めは数えられていなかったかもしれない。

9〜10は2人ずつ3組だと数が合わない。2人掛けを2組か?(字配りはそのように見える)

 

 

 

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