特別付録

 

 

黒字が、柳澤健「1984年のUWF」(文藝春秋、2017)からの引用。文章中、敬称は略します。)

 

特別付録

1981年のタイガーマスク

 

追記2017.6.24

P407)

 タイガーマスクが入場する時に、エプロンからトップロープにひょいっと一気に跳び乗るでしょ? あれができるレスラーは、ほかにひとりもいないんですよ、いまだに。

 

 小林邦昭の言としてこう書かれているが、本当にこんなことを言ったのだろうか?歴代のタイガーマスクが皆やっていることではないか。

 

竹内宏介「全日本プロレス馬場戦略の真実!? 防御は最大の攻撃なり!!」下巻(日本スポーツ出版社、2001)

 その夜、自宅に戻った馬場はメキシコの三沢に電話を入れた。馬場は梶原氏との交渉の問題などもあり、この時点では計画に関して多くは語らなかったという。

「お前、タイガーマスクみたいにコーナー・ポストの上に立つ事が出来るか?」

 そんな馬場からの唐突な質問に対して三沢は「ハイ」とだけ答えた。すると馬場は「お前、そっちのスケジュールをすべてキャンセルして1日も早く日本に帰って来い!」と、いう指令が下された。

 

中田潤「三沢さん、なぜノアだったのか、わかりました――。」(BABジャパン、2000)

 三沢光晴は、気の抜けた声を出すほかなかった。

「(前略)たとえば、『入場の時にトップロープに立たなくてはならない』ってことまで契約書に入っていたらしいんですよ。全日本プロレスと原作者が交わした契約なんでしょうね」

 

 原作の漫画でタイガーマスクは、コーナーではなく鉄柱の上に飛び乗っていた。これはさすがに無理なので、梶原一騎も妥協したのであろう。

 

P409)

「ルチャドールが使う蹴りと、佐山の蹴りはまるっきり違うから、怖かったです。

 佐山との試合で一番怖かったのは、ロープに飛ばされて戻ってきたところに、バックスピン・キックを食らったとき。モロに顎に入るんですよ。試合後には血痰が大きな塊で出ました。病院に行くと、声帯が壊れる一歩手前だったと医者から言われました。胸骨が折れたこともあった。胸骨って結構頑丈なんですけどね(笑)」(小林邦昭)

 

 同様にハードな攻撃で対戦相手を怪我させても、前田については「プロレスラーとしては最悪」(P108)、佐山については「空前絶後の天才プロレスラー」(P154)と評する。絵に描いたようなダブル・スタンダードである。

(追記終わり)

 

柳澤健「三沢光晴が体現した日本のプロレスの極限と終焉」(中央公論2009年9月号)

 

 日本のプロレスは進化の極限に達し、その最終地点に三沢光晴の死がある。

 多くの人々が三沢の死を深く悼んだのは、日本のプロレスの終焉を感じとったからに違いない。

 

 三沢が死んだ後にこんなことを書いていたくせに、いつまでプロレスを飯の種にするつもりなのか。

 

 猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドは、プロレス史上最も美しく、かつ危険な技である。…

 …

 猪木はジャーマン・スープレックス・ホールドや、同様に相手の後頭部をマットに叩きつけるバックドロップを多用することで、プロレスの危険さを演出した。

 …

 アメリカン・プロレスの影響を強く受けた闘魂三銃士は、アントニオ猪木のイメージを払拭するために、スープレックスをほとんど使わなかった。…

 

驚くべきことに、わざわざ1ページの2/5ほどを使って、ジャーマンの掛け方を図解さえしている。

 滅多にやらなかった(1981年のM・スーパースター戦で使った時は何年ぶり、と騒がれた記憶がある)のに、猪木=ジャーマン・スープレックス、というイメージが柳澤健の頭にはなぜこれほどに強いのか。

 

カクトウログ

前田史観を巡る攻防! 『1984年のUWF』著者・柳澤健氏vs『前田に謝れ』提唱・徳光康之先生トークバトル詳細版【週刊 前田日明】

http://kakutolog.cocolog-nifty.com/kakuto/2017/03/post-bcd3.html

 

柳澤氏「プロレスとの関わりで言えば、そもそも(スポーツ雑誌)Numberで編集会議でアントニオ猪木関連をやること、パキスタンに取材に出て本をやることになった。その初回の1987年に云々という文章に気づかされるものがあり、会社を辞めて本を書くことにつながっていったんです。猪木さんは好きですよ。ストロング小林戦とかすごく好き。ロビンソン戦でタックルを食らって猪木がなすすべがなかったことも書く動機につながっている。Numberで大々的にプロレスをやるってところを担ったのは自分だとは思っています」

 

つまりフィニッシュがジャーマンだったストロング小林戦以外、猪木の試合をほとんど見ていないのではないだろうか。

 後からビデオを見ても、当時見ていた人と同じようには見られまい。いくら調べても、当時を直に知る人には追いつけないであろう。

 それならば、直接体験をした人がもう誰もいない、大昔のことならどうか。少し調べるだけで大家となれるのではないか。

 そう思ったのかは知らないが、柳澤健が昔のことを適当に語って、ぼろを出した事例をこちらに検証している。

 

柳澤健「レスリングとオリンピック まだらのルーツ」について

http://www7a.biglobe.ne.jp/~wwd/PW150926/

 

 「徳光康之先生トークバトル」で、柳澤健は「前田史観」の打破、というようなことを言っているが、「前田史観」の支配する世界が今どこにあるのか。過去を問う前に、まず現状を正しく認識すべきではないか。

 

 

 

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