柳澤健「1984年のUWF」について(追記3)

 

 

※このウェブ・サイト「柳澤健「1984年のUWF」について」内の他の各ページに、2017年7月20日に追記をしました。その追記分だけをまとめたのがこのページで、同時にアップします。7月20日以降にこのウェブ・サイトを初めてご覧になった方は、このページを読む必要はありません。

 

 

9章 新生UWF

P307)

 新生UWFのスタイルは、佐山がユニバーサルで作り出した“シューティング・プロレス”そのものだ。レガースもシューズもルールも、1か月に一度、大都市のみで興行を行うというやり方も、すべてユニバーサルの時に佐山が考え出した。だがいま、前田日明は、佐山のアイデアを丸ごとパクり、新生UWFを真剣勝負の純粋な格闘技と詐称している。

 多くの人々が前田の言葉を信じた。新聞も雑誌もテレビも広告も、あろうことか『格闘技通信』『ゴング格闘技』などの格闘技雑誌までもが、UWFを真剣勝負の格闘技と報じた。

 

「週刊ファイト」1987年1月2日・9日号

一般マスコミからホットに注目されたUWF

(前略)

 そのきっかけとなったのはやはり前田−ニールセン戦。あの試合は本来“猪木祭り”の添えものに過ぎなかった。それが、前田が身をもってUWFのポリシーを実践したため、終わってみると前田とUWFの人気を一気に高めることになった。

 面白いのは、プロレス専門誌がそろって前田を中心に据えた総合格闘技誌を創刊したこと。猪木さえもプロレスの枠の中で誌面から一蹴された。このことはファンの間に様々な波紋を投げかけているが、ことUWFに関する限り、わが意を得たりといった新傾向。

 

 独立前、まだ新日本と業務提携している頃に、UWFの人気が「格闘技通信」や「ゴング格闘技」の創刊を可能にしたのである。格闘技雑誌がUWFを扱ったことを、当時の状況を無視して今更難じることはナンセンスである。その少し前まで、「格闘技」と言えばアントニオ猪木、という時代であった(梶原一騎の「四角いジャングル」を見よ)。前田を扱うかどうかではなく、猪木を扱わないかどうかが問題となる時代であった。

 

UWFは真剣勝負をやっている」と、前田が手記の中で書いているわけではない。」(P290)から「新生UWFを真剣勝負の純粋な格闘技と詐称している。」へは飛躍しすぎであろう。結局、「詐称」の証拠を上げられていないので、単なる誹謗になっている。

 1988年11月3日、中央大学の学園祭での講演会で、前田と山崎は次のように語っている。「詐称」の反証は、探せば出て来る。

 

「週刊ファイト」1988年11月17日号

 続いては「UWFだけが本物だというテレビの報道(プライム・タイムなど)が納得できません。冗談じゃないという気持ちです」との過激な質問。前田は「こっちは真剣で、向こうは違うなどと言うつもりはない。オレはプロレスが好きなんです。だから自分のやっていることに愛情とプライドを持ちたい。プロレス全体の将来のためにやっています」と熱弁。大きな拍手を受けた。また山崎も「どれが本物なんて関係ない。好きなものは好きなんです。オレはこれがいいと思うからUWFでやっている。新日本の人も全日本の人もそう思ってやってるはず。キミも自分の好きなものを応援すればいい」とキッパリ。

 

10章 分裂

P333)

 最初のきっかけは、1989年8月13日の横浜アリーナ大会だった。

 メインイベントとして行われた前田日明対藤原喜明の勝者には、カーセンサージャパンから日産シーマが贈られることになっていた。メーカー希望小売価格約500万円という高級車である。勝利者賞の目録をリング上で受け取ったのは藤原喜明を破った前田日明だったが、実際には社用車として主に鈴木専務が送迎用に使った。

 当然だろう。プロレスの勝利はあらかじめ決められているのだし、しかも前田自身はポルシェに乗っていたのだから。しかし、前田は「選手がもらったクルマに、どうして鈴木が乗っとるんや?」とイチャモンをつけた。

 

 この試合の勝敗があらかじめ決められていたことを柳澤は証明できまいし、そもそもこのエピソード自体、由来不明である。UWFの専務だった鈴木浩充の名は、インタビュー対象者や協力者のリストにはない。悪意ある噂話程度のものを、裏も取らずに書いているのではないのか。前田自身が当時、インタビューで次のように語っているにもかかわらず。

 

「週刊ファイト」1989年9月7日号

 ――8・13横浜の勝利者賞、ニッサン・シーマは、もう手に入りました?

 前田 いや、まだ。でも凄いよ、あの車。特別仕様で、今乗っているポルシェ928より速い(笑い)。

 ――2台とも乗りこなすんですか?

 前田 2台持っていても何だから、普段は事務所の方で使ってもらおうかと思っている。選手の用事があるでしょう? 例えばどこかのホテルで対談だとか……。今、選手の送り迎えに使っている事務所の車はちょっとみすぼらしいから(笑い)。それでオレが必要な時にはオレが使って…。

 

 

 

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