UWF余話 プロレス西南戦争・人吉の戦い

 

 

「現代」1999年3月号(講談社、33巻3号)

「格闘王」前田日明と戦後民主主義 (フリーライター)中田潤

(略)

 新日本とUWFの提携時代。ギクシャクしたリングを是正しようと、アントニオ猪木が話し合いの場を設けた。巡業中の旅館で「新日本UWF親睦宴会」が催されたのである。

「これがもう大酒乱大会ですわ。人呼んで、『人吉旅館ぶっ壊し事件』。修理代が七百万円。七百万円ぶっ壊すのは大変ですよ。後藤(達俊)なんか日本刀振り回してるし(著者注・持ち歩いてるのか!?)。俺と高田(延彦)と武藤(敬司)は負けたらぶん殴られるというルールでジャンケン大会やってるし」

 ということは、前田さんは武藤に殴られたんですか、と質問してみると。

「負けませんよ。俺、全部後出しやから(笑)」

 それに怒った武藤が障子にローリングエルボーをぶちかましてから、宴会は大乱闘の様相を呈する。

「武藤は走り回ってそこいらじゅうのものをぶっ壊す。こっちじゃ説教。あっちじゃ頭突き合戦」

 現・新日本プロレス社長で酒の席で乱れたことがないといわれていた「世界の荒鷲」坂口征二までが、赤ん坊のようにベソをかきながら寝転がって、「前田、俺を蹴れ。蹴れるもんなら蹴ってみろ!」とうわ言のように呟いていたという。そこで「仲良くしようよ」なんて言ってたら袋叩きにあったかもしれない幹事のアントニオ猪木はあっという間に姿をくらまし……。

(略)

 

 この話は色々な人があちこちで話していて、今やすっかり有名になっている。当時はどのように報道されていたのか、調べてみた。

 

 

「東京スポーツ」1987年1月25日号(24日発行、No.9082)

猪木と前田仲よく会食

●…どんな戦争でも「クリスマス休戦」などのように、戦いを忘れるひと時がある。ということでこの日(23日)の試合終了後、新日軍、UWF合同の大チャンコ大会が新日軍の宿舎で行われた。「長いシリーズ、1日ぐらい敵味方の枠を取っ払ってメシを食うのもいいだろう」(坂口)と、新日軍が招待したのだ。

チャンコ係は大矢。それに、この日試合のない藤原が助っ人として昼すぎから料理の用意に精を出した。猪木、前田らが一堂に会した絵はまさに“夢の顔合わせ”。なごやかなムードで、“チャンコ休戦”をそれぞれ楽しんでいた。

 

いやー、ほっこりしますね。

 

 

「週刊プロレス」1987年2月10日号 No.187

武藤首痛で再度欠場

 “新星”武藤敬司、再度の負傷リタイア――。

 17日・高松大会の対アサシン戦で首筋を負傷、その後の3試合を欠場した武藤は、22日・本渡大会で早々と戦列復帰を果たした(P80白黒グラビア参照)のも束の間、翌23日・水俣大会の6人タッグ戦(猪木、武藤、上田組vsバーバリアン、バート、アサシン組)中にバーバリアンのクサリで顔面と首筋を痛打され、24日・飯塚、25日・若松両大会の欠場をまたも余儀なくされてしまった。

 26日・小野田大会はTV中継(裏送りで一部地域のみ放映)ということで出場を強行したが、腫れ上がった顔面は見るも無残。今シリーズの武藤はどうも御難続きだ。

 

 武藤の欠場はバーバリアンの所業! プロレス道に悖りますね。

 

 やはり、プロレスにジャーナリズムはないのであろうか…いや、大阪に、I編集長がいる限り、そんなことはない(なかった)!

 

 

「週刊ファイト」1987年2月6日号

前田、武藤が“決闘” 目から火…のパンチ3発ずつ

 ○…“新格闘王”前田と“新人類”武藤がストリートファイトで対決した!?

 23日、水俣大会終了後、新日プロの宿舎でチャンコ大会が開かれた時に起こった騒動。酒に酔った2人が余興として?互いの顔面にパンチ3発ずつを入れ合った…というもの。

 ○…「オイ、武藤。外に出て決闘だ」。酔った勢いで“殴り合いゲーム”を提案した前田はもちろんのこと、これに二つ返事で受けて立った武藤も豪傑。決闘を目撃したレスラーの証言によると、2人は直立不動の相手の顔面を、まるでパンチングマシンを扱うように力いっぱい殴りつけたというから驚きだ。

 で、ヘビー級レスラーのパンチをまともに食えば一体どうなるのか。武藤の顔面は無残な形に変わり果て、両目下の部分はドス黒く内出血。せっかくの美形が台なしだ。また前田の右頬も赤く膨れ上がっており、ニールセン戦に勝るとも劣らない後遺症?

 ○…「ふつうの人間なら間違いなく死んでいた」(荒川)凄まじさだが、そこはタフネスを売り物にするプロレスラー。前田は「オレ、そんな事、本当にやったのかなァ」と全然覚えていない。武藤も「大騒ぎされるほどのことじゃないですよ」とケロッ。

 しかも前田は宴会の席に戻ったあと、悪ノリし過ぎて、制止に入った藤原にも1ダース近い顔面パンチを見舞われている。

 「前田は藤原に“もっと殴って下さい”と言っていたよ」と聞かされ、その豪傑ぶりに二度仰天してしまった次第である。

 

マット袈裟斬り

前田・武藤事件 レスラーは殺し合いなどしない

アンチ・プロレス派へ一矢

 レスラーが本気で殴ったらどうなるか。そんなことはわかり切った話なのだが、プロレスファンの中にも、まだ、このことがわかっていない人がいる。

(略)

 今回の前田・武藤殴打事件がそれを証明している。「真剣勝負のはずだから、手加減せず、思い切りやるべきだ」などとシタリ顔で言うが、それをやったら最後、死傷者の山が築かれるだろう。UWFの、あのブカブカのシューズは、キックの衝撃を吸収し弱めるために考案された。猪木などがはいている通常のレスリングシューズは危険なので、あの動きにくいブカブカシューズをあえて着用しているのだ。

(略)

 今回の殴打事件もまた、間接的にプロレスの限界を示唆している。この事件を闇に葬ろうとする意思があるが、とんでもないことであって、堂々とファンに知らしむるべきである。(略)シューティングとはそういった安全さの中での過激さだということをファンは知る必要がある。猪木と前田の闘いは殺し合いであってはならない。(略)

 

 初めの記事は、これはこれで楽しい感じの文章に仕上がっているが、「マット袈裟斬り」の方は、真面目過ぎていささか飛躍した反応にも思える。署名はないが、井上義啓編集長の文章であろうか。I編集長にとっては、森羅万象あらゆるものごとが、猪木について考える材料となるようであった。

 なお、記事中で前田は全く記憶がないように言っているが、この時は話すのが嫌だった(恥ずかしかった?面倒だった?)ので、そういうことにしたのではなかろうか。

 

追記2018.6.3

「週刊プロレス」1987年11月17日号の読者のページ「あぶない木曜日」に、「そういえば「笑っていいとも」に出てた藤波さんも、『前田と武藤が殴りっコ(3発ずつ殴り合うゲーム)をした』と言ってた」とあった。

 

 

 

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