鈴木浩充「ありがとうU.W.F.」について(1)

 

 

鈴木浩充著「ありがとうU.W.F.」(MIKHOTO出版、2018)という本が出た。「アマゾンと一部書店にて限定販売&自費出版」とのこと。

著者は第一次UWF(ユニバーサル・プロレスレスリング株式会社)の社員、第二次UWF(株式会社ユー・ダブリュ・エフ)の専務取締役だった人。出版の動機は、第二次UWF時代の自身の「横領」疑惑を晴らしたいというものの由。

以下、黒字は同書よりの引用。

 

 

第八章 最初の1年

P296〜)

 この時の決算時には大きな問題がありました、決算自体の問題ではなく、この時期に先にやっておかなければならないことがあったのです。

(中略)

平たく言えば、どんな状態でも違約金さえ払えば再契約を破棄することは出来るということです。絶対に2選手を獲得したいUWFとしては、その違約金が幾らになるのか調べました。

(中略)

その金額の算段をどうするかというのが大きな問題でした。

決算期の11月を迎えるに辺り、スズキは今期の会社の利益を概ね予想しました。(中略)

 

そこから得た数字は、決算後に法人税等支払った後では、違約金を手元にプールしておくことは難しいというものでした。(中略)

 この頃の法人税や地方税は今よりも高く利益の半分は税金という時期なので、税金を支払った後の現預金では違約金を残しておく体力はない状態でした。そこでスズキが考えたのが、決算前にお金を用意する方法です。しかし、それを実行するには5人の選手の方々の協力がなければ出来ない方法でした。

その方法とは、5人の選手に特別報酬を支払った形にし、そのお金を個人から借り入れて違約金に充てるというものです。(中略)

(※「5人」は誤記で「6人」が正しい。)

 

 お金はUWFという会社から出るので、個人の支出はありません。しかし、一端報酬として支払えば、そのお金は個人の収入となり、そこには税金や保険・年金料等も発生してきます。

 選手にとっては、手元にお金は来ないのに、税金を多く支払うのはおかしな事になります。そこで、実際の年間の収入を㋑として、その特別報酬があった数字を㋺として、㋑と㋺の所得税や住民税・健康保険料等の差額を算出しました。

 そして特別報酬の中から、その税金等の分を各選手にそれぞれ渡して、そこから払って頂くようにしたのでした。

 (中略)

 そしてそこには信頼関係がないと成り立たないものでした。会社の帳簿上には各個人に支払ったという形になるので、そのお金は個人のものです。事務所で預かっていても、寄こせと主張されたら従わざるをえません。

 

 (中略)11月の末の決算の締めの段階では一端未払い報酬として計上し、実際に現金を動かしたのは1月の後半のほぼ決算の数字が確定したころにしたのでした。

 それは何故かというと、違約金で必要な金額とそのお金が実際にあるのかを、概算では算出していましたが、確実にその金額で大丈夫かということを、決算の数字上でも確認することと、報酬を支払った翌月の10日には源泉税を税務署に納めなければなりません。その税金だけでも100万円単位となるので、確実に動かせる数字が見えてからにしたのでした。

 

 そしてその架空とはいえませんが、実際には会社の経費として算出した数字が、6選手の月間報酬の5・5ヵ月分という数字となったのでした。

 (中略)その特別報酬は、近くの信用組合で各選手個人名義の口座を開設して保管しました。

 (後略)

 

第十一章 様々な憶測について

P393)

 (前略)結局違約金を払う必要は無くなり、そのお金は一旦会社で預かり使い道等を決めていこうと保留になっていたものです。

 

 この話が誌(紙)面を飾るようになり、スズキはそれまで預けていた信用組合の口座から全て現金で出金して銀行の貸金庫へ保管しました。それまでは6選手の名義で作ったそれぞれの口座でした。(中略)

P398)

本来このお金は個人に渡す予定のものでは無かったお金です。形式上個人に特別報酬を払ったという形にしたものでした。

 しかし、もうこの時の選手は、「もらってない」や「事務所が勝手にやった」等という始末です。挙げ句の果てには、「よこせ」とまで言うのでした。

 

 5・5ヵ月分のお金は手元にあるので、もうどうでもいいやと思っていたスズキは、選手が言うがままにお金を渡しました。

 (後略)

 

 

 第八章を読めば、当然に次のような疑問が生じよう。

 

@ 移籍選手の違約金用にプールする金が1月時点であったのなら、それを特別報酬として支出せずに、必要になるまで取って置けばよいだけではないか? なぜ選手を介在させる必要があるのか?

 

A そもそも違約金用にプールする金が、1月時点でどうやってできていたのか? 決算予想では会社に金が足りなかったはずだし、選手も金は出していない。

 

B 「決算前にお金を用意する方法」とは何のことなのか? 特別報酬は会社の金を迂回させるだけで、金が増えるわけではなく、むしろ選手の税金等で出て行く分、金は減ってしまうのではないか?

 

 

答えはこの本の中にはない。それは隠されている。第八章の当該部分の文章は、詳しく説明しているようで説明になっていない。

 

まずBだが、「決算前に」という所はわたしにも意味がよくわからない。文章力がなさすぎてこういう表現になったのか、それともこれでごまかしているつもりなのか、いずれにせよAがわかれば事足りるので詮索しない。

 

Aの答え。特別報酬を計上して決算することによって、損金が増えて会社の利益が減り、その結果(元の決算予想よりも)納める税金が減り、その分だけ資金に余裕ができるため。

当時の実効税率(法人所得に対する法人税・法人住民税・法人事業税の割合)は51.55%(「税経通信」1989年7月号)。これを目安とすれば、会社の納める税金は特別報酬のおよそ半額分だけ減ったと考えられる(なお、それでも「とても高額の法人税等を支払」った(P301)とのことである)。

 

Aの答えは、@の答えにも通じる。選手への特別報酬を計上することで会社の税金を減らせる。特別報酬はずっと未払いのままにはできないので、いずれキャッシュアウトする必要がある(※「決算賞与」なら当時許された未払い期間は2か月程度までの由)。

 

その振込先が、名義こそ選手個人であるものの実は会社の作った会社管理の口座であり、選手は金に手を触れることができなかった(更にはその金は現金化されて会社の貸し金庫に入れられた)、と税務所に知られれば、実態としては金が会社から出て行っていないので特別報酬が損金と認められず、追徴課税される恐れがあった(ただし税務調査では特に指摘もなかったようだ。税務署もまさか有名レスラーの報酬がそのように利用されているとは思いもよらず、見逃したのかもしれない)。

 

@の答えはもう一つあり得る。それは、裏金(簿外資産)を作りたかったから、という理由。その場合は、例えば赤字ですぐ税金を減らす効果がなかったとしても、やる意味があるかもしれない。ただしこの事例では、それが主目的ではなかったと思われる。

 

 Aの答えとして会社の税金が減ると言ったが、Bに書いたように選手個人の税金や保険料は特別報酬によって増えており、そこは会社が負担しているので、その分だけプール金が減る。

「週刊プロレス」1990年11月20日号によれば、特別報酬が源泉徴収税額を差し引かれて選手名義の口座に振り込まれた際に、総額で約16.46%目減りしている。そこから引き出されて貸し金庫にプールされるまでの間に、金は更に約6.07%目減りしている。これは選手の税金・保険料の増加分相当として選手に渡された分だと考えられる。当初の特別報酬総額からのトータルの目減り率は約22.53%である。

会社の納める税金が特別報酬のおよそ半額分だけ減ったとすると、差し引きで特別報酬のおよそ2〜3割に当たる金が、会社に残ったことになる。

逆に言えば、国庫等に入るべき税金等が、およそそれだけ減ったのである。

 

 

Profession Journal

https://profession-net.com/professionjournal/general-rule-article-21/

企業不正と税務調査 【第5回】「経営者による不正」 (2)架空(水増し)人件費

 

(2) 水増し人件費

実在する従業員の給与台帳を二重帳簿化して、実際に支給する以上の人件費を計上してこれを損金として利益を圧縮し、支給しない部分を不正にプールすることにより裏金を作るスキームである。

 

 

 上記ウェブサイトの事例では、従業員には内緒で人件費の水増しが行われている。UWFの事例では、鈴木氏によれば選手との合意の上でスキームが実行されており、選手個人の確定申告にまで配慮している。

 しかし鈴木氏も書いているように、合意は選手によって否定されている。合意を第三者に対して証明する文書もない。そのため口座なり金なりを、会社は選手から頼まれて預かっていた、とは主張できなくなっている。仮に鈴木氏の言を信じても、事前に了解を得ていたのは6選手中3人だけとのこと。残る3選手にとっては、知らない内に報酬を受け取ったことにされ、知らない内に自分名義の預金口座を作られて使われ、報告を受けたのは事後、ということであろうか。これでも合意があったと言えるのか。

 更に言えば、合意があったとしてもそれは「名義貸し」の合意で、つまり特別報酬も預金口座も形だけ選手のもので本当は会社のものなんだよ、ということを合意したのだとすれば、むしろ特別報酬の否認の材料になりかねない。

 

 一時の資金繰りがつけばよいだけなら、特別報酬をきちんと選手に支払った上で、会社が違約金に足りない分の金を任意で選手から借りる(当然、資金繰りに余裕が出来たら選手に返済する)ようにすれば、合法性に疑いなく資金繰りがついたはずだ。

 実際、当時UWFの顧問弁護士はそうした線の説明をしている。特別報酬の損金性が疑われないよう、気を遣って語っている印象を受ける。

 

 

「週刊プロレス」1990年12月4日号より、UWF顧問弁護士のインタビュー

(前略)

 そして、その特別報酬とは、2期の決算の時に利益が出ているので、@それを会社の利益として繰り越していく方法と、A選手達に「頑張った」ということで渡し、来期の士気を高めるということの、どっちがいいのかということになった時に、「払おう」と。

 みんな頑張ってくれたんだから、(選手に)払おうという事になったんですよ。それが…。

(中略)引き抜きだという形でモメたりすると、場合によっては、お金を払わなくちゃいけない。両選手のこれまでの報酬を見て、これぐらいのお金がかかるかも知れないというお金はプールしておかなくてはならない。

 だったら最初から選手に払わないでプールしておけばよかったんですけど、そのお金が必ずいるかどうかわからない。(中略)

 フロントがいうにはですね、選手に特別報酬を払って、そのお金を選手から借りるということはできないかと(後略)

 

 

 理屈はこうであろう。まず(あくまでも先に)、選手への決算賞与(ボーナス)的な特別報酬を支払うことが決まる。その上で決算を締める。次の段階で、違約金支払いの懸念が生じたが、会社は(特別報酬の支払いもあり)金が足りないので、選手から借りて資金を用意することにする(借りるということは当然いつか返さねばならない)。

 

 ところが鈴木氏は今回この本で、特別報酬は形だけのもので、金を選手に渡すつもりはなかったと語って、特別報酬を支払った選手から金を借りた、という理屈を実質的に否定してしまっている(第八章ではまだ建前を守ろうとしている所も見られるが、第十一章では本音をぶっちゃけている感じである)。

しかも、自身ではそのことに何も問題がないと思っているかのようだ。

 

P384〜)

(前略)税務調査を受けて精査して頂いたものとは、国がお墨付きをくれたことです。

 

 この決算は間違いありません。

 おかしいところはありません。

 日本の法律を遵守しています。ということです。

 

 今スズキが住んでいるのは日本国です。

 UWFも日本国の中でのことです。

 そこに暮らす人間は日本の法律の上に成り立っています。

 法律の上位にくるものは外国との条約以外にはありません。

 その日本の法律で適切ですと認められたUWFの1期から3期までの決算です。

 

 

ここからは過去ではなく今の話。

法人が形だけで実体のない費用を計上して帳簿外に金をプールするような会計処理のスキームを、役員だった者が実体験として肯定的に語る本を公に出すのは問題である。著者が強調する所の「国が認めた正しい経理」に、このスキームも当然含まれていると読者は読む。それならと真似する人が出たらどうするのか。まさか、いい方法だからどんどん真似てやってほしい、と言うつもりなのか。

当時の顧問弁護士や税理士の名前も本に出している。迷惑がかかるとは思わないのか。

自身はその簿外資産を着服することも、私的に使うこともしなかったし、使う時も正しい目的でしか使わなかった、と言うのであろうが、それ故にそのスキームが公明正大なものになる、というものではあるまい。そのスキームに何の問題もないと言うのなら、それによって税金を減らして金を作ったことはなぜ隠すのか(そのくせ「まだこの時は節税対策なんていう言葉はスズキの中にはありませんでした。」(P302)と書いていて鼻白む)。

反省を込めて否定的に語るのならともかく、国の認める正しい処理と今も言うのであれば、遠い過去の話だからでは済まない。今の話になってしまうから看過できない。特に今はコンプライアンスの時代である。自費出版だからチェックが効かなかった、で済むのか。

 

なお、現在は他人名義口座の開設自体違法とされる(もちろん悪用は昔からだめであろうが)。

 

 

架空口座 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%B6%E7%A9%BA%E5%8F%A3%E5%BA%A7

・他人名義口座

他人の承諾を得て名義を借りて開設したもの。または、他人が開設した口座を購入したもの。または、他人の承諾を得ずに、身分証明書などを流用して勝手に開設したもの。

 

 

OLTA lab.

https://www.olta.co.jp/lab/case-corresponding-to-the-corporation-jukasanzei/

法人重加算税に該当する事例

 

本人以外の名義又は架空名義で行っている

現在は他人名義の預金口座を作ることはできませんが、昔は今より簡単に他人名義の口座を手に入れることができたそうです。

こうした、他人名義の口座や架空名義の口座を申告金額に含めないと重加算税が課されてしまいます。

 

 

国税不服審判所

http://www.kfs.go.jp/service/JP/45/06/index.html

(平5.6.16、裁決事例集No.45 53頁)

 …

3 判断

 …

(6) 次に、原処分庁は、請求人が本件賞与を従業員に実際には支給せず、B男等2つの口座の本件預金に預け入れており、当該預金は請求人に帰属するものであると主張し、一方、請求人は、当該預金は請求人に帰属しないと主張する。

 これについては、原処分関係資料によれば、本件賞与が本件事業年度末において、実際に個々の従業員に支給されていなかったこと及び本件預金の通帳、使用印章等を請求人の経理担当者が管理していたことが認められるのであるから、この点に関する請求人の主張には理由がないのみならず、(後略)

 

 

 「請求人」が会社。従業員の名義であっても会社の管理する口座の預金が会社に帰属する、と判断された。

 なおこの裁判のケースでは、賞与の損金性は否認されるものの仮装・隠蔽まではなかったとして重加算税の賦課決定が取り消されている。

 

 また過去の話に戻ろう。鈴木氏も、簿外資産(裏金)を作ること自体を目的としていたわけではなかったと思うし、また簿外資産を横領していたとは思わない。その理由を述べる。

 

 以下は「週刊プロレス」1990年11月20日号、同12月4日号等より。

 6選手名義の口座に、源泉徴収税額を差し引いた残りの特別報酬の金額が入金されたのは、1989年1月30日と31日。

 その後、同年3月から8月の間に、各口座から会社へ、五月雨式に資金が移動している。会社はこれを「選手からの借入金」として処理。その合計額が、決算期末に近い同年11月16日、「選手への返済」と称して会社からキャッシュアウトしている。実際には選手には行かず、会社が貸し金庫に現金で保管。ことが明るみになって騒ぎになり、約1年間後の1990年11月初旬に選手に返金。

外形的な流れは以上。

 

鈴木氏の記述と食い違う所もあるが、30年近く前のことを資料なしに記憶のみで書いたという鈴木氏の方が正しいとは思えない。当時のUWF顧問弁護士が「週刊プロレス」のインタビューで認めたり、少なくとも否定しなかったことばかりである。

貸し金庫への預け入れは「この話が誌(紙)面を飾るようにな」ってからではなく、その前の年のことである(その理由についても弁護士と鈴木氏で言うことが違う)。それも選手名義口座から直接の資金移動ではなく、会社の借り上げ処理を経てからである。1年程貸し金庫に置きっ放しになっていたのは、この頃には資金繰りに余裕ができていたからであろうが、いざとなればすぐ使える金があるのは心強かったのではなかろうか。

 

懸念の通り選手の移籍に伴い違約金が必要になった時は、6選手名義の口座から金を引き出して使うつもりだったのだろうが、会計上どう処理するつもりだったかは不明。契約上、違約金を支払う義務は移籍選手にあるはずで、UWFが肩代わりして直接移籍元に支払うのか、違約金を支払う移籍選手に同額の契約金を出す形にするのか。わからないが、いずれにせよ闇で支払う必要はなかろう。

 

 選手名義口座から会社に金を移した際に、会社が選手に対する借入金として受け処理をすることにより、会社に金がある理由ができ、会社は大っぴらに金を使えた(逆に闇で使うことはできなくなった)。

ところがこの場合、(返さない限り)選手に対する借入金は残ってしまう。貸借契約書もあったように思われないから、決算期末前に借入金を消したいと思ったのか(期末に残っていると税務調査で調べられやすい)、それとも単に資金繰りに余裕ができたからか、会社から金をまた出した。ただし、元々会社の出した金で選手に渡す必要はないと思っているので、選手に渡さず貸し金庫に入れた。

帳簿上、会社に金はなくなり借入金も(返済したことになって)消えたが、実際には金が残っている。闇で使うか、選手に渡す他、金はなくならないのだが、どちらもしたくないジレンマに陥っていたのかもしれない。

途中で貸し金庫から出し入れがあったかはわからないが、当初入れられた額が最後にも残っていたようなので、闇で使うことが目的だったとは認めにくい。最初の特別報酬の額からは目減りしていたが、目減りは個人の税金・保険料の増加分と考えれば、辻褄は合う。

 

ただし、仮に当初、違約金に使うことを選手が了承していたとしても、違約金が不要になった時点でその目的は失われており、金をその後どうするかは合意がない状態になっている。

亡くなった練習生の補償金等に一時使った(ただし後で戻した)ようだが、口座から会社への五月雨式の資金移動や貸し金庫への預け入れも含めて、その都度選手達に合意を得て行っていたのか。

結局、会社のみの意思決定で動かせる金になっていたのではないか。きれいな使い方をしようが、使わずに置いてあろうが、形は会社の裏金ではないか。

適法かどうかを置いても複雑過ぎるスキームで、知識のない選手達は説明を受けたとしても、理解して納得することができなかったのではないか。信頼関係が崩れていない内は、わからないが任せるよ、ということだったのかもしれないが、疑い出したら怪しく見えても仕方がない。

そもそも、これで会社の税金を本来よりも減らして金をつくる、ということまで、一度でも全てをきちんと説明したのだろうか。相手を信頼していなかったのは誰だったのだろう。

 これがフロントと選手がもめる一因となって最後は団体が潰れる所まで行ったのなら、残念極まりない話である。

 

他にSWSへの選手派遣問題もあったはずだが、鈴木氏は何も書いていない。社長マターだったから、ということか。

 

 一つ言えるのは、この本だけを読んでも真実には到達し得ないということである。

 

 

※決算賞与について

 

BIZ KARTE

https://biz.moneyforward.com/blog/19459

決算賞与による節税対策|要件とメリット・デメリット

 

決算賞与の支払いが決算に間に合わない場合でも、以下の要件を満たすことで今期に計上できます。

 

1.事業年度終了の日までに支給額を、同じ時期に支給する全従業員に対して各々通知していること

2.通知した金額を、事業年度終了の日の翌日から1カ月以内に全額支払うこと。

3.通知した金額について今期中に損金として経理上の処理をしていること

 

 

 決算期に利益が出る見込みが立ち、税金に持って行かれるぐらいなら従業員に還元しよう、と出すボーナスが決算賞与。

 今は「法人税法施行令第72条の3」等で要件が明確に定められているが、1990年前後は判例等を根拠に、未払い期間については2か月程度以内、というような今よりは緩い運用だったようだ。

 UWFの特別報酬の場合、上記要件のうち「2」はだからいいとして、「1」は怪しい。決算期末の1988年11月末までに、6選手全員に確定した支給額を通知したのか。支給額が本当に確定したのは、決算作業中に資金の見通しをつけてから、具体的には1989年1月中ではないか。

 UWFが選手へ支払う報酬は、雇用労働者への賃金ではなく、個人事業主への報酬の扱いだったかもしれない。しかしその場合でも、利益還元的な一時金は労働者への決算賞与と同じように考えられるのではないか。団体専属のプロスポーツ選手は個人事業主でも労働者としての側面も持つことは、プロ野球選手会の労働組合化にも見られよう。

 決算賞与のメリットが「節税できる」ことであるのに対して、デメリットは「手元に残るお金は減る」こと、とある。UWFの特別報酬は、選手に報いることではなく、あくまでも金策が目的なので、単なる決算賞与なら逆効果しかない。デメリットを回避してメリットを享受するためには、特別報酬の金を選手に渡さず会社が押さえていることが不可欠だったのである。

 

 

「税務」1989年8月号(ぎょうせい)

会社の税務 こんな「決算賞与」の支給法は否認される

 税理士 田部志郎

 

2 従業員未払賞与の損金算入時期

<事例>

 決算賞与を会社の運転資金として運用するため、従業員団体と協議の上、各人別に所得税の源泉徴収を行い、各従業員には源泉徴収後の残額に相当する金額を記載した預り証を交付することとした。なお、預り金とする賞与は3年間払出しができないことになっており、その間利息も付かないことになっている。この決算賞与を当期の損金の額に算入した場合どうなるか。

■是否判定■

 使用人に対する賞与は、たとえ給与規程などにより支給されることが定められていても、賞与を支給するか否か、また、支給額をいくらにするかなど具体的なことは、法人がその都度決定しているのが実状である。

 したがって、現実に使用人賞与を支給するかあるいは各受給者別にその賞与にかかる債務が確定しない限り、損金の額に算入することはできない。

 (中略)

 この例の場合、各受給者別に金額を決定し源泉徴収後の残額に相当する金額を記載した預り証を交付するとのことであるが、この預り金は無利息で3年間は払出しを受けることができないこととなっており、従業員は払出期日までは現金化することができず、それまではなんらの経済的利益も享受しえないわけで、単に未払賞与を計上するために払出期日を3年後とする預り証を交付したにすぎないものと考えられる。

 したがって、当該決算賞与については、預り金の払出期日が到来しない限り債務としての具体性、現実性を欠き、期末においてはその金額、支払時期等が実質的に確定しているとは認められないので、当期の損金の額に算入することはできないと考えられる。

 

 

UWFの場合、特別報酬は形式上、支払済みということになっていたので、預り証の類もなかったろう。公には選手に支払ったと言いつつ、実際には選手に(ごく一部を除いて)金を渡そうとしなかった経理担当役員が、事を明るみにされて騒がれた後、仕方なく選手に金を渡すまで、結果的に約2年かかっている。当然この間、選手は「なんらの経済的利益も享受しえない」状況で、しかもそれはいつまで続いたかわからなかったのである。

 

 

「税務」1992年4月号(ぎょうせい)

法人税実務 決算賞与の未払計上とその留意点

 税理士・公認会計士 神山貞雄

 

U 賞与債務の確定

(前略)

 賞与の算定基準が雇傭契約で明示されていない場合や査定等による不確定要素がある場合は、支給対象期間を経過しても賞与債務は確定しない。不確定要素がある場合は、支給対象期間を経過しても従業員は賞与をもらえるかどうかわからないので、賞与債務は確定しないことになる。この場合は、会社が何らかの方法で各従業員に各自の支給額を明らかにした時点で賞与債務が確定する。支給額を明らかにする方法は、全従業員に個別に通知する方法や算定基準の具体的方法を掲示する方法などが考えられる。

 

 

 例えば契約書に出来高払いのインセンティブが明記されている場合は、その条件の実績を挙げた時点で選手の債権、会社の債務は確定しよう。契約書にない利益還元的な一時金の支給ならば、会社が金額を決めて選手に通知した時点で債権債務が確定する、ということではないか。UWFの特別報酬なら、決算期末の1988年11月末までに、人別の支給額ないし月額報酬の5・5か月分という算定基準を、6選手全員に伝えていたかどうか。

なお、今の決算賞与なら、算定基準の掲示だけでは許されないようだ(支給額の個別通知が必要)。

 

 

言い足し。税務調査を通ったから国も認めた正しい経理だ、とは言ってもいいとは思うが、実際の所はそれがオールマイティではなかろう。以前の税務調査の対象期間中の取引でも、今回の税務調査で不正が見つかれば遡及して追徴されることはあり得る(時効はあるが)。

初めてで2日だけの税務調査なら、取引の概要を聞いた後、売上げの計上漏れ等、一部だけを見て終わっても不思議はない。実際取られたのが交際費だけ、というのはありがちな所。してみると、独自調査で特別報酬のからくりに気付いた選手側の代理人は偉いのではないか。

 なお鈴木氏の言う、選手が「連れてきた訳の分からないお二人」(P392)のうち、一人は士業ではない経営コンサルタントだが、もう一名は弁護士である。やたらと「無資格」を強調しているのもミスリードのように思える。

 

 

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税務調査と時効は何年?

 

 

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西日本の書店では当店独占販売中の「ありがとうU.W.F.」ですが、なんと「1984年のUWF」の著者、柳澤健さんよりコメントをいただきました! 果たして嘘つきは誰なのでしょうか? 読みたくなったでしょう? ご来店お待ちしております!!

19:37 - 2018年7月15日

 

 

 画像の中のポップには次のような文面が読める。

 

 

1984年のUWF 柳澤健さん、断言!

「誰が嘘つきで、誰が本当のことを言っているのかが明らかになってうれしい。」

 

 

 この本の内容を信じれば、1984年のUWF」の嘘が確定してしまうのだが。渾身の自虐ギャグなのであろうか。

 

 

柳澤健「1984年のUWF」(文藝春秋、2017)

10章 分裂

P333)

 最初のきっかけは、1989年8月13日の横浜アリーナ大会だった。

 メインイベントとして行われた前田日明対藤原喜明の勝者には、カーセンサージャパンから日産シーマが贈られることになっていた。メーカー希望小売価格約500万円という高級車である。勝利者賞の目録をリング上で受け取ったのは藤原喜明を破った前田日明だったが、実際には社用車として主に鈴木専務が送迎用に使った。

 当然だろう。プロレスの勝利はあらかじめ決められているのだし、しかも前田自身はポルシェに乗っていたのだから。しかし、前田は「選手がもらったクルマに、どうして鈴木が乗っとるんや?」とイチャモンをつけた。

 

P339〜340)

 1989年11月29日、UWFはついに東京ドームに進出した。大会名は「U-COSMOS」である。

 (中略)

 U-COSMOSは巨額の赤字を出したのである。

 

 

勝利者賞の車は、実はスポンサーからの寄贈ではなくUWFの買い取りで、このため鈴木氏と前田選手が協議して、前田選手が受け取った後に事務所に寄贈することにする(そうマスコミに言う)と決めた、と鈴木氏は書いている(P337〜338)。

 

 U-COSMOSについては、売り上げではなく原価を引いた利益の金額が1億円を超えた(P346〜347)、東京ドーム大会があった年度の決算では、法人税等の支払いが数千万単位になった(P350)、と鈴木氏は書いている。

 

 

 

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