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鈴木浩充「ありがとうU.W.F.」について(2) |
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鈴木浩充「ありがとうU.W.F.」(MIKHOTO出版、2018) (以下、黒字はこの本よりの引用。) わたしとしては、この本は興味を持てない所だけが無駄に詳しく、重要な所があいまいにされている印象を受ける。それも周到に意図されたものと感じる。 第2次UWF末期のフロントと選手の対立時、前田日明に反感を持っていた若手も含めて、どうして選手が一丸となって松本大会の万歳に至ったのか。この本には何も書かれていない。 「証言UWF 最後の真実」(宝島社、2017) 第6章 「新生」を生き抜いた男たち 証言
船木誠勝 (P262) 成功していたかに見えた新生UWFではフロントと選手間に不協和音が流れ始める。そんななかで行われた90年12月1日の松本大会終了後、メインを務めた船木の呼びかけにより全選手がリングに上がった。 「前田さんは道場に来なくなって、弁護士と一緒にいろいろ調べたり、フロントにお金のことを問いただしていました。自分らは試合や興行のことを考えてほしいと思ってたけど、ある日、長野の後援者から自分と鈴木と宮戸さんが呼ばれたんです。第三者的に見た弁護士の話を聞いて、前田さんとフロントのどっちが正しいのか判断してもらいたいと。自分は前田さんのほうが正しいと思いました。それで出場停止中だった前田さんを、極秘に松本のリングに呼ぶことにしたんです。 (後略)」 「長野の後援者」は、UWF取締役でUWF長野後援会の会長だった高橋蔦衛氏。 「週刊ファイト」1991年1月3・10日合併号 孤独な“戦い”を終えた前田 緊急インタビュー (P5) ――次に前田選手抜きの12・1松本のカードが発表されました。かえって前田選手が孤立していくような印象もありましたが……。 前田 カード発表した時点では他の選手は正確な状況がわからなかった。どっちの話を聞いても「あー、なるほどな」って思う。彼らは上の人間の派閥争いみたいに感じてたんじゃないかな。 ――それが、12・1松本の1週間ほど前に変わったんですね。 前田 1週間ぐらい前、高橋さん(蔦衛氏=当時UWF取締役)が「取締会の決定(出場停止)を自分がうかつに事後承諾したまま黙っていたから、こんなことになった。その責任がある」と言って、高橋さんの知っている弁護士と会計士を連れて来たんです。そして「相羽さんの言うことに間違いない」と。 「相羽さん」は、前田等の依頼でUWFの会計を調べた経営コンサルタントの相羽芳樹氏。 船木 鈴木 新春対談 (P14) 船木 まとまりだしたら早いっていう感じもあったし……、要するに正しい方につけばいいんだから。内容がわかってなけりゃ、どっちにもつけない。高橋さんに法律事務所へ連れてもらって、見る人見る人が「こりゃーおかしい」ってなれば、やっぱり。 鈴木 おかしいっていうと高橋さんに連れられた時の宮戸さん。ハハハ。 船木 宮戸さんはノドが悪いから、高橋さんの弁護士さんの話が3時間ぐらいあったんだけど、あの間中、「ウーウー」「アン、アン」「アーッ」ってやってたんだよな。 鈴木 ずーっとやってんですよ。 船木 たまに静かになって宮戸さんがやると、向こうの弁護士さんが反応するの。シーンとした時に、宮戸さんが「ウー」とやると「えっ?」って。でも宮戸さんも、今回、一生懸命動いたね、ホント。 |
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「ありがとうU.W.F.」は大体時間の流れに沿って書いてあるが、「第十一章 様々な憶測について」はテーマごとの記述で、時系列があいまいにされている。 (P386) 選手が突然連れてきた方が帳簿を見せろと迫ってきましたが、先ずこれも一般常識では考えられないことなのです。株式会社には帳簿の閲覧権というものがありますが、これは株主が行使出来る権利なのです。この時点での株主はジンとスズキなので誰にも見せる必要は無いのです。(後略) 本当にそうなら拒否すればよかっただけであろう。30年近く後に文句を言っても仕方あるまい。 しかし前田は、「株主としての前田日明高田延彦、山崎一夫の名で依頼しました」と語っている(「週刊ゴング」1990年11月15日号)。 UWFの顧問弁護士も、インタビューで次のように言っているのである。 「週刊プロレス」1990年12月11号 ――神社長と鈴木専務で独占していた株が、前高山を加えた5人で、今年の6月に5等分されたわけではないんですか。 大谷 3人は10%ずつは買ってる。でも、あとの10%は贈与ということになった。でも、贈与税は払えない…となって、もともと10%しか渡っていなかったんです。すでに渡った10%を返せとは、言っていないんですよ。 ――口頭で贈与する…と約束を交わした場合、それをとりやめても法的には問題ないと。 大谷 ないですね。渡してしまうまでは、取り消せます。贈与税の額は、会社の資産をどれだけ評価するかということで決まってきますが、支払えないということで、この話は持ち越しになっていたようです。 10%でも選手が株を持っていたのなら、代理人を以って帳簿を閲覧することは正当な権利であろう。その時期については、相羽氏は「むこうの専務と最初に会ったのが、8月23日」(「週刊プロレス」1990年11月20号)、大谷顧問弁護士も「今年の夏ぐらいになってから」(同12月4号)と語っており、6月よりは後ではないか。 10%が買い取り、10%が贈与により選手に株が渡る、という話は「前田日明が語るUWF全史」(茉莉花社、2017)にも前田の発言として出ている(下巻P205〜)。 □前田の発言 春先に神たちの背信行為がはっきりわかった時点でオレが怒って、やれと言ったこととぜんぜん違うことをやっているじゃないか。(会社の権利を)五人で二十パーセントずつ分けるっていう話だったじゃないかと言ったんですよ。そしたら、神はたぶん、渋々だろうけど、自分たち名義になっていた株券を前田、高田、山崎の三人が買う形でそれぞれ十パーセントずつ書き換え、残る十パーセントは贈与するという妥協案をもってきたんです。おれはお前たち、勝手なことをやっておいて、オレたちにまた、金を払わせるつもりなのか、って言って怒ったんですよ。それで贈与税を誰が払うかでまたもめた。神たちはそこからぜんぜん、オレの言うことを聞かなくなっちゃったんですよ。要するに、あれこれいいながら、自分たちが株の過半数をもっている状態をぜったいに変えようとしなかった。(後略) しかし「ありがとうU.W.F.」には、選手が買う話しか出ていない。 (P409〜411) 選手の方からのクレームは段々エスカレートしていきました。帳簿を見せても納得せず、無いこと無いことを言う毎日です。そんな中、事務所と選手の当事者間では埒が明かなくなり、寺島社長や大谷先生を交えての話し合いの場を設けることになったのです。(中略)たしかこの時の話し合いは、寺島氏、大谷氏の労もあり、一つの仲裁事項が決まり、揉め事に終止符を打つ予定でした。 その内容は、今までのことは一旦水に流して、もう一度5人でやるために、前田、高田、山崎3選手に株式を、会社設立時の20%ずつ渡して、5人がそれぞれ会社の株主となって協力していくというものでした。設立時は1株5万円の額面でしたが、この時は1株5万円以上です。しかし一人が1株5万円で40株を200万円支払って買い求める、としたのです。 (中略) 3選手にとっては、5・5ヵ月分の特別報酬を手にしているので、自腹を切る必要もないことを考えてのことでした。 「寺島社長」は道場の大家であった運送会社社長、「大谷先生」は顧問弁護士である。 選手代理人による帳簿閲覧の後に、仲裁により株の分配が決まった(つまりそれまで選手は株を持っていない)、と読める書きぶりだが、前述のようにそれは疑わしい。 1989年11月、前田、高田、山崎3選手に、税理士同席で会計について説明した、と大谷弁護士が語っており(「週刊プロレス」1990年12月4号)、ここで言う「帳簿を見せても」は、その時のことを言っているのではないか。 「週刊ゴング」1990年11月15日号にも、次のような記述がある。 ――昨年、同じようなケースで選手側がフロント側に帳簿の提出を迫ったというような噂も聞いていますが…。 前田 ありました。ただ、あの時は、こっちに専門家がいなかったから…。(後略) フロント・選手5人で20%ずつ、株式を持つことになった。この本のここにはそう書いてある、とわたしは初め思ったのだが、それでは誤読のようだ。あくまでも、選手に渡す株式は「会社設立時の20%ずつ」なのである。 何が違うのか。各選手が金を出して買う40株200万円は確かに、設立時の資本金1000万円の20%に当たるが、同時にプラス1000万円の増資をしたため、実は10%(3人で30%)でしかなかったようなのだ(「週刊プロレス」1990年11月20日号には、株式の合計が400株2000万円となっている株主名簿が出ている。「デイリースポーツ」1990年10月31日号の記事中には「増資」の文言がある)。 この本には、このような落とし穴があちこちにあって全く油断ならない。 3選手で過半数を握れる20%ずつの株を持てるつもりで金を支払ったが、贈与が行われず、社長と専務で70%の株を持ち、依然として支配権を握っている。 こういうことなら、金を出した意味がないと選手が思うのも無理はなかろう。 「3選手にとっては、5・5ヵ月分の特別報酬を手にしているので、自腹を切る必要もない」も怪しい。 顧問弁護士によれば、特別報酬が実際に選手に渡されたのは1990年11月初旬(「週刊プロレス」1990年12月4号)で、問題が公になってからである。選手が株の代金を支払ったのはもっと前であろう。 「週刊プロレス」1990年12月11日号のインタビューで、高田延彦は「あえて借金しながらも、株を買った」と発言している。 鈴木氏は特別報酬について「個人に渡す予定のものでは無かった」(P398)と書いており、結果的には特別報酬が渡ったのでそれで補填できたとしても、株式購入時には予見さえできなかったはずだ。 (P411) (前略)それから暫くして入金があり、5人が株主となり一件落着かと思ったら、初めて見る弁護士さんの発言で、業務上横領の見出しがマスコミに出たのでした。 (P413) 業務上横領の発言を受けて事務所では前田選手の出場停止を決めました。もうこうなったら修復はとても難しい状態でした。 これも時系列が嘘。出場停止処分(1990年10月27日決定、10月28日発表)が先で、それに対抗する形で選手側の弁護士の発言が報じられたのが後(最初は同10月31日)である。 「週刊ファイト」は「ここまでUWF内紛劇が表面化した事の発端は、やっぱり前田の処分発表じゃないか。」と書いている(1990年11月22日号)。 処分は郵送で通知され、記者会見で発表された時点で前田本人に伝わっていなかった。処分の理由は、同10月25日大阪大会で前田日明が「フロントの業務遂行が不適切であるかのように公の場で発言した」(「デイリースポーツ」1990年10月29日号)というもの。 しかしその発言は、「金銭面の専門家に調査させて、意見を聞いてみる」(同10月26日号)という程度のもの。つまり横領とは言っていない。 しかも処分は前田本人に発言の確認もせず、10月26日の新聞報道を根拠に性急に行われた上、処分を決めた取締役会に出席したとされた高橋取締役には事後承諾だったという。このことは、著者が都合の悪いことは書く気がなかったのか、「ありがとうU.W.F.」には全く書かれていない。 繰り返すが、前田に反発していた若手も含めて、選手が誰一人フロント側に付かなかったのはなぜなのか、この本には何も書かれていない。 高橋取締役の連れて来た弁護士、会計士の、経理面の問題に関する意見が大きかったのだろうが、前田の処分に問題があったことも、その一因だったのではなかろうか。 |
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※資料 「デイリースポーツ」1990年10月26日号(No.15050) 前田激高 分裂危機「妨害はたたきつぶす」UWF (前略) 揺らぐUWFにエース前田は語気を荒らげ、珍しく激高した。「試合に専念できる環境を作り、若い人を守ってやりたい。妨害は内部でも外部でも容赦なくたたきつぶす。最後の責任だ」と宣言したのだ。分裂報道が先行するなか、一枚岩を誇ってきたUWFに亀裂が生じたことを物語るシーンだった。 (中略) SWSの田中社長の一連の発言から一気に噴き出したUWF危機。選手の貸し出し問題の次元から、UWF神社長の“経営者失格”まで発展していっただけに、前田も「個人的に会いに行くのはいいが代表取締役の立場を忘れている。うかつすぎた」と批判の言葉もぶちまける。 それだけではない。前田は危機回避と内部改革に着手するのだ。「すべて見直しをする。現場、事務所の在り方を含めて、スキのない体制を作る。問題が出てきたら対処するだけ。まずは金銭面のチェックだ」という。 プロレス界の“通説”として、もうかる団体ほど亀裂が入りやすいと言われる。「金銭面の専門家に調査させて、意見を聞いてみる」と断言し、すでに着手したようだ。あくまで現場を任されてきた前田が内部改革に乗り出すのはフロント陣らへの不信感に端を発したものと考えられる。 (後略) 「東京スポーツ」1990年10月27日号(26日発行、No.10236) 前田 SWS派追放へ動く (前略) だが、前田の主張は具体的で鮮明だった。試合終了後の控室で一気に言葉をほとばしらせる。 「UWFを妨害しようとする勢力は、たとえ外のものであろうと内のものであろうと容赦はしない。叩き潰すことをここに宣言する」と前置きしたうえで、こう続けた。 「今後は現場のあり方、事務所のあり方、いろいろな部分を全部見直す。寸分の狂いもないように全部チェックする。株式会社としてのあり方を全部見直すということだ」 (中略) 「金の面とかは素人だとわからない。専門家に頼んでいろいろやってみる」と前田は強調。これまで神社長がサイ配を振るっていたフロントに対して、法律、会計など各専門分野の人間を外部から招へいし、チェックしようとしていると考えられる。 (後略) これ等の新聞報道を根拠に、神社長、鈴木専務は前田の処分を決定した。 「デイリースポーツ」1990年10月29日号(No.15053) 10・25発言受けて神社長が電撃会見 UWFが空中分解の危機に陥った。若者に人気のプロレス団体UWFの神新二社長は二十八日、東京・世田谷の事務所で緊急記者会見を開き、10・25大阪大会でUWFフロントに対する不信から“爆弾発言”をぶち上げた前田日明を五ヵ月間の出場停止処分にすることを発表した。(中略) (中略)異例ともいえる日曜正午からの電撃会見で、神社長は淡々とした口調で前田の処分を発表していく。「フロントの業務遂行が不適切であるかのように公の場で発言した。会社に対する背任行為的発言で大きなマイナスイメージを受けた」 (中略)二十六日の紙上に躍った前田発言を受け、神社長、鈴木専務、高橋取締役の三人は二十七日に臨時取締役会を開き、来年三月二十六日まで五ヵ月間の出場停止処分を前田に科したのだ。 (中略) 処分の内容はすでに郵送されているが「まだ届いてない。報道陣から電話で知らされた」という前田。(後略) 「デイリースポーツ」1990年10月31日号(No.15055) UWF 横領罪だ 前田反撃 法廷闘争必至 (前略) 前田の不信感を増幅させたのは昨年一月三十一日の出来事までさかのぼる。会社は当時、前田ら六選手に特別報酬として一千六百九十四万円を払ったことが帳簿に残されている。ところが会社側は独自に六選手の口座を設けて、源泉徴収を引いた一千四百十五万二千円を振り込んだ。 会社側はいったん、その口座から何度かに分けて全額を借り出し、現在は貸し金庫に全額保管されている。村上弁護士によれば「昨年十一月に会計上は返却したことになっているが、一年以上たっても選手に金が渡っていない。貸し金庫の保管は巧妙な言い訳になる」と“不正”をとなえる。 (中略) 不透明な金銭の流れは裏金操作(脱税)という疑いがもたれ、個人的に流用すれば業務上横領特別背任にまで発展しかねない。だが、神社長は「会社が(約一千四百万円を)管理している。会社がどんな形で選手に支払うか協議している。選手も了承しているはず」と真っ向から反発する。 (後略) 「東京スポーツ」1990年11月1日号(10月31日発行、No.10240) 前田衝撃切り札「神社長に脱税の疑い」 UWF分裂騒動ドロ沼法廷闘争へ 前田側弁護士が明かす「不透明な金の動き」 見出しはデイリーが「横領」、東スポが「脱税」(の疑い)である。鈴木氏は「横領」を強く否定するが、「脱税」という言葉には触れない。 もちろん、脱税か節税かを決めるのは行政ないし司法機関である。が、スポーツ紙も報道機関であるから、疑惑の段階では報じるな、とは言えまい。 「週刊ファイト」1990年11月8日号 緊急情報 前田と神社長が完全決裂! UWFからマスコミ各社に記者会見を行う旨通知されたのは、27日午後8時30分。日曜日、しかも前夜に通知という異例の記者会見だった。 席上、発表された内容も異例中の異例。神社長は「フロント業務の遂行が不適切であるという公の場での前田選手の発言に対して、27日の緊急役員会(神社長、鈴木専務、高橋氏の3人)を開きましたところ、UWFに大きなマイナスイメージを与えた背任行為的発言であるとして、前田選手にペナルティーを与える決定をしました。平成2年10月27日より平成3年3月26日まで5ヵ月間の出場停止処分とします」と発表した。 思わず耳を疑った。前田は「若い選手がリングに集中できるように、ウチに妨害やちょっかいを出す人間は叩きつぶす」と宣言した。団体のトップとして当然の言葉である。 この発言に対して、5ヵ月間の出場停止処分はあまりに重い処分。トップレスラーを5ヵ月もの間、出場停止にするのは自殺行為に等しい。 しかも、前田発言がUWFにマイナスイメージを与えたということだが、神社長のSWSへの藤原貸し出し了承の方がUWFにとってはるかにイメージダウンだ。神社長は田中社長の「神社長は経営者失格」なる侮辱的発言にも、リアクションを起こしていない。 (中略)しかも、前田の出場停止処分は前田に発言の確認さえ取らずに決定された。本人への通知も口頭ではなく、郵送。全くフに落ちない内容の記者会見である。 (後略) 「週刊プロレス」1990年11月13日号 UWF、前田を5ヵ月間の出場停止処分に! (前略) 今日、記者会見となりましたのは、(10月)26日の新聞紙上に報道された、大阪城ホールでの前田選手の発言への、会社側としての裁定が決定されましたので、大変遺憾ですごく残念なことなんですが、お伝えするために集まっていただきました。 (中略) ――臨時取締役会に出られたのは。 神社長 (以下、神)私と鈴木専務取締役、そして高橋(蔦衛氏=UWF長野後援会会長)取締役の3人です。 ――26日に新聞に出たのを見て、27日に急きょ開いたと。 神 そうです。(中略) ――今回の決定は郵送で伝えたということですけども、直接話し合いの場を持つ予定はありますか。 神 近々持ちたいと思っています。いろいろな誤解があってはいけないですからね。さっきも言いましたが、あくまでもUWFを良くしようと思ってのことだと思いますので、全員集まって話をしたいと思っています。 ――そういう決定を出す前に、前田選手に発言の真意を聞くということは考えなかったのですか。 神 噂で聞くとか、例えば飲み屋でグチを言うとなればどこの会社にもあることだと思うんですが、活字になってしまうと…。活字になってしまった以上は致し方なかったんです。 (中略) ――鈴木専務の考えをお聞きしたいのですが…。 鈴木 私の方は社長と同じ意見です。 (後略) これだけ重大な決定を、新聞報道だけを根拠に行ったという。 鈴木氏は今でこそ「話の裏取りもせずにそのまま載せるプロレスマスコミさんにはびっくりしました」(P392)等と書いているが、当時はプロレスマスコミに絶大な信頼を寄せていたと見える。自分達もその新聞報道の裏を取ろうとは思いもしなかったようだ。 更に、処分を決めた取締役会の正当性にも疑義が生じていた。 「週刊プロレス」1990年12月11日号 編集部発25時 UWFの高橋蔦衛取締役が体験した、臨時取締役会とは…… (※書き手は安西伸一記者) (前略) その日の朝も、いつもと何ら変わらぬ気持ちで、長野からUWFオフィスに電話をかけた。 「今日、自分の会社の用事で東京に行きます。12・1松本大会も近いので、長野後援会の名簿がほしいんですよ。夕方伺います」 それが臨時取締役会が行われたとされる、27日(土)の事だった。 高橋氏は夕方6時頃、オフィスにつくと、社長室の中にあるソファーに、神社長、鈴木専務と共に座った。 一杯のコーヒーが出される。 「そしたら神さんが、事情説明をされ始めたんです。『前田選手に5ヵ月間の出場停止処分を伝える文書を、今日郵送しました…』。 つまり私がオフィスに行った時には、結論が出ていたんですよ」 事後承諾だったというわけである。だがその時、処分の理由等を、“これは永久追放という意味ではなく、よりを戻していくための方便なんです”と説明され…、“それなら早く解決してほしい”と心配しながらも、高橋氏はオフィスをあとにしたそうだ。 その間約10〜15分。(中略) 翌日(29日〈月〉)、高橋氏は朝早く長野に帰る。そして、夜帰って来た自社の社員の言葉を聞いて、愕然とする。「(高橋)社長の名前が、東スポに出ていますよ。おととい、臨時取締役会があったそうですね」「えっ!!」 その時初めて高橋氏は、あの一杯のコーヒーを飲みながら話した10数分間が、臨時取締役会だったことに気がついた――。 (中略) なお神社長によると、速達は高橋氏が帰ったあと、急いで出すため、文書も手書きにして出したとのこと。速達を高橋氏が来る前に出したのか、後に出したのか、小さな食い違いがここでも出ている。 (後略) 実際に郵便を先に出したか後に出したかは、確かに高橋氏には断言できないかもしれない。しかし、「もう出した」か「これから出す」か、どちらを自分が言われたかは、高橋氏が明言できることだ。そして、そちらの方がより重要であるのは、「もう出した」と言われれば、もう「出すな」とは言えないからである。その場合、実は後から出したんです、ということに何の意味があろう。 取締役に取締役会と思わせないで出席したことにしたのなら、まともな会社のやることではない。その仕打ちが、冒頭に示した高橋氏の行動につながる。すなわち、第三者の弁護士、会計士による判断を選手に示したことで、選手がフロントに与せず一致結束するに至ったのである。 追記2018.8.23 選手の持っていたUWFの株はどうなったのか。次のような報道がある。 「週刊ファイト」1991年2月28日号 マット界舞台裏 ★編集部談話室★ C 高田や山崎が20%保有を主張していた株は昨年11月にフロントから「10%しか保有していません」と通告してきただろ。これが一つの争点になっていたけど、1月に入ると今度は現金を送ってきて「株を返却して下さい」だって。 メニューページ「鈴木浩充「ありがとうU.W.F.」について」へ戻る |