|
|
「真説・佐山サトル」(1)タイガーマスク誕生 |
|
黒字が田崎健太「真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男」(集英社インターナショナル、2018)からの引用。文章中、敬称は略します。 田崎健太のプロレスもの「真説」シリーズ。これは、かつて「ゴング」(日本スポーツ出版社)に連載された御門茂(門茂男)「真説 力道山光浩」へのオマージュなのであろうか? 「真説・佐山サトル」について、感想等を書いて行く。まず総論。 こと佐山聡に関しては、「理解できない」が正しい理解、という印象があった。だから、大衆に理解され得る形で示される佐山聡像は、むしろ虚像ではなかろうか、とさえ思う。少なくとも、その天才ならではの特異性を、小さく見せてしまっているのではないか。話の辻褄を合わせようとする程、佐山の真実から遠ざかる気がする。 何年か後に、「この本であなたはこうおっしゃっていましたが」と聞かれた佐山が、「本当ですかぁ? ボクがそんなこと、本気で言う訳ないじゃないですかぁ、アハハハハハ」と、あっけらかんと笑って言った時に、この本は初めて本当に完結する…あるいは、振り出しに戻る…のかもしれない。 |
|
次に、各論(テーマ毎に1ページずつ、書いて行きます)。 「週刊宝石」2000年5月25日号 ノー・ルール格闘技コラム 場外乱闘一本勝負 連載D (※佐山サトルと小林邦昭の対談、同年4月22日) 小林 佐山はなんでもできたでしょ、入門当初から。山本(小鉄)さんに言われると、普通の人なら2年も3年もかかるところをすぐできる。だから、ジェラシーがすごくあったよね。 (中略) 小林 いまみたいに見た目に派手な技を出すわけじゃないけど、グラウンドでパッパッパッと逃げたりずっと動きっぱなしの元気のいい試合だよね。ああいうのが、タイガーマスクになっても続いたんじゃないかね。 佐山 僕らをあの時代が作ってくれた。メキシコでもイギリスでも通用したのは、あの前座時代があったからこそですよ。(後略) 佐山が前座時代にどういう試合をしていたのか、メキシコではどうだったのか。田崎はほとんど書いていない。そういうことについては、佐山は語ってくれないからか。 メキシコ時代のことは、共に闘っていた木村健吾に聞こうとしたのかもしれないが、木村は自分が成功した自慢話しかしなかったのかもしれない。後の方で、取材相手が木村に対して悪口めいたことを言っているのをそのまま載せているのは、その意趣返しであろうか(P220)。 「格闘技通信」1996年4月8日号(No.41)で、佐山はこう語っている。 タイガーマスクの売り物である空中殺法は、どのような特訓を積んで出来上がったのか――。 「メキシコではまだ、あのような(派手な)技は完成されていませんでした。メキシコの選手がやっているのを学んだり、自分で開発したりと、いろいろあるんですけど……。メキシコでも一応、チャンピオンにはなったんですよ。メキシコで苦しんだ分、イギリスへ行って開花したかな、と……」 リアルライブ https://npn.co.jp/article/detail/66045528/ ガチ対決直前! 特別インタビュー初代タイガー&小林邦昭!! スポーツ 2011年09月19日
17時59分 小林「(前略)そこでゴッチの特訓を受けてからイギリスに渡った。そこで伝説のサミー・リーとなった。いままで落ち込んでいたイギリスのマットを超満員にしたんだからね。本人も言ってましたよ。『日本ではタイガーマスク、タイガーマスクともてはやされていたけど、僕としてはサミー・リーにタイガーのマスクをかぶせただけだ』って。(後略)」 イギリス時代について比較的詳しく書かれているのは、ウェイン・ブリッジが話してくれたからであろう。それでも、その試合振りについては「シュートレスリング、プロレス、メキシコのルチャ・リブレを一つのカップに入れてシェイクした」(P131)というぐらいである。 イギリスから帰国後は、もうタイガーマスクである。結局、そのファイト・スタイルがどのようにして完成したのか、佐山の自己分析が簡単に書かれてはいるが、そもそも観客を驚かせ魅了したタイガーマスクの動き、技、試合振り自体が、この本ではあまり描かれていない。自分で見ていなくても、参考にすべき試合の記事は幾らでもあるはずだから、これは田崎自身に書く気がなかったからであろう。プロレス・ファンとしてはやや残念である。 |
|
メキシコ時代について、元「週刊ゴング」編集長、清水勉が次のページに書いている。 [水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅 http://bemss.jp/g-spirits/cont106 [4.11]サトル・サヤマの驚きカード! http://bemss.jp/g-spirits/cont106_025_001.php 浜田がメインなど別の試合をする時に佐山は邦昭が組むケースが多かった。タイガーマスクと虎ハンターの阿吽の呼吸は、若手時代よりも、この期間に養われたのではないかと思われる。(後略) メニューページ「田崎健太「真説・佐山サトル」について」へ戻る |