「真説・佐山サトル」(2)真説・柳澤健 対 田崎健太

 

 

 

黒字田崎健太「真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男」(集英社インターナショナル、2018)からの引用。文章中、敬称は略します。

 

P101)

 ノンフィクション作家、柳澤健の『1984年のUWF』によるとマーク・コステロはこの時点では<フルコンタクト空手の世界ミドル級及びスーパーウェルター級の三位>で、後にタイトルを獲得した選手だという。(後略)

 

 

 この記述は残念。専門外のライターとして同じ立場にある柳澤に調べられたことが、自分には調べられなかった、と言っているのと同じであるから。自分で裏を取れれば、柳澤の記述を引用する必要はない。

 柳澤をソースとして書くということは、信用できるという判断なのであろう。わたしには到底、賛成しかねるが。

 

 明記されていないものの、柳澤の書いたものを参考にしたと思われる文章が他にもある。

 

P368)

 ただし、リングの中を注意深く見れば、第二次UWFには先進性はなかった。

<ノックアウト、ギブアップのみでピンフォールなし><五度のダウンでテクニカルノックアウト><三度のロープエスケープで一度のダウンとカウント>といったルールは第一次UWFで佐山が提案したものの焼き直しである。(後略)

 

 

 この文章は一次資料を自分で調べず、他人の書いたものを安直に参照して書いたのではないか。

 

 

柳澤健「1976年のアントニオ猪木」(文藝春秋、2007)

P376)

いわゆる第2次UWFのルールは場外乱闘やロープワークを排除し、フォールによる3カウントは廃止し、ギブアップもしくはKO、5度のダウン、3度のロープエスケイプは1回のダウンに算定されるというものであり、佐山が作ったものとほとんど変わりはなかった。

 

 

 これは、たまたま文章が似てしまっただけ、ではなかろう。

自分で調べていれば、簡単にこれが嘘だとわかるはずだから。

1次、第2次とも、ルールに3秒間のピンフォール決着はあったし、5ノックダウン制は第1次UWFにはなかった。3度のロープ・エスケープが1度のダウンに等しい、ということも第1次UWFにはない。

これでは「リングの中を注意深く見れば」などとは言えまい。「注意深く」かどうか以前に、「リングの中」(試合)をそもそも見ているのだろうか。

知ってか知らずにか何れにせよ、他人の嘘を再生産するのはやめてほしい。自分が恥ずかしいだけでなく、世の迷惑となる。嘘を根拠にした意見は無益以上に有害であろう。

 

2次UWFのルールと、佐山が作った(厳密に1人だけで、ではないが)第1次UWFルールとの違いは、「前田日明が語るUWF全史 下」(第六章)に書いてあるので読んでみてほしい。

 

追記2021.2.7

 

2019年11月23日の下記Tweetより。

https://twitter.com/tentaQ4/status/1198057246938157057

 

田崎が一次資料を自分で調べず柳澤の文章を安直に参照して書いているのではないか、という疑いを述べたが、間違っていたかもしれない。

その場合は訂正してお詫びしたい。

 

参照元はこちら?(文章はこちらの方が似ているかも)

 

 

UWF  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

https://ja.wikipedia.org/wiki/UWF

 

2次UWF

(中略)

また、ルールでの整備にも着手し、かつて佐山が試みたような

・試合は全てシングルマッチ1本勝負。

・勝敗はKOもしくはギブアップのみでピンフォールなし。

5度のダウン(3度のロープエスケープで1度のダウンと算定)でTKO負け。

上記の基本的な枠組みを決定した。

 

 

ウィキペディアを見てノンフィクションを書く人はいよう。しかし、間違いまで踏襲してはいけない。

たとえ参照していないとしても、同じ間違いをしていたら、駄目なことに変わりはない。

 

 

※ウィキペディアの当該記述は2010年にはほぼ完成している。

 

 

UWF」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=UWF&diff=30822001&oldid=28866653

2010年3月4日 (木) 01:56時点における版

 

(前略)またこの後からルール面での整備にも着手し、第1次UWFでも試された、

・試合は全てシングルマッチ一本勝負。

・勝敗はKOもしくはギブアップのみでピンフォールなし。

5度のダウン(3度のロープ・エスケープで1度のダウンと算定)でTKO負け。

の基本的な枠組みを決定。

 

 

 

次いで、2019年9月29日の下記Tweetより。

https://twitter.com/tentaQ4/status/1178003330120876034

 

 

本がすき。

https://honsuki.jp/review/22558.html

「取材」とは相手の声をひたすら拝聴することなのか?『最強レスラー数珠つなぎ』

2019/09/24

田崎健太 ノンフィクション作家

 

 

(書評の書評。敬称は略す)

尾崎はこの二人(※前田日明と佐山サトル)に完全に貫禄負けして、言いたいことをひたすら拝聴しているだけだ。

 田崎健太による随分と厳しい書評。しかし、目的が違えば取材の手法も変わってよいはず。

 

 この本「最強レスラー数珠つなぎ」は「プロレスとはなにか。強さとはなにか」という漠然としたテーマを探るために、色々なプロレスラーに話を聞いていく。ある程度自由にしゃべってもらうことで、レスラーの個性が出る。次の取材対象として「自分以外で最強だと思うレスラーを指名」してもらう形がユニーク。

 

佐山サトルから前田日明につながっていく急転回は、それ自体がサプライズであろう(それまで現役選手が続いていたので、ムードがかなり変わったが)。

その2人のインタビューの内容も、それぞれ「らしさ」が出ていて悪くない。いい見出しが取れる話を聞けている。

 

佐山と前田、2人が対立する事実関係についてもそれぞれに聞いているが、そこに白黒をつけるのが主目的ではないので、重ねての踏み込んだ突っ込みはしていない。

そこが田崎には不満なのであろうが、では自身の「真説・佐山サトル」における取材は、それほど立派なものだったのか。

 

田崎の前田に対する取材は、第一次UWFにおける佐山との対立について事実関係を明らかにするという明確な目的があってのもので、納得が行かなければ食らいつくのは当然。

しかしその結果の田崎の文章には不満がある。前田の言に理がある場合も、主役である佐山の言い分を通している。

 

また「真説・佐山サトル」に描かれる佐山像も、常人に理解し得る範囲に小ぢんまりとまとめられてしまった印象で、天才ならではの傾斜が表現されていない。

その点、尾崎ムギ子の佐山回は「洞穴に籠もることしか興味がない」という見出しから「らしさ」全開で良い。

 

ノンフィクションにも様々なスタイルがあり、取材の手法もそれぞれであろう。嘘を書かないといった最低ラインを守ることは必要だが、最終的には読者が好みで選択すれば良い(「真説・佐山サトル」は取材に手間暇をかけていることは認めるが、事実関係に粗い所もある)。田崎による尾崎への酷評には違和感がある。了

 

 

 

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