「真説・佐山サトル」(3)うそつきの巣窟

 

 

 

黒字田崎健太「真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男」(集英社インターナショナル、2018)からの引用。文章中、敬称は略します。

 

 

P147)

 新間によると佐山の帰国には一騒動あったという。

 ロンドンのヒースロー空港でパスポートの不備により出国できないと連絡が入った。そこで新日本プロレスと近い関係にあった元総理大臣の福田赳夫にかけ合って、日本大使館から手を回して翌日か翌々日の便で出国させた――というのだ。

 しかし、これは新間の勘違いではないかと、ウェイン・ブリッジは首を傾げる。

 イギリス入国後に切り替えた就労ビザが引っかかるかもしれないと心配したブリッジは、ヒースロー空港まで見送りに行っている。そして、佐山が問題なく飛行機に乗ったことをはっきり覚えているという。

 

 

 本書では「勘違い」と抑え目の表現にしている(しかも自分で言わずにブリッジに言わせている)が、柳澤健とのトークショー(2017年3月2日)では、違う言い方をしている。

 

現代ビジネス

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51445?page=5

2017.04.18

プロレスという世界で「ノン・フィクション」は可能か

3時間にわたるトークバウト一挙公開!

柳澤健×田崎健太×細田マサシ

 

田崎 (前略)…特にプロレスの世界は、面白いんだけど事実とは違うという話の巣窟で、選手から話を聞くと、「この話を使いたい!」という誘惑にかられてしまいます。その誘惑から逃れるには、とにかく多角的に取材をするしかないんです。

 

たとえばタイガーマスクには、デビューに際しての「新間証言」というものがあります(新間=新間寿・元新日本プロレス専務取締役)。イギリスにいる佐山さんを呼び寄せようとしたところ、ビザの不備かなにかで、イギリスの空港で足止めを喰らってしまう。何とかしなければデビュー戦に間に合わないと焦った新間さんが、時の権力者であった福田赳夫に「なんとかならないか」と連絡したところ、無事に出国ができた…と。このエピソードについては、新間さんはNHKの「アナザーストーリーズ タイガーマスク伝説」でも語っていました。

 

これ、とても面白い話なんですが、前述のウェイン・ブリッジに確認したところ「佐山が空港で足止めを喰らった? 佐山を空港に送り届けたのは俺だけど、そんなことはまったくなかったぞ」と証言するんですね。もちろん、彼が正しいかは分からないけれど、少なくとも新間証言に揺らぎが生じる。そういうことを積み重ねて、あ、このエピソードに関しては多少疑ってかかったほうがいいかな…と考えていくわけです。

(中略)

柳澤 ノンフィクションは100%の真実を求めて書かなきゃいけないんだけれど、ことプロレスというジャンルに関しては…。

 

田崎 うそつきの巣窟、ですからね。

 

 

しかし新間寿は、竹内宏介・桜井康雄との共著「リングの目激者」(都市と生活社、1983)において、次のように書いている。まだタイガーマスクが新日本プロレスで活躍しており、その正体が不明だった頃で、かなり踏み込んだ記述である。

 

 ただちに梶原先生の所へ社長と私とで決定した事を伝えた。先生曰く猪木さんと新間君が決めたんだ、おまかせするよ。私はすぐタイガー候補レスラーの出先へ電話をし、帰国するよう告げた。タイガー・マスクになる事をつけ加えて、社長に電話をかわってもらい、彼の喜びの声を社長に伝えた。

 仕掛人というか、秘密を持つ楽しみは、これだから止められない。しかし、彼の次の電話で私は困ってしまった。帰国日を4月20日にし、4月23日の試合に間に合う様に伝えたが、彼は切符の手配で日本航空へ行った所、ビザが切れているのを指摘されたというのだ。出国に無理があったが、これも、福田赳夫先生の秘書の小林紀夫氏と日本航空の努力により解決出来た。

 

 

 これならブリッジの証言とも矛盾しない。初めはこのような多少、地味目な話だったのを、語る内にドラマティックに脚色した可能性はあろう。新間が初めて「空港で足止めを喰らった」と語った時は、「出国できない」ことをそう表現した、言葉の綾だったのかもしれない。しかし何度も語る内に、表現通りのことがあったように、記憶が変容してしまったのかもしれない。

 

 しかし、そもそも田崎は、自分が疑わしいと思っているエピソードをなぜ取り上げているのだろう。「面白いから使いたい」という誘惑に負けてしまっているのだろうか。

それとも、「新間の作り話が真実のように流布している」と考えて、これを否定したかったのか。しかし、調べが甘くて否定し切れていないので、かえって混乱を招いている。

 

P95〜96)

 巡業中のある夜のことだった。

「猪木さんから部屋に呼ばれたんだ。なんか持ってこいと言われたのかな? それでコンコンと扉をノックして、“失礼しまーす”って中に入ったら、佐山が畳にゴロンとして猪木さんと喋っているんだよ」

 こんな風だよ、と頭に掌を当て寝そべる格好をした。

「それも、猪木さんにため口でさぁ。お前、誰と喋っているんだこのヤローと。猪木さんはかしこまられて、はい、はいなんて気を遣われるのは好きじゃないんだ。佐山は典型的なB型というか、先輩とかあまり気にしなかったね。得な性格なんだな」

 この話を佐山にぶつけると「猪木さんの前でそんなことするわけないじゃないですか」と大声で笑い飛ばした。

「藤原さん、あの朴訥とした顔で言うから、みんな信じちゃうんですよ。困ったもんです」

 小林邦昭も同じ意見だった。

「それはないよね。できるわけないですよ。この世界、一日(入門が)違ったら雲泥の差だからね。だから、誰が先輩か後輩か、呼び名で分かります。猪木さんにため口をきけるはずはないです」

 藤原の記憶通りではないかもしれない。ただ、猪木を崇拝していた彼の目には、後輩の佐山が極めて親しく、気軽に応対していたように映ったことは事実だろう。

 

 

波々伯部哲也「『週刊ファイト』とUWF」(双葉社、2016)

 

 佐山は猪木の付き人時代、よく時が経つのも忘れてこれからのプロレスの在り方について師匠の猪木と語り合い、そのまま猪木の部屋の床で寝たこともあったという。

 

 

 もちろん、語り合っている時は佐山は座っていて、話が終わってから床に寝たのかもしれないが、それならそこで自室に帰ればよい。夜が更けても時を惜しんで、師弟が共に寝そべりながら語り合っている情景が思い浮かばないだろうか。

 小林が否定しているのは「ため口」の部分だけのようにもとれるし、藤原は佐山の敬語が軽いことを「ため口」(に近い話し方)と表現したのかもしれない。佐山については、記憶がないだけかもしれないし、礼儀正しくなかったと思われたくないのかもしれない。

 佐山が主人公の本だから、著者が佐山寄りでも仕方ないが、読者がそれに付き合う必要はなかろう。わたしには藤原が丸きり作り話をしているとは思えない。

 

 田崎も、これらの話だけでプロレス界を「うそつきの巣窟」と呼んでいるわけではなかろうが。ところで他の業界には、そうひどい嘘つきはいないのだろうか。

 

追記2018.10.20

 

DELUXEプロレス」1983年10月号

タイガーだけが知っているあまりにも孤独すぎた突然の引退表明…

タイガーマスクにとって855日のプロレス人生とはなんだったのか?

 

 その若者はアントニオ猪木の付け人をしていた。マスコミの記者が猪木を控室で取材していると、若者はタオルを持ったまま、直立不動で、その話に耳を傾けていた。猪木が話にのって、1時間も会話が続くと、若者は立ったまま、身動きひとつしなかった。

 (中略)

 だが、その若者は、猪木が英雄であろうと、あるいは自分を使っている会社の社長であろうと、そんなことは、おかまいなしに気楽に猪木と接触していた。

 歴代の猪木の付け人の中で、その若者のような接し方をした人間はひとりもいなかった。猪木の部屋に行って、バカ話をしながら、

 「今日、ボク、猪木さんの部屋でいっしょに寝ます!」

 といって、巡業中、ホテルの猪木の部屋の床の上ですやすやと寝てしまったこともある。何か欲しいものがあると、すすんで猪木にねだったりした。

 「猪木さん、あれ欲しいんですけど……」

 というと、猪木は気軽に持っているものを、その若者に与えた。猪木はそのように気軽に接しられることをなにより喜んでいた。猪木の性格を読んでいたその若者は、並みの人間ではなかった。猪木にとって気を使わなくていい気楽な付け人だったのである。

 

 

 想像以上に、付き人としての佐山は猪木に気安く接していたようだ。

 

 この記事に署名はないが、内容や文体から、山本隆司(ターザン山本)が筆者ではないかと思う。冒頭に引用した猪木のインタビュー時の佐山のエピソードは、同文ではないものの、佐山聡「ケーフェイ」(ナユタ出版、1985)に山本が書いた前文「私は佐山聡を“視た”――@」の中にも出て来る。

 

 

 

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