「真説・佐山サトル」(4)真説・佐山サトル対ダイナマイト・キッド

 

 

 

黒字田崎健太「真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男」(集英社インターナショナル、2018)からの引用。文章中、敬称は略します。

 

 

 219ページから「ダイナマイト・キッドとの決着戦」と題して、米国における佐山とキッドのスパーリングについて書かれている。これはGORO」(小学館)の企画とのことだが、なぜかその記事からの引用はない。

 

 

GORO」1984年1月12日号

 

「僕はもう一度、一度だけ、タイガーマスクとして“復活”しなければならなかった」

 新日本離脱後、ついに行動を起こした佐山聡は、こう弁明した。

 ――本誌連載手記最終回(前号掲載)の原稿を編集部に届けてから、佐山聡は突然行方をくらませた。接触不能になって数日後、デイリースポーツ紙が成田空港より離日する佐山を大々的に報道。

 プロレス界に、新日本とのトラブルに拘束されない外国でフリーとしてカムバック!? との観測さえ流れた。本誌は滞在地を突きとめ、現地へ飛ぶやいなや“日本脱出”の目的を追求し、復活したタイガーの行動を密着取材した。

 なぜ、いま突然キッドと、かくも激しいスパーリングをしたか?

 タイガーとキッドの間で何がたくらまれているのか?

 復活は本当に一度だけか?

 “引退”以後、結局どのレスラーもあの天才的なタイガー殺法は真似できない。復活タイガーは84年に何を狙っているのか!?

 

 

 田崎は書いていないが、記事によれば、初めはオレゴン州ポートランドでの興行で、エキジビション・マッチとして闘うつもりであった。しかし、プロモーターに断られた(交渉したキッド曰く「試合が全部テレビマッチで放映権なんかが絡んでいてね」とのこと)ため、観客のいないジムで闘うことになったという。そのジムの場所もポートランドで、田崎が書いているワシントン州シアトルではない。

 

このスパーリングがいつ行われたのかについて、GORO」には全く情報がない。同行取材したカメラマンの山本皓一からも聞けなかったのか、田崎も全く書いていない。

しかし、GORO」が触れている「デイリースポーツ」の記事を読めば、ある程度の目安はつく。

 

「デイリースポーツ」1983年11月17日号

佐山聡 元Tマスク 日本脱出

米国で師・ゴッチ、友・キッドと再会へ

復帰の意思表示? 去就は帰国後

 

佐山聡が日本を脱出―。タイガーマスクの仮面を脱ぎ素顔に戻った佐山聡が十六日、成田発の日航機で米国へ飛び立った。新日本プロレスに契約解除通知を出し、タイガーマスクとしてのレスラー生活に八百三十九日間でピリオドを打った八月の“引退騒動”から三カ月。今回の行動は格闘技の道を追求する佐山聡として、リング復帰への意思表示とも受け取れる。

(中略)そして第二の目的はデビュー戦からの宿命のライバルであり永遠の友であるD・キッドとの再会だ。キッドは現在、米オレゴン州で活躍中だが、佐山が訪問すれば何らかの援助を申し出る公算も十分考えられる。

 

 

「ゴング」1984年2月号

 

 また11月16日から約1週間、米国に滞在した折りにかつてのライバル、ダイナマイト・キッドに会っているのも大きな鍵。

「ダイナマイトは2回りも体が大きくなって、かなりウェートアップしていましたよ。彼とは今後、戦う時がくるでしょう」

 と宿敵の成長を喜ぶと同時にハッキリと対決を宣言した。

 

 

GORO」には佐山聡のインタビューも載っている。一部を引用する。

 

――彼とはこれで最後ということは考えられませんか……?

「プロレスで、と聞かれたら、いまは答えられない。ただ少なくとも、これから新格闘技をめざし世に出ていく場合でも、第一に闘ってみたい相手はキッドだ。あのパワーアップされたヤツを完全にぶちのめしてやりたい。むこうもそう思っているでしょうがね。これは宿命の対決ということでしょう。だから、自分の理想(新格闘技)とは別に、対決するシチュエーションが実現することも考えられます」

 ――それは重大発言だ。

「詳しくはいえない。だが、期待してもらっていい」

 (中略)

 ――プロレス対新格闘技で、新格闘技のほうがプロレスをタイガースープレックスでKO、という場合もあるうるわけだ。

「もちろん。自分も先頭に立って闘うので、プロレスのヘビー級とやっても勝つ自信はある。なんとか夏前には一般にデモンストレーションをお見せしたい」

 

 

 当時「プロレスをやろうなんてこれっぽっちも考えていなかった」(P226)はずの佐山なら、言いそうにないインタビュー内容である。

そもそも、タイガーマスクにもプロレスにも未練のなかったはずの佐山が、業界外のカメラマンに言われただけで、大嫌いな飛行機に乗ってわざわざ米国へ行き、マスクを被ってプロレスをしようとするだろうか。

田崎はその理由について「佐山は自分の拘っている部分以外では優柔不断なところがある」(P223)からだ、と書いているが、マスクを被ってプロレスをするかどうかに、当時の佐山は拘りがなかったのだろうか(初めはスパーリングではなく、客前で闘う予定だった。エキジビションでも、佐山のプロレス復帰と言え当時としては重大事である)。

当時、佐山の行動をコントロールしていたのは誰か。その視点を持たないと、真相が見えて来ないのではないか。

 

「別冊ゴング」1984年4月号

○単独再起に踏み切ったザ・タイガーに緊急直撃インタビュー

 

タイガー (前略)僕はあくまで新しい格闘技の追求を目指すだけです。そういった政治的なお話は会長としていただけますか。

 ということでマイクのホコ先をタイガージムの会長であるショウジ・コンチャ氏に向けて話をうかがってみた。

(中略)

ショウジ いまは具体的にいうといろいろと妨害されるからハッキリした表現はできないですけど、近々、タイガーは外国へ行って試合をやります。それをビデオ撮りしてある大手のテレビ局の1時間半の特番ワクで放送する予定です。第4団体というとオーバーになるけどね。

(中略)

 ――ということはキッドのいるオレゴン、もしくはブラック・タイガーのイギリス……!?

ショウジ いや、とにかくそれは、いまお話するわけにはいきません。もうすでに収録済みということだってあるでしょ。

 ――えっ、もう撮り終わったんですか?

ショウジ そういうことだってあり得るということです。ウチのジムは1インチと3/4のテレビ用のカメラを持っているんです。これを持っていけば海外でもどこでもテレビ撮りは可能。当然現地でもカメラは借りれますしね。それに企画会社も買い取ったから、VTRのテープを持ち帰って編集すれば、すぐ番組は出来上がります。

――1時間半の番組をタイガーの海外試合だけで作るのはかなり無理があるのでは?

ショウジ そんなことはないです。たとえばダイナ(キッド)とのスパーリングのVTRもかなり長い時間で撮っていますしその他にもタイガー関係のテレビ用テープはこのジムにもかなりの量が眠っていますからね。

 

 

 コンチャが渡米に同行していたことは、田崎もわずかながら触れている。彼の目的は、佐山とキッドの闘いを撮影することだったのではないか。できればスパーリングではなく、観客の前でのリング上の試合を撮りたかったであろうが、放映権の絡みという理由でエキジビション・マッチをプロモーターに断わられたのは、テレビ放送を前提としたビデオ撮影をしようとしたからではないか。

ショウジ・コンチャこと曽川庄治氏は、このテープを今も持っているのであろうか。

 

 

「週刊プロレス」1984年4月3日号

 

 いまプロレスファンの間で急速に注目を浴びているのがザ・タイガー日本テレビ出演か? のニュース。

 日本テレビが検討中といわれる1時間特別番組『TVスペシャル“ザ・タイガー”』とはどんな内容なのか?

 株式会社クロスラインフィルから日本テレビに提出された企画書によれば、“今、ザ・タイガーの記念すべき復帰戦を完全紹介するとともに各国のプロレスを紹介する”という企画意図にそって、イギリス編、カナダ編、アメリカ編、メキシコ編と、各地でのタイガーの試合をおり混ぜながら、各国のプロレスを紹介していくというもの。

 

 

「別冊ゴング」1984年5月号

 

「これは第三者の推理だが…タイガー・サイドは日本テレビ側との折衝の成果をある程度、見越してイギリスでのカムバック戦の準備を進めていたのではないかと思う。ところが現段階では局側からは思うような返事が得られない。したがってイギリスでのカムバック戦の問題も、そのまま宙に浮いた状態になっているのではないかと思うね。

 最終的にこのタイガー問題の結論を出すのは全日本サイドなのか日本テレビ・サイドなのか? そのあたりも第三者にとっては興味のあるところだが…おそらく現在の両者の力関係から判断して、両方が合意しなければ“GOサイン”は出ないと思う。(中略)」

 そう説明してくれたのは“謎の情報通”といわれる御存じのミスター・M氏。(後略)

 

 

テレビだけでなく、全日本プロレスのマットにザ・タイガー(佐山)が登場する話もあった。1984年2月下旬にコンチャが全日本プロレスの馬場会長、松根光雄社長と会ったのは、日本テレビ関係者の仲介だったという(Gスピリッツ」Vol.44、2017年8月5日発行)。しかしこれはコンチャの独断専行で、佐山にはその気がなかったことを田崎は書いている(P244)。

 

佐山は全日本マットに上がることには拒否感があったようだが、海外で試合をして日本のテレビ局で流すことは了承していたようだ。

ぼくはプロレスをやる気が全くなかった」(P244)という現在の佐山の述懐は、当時の内面を説明したものだったとしても、少なくとも表に出ていた当時の言動とは合致しない。

新しいマスクを被って海外で復帰戦を行うことは、佐山自身が口にしている。テレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に出演時(1984年1月18日放送)は、3月に米国で、とのみ語っていたが、同時期の「ゴング」のインタビューでは「ニューヨークのMSG」と明言し、より具体的なことを語っている。

 

 

「ゴング」1984年3月号

 

――昨年12月の段階で「いまのプロレス界には失望しているので、プロレスラーとしてのカムバックは考えていない」というような発言も聞かれましたが…何があなたにカムバックを決意させたのですか。

佐山 新しい格闘技の確立がボクの最終目標であることは、いまもまったく変わりません。ただ、それはあくまでもボク自身の構想であって、それがすぐに世間一般にまで浸透するかどうかは大きな疑問でもある。そんな中でファンからのプロレスへのカムバックの声が、いまも根強く聞こえてくる。もちろん、新間さんからのアドバイスもあって“プロレスをやりながらでも、新しい格闘技の追求はできる”という気持ちになったわけです。でも、再びプロレスをやるにしても、いままでのようなプロレスは、やりたくないですね。以前よりも、さらに過激な“格闘技の原点”といえるようなスタイルのプロレスをやるつもりです。

――3月のMSG再登場は新しいリングネームと新しいコスチュームで登場する予定になっているそうですね。

佐山 どうしてもボクの場合は“タイガーマスク”のイメージが強いのでリングネームもザ・タイガーにすることに決めました。(中略)

 ――マスクを着けるのですか…それとも素顔。

佐山 その件も、いろいろと考えたのですけど…やはり、ニューヨークのMSGのリングに再登場する以上は昔のイメージも大切なので一応、マスクはかぶります、これが新しいデザインのザ・タイガーのマスクです。

 (中略)

 ――ズバリ! 3月26日のMSGにおける再起第1戦では誰と戦ってみたいですかね。

佐山 できることならダイナマイト・キッドとやってみたいですね。ダイナ(キッドの愛称)も最近のハード・トレーニングで見違えるようにパワーアップしているので、おそらく前以上の好ファイトになると思う。

 

 

これはつまりWWF会長の新間寿のブッキングでMSGで復帰、ということだったが、2月には新間と佐山サイドの間に亀裂が生じ、独自ルートでの海外復帰戦が取り沙汰されていた。

 

 

「東京スポーツ」1984年2月24日号(23日発行、No.8188)

 

 ショウジ・タイガー・ジム会長が二十二日、明らかにしたところによると、佐山は近近、海外へ転出、シングルマッチを六、七戦行い、その模様をジムに設置されている二台のテレビ用カメラで収録。日本の某テレビ局がゴールデンタイム一時間枠の特別番組で放送することが決定しているという。

 (中略)

――マットに復帰するのは、あくまでもプロレスでだろうね。

 タイガー そうです。しかし、いままでのものばかりではなく、プロレスの原点といえるかな、当て身から、つかんで投げ関節を決めるものを中心にやっていきたい。もちろん四次元プロレスも必要だが、ボクが将来的にやろうとしている新格闘技の実験も兼ねたプロレスをやりたい。それにね、プロレスをやることは、自分の生計をたてるため、ファンのため、新格闘技完成へのテストのためと一石三鳥になるんですよ。(中略)

――タイガー・ジム会長が話していたが、某テレビ局が特番で佐山くんの海外での試合(MS・Gとは別)を放送することが決まっているという、いい話があるが…

タイガー そうですか。ジムへもずい分ファンレターをもらい、早く復帰しろと励ましてくれるしね。こんなうれしいコールに早く答えを出してあげたい。そんなに焦りはありません。

(中略)

――では、いま戦いたい相手は

 タイガー キッド、スミス、ブラックタイガー、ハート、小林の五人かな。キッドとは将来は一緒にやろうと約束しています。(後略)

 

 

なお、キッドについて次のような報道もあった。

 

 

「ゴング」1984年4月号

 

このつかみどころのない団体を相手に新日本も着々と企業防衛の手を打っている。佐山サイドと手を結ぶとウワサされたダイナマイト・キッドとは「佐山とは関知しない」という契約書を取り交わし、ザ・タイガーの3・26MSG復活デビューにも阻止の手を打ったようだ。

 

 

結局、佐山は海外で復帰戦を行わずに、新間寿のいなくなったUWFへ行き、全日本プロレスと日本テレビは、漫画原作者の梶原一騎に許可を取って三沢光晴を二代目タイガーマスクとして売り出した。ついでに言えばこの年の11月、ダイナマイト・キッドは引き抜かれて日本での主戦場を新日本から全日本に移している。

 

 佐山のMSG出場計画に話を戻そう。田崎は次のように書いている。

 

P226)

 (前略)佐山はタイガーマスクとしてテレビ朝日と専属契約を結んでいた。これには八五年三月三十一日までテレビ朝日が指定する以外の興行には出演できないと書かれていた。テレビ朝日は、アメリカで試合に出場した場合、損害賠償を請求する旨の警告書を佐山側に送った。

 この警告書にショウジ・コンチャは前出の『アサヒ芸能』(※1984年2月16日号)で反論している。

「アメリカでの試合については、昨年の段階でテレビ朝日と協議していたんですよ。話し合いがほぼ整ったと思ったら、新日プロから横ヤリが入ったのかどうか知らないけど、ダメになってしまった。だから、いまさら契約うんぬんをいいだすのはおかしいですね。それに、昨年八月タイガーが新日プロとの契約を解除したとき、テレビ朝日の契約も破棄したんですよ。いや、裁判に訴えるなら受けて立ちましょう」

 この主張が法的に通用するかは契約書を精査しなければならない。目に付くのはアメリカでの試合についてテレビ朝日と協議していたという部分だ。これは新間が口にしている「WWF」と符牒が合う。佐山が真剣にプロレスラーとしてリングに上がることを考えていたかは別にして、「アメリカ」を絡めて新間とショウジ・コンチャが連携して動いていたことは間違いない。

 

 

アメリカでの試合については、昨年の段階でテレビ朝日と協議」「話し合いがほぼ整った」というコンチャの言の内容を、どんなものだと田崎は思って書いているのであろうか。

 

 

「週刊プロレス」1984年2月14日号

 

 もうひとつ、以上の問題に関連して、テレビ朝日より一通の通告書が、佐山聡(元タイガーマスク)あてに送付された。その中身はタイガーマスクはテレビ朝日と来年3月(昭和60年)まで契約が残っていて、もし他局(フジテレビ)のプロレス放映に出演した場合、契約違反になる、という内容だった。

 これに対し佐山聡(現ザ・タイガー、元タイガーマスク)側は、弁護士を立て、次のように反論している。

「(中略)当時(昨年8月)テレビ朝日より話しあいを持ちたいという申し入れがあり、当方もそれを尊重した。そして、昨年の11月タイガーがアメリカに行くとき、テレビ朝日に現場の中継をたのんだところ、なんとかやりたいという返事はあったが、それ以後、なしのつぶてである。一部の噂によると猪木がなぜやめた人間を番組にのせなければならないのかという鶴のひと声で流れたらしい。その時点で話し合いの原則はこわれたことになり、テレビ朝日とも基本的に関係ない」(タイガー・ジム会長)

 

 

 1983年11月の渡米とは、佐山がキッドとスパーリングをした時である。初めコンチャは、自主撮影して他日のテレビ放映を期すのではなく、テレビ朝日に中継させようと目論んでいたようだ。繰り返すが、当初はジムでのスパーリングではなく、興行のリングでエキジビション・マッチの予定であった。

 また、次のような報道もあった。

 

 

「別冊ゴング」1984年3月号

 

 昨年12月中旬に新間氏はテレビ朝日に猛烈に働きかけて「12月19日、アントニオ猪木のバンクーバーにおける試合を中継するために、テレビ朝日のスタッフがバンクーバーに出張、その時タイガーマスクとダイナマイト・キッドの試合をバンクーバーで行ない、テレビ朝日がこれを撮る」という話を内定の線まで進めていた。

 だが、これはテレビ朝日上層部の反対で、どたん場で話がこわれた。

「タイガーがどうせ復活するなら、馴染んだテレビ朝日のブラウン管がいい。10分でも15分でもいい、WWFアワーという形でタイガーの試合を提供するということで現場は納得してくれたのだが……結局、一部上層部の反対で駄目になった。よし、こうなったら、意地でもタイガーの復活をテレビに乗せてやると、あるテレビ局と接触していることは事実です。その内、はっきりするでしょう」と新間氏はいう。

 

 

 11月の佐山の渡米に同行するためだけに、テレビ朝日からわざわざ人を出すことは難しい。コンチャが撮ったテープを番組内で使うにしても、スパーリングでは弱い。そこで、12月の猪木のカナダ遠征にはテレビスタッフが同行するので、ついでに佐山の試合も中継することを検討したが、反対が出て流れた…推測すればこういうことであろうか。

話があったとしても、どこまで実現に近づいていたかはわからない。しかし、こういった目論見が何もなかったとしたら、渡米もなかったかもしれない。

意地でもタイガーの復活をテレビに乗せてやると、あるテレビ局と接触している」と、新間の語っている所のテレビ局とは、フジテレビのことであろう(日本テレビは新間ではなくコンチャの線である)。MSG登場を言い出した時点で、テレビ朝日に復帰する線は消えかかっていた。田崎の分析は、ずれている。

 

 

なお、「アサヒ芸能」1984年2月16日号の、田崎が引用している記事の中で、佐山はプロレス復帰の理由についてあけすけに語っているのだが、田崎はこれには触れていない。

 

 (前略)ちょうど、佐山聡は新装なった「タイガージム」で、“3・26MSG決戦”に向けてトレーニング中だった。

 そのタイガーがいう。

「ボク自身は、このジムで青少年の体を鍛えることで食っていけるんですよ。いえ、プロレスを教えるんではなく、トレーニングジムですよ。現在までのところ、会員も100名を超しましたからね。でも、プロレスを超える真の格闘技を目指すボクとしては、そのための資金も必要だ。それでカムバックしようと思ったんですよ。新間さんからも『おまえはプロレスをやるために生まれてきたんだよ』といわれましたしね。いや、いろんな妨害もありますけど、ガンガンやりますよ」

 

 

 

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