「真説・佐山サトル」(8)ケーフェイ

 

 

 

黒字田崎健太「真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男」(集英社インターナショナル、2018)からの引用。文章中、敬称は略します。

 

 

佐山がUWFを離脱した直後、彼を著者とする「ケーフェイ」(ナユタ出版、1985年10月25日初版発行)という本が出版された。佐山が語る形式で書かれた本文の前後に、「山本 隆(週刊プロレス記者)」という名義でターザン山本(山本隆司)の文章が前文、後書き的に掲載されている。

 

 

私は佐山聡を“視た”――@

(前略)この本で、佐山はシューティングとプロレスの違いを徹底的に論じている。シューティングがプロレスとはジャンルを別にするものであるなら、プロレスと比較する必要はない。

 しかし、それをあえて比較している。そこには佐山の特別な気持ちが読みとれる。あるとき、佐山は私に向かって「もう、生き恥をかくのはいやだ」といったことがある。

 彼はプロレスラーという肩書に本物の自信をもてなくなっていた。本当の意味のプライドを持つには、プロレスとは違ったものを創造するしかない。佐山は以上のような考えからシューティングを宣言した。

 私はマスコミの立場からプロレスについて、いろいろな希望や要求を持っているが、プロレスラーの側からプロレスそのものを改革しようとした人間は佐山ひとりしか知らない。(後略)

 

 

 これは前文である。しかし、佐山の語る本文においてもそうなのだが、ここに言う「シューティング」とは、第1次UWFのリング上でプロレスラー達が行っていた試合のことを指しているのである。これはそれらの文章が、佐山の離脱前に書かれたものであるからであろう。

 佐山はプロレスの仕組みを暴露し、対比して「シューティング」を称揚しているのだが、それは自分が去ったUWFの試合を指しているのである。これではプロレス界から無駄に恨まれるばかりで、佐山にメリットがない。

 UWFに残されたレスラー達にとっても、団体の継続が難しくなり他団体に出ようかとしている頃なのだから、迷惑なだけである。

 

 

私は佐山聡を“視た”――A

 (前略)

 佐山の考えかたは、完全に異端児のものである。なぜなら、佐山と同じ生きかたをしているレスラーは、ほかに誰もいなかったからだ。それはUWFでも同じ結果を招きつつあると、私は考える。(中略)

 自身がリングに上がることの意味をなくしつつあるとき、佐山はさらにデカいことに目を向け始めた。シューティングをプロとして成り立たせる前に、“アマチュア・シューティング”の確立を考え始めたことである。

 (中略)

 佐山聡は、昭和の嘉納治五郎をめざしてシューティングの組織づくりに燃えているのだ。それはUWFという興行団体のなかではできないことであり、本気でそれを実現さすつもりなら、ジムのほうに全力を傾ける必要があるかもしれない。

 シューティングのプロ化は、シューティング・ジムの全国組織ができたうえで考えても、けっして遅くはない。そして佐山の夢は、そうしてできあがったシューティング協会の事務局長になることだという。

 (後略)

 

 

後書きでは佐山のUWF離脱を前提とした書き振りになっているのは、ここだけギリギリの所で差し替えたのではなかろうか。しかし本文がそのままで後書きだけ直しても仕方あるまい。

本来であれば出版を中止するか、少なくとも延期して全面的に書き直すべきであったろう。しかし当時はまだ「シューティングとはこういうものです」と公に示せるものがUWFのプロレス以外にはなかった(アマチュアはまだ育成途上にあり形になっていなかった)であろうから、すぐには書き直しも無理であったろう。

 それでも出版が強行されたのは、佐山のためでもシューティングのためでもなく、出版社とそれに連なる更級四郎(「週刊プロレス」でイラストレイターとして活動)、ターザン山本のためであったのではないか。

 

 

「証言UWF 最後の真実」(宝島社、2017)

U」創成期の真実 証言 更級四郎 杉山穎男 ターザン山本

 

更級 もう亡くなったんですけど、堀内っていうナユタ出版会という出版社を経営している人がいて、困ってたんですよ。会社の経営が危なくて。それで、僕に「これだったらなんとか売れるっていう本のアイデアが欲しい」って言ってきたんです。僕、そんなの考えたこともないから、山本さんに電話して「どうしよう」って二人で話して。それで「佐山がいいよね。佐山だったら、なんとか一冊になるから」って。

山本 ナユタ出版会を救うためになにをやろうかという流れで「プロレスがいいな。プロレスだったら佐山だな」となったわけで、初めから『ケーフェイ』をつくろうと思ったんじゃない。本の内容が決まったのは最後ですよ。

(中略)

 この本がプロレス界へ与えた影響はあまりにも大きかった。山本と更級は、ある種の“ショック療法”としての機能を『ケーフェイ』に期待したのだろうか。

 

更級 そんなの考えてない。堀内という出版社の人間が困っている。佐山さんもUWFの中で排除されちゃってるから困ってる。なんとか自分を打ち出さないと佐山さんも潰れちゃう。だから、『ケーフェイ』をつくったのは人助けなんだよ。

山本 プロレス界に対する影響とか、売れるかどうかじゃなくて、ハッキリと比喩的に言えるのは、黒澤明の『七人の侍』ですよ。おにぎり一個で村人を助けるあの精神だよ。「頼まれた、じゃあやろう!」と。

 

 

 更級は佐山を助けるため、とも言っている。佐山がUWFに在籍中なら、UWFのシューティング路線の主導者、その理論指導者としての地位を強固にするため、との理屈が成り立とう。しかし佐山がUWFを離脱した時点でその根拠はなくなっているし、田崎によれば佐山自身が出版に反対していたのである。結局残るのは、出版社を助けるため、という目的しかない。

 山本の場合は、同じようで違うのかもしれない。本が売れるかどうかは考えないのなら、出版社のためとは言えない。「七人の侍」の例えが適切かどうかわからないが、山本には「おにぎり一個」(自分がもらえる報酬)が大事だったのではないか。「「金権編集長」ザンゲ録」(宝島社、2010)を読んでしまうと、そんな風に思ってしまう。

 2人ともプロレスで食っているプロレス村の住民なのに、友情のためか報酬のためかは知らないが、業界外の人の頼みだけで暴露本を出してしまったのなら問題であろう。

 もっとも、山本は前文で匂わせているように、自身がプロレス界に対して持っている「いろいろな希望や要求」、あるいは不満や批判を、佐山の名を借りて世に問う、という意図があったのではなかろうか。更級も別のインタビューでは次のように語っている。

 

 

Kamipro 紙のプロレス」No.130(エンターブレイン、2009年1月3日発行)

ケーフェイを超えたUWFの真実(聞き手 堀江ガンツ)

 

――なんで業界内部から、暴露本的なものを出そうという発想になったんですか?

更級 『週刊プロレス』っていうのはUWFを推してたんだけど、さらに持ち上げていくために、もっと革新的なことをして、プロレスを変えていくようなものじゃなきゃならない。で、ああいうものを出すと、論争が盛り上がるし、UWFはほかとは違うこともアピールができる。でも、専門誌としての立場があるから自分たちで書くわけにはいかないから、外部の僕が書くことになったんです。(後略)

 

 

 更級も山本も、時と場合によって言うことが変わるし、明らかに事実と異なることを言うこともあるので鵜呑みにはできない(※)が、「ケーフェイ」の出版については、佐山にはメリットがないので、2人が主導したことに間違いはなかろうと考える。

 

※例えば柳澤健「1984年のUWF」(文藝春秋、2017)に、「『ケーフェイ』が出たことは、佐山がUWFから排除されるきっかけとなってしまった」と山本が語ったとある(P281)が、田崎も書いているように佐山のUWF離脱は本の出版より前のことである。もちろん柳澤が確認せずに載せたのも問題であろう。

 

 

P323)

「佐山さんは非常に無責任というか、自分の名前で本を出すのに、関係ないよってポジションでいるんですよ。(中略)ただ、全く口を出さない。そして失礼なことは絶対にしない。あー、どうぞどうぞ、やってくださいって」

※山本の発言

 

P326〜327)

 佐山は出来上がった原稿を一読し、出版しないように頼んだ。

「出すのはやめましょうという話をずっとしていました。ところが(スーパータイガージム専務の)中出さんも賛成しちゃって、四対一でみんなに押し切られたんです」

 

 

しかし、「著者」が本気で拒否すれば、さすがに出せなかったはずだ。佐山名義でなければ出す意味もなかったろう。山本の「無責任」という評価にも一理あろう。

「週刊ファイト」1985年12月3日号には、「『ケーフェイ』発表のサイン会を書泉グランデ、吉祥寺の紀伊国屋、西武池袋のブックセンターなど三つの書店で行ったが、いずれも盛況だった。」とある。

 1985年12月7日、後楽園ホールにおけるシュート・ボクシングの大会に佐山は来場し、リング上で挨拶を行なったが、その前にも「ケーフェイ」の販売会を兼ねてサイン会を行なっている(「週刊ファイト」1985年12月17日号)。

反対はしていても出版すると決まった以上は、販売促進にも協力する、ということであろうか。

 

 

P323)

「更級さんとカバーデザインをやった松本晴夫さんとぼくの三人がメンバー。(中略)そこに佐山さんを加えて、企画会議のようなものをやった。出たとこ勝負よ。ぼくはね、どうせ佐山さんで本を出すんだったら、週刊プロレスでできないことをやれないかって。破滅的なことをやってしまえって思っていた。それでぼくががーっと喋るわけです。ぼくは喋ることが好きなもんですから。それを更級さんはテープに録音していったんです」

 

P323〜324)

 原稿は貴方が書いたのかと問うと、山本はもごもごと口を濁し、話題を変えた。何度か質問を繰り返すうちに、録音起こしを元に更級が書いたのだろうと言った。

「佐山さんは山本さんが作ったって言い続けているんです。本人がそう言ったら、みんな信じるじゃないですか。喋ったのは俺。書いたのは更級さん。俺はどんな進行状態になっているかさえ知らなかった。原稿は一度も見たことがない。全く関知しない。言いっ放しなわけ。更級さんはプロレスファンじゃないんですよ。だから、こんなことを書いたら、えらい暴露本になるとかさ、やばいとか、考えない。俺だって出来上がった本を見てびっくりしたんだもの」

 

P327)

 この『ケーフェイ』発売直後、プロレス関係者が恐ろしく静かであった記憶があると山本は振り返る。

「結局、本当のことが書いてあるわけじゃない? だから触れられない。あれをいけない本だ、本当か嘘かということになっても論争できない。だからそのまま、そーっとしておこうという状況が続いたんですよ。(中略)」

 この本では高田伸彦や山崎一夫は、本物の格闘技を追及する同志であり、藤原喜明や木戸修はプロレスである新日本では力を発揮できなかったと書かれている。これは佐山がUWF時代に言い続けてきたことで、レスラーを貶める内容ではない。しかし、この本をUWF側が都合良く利用したのだと山本は早口でまくし立てた。

「とんでもないものが出たということで、佐山さんを悪者にした。追い出したのは正解だった、佐山というのはこういうことをやる人だということになった」

 

 

 「こういうことをやる」の内容に嘘がなければ、「悪者」かどうかの評価は絶対的なものではなく立場によろう。「ケーフェイ」の出版で佐山を「都合良く利用した」のは、山本や更級ではないか。山本が今になって、原稿には関知しなかった、と言っているのも責任逃れに聞こえる。そもそも山本の言うように、山本の語りを更級が文字に起こして原稿にしたのなら、真の筆者はやはり山本ということになるのではないか。

プロレス関係者が恐ろしく静かであった」とあるが、「週刊ファイト」「ケーフェイ」の出版広告を掲載した上、読者プレゼントまで行なっている(1985年12月3日号)。

 広告には、スーパータイガージムの「シューティング“打/投/極”カレンダー」(田崎も331ページで触れているもの)の予約受付の記載もあり、タイアップしてビジネスしていたようだ。ちなみに「週刊ファイト」は、このカレンダーの読者プレゼントも行っている(1985年12月24日号)。

 

さて、「ケーフェイ」の真の筆者は誰か、という問題だが、Kamipro」編集部編著「生前追悼 ターザン山本!」(エンターブレイン、2008)に掲載されたインタビューで、更級が「僕が書いたんですよ。細かく言うと、僕と、その頃僕のアシスタントをやってた若いフリーライターの卵」と語っている。

「証言UWF 最後の真実」(2017)における更級、山本、杉山穎男「週刊プロレス」元編集長の鼎談では、 山本が次のように語っている。

 

 でもあの本をつくるときの取材で、佐山はあんまりしゃべってないんですよ。それで夜、更級さんの家に行ったんです。「困った。どうするか? じゃあ、我々で佐山さんの本をつくりましょう」と二人でしゃべったわけですよ。それを録音して『ケーフェイ』をつくった。

 

 山本と更級の2人で語ったことの文字起こしを元に、更級がアシスタントを使いつつ原稿を書いた、ということであろうか。

 田崎の文章では、本当には誰が書いたのかを明かしたくない山本を田崎が問い詰めて、更級が書いたという事実を引き出したかのような書き振りだが、それは10年も前から更級が言っていることで新事実でも何でもないし、「証言UWF 最後の真実」の鼎談を読んでも山本が今更隠すことにも思えない。「もごもごと口を濁し、話題を変えた」は田崎の主観的な表現で、それについて山本には別の言い分があるのではなかろうか。

 佐山や小林邦昭には、入念に過去の言動や報道を調べた上で取材している印象を受けるが、この「ケーフェイ」出版に関する山本への取材には、そうした準備(もしくは取材後の確認作業)が足りなかったように見える。そもそも、更級には取材しようともしなかったのであろうか。

 なお、更級が第1次UWFのブレーンであると自ら語ったのは、「生前追悼 ターザン山本!」(2008)よりも、ターザン山本「『泣き虫』に捧げる永久戦犯」(新紀元社、2004)が先であったが、その本では「ケーフェイ」を自分が書いたとは語っていない。

 

 

 

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