|
|
1915.11.30 アド・サンテル 対 野口清(2) |
|
HOOVER INSTITUTION LIBRARY&ARCHIVES 邦字新聞デジタル・コレクション Hoji Shinbun Digital
Collection Japanese Diaspora
Initiative https://hojishinbun.hoover.org/ Shin Sekai / 新世界 [The New World], (San Francisco, CA) Nyū Yōku Shinpō / 紐育新報 [The Japanese Times], (New York, NY) 試合に先立って、試合が決まった経緯やルール等について、「新世界」紙が熱心に報じていました。数日にわたって興行の広告も掲載されています。 新世界 Shin Sekai, 1915.11.11 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19151111-01.1.3&e=-------ja-10--1----------- ●野口氏とサンテル ▼柔道とレスリングの立合 支那清朝の近衛士官調練所たる高等巡警學堂の師範役を拝命し革命動乱勃發後帰朝して東京市芝公園なる尚武館にて柔道師範をなしつつあり~道六合流の創立者野口C氏は過般レツスリンクの大家と試合を試みたき旨ブルチン紙に申し込み同紙々上にて相手を募集中なりしが愈々今度米國新進のレツスラーサンテル氏と立ち合をなす事に決定したりとの事なるが柔道とレスリングの試合は極めて趣味あるものなるべく敵は近時連戰連勝の人で面白き勝負ある事なるべし 新世界 Shin Sekai, 1915.11.15 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19151115-01.1.3&e=-------ja-10--1----------- ●柔道角力試合 ▼兩者飽迄奮闘に決す 支那清朝の近衛士官調練所たる高等巡警學堂の師範役たり革命勃發後帰朝して東京市芝公園なる尚武館にて柔道師範役をなしつつあり~道六合派の創立者たりしと云ふ野口C氏は愈々來る卅日午后七時よりドリームラントリンクに於いて目下日の出の勢にて此の數年間向ふ所敵なく土付かずと云ふ素派らしい強い例のレスリングの名手サンテルと試合をなす事に決定したるが此の立ち會ひには何等の條件を付けず一方は柔道の秘術を盡し一方はレスリングの奥の手を出して敵手を再び起つ事能はざらしむるまでにすれば勝負が付くとの事なれば蓋し當日柔術とレスリングが虚々實々秘術を盡し龍攘虎撃の活劇は見物なるべし尚當日は郡山氏のボツキシンクの立ち合もあるべしと因に野口氏は柔道八段と云ふも講道館には非ず年四十才位の人也 新世界 Shin Sekai, 1915.11.17 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19151117-01.1.3&e=-------ja-10--1----------- ●強敵と闘ふ野口氏 ▼支那にての昔話 少なくも落機以西では無敵と云ふ金看板を振り廻し居り目下日の出の勢なるレスリングの名手サンテルを向ふにまわして來る三十日ドリームランドで立ち合ひを試みる柔道八段野口C氏について面白い話しがある且つて野口氏が支那の天津で柔道師範役をやつて居つた頃であつた或る日レスリング名手と稱する白人と立ち會ひをやつた短軀なりと云へども度胸の据つた野口八段飛鳥の如く敵の懐に飛び込んで山の様な大の男の急所を突ひたからたまらない『アウン』とばかり地響き高く脆くも倒れたのを見た例のレスラーの妻君氣狂ひの様になつて悠然と構ゐてる野口氏目掛けて喰つてかかつた野口八段少しも騒がずマーお待ちなされ元の通りにしてあげると早速極意の活を入れるや死んだと思つたお富さんならぬレスラー先生キヨロンと目を開くや否や妻君と抱合つて接吻の連發をやらかしたので満堂總立ちになり短軀にして善く敵を倒せる野口八段に賞讃の辞を浴せたとの事であるが今度の勝負も斯んな工合に行くや否や ※落機=ロッキー(山脈) 新世界 Shin Sekai, 1915.11.18 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19151118-01.1.3&e=-------ja-10--1----------- ●野口對サンテル試合 ▼相互申合せ條件 一昨夜英國レスラー・サム・チヤプランを倒し益々勇名をあげたるサンサルを向ふへ廻して來る三十日ドリームランド・リングで試合をする野口八段を短軀なりと雖も六合派の創立者だけあつて實に鮮やかなる技術を持つて居るとの事加ふるに腹度胸の据つた人なれは野口八段とサンテルとの龍攘虎撃の活撃蓋し近來の観物なるべく當日試合の規定は左の如く決定せりと 一、各自裸体又は道衣着用随意 二、柔道は當身又は急所を捺握せざる事 三、双方何れも体の自由を失ない抵抗力なきに至るを以つて負とすること 四、勝負は三回を以て之れを決し二回勝ちたるものを以つて勝利者とする事 但し一回毎に三分間休憩する事 五、一時間に亘り勝負決せざる時は引分けとする事 但し二回共引分けとなりたる時は第一回目に勝ちたるものを勝利者とす 新世界 Shin Sekai, 1915.11.21 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19151121-01.1.3&e=-------ja-10--1----------- ●野口氏と闘ふサンテル氏 ▼希望の選手を闘はん 柔道家野口C氏と試合をなす契約をなしたるレツスラー、アド、サンテル氏は過般英國の名手チヤプランを破り全く連戰連勝の勢なるが明後火曜日の晩は希臘のチヤンピオンのタイトルたるヂヨーヂ、コトソラノスとドリームランドに於て闘ふ事に決したり尚亦野口氏との試合條件は略(ほぼ)決定しあるも該契約書は至つて不完全のものなれば立派なる代言人を雇ひ悶着の起らざるやう契約書を制定し置かんと周旋人は昨日奔走中なりき 新世界 Shin Sekai, 1915.11.28 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19151128-01.1.3&e=-------ja-10--1----------- ●野口氏對アドサンテル試合 ▼降参する迄格闘 明後三十日の午後七時よりドリームランド、リンクに於て帝國尚武會の幹事兼教授たる野口C氏と米國に於て目下日の出の勢なるレツスラー、アド、サンテルと試合をなすべしとは豫ねて報道したる如くなるが試合に關する條件は相互何の制限もなく随意の行動をなす筈にて普通米國のレツスラーが試合をする時の如く兩肩のマツトにつきたるのみにては勝敗を決せず何れか一方身体の自由を失ひ『参つた』とマツトを叩く迄は格闘を續くる事となし一時間闘ふも勝負つかざれば引分けとなす筈にて試合は三回とし此内二回勝ちたる者を勝者と決定する契約なりと ▼サンテルと柔術 サンルは近頃にても英國選手を倒し希臘のチヤンピオンの頸の骨を折たる程の剛の者にて柔術の心得も相當にありネバダ方面にては柔術のサンテルと稱し對手となるもの少しとの事にで其體重は二百八十斤腕や腿は松の木の根にも似たるが如し斯る猛士に對する野口氏は實に危険千萬なりとは一般の評する所なるも野口氏は冷笑し居りて柔術は腕や力に非ず一つの技術なり先づ安心して見て居給へと誠に済まし切つたるものにて聞けば同氏は満州上海或は又士那拳闘の本場たる成都あたりにて外國人を對手の格闘には経験少からざる人なりと ▼同夜他の試合 同夜は又プレミヤーとして手嶋講道館初段高橋同館二段の試合を始め希臘スタイルのキヤチヤス、キヤチカンと稱する柔道に似たる試合レツスリング、ボクシングの試合數多ありて目覺しき格闘あるべし興行主はドリームランド倶樂部々長シエーラー氏なり (下に広告もあり) 新世界 Shin Sekai, 1915.11.29 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19151129-01.1.3&e=-------ja-10--1----------- ●武道再び盛也 ▼野口高橋兩氏の教授 横山、齋藤等が桑港に於て道場を開きし當時桑港同胞年間には兎にも角にも柔道熱盛んに起り毎夜の如く練習したりしに兩人が對白人勝負に成績宜しからざりしはまだしもの事卑怯なる振舞をなしたりとて社會の攻撃を受け従つて兩人に就て稽古する者も無くなりしが過般來より高橋柔道家がポツポツ教授をなし居る内更に野口C氏東京より來り米國レスリング社會の大達者サンテルと勝負すると言ふ勢にて年の元氣俄かに引立ち近來に至りては十數名の年毎夜の如く佛教會の道場にて稽古をなし居り之に又拳闘家氷山氏が濠州より歸りて頻りに試合をなし且又他の年にも練習をなさしめ居るを以て桑港の年は大に活氣づき來りたり尚亦三十日の野口對サンテルの決戦にはプレミアーとして同胞年二三名出て拳闘試合をなす準備中なりと (下に広告もあり) Shin Sekai, 1915.11.30 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19151130-01.1.3&e=-------ja-10--1----------- ●柔道相撲の試合 野口C氏對アド、サンテル試合は今夜七時よりドリムランドリンクに開始の筈 (左に広告もあり) |
|
この試合の結果や後日談について、遠くニューヨークの邦字紙でも報じられています。 紐育新報 Nyū Yōku Shinpō, 1915.12.18 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=nys19151218-01.1.3&e=-------ja-10--1----------- ●野口八段大敗 ▲手も足も出ぬ脆い負け ~道六合流の柔道師範野口C氏と太平洋沿岸角力大選手アド サンテルとの眞剣三本勝負は、三十日夜桑港ドリームランド リンクに於て行はれたり我が柔道と米國角力との國際的大試合といふので日米人の見物非常に多く、さしもに廣き場内も階上階下立錐の餘地なき盛観を呈したるが之に引替へ兩勇の勝負は龍攘虎搏とまでに至らず二番續けさまに野口氏サンテルの兩脚に首根ツ子を締められ身動き出來ず呆氣なき大敗を取りたり、氏は之が爲め其後一部同胞より非難を受け一日夜午前四時頃ピストルを以て同氏の室を狙ひし者あり同氏の友人は二晩三晩眠らずに番を爲し居たりとの事なるが身體非常に危険となり三十六計逃ぐるに若かずとばかり今度は實際に柔道の奥の手を出して今様偽権現様を極め込み二日何へか姿を隠したりと、因に目下當地に滞在中なる講道館五段伊藤徳郎氏は桑港の憤慨連より電報にて交渉を受け居れるが或は不日桑港に向て出發し報復戰を試むるならんと 「新世界」紙は、決まり手について一本目は「首じめ」、二本目は「胴じめ」と報じていましたが、こちらでは二本とも両脚による首締め(ヘッド・シザース)としているようです。 紐育新報 Nyū Yōku Shinpō, 1916.04.22 Page 4 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=nys19160422-01.1.4&e=-------ja-10--1----------- ●野口八段荒須賀落ち 茨木縣結城に道場を開いて居た経歴より八段と名乗つてサンテルの爲に組み敷かれ股の間より鬚を捻りながらニツコリ笑つてとても叶はぬと嘆じた天下の横着者も敗戰とあつては居たまらず夜陰に乗じ桑港より羅府に落ち延びたが思はしからずと去る三月の上旬に出沙してユーエス旅館に投宿し種々仕事口を見付けたが働き慣れたノースヤキマのボテトー掘りも時期に非ずと決然意を決しキヤナリー人夫となり下り二三前某氏の配下となりて荒須賀さして出帆したが出發前に二尺も延びた其頬髯を撫ぜながら若い時なら敗けはせぬあの下道奴ズルイ奴で大方三宅も引分だらうと捨て科白で行つたといふ野口に多少の明ありか(沙港通信) ※沙港=シアトル |
|
このような話もあります。 柔道 34巻1号(講道館、1963/1) 講道館よもやま話 ≪座談会≫ 出席者(発言者) 八段 石黒敬七 十段 三船久蔵 八段 苫米地英俊(講道館総務部長) 女子五段 福田敬子 九段 高垣信造 (前略) 石黒 その時ですか、野口潜竜軒がアメリカでサンテルと試合して負けたというのは? 高垣 あれは非常に面白いんです。試合はロスアンゼルス(※正しくはサンフランシスコ)でやったんですが、潜竜軒というのは自称八段、身体が小さくて目がギョロッとしていて、それはもう異相を備えておったんです。サンテルがあとでいろいろな柔道家と試合をやったけれど、あんな恐ろしい奴と試合をしたことがないというんです。何しろ小さい身体で八段というんですから。あの頃八段なんていうのはなかったんですが、自称でね。(笑声)それで向うもびっくりしちゃって、ところが試合場に立ちますと潜竜軒は何もしないでただニコッと笑って髯をなでて見ているんだそうです。だからどうしてかかっていっていいかわからない。うっかり手出しをしてすぐ逆でもとられては大変だというんで廻りをグルグルグルグル廻っておった。そしていつまで立っておっても仕方がないからというんで、だーんとぶっつかってみたら潜竜軒がひょろひょろとよろけたので「しめた……」とおさえちゃったんですが、あまり他愛がないので日本人がすっかりおこりまして、潜竜軒を殺してしまえという騒ぎになっちゃったんです。ところがああいう連中はただ金もうけに来たんですから試合前に金は分けちゃって負けると外に待たしておいた自動車でどっかに逃げちゃうんです。(笑声)そういう風な面白い事もあり、あの時分のアメリカの柔道の人気というものは実に大したものでした。 石黒 野口潜竜軒というのは自ら八段と称して柔術の通信教授をやってたが、それがすごいもので、講義録はごく秘密に送るもので「無断他言を禁ず」というんでモッタイをつけて金をとったんですね。 高垣 それは竜虎の巻というのがあったんです。 石黒 とにかくそれを読みさえすれば大抵初段位くれるんです。それで芝公園五号地の野口潜竜軒のところの講義録で黒帯をもらったというのが講道館にもチョイチョイ来ましたね。(笑声) (後略) フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 神道六合流 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93%E5%85%AD%E5%90%88%E6%B5%81 帝國尚武會 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9C%8B%E5%B0%9A%E6%AD%A6%E6%9C%83 メニューページ「1915.11.30 アド・サンテル 対 野口清」へ戻る |