1916.2.5 アド・サンテル 対 伊藤徳五郎(1)

 

 

Stanford University

HOOVER INSTITUTION LIBRARY&ARCHIVES

邦字新聞デジタル・コレクション

Hoji Shinbun Digital Collection

Japanese Diaspora Initiative

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Shin Sekai / 新世界 [The New World], (San Francisco, CA)

Nichibei Shinbun / 日米新聞 [The Japanese-American News], (San Francisco, CA)

 

 

 

新世界 Shin Sekai, 1915.12.19 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19151219-01.1.3&e=-------en-10--101-----------

 

●柔道復讐試合

▼サンテルと三宅太郎氏

野口自稱八段が無残なる敗を取りしサンテル氏に對し復讐戰をなすべく目下紐育に滞在中の三宅太郎氏に交渉するものあり愈々議成立して來月四日勝負をなす事に決定せりといふ同氏は欧羅巴を巡遊しで到る處柔道を試みたる人にして柔道にて自分を倒せば幾らでも與ふべしと豪語しゐたりと

 

紐育=ニューヨーク

 

 

新世界 Shin Sekai, 1915.12.21 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19151221-01.1.3&e=-------en-10--101-----------

 

●伊藤五段闘はん

▼サンテル氏と柔道試合

野口自稱八段が過般アド、サンテル氏のため無惨なる敗を取り日本柔道の眞価を疑ふもの續出したるため在留同胞の敵慨心は極度に達し何とかして實力ある柔道家を招聘してサンテル氏と復讐戰を試みんと物色中なりしが過般來南米方面に武者修業を試み戰へば必ず勝ちを制したる講道館五段伊藤徳五郎氏が目下紐育に滞在中なるを幸ひ某氏がサンテル氏との復讐戰を勧誘したるに早速快諾したる由に付き近々サンテル氏に試合を申し込む手筈なりと尚伊藤五段は講道館に於ける四天王の一人にして従來白人ボクサー或はレスラーと試合をなせる際の如き三番勝負中一回だに敵に勝ちを與へずして敵を斃したる程の達人にて近日中に來桑すべしと

 

桑港=サンフランシスコ

 

 西海岸の日本人が、打倒サンテルのために担ぎ出そうとした人物には、三宅太郎と伊藤徳五郎の2人がいました。結局、伊藤が先にサンテルと闘うことになりますが、この2人の間に因縁が生じます。

 

 

新世界 Shin Sekai, 1915.12.22 Page 3

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●伊藤五段快諾す

▼本日對手と交渉の筈也

嘗てシアトルの道場に師範役を勤め其後南米各地の武者修業を終へ目下紐育滞在中の講道館五段伊藤徳五郎氏がアドサンテル氏と復讐戰を快諾せる事は既報の如くなるが昨日本社記者高村氏宛サンテルとの試合に關する交渉一切を委任する旨の電報到着せるにつき本日試合を申し込む筈なりと尚ほ伊藤五段は現講道館師範役三船六段の兄弟子にして今日まで白人ボクサー及びレスラーと七十餘回の試合を試みたるが常に第三回目の勝負を試みずして勝を制したる程の剛の者にして年齢三十二三の男盛り重量百四十五封度(はうんど)ありと

 

 

新世界 Shin Sekai, 1915.12.24 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19151224-01.1.3&e=-------en-10--101-----------

 

●伊藤五段サンテルと闘はん

▼試合の日は來月廿二日

野口自稱八段がアド、サンテル氏との試合の際無残なる負を取りたる以來日本武士道の精華たる柔道の価値を疑ふもの續出せるため在留同胞の敵慨心は極度に達し如何にもして實力ある柔道家を招聘しサンテル氏と復讐戰を試みさせんと各方面に適當なる人物を物色中なりしが南米地方武者修業中到る處にて白人レスラー及びボクサーと連戰連勝せる講道館五段伊藤徳五郎氏が目下紐育滞在中なるを幸ひにサンテル氏との復讐戰を勧誘したるに早速快諾し伊藤五段の知己なる本社記者高村氏宛該試合の交渉一切を委任する旨の電報到着せるにつき高村記者は早速伊藤五段代理人としてサンテル氏宛試合を申し込みたるに

▲サンテル氏 は申し込みを快諾し愈々來月二十二日伊藤五段對アド、サンテル氏との試合をドリームランドリングに於いて擧行すべく決定せり試合の條件は三番勝負にて一試合はニ十分以内に制限し何れも力盡くる迄闘ふべしと

▲講道館の四天王 伊藤五段は講道館四天王の一人に數へられ年歯三十二三の男盛り体重百四十五封にて今日まで白人レスラー及びボクサーと七十餘回の試合をなし常に第三回目の勝負を試みずして勝ちを制したりと云ふ斯の如き柔道の達人と落機以西には敵なく目下日の出の勢なるレスリングの名手アドンテル氏との試合は蓋し近來の見物なるべし尚伊藤五段は現講道館師範役三船六段の兄弟子にして技の鮮やかなる點に於いては定評ある人なり因みに高村記者は伊藤五段代理人としてサンテル氏との試合の交渉に當りたるも該興行方面には何等關係なきものなりと

 

 落機=ロッキー(山脈)

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.01.04 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19160104-01.1.3&e=-------en-10--101-----------

 

●伊藤五段紐育出發

▼沙港を経て來桑

怪力サンテルと仕合交渉中の講道館五段伊藤徳五郎氏本四日紐育出發沙港経由來桑の途に就く旨知人の許に通知ありたりサンテルとの仕合交渉進捗本明日仕合契約に調印を見るに至るべしと

 

沙港=シアトル

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.01.16 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160116-01.1.3&e=------191-ja-10--31-----------

 

●伊藤五段試合

▲二月二日と内定

講道館五段伊藤徳五郎氏がアド・サンテルと眞劔試合をなさん爲め去る十三日急遽紐育より西下し目下シヤトルに滞在中なると既報の如くなるが昨日同地より本社に達したる特信によれば同氏は明十七日シヤトル出發途中ポートランドに立寄り兩三日中に着桑の豫定なり尚ほサンテルとの試合は二月二日と内定し夫れまでは佛教會の道場を借受け日夜旺(さか)んに練習を爲す筈なりと同氏は世に定評ある柔道の達人にて彼の野口自稱八段輩とは自ら其の選を異にす當夜サンテルとの試合こそ實に空前の壮観を呈せん

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.01.17 Page 5

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19160117-01.1.5&e=-------en-10--101-----------

 

シヤトル(十五日)

●伊藤五段帰沙

▼相手サンテルを評す

講道館五段伊藤徳五郎氏は紐育より當地に向ひ十二日午後八時着の筈なりしが途中雪の爲め汽車遅れ漸く本日午後二時十五分大北鐡道にて着舎したり

▲師範は不相變 大元氣にて出迎への記者に温き握手を交換し快活に談つて曰く何と云つても沿岸は暖かですよ紐育を去つてチカゴに來ると其寒氣の酷い事此邊の人の想像以上ですよイヤ實に寒い

▲桑港で競技 する事に就ては實は對手のサンテルと云ふ人は知らぬが一つ行つて見る積りで彼の体量は二百八十斤だと聞いてゐたが實は二百斤だとの事です

▲二百八十斤 の体量と云へば見事な馬の如(よ)うなもので紐育に居るジヨローヂと云ふ力士は体量二百八十斤でステーヂ以外ではゴツチより強いとの評判で此人に打ち衝つて見たが成程大きい一寸突いた位では迚(とて)も動かない随分強い力士であつた

▲サンテル氏 が二百八十斤もあると其体量に於ては迚も及ばぬ自分は今から四年前當地を去つた時より十六斤殖へて今は百六十斤である併し彼が二百斤が事實であらう右のジヨロヂーと競技すれば勝つか負けるや判りませんね

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.01.18 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160118-01.1.3&e=------191-ja-10--31-----------

 

●伊藤師範抱負

▲試合は虚心平氣でやる

昨十七日シヤトルを出發し桑港南下の途に就きたる伊藤師範が同地の歓迎會席上に於て述べたる南米武者修業談及びサンテルとの試合に關する抱負を左に紹介せん

▲講道館の柔道 を世界的の者に仕度い成るべく多くの人に普及仕度いと云ふ希望目的から去る明治四十年にシヤトルに道場を設立しましたが先輩有志諸君の御援助によつて今日まで繼續する事を得斯く多數の道場員を有する事は衷心より欣幸とする所であります

▲沙港道場を 公共の物としては如何かと云ふ話があつたが自分は如何なる方法でもよい繼續されれば目的を達するのであるが此様な性質の物は公共の物にしても繼續が難かしい寧ろ其道場の師範なる者が道場と進退苦樂を共にするが適法であると考へて今日に及んだ幸ひに道場員諸君の努力と有志の後援により今日迄繼續されたるは深く感謝する次第である

▲伊藤は世間を 知らぬと云ふ批評を屡々聞きましたから一ツ世間を見やうと考へて今から四年前當地を去り加州を南に去つて中南米メキシコからグアテマラー、コーヘリーからホンヂユラス、それから秘露(ぺるー)から智利(ちりー)、アルゼンチン各地を経てブラヂルからアマゾン河に添ふて紐育に出でチカゴ聖ポールの極寒を通過して帰つて來ました斯く世間は見ましたが見れば見る程判らないものは所謂世間

▲紐育に帰つて 漸く西海岸の事を知りました、此四年の間に河野初段其他二人の柔道家が死んで仕舞つた、シアトルに帰つて來ると知つた人が大分死んでゐる併し自分はこれが變遷であると思ふ

▲桑港で試合を するに就て元來柔道は勝とか負るとか云ふ事の外に超然たる者である、桑港に行くに就ても自分は虚心平氣である、併し自分の奉ずる柔道の技に對しては充分に注意をして諸君の期待に背かざらむ事を信ずる云々

 

●附込む積りか

▲強力の三宅太郎

サンテルに對する復仇試合を行はしめんと欧米に強力日本人の名ある紐育の三宅太郎に其交渉したものがある一旦承諾して新年早々に桑港に於て試合を爲す事となり舊臘中に着桑と略(ほぼ)決定して居たのに同人は附け込む積りか一寸話しの出來ぬ様な條件を申込み來り發起人も之れに手を焼きて交渉を中止した聞けば三宅は紐育で一回數百弗も儲かる試合が二つ三つもあつて西部に向ふの必要のないのだと云ふ事だ

 

 舊(旧)臘=昨年の12月

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.01.19 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160119-01.1.3&e=------191-ja-10--31-----------

 

●伊藤師範出發

     ▲明廿日着桑の豫定

一昨十七日シヤトル出發の筈なりし講道館五段伊藤徳五郎氏は豫定を變更して昨十八日出發ポートランドに一泊の上本十九日朝シヤスタ線にて同地發明二十日着桑の旨電報ありたり

▲伊藤氏後援會 尚ほ當地の有志は伊藤氏の爲め後援會を組織することとなり之が相談會を本夜八時より桑港倶樂部に於て催ふす筈なれば賛成者は振つて出席ありたし

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.01.21 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19160121-01.1.3&e=-------en-10--101-----------

 

●拳闘家と無條件試合希望伊藤氏

▼伊藤五段昨日來桑す▼南米武者修業四年半

桑港にて連戰連勝の力士サンテル氏と柔道試合の爲め紐育より遥々西下せる講道館五段伊藤徳五郎氏は昨日着桑名古屋ホテルに投宿せり丈は高しと云ふに非ざれども長年錬へたる骨格逞しく浅黒き顔に微髯を貯へたり東北言葉の重々しく四ヵ年半に亘る南米各地の武者修業に就き語て曰く『予は内部及び赤道直下のエクオーターの如きを除きて殆んど

▲全南米を踏破 したり同地方は歓楽の謳歌者ラテン系白人の多き所とて運動盛んなりと云ふを得ず但予は到る處試合を試み格好の對手無ければ前田、佐竹の講道館五段連と組んで地方を廻りたる事もありき最も手強き對手はコロンにて身長六尺一寸重量百九十パウンド計りのフエスモーと云ふ拳闘家との試合にて先方はボクシング予は柔道にて之とは三分間一ラウンドとて第二回目にて

▲勝を制したり 又パナマにシングフイングなる人あり非常なる力を有し彼の三宅太郎氏の如きも大分な苦戰奮闘をしたる者なるが力の強き爲め寝技をしてゐても其儘宙へブラ下げると云ふ程なりしが之には首締めにて九分間にて勝つを得たりサンテル氏との試合が済めば先方はボツクシング自分は柔道にて勝負をする人と試合したし但し百五六十封即ち自分よりも余り重量多き人は直ちに引き受ける譯には行かず云々と語れり猶同氏は昨夜佛教會道場に於て道場員を相手に稽古を行ひたるが爾後毎夜八時より同所に於て稽古を行ふべきを以て同好者は遠慮なく來場教授を乞はるべしと

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.01.22 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19160122-01.1.3&e=-------en-10--101-----------

 

●伊藤五段アドサンテル試合

▼昨日愈契約書調印▼興行準備中

伊藤五段は一昨日午後着桑以來々訪客の爲め頗る多忙を極めつつあるも一昨夜佛教會道場にて小手試しの稽古を行ひ昨夜より愈々本稽古を開始し京野、高橋兩二段佐藤福士兩初段其の他道場員を相手に柔道角力の稽古を行ひ同時に渡邊郡山兩氏等と共にボクシングの稽古も行ひたるが爾今毎夜猛烈なる稽古を試むべく同道場にては日曜日は午後二時前後にも一と稽古を乞ふの内議あるや也

▲サンテル氏の意氣 伊藤五段が虚心平然更に大敵と會するをも念とせざる如き一方怪力士サンテル氏は意氣頗る軒昂飽く迄必勝を期するものの如く一昨日は飄然郊外に出遊冷水中を殆んど終日遊泳し帰へるや直ちに鼻下の美髯を剃り落し之れ亦た猛烈なる練習を行ひつつあり

▲契約調印 昨日プロモーターたるドリームランド持主ゴールドバーグ氏サンテル氏同伴本社を訪問し愈々サンテル氏と伊藤五段代人高村氏との勝負契約書に署名を了したるを以てゴールドバーグ氏は諸般の興行準備中なり

 

 

 サンテルの道着姿の写真が掲載されています。

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.01.23 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19160123-01.1.3&e=-------en-10--101-----------

 

●例藤五段歓迎會 遠からず太平洋沿岸のチヤンピヨンたるサンテルと試合すべき講道館五段伊藤徳五郎氏の爲めに今夕六時より大黒屋に於て有志の歓迎會あり出席希望者は大黒屋又は大成堂まで申込まれたしと但し會費は一弗五十仙

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.01.27 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19160127-01.1.3&e=-------en-10--101-----------

 

●サンテル氏亦勝つ

▼伊藤師範も窃かに見物

二月五日伊藤五段と立會ふべきアッド・サンテル氏は一昨夜自分よりも約五十封も重きマナゴツフなる選手と試合して勝ちたるが之より先き同氏はマナゴツフと角力して二回乍ら勝ちたれど何れも同氏得意の足の逆(トー・ホールド)の一手なりしかば友人は該十八番を除外して更に勝負を試むべきを勧告しサンテル氏も快諾しさてこそ立會ひたる次第なるが三回の内二度迄勝ちたり伊藤五段も窃かに見物に行き居り始めてサンテル氏の業を見たるが其強力なるには嘆賞を惜まざりしと云ふ

 

 

 伊藤戦を前にしてもサンテルは普通に試合を行なっていたようです。

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.02.01 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160201-01.1.3&e=------191-ja-10--31-----------

 

●勝は伊藤師範かサンテルか

▲桑港の人氣高潮

野口自稱八段を破つた強力サンテルに對する復仇の試合は愈々來る五日ドリームランドに於て伊藤師範に依て行はれる事となつた

▲仇は打てる か返り討ちとなるかは昨今邦人の血を湧かす話柄となつて居る斯くて人氣は高潮に達して居れば同日は一大人氣を來して満堂破れん程の大入を來すならん偖(さて)市中の小田原評議を聞くに伊藤師範は講道館の五段是れ迄多くの米人チヤンピオンを破つた人なればサンテル位は何のその

▲一撃の下 にグツと謂はすと伊藤尊信派は謂ふて居る其れかと思ふと一方には伊藤師範とサンテルと比するとサンテルの方が年が二つ三つも若かし體量も又二三十パウンド多いサンテロも段はなきも少しは柔道の技倆を有して居る其體力本位より云へば必ずしも伊藤師範が克つ計りとは云へぬと云ふもある又一方には柔術は

▲日本の武術 として特有のものである而も力量のあるものに向つて力量の少き柔術者が倒す處が其特徴である伊藤師範が柔術の達人なるは何人も疑はぬ處である體量力量の多きサンテルに對して縱(よ)し伊藤師範が其二點に及ばずとするも之れを倒すが柔術の価値のある處である若し不幸伊藤師範が

▲敗を採る 等の事あれば此れは伊藤師範の技倆が足らぬ譯ではない柔術其物が全く価値のない事となる柔術が體力の優勝のものに勝てねば技術でもなんでもなし寧ろ柔術に不備の點のあるなれば之れを改良し同時に體力本位に練習するの必要があるのだと

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.02.02 Page 3

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●伊藤氏對サンテル

▼決戰の日近づけり

伊藤五段對アド、サンテルの試合は愈々期日近づきたるを以て市内同胞は到る所此話にて持ち切りなるが今決戰前に於ける兩氏の状況を報ぜんに

▼伊藤氏の練習 伊藤氏は毎夜佛教會の道場に於て柔術、相撲、レツスリングの練習をなし居れるが柔術には講道館の三段たる山下氏二段高橋氏外二三名あれば伊藤氏の相手となりて練習には十分ありボクシングには氷山氏ありレスーとしては講道館の柔道家にてレスリングを學びたる人ありて入り代はり立ち代りて伊藤五段の對手となり居れば練習にはことを缺かさず伊藤氏の元氣も盛んなるものにて眼中強敵なき有様

▲サンテルは 是亦非常なる元氣にて如何なる強敵にても來れ相手を選ばずと宣言し昨夜の如きは十人勝抜きと云ふ掛聲にてヘビー、ウヱイトのボクサー、チヤーレーミラー二百廿磅(ぽんど)と云ふ強敵を始めとしフランク、ビアンコ、ルー井ス、マーレー、大博覧會場に於て力量第一の賞を得たるアレクス、カラシツク等都合十名を抛げ續くる事を承諾せる如き恐るべき勢にて是亦伊藤氏との勝負は格別心にも留めざる如き有様なれば此兩氏の試合こそ眞に龍攘虎撃の観を呈するなるべし

▲入場券の販賣 入場券は、一弗一弗五十仙二弗にてリング、サイドの上等席は豫め賣ひ置かざれば不足を感ずるならんとの豫想にて上町にては木大盛堂小野五車堂名古屋ホテル亀屋商店下町にては木大成堂支店峰岸支店にて販賣する事となり居れるが人氣は非常なるものなりと

 

下段に試合の広告もあります。

 カラシックは後にハワイのプロモーターとなった人物でしょうか。

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.02.04 Page 3

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●伊藤氏勝たば

▼ガッチとの試合か

サンテル對伊藤五段の決戰は愈明夜となりたるが伊藤氏若し勝を得ば目下世界のチヤンピオンたる肩書を有するフランク、ガツチと試合をする事となるべし其次第はと云ふにアド、サンテルが連戰連勝落機以西のレスラーにて何人も之に敵せざるのみか一夜十五人の強敵を倒すと云ふ如きは此社會のレコードにも無き事なれば世界のチヤンゼオンたる肩書を競争するとも決して出過ぎたる事に非ずとてドリームランド、リンクの持主たるシーラー氏は世界のチヤンピオンたるフランク、ガツチに試合を申し込みたるがガツチ氏は忽ち返電して言ふ若此契約を履行する爲一千弗の保證金を積まば二月二十二日に試合をなすべしとありたればシーラー氏も無論此位の金は積立つるを以て先づ契約は出來たるも同様なり而して此ガツチと言へば米國内は言ふに及ばず欧州邊迄怪力無類のレツスラーと知られ未だ會つて何人も打負かす能はざるものにて嘗つては常陸山等が東行の際にも同氏一行がガツチの力量に舌を捲たる者なり敵と取組むや物も言はせず引抱へ倒(さか)にし其儘提(ひつさ)げてマツトに肩を押しつけると言ふ怪力の人なるがサンテルとガツチとの勝負前に伊藤氏がサンテルに勝たばゲームの規則としても伊藤氏がガツチに試合を申込むべき権利ありプロモーターの側にても決して其儘に看過せず必ずガツチ對伊藤氏の大勝負となる事ならん兎にも角にもサンテル對伊藤氏の試合は極めて大事の勝負となり來りたるものなり

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.02.06 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160206-01.1.3&e=------191-ja-10--31-----------

 

●伊藤師範

昨夜豫定の通りサンテル對伊藤師範の大試合はドリームランド・リングにて擧行せられしが最初は約二十分揉合ひ引分となりしも二回の勝負に伊藤師範は胴締めを爲せしもサンテルが仰向に倒れし爲後頭部を打ち其上サンテルが首締めをせし爲め伊藤氏人事不省となり残念にも伊藤氏の敗となれり

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.02.06 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19160206-01.1.3&e=-------en-10--101-----------

 

●伊藤師範善戰して敗る

▼人事不省に陥ゐる

柔道復讐戰として在留同胞間に非常なる人氣を煽りたる伊藤師範對サンテルの柔道戰は昨夜ドリームランドリンクに開かれたるが柔道及びレスリングの數番の試合あり午後九時半より愈々本試合に移るサンテル氏先づ美髯を落してマツトに現はれ次いで伊藤師範出て來たれば同胞側よりの聲援拍手雷の如し審判官としては白人はデツトモー日本人側より京野二段紹介されベルの音を合圖に兩雄相立ち

▲握手の間も油断 無く茲に戰闘は開始されたり伊藤氏は敵の袖を握んで幾度か膝車に掛けて投げ仆さんとしたれども能はず暫くして伊藤師範隙やありけんサンテルを膝車にて投げたるも敵も去る者起き上り様却て上になり攻勢に出でてレスリング流の胴占めを爲して放さず此間嘗て疲労の色など餘り出したる事無きサンテルも流汗淋漓たるものありき伊藤氏最後に跳ね起きたるも規定の廿分間は経過して第一戰は引分けとなれり十五分間休息の後

▲第二戰に移り 十時十分より再開す今回は伊藤氏も大事を取りサンテルの巻き込みを巧みに外づし却て突き入て上より押へたるがサンテルの強力は伊藤氏を背中に負ふたる儘立ち上がり暫らくマツトの真中に立ち居るよと見るや突然伊藤氏を負ふたる儘後に仆れ返りたれば氏は百八十パウンドのサンテル胴体の下に強く打たれたる上に脳を打ち脳震盪を起し人事不省に陥りたるを之を知らざりしサンテルは直ちに乗り掛り得意の足の首占めを爲したれば伊藤氏の身體蒼白になりマツトを叩く意識も無かりしなり伊藤氏は第二回目には攻勢にて有望なりしも此爲め勝負を中止し結局勝をサンテルに譲りたり

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.02.07 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19160207-01.1.3&e=-------en-10--101-----------

 

●伊藤師範道敗戰雑聞

▼近く再擧復讐戰乎

敗け嫌ひで勝負好きな同胞間には伊藤對サンテルの柔道試合の結果が近頃にない大問題で昨日邊は何處に行ても此話で持ち切りの有様であつたよくあれだけ耐(こら)えた滅多に汗もかかないサンテルが流石に流汗淋漓たる有様だつたと伊藤師範に同情はするが偖(さて)て力の著るしく隔りのある一事は何人も否定し得ない▲此力の相違が立業、寝業を以て

▲講道館の四天王 と云はれた伊藤師範をして其術を下すに由無からしめたのである▲夫れでも伊藤氏は第一回に三度第二回に一度敵を腰車で投げ倒したがサンテルは直ちに跳ね起きて却て上から組み伏せて攻勢に出でると云ふ始末▲柔道の玄人側では力の無い者が有る者に組み伏せられるは自然で之れが勝負の大勢を定めるには足らぬと云ふが我等から見ると之れが既に

▲七分の敗けと 云た様な感じがする▲サンテル氏が肘を使つて伊藤氏の顔を押すと鮮血が出て兩者の稽古着は染められた▲日本人側の審判官京野二段は直ちに此肘を使ふのに抗議をする更に又手を以て伊藤氏の頭を押すのにも異議を申し立てる▲サンテルは一つ一つ之れ容れたが米人側は勿論日本人側にも此抗議を以て餘りに小事に拘泥するものとしてゐた者が多い様であつた

▲二回目の勝負 は四分四十秒で伊藤氏の敗に帰したが氏はサンテルの後側より首占めをかけんとしたるも悉く外づされ其内に敵は俄發(がは)と計りに跳ね起き子守が子供を背負ふ如く伊藤氏を負ひマツトの只真中に立つて暫らく考へてゐると見るや身體を少しく揺ぶつて勢を付けて後(のち)後に仆れたのだから堪らない伊藤師範は後脳を打つて七分の人事不省に陥つたのを更にサンテル得意の足にて首占めを爲したので師範はマツトを叩く暇も無かつたのだ▲斯くと見るや警邏の

▲巡査は數名 マツトに飛びあがり京野二段は活を入れて正氣付かした夫れ迄とてとても昂憤し切つて盛んに伊藤氏に聲援してゐた同胞見物は只もう喪心した者の様になつてゐた▲連れて行かれた伊藤師範は『未だやるか』と云ふと『やりませう只併し今實際僕が負けたのですか一體如何して敗を取つたのか説明をして下さい』と傍の者に聞いて始めて譯が分た次第である▲其所へドクター黒澤が來て

▲『師範は風邪で 試合前に百二度の熱があつた自分は試合は絶對に不賛成だと已めさせて仕舞つた暫くするとサンテル氏が來て『眞にお氣の毒でした全くの怪我勝ちなり且つは豫想しなかつた結果になり汗顔の至りです』と謝してゐた▲聞くと三年計り前にサンテン氏自身が某角力家と試合をした際同一の経験をして人事不省に陥ゐつた事があるのだそうである▲見物人は約千五百人計りあつて其内八割迄は日本人である入場料は千六百弗計りあつたそうで部割は七分三分の割だから

▲伊藤氏の手には 四百弗に足らぬ程の金が這入た筈である▲伊藤氏は講道館を代表する程の達人で従來幾回も米人にも勝た程の人なるが故に憤慨すると思つた見物人は只悄然として静かに出て行た▲柔道では到底も駄目だから今度は太刀山でも招んだら如何かなどと云ふ人さへあつた▲一昨日出帆した春洋丸の船客などには幾人も無線電信料迄置いて行て結果を知りたがつてゐた人が多かつた▲伊藤氏は昨日は一日中寝んでゐたが近く又復讐戰の企てがあると云ふ事だ

●サンテルは二流

   ▼柔道到底誇るに足らず

野口自稱八段を屠り更に伊藤師範を仆したるサンテル氏の名は同胞間に頓(とみ)に揚がりたるがサンテル氏は如何に強きには相違なきも只太平洋沿岸のチヤンピオンに止まりて米國としては第二流に過ぎず現に近くガツチ氏に試合を申し込みたりと云ふも其條件は二十分間の中にガツチがサンテルを破るべしと云ふにあり然かもサンテル氏好愛家すらも甚だ此

▲勝負を危ぶむ 次第なり又最近サンテルはシカゴのカーバラスと試合の筈なるがカーバラスは一時間の内に二回サンテルを敗かすとの條件にてサンテルは同人に一時間に二度は愚か一度にても敗るれば到底ガツチと二十分間マツトにて取組む能はずと自白し目下盛んに練習中なり元來サンテル氏は力よりも頭の人にて

▲臨機應變の策戰 に出づる事を得るが故に柔道の如き術を以て敵を制せんとするものに取りては確かに強敵なるは事實なるも併し前記の如くレスラーとしては米國にて第二流の人なり然るに之に對し柔道衣を着せて猶日本にて第一流の柔道家が敗を取るが如きは柔道の名譽に非ず日本は徒らに井蛙的なる大言壮語を止めて實力養成を爲すべしと某氏は語れり

 

 

 三本目を伊藤は闘う意思があったようですが、その体調不良を知る医師が止めさせたようです。華氏102度は摂氏38.9度です。

 両選手に配分されるという1600ドルは、入場料収入の総額ではなく、プロモーターの取り分を含めた諸経費を除いた後の額ではないかと思います。

 サンテル対ゴッチ戦で想定されたようなハンディキャップ戦は、体重差のある選手間の試合にはよくあったものです。賭けが成り立ち易くするためと思われます。

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.02.07 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160207-01.1.3&e=------191-ja-10--31---

 

●日本特有の武術たる

 柔道は如何程の価値ありや

▲伊藤師範は再戦を希望す

講道館四天王の随一と迄稱せられし五段伊藤徳五郎氏は一昨夜の試合に於て能くは戰ひしも遂に米國相撲のチヤンピオンたるサンテルに残念にも敗を採りしは邦人の無念と思ふ所にして又

▲日本武術 の眞価にも關係を及ぼす問題なるより一昨夜より昨日迄邦人が寄ると触ると此噂にて持ち切り居れり (後略)

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.02.08 Page 1

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19160208-01&e=-------en-10--101-----------

 

  新 世 界

國民の自覺を促せる事件

◎講道館五段の伊藤徳五郎氏がレツスラー、アド、サンテルと闘つて失敗をした事は大分同胞間の問題となつて居る、夫は尤もの事で伊藤氏は講道館の四天王、柔道家としては先づ日本第一流の人だ、此人がサンテルに負けたとあつては、伊藤氏の伎倆を是彼言ふのでなく、日本の柔道其者に就いて疑を起さずには居られない。

(後略)

 

 

 1面トップ記事です。影響の大きさがうかがわれます。

 

 次はいよいよ、三宅太郎がサンテルと闘います。

 

 

 

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