1916.4.8 アド・サンテル 対 三宅太郎

 

 

Stanford University

HOOVER INSTITUTION LIBRARY&ARCHIVES

邦字新聞デジタル・コレクション

Hoji Shinbun Digital Collection

Japanese Diaspora Initiative

https://hojishinbun.hoover.org/

 

Shin Sekai / 新世界 [The New World], (San Francisco, CA)

Nichibei Shinbun / 日米新聞 [The Japanese-American News], (San Francisco, CA)

 

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.01.06 Page 3

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●復仇競技相手

▲伊藤師範と三宅氏

野口自稱八段がサンテルと戰ひ悲惨の敗を採りしを以て日本武術の恥辱なりと同好者は痛く憤慨し會稽の辱を雪がんとサンテルの好敵手を捜し居りし處欧州にて強力なりとの噂高き三宅太郎氏を聘して桑港にてサンテルと競技させんと交渉せし處話は進行し十二月中桑港に到着する事となり居りしに如何せしものか今だ來桑せず其間にシヤトルの伊藤師範との交渉成立しサンテルも承諾し本日下旬愈々復仇の試合をなすに決し一昨日伊藤氏は紐育を出發せし譯なり曩(さき)に話しのありし三宅氏の方は殆んど交渉の纏まらざる事となりしより其發企人は少々鼻を明かされし氣味となり何れにしても三宅氏を桑港に呼びサンテル伊藤の競技に克ちしものを相手として花々敷試合をなさしめんと大に力味(りきみ)居れりと

 

 

 桑港=サンフランシスコ

 

 サンテル対伊藤第一戦より前の記事です。

 野口清の仇討ち?としてサンテルと闘う話は、先に三宅太郎にあったようですが、何故か実現しない内に、伊藤徳五郎が闘うことになりました。

 伊藤が敗れた後、いよいよ三宅太郎の出番となります。しかし、それにも紆余曲折がありました。

 

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.02.11 Page 3

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●サンテル強敵と戰はん

▲來る廿日公會堂にて

近來當る所殆ど敵なき有様にて旭日の勢なるサンテルは米國の大チヤンピオンたるガツチ氏の來桑したを期として來る二十二日市公會堂で大試合を爲すに決したガツチは一萬弗の賭けを要求したがサンテルは千弗を提供して談判が出來なかつたがドウ話しが付いたものか契約出來たらしい愈々サンテルが勝てば米國唯一のチヤンピオンとなる譯だ彼れとしては一生一代の大勝負である

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.02.11 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19160211-01.1.3&e=------191-en-10-tnw-1-----------

 

●ガツチ對サンテル

▼愈大勝負を見るべし

フランク、ガツチと言へば目下世界のレツスリング、チヤンピオンにして是迄如何なる人も勝つ能はざる怪力士にして日本の某力士も嘗てガツチに子供扱ひにされたる事あり大抵のレツスラーならば引き捕へて忽ち倒(さかしま)に抱へ兩肩をマツトに押し附くると云ふ評ある人なるが愈々來る廿ニ日アド、サンテルとシビツク オヱイトリアムにて試合をなす事となり一昨夜サンテルは契約書に署名したり此試合に就てはプロモーター側に暗闘ありて各斯る大勝負のプロモーターたらんとしドリームランドリンクのシユラー氏拳闘界の審判役として名高きハーレー、ホーレー氏と競争中なりしが遂にホーレー氏が勧進元となる事に決したる發試合の場所もシビツクオーデイトリアムと定められたるものなりと尚亦此試合はガツチが安目を賣り一時間にサンテルを二回負かすと言ふ條件なりと

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.02.19 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19160219-01.1.3&e=------191-en-10--51-----------

 

●對サンテル試合延期乎

▼ゴツチ稍々逃げ腰なり

世界のレスリング選手ゴツチと太平洋沿岸の選手サンテルとの試合はサンテルが近時賣出しの強力士なる事とて非常なる人氣を煽りつつありしが該試合は來る廿ニ日の華盛頓(わしんとん)誕生日の筈にて各方面に廣告したるが昨日に至りゴツチより右延期を申し込み來たり幾度電報や電話をかけても通ぜず請元側にても既に種々なる準備を爲したる事なれば今更迷惑なりとてサンテルの支配人シユラーは昨日羅府に向け出發して談判の筈なり

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.02.20 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19160220-01.1.3&e=------191-en-10--11-----------

 

●サンテル戰愈延期

▼ガツチより申し込む

世界のチヤンピオンなるガツチと當時賣出しのサンテルの試合とはサンテルが幾何の實力を有するかを見る好機として好角家の期待大なりしがガツチは昨日に至り正式に延期を申し込み來りたれば二十二日には興行不可能となり興行師は三月三日夜試合せしめんと目下運動中なりと

 

 

 下には「●太刀山闘はば ▼サンテルとの試合如何」という記事もあります。

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.02.26 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160226-01.1.3&e=------191-en-10--51-----------

 

●ガツチ對サンテル

▲愈々來月三日に闘はん

連戰連勝のアド・サンテルは今回は世界的チヤンピオン力士たるフランク・ガツチに當らんとして先日來交渉中なりしが兎角ガツチの方で氣乗りせず再三延期となれるが今度は兩力士の間に内交渉纏りたれば多分來月三日に當市に於て闘ふこととならんと

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.03.10 Page 3

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●三宅氏サンテルと勝負を決せん

▼同氏態々紐育より來桑

伊藤師範がアド、サンテルと試合をなす前より一部の人等の間には野口敗戰の恥辱を濯ぐ爲紐育に居る三宅氏を呼んで決戰せしめんと稱する者ありて既に交渉迄なしたるかの如き説ありしが其内に伊藤師範來りてサンテルと闘ふ事となり三宅氏の話は中止したりしが伊藤氏の敗戰に續いて又々三宅氏招聘の話始まりしも格別纏まりたる様にも聞かざりしに三宅氏は昨朝東部より突然來桑しサンテルと試合の希望を語りたる由サンテルはウヱスカードとの試合に耳を痛め療養中なれば此試合に應ずるや否やは未定なるも兎に角三宅氏は飽迄サンテルと闘ひ柔術に何者たるかを示さん決心なるが如し聞く所によれば三宅氏は拳闘レスリングに就ては東部にありて能く研究し是等の技術に向つて柔道の勝負をなしたる事何十回たるを知らずと之に就て三宅氏を知れる人の談話によれば柔道家としての技倆はどれ程なりやを知らざれど体格の大にて力量の優れたるは同じく柔道家と言ふ内にも同氏の利とする所たるのみならず敵を恐れぬ度胸の點に於ても同氏に取るべき點ならんと言ひ居たりサンテルは既に世人の知る如く力量と言はんよりも寧ろ脳力の活動甚しく機を見て策を施すに敏なるレスラーなれば此試合に向つては何人も勝負想像をつけ難き事なるべし三宅氏は一兩日中にテンテルを訪問して交渉を始むるなるべし

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.03.11 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160311-01.1.3&e=------191-en-10--61-----------

 

●サンテルはんとする三宅氏

▲日本武術家として

常勝力士サンテル氏と一快戰なすべく態々紐育より來桑せる三宅太郎氏を訪ふ身長五尺七八寸體量は百八十パウンド日本人としては堂堂たる體格なり體量身長に於てサンテルと相如(ひとし)き其風丰(ぼう)のブツコスと相似たるは奇なり語るらく來桑の目的は勿論サンテルと闘はんが爲めなりサンテル勿論強敵ならんも日本柔道家が屡々敗を採りては延いて

▲日本武術の威信 に關す柔術は日本武術の精髄なるに相違なしと雖も其以外の力を以て敵を破るも破れる者の日本人たる以上矢張り日本武術の譽なり余は講道館の柔道家にあらず日本固有の柔術を習得せる一個の三宅太郎なり此意味に於てサンテルと試合を申込まんとするなり彼まさか鐵身にもあるまじ努力して奮闘せば彼を破るべしとの自信を有す余は十餘年間幾百人の白人力士と試合たるも未だ二回と敗れし事なし必ずやサンテルを挫(くじ)きて日本武術の爲めに氣を吐くべし唯

▲伊藤氏は雪辱戰 を希望し居れるにより其申込を破りて余が先にサンテルと戰ふは友情に於て忍びざる点あり而し今は友情に偏し日本武術の名譽を閑却する時に非ずとも信ず兎に角期日は確定せざれど試合を申込む決心なり斯く自信を語りて東部及欧州に於ける自身のスポーテング・リポートを示したり成程過去の善戰を語るもの記載しあり此時に傍に在りたる同行の磯貝良之助氏は語を強めて

▲三宅氏の必勝 を云ひ殊に同氏は締込及び逆の柔術に達せるを説き過去の試合中大敵をば四十八秒永くて十數分間に遣付けたりと逐一其歴史を語れり而して試合の期日は明言し難きも近々中に行ふべしと語り伊藤氏との關係に就ては同氏より日本柔道の名譽の爲め雪辱戰をなしたければ武士の情を以て三宅氏の試合前に闘ふ様認められたしとありしも今は友情のみを論ずる時にあらざれば拒絶する考なりと語れり尚磯貝氏は柔道家にあらず武術に趣味持つ實業家なりと

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.03.12 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19160312-01.1.3&e=-------en-10--1--img---------

 

●三宅氏とサンテル

▼暫時試合を延期す

サンテルと試合せん爲態々紐育より來桑せる三宅太郎氏は伊藤師範が更に報復戰をなさんとしつつありと聞き友人にして先輩たる同氏を指置きサンテルと試合は禮儀を失する譯なりとし伊藤氏試合の後迄待つ事となせり尚亦三宅氏はフランク・ガツチと契約し置ける要事ありとて今朝南加に出發せり

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.03.12 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160312-01.1.3&e=------191-en-10-jan-1-----------

 

●友情は武術より重きか

▲三宅氏飄然羅府に去る

サンテル氏と闘はんが爲めに來桑せる三宅太郎氏は愈々其契約に取掛らんとせる際伊藤五段より自分はサンテルに對し雪辱戰をなしたければ武士の情けに懸けて試合を一時中止されたしとの申込あり強敵サンテルと闘ひたし去れど友情は重しと三宅氏は何れを採るべきやと頗る躊躇の状態なりしが軈(やが)て友情を捨て日本武術の名譽の爲めに闘ふべしと決せりと一昨日記者に語りしが昨日に至り飄然羅府に向け出發したり其語る所は同地に於て世界の選手ガツチと試合すべく申込あり契約の爲め赴くなりサンテルの方は伊藤氏との友情を重んじ一時中止となれり伊藤氏は月余の後試合をなすべければ其後自分はサンテルに試合を申込むべしと言ふにありたり竟(つひ)前日迄は涙を揮(ふる)ふて友情を捨て日本武術の名譽の爲めに勇を鼓して闘ふべしとありしが今や全く正反對となり何だか月夜に釜を抜かれたるの感なしとせず而し矢張り武士は涙脆く武術の名譽も一時友情の犠牲となせる次第ならん

 

 

 羅府=ロサンゼルス

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.03.13 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160313-01.1.3&e=------191-en-10-jan-1-----------

 

●試合の縺(もつ)れ

▲三宅氏は羅府で試合

サンテルと闘ふべく來桑せる三宅柔道家は伊藤五段がサンテルに對し雪辱戰をなしたければ三宅氏の試合は延期されたしとの申込ありとて試合を中止し一昨日飄然羅府に去り同地でガツチと闘ふ事となり伊藤五段對サンテルの試合は月餘の後と略(ほぼ)下相談ありたるらしくサンテル對ガツチの試合は近日中羅府に於て行はるる様先日來交渉あり各闘士の試合は桑港と羅府とて小(こ)六ヶ敷(しく)縺れ合ひ居れり而して實際は尚一層縺れ合ひ居りて三宅柔術家の羅府に赴きしは實は同地でサンテルと試合するの下交渉ありしらしと言へば其試合のガツチ對三宅ガツチ對サンテル三宅對サンテルとなる譯なり之に伊藤五段にして首尾克くサンテルに雪辱し得るとすれば今度は桑港又は羅府に於てガツチと闘ふ事となるべく目下日米兩選手の試合は桑港羅府を中心として卍巴に縺れ合ひ居り

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.03.16 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160316-01.1.3&e=------191-en-10-jan-1--img---------

 

●サンテル危く免かる ▲デメトラルの奮闘」という記事中に、「ガツチに試合に申込めるサンテル」という記述があります。サンテルにはまだゴッチと闘う意思はあったようですが、実現したという情報は見つかりません。

 

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.03.16 Page 5

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160316-01.1.5&e=------191-en-10-jan-1-----------

 

●三宅柔道家來羅

伊藤師範の復仇戰を爲すべき決心にて過般紐育より桑港に赴きし三宅柔道家にはサンテルとの試合は伊藤師範に對する情義上一時中止する事とし去る日曜日來羅ミカドホテルに投宿せるが聞く處に依れば同氏は岡山縣知名の柔道家田邊又右衛門氏の高弟として斯道の研究に従事し其後關西第一の達人半田彌太郎氏に就き更らに修養を重ね在郷中は斯界無敵の強者として盛名を歌はれし人の由なるが今回當市にて米國レスリング界のチヤンピヨンとして雷名あるガツチ氏と競技すべく來羅せし由にて氏は往訪者の間に對し同胞の期待に背かざる確實ある旨を以てせし由

 

新世界 Shin Sekai, 1916.03.16 Page 6

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南加通信

●三宅二段來る

▼近くガツチと試合

既記の如く柔道家三宅太郎氏はサンテルと戰ふ可く出桑し來れるも伊藤師範が是非共復讐戰を行ひたければ一ヶ月の延期ありたしとの希望に依り之を承認し先づ其の以前に當地に於てレスリング世界チヤンピオンなるガツチに紐育を發する前タイムス社を介して挑戰の旨を通じ置きたればサンテルと戰ふ前にガツチを戰はんとて直に當市に來れるが同氏は体量百七十五斤ありて堂々たる体格のみならず日本に於て東の嘉納西の半田と云はるる大坂堂島裏に金看板を掲げ居る半田彌太郎氏の門弟にして且つ養子となり居り郷国に在る時も武徳大會其他の會合に驍名を轟かし其後欧州に赴き藤野氏を支配人として好成績を擧げたる人なれば對白試合には最も得難き人なりといふ

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.03.20 Page 5

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▲目下在羅稽古中なる三宅柔道家は本日午後九時半よりレコード新聞社階下に於て白人新聞記者に對し日本柔道の妙技を示す由

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.03.21 Page 6

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南加通信

●三宅氏の挑戰

▼ガツチは不承諾

過般來羅したる柔道家三宅太郎氏は桑港に於て伊藤師範の切なる希望もある旁々(かたがた)當地在留の世界チヤンピオンガツチに申込あれば先づ第一に同人と試合をなすべく南下したるがガツチは其の名聲嘖々(さくさく)たる選手なればサンテル其他の人々を敗りたる上ならば兎に角今日直に試合をなすべくもあらずと聞き三宅氏の勇心は勃々(ぼつぼつ)たるにも拘はらず伊藤氏のため一ヶ月以上を耐ゆるは實に忍ぶ可からざる事なりとし遂にサンテルに向つて申込をなすに至りし由にて數日前より毎夜北サンビドロ街河本床奥の柔道稽古場に於て葛西先名、磯貝等の各二段を相手として稽古中なるが其の体格の優れたると力量多きを以て何れも小児の如く扱はれ居るが此の怪力を以て戰ふに於てはサンテル如何に強しと雖も之を敗るを得べく今回の復讐戰は此の人ならでは能ふまじと見物者は何れも語り居たり

 

 

 サンテルと三宅は、それぞれゴッチ戦を目指すも実現せず。ゴッチと闘えなかった者同士で闘うことになりました。伊藤徳五郎の方はサンテルと再戦の話がまとまっておらず、結果として三宅が伊藤を出し抜いた形にはなります。

 プロレス界でのキャリアが長い三宅の動きに、西海岸の邦人、邦字紙が振り回されている感もあります。

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.03.24 Page 6

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南加通信

 …

▲三宅柔道は近々中ホールの決定次第當市に於てサンサルと試合をする事となり目下連夜稽古に熱中せり

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.03.29 Page 6

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南加通信

●三宅とサンテルの決戰

▼來る八日當市にて

三宅柔道が伊藤柔道と一ヶ月猶豫の上戰ふべしと約せるも西下以來何のなすなくして過ぎれば愚の極なりとし其後サンテルに試合申込をなしたる事は既記の如くなるが過般サンテルのサンデーゴにありと聞くや藤野氏よりサンテルに打電して其の日取を決せんと促したる處サンテルは來る四月八日を以て當市に於て競技すべしとの回答をなしたるを以て勝つか敗くるか野口八段、伊藤の復讐戰は當市に於て執行さるるべく目下北散街の柔道部に於ては毎夜稽古中にて土曜日は白人レツスラーに 有名なる人々も立合ひしが一擧にして倒さるるに至り此分にては三宅柔道は野口、伊藤の如き敗を採る事なかるべし頗る大人氣にして何れも其の當日を期待し居れり

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.03.30 Page 5

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160330-01.1.5&e=------191-en-10--41-----------

 

ロスアンゼルス 廿八日)

●三宅サンテル試合

▲四月八日シユライナ會館にて

伊藤師範に對する復仇戰を爲すべく遙る遙る紐育より桑港に出で其後都合あつて羅府に轉じ目下當市北サンビードロ街南加武徳會道場に於て毎夜同胞柔道家を相手に稽古に勵みつつ居る故國關西柔道界の達人三宅太郎氏は對サンテル復仇試合に就き紐育出發以來の希望を達し愈々來る四月八日夜シユライナー會館に於て兩雄相見ゆる事となりしが三宅氏支配人藤野氏並にサンテル兩氏間に辯護士ライトの手を経取交はされたる試合に對する條件は左の如し

一、双方共に稽古着を着くる事

一、三宅氏は柔術の手を用いサンテルはレスリングの手を用ゆる外亂暴を禁ずる事

一、試合は三回共ニ十分とす

一、決戰は三回中二回勝たざる可からず

 

 

新世界 Shin Sekai, 1916.03.31 Page 3

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●サンテル又勝つ サンテル氏は一昨夜ドリームランド、リンクにてヴイサーなる力士と會戰したるが始めは一時間十分にて第二回戰は十九分四十五秒にて同人に勝ちたり尚同氏が來月八日羅府に於て紐育の三宅太郎氏と柔道試合を爲すべき事羅府通信にあるが如

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.04.09 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160409-01.1.3&e=-------en-10--181-----------

 

●三宅對サンテル戰

 三番共引分け

▲観客約三千五百名

三宅太郎對サンテル三本勝負八日午後八時羅府シユライン・オデトリアムに開催前仕合數番の後當夜の大番組となり野口自稱八段伊藤五段の復讐をなし柔道の精華を示さんと意氣込たる三宅氏、柔道恐るるに足らずと豪語したるサンテルの兩人登場するや三千五百の観客の滿場破るる計りの拍手轟き亘り振鈴一番を合圖に試合開始され兩氏は龍攘虎撃の勝負をなし暫時揉み合ひ締つ投げつする内に規定のニ十分は経過し振鈴 番引分けとなり十分間休憩の後二番目の勝負開始されしも第一回目同様引分け第三回目も引分けとなり勝負は残念ながら全部引分けを以て終りたり(羅府支社特電)

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.04.10 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160410-01.1.3&e=-------en-10--181-----------

 

●三宅對サンテル戰

▲京野三段の批評

三宅對サンテルの試合ひ引分けに終りたるに就て滞桑中の京野三段の批評を聞く『今回の三宅氏對サンテルの勝負は未だ詳報に接せぬから何とも言へぬが察する處三宅氏は最後迄安全を期し勝味に出でず結局引分けとなつたのでは無いかと思はれる曩(さき)に野口自稱八段敗れ次で伊藤五段惜しくも敵に一籌(ちう)を輸した後の今回なれば復讐的意味もある事故假令(たとひ)美事なる大勝を博さずとも聊(いささ)か柔道の爲め氣を吐いた譯之れは祝するに足る思ふに三宅氏は百七十五封度と云ふ日本人としては珍らしき體量並びに其體力と十數年海外に在つてレスリング、ボクシング等數知れぬ對手に接し勝敗幾度依つて得たる敵を知るの明と最後に飽迄勝たんとせず換言すれば決勝を急がず堅固なる防禦手段に出でたのが左しも連戰連勝のサンテルをして乗ぜしめなかつた所以であらう然し之れとても手取りの詳報を得た後ならでは断言されぬが元來柔術其のものが術者にして防禦以外に出でなかつたら決して破らるるものでない雖然(けれども)若し三宅氏がサンテルに敗れぬからサンテルに敗れた伊藤五段より強いと云ふ者があれば夫れは一考を要すると思ふ敢て伊藤五段の辯護をする譯ではないが同氏は今日迄如何なる強敵に對しても徹頭徹尾攻勢に出で然も敗を取つた例は全く無いと云つて宜い乃でサンテル對三宅氏の體量と伊藤氏對サンテルの同じく體量の懸隔を第一にし更に十有餘年海外に在つてレスリング其他の呼吸を熟知するを得た三宅氏の経験等も亦考へに入れ而して後兎角の議論をせねばならぬと思ふ云々

●深夜の鬨の聲

▲上町警官の悪戯で

羅府に於て一昨夜三宅太郎氏對サンテルの復仇試合が行はれ上町五車堂が勝負の電報を採ると廣告したので十時頃には血に湧く年は數百名店頭に集り今に來るかと待ち兼ねて居た午後十時半頃

▲突然に米人 より電話が掛つた『自分はエキザミナーだが今羅府の三宅對サンサルの試合の電報が來たサンテルは最初二回とも脆くも三宅に敗を採つた』と待ちあぐんだ連中の事とて其の

▲電話の真否 をも確める暇もなく三宅勝つ』と大書して掲記した集りし群衆は『日本人克つた目出度い』と數百の口よりドツト深夜の鬨の聲を擧げ附近の日本人の夢を破つた之れを聞いた警官は何事が起つたりと三人現状に集り内外を警戒した十一時三十分になると

▲羅府より飛報 あり『三回とも引分け』との本當の知らせが來たので始て先のは一杯行懸(ひつか)かつたと知れ断つて先の掲記を撤回した其旨掲記した處、形勢は険悪となり『五車堂を打砕せ』と叫んだものもあつたが三宅の負けでなく引分けたと謂ふ處で一同虫を殺して勝負談に三時頃迄上町は賑つた

▲不思議のは 先の電話であるエキザミナーに聞けば其んな電話はせぬとの報道其内警官に事情を話すと『アレか、アレは日本人を驚かさんとてラグナバーより偽りの電話を掛けたのだ』と警官も人の悪い事

▲該報を信じ て祝宴を開いたものもあつたアトで聞いて腹立つて杯を抛つたものもある尚ほ一昨夜遠きは櫻府等より電話で勝負を聞きに來た又勝負に賭けをしたものも多かつた矢張り邦人は勝負事に血の湧く國民である

 

 

櫻府=サクラメント

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.04.11 Page 5

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160411-01.1.5&e=------191-en-10--41-----------

 

ロスアンゼルス 九日)

●三宅とサンテルの

 試合詳報

サンテル對三宅氏の試合は既定のニ十分間三回の決戰を試みたる後優劣決せず遂に引分となりたる事は既電の如くなるが當夜は左しもに廣き會場なるシユライナー大會館も午後五時頃より雲集し來る観客にて定刻八時には寸地も剰さず其數三千五百と註せられ然も其の大半は邦人なりき兩氏の試合に先立ち餘興として若柳、若港、朝汐辰嵐の相撲あり次に白人のレスリング競技等數番を終り愈々當夜の眼目たる三宅氏對サンテルの試合に移りたるが何が扨(さ)てサンテルに連戰連勝の意氣あれば一方三宅氏亦野口、伊藤兩氏の復讐戰てふ観念あり兩者互に必勝を期し戰前先づ一陣の凄風塲を捲くものあり軈(やが)て兩雄マツトに現るれば拍手喝采湧くが如し機を見て三宅氏進み出で二人マツトの上に仆し揉合ひたるも勝負決せず第二戰亦同様なる結果を見たるにぞ三回目は兩雄倶に必死の態度にて勢猛に戰ひ双方屡々危険なる地位に陥りては盛り返し最後に三宅氏の掛けたる首締め成功せるやと疑はれしも外され折返してサンテルが例の足挟みを掛けしも之亦効無く遂に既定の三十分間を経過し引分となりたり以上三勝負を通じて見逃す可からざる一時は常に攻勢に出づるを誇りとするサンテルが當夜のみは守勢を以て終結せし事にして三宅氏も亦之に對し手の下さん術無かりしやに見られたり因に當夜の収入は概算二千五百弗前後なるを以て諸雑費として五百弗を控除するも兩者各々一千弗は手にせしならんと猶近く再戰決勝を争ふ由なるが其は更めて報ずる處あらん

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.04.11 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160411-01.1.3&e=------191-en-10--61-----------

 

●サンテルの試合談

▲三宅は始終防禦的

羅府にて三宅太郎氏と闘ひ引分けとなりし剛の者サンテルは昨朝帰桑したるが試合の模様に就て語る『何分にも三宅は床の上へ寝たつきり始めから終りまで防禦的だつたので見物人には面白くないこと夥しかつたらう』云々

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.04.17 Page 5

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160417-01.1.5&e=------191-en-10--1--img---------

 

●伊藤師範の稽古 滞羅中なる伊藤五段は兩三日前より先日迄三宅氏の稽古場に當る河本床奥の柔道場にて先名二段及び新名初段等を相手に熱心に稽古中なりと

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.04.19 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160419-01.1.3&e=------191-en-10--1--img---------

 

●三宅は八百長か

▲羅府の帰客談

三宅太郎がサンテルと羅府に於て試合をなし分けを取りたるに就き『アレは八百長である詐欺漢である』との評判がある昨日羅府より帰つた某氏は曰く「自分は其試合を見に行つたが自分としては八百長とは思はない尤も素人の事だから分らないが最初の勝負のときは三宅が随分骨を折つてサンテルを倒さんと焦つたが何分にもサンテルは力量が強いので三宅も到底協(かな)はないと見て採つて勝つと謂ふ考へを捨て防禦の態度を採つた其時の事を三宅の語るには『私しは最初サンテルを打敗らんとする考へであつたが最初の一番で却々(なかなか)手強い敵だと分つたされど若し私しが負けたれば日本人諸君に打殺されて仕舞ふ故是れでは止なき次第注意して分けを採る考に變へ勝たんとするよりも敗けまいと大事を採つたのである」と謂ふて居た又勝負したときも兩方とも汗一杯になつて居たのを見ても八百長ではあるまい若し八百長なればモウ少し面白く相撲つたであらふ三宅は伊藤師範に比しては慥(たしか)に體と力量がある』云々

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.04.20 Page 5

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160420-01.1.5&e=------191-en-10--41-----------

 

●伊藤師範帰桑 先頃三宅對サンテルの試合見物の爲め來羅し暫く當市河本床裏の武徳會道場にて稽古を勵み居りし伊藤師範には同じく滞在中の柔道家磯谷良之助氏同伴本日海路桑港に向け出發せりと

 

 

 次は伊藤がサンテルと再戦します。

 

 

 

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