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1916.6.10 アド・サンテル 対 伊藤徳五郎 |
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HOOVER INSTITUTION LIBRARY&ARCHIVES 邦字新聞デジタル・コレクション Hoji Shinbun Digital
Collection Japanese Diaspora
Initiative https://hojishinbun.hoover.org/ Nichibei Shinbun / 日米新聞 [The Japanese-American News], (San Francisco, CA) Nyū Yōku Shinpō / 紐育新報 [The Japanese Times], (New York, NY) 日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.05.14 Page 2 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160514-01.1.2&e=------191-en-10--61----------- 柔術レスリング大試合 五月十七日午後八時三十分 佛教會々堂に於て 加州印度人チヤンピオン バザンター氏 對講道館二段 高橋精造氏 高橋二段は彼のサンテル及三宅の兩氏に試合申込み交渉中其首途の一戰を諸君と共に見るは近頃の壮擧と云ふべし 桑港靑年團體育奨勵會 發起者 理事 大河原富太郎 日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.05.16 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160516-01.1.3&e=------191-en-10-jan-41----------- ●高橋二段の試合 講道館二段高橋精造氏は今回加州インデヤンのレツスリング力士バザンター氏と試合する事に決し愈々來る十七日午後八時半より佛教會々堂内道場にて晴の勝負を行ふ由高橋二段と云へばサンテル、三宅とも試合せんと準備中の剛の者此の一番は定めし注意すべきものあらん 日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.05.17 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160517-01.1.3&e=------191-en-10-jan-41----------- ●高橋對印度人試合 ▲本日午後八時より佛教會にて 本夜午後八時よりバイン街佛教會會堂に於て二段高橋精造氏と印度人バザンター氏と柔術レスリング試合がある高橋氏は年齢二十六、百四十五パウンド、バザンター氏は二十七、百六十五パウンドにて好試合である入場料は大人五十仙小児二十五仙なりと 日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.05.19 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160519-01.1.3&e=------191-en-10-jan-41----------- ●高橋二段克つ ▲佛教會堂なる日白試合 一昨夜八時半佛教會會堂に於て印度人バサター氏と高橋二段の試合が行はれた三回の試合中二度克ちしものが勝者と定め其一勝負はニ十分と限られた最初の試合には十一分にて高橋二段の勝、二回目はニ十分を経過して引き分け、三回目は七分にて印度人敗を取り結局高橋氏の勝利となつた當夜の入場者二百餘名にて経費を差引けば殆ど利益を見るを得ざりしとの事だ この試合については、日本の雑誌「柔道」4巻2号(柔道界本部、1918)に吉田興山が「往年加州で高橋二段が、印度人レスラアとの對戰に敵が餘り亂暴な動作をしたので、上から首締めと見せ掛けながら膝頭で水月を當てて勝つた事があつた」と書いています 高橋二段の挑戦については、これ以上の情報は見つかりません。サンテルはともかく、同胞の三宅をも対象としているのには、不穏な気配が感じられます。 日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.05.27 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160527-01.1.3&e=------191-en-10-jan-41----------- ●三宅は闘はず 羅府方面にて三宅太郎氏がサンテルと六月三日桑港にて再度の試合を爲すとの噂ありしが伊藤徳五郎氏其他の談に依れば斯る通知を受けし事もなく日も迫り居るに何等の準備なければ唯噂のみならんと云へり但し眞偽は明かならず 羅府=ロサンゼルス 桑港=サンフランシスコ 日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.06.01 Page 5 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160601-01.1.5&e=------191-en-10-jan-91----------- ロスアンゼルス 三十日) ●三宅柔道試合 三宅柔道には來月三日桑港に於てサンテルと再戰する事に決定し居りしが俄かに差支(さしつかえ)生ぜし爲め同試合を十日に延期する事となりしに依り來月二日當市アスレチツク倶樂部に於て白人レスラーと柔道試合を爲す筈なるが當日は力士辰嵐も某白人レスラーと共にレスリング試合を爲す由 日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.06.04 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160604-01.1.3&e=-------en-10--181----------- ●伊藤師範の再試合 ▲愈々來る十日夜實行 本年一月柔道五段伊藤徳五郎氏は桑港のチヤンピオンたるサンテルと試合をなし不幸敗を採りたるが其後掌の療養をなし身體を錬り居りたる處其経過宜しきを以て來る十日土曜日午後八時半よりドリームランドにて再び試合をなす事に決したりと 記事の左下には早くも試合の広告が出ています。 経緯はわかりませんが急転直下、三宅ではなく伊藤がサンテルと闘うことになりました。このことは三宅と伊藤が対立する原因ともなります。 日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.06.05 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160605-01.1.3&e=-------en-10--181----------- ●伊藤氏弱きか サンテル強きか ▲専門家の見たる兩士 伊藤師範對サンテル再戰を前にして今度の試合の豫想如何を専門家の意見に聞いて見やうと京野三段の許(もと)を叩く、以下其談である、『伊藤君果して強(よわ)きかサンテル例に依つて強きかと云ふ問を藪から棒に出されたのでは一寸答へに間誤附(まごつ)くが單に強弱と云へば ▲何方も強いと云ふ より無い、自分は過般の兩士試合に立會つて比較的闘士としての二人を知つてゐるが伊藤君の投げと逆手とは柔道家中の畏服する處であると同時にサンテルも亦慥(たし)かに強い、レスリングの力士として今日迄見たるうち彼れ程の術の巧みな所謂技士(わざし)は多く見無い處だ、力も亦あるにはあるが力量のみを云へば ▲モツト力のある 男を見た、殊に彼れは多分に柔道の手を習ひ込んで利用するに努めてゐる、彼れの得意とする外捲き込みの如きは立派に柔道の一手である、偖(さ)て二人を試合せしむるとなると柔道とレスリングとの根素標準(すたんだーど)に於て相違のあることは別として年齢と體量の差が既に伊藤君に七分の損がある、伊藤君は三十六歳で ▲力技を遣るには 少しく晩期に入つて居るに反しサンテルは二十八歳の壮年筋骨張り裂けん許りの元氣と力を持つて居る、加之(のみならず)伊藤君は百六十パウンドより無いがサンテルは百八十五パウンドある尠くとも十五パウンド位迄の相違なら苦にもせぬが三十パウンド近い差となつては影響する處尠からずだ、伊藤君は彼の敗戰後 ▲切磋琢磨を盡し 健康亦大いに良いから今度自分で再戰を云ひ出すに就ては恐らく成算のある事と思ふ何にしても今度の試合は見物である』云々因みに京野三段は今回も伊藤氏の爲め立會人たる任を執る事にならうと云ふが伊藤氏の再戰に續いて三宅太郎氏も再戰を試みる事に確定したとあるから右兩士の對サンテル試合振を比較して見るも面白かる可く斯くして此處當分は柔道對レスリングの試合談にて又しても同胞の話題は持ち切りとなる事ならんか 日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.06.07 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160607-01.1.3&e=-------en-10--181----------- ●伊藤氏再戰に就て 柔道の眞價を語る ▲京野講道館三段の談 曩(さき)にサンテルと闘つて不幸後(おく)れを取れる伊藤講道館五段は愈々來る十日ドリームランド・リンクに於て再戰捲土重來の勇を揮つて闘ふことになつた、右に就て當時伊藤師範側の立會人となり審判の勞を執れる京野講道館三段は下の談話を試み ▲彼の一戰以來 日本柔道は到底レスリングの敵ならずとの一般世評の妄を拓くに努めた『斯う云ふと聊(いささ)か理屈張る嫌ひはあるが日本人の性質として一體に試合を見るに際し勝敗如何から出發し端的に甲乙是非を論断する傾きがある、之れは或る意味で美點かも知れぬが自分としては柔道に限らず結果の勝敗より如何に闘つたかを先づ見て貰ひたいと思ふ、世には ▲勝負に勝つて 試合に負けてるものもあれば試合に勝つて勝負に負ける事もあるものだ、尠くとも尚武國に生れた日本人としては此の位の活きた眼を是非持つて欲しいものだ、乃(そこ)で柔道對レスリングの試合だが之れは伊藤君對サンテルの前回の試合乃至は三宅君對サンテルの羅府に於ける勝負にせよ一般の見方に些か遺憾に思ふ處がありはしなかつたかと考へる一體 ▲柔道は武術の 一種であつてレスリングは何方かと云へばゲームを本位とするものである、イザという云ふ場合身を護るが柔道の眞諦であるのに對しレスリングは観衆を集めて見せる云はば日本の角力の位置に在る、従つて柔道は眞價を逆の手と當身の使ひ方如何に置き相手の息の根を止むるが最後の目的である、然るにレスリングの相手と競技するとなると ▲肝腎の當身が 絶對に封じられて了ふのだから宛然(さながら)水を離れた魚の様なものである、而して根底がゲームの性質を帯びてる相手と闘ふのだから一概に勝負如何を以て柔道、レスリングの價値を論ずるのは妄で無ければ餘りに素人臭い話と云ふものだ、今回の勝負に際しても或は伊藤君が復び敗を重ぬるか夫れとも美事サンテルを ▲取つて押へる か夫れは固より豫知するを許さないが假りに如何なる結果を見やうと夫れを以て柔道其の物の價値に迄及ぼすのは止めねばならぬ眞に伊藤君の腕を揮はせるとなら同じ柔道家の三宅君とでも遣らせたら善いだらう云々 日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.06.10 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160610-01.1.3&e=-------en-10--181----------- ●伊藤師範の復仇試合 =本夜八時半擧行= 柔道五段伊藤徳五郎氏は本日午後八時半よりドリームランド・リンクにてアド・サンテルに對する復仇試合を爲す筈なり此試合の外に數番のレスリングあり今回は入場料も引下げし由なれば前回の如くならざるも邦人の入場者も少なからざるべし 下段に広告があります。入場料は75セント、1ドル、1ドル50セントで、確かに前回(1ドル、1ドル50セント、2ドル)より下がっています。宣伝期間が短いからか、それとも二度目だからか、観客動員の見込みは弱気に見られていたようです。 日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.06.11 Page 10 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160611-01.1.10&e=-------en-10--181----------- 徹底せぬ柔道弁護論 講道館有段者も京野三段も ▲伊藤五段がサンテルに負けた報道の日本に傳へらるるや、講道館の佐竹教授は新聞記者の問に應じて之れ恐らくは僞せの伊藤であらうと思ふ、本當に講道館の伊藤五段であるならば決して負ける様な事はあるまい、自分が嘗て米國に居た時も講道館の佐竹と云ふて自分の名を詐稱して歩いた柔道家が六七名もあつたと語つて居たそうだ、以て如何に講道館が伊藤五段の技倆を信ずるの厚きかを知るに足るであらう、乍併(しかしながら)事實は即ち事實で、僞せでも何でもない本物の伊藤五段が負けたのであるから仕方がない、此の事實に對して佐竹教授が其後如何なる批評若しくは説明を與へたか、之を聴くは頗る興味ある事であらうと思ふが爾來杳として聴く處無きは甚だ遺憾である。 ▲併し其後佐竹教授は干與して居るかどうか知らぬが、講道館有段者たる名儀を以て伊藤五段とサンテルの仕合を講評して來た、之れが多分講道館の意見を代表したものだらうと思つて讀んだ。 ▲然るに又た京野講道館三段の談話が七日の『日米』紙上に載つて居る、而して其の柔道の眞價を説く事に於て曩(さ)きに講道館有段者と銘打つて日本より寄贈したものと殆んど同様の意味であつた。 ▲夫れは『柔術は武道の一種であつて、レスリングはゲームだ、イザと云ふ場合身を護るのが柔道の眞諦で、観客を集めて見せる興行物の様なのがレスリングだ、去れば肝腎の當身を封じられた柔道は割が惡い』と云ふのを理由とし假令(たとへ)伊藤五段が負けても柔道其物の價値には關係無いと云ふのである ▲或はさうかも知れん、併しレスリング側の者に言はしたら又た彼等相當に文句はあらう、レスリングと柔術との試合は必ずしもレスリングの方式に據るのでは無い、寧ろ多くは柔術側の要求が試合の方式上にも容れられて居る様である若しコンナ些末の事を押問答して居たら際限の無い話であるが、夫れよりも根本問題として先づ講道館側の言ふ如く、柔道は武術であつて興行物とは違うと云ふのなら何故にレスラーなどを相手にして興行をするのであるか、僕は寧ろ興行風にレスリングと試合する事を廢(や)めたらよからうと思ふ。 ▲既にレスリングと勝負を争ふ以上はケチな負惜みを言はずに負けたら負けたと言ふがよい、負けて居ながら何の彼のと遁辭(にげことば)を設けて卑怯な言譯をするのは武士的精神修養を云々する講道館の本旨ではあるまい。 ▲従來伊藤五段が連戰連勝の時代に在りては講道館に於ても同君を以て同館の代表者の如く誇て居たのに、タツタ一度負けたからと言つて同君を早や老朽の者の様に取扱はんとするは、同君の爲めに氣の毒でもあり又た講道館の氣節の爲めに惜しむべきである。 ▲再びサンテルと戰ふ伊藤五段が勝つか負けるか判らぬが、僕は情として伊藤五段の勝つ事を望むけれ共、假りに負けたとて國家の恥辱とも思はねば講道館の恥辱とも亦た伊藤五段の恥辱とも思はぬ、若し負けながら泣言や負惜みを並べ立てるなら夫れが本當に日本男児の恥辱だと思ふ計りである。 (南強生) |
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日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.06.11 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160611-01.1.3&e=-------en-10--181----------- ●三宅容易に勝つ ▲對手はレスリングの雄 ▲羅府に於ける争覇戰 曩(さき)にアド・サンテルと闘ひ引分に終れる柔道家三宅太郎氏は一昨九日夜羅府大和ホールに於てレスラー界の一方の雄たるハーマン・ストローとニ十分宛(づつ)二回の試合を試みたるが其の結果三宅氏は第一回に於て僅々七分にして勝を占め第二回亦前回同様七分を出でざるに美事の勝利を収めたり因みに三宅氏は十日夜桑港に於けるサンテル對伊藤氏の再戰の結果月桂冠を得たる一方と決戰す可く其向兩者に申込ありと(羅府支社特電) 日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.06.12 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160612-01.1.3&e=-------en-10--181----------- ●遖(あつぱ)れサンテルを破り 伊藤師範復讐を遂げたり ▲二回は引分け三回目にサンテル氣絶す 去月初回の伊藤師範對サンテルの試合には不幸師範は敗を取り邦人は柔道の眞價を疑ひし程なり伊藤氏も無念遣る方なく爾來體を練り術を鍛ひ復讐試合の準備に餘念なかりしが ◎時期は到來して一昨夜 八時半よりスタイナー街ドリームランド・リンクにて晴れの復讐試合を行へり入場者は多く邦人なりしも無慮千餘名と註されたり最初柔道試合二組ありし後佐藤對フイドラフ氏の試合ありしが二回とも佐藤氏の敗となり次に九時半となるや愈々本日の ◎大試合なる伊藤師範 對サンテル試合開始を宣せらるるや急霰の如き喝采歓呼起れり牛の如く肥えたるサンテル氏堅く力の籠りたる師範は打揃ふて場に上り双方悠々として試合を始めしと見る間に師範は龍攘虎搏石火の如く柔道の秘術を現はし四回までも重きサンテル氏を巴投げとなし喝采を得たり裸締め首締め等を兩方とも試みしも ◎壺には籍(はま)らず此の際 サンテル氏は稍(やや)疲れが見えしも師範は一向疲れず事實上勝目なりしもニ十分の時間來りて引分となる二回目は十分休憩して十時七分より開始しサンテル氏は數回投られながらも盛んに首締めを試みしも利ず最後に師範は獅子奮迅の勢にて甘(うま)くも首を締めサンテル氏は口角より泡を吹きモウ一分位にて參る有様となりし所へ警鐘は鳴りニ十分の時間來り惜しくも引分となる ◎三回目は十時四十分 に始まり師範は秘術を盡してサンテル氏を苦しめし後(のち)後責(うしろぜ)めの首締めに掛けサンテル氏の體に右足を支へ渾身の力を罩(こ)めて締め付けしに僅に二分にしてサンテル氏の顔色は變じ遂に氣絶せしより京野、デヴイスコツの兩審判官は勝負ありと認め中止せしむ ◎サンテルは全く氣絶 し居りて動く能はず京野氏の活に依り蘇生したり時に十時五十五分此試合は十三分なりき伊藤師範の勝利となり目出度復讐を遂げ場内千餘名の日本人は破れん計りに喝采し思はず雀躍して狂氣の如く喜べり雪崩の如き群衆は萬歳を連呼して祝意を表し日本人街は深夜ながら此話しにて持切り祝賀の宴さへ開かれ活氣滿ちたり伊藤師範は勝となるや思はず双手を擧げて喜べり氏としては左もあるべし (昨日第二版再録) ●復讐試合雑観 昨日のエキザミナー紙には伊藤師範の勝を報じて曰く『二回は引分けとなりしも三回目にはサンテルを殆ど縊死せしめた』と▲最後の試合にはサンテル氏が人事不省となるや同人が伴ひ來りし弟の妻女は『ジヤツプが義兄を殺した』と狂氣の如く飛び出さんとせしも友人に引止められて中止した▲同夜の試合には如何せしものかサンテル氏は力業をなさず下手の柔術の手を以て首締めをなさんとせしが不覺を取りし原因らしい此れは伊藤氏に取りては絶好のチヤンスであつた▲サンテルの落ちしを見し白人観客中『ジヤツプを殺せ』と怒鳴つたが幸ひ騒動にならなかつた▲殊に面白かりしは最初柔術の乱取りをなせしに其状恰も米人のダンスの如くなりしより白人観客の一人『舞踏(だんす)の様だ、音樂(みやーじつく)が欲しい』と云ひしよりギヤラリーでは口笛にて音樂の眞似をしかけ滿場をドツと笑はした▲伊藤師範に對しては祝電は澤山に來りつつある▲サンテル氏は無念で堪まらず次の土曜日再度の試合をなさんと申込んで居るさうだ 紐育新報 Nyū Yōku Shinpō,
1916.06.17 Page 4 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=nys19160617-01.1.4&e=------191-ja-10--121--img--------- ●伊藤師範勝つ 去十日夜桑港に於ける伊藤對サンテル柔道戰には入場者約二千二三百名の内九分迄日本人なり始め佐藤初段對ダビスコツのレツスリングありしが二度共佐藤の敗にて九時卅五分愈々當初の大勝負に入る伊藤師範は今回は初めより終り迄攻勢に出でサンテルが上に乗り掛るを巧に巴投げにて四回迄で投げ仆したるが首占め中々掛らず第一回の勝負は引き分け十分間休憩の後第二回戰に移り今回も盛んに妙技を以て敵を苦しめたるが最後の首占め圖に當りたるに惜しくも既定の時間來り其儘分れ更に十分休憩三度目となり伊藤氏大に攻勢に出でたるがサンテル伊藤氏の足を以て引き仆したるを伊藤氏却て利用し後より右足を敵の腰に當てながら右手にて首占めを爲したるが約一分間の後サンテル氣絶して伊藤の勝に帰し審判官たりし京野二段はサンテルに活を入れて漸く生氣付かしめたり三回戰は十四分なりき |
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日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.06.14 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160614-01.1.3&e=-------en-10--181----------- ●伊藤氏戰はん乎 ==三宅氏は敵では無い 羅府なる三宅太郎氏は伊藤師範對サンテルの勝負の結果何れなり勝てる一方と戰ふ可く豫じめ申込みありたる事は既報の如くなるが待たれし大試合は見ん事伊藤師範の勝つ處となりしより愈々三宅氏は伊藤師範と戰ふ事を望み居れる譯なるが右に付某有段者は語る『三宅氏と伊藤氏とは殆んど段違ひともいふべく恐らく伊藤氏の對手にはなるまじ戰はずとも先づ勝敗は明かなりと云ふて可ならん』とて此の試合には多くを期待せざるものの如かりき尤も果して試合するか否かに就ては未定なり 日米新聞 Nichibei Shinbun, 1916.07.03 Page 5 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19160703-01.1.5&e=------191-en-10-jan-1----------- ロスアンゼルス 一日) ●昨夜の柔道試合 既記の如く昨夜(※6/30)八時より大和ホールに於て白人レスラー・ホワイト對三宅太郎兩人の間に決戰ありし柔道試合は時間無制限の約束にて双方共必死の力を注いで立合ひしが前後二回共試合時間漸く七八分にて三宅の全勝に帰したる由なり ●三宅柔道出發 別項記載の如く昨夜ホワイトと戰ひ大勝を博したる三宅柔道は本日自動車にて支配人オツコナー他一名と共にベカースフヰールド及び布市を経て桑港に赴くべく出發せり 布市=フレズノ ロサンゼルスで白人レスラーとの試合を続けていた三宅でしたが、伊藤のいるサンフランシスコを最終目的地として北上の旅(巡業)に出ます。 この頃の三宅太郎の戦績をわかる範囲で記します。 5/2 ロス 三宅(2-0)ジャック・ホワイト 決まり手は首締め、逆手 5/13 ロス 三宅(判定)ホワイト レスリング試合、ホワイトが一時間内に三本取る条件で一本も取れず 6/9 ロス 三宅(2-0)ハーマン・ストロー 6/21 ロス 三宅(2-0)ハッケンシュミット(ヤング・ハッケンシュミットと同一人か) 一本目逆手、二本目腕の怪我で棄権 6/30 ロス 三宅(2-0)ホワイト 7/4 ベーカーズフィールド 三宅(2-0)ヤング・ハッケンシュミット(ジョージ・ハッケンシュミットの弟と名乗るロシア人) 二本とも逆手 7/15 フレズノ 三宅(2-0)ジム・ピーターソン 逆手、首締め 7/29 サクラメント 三宅(2-0)ヤング・ハッケンシュミット 二本とも逆手 7/30 スタクトン 三宅(2-0)ピーターソン 逆手、首締め 8/11 サクラメント 三宅(判定)ピーターソン レスリング試合、ピーターソンが30分間に二本取る条件で一本も取れず メニューページ「柔道征服 アド・サンテル」へ戻る |