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1917.10.20 アド・サンテル 対 三宅太郎 |
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HOOVER INSTITUTION LIBRARY&ARCHIVES 邦字新聞デジタル・コレクション Hoji Shinbun Digital
Collection Japanese Diaspora
Initiative https://hojishinbun.hoover.org/ Shin Sekai / 新世界 [The New World], (San Francisco, CA) Nichibei Shinbun / 日米新聞 [The Japanese-American News], (San Francisco, CA) Nippu Jiji / 日布時事 [The Nippu Jiji], (Honolulu, HI) 新世界 Shin Sekai, 1917.10.06 Page 7 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19171006-01.1.7&e=-------en-10--51----------- シヤトル 「二日」 ●三宅太郎戰はむ ▲相手はアドサンテル 滞在中なる柔道家三宅太郎氏は豫て試合ひの相手を需めゐたるが愈々拳闘家アドサンテルと來る二十日夜アリナ館に於て試合する事に契約整ひたり此のサンテルは曾て桑港に於て伊藤師範が試合して怪我負けをなし次に復仇戰にて首尾克刺し止めたる強の者なるが三宅氏も加州於て同人と試合ひ約三時間に亘りて勝負附かず遂に引き分けとなりたるものなれば今回は勝敗を分の晴の勝負と云ふべく分配金は三宅より千五百弗を要求し腕達者なれば久し振りにて面白き演劇を見るべしと 新世界 Shin Sekai, 1917.10.12 Page 7 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19171012-01.1.7&e=-------en-10--51----------- シヤトル 「八日」 ●アド。サンテル ▼試合につき依頼状 三宅太郎とアト・サンテルと來る廿日夜當市アレナ館に於て試合するに就て契約書を締結したる旨既報したるが去五日附桑港のサンテルより本社に向け左の來状あり 三宅太郎氏と小生の柔術試合は愈々本日を以て調印契約仕り候時日は來十月二十日夜にて二時三十分時間をリミツト致候前回は引分と相成 候に付今回は是非三宅氏に打ち勝ち度く豫期致居候小生は來十五日頃貴地に着致し充分練習致度と存じ居候何卒貴紙上御聲援の程希望致候 桑港=サンフランシスコ サンテルからの候文の手紙は味わい深いものがあります。 新世界 Shin Sekai, 1917.10.19 Page 9 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19171019-01.1.9&e=-------en-10--51----------- シヤトル 「十五日」 ●三宅とサンテル試合 來る二十日午後八時半よりアリナ館に於て開催する三宅とサンテルの試合は最初二組の試合あり後本試合に移る筈なるが入場券はさかみ屋、平出、鈴木玉屋、三輪堂の各商店にて販賣の筈サンテルは多分本日當地着直ちに練習すべしと The https://chroniclingamerica.loc.gov/lccn/sn87093407/1917-10-20/ed-1/seq-8/ 中央に三宅の写真と記事、左下に興行の広告があります。 新世界 Shin Sekai, 1917.10.21 Page 6 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19171021-01.1.6&e=-------en-10--51----------- シヤトル 「十六日」 ●坂井四段に挑戰 ▼サンテル其意を漏らす 昨日來沙せるアド、サンテル氏は坂井四段に挑戰の意嚮(いかう)あり沙都には確かに伊藤氏の道場がある筈なり其道場に伊藤氏に負けざる猛者ありて嘗て予が桑港にて最初に伊藤氏と試合ひたる際該猛者より伊藤氏に宛て復讐戰をなさんとて申込み來りたる由を聞けり ▲名前は失念 せるがビツグフエローと記憶す確かに當市に居ると思ふ尚健在なりや否や……記者は該猛者は坂井四段なるを知れるが故にミスター坂井と呼び柔道に於ては伊藤氏を凌ぐ勇者にて体格偉大若くて元氣も亦旺盛なるを述ぶるやサンテルは眼を輝かして反身になり三宅と勝負後に恁(かか)る猛者の柔道を試みたしと意氣頗る軒昂たりき或は挑戰の擧に出づるやも知るべからず 沙都=シアトル シアトル在住の坂井大輔四段は、この試合の審判官に選ばれます。 新世界 Shin Sekai, 1917.10.22 Page 6 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19171022-01.1.6&e=-------en-10--51----------- シヤトル 「十八日」 ●柔道試合審判官 三宅氏對サンテルの柔道試合審判官はエルクスクラブのアドロフ、シヤーク氏と決定の由邦人審判官は坂井氏に依頼せり |
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新世界 Shin Sekai, 1917.10.22 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19171022-01.1.3&e=-------en-10--101----------- ●三宅はサンテルに負かさる 擲げつけられて後頭部を打ち附らる □最初は勝ちたるもニ回目には氣絶して負け□ 日本人柔道家三宅太郎氏が是迄サンテルと試合し引分けとのみなり居たるが今回沙都(しあとる)に於て最後の決戰をなす事となりたる爲同地同胞は非常なる人氣を以て此試合を注意し居たるに三宅氏は伊藤氏が嘗(か)つて引かかりたる如きサンテルの策略に乗りたる者と見へ第二回の立會にマツトの上に後頭部を打つつけられ全く氣絶したる爲第三回の決戰に出づる能はず審判官は爲にサンテルの勝を宣言したる由にて同地特置員より昨朝左の電報到着したり ▲第一回戰 三宅對サンテルの試合は數組の柔術仕合を終りたる後九時三十分に始まりたり第一回の試合は兩人登場するや審判官より試合に關せる注意ありて愈々取組となるや三宅氏は巴投げを以て數回とも物の見事にサンテルを投げたるもサンテルとて仲々強の者なれば容易にホールを取る能はず暫く捩ぢ合ふ内に三宅氏はサンテルの左の腕を取るよと思ふ間もなく左逆手を以て之を負かしたり ▲第二回戰 是にて十分の休憩となり更にゴングの鳴るや兩人は又リングに上がり三宅氏は幾回も前の如く擲(な)げを試みたるも意の如くならずやがてマツトの前に共に倒れて是より互にホールを取らんとしサンテルは幾度か得意のトー、ホールを取らんとし、三宅氏は又逆手喉締等様々に攻めたるも極まらず其内にサンテルは三宅をホールし後ろに擲げ倒したるが此時三宅はサンテルの猛烈なる勢にて後頭部をマツトに打つけられたる爲氣絶し全く知覺を失ひセコンドの人々に抱かれてルームに引取られたり時間は三十九分間なりき、やがて休憩時間の十分過ぎ第三のゴング鳴りたるも三宅は創の痛み甚しかりしと見へ遂に出場せず茲に於て審判官はサンテルの勝を宣言せり入場者數は約千五百名其多數は日本人なりき(シヤトル特置員電報) 力量遥かに優れたるサンテルが最後となれば斯(かか)る手を出すべきは豫期せざる可からざる事にてルイスロマノフの如きさへリング外に投げ出さるる事時々ある事なれば力任せに頭をマツトに打ち附けらるる如きは必ずやらるる窮策なれば日本人柔道家の常に注意すべき事と謂つべし フォール(fall)も、ホールド(hold)も、「ホール」と表記しているので、わかりにくい所があるかもしれません。なお、サンテルの柔術試合においてフォール(一本)はサブミッション・フォール(参った)のみで、ピン・フォール(押さえ込み一本)はなかったものと思います。 日米新聞 Nichibei Shinbun,
1917.10.25 Page 6 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19171025-01.1.6&e=------191-en-10-jan-11----------- シヤトル (廿一日) ●三宅敗戰す ▲二回目に氣絶して 近來の大人氣を以て迎えられたる三宅太郎對サンアルの試合は昨夜九時半より開始最初三宅は捨身にて大男のサンテルを投げて大喝采を博し奮闘廿九分送り込みにて定まらず並十字にて敵の腕を締めて三宅勝ち第二回は十時七分開始サンテルは左眼の上に負傷せしも継續し十時四十二分三宅を横抱にして抱へ込み地響してマツトの上に叩き付けしより三宅は氣絶して其れよりタイム十分を経しも三宅はリンクに出づる能はず遂にサンテルの勝利となる 第二回戦の結末について、日本の雑誌「柔道」4巻2号(柔道界本部、1918)に、吉田興山が次のように書いています (前略)血を見たるサンテルは猛りに猛つて奮戰、二十分にして三宅をリングの一隅に押し付け、ひるむ所を更に左手を三宅の内股に掛け右手を肩に掛けて横ざまに抱き上げ、一振り振つて勢をつけ二百封度に近い巨體の全力を擧げて、マツト臺も砕けよと許りに三宅の頭部を下にして叩き付けた。三宅は哀れ、頭部を激打して其儘脳震盪を惹し、人事不省に陥入つて了つた。之れを見た坂井四段は三宅を抱き起して活を入れ一先づ控所に連れ込んだ。(後略) サンテルは、後頭部から落とすボディ・スラムで三宅を失神させて勝利。三戦目にして決着をつけました。 ただし、三宅はこの後も米国のプロレス界で活躍。サンテルとの闘いも続いて行くことになります。 サンテルの次の相手は、この試合で審判を務め、失神した三宅を介抱した男。講道館四段、坂井大輔です。 |
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この試合は、ハワイでも報じられました。 「日布時事」は、ハワイを出て行った頃から三宅には辛辣な筆致です。 記事の大部分は、「新世界」に「シヤトル特置員電報」として書かれたものと同文です。 日布時事 Nippu Jiji,
1917.11.07 Page 3 https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnj19171107-01.1.3&e=------191-en-10-tnj-1----------- ◎三宅太郎サンテルに敗る 最初は勝ちたるも二回目 は氣絶して負けとなる… 傲慢無礼の態度を逞しうして至る所鼻摘みとなりとうとうコソコソ桑港へ逃げて帰つた例の柔道家三宅太郎先生は帰桑後米國太平洋沿岸に於る相撲チヤンピヨンの稱あるアド、サンテルと試合し引分けとなり居たるが數日前シアトルに於て最後の決戰をなしたるに三宅は伊藤二段が曾(か)つて引かかりたる如きサンテルの策畧に乗りたる者と見へ第二回の立會にマツトの上に後頭部を打つつけられ全く氣絶したる爲第三回の決戰に出づる能はず審判官は爲にサンテルの勝を宣言したる由にてシアトル發電は試合の光景を左の如く報じ來たり ▽第一回戰 三宅對サンテルの試合は數組の柔術仕合を終りたる後九時三十分に始まりたり第一回の試合は兩人登場するや審判官より試合に關する注意ありて愈々取組となるや三宅氏は巴投げを以て數回とも物の見事にサンテルを投げたるもサンテルとて仲々強の者なれば容易にホールを取る能はず暫く捩ぢ合ふ内に三宅はサンテルの左の腕を取るよと思ふ間もなく左逆手を以て之を負かしたり ▽第二回戰 是にて十分の休憩となり更にゴングの鳴るや兩人は又リングに上がり三宅氏は幾回も前の如く擲(な)げを試みたるも意の如くならずやがてマツトの上に共に倒れて是より互にホールを取らんとしサンテルは幾度か得意のトー、ホールを取らんとし、三宅氏は又逆手喉締等様々に攻めたるも極まらず其内にサンテルは三宅をホールし後ろに擲げ倒したるが此時三宅はサンテルの猛烈なる勢にて後頭部をマツトに打つけられたる爲氣絶し全く知覺を失ひセコンドの人々に抱かれてルームに引取られたり時間は三十九分間なりき、やがて休憩時間の十分過ぎ第三のゴング鳴りたるも三宅は創(きづ)の痛み甚だしかりしと見へ遂に出場せず茲に於て審判官はサンテルの勝を宣言せり入場者數は約千五百名其多數は日本人なりき The https://chroniclingamerica.loc.gov/lccn/sn87093407/1917-10-22/ed-1/seq-1/ (左から3列目中程から) TOBACCO FUND NEARLY $5,600; CARNIVAL $1,719 … In addition to
the carnival money, the fund received 10 per cent of the Ad Santel-Tarro Miyaka jiu-jitsu
match, at the Arena, Saturday night, amounting to $121.70. この試合の興行収入の10%が寄付され、その金額が121.7ドルだった由。単純計算だと興行収入は1217ドルとなりますが、1ドル、1ドル50セント、2ドルの入場料(広告より)で、1500人入ったとすると、もう少しあってもよさそうです。10%を掛ける前に控除(プロモーターの取り分?)があるのかもしれません。 メニューページ「柔道征服 アド・サンテル」へ戻る |