1917.11.2 アド・サンテル 対 坂井大輔

 

 

Stanford University

HOOVER INSTITUTION LIBRARY&ARCHIVES

邦字新聞デジタル・コレクション

Hoji Shinbun Digital Collection

Japanese Diaspora Initiative

https://hojishinbun.hoover.org/

 

Shin Sekai / 新世界 [The New World], (San Francisco, CA)

Nichibei Shinbun / 日米新聞 [The Japanese-American News], (San Francisco, CA)

 

 

 

新世界 Shin Sekai, 1917.10.26 Page 7

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19171026-01.1.7&e=-------en-10--51-----------

 

  シヤトル 「廿ニ日」

●アツド、サンテル

   愈々挑戰す

     ▼坂井四段に對して

三宅對サンテル柔道試合の審判官たりし講道館四段坂井大輔氏に對しサンテルは土曜日正式に試合を申込めり坂井氏は語る……審判しつつサンテルの其奥の手なるものを拝見せるが三宅氏を落したるあの手以外には術なきものの如し知る場合には逃るる術の必ずしも無しと云ふにもあらず三宅氏の落ちたるは多少油断の氣味あり惜しき事とせりとて意氣軒昂挑戰に對して世間が應ぜよとの意向ならば敢て辞せずと云ふ様子なりき是れに關して一般多數は挑戰されて應ぜざるは假令(たとへ)如何なる口實あるにせよ卑怯の譏(そし)りを免れざる可ければ沙都(しやとる)道場維持の上よりするも坂井氏に立たざるを得ざる可く氏の責任は柔道の興廃に關するを以て同氏の態度は見物なりと云へり

 

●三宅氏晩市行 同氏は晩香坡(ばんくーば)なる胎中氏のプロモートする希臘レスラー、ガストパパスと試合のため近々晩市に向け出發の筈因に先夜の試合上り高の十パーセント即ち百廿一弗七十仙は支配人佐伯氏の手より今朝赤十字社のスモークハンドへ寄附せりと

 

 

 三宅−サンテル戦の興行収入からの寄附の額は、先にご紹介した「シアトル・スター」紙の記事と符合します。

 

 

 

新世界 Shin Sekai, 1917.10.26 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19171026-01.1.2&e=------191-en-10-tnw-31-----------

 

●酒井氏對サンテル

    此試合は見ものならん

桑港にてはレスリング熱大(おほい)に冷めて再びボクシングに帰りたる爲サンテルに對する批評も無くなつて來たが沙都(しやとる)に於て三宅太郎氏がサンテルに頭をマツトに叩きつけられ脆くも敗をとつたに就いて更に又サンテルの名が同胞間に聞えて來た自体柔道家とサンテルと行きつく所まで勝負をしたらドンナ者だらうかとの岡評議が始まつた

▲酒井氏に挑戰 沙都には今講道館四段の酒井氏が居つて此間の三宅對サンテルの審判をしたサンテルは三宅氏を破つて今度は坂井四段に挑戰したと同地からの報道であるが酒井氏は元來講道館の方針を守り興行的の事に關係せぬ決心であつたが敵に試合を申込まれ之に應ぜぬと云ふ事は武士道の面目に關するから善しやりたくばやつてやらうと言ふ様な意見だと言ふ事だシテ見ると試合は遠からず有る事だらう

▲是が勝敗は 實際柔道の價値を定むるやうな者だ伊藤五段とサンテルとの勝負は一勝一敗に終つた伊藤氏の破れたは注意が足りなんだ欠點があつたと共に伊藤氏が勝つたのも際どい所に好結果を得た向きがあつて尚一回戰つたら何れが勝つか一寸豫想に苦むのだ三宅氏は柔道家としてより寧ろレツスリングの経験がある方で同氏の敗は柔道の敗とは言へない点がある

▲新進柔道家 たる酒井氏は伊藤氏より段こそ低いが其元氣と其力量とに於て優つて居るさうだが必らずしも何段と言ふ事によりて想像はつかない兎に角講道館新進の勇士だから猛烈なる點があるだらう此人にしてサンテルに勝てないとならば日本の柔道はフアイテイングの術としては大改良を加へねばなるまい兎に角興味のある大仕合に相違ない

 

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1917.10.31 Page 7

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19171031-01.1.7&e=-------en-10--1--img---------

 

   シヤトル (廿八日)

 

●坂井サンテル試合 豫(かね)てサンテル力士より坂井四段に挑戰し來りたる試合は愈々堀内通辯仲介者となり昨日契約を締結したるが時日は來る十一月二日(金曜日夜)午後八時半場所は第七街とユニオン街のドリームランドにて試合規約は三番勝負毎戰ニ十分にて十分間の休憩三番の内二回引分となるも一回勝てば決勝となる事に取り極め總ての條件は坂井側に有利なるものなるが堀内氏の談によれば最初より營利とするものに非ざれば利益配當は七分三分でもよしと申込みたるに有繋(さすが)のサンテルも若し負けた時に閉口なれば普通の如く純益は四分六分とし其契約を締結したりと

 

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1917.11.01 Page 6

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19171101-01.1.6&e=------191-en-10-jan-1-----------

 

   シヤトル (廿九日)

●試合の前景氣

      ▲坂井とサンテル

兩勇の試合は愈々來月二日ドリムランド・ホールに開催することに契約を締結發表せられたるがサンテルは過日三宅氏を仆したる勇士にて坂井氏は柔道四段の猛者殊に三宅氏の復讐戰にもあれば一般の期待尠なからず大いに興味を以て試合を注意し居れり坂井氏は目下道場に於て盛(さかん)に練習をなし居れり

 

 

新世界 Shin Sekai, 1917.11.04 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19171104-01.1.3&e=-------en-10--51-----------

 

  ●講道館の酒井四段サンテル

  と柔道戰にて沙港に大敗す

    ――日本の柔道大家殆んど撫で切り――

沙都(しやとる)道場を預かる講道館四段の柔道家坂井大輔氏がサンテルに試合を申込まれたりとの事故此試合は尤も興味ある者と世人をして思はしめたり其理由としては伊藤五段とサンテルとの試合が一勝一敗に終り三宅太郎氏は見事にサンテルに負かされ餘(あま)す處は坂井四段のみとなりたる爲にて一般の評する所にては坂井氏は講道館にて最近まで練習をつみゐたる剛の者特には又年齢も伊藤氏より若きが故に此試合こそ講道館柔道の腕前を示す者ならんと思ひゐたるに脆くもサンテルに打負かされたりとは遺憾の事なりき本社沙都特置員の報は左の如し

坂井四段對サンテルの仕合は入場者約二千人にて大部分は日本人なりき兩人の試合は九時に始まりたり

 ▲第一回戰 は兩人マツトの上にて審判官の説明を聞き握手するや否や先づ坂井氏より仕掛け其襟を握(つか)むと見る間に講道館得意の投げ業を試み數回サンテルを投げたるが喉締も手の逆も更に極まらず斯くして廿分餘のタイムとなりたるを以てゴング鳴り無勝負にて引分けとなりたり

▲第二回戰 やがて十分の休憩もすみ更にゴング鳴るや坂井氏は頻りにサンテルを投げ兩人マツトに倒るると思ふや暫らく撚(ね)ぢ合ふ内阪井氏の兩手はサンテルの兩襟を攫みたりサンテルは一生懸命振り放さんともがきたるも離れず益々深く締め込みサンテル将に氣絶せんとせる時彼の奥の手たるマツト外に抛(な)げ出さんと轉げ行き乍ら跳ね返したり坂井氏は襟を堅く攫み居りし爲マツト外には出でざりしもロープに引懸りたるに審判官はレスリングの法則たるマツトの中央に原形に復せしめず新に取組ませたるにサンテルはハーフ・ネルソン・ホールを取るが如くして坂井氏の頸を兩脚の間に挟み第一ホールを取りたり此時間廿分、見物人はマツトの中に原形に復せしめざりしを違法として抗議せり

第三回戰 審判官も此抗議は道理あるを以て観客に宣言して曰く善し然らば第二回戰にサンテル勝つも三回戰に坂井氏が之れに勝たば同氏に最後の勝利を宣言すべしとて試合にかからせたるにサンテルは忽ち坂井氏の腕を取りハーフネルソンの手にて坂井氏は逆手の苦めに逢ひマツトを叩きたり此間僅かに五分間茲に脆くも失敗したるが一般は其重量の少きと對レスリング試合に経験なき割合には善く闘ひたりと評したり

   (沙港特置員二日午後十二後發)

何れにするも柔道の大敗たるは争はれず特にハーフネルソンの如き手は柔道家の得意として防ぎ得べき事なるに遺憾の事と謂つべく日本の柔道家の爲に反省を促さしむる一出來事と謂つべきか

▲坂井氏の大敗日本

    大に戒めとならん

◎講道館の新進四段で沙都道場の主任教授坂井大輔氏がアド、サンテルに見事に打ち負かされた事は確かに日本の柔道界を覚醒せしむべき一出來事である、何となればサンテルは米國一流のレスラーでも何でも無い、大方三流位のものだらう、是に負かさるるやうではカドツクや、テビスコや、ステカーや、ガツチ等には思ひも及ばぬ事だ

◎ルイスの抱き込み所謂ストラングルの手にかかつてサンテルは羽ばたきも出來なんだ、トーホールも更に利き目が無かつた、其サンテルにハーフネルソンなぞの手にかかつて負けるなぞとは柔道家として甚だ解し得ない、此点にかけて言ふと伊藤師範は皆外して仕舞つた、坂井氏はどうした事だらうか下らぬ話だ

◎伊藤師範は對白人勝負に慣れて居り、且又サンテルと一敗一勝だつたが、是とて長時間の眞劍勝負となつたら勝敗の數豫(あらかじ)め知る可からずである、伊藤君、坂井氏が戰つたサンテルは今言ふ通り、一流でも二流でも無い、只ローカルチヤンピオンだ

◎此前に伊藤師範がサンテルに負けた時、日本ではそんな筈は無い電報の誤か、さなくば伊藤君が敵の卑怯の策に乗ぜられたに相違ないと、大騒ぎはしたが、世界に柔道以外恐ろしい技術がある事を殆んど何人も言はなんだが、今又坂井君の大敗を聞いて何と評するだらう、凡て日本の人は外國に關する智識の少ないから何でもお國自慢の傾きがあるには困る

◎遂此間來た某柔道家も何サンテルが我輩未だ見ぬがマー負ける積りは無い、ルイスのストングルとはそん事かナンカンと大氣焔であつたが、我輩等は少しも信を置かなんだ、凡てが斯の如くだ、聞けば坂井君も試合前の氣焔も盛んであつたとか聞いて居る、夫で試合せねばならぬ場合になつたのだと言ふが、そは兎に角、柔道家も是で眼が覺める事だらう

◎三宅君なぞは相當に力がある、レスリングにも慣れ居てる、夫れでも二流三流のロンダスにつかまつて忽ち背中を蝦(えび)のやうに曲げられ参つて仕舞つた、柔道の手のやうな者が日本にばかり有ると思ふが抑(そもそ)もの誤りだ、ステカーに腕を握られサンテルの手は釘附のやうになつて仕舞つた、ルイスのストラングにでも見た人は迚(とて)も々々善い加減の柔道家が勝てると思ふ者は無からう

◎要するに柔道は今少し世界的に研究せねば駄目だ、レスリング既に然りだ、ボクシングかつたらモツト危ない、フレンチ、キツクでも剣呑々々、阪井君の大敗は日本の柔道の善い戒(いましめ)だ(一記者)

 

 

 当時のレスリングには、現代の総合格闘技における「ストップ・ドント・ムーブ」同様のルールがありました。即ち、選手が組み合ったままロープに差し掛かった場合に、ブレイクしてスタンドで再開せず、同じ体勢を維持したままマット中央に移動して闘いを再開する、というものです。

 この試合の第2回戦では、そのルールが適用されずロープ・ブレイクされてしまったため、絞め技でサンテルを落としかけていた坂井が有利を失い、結果として負けてしまったことが問題視されました。

 

※そのルールについてこちらで紹介しています。

 

大正元年のドント・ムーブ

http://www7a.biglobe.ne.jp/~wwd/PW100202/

 

 

 なお、ジム・ロンドスが三宅を破った時(1917年4月17日)の決め技は、後に「ジャパニーズ・レッグ・ホールド」と呼ばれた、逆エビ固めだったようです。

 

lutte-wrestling.com

http://www.lutte-wrestling.com/22_09.htm

(下の画像)

Jim Londos with Japanese Leg Hold

 

 

新世界 Shin Sekai, 1917.11.04 Page 9

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19171104-01.1.9&e=------191-en-10-tnw-91-----------

 

  シヤトル 「卅一日」

 

●三宅佐伯兩氏帰沙 晩市にて大勝を博したる三宅太郎氏と共に佐伯氏は一昨夜帰沙しミルオキーホテルに相變らず宿泊中なる由尚ほ三宅氏は何れ復讐戰を爲すならん

 

 

 「佐伯」は三宅のマネージャー。10月26日バンクーバーにおいて、三宅はガス・パパスにアーム・ロックでストレート勝ち。その後、サンテル-坂井戦に間に合うようにシアトルに帰って来ていました。

 すぐまたサンテルと復讐戦、とはなりませんでしたが、それはいずれ実現することになります。

 

 

 

新世界 Shin Sekai, 1917.11.07 Page 9

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19171107-01.1.9&e=-------en-10--51-----------

 

  シヤトル 「三日」

 

●坂井四段慰勞會 福岡縣人會及び有志主催の同四段慰勞會は來る五日(月曜)午後六時より實業倶樂部に開催の筈

 

 

 

新世界 Shin Sekai, 1917.11.11 Page 9

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19171111-01.1.9&e=------191-en-10-tnw-1-----------

 

   バンクーバー 「七日」

●サンテルの柔道評 三宅坂井兩氏に連勝せる方士(りきし)サンテルはラグランドに赴く途中ポートランドに寄市し同地央州日報社を訪問して伊藤、三宅、坂井の三氏に對する自己の感想を述べて「伊藤師範は其活動敏活にして些細の隙もないから少しも油断が出來ぬ然し既に全盛時代を過ぎて居る三宅氏は寝業が達者で倒してからも中々手強い坂井氏は立業は巧妙で容易に倒しにくいが横になれば業がきかぬ容易に負かす事が出來る三宅と坂井と比較すれば三宅の方今の所は強い尤も之れは三宅の方が白人の仕合に馴れて居るからで坂井が此間負けたのは場所馴れがしない點が大分手傳ふて居るもう一年位キヤツチアズキヤツチキヤン即ち白人流角力を練習したらば恐るべきものになる自分は日本柔道家を皆負かしたが伊藤師範にだけ後れを取つた近い内に再び同氏に挑戰して今度は負かす積である」云々

 

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1917.12.03 Page 5

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19171203-01.1.5&e=------191-en-10-jan-1--img---------

 

   ロスアンゼルス (一 日)

 

●兩柔道家の着羅 シヤ―トルの坂井四段及び千葉三段は今明兩日擧行の當地柔道大會に出場の爲め今朝着羅坂井氏の身長は五尺六寸餘體量百七十斤、千葉氏は五尺八寸餘體量百七十斤ある大男也

 

 

 羅府=ロサンゼルス

 

 五尺六寸は約170cm、五尺八寸は約176cm。170ポンドは約77kgです。

 

 

 

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