1920.9.13 アド・サンテル 対 ジム・ロンドス

 

 

Stanford University

HOOVER INSTITUTION LIBRARY&ARCHIVES

邦字新聞デジタル・コレクション

Hoji Shinbun Digital Collection

Japanese Diaspora Initiative

https://hojishinbun.hoover.org/

 

Shin Sekai / 新世界 [The New World], (San Francisco, CA)

Nichibei Shinbun / 日米新聞 [The Japanese-American News], (San Francisco, CA)

Ōshū Nippō / 央州日報 [The Oregon News], (Portland, OR)

Nippu Jiji / 日布時事 [The Nippu Jiji], (Honolulu, HI)

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.08.29 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19200829-01.1.2&e=-------en-10--11--img---------

 

 紐育から

  五千弗試合

    プレスチナより

      サンテルに申込

マリン・プレスチナと言へば米國内に於て何人も對手となるを避くると云ふレスラーにて第一流のレスラーはトラストを作りて同人とは試合をなさざる事なるがサンテルが連戰連勝を聞いて紐育にて試合せんとし同人支配人よりサンテルに電報を送り四千弗を提供する故承諾せよとありたるもサンテルは五千弗ならば試合せんと返電を送たる由

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.08.31 Page 4

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19200831-01.1.4&e=-------en-10--1--img---------

 

 ロンドスの試合

       ハツセーンと

先夜チヤンピオン、タイトル試合にサステルに破られたるジミー、ロンドスはサンテルに復仇戰を申込めるも未だ回答なきが今週火曜日晩テリブル、タークとドリームランド、リンクに於て試合する由

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.09.02 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19200902-01.1.3&e=-------en-10--1--img---------

 

  ロンドス勝つ

    サンテルに試合要求

一昨夜ユシフ・ハツセーンとジミロンドスの試合ヅリームランドに於て行はれハツセーンは毆る蹴るマツト外に突き出すと言ふ亂暴の取り口をなしたるも二回ともロンドスに破られたりロンドスはサンテルより容易にハツセーンを破りし事(こと)故是非ともサンテルは余と再戰せざる可からずと再び昨夜挑戰したり

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.09.03 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19200903-01.1.2&e=-------en-10--1--img---------

 

   

    サンテル對ロンドス

    荒い連中も試合

過般オーデイトリアムにて希臘のチヤンピオン、ジミー・ロンドスはアド・サンテルに敗られ憤慨に堪へず盛んに報復戰を居たるがサンテルも之に應じ九月十三日再びオーデイトリアムにて試合する事となれり同夜は亂暴レスラーとして名高きバルカン・ランオン對ニシフ・ハツセンも試合すべしと

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.09.04 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19200904-01.1.2&e=-------en-10--11--img---------

 

◆― スポート ―◆

…▲サンテル對ロンドスの勝負は七千弗で勝つた者が六分負けた者が四分の配當ださうだ▲サンテルの事を言へば同人の日本行は本月十七日と定まり船室迄約束して置いたがプレスチナの申込もあるので十月十七日に延期したとの事だ

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.09.05 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19200905-01.1.3&e=-------en-10--11--img---------

 

サンテル

 強敵と試合

   プレスチナと

     紐育に於て

マリン・プレスチナと稱するレスラーは實際に於て米國一の強者なるべしとは一般の風評にて現ヘビーのチヤンピオンたるステカーもルイスもスビスコも決して同人とは試合せずとの事なるが今回紐育の興行人テキス・リカードよりサンテルに對し試合せよと申込來り四千弗の保證入場料二割五分桑港よりの往復切符二枚を條件として回答を促がしサンテルも之に應じたりとの事なるが是こそサンテルの爲には尤も恐べき敵と謂ふべし

 

 

The Cordova daily times.(Cordova, Alaska) September 08, 1920, Page 2

https://chroniclingamerica.loc.gov/lccn/sn86072239/1920-09-08/ed-1/seq-2/

(中央左列下部)

 

AD SANTEL WILL TRY

CONCLUSIONS WITH JAPS

 SAN FRANCISCO, Sept. 8 (by Associated Press).―Ad Santel, San Francisco wrestler, who, since his recent defeat here of Jim Londos, claims the light heavyweight championship of the world, plans to sail for Japan on September 17. On his return, he says, he will give up wrestling and become a farmer.

 

アドサンテルは日本人と勝敗を争おう

 サンフランシスコ、9月8日(AP通信より)。…アド・サンテル、サンフランシスコのレスラー、最近の彼の此の地に於けるジム・ロンドスへの勝利以来、軽重量級世界選手権を主張する者は、9月17日に日本に向けて出港する計画である。戻った後は、彼曰く、彼はレスリングを止めて農場経営者になろうと。

 

 

The Ogden standard-examiner. (Ogden, Utah) September 08, 1920, Page 6

https://chroniclingamerica.loc.gov/lccn/sn85058393/1920-09-08/ed-1/seq-6/

(右から3列目上部)

 

SANTEL STOPS OFF EN ROUTE

Wrestler Plans Invasion of Orient Starting in November

 

サンテルが途上で寄り道

レスラーが計画する東洋侵略が開始するのは十一月

 

 Ad Santel, world's light heavyw eight wrestling champion, well known to Ogden sport fans, was an Ogden visitor today en route to San Francisco from Greeley, Colo., where he met and defeated Toots Mondt in straight falls Labor day.

 

 オグデンの運動愛好家達によく知られている、アド・サンテル、世界軽重量級レスリング王者が、オグデンを訪問したのは本日、彼が労働者の日にトーツ・モントに連続一本勝ちをした、コロラド州、グリーリーからサンフランシスコへの途上であった。

 

 The champion recently met Jim Londos at San Francisco in a finish match, winning two straight falls after more than three hours of mat work with the Greek champion.

 

 王者は近頃ジム・ロンドスとサンフランシスコにて決着戦で立ち合い、三時間を超えるマット勝負の後にギリシャ王者から二本を連取して勝利した。

 

 Londos and Santel have been matched for a second bout to be held at the Dreamland arena In San Francisco, September 13, the match to be at catch weights and to a finish.

 

 ロンドスとサンテルは夢の国闘技場にて行なわれる第二戦を組まれている。サンフランシスコに於いて、9月13日、試合は契約体重にて決着するまで行なわれる。

 

 Ater the Londos match Santell will depart for the Orient where he will meet all comers. He will be on tour in China and Japan for more than six months, during which time he will defend his title. With reference to the trip to the Orient Santel today said:

 

 ロンドス戦後サンテルは東洋へ旅立ちそこで彼はあらゆる応戦者と立ち合うであろう。彼は巡業を中国と日本に於いて六ヶ月以上なし、その間中彼は彼の選手権を防衛しよう。東洋への旅についての言及と共にサンテルは本日かく語った。

 

 "I will leave San Francisco November 19 for the Orient where I will meet all corners at catch weights. The trip will consume about six months and should be a wonderful experience for me. K. O. Romanoff, who recently wrestled Jack Harbertson at Lagoon, will accompany me on the trip. Romonoff will be my training partner.

 

「我はあらゆる応戦者と契約体重にて立ち合うであろう東洋の地に向かって11月19日にサンフランシスコを離れよう。その旅は六週間程を費やして我とK.O.ロマノフにとって素晴らしい体験となろう。ロマノフは近頃ラグーンにてジャック・ハバーソンとレスリングした男で、その旅に我と同行する。ロマノフは我の練習相手となろう。

 

 "Wrestling in the Orient is one of the major sports and on my tour I should be able to return home with a small fortune."

 

 「レスリングは東洋に於いて主要な運動の一つであり我が旅に於いて我はちょっとした財産と共に帰郷出来よう。」

 

 Tex Rickard, New York promoter, has offered Santel a flat offer of $25,000 to meet Joe Stecher at Madison square garden, New York Christmas day, the champion being unable to meet the heavyweight title holder due to the fact that he has already signed to invade the Orient. While in Ogden he talked with scores of sport fans. He departed on westbound train No. 19 for the coast where he will complete training for the Londos match.

 

 テックス・リカード、ニューヨークの興行師が、サンテルに提案したのは定額25,000ドルでジョー・ステッカーとニューヨークの、マディソン方形公園にて降誕祭の日に立ち合う事だったが、王者がその重量級選手権者と立ち合い得ないのは彼が既に東洋侵略の契約に署名している事実の結果である。一方オグデンに於いて彼は多数の運動愛好家達と対話をした。彼は西行き第19列車で西海岸に向けて出発した。その地で彼はロンドス戦に向けた練習を仕上げるであろう。

 

サンテルはコロラド州からサンフランシスコへ戻る途中、ユタ州オグデンに立ち寄ってファン・ミーティングを行なったようです。

テックス・リカードはジョンソン対ジェフリーズの「世紀の一戦」ボクシング世界ヘビー級選手権を主催したプロモーターで、ニューヨークでアスレチック・コミッションの監督の下、プロレス興行も行っていました。

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.09.09 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19200909-01.1.2&e=-------en-10--1--img---------

 

 サンテル冷笑

      ロンドスに對して

   二人は又睨み合

來る十三日の夜市公會堂に於てロンドスはサンテルに對して報復戰をなす事となり居れるがロンドスはサンテルが體量を八釜しく言ふに對し彼は余の體量を減さし余を弱くせんとする者なりと非難せるに對し

 サンテル は哂(わら)つて曰くロンドスは負けたる爲に種々の文句を言ふが元來余は何時にても容易にロンドスを負かす考なりさなくば彼の報復戰申込を承諾する理由なし元來彼はレスリング社會に於て何人(なにびと)を負かしたる立派の歴史ありや云々と大に嘲笑の語を漏らしたり

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.09.12 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19200912-01.1.3&e=-------en-10--1--img---------

 

  サンテル帰る

       モンツを破りて

      明日は又強敵

世界レスリング・ライト・ヘビーウエイトのチヤンピオンたるアド・サンテルは労働祭にコロラド州グリーリーに於てツース・モンツを破り一昨夜帰來し昨日は又オーシヨン・ビーチにて練習を始めたるが、明十三日の夜は市公會堂にてロンドスの復仇戰に應ずる事となり居れり前回にも増して猛烈なる試合を見る事ならん

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.09.15 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19200915-01.1.3&e=-------en-10--1--img---------

 

 サンテル敗る

    ロンドス二回の勝

一昨夜市公會堂に於て催されたるサンテル對ロンドスの

 復讐戰は サンテル従來の策戰をかへ攻勢に出で相互幾たびか危険の場合ありしも一時間四十七分五十七秒にてサンテルはロンドスのアーム、シーザーにかかり敗れたり第二回サンテル猛烈にロンドスを攻め三分

 四十五秒 にてアーム、シーザーにて破り更に三回の試合にはロンドスのフルネルの手にかかりてサンテル敗れ勝はロンドスに帰したり

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1920.09.15 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19200915-01.1.3&e=-------en-10--1--img---------

 

●ロンドスの

   

  ▲サンテル敗る

 =三度兩選手の會戰か=

レスリング界の人氣者サンテル對ロンドス兩選手の第二回相撲競技は昨夜九時半より大博記念館に於て開催されたるが今回は前回に破れたるロンドスの復讐戰の事とて多大の

 ▼人氣を 呼び開會以前既に滿場立錐の餘地無き大盛況を呈したるが當夜兩選手の體量はサンテル百八十一封度(ぽんど)、ロンドス百九十三封度にして勝負は第一回戰に一時間と五十七分を要してアーム・シーザーの手にてロンドスの勝利に帰し、第二回戰は僅かに

 ▼八分餘 にてサンテルは同じ手にてロンドスを締め、愈々第三回の決勝戰に十四分餘を以つてネルソンの手にて遂ひにロンドスの勝利に帰したるがサンテルは此の復讐戰として三度ロンドスに試合ひを申し込むやも知れずと

 

 

央州日報 Ōshū Nippō, 1920.09.17 Page 5

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=osn19200917-01.1.5&e=-------en-10--1--img---------

 

●角力大勝負 日本行の噂あるサンテルは桑港でロンドスよりの復讐戰に應じて取組んだが第一回一時間五十七分間アームシーザァでロンドス勝ち第二回は僅かに八分間にてサンテル同じ手で勝ち第三回の決勝戰は十四分餘を以てロンドス再びネルソンで勝つたがサンテルは三度ロンドスに試合を申込むべしとの事である

 

 

The Seattle star. (Seattle, Wash.) September 14, 1920, Page 10

https://chroniclingamerica.loc.gov/lccn/sn87093407/1920-09-14/ed-1/seq-10/

(左から3列目最下部)

 

LONDOS FLOPS SANTEL

ロンドスがサンテルを倒す

 

 SAN FRANCISCO, Sept. 14.―A third match between Ad Santel, holder of the light heavyweight mat title, and Jim Londos, champion of the Greeks, practically was assured an a result of Londos' victory last night over Santel in the civic auditorium here.

 

 サンフランシスコ、9月14日。…アド・サンテル、軽重量級レスリング選手権保持者と、ジム・ロンドス、ギリシャ王者との間の、第三戦(※第二戦が正しいか)が、此の地の市公会堂に於いて実地に確かめられた結果はロンドスのサンテルに対する昨夜の勝利であった。

 

 The Greek evened up the score by taking the best two out of three falls, but not without a mighty struggle. Jim won the first fall in an hour and 57 minutes. Santel took the second in jig time flopping Londos in little more than eight minutes. Londos came hack with a vengeance and pinned Santel in 14 minutes, 43 seconds.

 

 ギリシャ人はその二本先取の三本勝負をものにする事によって戦績を同等にしたが、壮大な闘いがなくてはならなかった。ジムは一本目を一時間57分で勝ち得た。サンテルが迅速にロンドスを倒して二本目を得たのは八分少々の内にであった。ロンドスが復讐心に燃えて盛り返しサンテルを14分、43秒にて押さえ込んだ。

 

 Several weeks ago Santel won from Londos, incidentally clinching his claim to the light heavyweight crown. Last night's tangle did not involve that title because it was at catch weights, Londos outweighing his adversary by 12 pounds.

 

 数週間前サンテルはロンドスから勝利を得、付随して軽重量級王座に対する彼の資格を確定させた。昨夜の闘いがその選手権に関わらなかったのはそれが契約体重にて行なわれた為であって、ロンドスは彼の敵より12ポンド重かった。

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.09.17 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19200917-01.1.2&e=-------en-10--1--img---------

 

 試合は物議

    サンテルの負は

     何か意味ありさう

前夜市公會堂に於てサンテルがロンドスに負けたる事に關しては風評却々(なかなか)盛んにて第一回の試合工合(ぐあい)と云ひ第二回のサンテルの早業と云ひそして又第三回にサンテル安々ロンドスに負けたるは何となく怪しき事なりと各新聞は云ふに及ばず一般同好者間にも風評多し

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.09.21 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19200921-01.1.2&e=-------en-10--1--img---------

 

 ピセツクとルイスの試合も

  自然消滅

   サンテルとロンドス

    勝負が怪しいと

過般市公會堂に於て八千餘の群衆を呼び三弗四弗と言ふ如き高き

 入場料 にてサンテル對ロンドスの大勝負をなしたるがサンテルが二回負けロンドスが一回負けたる試合の状態は甚だ怪むべき點ありとて多數の群衆何れも疑念を起し特に又同夜はベツチも夥しくありたる如くなるを以て一般此勝負の爲に憤慨し今後入場者は殆んど減じ去るべき模様なるが故にプロモーター、シユラー氏も當分やらずと稱し本日の

 試合は ルイス對ペセツク試合も自然消滅となりし由

 

ベツチ」は“bet”(賭け)。

 

 もちろん今となっては真偽を知りようもありませんが、興行に影響を及ぼす程に疑惑が広がっていたことは事実のようです。

 いずれにせよ、サンフランシスコ・マットはこの後、ロンドスを中心に回って行き、サンテルはいよいよ日本行きを目指すことになります。

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.09.24 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19200924-01.1.2&e=-------en-10--1--img---------

 

 サンテル結婚

     (ひそ)かに王府で

    日本行きは十一月

過般ロンドスに破られたるが、此の試合に關しては様々の風評あり是が爲め桑港のレスリングは全く不人氣となり、果てサンテルもロンドスも一言も言ふ所なく兩人共東部に行きたりとの風説ありしにサンテルは一昨夜オークランドにてローラ、アレンと言ふ婦人と結婚したり兩人は一先づ市俄古に行き十一月日本に向ふ筈なりと

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.11.12 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19201112-01.1.2&e=-------en-10--1--img---------

 

□久りの

 大相撲

   ◆カドツク、ペセツク、ロンドス

  打ち揃つて來らん

▲太平洋沿▼ 岸に於て何人も匹敵する者無かりしアド、サンテルを破つて後更に音沙汰爲(な)かりしジミ、ロンドスは久し振りにて試合の報を各方面に傳へたり同人は昨夜ルイジアナ州シオクス市にて瑞典(すえでん)のチヤンピオンと稱するマツト、オーラントと試合し二回勝ちたり之と同時に

▲ロンドス▼ と前チヤンピオン、カドツクの大試合兩支配人の間に承諾せられ十二月十四日の夜市公會堂に擧行せらるる事となれるも同夜は公會堂を使用し得ざるを以て同月十三日か十五日に決定するならんとの事にて尚亦本月

▲二十三日▼ の夜には嘗つてサンテルを悩ましたる事あるジヨン、ペセツクと同じくサンテルをフアオルにて氣絶せしめたるマチンソンとドリームランドにて競技する由なるが暫く中絶せる桑港レスリング社會も又々大賑ひを見る事ならん

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.11.14 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19201114-01.1.2&e=-------en-10--1--img---------

 

〇サンテル帰る

     日本行は又延期か

ジミ、ロンドスに破れて後花嫁と共に市俄古(しかご)にホネー、ムーンをなし居たるアド、サンテルは一兩日前帰桑したるが日本行きは或は延期しアール、カドツクと試合する考なりと

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.11.19 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19201119-01.1.3&e=-------en-10--1--img---------

 

 〇年末になつて

  大試合續々

      ペセツク對

     マーチンソン試合

桑港レスリング社界はサンテル對ロンドスの試合が危(あや)しと稱し是にて全く観客を失望せしめたるが三十日にはペセツク對マーチンソンの大試合ある筈にて兩人とも今明日中には

▲決定 すべしとの事なるが此試合の勝者に向かつてロンドスが試合し更に來月十三日には前チヤンピオン、カドツクとロンドスの試合あるべしと興行人シユラー氏は昨日發表したり

 

 

日布時事 Nippu Jiji, 1920.11.24 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnj19201124-01.1.3&e=-------en-10--1--img---------

 

西洋相撲の大立者

  サンテル來らん

日本の柔道と相撲とを研

究しに明便か又は次便で

日本の柔道と相撲道の精華を研究し且つ西洋相撲の妙味を我が國人に紹介したいと言ふ目的から頻りに渡日の機會を待つて居た米國角力界の大立者アド・サンテル君は多分明朝の西伯利丸で當地に寄港する筈である

サンテル君は百八十封度(ぽんど)即ちライト・ヘービー・ウエートクラスの横綱である、十三年間二百六十回の勝負で唯一回ステツカーに後れを取つたのみで常勝将軍のタイトルを支持して居る、彼は大陸での柔道試合で伊藤五段と闘つて優勢を占め酒井四段に勝つてゐる、其腕力の強きこと栃木山の如く仕合口も紳士的である

彼は元來獨逸人の帰化米人であるが未だ渡米せぬ前から日本に憧憬し、日本人の氣性を好愛してゐるが彼の渡日は定めし日本の角界を賑(にぎは)すに違ひない

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1920.11.29 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19201129-01.1.3&e=-------en-10--1--img---------

 

◆サンテル渡日の

 前触れ

    日本人は好き

西部相撲界の人氣者アド・サンテルは以前から頻りに日本へ行きたがつて居たが愈々耐(たま)り兼ねたものと見え先頃帰つて行つたサンテルの

▼支配人 増子孝慈氏に日本各方面の有力者と交渉して貰ふことにしてゐる相(さう)だがサンテルの渡日目的は日本の柔道と相撲道の精華を研究し同時に西洋相撲の妙味を日本人に紹介するに有ると云ふ増子氏は之を東京に於て發表し且つ曰く「サンテル君は

▼百八十 封度(ぽんど)ライト・ヘビー・ウエート級の横綱とも云ふべきで十三年間二百六十回の勝負に唯一回後れを取つたのみで常勝将軍の稱號を支持して居る米國で柔道と試合しても伊藤五段とは一勝一敗酒井四段には

▼勝利を 占め其他高橋二段三宅太郎の諸君にも勝つた腕力は栃木山の如く試合口の紳士的なるは伊勢ケ濱にも比すべきであらう、元來は獨逸人で今は米國に帰化して居るが渡米前から日本に憧憬(あこが)れ常から日本人の

▼氣性を 好愛し其の相撲と柔道を研究することを熱望して居たのである常陸山渡米の際は勿論大阪の朝日山一行と會つた時も非常に喜んだ」と

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.12.13 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19201213-01.1.3&e=-------en-10--1--img---------

 

 〇今夜相撲

    前チヤンピオンと

   のロンドス試合

今夜市公會堂に於てレスリング界前世界のチヤンピオン・アール・カドツクと近來連戰連勝の希臘チヤンピオン、ジミー・ロンドスとの大試合ある筈にてカドツクは無限の

 妙手 を解し居ると評判のレスラーにて立つても寝ても驚くほどの術ありと尚亦今夜ニユーヨークにてはサンノゼのストラングラー・ルイスと現チヤンピオン・ステカーとの試合あるべしと

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1920.12.15 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=jan19201215-01.1.3&e=-------en-10--1--img---------

 

●カドツク勝つ 一昨夜桑港オーデトリーアームにて行はれしカドツク對ロンドスの相撲は一勝一敗の後卅分間戰ひしも勝負無かりしがカドツクに勝味多しとてカドツクの勝利と審判さる

 

 

新世界 Shin Sekai, 1920.12.19 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19201219-01.1.2&e=-------en-10--1--img---------

 

 〇年の暮を前に

 相撲界活氣

  ロンドス大威張

  千弗賭けて試合申込

過般市公會堂にて前チヤンピオン・カドツクと一勝一敗を取りしもポイントに於てカドツクが勝ちと宣告せられたるジミー・ロンドスは昨日

 宣言書を 發して曰く余は米國内のビツグ・フオーアたるステカー、ルイス、ズヒスコ、カドツク何人なりとも試合せん爲一千弗を新聞社に積み置くべし若し希望とあらばサードベツチとして此金を勝者に送らんとすカドツクは余を負かりしたりと言ふも余は負けたりと信ぜず彼は

 余の再戰 に慶ぜずしてサンテル其他幾多の人と試合する由是不都合極まるを以て出來得る限り彼に不愉快なる態度を示すべしと言ひ今回チヤンピオンとなれるストラングラー・ルイスにも試合を申込むべしと稱し居れり来週火曜日にはサンテル對カドツクの試合ありルイスも亦加州に帰る事とて是より益々大活氣を生ずるならん

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.01.31 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19210131-01.1.2&e=-------en-10--31--img---------

 

 □サンテル戰はん

     ◇強敵ズビスコと

過般ウラデツク・ズビスコと一勝一敗して審判官に敗戰を宣告せられたるサンテルはウラデツクの兄弟にして天下無敵と稱せられ居るスタニスロース・ズビスコと金曜日の夜市公會堂に試合する事となりたり體量サンテルよりは六十斤以上も重きを以てサンテルは之を拒みたるも種々興行人シユラーに説かれて遂に承諾したりと

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.02.06 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19210206-01.1.2&e=-------en-10--31--img---------

 

 □ズビスコ勝つ

一昨夜市公會堂に於けるサンテル對スタニスロースのレスリングは一時間と三十分試合しズビスコのヘツド・ロツク及びクロツシ・ホールにてサンテルを負かしたり

 

□サンテル来訪 來る八日日本に向つて出發するアド・サンテルは昨日當社を訪問し種々依頼する所ありたり

 

 「クロツシ・ホール」は「クラッチ・ホールド」でしょうか。

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.02.08 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19210208-01.1.3&e=-------en-10--11--img---------

 

 ◎今日西比利(しべりや)で渡日する

   桑港角力界大立者

      永い噂のサンテル君が旅立ち

    東京では御船五段仕合

永い間噂の種になつてゐた桑港レスリングのチヤンピオンたるサンテル君の渡日も愈々實現して今日多數のレツスラー及日本人贔屓に見送られて出發する事になつた同君のマネージヤーはヘンリー・ウヱバー氏で今度の

▲渡日は▼ 只二人切りであると云ふが日本人側のマネージヤーは河沼(かはぬま)一氏を主としてゐる同氏は感想を語るに自分は米國レツスリングのチヤンピオンを連れて行く事は随分永い間の希望であつたが之れが今回實現した譯で日本の爲めにも此新しい

▲米國の▼ 角力方面を紹介する事は無意味でないと信ずる」と因(ちなみ)に一行の東京に於る既定のプログラムは以下の如し

 ▼プログラム

▲二月廿日柔道選手招待▲二月廿五六日着日歓迎會大隈侯尾崎、大迫大将、山下八段、御船六段、出羽の海、各新聞記者、各運動倶樂部代表者、西園寺八郎、戸山陸軍々楽隊▲二月廿七日名士御禮廻り▲二月廿八日各宮家に於て技術台覧▲三月二日大隈侯邸参向▲三月四日名士新聞記者招待サンテル主催(柳橋柳光亭に於て日本料理)▲三月五日サンテル會々長大迫大将邸訪問▲同夜柔道選手一同と會見晩餐精養軒▲三月六日獨逸大使館米國大使館訪問▲三月十日十一日國技館第一回試合サンテル對兒玉四段、サンテル對御船五段▲三月廿日大阪にて試合

尚一行は昨夜本社の送別會に臨み日本食に打ち興じたり

 

 実際には試合の日、場所、相手など予定は大きく変わっています。同行者は当初のロマノフからウェーバーに変わりました。

 三船久蔵(当時は六段)については、かつてサンテルに敗れた坂井四段が、打倒サンテルのために三船に手紙を書いて渡米を促した、という話もありました。

 

新世界 Shin Sekai, 1918.02.06 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19180206-01.1.2&e=------191-en-10-tnw-41-----------

 

 ●柔道試合……三船六段渡米する

 ◆―普通の柔道家では駄目だからと―◆

 酒井四段が同氏の渡米を促した

(前略)恐らく日本でサンテルに勝つ者は只一人であらう、夫れは日本の柔道界で無敵の三船六段だ、(後略)

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.02.08 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19210208-01.1.2&e=-------en-10--11--img---------

 

― スポート ―

サンテルは今日ツレーニング、パートナーなるバーバーと共に日本に行く△日本柔道界の一流なる三船兒玉(こだま)諸氏とは既にマツチが作られてあるがサンテルが柔道着をきたら負け裸なら勝つと豫想する△サンテルがアームシザーかトー、ホールを取れば勝とならう△ペセツクとルイスが本月十七日カンサス市で試合する事になつた

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.02.09 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19210209-01.1.2&e=-------en-10--11--img---------

 

― スポート ―

サンテルは昨日日本行に際し一度日本へ行つて來たら恐らく何人にも負けぬレスラーになれるだらうと言つて居つた

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.02.09 Page 3

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19210209-01.1.3&e=-------en-10--11--img---------

 

□ピツクホード

 渡日は四月

▲昨日出帆せず

昨日出帆のサイベリア丸にてサンテルと同時に渡日する筈であつた羅府の名活動俳優ドグラス。フヱヤーバンク及びメリー、ピツクホード其他チヤプリン等は何等かの都合で來る四月迄延期する事になつたと昨日西比利(さいべりあ)の船長は語つてゐた

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.02.16 Page 2

https://hojishinbun.hoover.org/?a=d&d=tnw19210216-01.1.2&e=-------en-10--11--img---------

 

 □ロンドス

    紐育にて敗戰

     カドツクの爲に

桑港市公會堂にてレスリング界前チヤンピオンたるアール、カドツクに破られたる希臘のチヤンピオン、ジミー、ロンドスは復讐戰をせんと各地を附け廻し居たるが

▽一昨夜 紐育マデイソンスコヤにて試合し二時八分三秒にてカドツクのヘツド、シザーとリスト、ラツクルにかかり又々破られたり此敗戰に至る迄ロンドスは幾度か危機に際し就中(なかんづく)トー、ホールを取られたる時の如きは何人も敗戰と思ひたりしにロンドスは堪へ忍びて此長時間戰へるものなりと

 

― スポート ―

…△米國相撲界のトラストから排斥されて決して一流株と取組出來なんだプレスチナは漸く仲間に入れられ第一回ズビスコ第二回ステカー第三回ルイス第四回カドツクと戰ふ事になつたと△此強敵が始めての顔合せさぞ面白い試合を見せる事だらう

 

 

 サンテル、ロンドス、そしてプレスチナは、それぞれの道を歩み始めました。サンテルは念願の日本遠征が実現です。

 

 

 

メニューページ「柔道征服 アド・サンテル」へ戻る