サンテルの日本遠征 在外邦字紙の報道

 

 

Stanford University

HOOVER INSTITUTION LIBRARY&ARCHIVES

邦字新聞デジタル・コレクション

Hoji Shinbun Digital Collection

Japanese Diaspora Initiative

https://hojishinbun.hoover.org/

 

Nippu Jiji / 日布時事 [The Nippu Jiji], (Honolulu, HI)

Shin Sekai / 新世界 [The New World], (San Francisco, CA)

Nichibei Shinbun / 日米新聞 [The Japanese-American News], (San Francisco, CA)

Nichibei Jihō / 日米時報 [Japanese American Commercial Weekly], (New York, NY)

Ōshū Nippō / 央州日報 [The Oregon News], (Portland, OR)

Shin Shina / 新支那 [The New China Daily], (Beijing, China)

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1921.02.02 Page 3

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●高橋二段

  連戰連勝す

   ▲山中部の人氣集まる

   ▲サンテル渡日期確定

以前桑港にゐた柔道二段高橋精造氏は今傳馬(でんばー)に於て同地鑛山學校及び基督教年會の柔道師範をし傍ら時々米人力士や拳闘家連と公開試合をしたりして居るが殆んど連戰連勝非常な人氣があり

▼山中部 の諸英字新聞は何れも其度毎に「プロフエツサー・タカハシ」の妙技を賞讃して居る有様だといふ、猶サンテル渡日準備の爲め目下東京で奔走してゐる支配人の増子氏がサンテルは高橋氏をも敗つたと傳へて居るが氏は従來サンテルに敗を取つた事は一度もないと

▼否認し て居るとか、因みにサンテルは愈々今便西比利丸(さいべりあまる)で來(きたる)八日渡日することになつたと

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1921.02.04 Page 3

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◆渡日する

 サンテル君

    △西比利丸で

  =柔道も學んで來ると

既報の如く力士サンテル君は愈々來る八日出帆の西比利丸で櫻咲く日本へ渡る事になつたが昨日同行者のウイバー君と共に本社を

▽訪れて 曰く「ニ三年前から一度は日本へ行つて見たいと思つて居ました、昨年増子支配人が日本へ帰る時日本の其道の人と能く相談する様に頼んで置いた處が此度同氏から「東京の櫛引弓人氏と交渉したに氏も非常に乗氣になり氏の手で日本

▽各都市 を巡業する事に定めたから來るなら早く」との書面が來ました、夫(そ)れで急に行く事になつたのです同封された大體(だいたい)の豫定プログラムによると最初東京の帝國ホテルに各名士新聞記者柔道家力士連を招待してレツスリングを紹介し國技館をニ三日興行した後京都、大阪

▽名古屋 神戸を始め全國人口五萬以上の都市を巡業する事になつて居ます、レツスリングの相手は同行のウイバー君ですが日本の柔道家や力士とも仕合します其勝負は何の點で決するかと云ふと性質の違つた他流仕合で多少難しいですが何れ其時々に

▽相談の 上でルールを定めませう、滞在豫定は約四ヶ月以上八ヶ月ですが若し興行は當れば比列賓(ひりつぴん)支那(しな)の各地も巡業し度いと思つて居ます、夫れから日本では事情が許せば講道館で柔道をも學ぶ心算です、ホノルルの金城君からも仕合を

▽申込ま れて居ますから帰途立寄つて見ませう、こんな大きな體でも船に酔はなければ良いがと心配して居ます、船中十八日間矢張毎日稽古して行きませんと愈々の場合に駄目ですからネー」

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.02.08 Page 1

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 サンテル日本行

アド、サンテル本日日本に向つて出帆す、吾人はサンテル其人の技倆の故に云々せんとするに非らで、是に因りて、日本の相撲日本の柔道に多少の革命來らん事を期待する者、否(いな)來らせん事を切望する者なり。凡てお國自慢は進歩の道に非らず、柔道以外、相撲以外、外國には又外國のフアイテング、レスリングの術ある事を示し、日本の體育法にフアイテイング術に一大覺醒を促がさんとするが故に氏の行を喜ぶ者なり。

 

 前回、同日の「新世界」紙の2、3ページの記事を紹介しましたが、一面にも記事がありました。

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1921.02.08 Page 2

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●サンテル出發 米國力士サンテル及びウイバーは既報の如く本日出帆の西比利丸(さいべりあまる)にて増子支配人同伴渡日の途に就く事となれるが昨日来社の増子氏談に依れば一行の主催を興行師たる櫛引氏を以てするに講道館側に異議有り依つて米國相撲倶樂部の主催と變更せりと

 

 

央州日報 Ōshū Nippō, 1921.02.12 Page 5

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●サンテル渡日

     ▲御船五段と仕合

桑港角力選手のサンテルは愈々去る八日同地發のサイベルヤ丸で出帆渡日したが日本人マネージヤー河沼一氏同伴せりと東京にては大迫大将の後援あり名士各新聞記者の招待歓迎等あり三月十日より二日間國技館にて兒玉四段及び御船五段と仕合し三月廿日大阪に赴く筈なりと

 

 

日布時事 Nippu Jiji, 1921.02.14 Page 2

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 寄港した

 サンテル

    金城とは帰途試合する

豫(かね)てより渡日の噂あつた力士サンテルは愈々本日のサイベリヤ丸で寄港した、同人は曰く「ニ三年前から日本に是非一度行つて見たいと思つてゐが今度いよいよその望みが叶ひました、日本から通知した

 大體の プログラムによると最初東京の帝國ホテルに各名士新聞記者柔道家諸氏連を招待してレスリングを照介し、國技館でニ三日興行した後京都、大阪神戸を始め全國人口五万以上の都市を巡業する事になつて居ます、レツスリスグの相手は同行のウイバー君ですが日本の柔道家や力士とも仕合します其勝負は何の點で決するかといふと性質の違つた他流仕合で多少むつかしいですが何れ其時々に相談の上でルールを定めませう滞在豫定は約四ヶ月以上ですが若し興行が當れば比律賓(ひりつひん)支那(しな)の各地も巡業したいと思つて居ます、それから日本では事情が許せば

 講道館 で柔道をも學ぶつもりです、當地の金城君からも仕合を申し込まれてゐますから帰途立寄つて見ませう、こんな大きな體でも船は酔はなければよいがと心配して居ます」

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.02.21 Page 2

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◆― スポート ―◆

… ▲山中部レスラーで高橋精造氏に勝てる者は一人もないと同氏近頃の進歩は夥しいと過般サンテルも話した

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.02.21 Page 3

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〇二名優

 渡日=中止

  ▲ドグは墨國に納る

  チヤプは當分動かぬ

▼サン テルと一所に渡日し日本の春を稱讃し六月頃帰米すべしと傳へられし活動俳優のドラグス・フヱヤバンクは都合上四月頃に延期されたりと傳へられしが昨日羅府より來れる電報に依ると彼夫婦は日本行を断念して

▼當分 墨西哥(めきしこ)に閑散の月日を送る事となりしと云ふ、墨西哥にはドグの親友あり彼の爲めに一戸を贖ひて與へたと云へば定めし彼は當分之れに納りて例のニコニコ振りを發揮する事なるべしと而して彼と同時に

▼渡日 するとの評判ありしチヤプリンは多少計畫する彩畫ありとかにて之れ又暫くの間は沙汰止みとなるべしと斯くて日本の春は二米國の俳優から見捨てられた理なり

 

 ダグラス・フェアバンクスの当時の細君はメアリー・ピックフォード。

 前回ご紹介した「新世界」2月9日号の記事では、見出しが「ピツクホード 渡日は四月」となっていました。

 

 

日布時事 Nippu Jiji, 1921.02.21 Page 2

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東京にサンテル會

    大迫大将が會長となる

    各宮家技術台覧

先日サイベリア丸で渡日したアド、サンテルはなんと云つても西洋相撲では米國でも第一人者を以て任ずる力士であるが日本ではサンテル會が出來

 大迫大将 が其會長となつてゐる、サンテル君は東京では各宮家に召されて技を演ずることになつてゐるが滞日中のプログラムは左の如くである

▲二月廿日柔道選手招待▲二月廿五六日着日歓迎會大隈侯、尾崎、大迫大将、山下八段、御船六段、出羽の海、各新聞記者、各運動倶樂部代表者、西園寺八郎、戸山陸軍々楽隊▲二月廿七日名士御禮廻り▲二月廿八日各宮家に於て技術台覧▲三月二日大隈侯邸参向▲三月四日名士新聞記者招待サンテル主催(柳橋柳光亭に於て日本料理)▲三月五日サンテル會々長大迫大将邸訪問▲同夜柔道選手一同と會見晩餐精養軒▲三月六日獨逸大使館米國大使館訪問▲三月十日十一日國技館第一回試合サンテル對兒玉四段、サンテル對御船五段▲三月廿日大阪にて試合

尚ほサンテル君は帰途布哇(ハワイ)に立ち寄つて金城君と試合する筈になつてゐる

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.02.24 Page 3

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〇サンテル無事 去る八日出帆したサンテル一行の河沼氏より一同無事との手紙本社に到着

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1921.02.24 Page 3

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 ●サンテルの

  渡日だより

     舩上の練習

   ▲布哇から桑港の知人へ

過日サイベリヤ丸で日本へ向け遠征の途に上つた沿岸角力界の花形アド・サンテルがホノルルから桑港の知人に宛てた最初の音信に曰く「今は恰度(てうど)午前十一時海は極度に静かさを保つてゐるが此通り續けばいいがと思つてゐる、今朝

▼朝飯前 に五哩(まいる)ばかり甲板を歩いた、午後にはマツトの上で練習する、毎日恁(か)うしてゐるから病氣には罹らない、ウエバーはメニユーに書いてある物を全部持つて來らせるから食物にも滿足してゐる、同船者には面白い人が澤山ゐるから

▼時の經 つのが馬鹿に早い」とウエバーといふのはサンテルの角力對手である「お知らする値打のある出來事はウエバーの鍔廣(つばひろ)の氈帽(はつと)が海の中へ吹き飛ばされた事に御座候」とサンテルは書き添えて來た

 

 

新支那 Shin Shina, 1921.03.01 Page 5

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闘大家來

 日本柔道を研究し

   大家と挑戰の爲め

 日本柔 道大家に挑戰の目的を以て渡航中の米國格闘家大選手アドサンテル氏は西伯利丸にて二十六日横濱に着せり講道館にては四五段級より選抜して眞劍の勝負を決せしむる筈氏は支那南洋にも渡り競技を試みんと(廿七日東京發東方電)

此機會を利し國際競技會主となりレツスリングと日本柔道との試合を決行する事とし夫々準備を整へて居るサンテルもウエバーも

 米國に 於てはレツスリングの選手であるが今回日本の柔道の研究が目的で來朝するのだから日本に於て柔道選手と試合する事があつても普通興行と同一視されては困ると云つて居るので當局に於ても其心算で一切の準備を進め會場としては田中陸相の了解を得て九段靖國神社境内相撲場を借入れる事とし兩選手の對手として講道館の三四五段の

 猛者が 出場すべく山下八段其他が審判の任に當る筈であるサンテルは今年卅四歳の體量百八十パウンド身長五尺九寸嘗ては米國に於ける本邦柔道家伊藤五段坂井三宅兩三段等と試合して對等の結果を示して居るから日本に於ての試合は頗る興味を惹く事であらうが日本に於ける研究や試合が済んでから支那にも來ると云ふから當地でもその妙技を見る事が出來るであらう

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.03.09 Page 3

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 □サンテルは引分け

    ◇……永田三段と仕合ひ

先月八日桑港を出發せるサンテルは東京到着後各後援者を歴訪歓迎會等にも臨み至極元氣なるが七日には講道館に於て柔道との試合あり彼の同行者たるウイバーは増田二段と試合の結果引き別(わけ)となり、彼は永田三段と試合せるも矢張り引き分けとなりたり御船五段との試合は他日國技館にて行はれん

 

 電信による速報と思われます。日付や場所は不正確です。

 

 

日米時報 Nichibei Jihō, 1921.03.19 Page 4

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 〇サンテルと

  柔道家の試合

米のレツスラー サンテルは七日講道館にて柔道家と試合し同行者ウイバーは増田二段と試合して引分となりサンテルもまた永田三段と引分に終つたが近く御船五段と國技館にて試合する筈(東京三月十一日)

 

 ニューヨークでの速報。

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1921.03.23 Page 2

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◆東京にて大歓迎

     サンテル君音信

先頃渡日したサンテル君から昨日本社一記者に宛て次の如き第一回の音信があつた▲「我等一行は無事横濱に到着しました目下東京に於て各方面からの招宴を忝(かたじけな)くし日夜多忙に過して居ります第一回の試合は來る三月五六の兩日から始まりますが東京の各新聞では吾々の評判が大變宜しい様です詳しくは後便で申上げませう」▲右は二月二十八日附の上野公園花見の雑踏光景の絵葉書に記されたものである

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.03.23 Page 2

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◆サンテル通信

日本に赴きたるアド、サンテルは昨日本社に書を寄せ身體は頗る強健横濱に着くや否や大歓迎を受けた、各新聞は自分の事に就て非常に善い記事をかいてくれた、試合は五日六日に九段の招魂社でやる事になり今盛んに練習して居る十分注意して試合するから安心して下さい云々

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1921.03.24 Page 3

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●サンテルの

 試合規定成

    ▲他流試合の柔道家

目下日本に於て柔道家との試合を續けて居る米國力士のサンテルは此他流試合を如何なる競技規定で行ふかに就いては當初大分難しい問題と思はれて居たのであるが日本柔道家との協議の結果次の如く定められ之に依つて勝負を決して居ると云ふ

▲試合場 三間四方にマツトを敷き其上にゾツクを張る▲服装 何れも柔道着を着用し猿股は各自家用を使用尚ほ力士方は靴を用ふ▲試合開始 握手して一歩下る▲試合時間 廿分(一回勝負時間)▲休憩時間 十分(一回毎に)▲試合 三番勝負▲審判者 日米各一名▲負け の合手、抵抗力を失つた場合、身體故障を生じた場合は休憩時と合し卅分試合を取組出來ない時禁手業の使用(二回を重ねた場合)

▲禁手業 突き打ち、蹴、眼、鼻、口孔等に指を入れること、指の逆、首の逆、睾丸の握り、其他の危険な業は審判者の判定に委す

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.03.31 Page 2

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 □柔道對=レスリング

     サンテル三段四段と戰ひ引分

   太刀山見て居て我慢出來ぬ顔

試合をするのせないのと騒いで居たサンテル對柔道家のマツチは三月五日午後一時から九段靖國神社境内で催された多數の名士多數の柔道家と相撲其他一般の観客數千人の大入り

▽審判官は 四段山田敏行氏とブラウンの復審先づ増田二段とウエバーとの試合が始まつたがウエバーは増田に締落され氣絶第二回戰はウエバーの締襟送りで永田破れ第三回はニ十分のタイムが來て引分となつた

▽サンテル 對永田三段の試合となつたサンテルは一攫(つかみ)につかんで仕舞はうとする勢ひ永田は巧に逃げサンテルの背後から喉を締めやうとしたがサンテルに振り放たれ又横四方に組まんとすると時間となり第二回はサンテル倒れた儘ヘツド・ロツクで永田を破つたが文句がついて痛み分けにした更に六日の試合は

▽清水三段 とウエバーの試合にて第一回はウエバー左手の逆をとられて敗第二回も右手の逆にて敗れたり夫(それ)より庄司四段對サンテルの試合は庄司より掬ひ投げを打ちしもサンテル跳起き却つて巴投げにて庄司を二回投げ庄司漸く小外刈りをかけ腕挫(くぢ)きに行かんとすると

▽サンテル 袈裟かけを喰はせ既に押へ込まんとせる時タイム第二回戰に庄司は左内掛と巴投とにて二回宛(づつ)サンテルをなげたるもサンテルは猫の如く起きて庄司を引寄せ倒れたる儘庄司の右の腕を取り得意のアーム・ラツクを喰せんとせしもタイムにて引分け第三回にはサンテル

▽猛虎の如 く飛びかかり押さへ逆締めと秘術を盡したるも永田(※正しくは庄司)巧みに逃げて引分けとなる

記者曰く此試合はタイムが僅かにニ十分であると言ふ事と稽古着を着せられたのでサンテルは餘程割が惡い試合だ太刀山は見て居て佛壇落しか喉輪で行つたらどうかならうとむじむじして居たさうだ

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1921.04.01 Page 5

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日 本 近 信 (三月十一日)

◆サンテル、ウエバー兩氏と

 日本柔道家の試合ひ

      =サンテル君善く戰ふて=

 永田三段、荘司四段等と引分け

日本としては空前の國際的競技たる米國レスリング選手サンテル、ウエバー兩氏對我柔道家の試合は五日六日の両國靖国神社境内に於て擧行され出場選手は講道館有段者會の防遏(ぼうあつ)も意とせず結束してこの大敵に當つたが猶ほ一應は嘉納師範の諒解を得る必要ありとして主将格の

▼兒玉四段 三日夜嘉納氏を訪問し「吾人も講道館員たる以上絶對に先生の意志に背馳するが如き行爲を執るものでない併し吾人の出場に對しては最初柔道の世界的發展の一手段として先生が之を黙許せらるる御方針と承りたる爲めその意味にて出場を肯じたるものにて此上は甘んじて國技發揚の爲に犠牲者とならん」と述べた

▼第一日の競技

 日本側少し優勢

   ウエバー君氣絶

      サンテル君痛分

第一日の競技會には折柄の好晴と物珍らしさに観客は頗る多く間断無く送る拍手と聲援とに依り境内はいやが上にも活氣立つて見えた競技場は土俵にマツトヅツクを張つて之に當て定刻より少し遅れて山田四段ブラウン兩氏の審判に依り第一回の試合は開始された

▼{ウエバー●○× 

      増田二段○●×}引分

▲第一回 兩者組むや増田術を用ゆる間もなく押し倒されウエバーは「送り襟」の手を用ひしに對し増田敷かれ乍ら咽喉を締め好く入りウエバー氣絶して日本方の勝に帰す(時間一分六秒)

▲第二回 兩者直ちに組合となり増田巴投大多刈の連發にウエバー數回投げ倒されしも最後に増田の挑腰成功せず腰砕けたるをウエバー上より送り襟にて押へ勝つ(二分六秒)

▲第三回 決勝戰なり互に必勝を期して挑み合ひ組んずほぐれつの闘ひウエバー十數回押へ込みを試み稍優勢に見えしが増田巧に危機を切り抜け終に規定のニ十分を経過したるを以て此勝負引分けとなる

▼{サンテル××

      永田三段××}痛分

▲第一回 永田最初より寝業の策戰に出でたればサンテル之を上より手足を以て締め込みしも永田悠然として防戰し中頃隙を窺つて猛然と起きサンテルの背後へ廻り締め込みしもサンテル襟を開いて防戰し復々元の形に帰り以後小波瀾ありしもそのままタイムアツプとなる

▲第二回 永田直ちに倒れ得意の寝業を以て應戰すサンテル之を上より押へ兩者必死となつて奮戰中英譯試合規定の誤りよりサンテル心付かずして逆手を用ひ永田の首筋を痛めし爲小悶着起きその結果兩者協定の上痛分けとなる(三分三十五秒)

▼試合観 サンテル對永田三段の試合は物言付痛分けとなつた是れは試合規定に首の逆が禁ぜられてあつたに係らず其英譯文が不完全なためにサンテルに徹底してゐなかつたと知れてサンテルは無條件で試合の繼續を望むだけれど永田三段の締められた骸骨の痛みがとれないため引分に終つたのは推しかった

▼全く柔道を 知らないウエバーは最初増田二段の咽喉締めにかかつて氣絶したが第二回から之れを恐れて首を用心したため増田も手の出しやうが無く敵方はまだ柔道の攻手を知らないので唯(ただ)力を出す許りで結局廿分の時間を経過してしまつたウエバーは氣絶したのは今度が始めてで非常に恐れを懐いたさうであるらしい緩慢なウエーバーに比し

▼敏捷の對照 を爲すサンテルは又英譯書で柔道を研究してるといふ噂さに違はず同じ咽喉を攻める時にも手を十字に掛けるし又防手も却々(なかなか)巧みに用ひたがやはり柔道に對しては攻手に無駄が多く遂に乗ずる機會が無かつた

▼第二日清水四段

 腕挫(ひじ)ぎで勝つ

   荘司四段とサンテル君は引分け

第二日は日曜日のこととて観客は前日に倍し頗る多く試合は正二時山田渡邊兩氏審判の下に清水四段對ウエバーの對戰に依つて開始せられた

▼{清水四段〇〇

      ウエバー●●}清水勝

▲第一回 ウエバー前日の絞めを恐それて積極的行動に出で兩者互に袖を持ちて挑み合ふ中清水の跳腰美事に極りウエバー氣勢を挫かれたるも起き直り再び挑み合ふ中清水の投再び極りウエバー倒るるを腰挫きにて勝つ(五分十秒)

▲第二回 最初は第一回の経過と殆んど同じく中程に至り清水寝業に出んとせしもウエバー應ぜず清水起き上つて同じ経過を繰り返す中遂に再び腕挫ぎ極つてウエバー止めを刺さる(十三分二秒)

▼{荘司四段×××

      サンテル×××}引分

▲第一回 サンテル決河の勢を以て巴投小外刈拂足の連續に荘司も亦得意の大内股巴投を以て之に應酬し組んづほぐれつ闘ふ中タイムアツプとなる

▲第二回 サンテル今度は策戰を變へ手足の逆取りに出でんとせしも荘司猛然として之を防ぎ且つ屡々之を上より押へ付けるサンテルを跳ね返して観客を熱狂させしもその儘タイムアツプとなる

▲第三回 サンテルの策戰は前回と同じ兩者互に死力を盡して必勝を期して戰ひ荘司内股にて數回敵を倒したるもサンテルそのまま體を轉じて上となり闘ふ中タイムアツプとなり終に三回共引分けとなり 畢つて前日同様サンテル對ウエバーのレスリング試合があつたがこれは十九分でアームベツド極りサンテルの勝となつた

▼試合観 サンテルは確(たしか)に強い全ての點に於てウエバーと比較したならば少くとも三役と十兩程の差はある殊に其敏捷なる點とよく我が柔術を研究して攻防共にその業を巧に自家の物としてゐる點とには全く感服させるこの日も荘司氏が得意の投げを以て彼を投げたが平然として纔(わず)かの隙を窺つて盛返し反對に荘司氏を

▼組敷く巧み さを見せ且つは巴投げ小外刈といふ様な我が柔道の手を以て再三荘司氏に猛襲せんとしたが荘司氏は「投げて置いて押へる策戰に出たが對手が敏捷なのと力があるのとで思ふ様に行かず却つてその爲に乗ぜられる様な場合があつた……」と語つてゐたが全くその通りであるとは云へ氏の

▼健闘は激賞 に價する全く比較にならぬ體力を以つて前後一時間に亘る長時間で疲勞の模様も見せず殊に三回目には逆十字で敵を絞めて惜くも長蛇を逸した奮闘振りと最後の數秒時に於いてサンテルの猛撃を死力をば盡して防いだ忍耐力とはあらゆる讃辞を呈しても餘りがある清水氏は樂な勝ち方をしたこれはウエバーが柔道といふものに對する防備法を知らず且つ

▲前日の氣絶 で氣後れがしてゐた爲であらう要するに柔道とレスリングの勝負は技と力との闘ひと云ひ得べく技に於て優れた日本人に若し彼等だけの體力があれば勝負は問題になるまいと思はれる

 

 「有効の活動」(柔道会本部)1921年5月号(7巻5号)に、サンテルとの試合に関与した有段者に対する講道館の処分(有段者資格停止、4月23日付)が記されています。

 対象者の姓名、段位は次の通りです(段位は報道とは必ずしも一致しません)。

 

  四段 兒玉光太郎

  三段 山田敏行

  三段 庄司彦男

  二段 清水一

  二段 永田禮次郎

  二段 藤村兼吉

  二段 増田宗太郎

 

 二日目の審判の一人は渡辺勇次郎です。

 

日本プロボクシング協会

http://jpba.gr.jp/history/origin/origin_03.html

ボクシングの伝来と協会の歴史

第三章 ボクシングの父・渡辺勇次郎

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.04.01 Page 2

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〇サンテルの

 大氣焔(だいきえん)

   試合は凡て勝

   ▽観客一萬人

アド、テンテルが日本に於ける第一回二回の試合は昨紙に詳報したが、サンテル自身からヱキザミナーに寄せた書面には試合は是迄凡て勝だ東京の試合には観客一萬人あつたと報じて来たさうだ

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.04.05 Page 2

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 □サンテル試合

  英紙へ報道

    柔道側の文句附け

   =ヘツド、ロツクを

三月五日九段靖國神社境内にて催したるサンテル對永田講道館三段と其翌日の試合サンテル對庄司四段の試合に關し當地ブルチン新聞社への報道は大體に於て我社が過般報じたる所と同様なるが

▽柔道家が 極めて敏捷にサンテルの攻撃を防ぎたるを賞しありたれどサンテルがヘツドロツクにて庄司氏を負かし同氏は稍暫らく立つ事も出來ざる有様なりしに日本人側は

▽禁制の手 なりと抗議し遂に引分けとしたりと報じサンテル、ウエバー等は今後の試合にはフルネルソンの外は更に何れの手も譲らずして試合する考なりと語れりとありたり

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.04.13 Page 2

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 □運動奨勵の

   木下博士

  サンテルを……

   …體格を検査して評

過般東京で我が柔道家と試合した米國レツスリング界の大立者サンテルを大阪醫科大學の木下博士が體格を見度いとあつて過般渡米した際顔馴染となつてゐる朝日山を介し同大學生理學教室で體格検査をやつた

▽木下博士 眞裸體になつてゐるサンテルの肩を撫でながら曰く「運動に依る筋肉の發達がこんなに著しいのは全く珍らしい、腕の周圍が右が十九吋(いんち)左が十八吋もある、然しレツスリングの術が我が國の相撲と異なるだけに腰から上の發育に比し下脚の發達が非常に見劣つてゐる、それから咽喉部の發達も全體の割合から見て劣つてゐるやうに思はれる、従つてこの世界的の力士と闘ふ我が

▽柔道家や 力士はここの弱點を狙つて相撲なら首投げ柔道なら足拂ひで攻め立てると案外よく利くかも知れない」と生理學から見た勝負の秘訣を講釈した、サンテル、ウエバー兩力士も木下博士の説明を聞いて成程と今更のやうに咸服し、今日までに得た我が柔道家との闘ひについて種種語る所があつたさうだ

 

 

日布時事 Nippu Jiji, 1921.04.15 Page 5

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 サンテルの

 日本相撲

    大阪力士の大達と

東都で人氣をわかした米國のレツスリング大選手サンテル及びウエーバーの兩氏は(※三月)二十八日午前大阪に乗り込み午後一時から醫科大學の土俵で同校の相撲選手や大阪相撲の大達(おほだて)等と手合せをやつた、最初サンテルと大達と組んだ時にはデブデブと太つた大達の肉體美と身長五尺九寸、體重二十二貫の引締つたサンテルの肉體美とが互に異彩を放つてゐた、この兩闘士は合意の上引分けとなり、次ぎにサンテルと醫大相撲選手との眞劍勝負にはサンテルは易々と勝利を占め大達の弟子力士敷嶋も亦サンテルに二度續けて投げられ次で出た若泉は相撲巧者なだけに首投げでサンテルを倒した、最後にサンテルとサンテルよりは二寸上背のウエーバーとが取組んだ、拳闘程には凄味はなく柔道よりは荒いといふ所でいい見物だつた

 

 

The Sunday Oregonian. (Portland, Ore.)  April 09, 1922, Page 24

http://oregonnews.uoregon.edu/lccn/sn83045782/1922-04-09/ed-1/seq-24/

 

 この時のものと思われる写真が掲載されています。

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.05.06 Page 2

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 □サンテルが

  連戰連勝

    柔道家を片端から

    ▽大阪の試合

◇サン テルが東京に於ける試合は、講道館四段の某氏がサンテルのヘツド・ロツクにかかつて頸の骨がポキンと言つたとかで、夫(それ)は契約違犯だと文句がつき、痛み分けと言ふので其儘になつたが、其後は誰も對手となる者が無く、サンテルは止むなく大阪に行つて挑戦した。

◇一日 二日の試合の結果は不明だが、三日目の試合模様が昨日通知された、同日は金井二段對ウエバー試合が二回とも金井氏の勝ちとなつて、サンテル對東郷三段の試合は第一回第二回とも時間で引分け、第三回にサンテルはアームシザーで東郷氏を負かして仕舞つた。

◇同夜 又々試合があつて福村二段とウエバーでやつたがウエバーは福村氏に足詰、足挫(くじ)き、サンテルの好きなトート・ホールに似たやうな手でやられた、それから金井二段がサンテルにかかつた、サンテルは金井氏を押さへ込んだ儘貧乏揺(ゆる)ぎもさせず第一回の勝となり

◇次に はサンテルは自身新工夫だと自慢して居る、十字にかけた、アーム・シザーで、又々苦もなく金井氏を破つた、扨(さて)夫(それ)から中井三段がかかつて行つた、第一回はタイムが來て無勝負となつたが、第二回はサンテルが中井三段のため左の腕にアーム・ラツクをかけて降参させた、夫から

◇規定 の休憩をして後、又々試合が始まつた、中井三段も今度こそはと必死に戰つたが矢つ張りアーム・ロツクで参つて仕舞つた、試合は大阪の新世界國技館でやつたのだと

 

 十字にかけた、アーム・シザー」とは、腕拉ぎ十字固めのことでしょうか、それともサンテルが編み出したと言われる、ショート・アーム・シザース(キーロック)でしょうか。

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.05.21 Page 2

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 □拳闘と

     レスリング

   サンテルは強過ぎる

    渡邊氏の書面

日本に拳闘道場を設けん爲帰國したる渡邊拳闘手の書面昨日來着したるが其内に次の如き事ありたり

小生は目下櫛引事務所に居りて着々目的遂行に奔走致し居り候時々其技倆を一般に示したく候も對手なきには閉口に候目下浅草公園内にて拳闘を以て柔道家を對手にやり居る人有之候が是とて小生の敵には無之候

サンテルと柔道家の試合に小生も審判者となりて登場せしがイヤ迚もお話になつた者に無之候サンテルの手を殆んど凡て封じて試合があの位の結果に候サンテルが米國に随意に試合する如く試合せしめば一とたまりも無き事に御座候要するに勝負の問題でなくて何の位サンテルに對して堪へ得らるるかと言ふのみに御座候

小生はマニラより招待せられ居る故一寸試合に行くかも知れず候(下略)

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.06.01 Page 2

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□サンテルは

 經濟的損害

     不法極まる興行人

 金を支拂はず(一)

◇サンテル が近頃更に通信をしない何故だらうかと思つて居ると、昨日神戸クロニクルの切抜きを中外商業新報社の知友が送つてくれた五月八日の記事を見るとサンテルとウヰバーとは日本の興行師等に散々の眼に逢はせられ大損害を蒙つて五月の末か六月の始めに米國に帰るらしいとあつた

◇彼自身の 話だとして書いてある所を見るに、九段に於ける對柔道試合は試合の約束の誤解やら何やらで話が違つたが、夫(それ)もオーライとして試合の後に勘定を要求した、其日迄の入費、渡航費と夫から入場料の三割五分を拂つて呉れと要求した、観客は六千人から八千人あつたにも拘らず、利益はタツタ百九十八圓だとの事、自分等は餘りにも不法と思つて種々議論しながら、兎に角名古屋に行つて二日試合をしたが、金はくれない

◇大阪へ行 き、更に試合をする事になつたが、金をくれねば決して張り札をしてはならんと告げた、兎に角も試合する事にして初日三百圓渡された次の日も善かつた、而し三日目には千圓先に拂はねばやらぬと拒絶した、何故かと言ふに、彼等は時々宜(い)い加減の紙片を渡して是が金にならぬからだ、彼是言つて居る内に、約二十名の新聞記者がプラツトホームに上がつて之を見て大丈夫だと言ふから受取り、そして試合した

◇チエツキ をサンテルが翌日銀行に持つて行つて見るとチツクキルは別の人の名を書いてあつて名前の人は銀行に金を預けてない、止むを得ず興行人の事務所に帰つて談判すると増子や川沼や他の人々が金を持つて行つて仕舞つたとの話、夫から増子と河沼とがチエツキの保證人を捜がしたが更に行衛(ゆくえ)が知れなんだ(續く)

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.06.02 Page 2

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□サンテルは

 經濟的損害

     不法極まる興行人

 金を支拂はず(二)

◇斯くして 我等は空チエツキを攫ませられ途方に暮れ居る内、東京より柔道家山田利行と言ふ者來り、講道館にて試合を作り多少の金を作つて應援せんと言ふ故之に従つて署名した、其内此新プロモーターは東京へ帰つて一と月も經つたが音沙汰が無い、止むを得ぬから我々は東京に行つた

◇自分等は 東京へ來て聞くと、此人は愛媛縣の兄の所を訪問すると言つて帰つて來ないとの事、夫(それ)も是も止むを得ない、元來自分者が増子河沼兩人を信用して來たと言ふ事が失策の基で誰も性(うら)む所も無い、自分等は三ケ所の試合と言ふ者の計算を未だ知る事が出來ぬ、東京の試合なぞは二千四百圓は上つて居ると思ふに費用にかかつて仕舞つたと言ふのだ、訴訟をするには代言費用がかかる、のみならず自分等の滞在費がかかる

◇我々兩人 日本の滞在は或る點から言ふと愉快だつたダカラ我々は米国に帰るに日本の人は凡て善くないとか日本の事は萬事氣に入らぬと言ふやうな惡印象を持つて帰らぬ積りだ我々はヘツド、ロツクを使う事を止められて甚だ不便を極めたが、漸次に慣れて、名古屋と大阪で、サンテルは八回試合八回とも勝った、ウイーバーは三回勝ち、二回負け、二回引分と言ふ結果だつた。

◇斯(こ)んな話 の神戸クロニクルにのせられた後、五月十一日の報を見ると兩人は、金曜日から十日間淺草のパビリオンで十日間何人(なにびと)でも飛入勝手の試合を 十五分間戰で勝(かつ)た者には百弗(どる)の懸賞を出(だす)と言ふ事になつたとの報知があつた(終り)

 

 山田敏行は靖国神社での試合で審判を務めています。講道館から処分(有段者資格停止)を受けたので、これ以上サンテルに関われなくなったものと思われます。

 伊藤徳五郎は次のように語っています(「ハワイ報知」1921年4月21日号5頁)。

 

(前略)今度サンテルを日本へ呼んだのは私の友人で山田と云ふ講道館の古い四段である、此山田四段はサンテルの桑港を出發する少し前私に手紙を送つて來て好適の覺醒剤云々と言ふ文字を記入して居つた、(後略)

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.06.11 Page 2

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□サンテルに

   同情興行

     浅草で十日間

      渡邊拳闘手通信

サンテルが増子河沼等に欺かれ散々の眼に逢ひし事は東京諸新聞にて御覧の事ならんが予等スポート界にある者大いに同情し横濱にてプロモートせんとせる折柄伊藤宮澤と言ふ

▽興行師 と契約し兩人はサンテルに同情興行と言ふ名の下に十三日より廿二日迄十日興行となれり場所は淺草公園焼跡假小屋にて入場券は淺草公園興行物のレコードを破り一圓二圓三圓五圓と言ふ高値にて平均三四百人位宛の入場と見受けたり飛入勝手次第にて柔道家と戰へるが

▽慾目で 見てもサンテルに勝てる柔道家は日本には先づ無しと思はれたり斯る理由の下に勝負は誠に見る張合なくサンテルを負かすと言ふよりは此對手はどの位堪へ得らるるやと只夫(それ)だけを見るのみ故負くる事を嫌ひの日本人氣質としては見物しても少しも面白くなしサンテルには氣の毒なれど是も強過ぎる故と諦める外なし(後略)

 

 

 東京朝日新聞1921年5月12日夕刊に、次のような広告が掲載されています。

 

世界一の怪力拳闘家

 サンテル

  ウエバー

對日本柔道大家

 最後の大試合

日時 五月十三日午前十一時より

   向十日間(晝夜二回)

 會費 特等五圓、一等參圓、二等弐圓、三等壱圓

會場 淺草公園

    御國座跡

  主   催   者 宮澤 義司

  サンテル後援者 伊藤菊次郎

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.06.16 Page 2

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□サンテル

     昨日帰桑す

    廿七回試合全勝

長く日本に滞在中なりしレスラー、アド、サンテルはエクアドル號にて帰米したり日本にて柔道家と廿七回試合したるが一回も負けたる事なし自分の試合振りを見て日本の相撲は何人(なんびと)も競技せんとする者無かりしと語りたるが日本に於ける不平は更に何事も言はざりき

 

 見出しには「全勝」とありますが、引分けもあるため、本文中の「一回も負けたる事なし」との表現が正しいでしょう。

サンテルの日本における柔道家との試合数は次のようになりましょうか?(もっと多くてもおかしくありませんが)

 

  靖国神社(2日)で2回

  名古屋(2日)、大阪(3日)で8回

  浅草(10日?、昼夜興行)で17回?

 

 

日米新聞 Nichibei Shinbun, 1921.06.16 Page 2

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 ◇サンテル帰桑す

    ▽五ヶ月間の東洋巡業を了え△

ライト、ヘビイ世界選手力士のアド・サンテル君は一昨夜桑港入港の太平洋郵船エクワドア號で東洋から帰つて來た、過去五ヶ月間日本の東京を始め各所で柔道家と試合し又は同行の力士ウイバー君と西洋角力の試合をして観せて來たのであるが日本では惡徳な興行師にかかり餘り利益を得ず柔道との試合も流儀の異(ちが)ふ事とて徹底的に勝敗を決する事が出來なかつた相(さう)である

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.06.17 Page 2

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スポート

サンテルが日本から帰つての話によると日本の柔道家は何とか彼とか言つてサンテルの手を封じて仕舞つて夫(それ)でも遂には對手になるものが無かつたと△サンテル曰く柔道の價値も判つた彼等の内でチヤンピン株と言ふ連中は負くると面目ないと言ふのでいくら試合を申込んでも返答でもしなんだと意氣地のない事さ

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.06.21 Page 2

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□アドサンテル

  日本土産

    柔道は改良せねば

    彼の儘では駄目

◆アド サンテルは日本から帰つて昨日本社を訪問した、種々の珍らしい話をした末、日本の柔道に關して語つて曰ふ、柔道もあの儘では到底駄目だ、歐米流のレスリングを混へて、一つの技術を教ふるやうに是非學校を建つてさせたいと思ふ

◆柔道 の長所は手先の仕事だ却々(なかなか)機敏の事をやるが、手先きの仕事はレスリングに凡てある柔道の喉締(のどしめ)なぞも少し注意すれば少しも恐ろしくない、自分も此手に幾回か掛つたが平氣でズーツト歩いて行けた、柔道にはヘツド・ロツクが無いだから自分が是をやつたら無闇に恐ろしがつて封じて仕舞つた

◆後ろ に廻るところなどは却々敏捷で、自分も今度は善く覺へて來た、日本のハガヒ攻めなどは米國のダブル・リスト・ホールで何の恐ろしい事はない要するに、日本の柔道は百年前も今日も別に新しい手を編み出さないのだからダメだ、是非是は兩者混合の一技術を作り出させなければならない

◆日本 に行つて經濟的には非常の損をした、而し之は増子河沼等のツリツリにかかつたので、日本國民諸氏に對しては更に怨みを抱くべき者で無いのみか、其他の事柄は凡て愉快に感じ、日本の人等に感謝して居る次第だ、機會を見て又日本に行かうと思つて居るのだ、

◆日本 の柔道家は自分の試合振りを見て一流の人達は對手にならうとせず、皆引込んでしまつた、自分も亦決して負くるなぞ心配は無かつた、只餘り早く勝つといかんから、注意してタイムを取つた位の話だつた云々と悧悧(りかう)のサンテルは更に日本に行つた愚痴なぞは澪さなんだ、是から日本で研究して來た手で、米國レスラーを一つ片端から負かすのだと言つて居つた

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.06.21 Page 3

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 〇柔道家

     倫敦から渡米希望

柔道家三宅太郎氏が渡英中結婚した英國婦人が目下在米中の良人の許へ行きたいとて倫敦領事館へ旅券下附の願ひを差出したが領事館にては

 三宅氏 が米國の何處に定住して居るか知らず又ミセス三宅も之を詳かにせぬので倫敦總領事館より沙港(しやーとる)の領事館へ三宅氏の動静及所在を取調べるやうに依頼して來たと

 

 

新世界 Shin Sekai, 1921.08.03 Page 2

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□伊藤師範

  置 土 産

  日本を去るに際し

    體育問題の爲

◆講道館 五段の柔道家沙郡羅府道場の師範伊藤徳五郎氏は嚴父大病の報に接し、今日天洋丸で帰國する事になつたが、米國を去るに際して語つて言ふ事に、レスリングと柔道とは試合の出來無い者である、一方はゲームだ、一方はフアイテイングだ、肩をつけるが最終の目的とするのと命のやりとりするが最終の目的の者とでは、勝負が出來ないと言ふ事に帰する

◆柔道の 手はレスリングにかからぬ、レスリングの手は又容易に柔道にはかからない、全くポジシヨンが違ひ、目的が違ふ、而し柔道にも改革を要する點あるは論を俟たない、聞く所によると日本の柔道界も大(おほい)に面目が變つて、フアンシーの手は漸次になくなり、實力的に猛勢を以て敵を倒すと言ふ風になつて來たらしい、丁度米國の拳闘界に、ボクサーが減じてフアイターが増加して來たのと、殆んど揆(き)を一にして來たらしい

◆米國の レスラー中には近來八百長が流行して仕方が無い、自分等の所へも相當なレスラーが一つ八百長をしやうじやないかと申込んでくる奴が多い、營業が主なるレスリング、フアイテイング、是も亦止むを得ないが、柔道の價値に關しては我輩依然確信して居る者だ

◆サンテ ル、の日本行きは、氣の毒ほど財政上の失敗をしたらしいが、是は始めから分つた事だ、日本の柔道はアマーチユーア組織、米國レスリングはプロフエツシヨナル、試合に差支(さしつかへ)を生ずるは當然の事で、自分も數回サンテルに注意し、嘉納先生にも話して置いたのだ、我輩も今後十五年目の日本體育界を見るのだが、随分脳裏を刺激する者があると思ふ云々

 

 

 

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