山田九段と加藤九段(2) 2010.6.6

 

 

『近代将棋』誌に1975〜1976年にかけて、山田道美九段を主人公と

した漫画が連載され、加藤先生とのエピソードも描かれた。

 

 

「山田道美伝」 前編 第八回  『近代将棋』 昭和50(1975)年8月号

          作・構成 西沢治  画 金野新一

       

(加藤)バッハのロ短調ミサ ぼくはこれが好きなんだ

    これをきくと心が安まるんだよ

 

 加藤一二三のアパートで道美がバッハをきいたのはその頃だった

 

(山田)このレコード貸してくれないか

    ぼくは今音楽がほしいんだ…心の安まる音楽が

(加藤)持っていけよ バッハはいい ぼくの心の友だ

 

 借りたバッハを手に道美はその日の夕方 加藤と銀座を歩いた

 

(山田)加藤君…この銀座の人波の中に真に目的をもって生きる人が

    何人いるかね

(加藤)さァね…ムダ手ばかり指して死んでゆくのが人間じゃないか

(山田)ムダ手か…ぼくもこの頃ムダ手ばかり指してるような気が

    するんだ…むなしいんだよ

    将棋に強くなって名人 王将といわれても結局は…

    ジャーナリズムに貼られたレッテルに過ぎないんじゃないか

    とね…

 

 

 その翌月、9月号の「読者会議」という投稿欄に、加藤先生の文章が

載った。

 

 

山田道美伝に寄せて  『近代将棋』 昭和50(1975)年9月号

 

 本誌に連載中の「山田道美伝」の八月号の中で、私が登場して

「ムダ手ばかり指して死んでゆくのが人間じゃないか」という場面が

ありますが、私はあの個所を読んでドキッとしました。私はかつて、

山田さんにあの言葉を語ったことがあったかもか分りません。しかし

今当時を思い返してみて、その真意は人間はいつも目的に向かって

充実した人生を送ることは難しく、無駄なこともしがちであるといった

気持であったと思います。

 今では私も生きる目的を理解して、昔から現代、今日に至るまで

文字通り真剣な生涯を送った人、歩んでいる人を知るに至りました。

また世間には知られなくても、無数の善意の人々の人生があったこと

が当然考えられるわけです。人間が真理にしたがって生き抜くならば、

どれほど偉大な人物に成長することができるかという道は、すでにこの

世界に示されてあり、望みさえすれば私達はいつでもそれを学ぶことが

できるのです。ですから、ムダ手ばかり指して死んで行くのが人間じゃ

ないか、と、人間の運命が全てそうであるかのような印象を与えるかつて

の私の言葉は看過することのできない言葉だけに、貴重な誌上をお借り

して正しておきます。

 なお、山田さんを語るとすれば、思い出はたくさんありますが、彼は

人一倍正義感が強く信用のできる人物でした。好敵手であると同時に、

損得抜きで深くつき合える人でした。

 

 

 漫画の元になったのは山田九段の書いた文章で、該当する部分は

河口俊彦七段の「大山康晴の晩節」(飛鳥新社、2003年発行)にも引用

されているので、読まれた方も多いと思われる。些か長く引用する。

 

 

「ピンさんの勝負手」  『将棋世界』 昭和35(1960)年6月号

 二年前の夏。ある日、ボクは加藤君と宵の銀座を散歩していた。ボクの

記憶に誤りがなければ、たしかバッハの「ロ短調ミサ」か、何かのレコードを

借りるために、加藤君を訪ねたときだったと思う。その頃、加藤君は虎の門に

下宿していて、そこから入学したばかりの早大に通っていた。そして、夕方に

なると、夕食と気晴らしをかねて、銀座へ毎日のように散歩していたのである。

 銀座の人波は、久しぶりにこの都心へ出たボクを驚かせて、こんなことを

言わせた。

 「この中に、真に生き、生きるに値する人は何人いるのかしらね――」

 「いや、みんなムダ手だと思うナ」

 加藤君はぽつんと言った。自分の考えをふだんあまり口に出さない彼には

珍しい言葉であった。

 ムダ手というのは、あるいはボクが前に言った言葉だったかも知れない。

ピンさんのいうムダ手と、ボクのそれとは多少意味が違っていたかも知れない

が、とにかく二人の見解は一致したのである。

 ピンさんはごく若いとき――今でもごく若いのだが――から、世間の華やか

な享楽や、虚栄に縁遠かった。ボクの知る限りでは、ピンさんが虚栄の心に

動かされて、話したり行動したのを見たことがない。そうした彼に、銀座の

華やかさや雑踏がムダ手に思えたのは当然であったろう。

 加藤君もまた、ヘッセのDer Steppenworfの中でHermineが主人公に

言ったように、“インチキ音楽の代りにほんとの音楽を、娯楽の代りにほんと

の喜びを、お金の代りに魂を、営業の代りにほんとの仕事を、遊びごとの

代りにほんとの情熱を求める人……”に近かったからである。

 

 加藤先生と山田九段の意とするところを伝えるために長めに引用した。

山田九段の訃報は、『近代将棋』誌では1970年の8月号に載った。

加藤先生は友人代表として弔辞を読まれ、巻頭のモノクログラビアでは

その一部が掲載されている。

 本文中では次の寄稿をされている。

 

 

「山田九段をしのんで ―対戦譜をかえりみる―」

『近代将棋』 昭和45(1970)年8月号

 

 こうして山田道美九段をしのぶ文をかかなくてはならないことになるとは、

まったく思いもかけぬことであった。つい先日も闘ったばかりで、日頃から

節制に努めて元気そのものだっただけに急に不治の病に倒れたことはまこと

に惜しく、不可抗力としか言いようのないものを感じる。

 山田さんは私の好敵手で、ずい分はげしい闘いをしたものだが、それは

これからもずっと変わらないものと信じていた。

 

 この後、加藤先生が取り上げた対局は次のものだった。

 

  ▲は先手、△は後手での勝利。

1964 年度 

7/ 2 第19期順位戦 A級 指直し △山田勝ち 戦型:矢倉(後手雁木)

http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=42906

 

1965年度

4/17 第4期十段戦 ▲山田勝ち 戦型:角換わり(先手右玉)

http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=42859

 

1966 年度 

12/13 第16期王将戦 挑戦者決定リーグ戦 ▲山田勝ち 戦型:角交換腰掛銀

http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=13523

 

1967 年度

10/20 第17期王将戦 挑戦者決定リーグ戦 △加藤勝ち

http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=47284

 

 

※参照サイト

・棋士別成績一覧

http://homepage3.nifty.com/kishi/index.html

加藤一二三

 http://homepage3.nifty.com/kishi/2009/1064.html

山田道美

 http://homepage3.nifty.com/kishi/1970/1902.html

・将棋の棋譜データベース

http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?lan=jp&page=FrontPage

 

 

 

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