「日本国紀」について(1)ヴァリニャーノの手紙

 

 

 

 (文中、敬称は略します。)

 

 

百田尚樹「日本国紀」(幻冬舎、2018)

 

 第五章 戦国時代

  鉄砲伝来

P147〜148)

 それにしても驚くべきは、当時の日本人がヨーロッパの鉄砲と火薬の技術をたちどころに吸収し、量産化に成功したことだ。一説によると、戦国時代末期の鉄砲保有数は世界一ともいわれている。もっとも統計的資料はなく、事実かどうかは不明である。ただ当時ヨーロッパからやってきた宣教師の多くが日本の軍事力に驚嘆していることから、相当数の鉄砲が存在したことはたしかである。

 イエズス会宣教師のアレッサンドロ・ヴァリニャーノ(信長に弥助を献上した人物)は、天正七年(一五七九)に本国イタリアに向けて、「日本人の好戦性、大軍勢、城郭、狡猾さと、ヨーロッパ各国の軍事費を比較して、日本を征服することは不可能である」と報告している。

 

 

 「日本国紀」については歴史書と言いながら記述の典拠が明らかにされていないとして、インターネット上で読者による典拠探しが盛んである。上記の箇所においても、鍵括弧の中は引用らしいが何に依拠しているのか、と問われていた。

 

 

松田毅一「日葡交渉史」(教文館、1963)

 

第二編 イエズス会士の日本観

第四章 巡察師ヴァリニャーノの来朝

P122)

ヴァリニャーノは、又、日本の政治形態は「世界中で最も奇妙な、或いはより適切に言えば、世界中に類例のないもの」であり、日本文化は「武術を基礎とする封建文化」であると評して居り、日本を征服せんとする凡ゆるヨーロッパの植民勢力の試みは、軍事的には不可能であり、経済的には利益のないことだ、と報告した。

 

 

東西交渉旅行記全集第5巻

ヴァリニャーノ「日本巡察記」(桃源社、1965)

榎一雄 監修 松田毅一・佐久間正 編訳

 

日本巡察師ヴァリニャーノの生涯 松田毅一

中篇

 四、日本通信制度の改革と著述

P66)

(略)さらに日本の政治形態は、「世界中で最も奇妙な、或いは、より適切に言えば、世界中に類似のないもの」であり、日本文化は「武術を基盤とする封建文化」と述べている。

因みにヴァリニャーノは一五七九年十二月二日附の書翰に於いて、日本を征服しようとするヨーロッパ植民勢力の凡ゆる試みは、「軍事的には不可能」であり、「経済的には利益がない」と総長に報じている。(略)

 

※「総長」はイエズス会総長。

 

 

 先の本とほぼ同文だが、こちらでは手紙の日付と宛先が明記された。

 

この手紙のような史料が、どこにどのように保存され扱われて来たかについては、下記を読まれたい。

 

 

ヴァリニャーノ「東インド巡察記」(平凡社、2005) 高橋裕史訳

 

解説 近世日本キリスト教史研究と海外史料

 W イエズス会ローマ綜合古文書館とJap. Sin.史料

P421〜422)

 イエズス会では創立の頃より、各布教地の諸情報を書簡や年次報告書等の形で、ローマの本部に逐一送付することを義務づけていた。これらの書簡や各種報告書は布教地ごとに区分されてイエズス会ローマ綜合古文書館に所蔵されている。近世日本の布教に関する主要な史料群は「日本・シナ部 Japonica-Sinica」というセクションに一括して保存されている。この古文書群は一般に「Jap. Sin.文書」と称されている。

 

 

松田毅一「南蛮史料の発見」(中央公論社、1964)

 

秘められていた文書――序にかえて

P5)

 一九五九年一一月から、私は、イエズス会のシュールハンメル師の御斡旋によって、特例としてローマ-イエズス会文書館に入ることを許された。四〇〇年前に“地の果て”なる日本にやってきた“南蛮ばてれん”がヨーロッパに送りつづけていた生々しい手紙が、そこにあった。私は、来る日も来る日も、八時から八時まで、昼食ぬきで文書館の文書のなかに没頭した。

 ここに収蔵している文書の全貌は知るよしもないが、その一部門である「ヤポニカ・シニカ〔日本・シナ部〕」は百数十巻から成立していて、各巻に平均して三、四百枚の古文書が綴じられている。大部分は、一枚一枚、透明の絹紙で補強されている。この和紙が上質であるため、また墨汁を用いているために、四〇〇年前のものとは思えぬほど美しい。しかも、虫喰いのあとなどほとんど見かけないのは、歴代の館員がいかに入念にこれらを保存しようとしたかを物語るものである。(略)

 

 

 もっとも現在は、「ここで取り上げたイエズス会のJap. Sin.文書は、その大半が上智大学キリシタン文庫に写真版本の形で収蔵されており、所定の手続きを踏めば、その閲覧と利用が許可されている」とのことである(前記「東インド巡察記」解説)。

 

 「日本は征服できない」という内容を記したヴァリニャーノの手紙が、実はもう一本ある。むしろこちらの方が知られているかもしれない。

 

 

高瀬弘一郎「キリシタン時代の研究」(岩波書店、1977)

 

第三章キリシタン宣教師の軍事計画

P81〜83)

 (略)そのことに関連して、折から天正少年使節の一行を伴ってマカオに滞在中であったイエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが、マラッカに向けマカオを出帆する半月前の一五八二年十二月十四日付で、フィリピン総督に書送った書翰を引用したい。その中でヴァリニャーノは、サンチェスの来訪について述べた後で、次のように記述している。

「(略)

日本のキリスト教界については、閣下に書送るべきことが沢山有る。何故なら私は日本に三年近く滞在して、今年当地に戻って来たからである。私は閣下に対し、霊魂の改宗に関しては、日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業の一つである旨、断言することが出来る。何故なら、 国民は非常に高貴且つ有能にして、理性によく従うからである。尤も、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。何故なら、日本は、私がこれまで見て来た中で、最も国土が不毛且つ貧しい故に、求めるべきものは何もなく、また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練をつんでいるので、征服が可能な国土ではないからである。しかしながら、シナに於いて陛下が行いたいと思っていることのために、日本は時とともに、非常に益することになるであろう。それ故日本の地を極めて重視する必要がある。

 

※「陛下」はスペイン国王兼ポルトガル国王のフェリペ二世。

 

 

 上記引用文のうち、太字の部分(太字による強調は引用者による。原文にはない)は、井沢元彦「逆説の日本史 11 戦国乱世編」(小学館、2004)に引用されているため、そちらで読んだ人も多いようだ(ただし井沢は巡察師を「バリニャーノ」と表記している)。

 

もっとも「日本国紀」が示しているヴァリニャーノの手紙は、日付からすればこちら(1582年付)ではなく、松田が書いているもの(1579年付)の方であろう。

しかし、いずれにせよ、「日本は征服できない」理由の説明は、「日本国紀」の記述にぴったり合わない。

 

 

 Twitterにおいて GEISTE @J_geiste 2018年12月26日、「日本国紀」におけるヴァリニャーノの報告の部分にそっくりな記述がYahoo!知恵袋」にあると指摘した。

 

 

Yahoo!知恵袋

知恵袋トップ>教養と学問、サイエンス>歴史>日本史

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14119786924

 

dyw********さん  2014/1/21 11:44:58

日本の戦国時代の後期は、西欧に負けないぐらいの鉄砲を持っていたのでしょうか?

(略)

ベストアンサーに選ばれた回答

kui********さん  編集あり2014/1/26 23:22:29

(略)

イエズス会宣教師のヴァリニャーノは明確に「日本人の好戦性・多軍勢・城郭・狡猾さと欧州各国の軍事費をふまえて、日本は征服できない」と1579年に報告しています。

(略)

 

 

 後から書かれた「日本国紀」は、Yahoo!知恵袋」に全面的に依拠すれば書けるわけだが、ではYahoo!知恵袋」の方はどうしたのか。

 松田によるものとは別のものが、典拠たり得た。

 

 

高橋裕史「武器・十字架と戦国日本 イエズス会宣教師と「対日武力征服計画」の真相」(洋泉社、2012)

 

第六章 「対日武力征服」は可能だったのか?

  1 世界史から見た「鉄砲伝来」の歴史的意義

P227〜228)

日本征服は不可能

 日本人が、キリスト教勢力による日本征服を疑っていたことは、第一章で紹介したヴァリニャーノの『日本巡察記』の報告しているところである。では、当のヴァリニャーノ自身は、対日武力征服の可能性について、どのように認識していたのであろうか。

 ヴァリニャーノは、一五七九年一二月二日付け、口之津発のイエズス会総長宛て書簡で、「日本は外国人の兵士の手で征服され得ない」と断言している。彼はその一つ目の理由として、「日本はこの世でもっとも堅固で険しい地で、日本人はもっとも好戦的だからである」と記し、日本人の「好戦性」を第一にあげている。

 二つ目の理由は、「難攻不落の要塞が、高く非常に険しい山中にたくさんある。日本人はきわめて大勢であり、海に囲まれた島々にもいるため、彼らに対抗できる強国も兵士も存在しない」というもので、難攻不落の山城と、海に囲まれた日本の自然条件に注目している。

 三つ目の理由として、「日本人の間には反逆と裏切り」が日常的なので、外国人が支配者となっても、「裏切りが行われるであろう」と述べて、対日征服の無意味さを主張している。

 さらにヴァリニャーノは、四つ目の理由を、次のような観点から論じている。

 

 日本人を養い、日本国内に数多くの要塞、戦闘要員を大勢抱えるには、ポルトガルとスペインの両国王は、この上なく巨額の出費を余儀なくされよう。(中略)ヨーロッパから遠く隔たっている地で、大勢の日本人と巨額の経費を維持するには、両国王の所有する全収入と人々では不十分であろう(Jap. Sin. 8-T, f. 236.)

 

 ヴァリニャーノは経済的得失論の考えから、日本を不良債権として認識し、日本を手に入れても、多額の経済的負担を抱えることになりかねない、という理由から、日本の征服に反対しているのである。ここには費用対効果の理論が見られるわけで、興味深い。

 

 ここで紹介されているヴァリニャーノの手紙は、松田が言及したものと同一である(松田の言及は、抜粋ではなく要約であったようだ)。

Yahoo!知恵袋」の当該記事の回答者は、単一の典拠から一部をそのまま引用するような形ではなく、あちこちの典拠からピックアップして来た事実を自分なりに整理、配列し、自分なりの表現で回答を構成しており、知識の広さ、深さが感じられる。先に引用した部分は、ヴァリニャーノの手紙の内容を説明した高橋の文章を、思い切り短く要約したもので独自性があり、他人が偶然に似た表現をなし得るものではない。

(例えば、日本人は支配者に日常的に反逆、裏切りを行う、という点を日本人の「狡猾さ」と表現し、「ポルトガルとスペイン」を「欧州各国」と言い、「日本はこの世でもっとも堅固で険しい地」「海に囲まれた島々にもいる」という部分は全く触れずに捨象していること等に、独自性を感じる)。

 純可能性としては、「日本国紀」Yahoo!知恵袋」双方が、共通の典拠に基づいて書かれた(先行して高橋の文章をこの形に要約した第三者がいる)、ということも考えられるが、その場合でも依拠先がYahoo!知恵袋」から別の何かに変わるだけで、「日本国紀」の当該部分の表現にオリジナリティがないことには変わりがない。

 

 各著作の依拠の流れは次のようになると思われる。

 

原典→→(抜粋・和訳)→→高橋2012→→(要約)→→Yahoo!知恵袋2014→→ (転載)→→日本国紀2018

 

 

 冒頭に引用した「日本国紀」の文章において、ヴァリニャーノの報告については、「ただ当時ヨーロッパからやってきた宣教師の多くが日本の軍事力に驚嘆していることから、相当数の鉄砲が存在したことはたしかである。」という文を受けて書かれているのだが、高橋の文章を読む限りヴァリニャーノは鉄砲について触れていないため、「相当数の鉄砲が存在した」ことの証しとしては本来、役に立たない。また、単純に彼我の軍兵の強弱を論じたのではなく、地形上の利や、日本征服の得失(メリットとデメリット)といった観点からも考察したもので、「日本の軍事力に驚嘆」していた証しとなるかも怪しい。手紙の現物はもちろん、高橋の訳文と説明すら読まず、Yahoo!知恵袋」の短い要約のみを読んで(つまり本当の内容をよく知らずに)、これを安直に転載したのではないか、という疑いを強くする所以である。

 

一説によると、戦国時代末期の鉄砲保有数は世界一ともいわれている。もっとも統計的資料はなく、事実かどうかは不明である。」という文も、Yahoo!知恵袋」のこの記事を参考にしたのではないか、とさえ思える。

 

 

 

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