串川について

 串川は私たちの住む地域のど真ん中を流れています。鳥屋を水源に津久井湖の下流、小倉橋あたりで相模川に合流します。ずっと昔は早戸川本流がここを流れていたため(今の早戸川は中津川に合流しています)、水量のわりに谷が深く、大雨のたびに氾濫を繰り返していたようです。串川の町なみは、この川が作りだした段丘上に広がっています。
 昭和の中ごろまでは、川の力を利用した撚糸が盛んにおこなわれていました。粉をひく水車小屋も200箇所以上あったそうです。川沿いの家では台所がわりに川を使い、大人も子ども置針でウナギをとったり、

ぶっていでカジカをとったりして遊んでいたそうです。みんな川と一緒に暮らしていたんですね!
 近年、河川改修が進み、だいぶその姿を変えましたが、川沿いに道路や公園が整備され、地域の皆さんの朝夕の散歩コース・憩いの場になっています。

串川の名称の由来

 鳥屋の道場という集落の上に御屋敷という場所があります。その昔の話です。道場に一人のりりしい若者がいて、ある夜得意の笛を吹きながら川上に行ったところ、とても美しい女性に出会い、ふたりはすぐに恋を語り合う仲となりました。
 この女性は御屋敷御殿の姫君で、若者は感激して、母の形見の金の縁とりをした櫛を贈ったのだそうです。姫は大変喜びこの櫛を肌身離さず大切にしていましたが、ある晩、川に涼みに出て櫛を川に落としてしまいました。川の流れは早く櫛の行方はたちまち分からなくなってしまったのだそうです。
 姫は二人の恋もこの櫛と共に流れ去てしまうのではないかと、泣き悲しみ、気が狂うばかりに川を捜したのだそうです。その姫の姿が人々の目にはとても痛ましく映ったそうで、悲恋の櫛にちなんで、「櫛川」「串川」と呼ばれるようになったとの言い伝えがあります。

 この話が嘘でも本当でもロマンがあっていいでしょ!

カッパ団の活動拠点串川地域センターには、この物語にちなんだレリーフがあります。