ロケ地訪問

・銀座 和光ビル

上京して来た義父・義母を鳩バスに乗せて原節子演じる紀子が東京観光をします。
その最初のシーン、バスから見える銀座がこのアングルです。

その後、この写真右奥に見える松屋百貨店の屋上へ三人は行きますが、管理人一行はそのロケ場所へはたどり着く事が出来ませんでした。
松屋店舗入口・フロントの入社3年のお姉ちゃんに撮影場所らしき所を聞いた所。
「よく分かりません」との事でした。
まぁ聞く方も聞く方か・・・・・もう50年も前の話だし・・・・・。

しかし、銀座に来たのは実に25年ぶりなんですが、日本の都会ってどこも東京化しちゃってるんだなぁと・・・花の東京・銀座に来ても何の感慨も無い。
地下鉄から地上に上がってまず思ったのは、「なんか、名古屋・栄の広小路通りみたい・・・・」 都会はどこも同じの様です。
・上野 寛永寺 輪王殿

管理人が東京・上野から来るイメージと言えば、西郷像 動物園 彰義隊でしょうか。
上野を訪れるのは今回がたぶん初めてなのですが、いや たぶんと言うのは幼い頃、上京した際に親に連れられて来た様な記憶が・・・・・・・。
まぁ、どちらにしても大人になっては初めて訪れたのですが、何か初めて来た様な気がしませんでした。

何となく田舎くさくて温かみがあって垢抜けしない雰囲気が親しみが持てるのでしょうか?
田舎生まれの管理人にとっては東京訪問と言えばつい肩肘を張ってしまいがちですが、なんかそう言う雰囲気にさせない町ですね。

尾道から上京した父・母が、たらい回しの厄介者となって上野公園を訪れる際に登場するのが、この寛永寺の輪王殿です。
日本映画の金字塔とも言える「東京物語」は名場面がとても多いですが、笠智衆と東山千栄子がここで腰掛けているその姿と言うものは老いて行くことの惨さがヒシヒシと伝わって来て胸が痛みます。
まぁ、この映画はそう言うシーンの連続なのですが、でもやはりそこは小津さん、それを温かみに包んで自然に爽やかに画きます。
けっして老人を無残には画きません。


このアングルで移動撮影がありますね、輪王殿の石積は当時のままでした映画を何度も見直しましたが彫られている名前も同じです。当時のままです。 うれしいです。




                  





笠智衆と東山千栄子が座っているのはこのあたりでしょうか。
この日は朝から一日小津東京巡りでした、御茶ノ水・ニコライ堂に始まり・・・銀座・・・築地・・・・と、前日の深川、隅田川巡りの疲れもあってか管理人も真似をして座ってみました。
映画の中で見るこの場所は舗装や石畳にもなってなく、ただの土で草がぼうぼうですが現在は御覧のように美しく整備され時の流れを感じます。

撮影時は戦後8年目位ですか、今年は戦後60年目です・・・・フゥ〜。

「もう、そろそろ紀子も帰る時間かのう・・・・・」

「でも、お父さん服部さんお訪ねになるんなら もう そろそろ・・・・・」

「そうじゃのぅ ぶらぶら行ってみようか・・・・・・・・」



・旧寛永寺 本防表門

幕末、彰義隊の戦いによって消滅した寛永寺ですが、この門はその当時のものをこの場所へ移築したとの事です。
映画の中で見るのより綺麗で新しく見えます、これは「東京物語」のフィルムの保存状態が悪いためでしょうか・・・・・・・・。

ところで、消失する前の寛永寺というのは今の上野公園よりも広かったといいますから、さすがは徳川家の菩提寺ですね。
今回は徳川将軍家の霊廟も行きませんでしたし、史跡と言えるものに触れる事はありませんでした。
京都御所の蛤門の様に、この門にも当時の戦いの痕跡があるとの事ですが、管理人の今回のミッションは「東京物語」です。幕末を偲ぶのは次回にする事としましょう。
・上野公園 西郷像前

「なぁ おい、広いもんじゃなぁ 東京は」

「そうですなぁ うっかり こんな所ではぐれでもしたら 一生涯探しても会わりゃぁしませんよぅ」


寛永寺・輪王殿で休んだ老夫婦が立ち上がり服部さんと紀子を訪ねてふらふらと歩いて行く場所はこのあたりですか。
背景のビル群はともかく充分に面影がありますねぇ、感動しちゃって管理人はこの場所に着いた瞬間、立ち尽くしちゃいました。

この反対側に「長屋紳士録」で登場する西郷像があります、当時は家なき子がたむろしていましたが、現在はホームレスの巣窟のようです。
東京の方なら良く知っているのでしょうが、昔からここはそう言う場所みたいです。
撮影が行われた50年前にも当然その様な人がいて、じっと小津組のロケ撮影を見ていたんだろうなぁ・・・・・・。