――― 『Hello, My Dear...... 』2








バンっと乱暴にジムのドアを開けて、その女は言い放った。

「鷹村いる?」

普段から偉そうな態度にさらに輪をかけて、今日は機嫌が悪いらしい。
ジムの中が静まり返った。

「あ、さんじゃないですか、鷹村さんならあっちですよ」

一歩の言葉も半分に、ズカズカとオレの方へと歩いてくる。
どっちかというと大人しめのの友達とは思えない尊大なヤツだ。
そう考えていると、女とは思えない力でいきなり胸倉を掴まれた。
周りの野郎共がいっせいに息を呑むのがわかった。

「・・・何だ?いったい」

相手にする気もねぇが、一応聞いてみる。

「ちょっと話があんだけど」
「あ?」
「いいから、外に出なさいよ」
「・・・何だよ、てめぇは。話があんならここで言え」
「周りに聞かれたくないから出ろって言ってんのよ、脳みそあんの?」

何の話かは知らねぇが、この女がこれだけ険悪な形相で睨んでくるからには、
それがに関することなのは間違いないだろう。

「・・・・・・こっちに来い」

顎で奥の廊下を指した。



「・・・で、何だってんだよ」

腕を組んで、そいつを軽く睨みつけながら言った。
だが、それ以上に相手は怒りに燃えていた。

「あんたみたいな男にははもったいないって最初から思ってたわ」
「ふん。そんなことをわざわざ言うために――」
「でもね、そんなこと言ってる場合じゃないのよ・・・たぶん」

さっきまでの剣幕はどこへ行ったのか、は大きく肩で息をした。

「・・・あ?」
「あの子、薬飲んでたのよ。・・・貧血だって。それ以上は言おうとしないから聞かなかったけど」
「ふーん」
「岸上クリニックってあるでしょ、隣の駅にある・・・チラッと見えたんだけど、そこの薬袋だったわ」
「・・・岸上?」

駅のホームのデカい看板を思い出す。

「用がなきゃ、行かないわよね・・・・・産婦人科なんて」














駅の改札を出たところで、不機嫌そうな顔で立っている彼に気づいた。
それでも3ヶ月ぶりに会う彼は、最後に見た冷たい表情とは違って私がよく知っている鷹村君だった。

「よお」

言葉が出ないままその場に立ち尽くす。

「ちょっといいか?」

彼は顎でアパートの方向を示す。
けれど妊娠初期のいつ悪阻で気分が悪くなるかわからない今、彼の部屋に行くのは気が進まない。
歩き出さない私にイラついたのか、彼がわたしのほうに向かって一歩踏み出す。
いつもされていたように俵担ぎされると思い、後ずさる。
彼に気づかれないようにバックで咄嗟にお腹をかばっていた。

「やめて」

鷹村君は足を止めてしばらく黙ったまま、くるりと背を向けた。

「来いよ」




しばらくぶりに鷹村君の部屋に入った。

最近貧血のせいで、酷く疲れやすい。
畳の上が散らかっているのもかまわず座ろうとしたとき、彼が私のバッグを取り上げた。

「ちょっ・・・!何するの!?」

慌てて立ち上がって取り返そうとした。
けれど私の頭の上のはるか高くに持ち上げられてしまっては、届くはずもない。
彼がバッグの中をガサガサとあさって、白い小さな紙袋を取り上げる。
無理なのを承知で手を伸ばした。
彼が薬袋をチラリと見た。

「やめて!返して!」
「どっか悪ぃのか?」
「・・・別に。ただの貧血よ・・・」
「産婦人科でもかよ」
「!!」

その言葉に凍りついたように動けなかった。

「どうして・・・」

・・・知ってるの?

「昨日坂井がジムに来たぜ」
「・・・え?」
「おまえが最近具合が悪そうだって心配してた」
「大げさなのよ・・・ただの貧血なんだから」
「だったら産婦人科の必要ねぇだろう」
「・・・駅前だから・・・便利なだけ」
「ふぅーん・・・で、今、何か月だ?」

その呑気な言い方に、なにかが弾けた。
私を支えていた腕を払って、彼の胸を力いっぱい押した。
目の前が暗くなった気がした。
乱暴にバックを取り返す。

「そんなの!自分で計算しなさいよ!」


 ――― ガキができたら知らせろ

あの時、そう言いながら返された鍵をバッグから取り出して、彼に投げつけた。
彼の顔にぶつかって、頬から一筋血が流れ落ちる。
怒るかと思ったけれど、あの時と同様彼は何も言わずただ壁を見つめていた。

「鷹村君には関係ないから」

彼がこちらを向く。

「これは私の問題」
「オレのガキだろうが」
「違うわ」
「何言ってんだ」
「あなたが私を愛してくれてできたわけではないもの・・・だから・・・この子は、私だけの子よ」

怒りよりも寂しさで、静かに微笑んだ。

「安心して。養育費なんて要求しない。ちゃんと一人で立派に育てます」
 
涙が零れないよう、無理やり微笑んだ。
視界が暗くなる。

「あなたに迷惑はかけないから」

それだけ言って玄関に向かおうとして、腕を掴まれた。
私の体を慮ってか、決してその力は強くない。

「ふざけんな」
「ふざけんてなんか――」
「なんでいつもそうやって勝手に答えを出す」
「・・・・・・」
「気に入らないならオレにぶつければいいだろう」
「・・・・・」
「他の女に手を出すなってわめけばいいじゃねぇか」
「鷹村君はわかってないよ!!」

彼の手を振りほどく。

「私は・・・あなたがジムでそんなことしたのが一番嫌だったの!」

息が苦しい。
視界が回り出す。
それでもなんとか声を振り絞った。

「ボクシングにだけはかなわないって・・・ずっと思ってた。
でも、それでもよかった・・・。
なるべく・・・ジムにも顔出さないようにしてた。
あなたの大事な場所だから・・・邪魔しちゃいけないって。
いつのまにか私にとっても大切な・・・神聖な場所になっていたのに。
なのに・・・・・・何・・で・・・?」

目を開けていられなかった。
全身の力が抜けた。

遠くで鷹村君の声がする。
何を言っているのかよく聞こえないけど、たぶん、私の・・・名前?
焦ったような声。
鷹村君に抱き上げられて、どこかに運ばれているのはわかった。
やっとのことで目を開ければ、見たことのない鷹村君の必死な顔。

「・・・鷹・・・村・・君?」

私の声が聞こえないのか、私を抱いたまま慌てた様子でどこかの建物に入っていく。
ここは・・・クリニック?
鷹村君がおそらく受付に向って何やらすごい剣幕でまくしたてている。
彼が何を言っているのか気になるけれど、目を開けているのもおっくうになった。
パタパタと走り回る人の気配がして、鷹村君が早足で歩きだした。
背中に柔らかい感触があたって、診察台に寝かされたことがわかった。
そばに立った鷹村君の珍しい真剣な表情に、自分が彼の前で倒れたことを思い出した。

「あ、ご主人は外で待っててくださいな」
「オレのガキだ。一緒にみるのは当然だろう」

腕を組んで威嚇する鷹村君に、看護婦さんがチラリと私を見る。
こういうときの彼に何を言ったって無駄なのはわかっているから、小さく頷いた。
彼女は心得たように、わかりましたと笑った。
心配なのね、と付け加えて。

診察が終わって病室で点滴を受けている間も、鷹村君はそばの椅子に座っていた。
会話はないけれど、私の手はずっと彼の大きな手に包まれたままだ。

「おおげさだなぁ・・・ただの貧血なのに」

彼は黙ったまま。

「・・・・・鷹村君・・・もう大丈夫だから・・・・」

彼が片方の眉を上げて問いかけるような表情を作る。

「あとは一人で大丈夫だから・・・・帰っていいよ」
「・・・・・・」
「ごめんね、迷惑かけて、でも――」
「点滴が終わったら、おまえを連れて帰る」
「一人で大丈夫だってば」
「明日は一日休め・・・オレの部屋で」
「だから一人で――」
「おまえ一人で産ませるわけねぇだろうが!このバカ野郎!」
「!!」
「誰が何と言おうと、おまえはオレのもんなんだよ」
「・・・勝手なこと言わないで・・・」
「おまえがなんと言おうと、そいつはオレのガキなんだよ」

 オレのガキ――。

泣きたくなくて、目を閉じて、空いている手を瞼の上に乗せた。

「私の気持ちなんて・・・わからないくせに・・・」

なら、なんで私は彼の手を解かないんだろう・・・?
早く出て行って、と言えば済むのに。

わかっている。
向き合っていなかったのは私も同じだ。
なぜ、言えなかったのだろう。
私だけを見て、と。
鷹村君の言うとおり、彼に全てぶつければよかったのに。
それで彼が逃げるわけがないのに。

「他の人に触れないで」

音にならない声で呟いた。

「ああ」
「私だけを見て」
「ああ」
「今度浮気したら・・・この子を連れて出て行っちゃうから」

彼が笑った気がした。

「ああ」

彼が、握った私の手にキスをした。
































薄暗い部屋で目を覚ました。
冬の冷たい空気を吸いこんで震えた。
後ろから私を包むように抱きながら眠っている鷹村君が身じろぎをする。
一つになるかのように、隙間なく抱き込んで両手は私の腰に回されている。

布団に肩まで潜り込もうとすると彼があくびをしながら手伝ってくれた。
いつも私が夜中に目を覚ますと、彼もそれを感じ取るらしい。

「寒みぃか?」
「うん・・・でも大丈夫」

そう答えると一層強く引き寄せられた。
大きな体で冷気が遮られる。
彼の体温はいつでも安心させてくれる。
回された手は、私の下腹部を守るように添えられていた。



だから、あんな夢を見たのだろうか。



心地よい体温に包まれて、再び眠りに引き込まれる。


もし本当に赤ちゃんができたら。
きっと彼はこうして守ってくれるのだろう。




大きな体に包まれて笑う赤ちゃん。




見上げた先には鷹村君の笑顔が見えた。














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『Wild Hawk』(裏部屋格納)4からの分岐?でした。
もうひとつの結末・・・・って、結局夢かいな!!!
というツッコミはご勘弁を(^_^;)

以前『Wild〜』を読んでいただいた皆様から、あのまま別れて妊娠してたら?というご感想を
結構いただいたのでそれも面白いな、なんて思いまして。
『Papa』で鷹村さん滑っちゃったし(笑)、ホントに妊娠したら鷹村さんはどんなリアクションだろう?なーんて。


21,000hitしてくださいましたタカヤマハジメ様より、
『ヒロインが部屋に来ていて(風邪など、たいした病気ではなくて)
倒れちゃってオロオロして看病する鷹村さん』
とのリクを織り込んでみました。