目を覚ましたのは、かすかなため息の音だった。
布団から起きずに見ると、テーブルに向かって呆然としているあいつの背中が見えた。
「・・・うそ。・・・できちゃった・・・」
その言葉に、息が止まるかと思った。
───『 Papa!! 』
・・・・・・できた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・できた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・できた、だと?!
そりゃ、できてもおかしくはないだろう。
身に覚えはある。
しっかりと。
やるこたぁ、やっている。
っつーか、
かなり。
濃密に。
オレ様が満足いくまで。
「できない」ようには「努力」しているつもりだが、それでもまあ、なんつーか、
勢いに流されてっていうのも、たまにはあるさ。
たまには。
・・・・10回に1回くらいは・・・。
いや、確かに、ダイナマイトなオレ様は、1日に「1回」なんてことはない。
・・・・・・・・。
む・・・わかったよ!そうだよ!1、2日に一回は「忘れ」ちまうんだよ!
しょうがねぇだろ!
「間に合わ」ねぇんだからよ!
ちっ!
むむ・・・、まぁ、だな。それはいいとして・・・。(全然よくないよ)
ひっかかるのは、いっこうにあいつがオレに言おうとしないことだ。
こんな重大なことを、だ。
もしかして、うれしくねぇのか?
まさかこのままずっと言わねぇつもりか?
ふっと頭に浮かぶ光景。
『私、鷹村君の赤ちゃんなんて産みたくない』
ちょっと待て。
『産みたいわけないじゃない。』
「ちょっと、待てったらよっ!!!」
ズダーンッッ!!!
「うわっ?!」
「なんだっ?!」
「た、鷹村さん?」
はっ!!
しまった!
思いきりサンドバッグを吹っ飛ばしちまった。
今はトレーニング中。
しかもここはジムだった・・・・。
「い、いや、なんでもねぇ。」
・・・・・・ついつい妄想に浸っちまった。
まったく、どうかしてるぜ。
しかし、だ。
コトは重大だ。
なんてたって、オレとあいつの一大事なんだから。
考えてみれば、あいつに限って、できたガキを「始末」するようなことはするはずねぇんだ。
そんな女じゃねぇ。
万が一、好きでもねぇ男のガキだとしても、そんなことができる女とは違う。
そもそも好きでもねぇ男に抱かれる女じゃねぇし。
そうだ。
オレが嫌いなら、身を任せるようなことはしないはずだ。
そこまで考えて思わず顔が綻ぶ。
「おい・・・・なんかさっきから、鷹村さん、変だぞ」
「ああ。叫んだと思ったら、思いっきりニヤけてる・・・とうとう頭打たれてイカれたか。
・・・・・一歩、おまえ様子見てこい。」
「え゛っ?!い、嫌ですよ!殺されますって!」
それにしても、だ。
なら、なんで当のオレ様に言わねぇんだ?
はっ!
もしかして!
あいつのことだ。
『鷹村君には迷惑かけたくないの・・・』
とか言って、独りで産んで育てるつもりじゃねぇだろうな。
なんつっても、あいつは、今までオレ様が遊んできたようなバカで欲深な女達とは根本的に違う。
子供ができたからってここぞとばかりに結婚を迫ってくるような女でもなければ、
男を騙して養育費をせびるようなことは、天地がひっくり返ってもできない。
勝手に独りで悩んで、勝手に独りで答えを、しかも間違った答えを出しちまうようなヤツだ。
そう思うと、早く誤解を解いてやらなければと焦ってくる。
───独りで悩むな。
───勝手に答えを出すな。
───・・・・・・一緒に育てよう、オレ達のガキを。
『オレ達』の『子ども』・・・・・・。
その言葉に、胸を掴まれた。
心地良い、衝撃。
・・・・・・オレとあいつの、赤ん坊・・・。
目を閉じて、想像する。
男なら、オレ様に似て、男前だろうよ。
なんてたって、世界王者の息子だからな。
いや、に似たって、ハンサムな坊主だろう。
いつかチラッと見たあいつの弟も、まあ可愛い顔だったっけな。
女なら、やっぱりに似て、美人だ。
色白で清らかな娘か・・・。
いや、オレの血が濃くても、京姉みたいに美人な兄弟がいるんだ。
けっしてブスにはならねぇ。
ふっ・・・。
結局、美男美女の両親の元には、美形の子どもができるってコトか・・・。
「おい、冷や汗かいてると思ったら、今度はなんか、余裕の笑みでサンドバッグ打ってるぞ・・・」
「どうやら、マジで脳ミソやられたか・・・」
「それとも・・・さんと何かあったんでしょうかね〜・・・」
「うーん、もしかして、とうとう捨てられて頭おかしくなったか・・・」
「あっ!鼻ふくらませてるっ!」
ガキが産まれるとすれば、名前を考えなきゃ、な。
やはり、ここは、名付け親は会長(ジジィ)に頼むか。
・・・いや、待てよ。
万が一、『鴨子』とか『源子』なんて付けられた日にゃあ、海に沈めてやる。
だめだ、もっとセンスのあるヤツじゃなきゃ。
「コラ、鷹村、何サボっとる!!」
むっ!出たな!くそジジィ!
「うるせぇ!変な名前付けやがったら承知しねぇぞ!」
はっ!!
しまった!!
またやっちまった!!
「・・・名前・・・?」
会長の怪訝そうな顔。
うっ・・・。小者たちの視線が痛ぇ・・・。
ここは逃げるしかねぇな。
「い、いや、悪りぃ。何でもねぇ。
ちょ、ちょっくらロードワークに行ってくらぁ。」
そう言って、ジムを全速力で飛び出した。
「なんか、マジでヤバイんじゃねぇか・・・?」
「ああ・・・。このジムから世界王者がいなくなるのも時間の問題かもな」
「そ、そんな、不吉なコト言わないでくださいよ〜」
そうだ。
産まれてくるガキにはちゃんとした環境を与えてやらんと、だな。
少なくとも、親に見放されたオレのようにはしたくない。
となら、大丈夫だ。
あいつとなら、ガキを幸せにしてやれるハズだ。
そこまで考えて、ふと思いついた。
そうだ。
早いほうがいい。
ガキが年頃になって、「計算」しても大丈夫なように。
来た道を急いで戻って、近くの銀行に飛び込んだ。
確か、この前のファイトマネーが、少しは残っていたはずだ。
が、残金を確認して、ヘコむ。
・・・うっ・・・これだけ、か。
まぁ、いい。
次の防衛戦が終わったら、もっといいヤツを買ってやればいいだけのことだ。
第一、ゴテゴテ光り物を身に付けるのが嫌いな女だから、
派手派手しいのをやったって、喜ばねぇだろう。
とりあえずありったけの金をポケットに突っ込んで、宝石店に入る。
お世辞にもキレイとはいえないトレーニングウェア姿の、しかも汗まみれでいきなり入ってきたオレに
驚く店員をつかまえて、小さいながらも品のいいのを選んだ。
これでも、元は大会社の御曹司だ。
昔から、「本物」には見慣れている。
大きさに関係なく、「良いモノ」は見分けられる。
そしておれにとって、あいつこそが「本物」。
わずらわしい包装は断って、急いで店を出た。
「鷹村君?」
店を出て走り出そうとしたその瞬間、声を掛けられた。
振り向くと、今、オレがまさに迎えに行こうとしていた姿がそこにあった。
いろいろ考えすぎて、とっさに言葉が出てこねぇ。
「どうしたの?こんなとこで」
そうして、いかにもオレに縁のなさそうな宝石店に目をやり、不思議そうな顔をする。
「おまえ・・・・オレに何か話すコト、ないか?」
珍しく、戸惑いながら話すオレに、が首を傾げる。
「話すコトって・・・。・・・・・・特にない・・・けど・・・どうしたの?何かあった?」
・・・あんなぁ。
ったく、聞いてんのは、こっちだっての。
「・・・おまえ・・・・・・で、できちまったんだろ?」
「は?」
「だからっ!できたんだろうがよっ!」
「何が?」
「な、何がって!・・・隠さなくてもいいんだぞ。この前、夜中に言ってただろうが」
「夜中・・・?・・・・・・・・あ・・・・。」
「・・・思い出したか・・・?」
「ああ、あれね、うん、できた。やだ、聞いてたの?」
「・・・ああ、まあな・・・。そ、それで、だな」
そうだ、今だ。
渡せ!
「あれね〜、できちゃったの。もう、まさかと思ったんだけど。だってすごく難しかったから、信じられなくて。」
・・・・・・あ゛?
「・・・・・難しい?」
「ん。英字クロスワード。」
「は?」
「だから、クロスワード、英語の。生徒からもらったんだけど。」
「・・・くろ・・・す・・・・わーど・・・?」
「そう。クロスワード。・・・何だと思ってたの?」
「・・・いや・・・。そうか・・・クロスワードか・・・。」
「結構おもしろいよ。鷹村君も今度やってみる?」
「・・・・・・・いや、いい・・・・」
「そういえば、鷹村君、こんなとこで何やってたの?ロードワーク中でしょ?」
ぎくっ。
今更、言えねぇ・・・。
一人で勘違いして、こんなモノまで買っちまったオレは、一体なんなんだ・・・。
「ああ・・・。・・・便所借りてただけだ。」
「そうなんだ。あ、今日ね、思ったより早く学校終わったから、鷹村君のとこ、寄ろうと思って。」
「そうか・・・」
「ごはん作って待ってようかな・・・って」
「そうか・・・」
「・・・・・・鷹村君?どうかした?なんか変よ?」
「そうか・・・」
「・・・・・・・・・・・今日はやめといた方がいいかな」
しばらく呆然としていたオレは、の心配そうな声と額に伸びてきた華奢な手に、やっと現実に引き戻された。
「熱はないみたい。・・・練習で疲れてるんじゃない?ゆっくり休んだ方がいいね。」
のぬくもりを感じて、さっきまでオレの中を占めていた感情が甦る。
・・・・・・これから、作ればいいじゃねぇか。それだけのことだ。
戻りかけたの手を掴んで、引き留める。
「鷹村君?」
の声を無視して、もう片方の手でポケットからさっき買ったばかりの箱を取り出した。
「『できない』『努力』はやめだ」
「鷹村君?」
「覚悟しやがれ」
そう言って、その細い指に、小さな石のついた指輪をはめた。
「次の試合が終わったら、ちゃんとしたの、やるよ」
「あの・・・鷹村君・・・これ・・・」
「部屋で待ってろ。ジムが終わったらすぐ帰る」
目を真ん丸に見開いて何か聞きたそうなを残して、走り出す。
あれ以上、何も言えねぇ。
とりあえず、渡したからな。
返品不可だぞ。
ちらっと後ろを見ると、自分の指を見下ろしながら固まっているあいつがいた。
自然、笑みがこぼれる。
オレの短い夢をぶち壊してくれた罰を、たっぷり償わせてやる。
その指に光る石を眺めながら、今夜は離さないからな。
覚悟しとけ。
◇ Back ◇