私にも、夢があった。



















































                                                     ────── 『夢の先 』






















































雨はあがっていた。













診療時間が終わって、いつもの場所に向かう。


里へ戻ってから、毎日訪れる場所。


里を離れている3年の間、「みんな」に会えなかったから、毎日通ったって話は尽きない。
もちろん返事は返ってこないけれど。
それでも、自分の大切な人たちが眠っているこの場所に立つと心が穏やかになれる。
父も、母も、そして初めて胸の高鳴りを感じさせてくれた人も、「ここ」にはいるから。
今は三代目もここにいて、きっと四代目と積もる話をしているのだろう。



病院の中庭から摘んできた花を碑の前に置いて、いつものように今日の出来事を話す。
葬儀のこと、たくましく育っている木の葉の子供たちのこと、病院のこと。

















「なぁに?オレのことは話してくれないの?」










いきなり聞こえてきた声に驚いて、咄嗟に振り返る。
よく知った人影に、ほっと胸をなで下ろした。

「カカシさんったら、気配消して近づかないでくださいってば。」
「ごめんごめん。誰かいると思ったからさ〜。だってわかんなくて」
「うそばっかり。ホントは随分離れたとこからわかってたんでしょ、天才上忍のカカシさん?」
「ははは。ばれてる?声が聞こえたから、邪魔しちゃ悪いかと思って。」
「やだ、ずっと聞いてたの?」
「いや、少しだけ、ごめん。
でもちょっとショック。オレの話は全然出てこなくて」

冗談交じりの苦笑いの中に、本当に寂しそうな表情を見つけてしまって、
少し落ち着かなくなる。

「あ・・・の・・・、カカシさんはどうせ毎日オビトさんに会いに来てるんだから、私が話す必要もないかなって・・・」
なんとなくカカシさんの顔を見れなくて、目をそらして言った。

「でもオレは、の口からオレの名前を呼んでほしいよ」
カカシさんの言葉に、思わずそらしていた顔を上げた。
「オレはいつもオビトに、のこと話してる」
「カカシさん・・・」
「今日のはさ〜、とか、がこんなコト言ったんだよ、って。きっと・・・」
彼特有ののんびりした口調で笑って、カカシさんが私の隣に並ぶ。
「オビトのヤツ、呆れてんだろうな〜。」


けれど、彼の期待している言葉で答えられない私は、何を言ったらよいのかわからなかった。
慰霊碑を、ただ見つめることしかできなかった。
まるで、そこに助けを求めるように。


でも、誰も助けてはくれない。





「私は───」
「逃げないで」
やっとのことで発した言葉はカカシさんに遮られた。

「お願いだから、オレからもう逃げないで」
今までに見たことのない切羽詰まった表情で言いながら、カカシさんが口布を下ろした。
「そんな、逃げるなんて───」
小さく首を振りながらなんとかそう言った私の手を、カカシさんが掴む。
その力の意外な強さに、少し戸惑う。

「逃げてる。
オレがの心に近づこうとすると、は心を閉ざすんだ。
もう少しで手に入れられるって思うのに、必ずその次の瞬間は遠くにいる。」
「カカシさん・・・」
「どうして?オレのこと嫌い?違うよね?そうじゃないってわかってるよ、オレには。なのに───」
「ごめんなさい。」



それしか、言えなかった。

私には、他に・・・言えない。





けれど私の言葉を、カカシさんがどう受け止めたのか、
直後、すごい力で抱きしめられた。




「離さないって・・・もう絶対離さないって言ったでしょ?忘れたの?覚悟して、って。・・・オレ、本気だよ」



カカシさんの気持ちが、抱きしめられて触れたところから鼓動と一緒に流れ込んでくるようで、
そのぬくもりに、目を閉じた。





こんな風に抱きしめられることを、何度夢見たことだろう。





今まで言ってくれた、たくさんのうれしかった言葉。
ただ、本気だなんて、信じられなかった。




違う。


本当はわかっていた。
カカシさんの気持ち。





   神様、お願い。

   今この一瞬だけでいい。
 
   このぬくもりを私だけにください。

 





だからいつもそう思っていた。



けれど、私には許されないこと。
冗談めいた会話で、カカシさんとの距離が近づくのを避けていたのは私。
自分でもわかっている「結末」を、ただ、そう、彼の言うとおり、逃げて、先延ばしにしていただけ。
それに気付いてしまった今、もう逃げる事はできない。






「お願い・・・カカシさん・・・放して・・・」

その背中に触れてしまいたくなる衝動を堪えて、なんとかそれだけを言った。




少し緩まったと思った力は、私の言葉に一瞬反応して、
先ほどよりも更に力が加わった。
苦しいほどに、彼の胸に閉じこめられる。



「いやだ、放さないよ、が嫌がっても絶対。
わかるだろ。
オレにはが必要なんだ。」



本当は泣きたいくらい嬉しいはずの、彼がくれる想いに、違う涙がこみあげる。

雫がこぼれないように、目を閉じているのが精一杯だった。





「お願いだから、オレなんて必要ない、なんて言わないで?」


絞り出すような、苦しそうな声。




できることなら、その背中に自分の手を回したい。
思いきり、彼を抱きしめたい。



けれど、私は・・・。





閉じた瞼から、涙がつたっていくのを感じた。






?」

「ごめんなさい」

・・・」

「ごめんなさい」








自分を包む空気の温度が少し下がって、少しだけ腕を解かれたのに気付いた。
指で涙を拭われて、そっと目を開けると、少しかがんで心配そうにのぞき込むカカシさんがいた。
その顔は、とても優しくて、哀しそうで。


「ごめん。の気持ち、オレわかってなかったのかな。
でも、これだけは信じて。
オレにとってはずっと、がこの世で一番大切なんだ。
だから、が他の誰かを好きでも構わない。
そばにいてくれたら、それだけでいいんだ。
それでも、オレじゃダメ?」

「カ・・・カシさん・・・」

堪えても止まらない涙が、ぽとぽと落ちていく。
けれど、何年も抱えていた苦しみが、体の中から抜けていくような気がして、
止められなかった。
今日だけは・・・。
明日からは、きっとまた笑えるから・・・。
カカシさんを諦めたとしても、一人で生きていける。
カカシさんの横に立つのが自分じゃない誰かでも、私は笑っていられる。

この涙と一緒に、悲しみも流してしまえば。



「オレじゃ───」
「私にも」
「え?」
「私にもね、夢があったの。」


声が震える。
喉が詰まってうまく話せない。
それでも、言わなくてはならない。




みんな、私に勇気をちょうだい。




「バカみたいに単純だけど。
好きな人と結婚して、その人の子供を産んで、一緒に育てて。
一緒に年をとって、おじいちゃんとおばあちゃんになって。
本を読むその人のそばで、私は犬と遊ぶの。」

そんな夢を見てた。
ささやかだけど、忍としては最高の幸せだと思っていた。
無邪気だった自分を思いだして、ぎこちなくも少し微笑むことができた。



「オレとじゃ、できない?忍だから?
のためなら、どんな任務だって、必ず帰ってくる。
約束するよ。
どんなことがあっても、を一人にしない。」






そうじゃない。



声にならなくて、ただ首を振った。




「子供だって、とだったら何人でもいい。
いっぱい作ろう。オレも楽しみだよ。
一緒に育てよう。
一緒に年をとろう。」

カカシさんは微笑みながら手を差し出す。



一緒に生きていこうと、言ってくれた。
それだけで、十分。
今の私は、誰よりも幸せよ、カカシさん。



私も微笑みながら、けれどその手を取ることはできないで、もう一度、
今度はゆっくりと頭を振った。



「ありがとう。でも、無理なの」
「できるよ」
「そうじゃなくて」
「絶対っ──」
「産めないの」
「幸せ・・・に・・・・・・え・・・?」
「たぶん、私、子供産めないの」


おそらくショックを受けているだろう、カカシさんの顔はさすがに見れなかった。
彼の肩越しに夕日が落ちるのを眺めながら、
これでもう、彼との始まりさえしなかった恋が終わるんだと、
でも寂しいけれど、もうこれで苦しまないでいいと、少しホッとしたような気持ちにもなった。





・・・」
「負傷して、リハビリして、ほとんどの機能は回復したけど、傷が深かったから・・・。
これでも、元医療班だもの。自分の体だし、薄々は気づいてた。
退院するとき、言われたし。
子供はできるにしても、確率はかなり低いって。
・・・あの時、決めたの。
一人で生きていこうって。」

思ったよりも、落ち着いて言えた。
けれど、最後の一言はやはり辛かった。
それでも、カカシさんをまっすぐに見つめて言いたかった。



「だから、私なんかよりも、カカシさんにはもっとふさわしい人がいると思う」




私のその言葉に、カカシさんは何かを言おうと口を開いた。
けれど、そのまま口を閉じてポケットに手を入れながら背を向けた。






本当は、最後にもう一度、カカシさんの笑顔を見たかった。
でも、これでいいんだと自分に言い聞かせるようにして、その場を後にしようとした。


















「ねえ・・・オレは・・・にとって、そんなに必要ない?どうでもいい存在?」







予想外の言葉に、咄嗟に振り返って答えていた。



「そんなこと、あるわけないじゃない!」



カカシさんは額当てを外して、二つの瞳でこちらを見ていた。

「でもさ、オレと一緒に生きるより、独りを選んだんでしょ?
そんなに頼りないって思われてたんだね。
独りですべてを背負い込んじゃって。」


「それは・・・だって・・・私は・・・・・・もう・・・普通の──」
だよ」
「え?」
「普通のだよ」

 
カカシさんが何を言いたいのかわからなかった。


「オレにとっては、何も変わっていないよ。
初めて会ったときから、はずっとオレの大切なだよ。」
「でも」
「二人じゃダメ?」
「え?」
「これからずっとオレと二人きりじゃイヤ?」
「カカシさん?」
「ねぇ、の人生の残り、オレにちょーだい」

自分で何を言っているのかわかっているのかいないのか、カカシさんはニッコリ笑いながら言う。

「・・・カカシさん、自分の言ってること、わかってないでしょ?」
「これ以上ないってくらいわかってるよ」
「だって・・・」
が病院で長い間、眠っていた時から、わかってる」


訝しげに見る私に、さらにカカシさんは意外なことを口にした。

「あの時、医療班から聞いた。
オレ達が付き合ってるって誤解したらしい。
だから、が目覚めるより前に、の体のことは知ってた」

あまりに突然知らされた事実に、愕然とする。

「どう・・・し・・・て・・・」
「黙ってたかって?オレにはそんなこと関係なかったから。
の命が助かるなら、他のことはどうでも良かったんだ。
それに、できにくいとは言ってたけど、絶対できないとは言ってなかったよ。
ま、できたらモチロンうれし〜し、このまま二人きりでもオレは楽しいと思うよ」

もう一度ニッコリしたと思ったら、思いきり抱きしめられた。

「何があっても今度はもうぜーったい、逃がさない」
「カカシさん──」
「あの日・・・・・・病院での血の気のない顔を見た瞬間からしたら、
今なんてコワイくらい幸せなんだ。」












が、生きて、そばにいて、オレの腕の中にいる。

 ・・・・・・これ以上、何を望む?」



















その言葉に再び溢れ出した涙は止まることを知らなくて、もう頷くことしかできなかった。


自分を閉じこめることしかできなかった私なんかよりずっと、「未来」を見据えていた人のその「強さ」に、
敵う事なんてできるはずがない。





初めて、カカシさんの背に手を回した。
ピクリと、その体が反応する。
ずっと夢見ていたその背中を、震える手で抱きしめる。
それは思っていたよりもずっと広くて、温かくて、
そして愛しいカカシさんの匂いがした。







「もっと」
「え?」
「もっと強く抱きしめてよ」
「カカシさん・・・」
「もっともっとを感じたい。」
「カカシさんたら、これ以上は何も望まないって言ったばかりじゃない」
思わずクスクス笑いながら言うと、
「これは、べーつ!」
笑いを含んだ声で、逃がさないとでもいうように、壊れそうなくらいの力で抱きしめられた。





だから私も、あなたを、そして、ずっと見てきた夢のその先をこの手で抱きしめる。




「カカシさん」
「な〜に?」
「覚悟してね」
「ん〜?」











「もう、絶対、離さないから」














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