2019年11月 更新
川柳誌 紹介 川柳誌 紹介
川柳 はいふう
NO.12
発 行 2019年 10月5日
編集・発行 尾藤 川柳
発行所 川柳公論社
『 記載内容 』
令和元年川柳発祥の日を祝う会
北斎の川柳世界 「号の謎」 尾藤川柳
2019年度 各賞 表彰
誹風大賞・白鹿賞・めやなぎ賞・蒼塔賞・時の目賞
N0.13
発 行 2019年 10月10日
編集・発行 尾藤 川柳
発行所 川柳公論社
『 記載内容 』
村田周魚句碑建立 除幕記念句会
第二回 十六代 川柳賞
日米川柳交流会 グランドキャニオン川柳吟行
全日本川柳浜松大会 講演録
北斎170年・川柳の楽しみと文化 尾藤三柳
「両号ともに記載されている北斎についての研究論文は、その資料の充実と論考に於いて特筆すべきものがあるのでぜひ読んで頂きたいものと思う。」
記 本多洋子
2019年 10月 更新
川柳評論集 紹介 辻 晩穂 編
川柳評論集 紹介
『 北の道標 』 辻 晩翠 編
発 行 令和元年9月30日
企画・出版者 辻 晩穂
印刷・製本 中嶋 美奈子
発行所 北見川柳社(オホーツク企画)
090-0033 北海道北見市番場町4番10号
定 価 2000円 送料 300円
辻晩穂氏は序文のなかで次の様に述べておられる。
『本書は川柳界の活動が、年々多様化するなかにあって、北海道と言う独自の風土の中で、独自性を如何に伝えてゆくか問われていると考えている。・・・・オホーツク川柳の独自性に就いて、新川洋洋さんは川柳界に復帰するとき、評論家として立ったのも、北海道川柳の在り方に共鳴しての参加であった。』
『評論活動は現代川柳の活性化への道であり、川柳界は新しい時代の流れと共に活動の多様化がみられる。しかし創作活動の多様化は本質論を変えるものではない。現代川柳は地域文化を支える活動であることを記して置きたい。』 と強い口調で述べられている。
本書の目次によって、少し内容に触れてみると
序 辻 晩穂
評論 川柳曼陀羅 新川洋洋
作家論 佐久間梢風 辻晩穂
視点・論点 新川洋洋
作家抄 高橋蘭・西ノ坊典子・北川拓治・小暮健一・中村迷々亭・
山田みのる・山下タツエ・鳥羽春光・蓑口一鶴・田中耕女
大山八重子・今野つよし・佐久間梢風・辻 敬子
エッセイ
東清子・石見民子・佐久間梢風
あとがき 辻 晩穂
なお 書籍の帯には
作品評・作家論を通して共感し共鳴する時、作品や作者に一歩接する。
そこで個性が磨 まれ人間回復の作品が誕生する。 佐久間 梢風
北海道の捜索活動を考えるとき、与えられた風土と如何に生きて来たか。
そして、次の世 代に如何に伝承するかであろう 辻 晩穂
待望の川柳評論集です。 ぜひ手にとってご覧いただきたいと思っております。
本多 洋子 記
2019年9月 更新
柳誌 句集 紹介
柳誌や句集をいろいろ頂戴しながら
ゆっくり紹介を出来ずにおります。
折をみて、丁寧にお知らせしたいと
思っておりますので、しばらく時間を頂きたいと思います。
よろしく、ご了承くださいませ。
本多 洋子
2019年7月 更新
柳誌 紹介 柳誌 紹介
川柳 杜人 262号
発行 令和元年6月25日
編集 広瀬ちえみ
当月号で特に注目したい記事は次の一文であった。
「所謂 現代川柳を考える」 飯島 章友
筆者は川柳スパイラル同人・川柳雑誌風会員・共同ブログ川柳スープレックス」等を運営。
伝統川柳・現代川柳を問わず隆盛を極めていると見える川柳界。豪雨の流れに押し流されそうになってる現状である。自分の立ち居地を確かめなければと感じていたところ、この柳論に出合った。河野春三の「現代川柳への理解」の論文に立ち返っての推察は充分に納得でき、忘れてはならない事を振り返るに充分であった。
片柳哲郎逝き・時実新子逝き墨作二郎亡き現代、現代川柳の指標はハタと見失われた現状のように思われる。現代川柳に発破をかけた渡辺隆夫というヤンチャな川柳家ももうこの世にいない。
飯島章友氏のように少し立ち居地を変えた見地から見ていただくと、これまでの経緯も現状もはっきりと観えてくるのかもしれない。この論を拝見しながら、今現在自分の中でモヤモヤしていたものがすうっと消えて行くのを感じた。自分の勉強の足りなさも痛感している。
この号で宮本めぐみさんの訃報に接し涙しています。優しい方でした。御冥福をお祈りいたします。
本多 洋子
2019年5月 更新
柳誌 紹介
川柳 宙 アンソロジー
発行日 2019年4月25日
制 作 川柳 宙
発行所 あざみエージェント
編 集 小原由佳 川田由紀子 芳賀博子
「あとがき」には次のようにある。
前回のアンソロジーからはや三年半が過ぎました。
会員の現在地からの自選20句です。
時代は刻々と移り、なにが起こるかわからないこの日常の中で、どのように自分の句を書いて いくのか、それぞれが課題をかかえつつ、川柳とのであいや月日を再確認する機会になりまし た。 そして今が大事であることも。
川柳の大指導者、時実新子さん亡きあとのお仲間たちが寄り合って、真剣に今、そしてこれからの川柳のあり方について考え、確認し合っておられる姿が垣間見られて、感動を覚えた。
カリスマ的存在を失った後の心もとなさは察するに余りある。その師に教えて頂いたご恩に報いるためにも、川柳の今を、そしてこれからをおろそかにしてはいけないと思う。
この「宙」のアンソロジーにはその熱意が充分に感じられて、非常に好感が持てた。
若さでもって、これからの川柳界をどんどんリードして行ってもらいたい。
会員の方々のお名前を次に紹介しておく。
浅井ゆず 小原由佳 川田由紀子 久保田清美 辻 光子 中西南子
能登和子 芳賀博子 弘津秋の子 古田ゆう子 森 廣子 夕 凪子
2019年 4月 更新
筒井祥文さんの 句集 について
句集というものは 作家自身が編集・発行するものと、第三者によって発行されるものがある。
どちらかどうと批判はできないが、作者が急逝されたような場合の遺句集などは勿論近しい方の協力によって編纂されることになる。最近急逝された筒井祥文さんの句集が近々発行されるべく準備が進められているという。
沢山の柳論も残されていると思うので、読み応えのある句集が出来上がるのではないかと大いに期待している。
書いて残すことの大切さをこのごろつくづく感じている。
この欄で、ぜひ 筒井祥文さんの句集紹介ができればと いまから 楽しみにしている。川柳界にのこされた功績は大きいと思うので、ぜひこれからの人達に読んで頂きたいと思っている。
2019年3月 更新
句集紹介 句集紹介
川柳作家ベストコレクション
赤松ますみ
むらさきになったり 透けてしまったり
著 者 赤松ますみ コロキュウム代表・全日本川柳協会常任幹事
発 行 2018年12月31日 NHK学園川柳講座講師・etc
発行人 松岡恭子
発行所 新葉館出版
作者あとがきには
「潜在意識」も川柳を書く上で大切にしている存在だ。潜在意識を掘り起こすことによって知らなかった未知の自分をみいだすことができるのは大きな歓びでもある。・・・潜在意識を通して新しいわたくしを探し続けながら、年齢を重ねつつもいつまでもワクワクドキドキしていたいと思う
とある。しっかりとした川柳観をうかがい知ることができる。
第一章 地の果のふわふわ
第二章 誰でもない景色
それぞれに心に響くものがあって、詳しく観賞したいところですけれど、なにしろ、年末ぎりぎりに私の手元に届きましたので、日をあらためてゆっくりこの句集の紹介をさせて頂きたいと思います
2019年の句集紹介の第1号にふさわしい 赤松ますみ句集でした。
2018年12月 更新
句集紹介 句集紹介
めるくまーる
著 者 樋口 由紀子
発行日 2018年11月20日
装 丁 野間 幸恵
発行人 山岡 喜美子
あとがき に第一句集「ゆうるりと」第二句集「容顔」から十九年ぶりの川柳句集だとある。しかしその十九年間は 決して空白の期間ではなく、「バックストローク」ゃ「カード」・はたまた「晴 ・hare」などで活躍しておられたので、そんなに 一足飛びの出現だとは思えない。
ただ 今回はあとがきの中にも述べておられるように 『めるくまーる』 は
作 樋口由紀子 演出 野間幸恵で出来上がったものだ ということ。
ここのところが 読者にとっては まったく 唐突で 理解に苦しむ。
川柳にも 映画やお芝居のように他者の演出が必要なのだろうか。演出によって句集がどのように変わったのだろうか。わからない。編集と演出とはどう違うのだろう。編集や装丁によって作品が見違えるようになるのは解かる。それは 演出とはきっと意味が違うだろう。
という事は、私自身、由紀子作品を充分に読み込めていないのかもしれない。
現代川柳は 読みの時代にはいったとよく言われる。作品の良さが解からないのは読みの問題であると言われればそれまでである。まして「言葉」は意味や感性を伝える機能をもっているのは当然であるのに、意味性をど外視して言葉を観賞するのは無理である。現代音楽や現代絵画の鑑賞はすんなり感覚的に心に到達することが出来るのに、言葉の川柳でそれが素直に読み取れないのはどう云うことだろう。
作者はいうかもしれない。「別に読者に共感を得るために創っているのではない」と。
演出家は演出の妙味を解かってもらいたくはないか。
ここのところが 読者にとっては まったく 唐突で 理解に苦しむ。簡単に誰にでも解かってもらえるような作品や句集は創りたくないというのが作者のプライドなのだろうか。
俳優と演出家との関係なら 解かる。しかし 作家自身が演出家によって牛耳られるとすればそれはどういう意味をも持つのであろう。
ここまで来て、それはひとそれぞれなのだから、とやかく言う必要もなかろうと自分で気付いた。
ひと時代昔の川柳界の熱気を思い出している。懐かしい。
2018年 11月 更新
句集紹介 句集紹介
川柳作家ベストコレクション
嶋澤喜八郎
それとなく線が一本引いてある
発 行 2018年10月17日
著者 嶋澤喜八郎
発行人 松岡恭子
発行所 新葉館出版
「あとがき」には、小学2年生のころ毛筆に興味を持ち出し、父に褒められたのが、日本語に興味を持ち出したきっかけであったとある。文芸や文字にかかわったのは、中学高校時代であると書いてある。
1993年には、俳句として第1句集「牛蛙」を出されている。1994年には俳句と川柳ということで第2句集「蛍」を出版、2007年から川柳・交差点店長として大いに活躍されているのは周知のとおりである。
今回の句集を読ませてもらっても、その根底には俳句の素養のあることが、火を見るよりも明らかである。
ただ日頃、句会で発表される作品とは 随分隔たりがあるのを、今回この句集を見せて頂いてよく解かったような気がしている。俳句と川柳の違いということを、作者自身はっきりと区別しなければならないと考えていらっしゃるのではないかと、思われる。
しかし、文芸作品として鑑賞するとき、或いは作句するとき、そんなに区別して考えなくてもいいのではないかと私は思っている。
つまり喜八郎氏は、句会作品は川柳であり、句集として発刊される作品のなかには、自分らしく、俳句的な要素のあるものを多分に取り入れられたのではないかと私はみている。
句会作品には条件がある。兼題と選者。この二つを抜きにして作品はなりたたない。選者が抜いてくれなければ、作品としてなりたたない。また5・7・5の言葉数以外に兼題という意味性を含ませなければならない。俳句にも季語切れ字などという条件がある。それぞれの分野で違いがあるのは確かであるが、文芸性という意味ではそんなに強調して違いを表現しなくてもいいのではないかと私は思っている。
この句集の中で、とくに俳句味の滲んでいるものを次にあげてみる。
通り過ぎたら椿が落ちた
電球の切れておる音冬深し
時雨きて女人高野の石の白
ツユクサが咲いてるバスは出たばかり
春ですね阿吽の吽の半開き
草笛の重さはおよそ三グラム
なお、これは川柳として良い作品だなと思ったのは次のような句である。
ペンにインクが切れた 寝よう
鯛焼きをつつむ全面株式欄
改憲は懐剣下心あらわ
憲法に加齢臭などありません
私の影が私になつかない
何事もなかったように爪を切る
朝顔に本音をもらしそうになる
反論も弁解もせず ああと言う
句集の中に揚げられた作品は、俳句風にしろ川柳風にしろ優しく心にひびくいい作品ばかりだと思う。そして私が日頃感じているのは、ここに揚げたような作品が、句会作品として皆さんの前に発表されているかどうかということである。
昔、私は海堀酔月さんの句集編纂を手伝った事があるが、彼は句会で発表した作品は句集には載せないとはっきりと言い切られた。何よりも自分を大切にされた酔月さんの意思が強かったのを覚えている。
今回の嶋澤喜八郎さんの句集を読んで、ふとそのような流れを汲みとることが出来たので、僭越ながらここにその感想を述べさせていただいた。
2018年10月 更新
句集紹介 句集紹介
芳賀 博子 句集
「髷を切る」
発行日 2018年9月13日 著者プロフィール
著 者 芳賀 博子 1996年 時実新子・川柳大学投句
発行者 永田 淳 2006年 終刊まで会員
発行所 青磁社 句集に「移動遊園地」
真っ白な表紙に赤で「髷を切る」と書かれた句集のタイトルにまず目を瞠った。第二句集への著者の確かな決意のようなものを感じる。
作者の「あとがき」には次のようにある
※ 二冊目の句集となる。第一句集から゛15年が経った。11年前、師である時実新子が世を去った。師の主宰する川柳誌も終刊になり…足は自然に外へ向っていた。近い外、遠い外、さらには川柳圏外へ。そしてそこにも時代の風が吹き、川柳という文芸の幅も深さも自由度も計り知れないことを実感した。その風の中で、つと髷を切ってみた。いきおい、句集を作ることにした。
この一文に確かな作者の気持が吐露されている。 これからは 新しい決意で第三句集へと進化されて行く事だろう。この句集の帯文に、編集者の適確な紹介文が載っていたので、それを転載させて戴く。
帯文 日常の瞬間を切り取る
社会を少しズラして見る
言葉の繋ぎ方を飛躍させてみるーーー
すると
世界は驚くほど
豊饒な表情を見せ始める。
芳賀博子、待望の川柳句集第二弾
ほんとうに、日常の瞬間を切り取る芳賀博子のセンスに目を瞠る思いがする。情に溺れるのでなく、言葉に惑わされるのでもなく、しっかりと状況を捉える知的な作家の立ち位置がある。これは 川柳作家の中での 稀少価値かもしれない。
編集・装丁・作品と三拍子揃った今回の句集発刊を心からお祝したい。
次にわたくしの印象に残った作品を揚げさせて戴く。
欠けてから毎日触れるガラス猫
一番の理由が省略されている
もうすでに絶滅とあり鳥図鑑
どぼどぼにソースをかけて許しあう
いまどこいまどこ「このビルの屋上」
一斉送信ねずみ花火を添付して
ワンピース洗う真夏の匂いごと
私との約束はいい 行きなさい
生真面目なコーヒーが付くBランチ
あっ録画するの忘れてた戦争
惜しみなく蝶を開いてゆく光
髷を切る時代は変わったんだから
9月30日 洋子記
2018年9月 更新
句集紹介 句集紹介
橋本涼子川柳句集
「うすももいろの花陰」
発 行 平成30年8月6日
著 者 橋本 涼子
発行人 松岡 恭子
発行所 新葉館出版
「はじめに」と称して次のような作者の一文から句集がはじまる。
第一句集「旧いオルガン」を出版して15年。恩師永田堯風先生の笑顔が浮かびます。
卒寿を元気に迎えた今、原爆で私をのぞく家族6人への供養と、命をひとりじめした運を感謝 して第二集『うすももいろの花陰』として纏めました。
序文には、ファウストの赤井花城氏が懇切丁寧な文章を寄せておられるので、作品とともに、じっくり味わっていただければ、作者の心情が寄り深く伝わってくるのではないかと思う。
第一章 どのあたり
エッセイ 残されて思う命の尊さ
第二章 夏の雲
エッセイ 戦後70年に思う
第三章 しあわせな駱駝
エッセイ 引越し同居
第四章 うすももいろの花陰
跋 みぎわはな
あとがき 残された命
各章をおってわたくしの心をとらえた作品をあげておく
第一章から
残照の花野に残す石の椅子
紙人形ひとりになって炎えやすき
カラカラと笑う枯葉とつうじあう
川の名をいくつ教えて来し旅か
第二章から
それいゆの少女ト出逢う古本屋
縁うすき亡母なり帯留めがひとつ
私独りを残して消えて行った雲
未婚の母のように所帯主と書く
第三章
幸せで良いのでしょうか蝶一羽
悲しみのかたちで冬の蟷螂よ
顔洗う猫にも都合あるらしい
月の砂漠で幸せだった駱駝
第四章
丁寧な言葉に棘を包み込む
告白の胸のあたりにある水位
もう揺れぬ覚悟で逢うてからゆれる
所詮ひとりうすももいろの花陰に
素晴らしい句集でした。永田堯風さんにお見せしたいですね。よくやったよくやったって笑っていらっしゃるとおもいますよ。
第二句集発刊ほんとうにおめでとうございました。
本多 洋子 記
{
2018年8月 更新
柳誌 往来 柳誌往来
川柳 「緑」
川柳みどり主宰・渡辺和尾氏から同誌終刊のお知らせが届いた。通巻670号の終刊である。渡辺和尾氏は、
1,981年9月208号より今日の670号まで主宰としての重責を全うされた。その功績は何にも変え難い立派なものだったと感じ入ると同時に、その間「春の朝日中部川柳大会」や「秋のセンリュウトーク」など数々のイベントをもようされ、講演会や座談会には全国から熱心な柳人たちが集まった。私もその何回かは参加させていただいた覚えがある。
それが今回突然の終刊のお知らせである。まことに残念で残念でたまらない。諸般の事情がおありだとは思うが、おなじ年代を川柳に明け暮れた人間として、これはまことに寂しいかぎりである。
川柳カモミール 第2号
発 行 2018年7月1日
発行人 笹田かなえ
発行所 カモミール句会
レイアウト あざみエージェント
これはまだ出来て2号目という新しい柳誌。青森県八戸市に拠点のある若々しい柳誌。
でも内容はなかなか意欲がありこれからを充分期待出来る。
はじめに会員それぞれ20句の作品が紹介される。
コンパクトぱちん 三浦 潤子
卓球しませんか 守田 啓子
象の寿命 細川 静
海辺の猫 滋野 さち
連なる火 笹田かなえ
各会員の作品の最後にはくんじろう氏と小瀬川 喜井さんの一句評が載せられていて、それがまたユニークで面白い。
ついで吟行会の様子が紹介される。
種差海岸吟行・十和田市現代美術吟行・八戸えんぶり吟行
最後に「カモミール句会 文法の時間」という座談会形式の記事がある。これがまた、どこの柳誌でもやったことのない斬新なもの。大学で教鞭をとっておられる文学博士の岩崎真梨子を囲んで文法のお勉強。それがまた固苦しいものではなくて、前もってそれぞれの作品を先生に品詞別に分けてもらいその表をもとに座談形式で話を進めるといったもの。
これは、ことばを使う川柳を表から裏から斜めから眺めなおしたようでなかなか考えさせられる。それをテープおこしをして記事に纏めるのも大変な作業だったとおもうが、とても意欲的で興味をそそる問題であった。
文芸を論理的に話し合うのも時として必要なことである。
そんなこんなで新旧混ざり合う今日であるけれど、若い人達から、あたらしい意欲的な川柳の生れることを 心から願うものである。
句集紹介 句集紹介
川柳作家ベストコレクション シリーズの句集を次々頂いている。
「美馬りゅうこ」 気位の褪せないように青を足す
「みぎわはな」 心奥のひとつの玉を磨きつつ
今、この二冊がてもとにあり、楽しく読ませて貰っている。みなさん柳暦も長くて、そのうえ、短歌や俳句の素養も充分お持ちで、私の観賞など覚束ないものであるけれど、これからじっくり楽しく読ませて頂いて、またこの欄に紹介できたらと思っている。今しばらく時間を頂くことにする。
2018年7月 更新
句集紹介 句集紹介
川柳作家ベストコレクション
「竹内ゆみこ」
あほやなあ 砂になるほど落ち込んで
著 者 竹内ゆみこ
発行日 2018年5月22日
発行所 新葉館出版
著者略歴として巻末に次のように記してある。
1973年生まれ 奥山晴生氏に師事
川柳グループ草原会員
関西古川柳研究会会員
京都新聞 「川風」選者
私は著者と草原の句会でまた古川柳研究会でお逢いしている。関西古川柳研究会では高齢ベテランの研究者に混じって非常に新鮮な研究発表をなさっているので、その場でも将来有望な若手研究者として期待されていらっしゃる。
ところで川柳作品はといえば、難しい言葉を駆使されているわけではなく、非常に身近な優しい言葉を使って心の奥深くにある想いを呼び起こすような作品、が多い。
第一章 内線一番から
神様と母さんとかよちゃんのK
考えさせて欲しいと沖になっている
あほやなあ砂になるほど落ち込んで
庭に埋めたってどうして分かったの
体から空気を抜いておやすみなさい
第二章 ふくろうの首から
うす桃色だった頃まで巻き戻す
湿らせてくれると元に戻ります
今は沸点ですのでお会いできません
斜めになっていたいと思うときもある
丸まっていればやり過ごせるだろう
ふくろうの首ここやろかそこやろか
次の日もそのつぎの日もあいてます
ふっと心に止まった作品を挙げさせていただいたが、読み終えてなんとなく心に哀しみが甦るのはどうしてだろう。いい句集というのは きっとそういうものであるに違いない。
いい作品集を有難うございました。
梅雨の晴れ間に 本多洋子記
。
2018年6月 更新
句集紹介 句集紹介
荻野浩子 川柳句集
「 石榴 」
発 行 平成30年4月21日
著 者 荻野 浩子
発行人 松岡 恭子
発行所 新葉館出
内容は次の四つの章にわかれている
春の扉
風船蔓
現在地
対茶碗
各章の間に挟まれているエッセイによって各章の意図するところが浮かび上がってくる。句作品で汲みとれないところはエッセイによって、エッセイによって感知できないところは句作品によって読み手に伝わるものがある。良く出来たコラボである。
作者のあとがきの最期に次のようにある。
「五穀豊穣、子孫繁栄を祈る「石榴」に、私の思いも爆発させていただきました。川柳の虫に好かれたのがとてもラッキーだと喜んでおります。」 とある。
句集の中から作者の石榴に対する思いの深さを詠んだ作品を探して見ました。
沈黙を破り石榴の実が爆ぜる
秋天へ石榴が爆ぜる懺悔かも
石榴の実爆ぜて丹波に深い秋
これらの作品からも作者の個性の強さを伺い知ることが出来そうだ。何よりも強いのは故郷への回帰の念かもしれない。そこに深い詩があると私は見ている。
余談ではあるが石榴には世界各地でいろいろな言い伝えがある。
釈迦は、子供を食う鬼神「可梨帝母」に石榴の実を与え人肉を食べないように約束させた。以後、可梨帝母は鬼子母神として子育ての神になったと言われている。
エジプト神話では、戦場で敵を皆殺しにするセクメトに対し太陽神ラーはザクロの果汁で魔法の薬を作った。セクメトはこれを血と思い込んで飲み、酩酊して殺戮を止めたと言われている。ギリシャ神話では多産と豊穣の象徴とされている。
ザクロについて或いは鬼子母神について様々な俗説もあってそれを調べるのも面白い事ではあるがそれはここまでにして。荻野浩子さんのこの句集を先ずは味わって頂きたいと思う。難しいところは何もなく、共感できる句集ではないかと思っている。
句集「石榴」はこの春行われた堺番傘九十周年記念大会と期を一にして発刊されたものである。深い石榴色を意識したというハードカバーの340ページに余る句集の中には、一万五千余句に及ぶ作品の中から六百句に絞ったという様々な句の結晶が散りばめられている。各章の間には得意のエッセイが挿入されていて、教養の深さと行動力の広さを充分汲みとることができた。 本多洋子 記
句集紹介 句集紹介
川柳作家ベストコレクション
「森田律子」
柱状節理にべっぴんの足跡
発 行 2018年 5月16日
著 者 森田 律子
発行人 松岡 恭子
発行所 新葉館
著者略歴を見ると特に所属結社はない。しかしその活躍は各地の川柳大会や句会で充分に知れ渡っている。しかも川柳を始めたのが2005年からであり、同時に囲碁にも手を染められているとある。
非常にユニークな作家である。これからの成長株として大いに期待できる。
句集は大きくわけて
第一章 青の問題点
第二章 赤の解決策
に別れる。 その意味合いをさぐりながら読ませて頂いたが、理屈抜きで楽しい句集であったことに間違いはない。作者あとがきにあるように、毎日自宅近くの里山を歩きながらの作句であるという。その時々に出会った風物や人物像を細やかに描写している。生きていることに好奇心満々の状況がよくわかる。物事に関して海綿のような吸収力がある。これだから理屈抜きで川柳が面白くなる。
何のてらいもなく使われる会話調の語彙が嫌味もなくてスムースに胃の中にストンと落ちる。
アインシュタインにもふもふされたんか
アリンコに番号つけてしもたがな
それにもう一つの この句集の特徴は、たぶん全作品が句会吟のものであろうという事である。自分自身のために自分に向って創った雑感の句ではないだろうと云う事。そこには常に兼題があり選者があるという作品の形態である。それこそ川柳の本質であるかもしれない。無意識のうちに森田律子さんは川柳の本流を歩いているのかもしれない。
理屈抜きでぴちぴち跳ねる律子川柳にこれからも大いに期待を寄せている。楽しい句集を有難うございました。これからのご活躍をお祈りします。
本多 洋子 記
2018年5月 更新
句集紹介 句集紹介
川柳作家ベストコレクション
笹田かなえ
六条御息所的今夜
発 行 2018年2月15日
著 者 笹田かなえ
発行人 松岡 恭子
発行所 新葉出版
著者略歴には時実新子の有夫恋に刺激され1990年に川柳を始めたとある。現在の所属は川柳展望社・川柳文学コロキューム・おかじょうき川柳社・連衆・それに最近立ち上げられた八戸でのカモミール句会である。句集も今までに「水になる」「父へ」「お味はいかが」など多数。
今ここへ来て新しく句集を編まれることには、自分を振り返ることの大きな節目とこれからの自分に対する想いへの振幅が、多分にお有りであったろうと推測している。
第一章は「右にゆれて」
第二章は「左にゆれて」
揺れ止まぬ人生そのもものように、川柳のなかに何かを求め続ける作者の姿勢がおのずと伝わってくる。
以下、章に分けて私の印象に残った作品を挙げさせていただく。
第一章 右にゆれて
パプリカのヘタがクィッと「お茶しない?」
うつつならうつろいながら宇都宮
二重線どこもかしこも痛いのよ
小麦粉をたっぷりまぶし黙らっしゃい
わっしょいわっしょいみんなどこかへいっちゃった
第二章 左にゆれて
アルカイックスマイル 秋が深くなる
六条御息所的今夜
石ころにダザイオサムと言う時間
泣きたくなってピンク 坂口安吾論
光、影、光、影、影、垂れこめる
いつまでも川柳にかかわって行ける自分を幸せに思いながら句集『笹田かなえ』をじっくり
読ませて頂きました。有難うございました。 本多洋子 記
句集紹介 句集紹介
川柳作家ベストコレクション
みつ木もも花
白だった日を飛んでいる竹とんぼ
発 行 2018年3月10日
著 者 みつ木もも花
発行人 松岡恭子
発行所 新葉出版
作者あとがきに次のようにある。
「輪郭のはっきりしない不安に押し潰されそうになりながら、それでも夜が明けると、また昨日とおなじ風景の朝が来てしまう。不安が現実のものとなり、どん底につきおとされそうな体験をしたとき、一筋の光明のような川柳との出会いがありました」 と。
サブタイトルの「もうひとつの夜」「もうひとつの朝」の意味するところがなんとなく理解できるような気がする。作品によってそれが成功したかどうか作者の反問が続いているに違いない。
わたくしの心を惹かれた作品を二章にわけて次に挙げておく。
第一章 another night ーもうひとつの夜ー
いごこちの悪い三十センチ定規
夕焼けをいっぱい食べてきた踵
灰皿に三本君のいた時間
別れ道けれどが一つ落ちている
夜全部使い切ったら旅に出る
第二章 another morning ーもうひとつの朝ー
朝が来る古い順から割る卵
澄んだふりしているセロファンの袋
夏空をギュッと絞った生ジュース
ぴったりの穴が見つかったら逃げる
花びらはずっと奇数でいて欲しい
シリーズとして新葉館から出された句集を何冊が頂いた。文芸としての川柳が句集のかたちでしかもシリーズとして発刊されたことは意義深いことに違いない。活字ばなれのしている昨今、こうして句集として川柳を残されることは意義深いことと思われる。また各地で個人句集の発刊も盛んである。この方もじっくり味わいたい。シリーズはシリーズとしての意義があるが個人が出版する句集には、それ相当の個性と重みがあるので、ぜひ手にとって親しんで頂きたいと思う。
本多洋子 記
2018年4月 更新
句集紹介 句集紹介
川柳作家ベストコレクション
守田啓子
失った深さを埋めるように 雪
発 行 2018年2月15日
著 者 守田 啓子
発行人 松岡 恭子
発行所 新葉館出版
てのひらに乗る新書版形式。1ページ3句だてで240句を掲載する。作者のあとがきに次のように書いてある。
『この句集は2002年から2017年までの15年間の作品をまとめた私のはじめての句集です。
第一章「ありふれた朝」はテーマを生とし第二章「ごろんと夕日」は死をテーマとした作品をおもに並べました』と。
15年間の膨大な作品の中から240句を絞り込むのは大変な作業だったと思うし、またその作品をテーマによって分かち、章ごとに小題をつけさらに句集全体を象徴するような一句をタイトルに施すという編集の仕方は、並大抵のものではないと私はうけとめた。
生と死はうらはらなもの、句集全体から人間が立ち上がれば成功という思いがする。
第一章 ありふれた朝 から
骨盤が開き始めた頃の海
産道を抜ければ雨月物語
さらされるわたしのもふもふした部分
女に生まれひたすら配るさくら餅
濡れた手でありふれた朝呼びに行く
あきらめるとかまあいいかなんて 雪
第二章 ごろんと夕日 から
悲しみを複利計算すれば海
触覚ぴくぴく なにをやってんだろうあたし
不完全燃焼といういくじなし
流さねば私を流さねば 吹雪
あとがきにごろんと夕日 そう夕日
失った深さを埋めるように 雪
作品もさることながら、所属されるおかじょうき川柳社の編集にも携わっておられるとのこと、その経験が充分生かされた句集ではないかと感心して読ませていただいた。
本多 洋子 記
2018年3月 更新
句集紹介 句集紹介
八上桐子句集 hibi
発 行 2018年1月18年
著 者 八上 桐子
装 幀 飯塚 文子
発行者 上野 勇治
発 行 港の人
爽やかなアートを思わせる装丁の句集hibi。思わず静かに一頁を開きたくなる。
もくじ には 六つにわかれた章のタイトルがすんなりと詩のように書き止められている。
すずめのまぶた
ねじれたガラス
水にとける夜
ままごと
器ごとあたためる
その岬の、春の
一頁二句だての瀟洒な句集。間に小さい栞の一冊が挟んであって、それにはこの句集に寄せたお三方(なかはられいこ・正岡豊・小津夜景)の一文が寄せられている。爽やかであたたかな句集である。
桐子さんは点鐘散歩会では常連のメンバーのおひとりであった。月一回は開かれるその散歩会に約10年近くは参加して頂いていたと思う。振り返って感慨無量のものがある。出句無制限の散歩会では、参加者のそれぞれが自由自在に個性を発揮し、冒険を重ねた。その後のコーヒーでのお喋りの何と楽しかったことか。
ここに来て、素晴らしい第一句集を出されたことは本当に嬉しいことだし、その道のりのどこかで桐子さんにお逢いできたことの幸せを今更ながら思われてならない。これからの船出を思いながら、この句集をなんども何度も読み返している。やはり感性豊かな作品群に圧倒されている。
次にわたくしの好きな作品をいくつかあげさせていただく。
降りてゆく水の匂いになってゆく
皆去ってさくらの下が濡れている
呼べばしばらく水に浮かんでいる名前
鳥は目を瞑って空を閉じました
散歩する水には映らない人と
向き合ってきれいに鳥を食べる夜
とめどなくさかなのからだからしずく
書き終えてレタス一玉裂いている
水を 夜をうすめる水をください
鳥の声になるまで水を見てなさい
点鐘散歩会で創られた作品も沢山載せておられる。読みながら、あああの時のと思い出すのもたのしみなこと。それに点鐘散歩会の資料のなかには、もっともっと沢山、桐子さんの心の底を覗くようなシビアな作品も残されている。選句はご自分でなさったものと思うが、泣く泣く捨て置かれたものも多いと思うので、ああモッタイナイなあと独りごちている。
本多洋子記
2018年2月 更新
柳誌紹介 柳誌紹介
ha 晴 re
発 行 日 2018年1月15日
編集発行人 樋口由紀子
GUEST]
佐山哲郎
MEMBER]
水本石華 松永千秋 広瀬ちえみ きゆういち 月波与生 樋口由紀子
第1号の内容としては
川柳作品
評論&エッセイ
etc
なお編集後記として樋口由紀子さんが次のように述べられています。
「川柳誌『晴』を創刊する。新たなことを始めることに臆病になっていた。何か始めるのですか、いつ始めるのですかと、聞かれても、何も答えられなかった。当分はゆっくりしますとしか言えなかった。このまま、何もしないでいいと思っていた。もう出来ることは何もないとも思っていた。しかし、これでいいわけがないこともわかっていた。・・・・・・略・・・。」 と 。
2018年1月 更新
句集紹介 句集紹介
川柳乾電池 合同句集
『 遊 動 円 』
発行日 2017年11月9日
発行人 小野 善江
発行所 川柳乾電池
川柳「乾電池」は5年前に高知に生まれた小さな句会だと云う。1年に4回、所属柳社も様々、個性も様々な仲間が一堂に寄り合って、ささやかながら熱心に5年間も続いて来た句会だと云う。平成25年からは、川柳の大家である海地大破さんも参加されて大いに句会を盛り上げて下さったそうである。5周年を向えての合同句集がこの『遊動円』である。
海地大破さんは惜しくも2017年9月に他界されてしまったが、この合同句集の序文は、しっかり執筆されていて、亡くなる5日前に、句会の世話人である小野善江さんの手元に速達で届いていたそうである。
序文( 海地大破 )をを全部は紹介できないが、次のように書かれているのが胸を打つ。
『乾電池句会は伝統・革新を問わず、人間が好き、川柳が好き、句会が好きという人達の集まりであり、異なる意見を尊重し、徹底した批判は作品に限られ、・・・さらに旧態依然とした作品は避け「思い」や「言葉」の発見に苦心し自己の存在意識をより確かなものにしていきたいのである。』 と。
句集には会員の方々各自20句ずつの作品が題名とともに掲載されている。
作品を逐次あげるスペースはない作者名だけを記載させて頂く。
内田 万貴 大野 美恵 小笠原 望 小笠原倫子 岡林 裕子 岡村見美子
小野 善江 横山 佳代 川添 郁子 窪田 和宏 桑名 正雄 桑名知華子
近藤 真奈 澤村 哲史 竹内 恵子 立花 末美 恒石 円子 中岡志津子
南條 麗子 西川 富恵 西村 信子 萩原 良子 濱田 久子 古谷 恭一
三谷千賀子 森本 幸美 山田よし子 山下 和代 吉尾 光生
最期に故海地大破さんの最晩年の作品が掲載されていたので、それをここにあげさせて戴く。
りんご一個ころがしておく仮面劇 海地大破 平成29年5月
アトリエに鳥が飛んできて頓死
おたまじゃくしが池から消えていく「?」
ミミズから「鳥になるす」と囁かれ
瓢箪に目玉を詰めて秘密主義
句集紹介 句集紹介
高橋かづき フォト句集
ふあんのふ
ふしぎのふ
先ずご本人のあとがきから紹介させていただく。
『この句集は「川柳杜人」2007年夏 通巻214号から2017年秋 通巻255までに、「高橋かづきふあんのふ ふしぎのふの世界」として42回にわたり連載した写真と川柳、エッセーに加筆修正したものと、これまでの川柳作品の中から選出したものを加え一冊にしました』
とある。
フォト句集と銘打ってあるように、一枚の写真に川柳一句それにエッセイが付け加えてある。
写真はすべてご自分で撮られたデジカメの画面。身近にある果物や花や風景であるが、角度や構図・背景・配色を考えて、まるで現代アートの一枚といって過言でない。しかも他人に見せびらかせようと云った意図のものでなく、充分自分自身で楽しんでいるという雰囲気がよくわかる。
添えられた川柳は、決して写真の説明ではなく、ぽーんとかけ離れていて、しかも雰囲気は繋がっている。ユーモアがあって詩があって、深刻ぶらずにちょっとお茶目なところも匂わせる。
エッセイがまたいい。書くことによって自分自身を確かめられるし、読み返すことによって、忘れて終いそうな自分を取り戻すこともできる。こんな自分がここに居たんだと思い返せるのはエッセイによってである。この一冊にまとめられた句や文章は平成7年から17年までの十年間の作品である。同じ時期に関西の川柳界に身を置いていた私にとっては懐かしくもある。勿論阪神淡路大震災の事にも触れているが、時それぞれに、川柳とは何ぞやなどと懸命に考えていたことも思いだされる。橘高薫風さん・寺尾俊平さん・時実新子さん・中尾藻介さんのこと・果ては墨作二郎さんのことまでに筆が及んでいることに感激してしまった。みなさん世を去ってしまわれたが、エッセイの中で充分生きているし、それらの方々と一緒に川柳の句座にいた幸せをわかち合えることもできて、ふわっとあたたかい気分になる。
ふあんのふ ふしぎのふ の世界にひきずりこまれてしまった。
高橋かづき 川柳作品のなかから
震災の死者ひとりひとりにある名前
白い歯で笑ってくれただけの夏
春なれどうごかしがたき助詞ひとつ
哀しみにより添うようにカーブあり
ヒアルロン酸グルコサミン合唱団
水滴がしたたりそうであった頃
右大ふつ 左二月堂 さてと
目薬さすときの顎の線きれい
草原のようなり遠い象の背は
ふあんのふ ふしぎふしぎのふもありぬ
2017年11月 更新
句集紹介 句集紹介
「今年九月には九十を迎えました」と前田芙巳代さんから一冊の句集が送られてきました。ここしばらくは体調のこともあり、関西の句会でお目にかかれることは少なくなって、地元姫路でご活躍とのことを伺っていましたが、今回思いがけず句集を贈って頂けて本当に感動いたしました。
それは姫路にある「川柳千姫」の三百号記念句集で前田芙巳代さんはそこで講師をなさっているのです。いわゆる合同句集です。中に一筆箋が挟んであり、こう書いてありました。
「句集と言えるかどうか・・・。でも本人は一生懸命です」 と。
前田芙巳代さんの川柳に対する熱い思いが、しんしんと伝わってまいりました。
三百号記念句集
川柳 千 姫
巻頭言 前田芙巳代
以下 タイトルと会員の作品を一句づつ上げておく
冬木立 疑いは晴れたか冬の月冴える 美原 嘉
ぶらんこ ふらんこがただ下っている孤独 福本 早苗
希望 生きてゆく欲あり傘がたためない 長谷川妙子
余生の酒と妻 この猪口で幾度鎮めた荒い波 大野 楽水
朝の笑み ひとりには独りの思い遠花火 田中みずき
心の糧 孫がきく苦虫ゆうてどんな虫 山本 明水
此れからも・・ 花便り花粉の便りも付いて来る 中本 夢水
微笑み スーパーにぴかぴか光る夏野菜 山本 裕山
豊かさの中 豊かさの中にかくれる落とし穴 梅田 盤水
天守閣 花吹雪思い思いに着地して 川崎 冷湖
風よりも 壷を割ろうか人間を信じるか 前田芙巳代
特別寄稿
つれづれ草 今日の罪引きずるように陽は沈む 北条てる代
四季の営み 夏盛り昼寝の茣蓙もなつかしい 岩崎 白遊
会員の皆さんにはご高齢方が多くて、それぞれに川柳を何よりの生き甲斐として
過ごしてこられたのがしみじみと伝わってきました。川柳のあり方のひとつとして
これもまた大切な一助になると思いました。
洋子記
2017年10月 更新
句集紹介 句集紹介
川柳サイド Spiral Wave 第2号
発 行 2017年9月15日
編 集 小池 正博
制 作 私家本工房
下記7名の作家による合同句集。各自12ページづつ。
プリティ・ヘイト・マシーン 川合 大祐
折り紙 樹萄 らき
おにぎりの定型 飯島 章友
ながいたたかい 柳本 々々
クリアファイル(仮) 兵頭 全郎
場末三段活用 酒井かがり
島もどき 小池 正博
多彩な作家たちの新鋭作品が並ぶ。言葉の構成によって思いもよらない創造の世界が広がっている。川柳は読みの時代に入ったとは近年盛んに取りざたされているけれど、つくづくその真価をキャッチ出来たかどうか自分には自信がない。作者は共感することを求めているのではないのかもしれない。ことばと言葉の不協和音にこそ面白味が隠されているのかもしれない。
自分の力の無さを痛感しながら、ページに潜むマジックを見つけて楽しんでみた。
本多洋子 記
2017年9月 更新
研究誌 紹介 研究誌 紹介
季刊・古川柳 発行 川柳 雑俳研究会
154号・・・川柳なにわとその周辺 著者 山田昭夫
序文に次のようにある。大阪府は、むかしの摂津の国の東半分および和泉の国と河内の国で
構成されている。その中心たる大阪市の辺りは摂津の南端の海に面した所に位置するが、特になにわ(難波・浪速)の国と呼ばれ、古くは仁徳天皇の高津宮や難波宮が置かれ、聖徳太子の建立した四天王寺、それに住吉大社などがあり、大阪城は今なお象徴的そんざいである。
これからなにわわを中心に、南部の和泉、東部の河内、そして北部の北摂津の淳に名所古跡散歩と出かけることにする。案内役は主に『摂津名所図会』『和泉名所図会』『河内名所図会』などにお願いした・・・。
各項目は、浪速国・大阪城・八軒屋・大坂天満宮・船場・道脩町・新町・道頓堀・茶臼山 etc
に分かれていて、そのそれぞれに関係ある古川柳が抽出されている。
例えば 浪速国・高津宮についての古川柳では、「民のかまどはにぎはひにけり」の新古今和歌集にちなんで
ひくき民高き御製の筆に乗り
薪の高い仁徳の御代
君見ずや民のかまどハ煤だらけ etc
大坂天満宮については
難波津の花は天神祭りの火
曽根崎新地天神の流れも出 etc
堂島の米市については
指一本千万両の米相場
天気をはかって売買の米相場 etc
今も昔も変わらぬ庶民の生活が、古川柳に表現されている。
各項目に渡っての古川柳の抽出は、並大抵の研究と努力の継続がないとできるものではない。著者・山田昭夫氏は関西古川柳研究会の重鎮メンバーである。長年にわたっての研究項目はこの季刊誌である『古川柳』などに発表されている。
163号では
『のじぎくの里 兵庫』 著者 山田 昭夫
172号でき
『川柳いろはかるた』 著者 山田 昭夫
がある。
古川柳が意外に身近にあることを、近頃つくづく感じ勉強している。 本多洋子記
2017年8月 更新
句集紹介 句集紹介
もも色ノイズ
written by Mitsuki Momokq
或る日の句会で、私の斜め後ろの席から、花びらのように一冊の句集が私の手元に舞い下りた。ふと顔を上げると「どうぞ読んで下さい」と優しい声の女性。有難うとお返事したまま、何気なく頁をひらいた。
表紙は幼児のお絵かきそのまま、オレンジ色の明るいタッチの中に「もも色ノイズ」とある。
作者めいも川柳の句集であるとの表記も何もない。裏表紙に小さくちいさく筆記体で、
”written by Mitsuki Momokq”とあるだけ。前書も後書きも奥付けもない。
よく見ると一頁目に小さな紙切れが挟んであって、
「初句集を出版することができました。
思い切りシンプルに作りました。
お暇なときに読んでください。」とあって
自宅の住所と作者名 みつ木もも花
とあった。
とにかく、既成の句集の形にに固執しない新しい風を感じる。一頁に二句・三句立てなどという当たり前のレイアウトではない。作品によっては一頁に1句であってみたり、4句であってみたりする。並べ方そのものに音楽を感じるし詩を感じる。前書も後書きもないシンプルな構成だが、しかしこれには計算し尽された何かを感じる。
中に挟んであったメモ書きには「初句集」とあったが、そんな初心者のような句作品ではないと私は感じ取った。水の流れのような言葉遣いのなかに、人生の哀しみやドラマやコンとが隠されている。そこには手垢のついた言葉使いは無いとみた。そう受け取れたのは、あるいはこの句集の装丁やレイアウトに斬新なものがあったからかもしれない。
句集も総合芸術である。作者の意図・装丁・編集者の力量が随分ものを言う。今回のこの句集については、奥付けも何もないので、出版社も編集者の名前も知ることは出来ないが、総合芸術であるという観点から、奥付けぐらいは書いて欲しかったと思う。
作品のなかから、少し挙げさせて貰うが、できればこの句集そのまま手にとって見ていただきたいと思った。
ビー玉が転がる文部省唱歌
金曜の夜はにじむと決めている
置いてきた果実をふっと思い出す
一つだけ余ってしまう釦穴
頓服を切らしでんぐり返りする
独り身の音旧型のガスコンロ
ピカピカに磨いて誰も来なくなる
よこしまな新芽が脇の下あたり
深海に繋がっている電話口
雨粒を落とし切ったら旅に出る
( 本多洋子 記)
2017年7月 更新
句集 紹介 句集 紹介
若葉の句集 Ⅴ
~150回記念~
発行日 平成29年6月13日
編 集 越智ひろ子・西田 雅子
発 行 川柳若葉の会
会員22名による合同句集
うすみどり色の表紙には、若葉いっぱいの可愛い木のイラストがあり、葉っぱの一枚いちまいに会員の名前が小さく描いてある。バックにいれて持ち歩ける気軽な句集。
第Ⅰ句集は平成20年頃、発行者は若葉会当初の中心メンバーであった坂根寛哉氏であったと思う。その後、寛哉氏は京都から横浜に居を移されたが、京都で蒔かれた若葉の種は着実に根を張り成長して、新鮮なポエムの結実を見せている。今回の第Ⅴ集は、会員それぞれの個性も垣間見られて、じっくりと楽しく読むことができた。
難しい選択であったが、私のこころに残った会員の皆さんの「ひとり一句」を上げさせて戴く。
ひとり一句
光合成のような笑顔に出会ったよ 石田 和雄
羊雲母のシーツの乾く頃 伊藤 礼子
真鍮の蛇口に光る溜まり水 稲石 勝之
無人駅待合室のアマリリス 乾 妙子
かけぬける音ひらう音 落ち椿 越智ひろ子
青い鳥買ってみました通販で 籠 めい子
春風に私の名前つけました 蒲池 直恵
茜雲滂沱のなかを帰艦する 木口 雅裕
まだ夢の途中でひらがなのふぁいと 斉藤 和子
シャンソン一曲弱者が少し高揚す 坂根 寛哉
赤信号ゆうぜんとゆく廬舎那仏 重田 和子
ロボットの話し相手で恙なし 那須 明夫
夜明けまで月光編んだりほどいたり 西田 雅子
昨日までそこに居たよね影法師 西脇 武和
鉄階段降りればパリの地下水道 野村 笑吾
ゆらめくゆれるゆりもどされる許すこと 馬杉とし子
一息に描かねば線が迷い出す 林 きよ子
塗り重ね俺はピカソかクールベか 万 代 勉
引き出しのひとつくらいは空けておく 三由もとこ
転んだら影と私が入れ替わり 目加田邦子
ほつほつと生きてあしたを光らせる 元永 宣子
あとがきに佇む春の羅針盤 和田 洋子
2017年6月 更新
柳誌 紹介 柳誌 紹介
川柳 カモミール 第1号
青森から送られて来た新しい川柳サークルの柳誌です。とてもユニークでファイトがあって
若々しいサークルだと思いますので、紹介させて頂きます。
発 行 2017年5月1日
発行人 笹田かなえ
発行所 カモミール句会
八戸市新新町7 瀧澤方
序文に次のように書かれています。
はじめに 笹田かなえ
きっかけは「八戸でも川柳の話ができる集まりがあるといいね」と言った守田啓子さんの一言からでした。川柳を書いて読んで合評をするという形の勉強会を試行錯誤しながら進めてきました。滋野さちさんが青森市から毎月通って来てくれるのも大きな力です。昨年の秋、初めての吟行を行いました。地元の新聞紙上にも告知して参加を募ったり、青森市からゲストさんの参加を得たりして多人数となったりすると励みになります。カモミールのはじめての句会報です。各自の一句に俳句の結社「連衆」の谷口慎也氏と「おかじょうき川柳社」のSIN氏より句評を書いていただきました。ありがとうございました。
今、川柳はさまざまな顔を持つようになっています。いい川柳を書いて、読んでさらに川柳の可能性を追求していきたいものです。
「大阪の近くにあったら 飛んで行きたいと思うような新鮮なサークルです。・・・本多洋子」
2017年5月 更新
今検討中でございます。
しばらくお待ち下さい。
なにしろ このところ 終刊になる柳誌が多くて戸惑っています。
若い人たちの元気な活動をお待ちしてます。
洋子
2017年4月 更新
墨作二郎遺句集「韋駄天」をお届けしましたところ、多くの方々から感想を寄せられました。
中から藤田踏青さまから頂きました一文をここに紹介させていただきます。
「韋駄天」について 藤田踏青
前略 墨作二郎遺句集『韋駄天」拝受、・・・残念なことですが、詩人にとっては円熟などと言う老年の美学は望み難く、氏はまさに最後まで前向きの姿勢のままで逝かれたのでしょう。それが最晩年のこれらの句に象徴されております。
庭園に橋の歩幅の今日限り
そけは菊 それは魂いろである
卒寿記念の最後の吟行句とあり、氏もある程度の覚悟をもっておられたようです。「魂いろ」は自身の反映として見詰められていたのではないでしょうか。
歩き疲れて一面に世界観がある
余生考えている竹の穂先が並んでいる
世界観とは人生観や宿命論などを包含したおおきな認識の世界であり、氏もその思いにしみじみと浸っていたのではないでしょうか。また後句の竹の穂先の並びの中に、己の一つの人生を見据えていたのでは。
やわらかな森 やわらかな母殺し
ころころと笑う さすらいの縄文人
山を剥ぐように火祭りのように
春画展の散歩によせてとありますが、そこには柔軟なエロスの世界が生き生きと表出されています。
座り直して 一車の声を聞いている (進藤一車 追悼)
真に文学を語り合う一途な二人の姿を思いうかべる句です。その続きは彼岸で・・・
壁にシャガールの裸 画鋲飛散する
耳鳴り備忘録単調 ギニョールの反り身
熊本地震に思いをはせた句です。飛散する画鋲は叫びであり、シャガールの画の浮遊感が一層の不安感を漂わせています。そしてギニョール(操り指人形)の反り身は苦痛と歪みを、耳鳴りは余震をそして備忘録単調は日常への懐疑なのではないでしょうか。
大江山も鬼もPだと言い張ろう
そうですね鈴虫寺のS出口
消しゴムの豚をMだと痩せさせて
アルファーベットを自由自在に使いこなしています。Pとは遺伝学での親の世代を示すもので、酒呑も鬼も遺伝だから仕方がない。Sがシスターを暗示するものならば、女性の同性愛のことであり、S出口は微妙な意味合いがありそうです。Mはサイズを表すものとしてのS・M・Lとなりますがここに痩せ細らせてゆく消しゴムを取り合わせてくる処など、まさに川柳の骨頂を示すものです。
良い遺句集を出されましたことに敬意を表します。
藤田踏青 様へ
素敵な観賞文をお寄せ下さいました藤田踏青さまに改めて厚く御礼申し上げます。
本多洋子
2017年3月 更新
現代川柳点鐘の会
「墨 作二郎を偲ぶ会」
墨作二郎は平成28年12月23日 満九十歳の天寿を全うされました。
氏の川柳人生を偲んで、左記のように追悼句会を開催いたします。
多数のご来場をお待ちいたしております。
日 時 平成29年3月30日(木)午前11時 開場
場 所 堺市総合福祉会館 5F 大研修室
南海高野線 堺東駅 下車
電話 072 222 7500
出句締切 12時 各題2句
なお昼食は近辺でお済ませ下さい
大会開始 午後1時より
お 話 墨作二郎を偲ぶ 森中惠美子
墨作二郎の軌跡 小池 正博
遺句集『韋駄天』について 本多 洋子
句 会
兼 題 「遊」 京都市 筒井 祥文 選
「行」 京都市 桑原 伸吉 選
「点」 高槻市 笠嶋恵美子 選
「鐘」 守山市 德永 政二 選
会 費 千円(墨作二郎遺句集『韋駄天』・発表誌 呈)
なお 当日座席の後方に、墨作二郎の句集や色紙・蔵書の一部を並べ
ておりますので、ご自由にお持ち帰り下さい。
主催 現代川柳 点鐘の会
お問い合わせは 本多洋子まで
072・332・9308
2017年1月 更新
墨 作二郎を偲んで
弔吟・追悼吟
本物を見分けるその目やさしい目 嶋澤喜八郎
先生と呼べば答えてくれた方 神野 節子
散歩会の途中でひょいと消えた背 木本 朱夏
道づれに女人埴輪を添えておく 本多 洋子
ここからはひとりで歩く冬銀河 笠嶋恵美子
詩の道照らしつづけてくれる星 南野 勝彦
柳界の星がやさしく消えていく 久保田半蔵門
ともしびの消えて破調の波残る 大西 泰世
短か過ぎた出会い先生に恋してた 宮井いずみ
点鐘の響きが星の降る聖夜 荻野 浩子
とてつもなく大きな星が消えて冬 片岡 加代
忘れえぬ鬼でじんべいざめだから 岩崎千佐子
辛口のコメント永久に胸に染む 岩田 明子
褒め言葉より眼差しだけが嬉しくて 中林 佳子
作二郎の風と一緒の散歩会 田村ひろ子
雑唱点鬼簿もっともっとと師を慕う 柴田 桂子
おーいこっちやと呼んでくれましたね 峯 裕見子
散歩会お誕生日のいい笑顔 坪井 篤子
句の心もっと学んでみたかった 森井 克子
耳底にあるご披講のお声 河内 天笑
いい声でやさしい披講ありがとう 河内 月子
かくれんぼなら皆で探します オカダキキ
ユニークな句にふれましたありがとう 元永 雅子
点鐘はもう届かない雪しきり 熊谷美智子
隣りの椅子いつも空いてた作二郎 中村 幸彦
焼跡の堺を語る人 不在 福田 弘
青空へ川柳星が輝いた 銭谷まさひろ
難解の名句いくつもありがとう 加山よしお
点鐘の響宙へと舞いあがる 柴本ばっは
散歩会たのしかったよありがとう 松本あや子
天馬飛び立ち 残された言葉 小池 正博
七七のたしかを 今をありがとう 森吉留里恵
軽口にわらう 三柳 作二郎 村田 賢
手のひらの「雪」がとっても温ったかい 山本 早苗
点鐘の鐘の音色を忘れない 吉岡とみえ
冬枯れの街黒陶の猫が鳴く 藤本 鈴菜
作二郎に睨まれたのは果報者 藤本 秋声
呼名今聞こえたような十二月 中岡千代美
ときどき師の声光らせている銀河 たむらあきこ
足跡ずしんずしんずしんと冬空へ 芳賀 博子
叱られた記憶宝に句を作る こうだひでお
人が逝く憎しと思う寒ざくら 辻 嬉久子
いい旅でありますように落ち椿 桑原 伸吉
花みんな先生の方向いている 上野 楽生
にこっとした笑顔残して星の逝く 樋口由紀子
いつか届く手紙を冬の青空へ 北村 幸子
野放しにされて育てていただいた 畑山 美幸
じっとじっと聖夜のまぶた閉じている 八上 桐子
散歩会の足あとをふみしめていく 今井 和子
これからも生きていきます青い空 街中 悠
どきどきの夢をもらったようですよ 森田 律子
師の影をあおぐただただ山高し 奥山 晴生
大御所が見る目やさしい目であった 藤井 孝作
やっぱり長かったかな 人生 福光 二郎
川岸に点鐘の会できますか 北原 照子
散歩会やさしい笑みに囲まれて 植野美津江
作二郎さん出会って良かったなと思う 太下 和子
しかられたこといっぱいでいっぱいで くんじろう
今日もまた歩いて書けば雲になり 徳永 政二
作二郎句集を抱いて進みます 赤松ますみ
美しいポエム溢れる置手紙 八木 侑子
師が眠る澄んだ堺の空の下 瀬川 瑞紀
ちょっと待って肉声今も耳底に 竹内 良伸
吹いたら消える 吹いたら渦になる 前田芙巳代
鮮やかに手の大きさとその温み 松浦 英夫
先生に届かぬ賀状蔦の笛 木村美恵子
飴玉一個五十年の丸さかな 平賀 胤壽
川柳書いてますかの声がいつも耳に 瀬尾 照一
順不同
2016年12月 更新
絵本紹介 絵本紹介
第8回絵本にっぽん大賞
第17回講談社出版文化賞
『雑草のくらし あき地の五年間』
甲斐 信枝 さく
2016年11月23日放映のNHKのテレビドキュメンタリー「足元の小宇宙 絵本作家と見つける生命のドラマ」を観た。優しそうなおばぁさんが、大きなムギワラ帽子を被って野原に這い蹲って盛んに野の草に話しかけている。野花も人間や動物と同じ生きものであるという目線で優しく問いかける。仲間意識からか少年のような乱暴な口調である。喋りながらエンピツはたえず動いている。それが面白くて、とうとう最後まで釘付けになって観てしまった。
この絵本作家は、1930年生まれ、広島県出身で現在、京都の嵯峨野に在住の85才の甲斐信枝さん。元気元気でとっとトットと野原を走り回る・寝転がる・鼻をくっつけて虫を観察する。
「雑草のくらし」の絵本をかくに当って、甲斐信枝さんは、わざわざ畑のあとを借りて五年間も植物たちを密着取材されたそうである。
いろいろな方がこの本を絶賛している。
『雑草が生えた空き地なんて、退屈で汚いだけ・・そんな先入観をひっくりかえす、雑草たちの真実の世界です。』
『熾烈な生存競争を繰り広げて、空き地はダイナミックにかわっていきます。まさに自然の大エネルギー!それを5年間も見つめ続け、しっかりと描きとどめた作者のエネルギーもすばらしいです。』などなど。
さっそく私は近くの図書館へ行って、甲斐信枝さんの絵本を二・三冊借りてきた。植物を見つめる厳しい科学者の目と生きもの同士を見つめる愛に満ちた優しい視線を感じた。
大人も子供も一緒に読める楽しい絵本であった。
2016年11月 更新
句集紹介
ステンレスの木
岩田多佳子句集
発行日 2016年9月25日
著 者 岩田多佳子
発行者 冨上 朝世
発行所 あざみエージェント
目次 木の章
林の章
森の章
森が、動く(解説) 柳本々々
あとがき 著 者
あざみエージェント発行の句集は、装丁がすべてシンプルで内容を際立たせている。この句集では各章の立て方もさる事ながら、「森が動く」という柳本々々氏の文章も相俟って、他に類をみない素晴らしい句集に仕上がっていると思う。
「句集」という文芸の、いわば総合芸術かもしれない。川柳は読みの時代に入っているとはよく聞く言葉であるが、この句集では柳本氏の読みに惹かれてつい何度も読み返す結果になった。
柳本氏の文章は次のように始まる。
《わたしはこれからある森について語ろうと思う。
その森では次々と不思議なことが起っている。ある主題が浮かびあがるやいなや、その主題が別の主題を呼び込み生成し、さらにその呼び込まれた主題が土壌となって別の主題を生成させていく。そうした主題が連鎖していく(主題のネットワーク)としての(木/林/森の生態系)を描くことが今回のわたしの文章の目的となる。つまり、本句集を読みながらわたしにとっての(ステンレスの森)をつくるということ。》と言う具合である。
岩田多佳子のステンレスの森であると同時に、柳本々々氏の迷い込んだステンレスの森ではある。いずれにしてもつい惹きこまれて読んでしまう一冊である。
作品の一部を上げておく。
木の章 喉の奥から父方の鹿 顔を出す
糺の森を一番目の抽斗から出す
林の章 いちにちの広さコンニャクひとつ分
エッシャーを辿って父の胎内へ
森の章 春の修行僧が歩いていくホルン
ステンレスの集中力に触れている
以上 本多洋子 記
2016年10月 更新
現代俳句 現代俳句
日暮れまで 俳誌 船団 甲斐 一敏
さび色の画帳美し夕焼け重し
夕立ち来て夕立ち風来てカサブランカ
ナイフ手に夕焼け切り裂きジャックかな
秋の蝉ジャックナイフを掘り当てる
太筆にうす墨細筆にうす緑大枯野
青インクたらす秋の虹浮いてくる
短夜を齧るカリガリもガリガリも
稲光り裏窓に笑う烏瓜
つじつまをあわせようとしきりくつわむし
せきせきと啜る富有柿日暮れまで
お知らせ
第十回船団フォーラム
激突する!五七五「俳句VS・川柳」
ディスカッション・句会ライブ・対談
日 時 10月23日 日 14:00ー17:00 受付13:30ー
場 所 伊丹市立図書館 「ことば蔵」
第一部 ディスカッション「俳句らしさ、川柳らしさ」
塩見恵介・山本たくや・・・・・俳句
小池正博・芳賀博子・・・・・・川柳
第二部 句会ライブ 同じ席題による「俳句・川柳、同時句会ライブ」全員参加
俳句選 塩見恵介
川柳選 芳賀博子
第三部 対談 「俳句と川柳ー近くて遠い仲」
坪内稔典「船団の会」代表
木本朱夏「川柳塔」編集長
会費 一般 1000円
興味のある方 ふるってご参加下さい。
2016年9月 更新
句集紹介 句集紹介
川合大祐 川柳句集 スローリバー
発 行 2016年8月1日 著者紹介
著 者 川合大祐 1974年 長野県生まれ
発行者 冨上 朝世 2001年より「川柳の仲間 旬」
発行所 あざみエージェント 「川柳ブログスープレックス」共同執筆
目次 Ⅰ・猫のゆりかご
Ⅱ・まだ人間じゃない
Ⅲ・幼年期のおわり
あとがき
あとがきには「僕は統合失調症である」とある。著者自身が言うように「だから何だ、」の話である。作品として 若い・面白い・斬新である。誰も思いつかなかった川柳がそこにある。しかも動いている。自由自在である。
中八がそんなに憎いかさあ殺せ
この言葉の勢いには驚いてしまうが、川柳をやり始めると先ず注意されるのが中八である。その一言を金科玉条のようにいい続けている人がある。それしか批判の言葉を知らないからなのだろう。この句で作者は胸のすくようなタンカを切っている。しかしこの句集全体を通して作品の中にに、中八はそんなに出てこない。ひとつ覚えのように「中八が悪い・悪い」と言う事自体に作者は怒っているのだろう。
ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む
ぐびゃら岳という固有名詞の山があるのかと思ってみたが、そんなのがある筈がない。これは作者の造語であろう。「じゅじゅべき」も「びゅびゅ」もことばとして既成のものはない。しかしこの句を口ずさんでみるとなんだかすんなり心に飛び込んで来る何かがある。あたかもずっと前からある日本語のように。これと似た感覚を得たのが次ぎの作品である。
れびしいと云う感情がれびしくて
意味不明だけれども面白い句である。作者の意図する鑑賞ではないかもしれないが、私は勝手に面白がっている。
ふし/めな/らも/うき/ざま/れて/蟻の/はら
中学一年生ぐらいの時であったかと思うが、国語文法の時間に助詞の覚え方として次のような呪文を覚えさせられた。
は・も・こそ・さえ・でも・しか・まで・ばかり・だけ・ほど・くらい・など・なり・やら・か
後期高齢者の今になっても歌のように口ずさむことが出来るこの調子はなんだろう。
この句集は「目で見る句集である」と一番に思った。例えばこんな作品。
ここにるびなどふらぬよう
ルビをふる
図書館が燃え崩れゆく『失われ
たぶんこの句の後は 時をもとめて』 の部分が失われているのであろう。計算ずくの表示であろうとおもう。これらは音声で聴いていても理解できない。目で見る川柳である。
作品の中には固有名詞がいたるところに出てくる。先ずはアニメや漫画から のび太・ドラえもん・ムーミン・タラちゃん・島耕作。作家から漱石・治虫・啄木・写楽・空海・ニーチェetc・小説物語からは 春琴抄・土佐日記・リヤ王・ロミオ等々。作者の住んでいる世界が多岐に渡っていてしかも自由自在に行き来している。なかなか退屈しない。
最後の抄「幼年期の終わり」になると、これも潮のながれのように、定型のなかに円熟味が生まれてきている。まだまだ変貌をとげて行くかもしれないが、私は次のような作品が好きである。
目の裏を見るように見る月の裏
妻と呼ぶ何だか違う霧である
聖痕のない豆腐だな信じない
むしられてしまった青くない羽は
火星への帰り道には通り雨
何度も読み返している。色々な読みが出来て楽しい句集であった。
記 本多洋子
2016年8月 更新
句文集紹介 句文集紹介
川柳と詩とエッセイで綴る公開日記
「ゆうこの日記」 娘 神野 優子 母 神野喜久子
発 行 平成28年6月26日
著 者 神野優子・神野喜久子
表紙には優子さんの写真と次のような短文が掲載されている。
生後二ヶ月半から二十二年間寝たきりだった「ゆうこの日記」です。
障がい者への世間の偏見がなくなり心と環境のバリアフリーが実現
されることを念願して出版します。
第一章 誕生 産み月が来ても子宮でよく眠る
第二章 小学部 介護ベッド天井を這うクモが友
第三章 中学部 寝たきりのゆうこにも毎月生理
第四章 高等部 もう死んでいいとは病院は言わぬ
第五章 成人式 晴れ着着て二十歳を祝う車椅子
各章すべて娘と母の句と文章を対照的に並べ、両者がどのようなスタンスで生きて来たかを赤裸々に表現されている。勿論 娘の文章は 母喜久子さんが娘の気持ちになって代筆されたものではあるが、懸命な生き様が垣間見られて共感を得ている。
川柳については上野楽生さんに手ほどきを受け、川柳蝕光舎の野沢省悟氏の障害児に対する特別作品に衝撃を受け、人間の命と尊厳について深く考えて生きてこられた様子がわかる。
詩あり川柳ありエッセイあり、ひたすら生と向き合った作者の涙ぐましい一冊である。
2016年7月 更新
句集紹介 句集紹介
北田惟圭 句集 『残り火』
著 者 北田 惟圭
デザイン 紺野 達也
発 行 北田 忠義
あとがきに作者のことばとして次の様にあったので先ずそれを記しておく・
『2011年に出版した句文集から五年が経っています。この間東日本大震災があり、同時的に東京電力の福島第一原子力発電所の沸騰水型原子炉4基に大事故が発生し、五年後の今も収束にはほど遠い状況です。また安保関連法が成立し、憲法第二章第九条という平和の根幹が軽んじられ、戦争ができる国に変貌するのではと気になる昨今です。・・・原子炉の廃棄と現憲法擁護とが、今の私の作句に当っての課題となっています』
作品は2011年から2016年の現在まで、年代別に編纂され、あとがきに述べておられるような作者の思いが切々と詠まれている。2011年の福島原子炉の事故当時の受け止め方や原子炉再稼働を云々される今日に至るまで、作者の危惧があからさまに作品化されている。原子炉の廃棄と現憲法の擁護については、川柳作家としても誰かが声を大にして述べて置かねばならぬ事だろう。もうすぐ言論の自由さえ妨げられる暗黒の時代が再現しないとも限らない。
一冊すべてに実感が込められているが、心に残った作品を上げておく。
メルトダウンに煮え滾る腸
核のごみ母なる海に吐き捨てる
色も音もない平和な核だった (ふがいない怒り10句)
三日もすれば見えない放射性核種
すべて木が騙されていて深みどり
花が咲く核種を吸って喜びの彩
香っても香らなくてもいい 花よ
狂っても狂わなくてもいい 蝶よ
温かくても冷たくてもいい 森よ
見えてもみえなくてもいい 風よ
ワン・カウントされたのは露ひとつ
不規則にカウント 胎動の心拍
蟻の穴から戦争が洩れていく
黄蝶舞う一基一基と急き立てて
この句集の装丁のデザインがまたすばらしい。こんなに的確でシャープな装丁に出逢ったのは初めてと思うくらいである。デザイナー紺野達也氏の解説として次のようにあった。
「ウラン鉱石精製の過程の濾過液から得られるウラン含量の高い粉末は、イエローケーキと呼ばれることから、洒落をきかせて黄色いケーキをメインビジュアルにした」
ぜひこの句集を手に取って読んでいただきたい。 本多洋子 記
2016年6月 更新
作品集 紹介
作品集 紹介
104歳美術家
珠玉の作品集
『 人生は一本の線 』 篠田 桃紅 著
発 行 2016年4月20日
著 者 篠田 桃紅
発行者 見城 徹
発行所 株式会社 幻冬舎
篠田桃紅は大正2年生まれの当年104歳の美術家。関東州大連に生まれ、5歳頃から父に書の手ほどきを受けたといわれている。以後ほとんど独学で書を学び、書道芸術院に所属したこともあるが、1956年には渡米し、文字の決まり事を離れて新しい墨の造形を試み高い評価を得た。以後現在まで日本に滞在して和紙に墨・金箔・金泥・銀泥・朱泥といった日本画の画材を用いながら、限られた色彩で多様な表現を生み出し独特な世界を醸し出している。本書には随所にシャープで静かなエッセイと線がしたためられていて、読むものの心に沁みてくる。
直接川柳にかかわる書ではないが、近頃とみに心に響いた作品であるので、ここに紹介させていただく。
詩文の一部を紹介する
私の言葉なんて、
無意味です。
百万の言葉より、
一本の線が
私の伝えたかった
ことです。
また
日々、違う。
似たような毎日だと言えば、
似たようなものだけど、違うと言えば違う。
その都度、違う。
生きているってそういうこと。
同じことを繰り返すことは、ありえない。
手元に置いて、いつも大事に鑑賞したい一冊です。 本多洋子
2016年5月 更新
現代俳句
現代俳句
うらうらと 俳誌とちの木 同人 木村美恵子
父ははのもどってくるよな月の道
参磴にもみぢ且つ散る日なけり
安穏の河内の茶粥つはの花
うせうせと冬日キリスト生誕図
堰落つる水きらきらとクリスマス
真珠婚とっくに過ぎてちゃんちゃんこ
喪籠りの煉炭土間に積みありぬ
大寒やふと髪切ってみたくなる
大雪のおそれとなりぬ海の色
雪来るかジャコウ猫の長き尾に
句集紹介 句集紹介
猫川柳アンソロジー
「ことばの国の猫たち」
監修・編者 木本 朱夏
発行者 冨上 朝世
発行所 あざみエージェント
発 行 2016年2月22日
帯には「川柳、エッセイ、写真、イラストで紡ぐ猫好きさんに贈る一冊です。
有栖川有栖の書き下ろしエッセイ収録」とある。
川柳作家のネコ作品もさる事ながらいたるところに挿入された猫の姿態の
カラー写真は、猫好きにはたまらないページである。
ポケットに入れて持ち歩ける文庫本形式の楽しい一冊。
2016年4月 更新
先般発行されました墨作二郎氏の句集「典座」について俳人より鑑賞の一文が寄せられましたので、紹介させていただきます。 洋子
句集「典座」についての所感 俳誌船団同人 甲斐 一敏
「典座」発行おめでとうございます。
一読、全編「作二郎節」。他にない韻律、語調、「作二郎節」としかいいようがありません。分かち書きのような断絶した語のつらなりは、高柳重信を思わせます。―クリオネ 屈伸 流氷の青モザイク ―芝桜遠近法 石笛の過去いちめんなど、意味を超越した何かを読者に読ませようとしているようです。
意味を超えていますから、当然「難解」です。難解については、筑紫磐井の論を引用してみます。「二つ以上の品詞のあるところに、かつその二つ以上の品詞に、矛盾があり、葛藤があり、文法に反し、常識に反することにより難解は生まれる。」「予定調和から生まれたものを在来の詩歌とすれば、予定を破綻させるものが難解である。つまり俳句で言えば“配合”が難解である。」
作二郎の句で見てみれば
「芝桜」「遠近法」「石笛」「過去」「いちめん」はまさに「難解」です。
「対岸」に「多」「瞬の」「蛍」 「流転の父」もまた配合が「難解」。
好きな句をあげてみます。
―送り火幻想 十大弟子は立ち並ぶ
―慟哭羅漢白塗り ピカソゲルニカ
―瓦礫野に千切れた童話ガードレール
―フラミンゴの首いっせいに 春狂言
―五山送り火 生きた証しの桃すする
―おろおろと ぽつんと水は燃えて居た
取り合わせに「難解」があり、読み手を「ゆする」のですが、さらに言えば、作者のモノローグが読み手を捉えるのです。ますますの作句、期待しています。
2016年3月 更新
句集紹介 句集紹介
『転校生は蟻まみれ』 小池正博句集
発 行 2016年3月1日
著 者 涸沢 純平
発行所 株式会社 編集工房ノア
著者プロヒール
1954年生まれ。
「川柳カード」「豈」同人。日本連句協会理事。
句集に『水牛の余波』(邑書林)
評論集に『蕩尽の文芸 川柳と連句」(まろうど社)
著者あとがきに次のように書かれている。
『水牛の余波』以降、2011年から2015年までの302句を収録した。
第一句集とは異なった世界を構築すべきという自縄自縛にとらわれたが、
人はそんなに簡単に変われるものではないことに気づいた。
「川柳」とは何か、今もってわからないが、「私」を越えた大きな「川柳」の流れ
が少し実感できるようになった。けれども、それは「川柳形式の恩籠」ではない。
「川柳」は何も支えてはくれないからだ。
この句集については、 これから活発な選評や論争が沸き起こるものと期待しているところです。短詩型文芸について非常に造詣の深い作者ですから使われている語彙の数も範囲も深いものがあって、私などがそんなにすんなり理解できる句集でもなく、恥ずかしいことながら辞書を片手に何度も読み返している有様です。かりに言葉を掘り下げて解かったような気になってみても、そこには本当の作者が存在する訳ではなく、にゃっと肩を竦めている小池正博氏が居たりして、はぐらかされてしまうのです。あるいはそんなところにこの句集の面白さがあるのかもしれません。かくれんぼしている作者を見つけるのが興味しんしんです。作者と一緒に川柳とは何かと云うことを考えてみたいと思います。
本多洋子
2016年2月 更新
句集紹介 句集紹介
墨作二郎作品集
「典 座」
著 者 墨作二郎
発行所 川柳「凛」
この作品集は 凛誌38号から63号までに「典座」と題して掲載された26編208句を一冊の句集として纏めて発行されたもの。
あとがきに著者のことばとして次のようにある。
「典座」とは料理人のことである。戦後七十年、昭和を丸々生きて、この世に発生する事件や事故、自然界や日常の変化には、それなりの必然や偶発がある。防げるものと防げないものを思うと人間としての限界、不可避の納得があって無力感の程も否めない。典座ではそれなりを感じそれなりを書くしかなかった。川柳は私にとっての生きざまである」
まさに九十歳に届かんとする著者の痛切な生の声としてしっかり受け止め鑑賞したいと思う。
各号それぞれにはタイトルが付けられていて、それぞれの背景がおのずと汲み取れる。
たとえば「北に旅」「四天王寺」「東日本大震災」「春色迷路」「遠ざかる夏」etc・
原爆忌は赤い折鶴 灼熱転法輪
母の補聴器錆び 稜線は雨のち晴れ
三陸海岸のっこのっこと波がつん
ヨダは這いづる 船も車も濁流する
原子炉溶融 よもつひらさか一目散
五山送り火 打ち沈む火垂るの墓
作品それぞれに抜き差しならぬ過去があり、現在がある。生涯現役の強さがある。
2016年1月 更新
現代俳句 現代俳句
鯉の口 俳誌 とちの木同人 木村美恵子
競り売りの蛸の逃げだす暑さかな
魚河岸に勢いのつく雲の峰
根上がりの松の根太き大夕立
もう逢へぬ母や朝顔咲きのぼる
掲示板のガラスに映る秋の色
車椅子菊人形に近づきぬ
吊り橋の真ん中で聞く秋の声
タペストリー替へてお月見だんごかな
ふるさと一寺が要十三夜
行く秋の水面にひらく鯉の口
句集紹介 句集紹介
川柳 宙 合同句集
発行日 2015年12月1日
発行所 川柳 「宙」
「宙」会員のお一人である芳賀博子さんから会報100号にかえて創られたという上記の句集を頂いた。すっきりした装丁のいかにもこれからの川柳を思わせる素敵な句集である。前書も後書きもない。会員の方々の年齢も経歴も何も記されてはいない。会員31名の作品が各自見開きで
表題と25句がすっきり並べられている。五十音順であるのも、変な先入観もなく鑑賞できてシンプルである。これからの川柳のあり方を各自模索しておられる様子が垣間見られて頼もしく鑑賞させて頂いた。
各作家の作品を2句ずつあげて、句集の一端を紹介することにした。
浅井 ゆず なんくるないさ草木はいつも野ざらしで
このボタン押すと昨日が洗えます
熱田熊四郎 やっかいな勇気が俺を唆す
周波数違った君を好きになる
石田 都 ねむの花どれほど欠伸しただろう
「かなしい」は半紙のようにあたらしい
江頭トシ子 手紙には手紙の返事待っていた
賞味切れ使用期限もあと少し
大矢部諄子 目覚めた床で雨音を聞く春近し
大方は祈るほかなし生きること
小原 由香 着ぐるみの下で楽しくやっている
煩悩は産毛に付いているんだよ
加島 修 情けない人だと言って泣いている
貧しいと貧しい世界しか見ない
川田由紀子 友達はいない 玉子はいつもある
橋ばかり渡って家に帰れない
久保田清美 迷路にて美輪明宏と遭遇す
悲しみはラとシの音に挟まれて
久保田 一 澄み切った空は大きな音を待つ
骨ばかり感じる身体洗ってる
小池 昌 たんぽぽや何語で話し掛けようか
桜雪柳連翹木瓜アロハハハ
田中日出夫 妻の忌に浴びる桜の滝しぶき
晩年に少し過重なリュックサック
田中 女里 ごく稀に気遣う振りをしてくれる
それで何か見つけましたか 旅をして
辻 光子 牛乳が吹きこぼれたわ誕生日
頬に風 ソバージュヘアにしようかな
飛永ふりこ 堂々とスパンコールではねつける
たっぷりの恥をくぐって花が咲く
中川 浩 叩いたらぽとりと落ちた泣きぼくろ
窓に息かけて字を書く長電話
中西 南子 最後にはひとりになった路線バス
一本のいちょう満身で輝く
能登 和子 交わらぬ路線ピカソの泣く女
哀しくて口いっぱいの豚饅頭
芳賀 博子 朝刊に今を生きよというチラシ
満ちてゆく わたしの中のチチカカ湖
平尾 正人 嘘二つ加え花弁は十二枚
逃げ道がなくなる二人だけの磁場
広瀬 鮎美 泣くものか田毎に月は出てくれる
七十年前の分まで 蝉しぐれ
広津秋の子 黄水仙打ち明け話大嫌い
好きな助詞どんどん減って塩れもん
深川 さゑ 縮緬の小切れでかくす歎異抄
さても晩秋 逝くときも握るたね
藤本のぶを 青春は返しそびれた本の中
糞を放るこの世戯言絵空事
藤山 竜骨 黄砂降るフライドチキンまで歩く
日が暮れてさする太腿四頭筋
古田ゆう子 目をと開けたままで固まることにする
ジャングルに住んでわたしも木から木へ
別所 花梨 からまった所に櫛の目を通す
面白い色が残っている尻尾
丸本うらら ブラブラのボタン付け替え生きのびる
のんのんと朝になったら咲いている
山口亜都子 半期に一度クリーニングに出すポーズ
やわらかく豆を煮てから出す答え
夕 凪子 ぴりぴりが伝わるぷるると返事する
ふかぶかと頭を下げて森を出る
古田 祥 椿落つまだその辺にいる気配
曲ろうと考えている道がある
2015年12月 更新
惜別
桑野 晶子さん (大正14年11月ー平成27年10月) 本多 洋子
桑野晶子さんは東京都に生まれ、幼児より高等女学校卒業までを姫路市で過ごされた。結婚後、昭和18年頃より北海道に転居され、晩年は札幌市手稲区に在住されたもようである。
川柳は昭和43年頃より始められ、札幌川柳社の同人・読売新聞北海道版の初代の選者もつとめられた。以後、川柳さっぽろ・川柳新京都・現代川柳点鐘・現代川柳新思潮などに参加され、昭和63年には第六回川柳Z賞も受賞されている。晩年の七・八年は川柳活動を止めておられた。本年の10月ひっそりとその生涯を閉じられた。
句集には『眉の位置』『雪炎』などがある。私は点鐘の会や川柳公論の会で行動を共にさせて頂き沢山の事を学ばせて頂いた。北海道札幌の芸術の森や、奈良のならまちを歩いて吟行のお供もさせていただいた。優しいお人柄と、文芸としての香り豊かな晶子作品は今でもわたくしの憧れの的である。ここに作品のいくつかを紹介して、あらためて桑野晶子さんを偲んでみたい。
合掌
だれに似る骨肉ならん鯖をしめ
いつの日の滅びの手足雪の韃靼
妹は酢のようラベンダーは霧のよう
ささめ雪双手に包むじゃがたらお春
雪が降り雪が降り乳房はふたつ
舞い降りるかるさで雪に裁かれる
かるがると蝶が死んでる雪の画布
桃の花触れれば脆い水子坂
水ぎょうざ黄河の月もこのような
じゃがいもの花と流れて海は臨月
剥落の仏みごもる指輪かな
花は錆び一部始終を野に還す
2015年11月 更新
句集紹介
熊谷美智子句集
「ダリの抽斗」
後書きから、その経歴を読ませていただくと、先ずは斉藤大雄氏の「三越レディス教室」にて川柳を学ばれ、ついで桑野晶子教室にて作句と古典を幅ひろく勉強され、道外では大阪・墨作二郎氏の点鐘の会、東京の尾藤三柳氏の川柳公論にて川柳の研鑽を積まれたようである。
大阪に在住している私は点鐘の会と川柳公論の誌上にて作者との交流が始った。ある時は晶子教室の皆さんと、札幌の芸術の森や奈良のならまちを散策して吟行句会を開いたりした。すばらしい思い出が心の中にある。ここしばらくはお逢いすることもなく過ごしてきたが、このたび、思いがけず句集「ダリの抽斗」を送って頂いて、万感の思いがこみ上げてきた。出版をこころからお喜びしたい。
跋文の中で岡崎守氏は次のように絶賛されている。「優しく繊細に、たおやかに紡ぎ出される言葉の物語は、美智子さんの現し身であり化身であり、実像であり虚像なのかもしれない。人はみな実像を晒しながら、透明な沼の底に虚像を潜めている…。」と。
これ以上の賛辞はもうないかと思われるが、わたくしは心の友として、ほんわかとしたユーモアとアイロニーも、ダリの抽斗にはいっぱい詰まっていると感じ、その視点から心に残った作品を次に上げさせていただく。
またどこかでお逢いしたいなぁと願いながら…。
梅の花めったなことで泣きはせぬ
たのしくて泳ぐわけではない金魚
冷静にならねば賽の目の豆腐
狂女三日演じ鏡の置き所
人形もいつかガラスの箱を出る
キッチンの隅から覗くダリの抽斗
神さまが来そうで窓を開けておく
死ぬときも大金がいるいわし雲
このままで消えるとタダのおばあさん
「ダリの抽斗」
著 者 熊谷美智子 発行者 冨上朝世
発行所 あざみエージェント 頒 価 \1300
2015年10月 更新
現代俳句紹介 現代俳句紹介
三鈷杵 俳誌とちの木 同人 木村美恵子
待春のひかりとなりぬ三鈷杵
早春の日差しの中の切腹図
菜の花忌いくりに波の暮れ残る
啓蟄の野に散らばりて写生の子
海苔粗朶の沖おだやかに忌を修す
人はみな海に生まれてあたたかし
看板のそねざきけいさつあたたかし
春昼のうつぶせてある猫車
輪投げの輪どれも外れてチューリップ
種袋添へて届きし宅急便 (とちの木26号)
万緑深く 俳誌とちの木 同人 木村美恵子
洋館の風のベランダ燕飛ぶ
夏近し気根の育つ水の音
緋目高のくきくき泳ぐ二タ七日
梅雨晴の波間にははのこゑを聞く
なむなむと万緑深く納骨す
ところてんすすつてをりぬ忌明けかな
ちちははの在さぬ生家水を打つ
茄子きゆうり育ちて水の旨き町
一湾の日のうすづけり鱧の皮
祭りくるうろこ光りの水面かな (とちの木27号)
川柳評論紹介 川柳論説紹介 本多 洋子
呉陵軒可有を偲ぶ川柳筵特集(柳多留250年)
川柳公論別冊5号
川柳さくらぎ32号 より 一つの論説を紹介いたします。
「川柳における二人の祖」 尾藤三柳
始祖(川柳)と流祖(呉陵軒)
この論の冒頭、尾藤三流氏は次のような言葉から始められている。
「私はかねがね川柳史の上で始祖という時、二人の恩人がいると考えている。一人は言うまでもなく、文芸名を持って呼ばれる初代川柳(柄井氏)だが、もう一人には同じ比重で《誹風柳多留》の著者もしくは篇者・呉陵軒可有(本名不詳)を挙げたい」と。そして「前句附の万句合興行の点者である初代川柳なくして柳多留は存在しなかったし、万句合から川柳風を確立させた柳多留なくして、現在に受け継がれる伝統文芸としての川柳の歴史は無かった」と述べる。また当時の興行の仕方と点者とのあり方を興味深く論述しながら、なお柳多留の編纂者である呉陵軒が居なければ、その後の川柳の発展も在り得なかったと、その功績を詳しく述べられている。
「万句合の勝句は玉石混交の原石であった。その原石の中から正しい評価によって佳句の水準と、笑いのパターンを類別して、川柳に川柳らしい個性を与えたのは、誹風柳多留を編むに際しての呉陵軒可有の努力であった・・・前句と附句の複合文芸であった前句附を独立単句として文芸化したのも柳多留が契機となった」と述べられている。
川柳と言えば初代の柄井川柳の事が一般に取りざたされるのが常であるが、ここで柳多留編纂に功のあった呉陵軒可有に光を当てられたのは成る程と納得させられる。柳多留250年の
記念事業の一端として発表された論説であるが、非常に解り易く有意義なものであると思いここに紹介させて頂いた。
なおこの別冊には「呉陵軒可有7つの謎」と称して尾藤三柳・脇屋川柳氏による対談も掲載されているので、一読をおすすめしたい。
2015年9月 更新
句集紹介 句集紹介
瀧正治 句集
「自分探し」
著 者 瀧 正治
編 集 尾藤一泉
発 行 松岡恭子
発行日 2015年5月25日
あとがきによると、作者は昨年うっ血性心不全で四度も入退院を繰り返したとある。その度に救急車のお世話になり死ぬ思いを四度繰り返されたらしい。「病気で怖いのは身体へのダメージであるが同時に気持が弱くなるのは更に恐ろしい。そんな自分に区切りが付けたくて句集発刊に踏み切った」とある。また「心理を穿つとされている川柳も、煎じ詰めれば人間としての自分を追求する文芸であると考えて、この句集のタイトルを 〈自分探し〉 とした」と書かれている。いづれにしても川柳に対する熱意には並々ならぬものがある。なお著者は一つの結社の同人であるにとどまらず、伝統派・詩性派・現代川柳・等々色んな流派に席を置き、投稿を続けておられる。
そんな中で、自分らしい普遍性のある川柳を求め続けておられるのかもしれない。
巻頭の作品は
走るしか選択のない一輪車 から始まる。以下心に止まった作品を上げる。
実弾を一発籠める定期入れ
水音がすると鱗が生き返る
片減りの耳に放浪癖がある
血判をためらい傷の上に押す
海を見た象が弱気になってくる
子が捨てるだろうアルバム今捨てる
落丁の詩集が溜まるケアハウス
戦争を知らないパンに耳がない
大都市で泳ぐ記号化された魚
鬼ごっこ鬼は人間ごっこする
誰にでも共感されるバラエティに富んだ作品が読みやすい形に整理されている。
文庫本大のやさしい句集である。私は、川柳公論と現代川柳点鐘の会で作者とは親しい。
2015年8月 更新
句集紹介 句集紹介
若葉の句集Ⅳ 十周年記念
発 行 若葉の会
編 集 越智ひろ子・西田雅子
発行日 平成27年6月9日
京都の一角で坂根寛哉氏を師として若い人たちの川柳の集い(若葉の会)が開かれてから早いものでもう10年になるという。小さなちいさな若葉の句集は今年四冊目を迎えられた。若い芽はすくすくと育ち今では新緑のオアシスとなった。
若葉の会のみなさんの弛みない向上心と努力を讃える意味で、ここにその一端を紹介させて頂く。句集はB6版45ページで掌にのる程の可愛い装丁。作者一人につき2ページ。
題名と作品14句 それに短いコメントが付されている。作者の五十音順に掲載されているので句集どおり並べて ひとり一句づつを紹介させて頂く。
螺旋階段 僕のゲノムは雲の中 石田 和雄
紙細工ぎざぎざになる地平線 出雲寺 紘
一葉に何を語らせ落葉樹 伊藤 礼子
満天星の鈴ふるごとく集う女 乾 妙子
苛立つこころずーとみるずーと空 越智ひろ子
あの門を出てから風になるつもり 籠 めい子
小雨降るぐらいの恋がしたかった 蒲池 直恵
梅香るおさなの寝息二進法 斉藤 和子
野を越えて真実一路書きにゆく 坂根 寛哉
人の世はワルツ スパケッティのゆで具合 重田 和子
奇術師は微かな笑みで嘘をつく 鶴田 幸江
出町柳上ると川は未然形 那須 明夫
オモイデを閉じこめておく無菌室 西田 雅子
台風は避けてくれると都人 西脇 武和
ごちゃごちゃ言うな僕はさびしいんだ 野村 笑吾
捥がれてもたわわのままも柿淋し 馬杉とし子
カタツムリそっちへ行けば涅槃坂 万代 勉
誰のためタブーの小瓶棚の奥 三好 基子
象形文字もとの姿にもどる夜 目加田邦子
迷路から抜けたい未完のロンド 元永 宣子
うず潮のフリータイムへ紛れ込む 和田 洋子
2015年7月 更新
現代詩 現代詩
端 日本詩人クラブ 德永 遊
私の家は大通りからひょいと逸れた狭い路地
をつるつると歩き 目の前に長いこと住んで
いるのにいつまで経っても仲良くなれない井
門さんの門が見えると そこからまた右につ
っと曲がり もっと狭い道路を鉄板の代わり
にゴムを敷いてあるドブ板をキュルキュルと
踏みしめながら またつるつると歩くと よ
うやく辿り着くのだ
家の裏は田んぼの畦道の端に建ってあるので
そのせいかいつも端っこに位置しているとい
う気がして 特に夜寝る前になるとその感は
いっそう強くなり 何か満たされぬまま床に
着き 宇宙遊泳しているような気分のまま
豆電球にうすらぼんやり照らされた天井のス
ジを眺めつつ 遠い世の汽笛のような耳鳴り
を聞きながら眠るのだ
けれどこの場所は隠れ家みたいで 自分に合
っている気がし ここまでは誰も入って来な
いだろうし 目敏く見つけられることは決し
て無いだろうという安心感と共に この場所
を選んだのだ
けれど何年も住む内に 何となく端っことい
う感だけは益々強くなり やはりそれはそん
なに良かったことなのだろうかと それはや
はり選びまちがえたのではないだろうかと
そこはかとなく込み上げてくるものがあり
夜な夜なその端っこに耐えかねてくるものが
あり 自分が選んだとはいうものの 人生そ
のものの端っこを選んでしまったのではない
だろうかと 豆電球をぼんやり眺めながら
つくづく思うのである
窓を開ければ 秋冷えの夜の月が皓々と冴え
渡り 今は亡き父の眼をふいに想い出した
2015年6月 更新
句集紹介 句集紹介
大阪のかたち
久保田 紺 句集
発 行 2015年5月25日
編 者 小池 正博
表紙絵 くんじろう
発行所 川柳カード
制 作 私家本工房
作者プロフィール 久保田紺(くぼた・こん)
1959年生まれ 2005年より川柳を始める
序文として
「てのひらをそっと広げる」 樋口由紀子
解説として
「人間というグレーゾーン 久保田紺の川柳」 小池正博
久保田紺さんについて、その生い立ちなどの詳しい個人情報は何も知らない。時折、くんじろうさんの川柳北田辺句会でお逢いするか、川柳カードの合評会でお逢いするかだったが、
一度 点鐘の散歩会に参加して下さった事がありそれ以来、「洋子の部屋」のゲストの椅子に座っても頂いている。今度素晴らしい第一句集が出来てこんなに嬉しいことはない。
句集名が示すようにまさしく大阪がいっぱい詰まっている。優しくて哀しくて温かくて、
大阪生まれ・大阪育ちの私には「そうやなぁ・・そうやなぁ・・」と共感することばかりである。
樋口由紀子さんや小池正博さんが句の鑑賞について優しく書いていらっしゃるので参考にされるといいと思うが、わたくしにはその言葉使いが大阪そのものなので、もう水のように一句一句が心にしみてきて「いいなぁ・いいなぁ」と読み進んだ。
その大阪はわたしのと違います
やさしいところが曲るんやと思う
こんなとこで笑うか血イ出てんのに
うつくしいとこにいたはったらええわ
どこの子や言われたときに泣くつもり
べたべたのままで誰かを待っている
うちに言うたら秘密でなくなるで
優しさと哀しさとユーモアがあふれている。解説はいらない。大阪のイントネーションで読んでほしい。
豹柄でないのは耳のうしろだけ
着払いですが戻っていいですか
残されるほうが哀しい貝の殻
大きな月が出ているほうが出口です
澄んだ水になるまでそこに立ってなさい
作者あとがきの最後に「宣告から九年目の春です」と記してある。
二度も三度もくり返して じっくりページを開けてみたくなる句集である。
2015年5月 更新
句集紹介 句集紹介
Baby Pink
阪本きりり川柳句集
発 行 平成27年3月23日
著 者 阪本 きりり
発 行 松岡 恭子
発 行 所 新葉館出版
B6版245ページ、約500句が収められている。作品は5章に分かれていてそれぞれの章のタイトルには作者の短いコメントが添えられている。
コギト・・・・川柳の根源に眠るコギトに息を吹きかけ、ぎりぎりと迫りくる寿命に
立ち向かうのだ。
万華鏡・・・欲しくて欲しくてしょうがなかった万華鏡。私は万華鏡に所有される
ことになった。
コスプレ・・わたくしを囲む物の形から一切の理由を切り離す。「プレイ」は「祈り」
とも言う。
少年図鑑・少女図鑑・・少年も少女も一瞬の季節を一度だけ生きる。
病草子・・・肉体は正直で心は嘘吐きだ。この心を悲鳴あげるまで締め上げ
奴隷のように従わせている。
各項目に分けられながら、作者の血を吐くような作品が目まぐるしく現れる。
内向きカーブでお母さんが待ってる
あわれだと思うなら君殺したまえ
リカちゃんの一生つるつるの手足
水兵帽一直線に夏をよぶ
こんなにも醜く折られている右手
各章の第一句めを上に掲げてみたが、読み進むにつれてぬめぬめしたもの怪しげなものが纏わりついて不思議な世界に誘われる。
魔女狩りの業火をまとい立っている
作者の「あとがき」に次のようにある。
『また一つ親に見せられないものを作った。健康で健在な両親や兄弟たちにこの句集を手渡すことはない。阪本きりりに親も兄弟もないのである。彼らはこれを目にしないことを幸いと思い感謝してほしいくらいだ。・・・ただ一人阪本高士は私の横に在ってこの句集を読まねばならない。彼は私と一緒に私の人生に深く傷ついてくれるだろう。それが少し辛いと思っている。』
なおこの句集と同時に、Baby Black と題して阪本きりりのエッセイ集も出している。これは川柳よっかいち他に掲載した文章を纏めたもので、なかなか読み応えのある一冊である。
2015年4月 更新
現代詩 現代詩
さくら湯 日本詩人クラブ 德永 遊
菜の子は
さくら湯に入って思ってみたりするのです
さくら色に濁ったお湯を視つめながら
窓から木槿の裸木を見ながら
このままの生活がずっと続けばいい
可愛い女の子がいて
私のことを真から心配してくれる母がいて
ぶっきらぼうで呑気な夫と
ちょっと離れてしまった息子二人と
もうあと何年この生活は
続くことだろう
あした終わるかもしれない
あした年老いた母は
あの世に召されるかもしれない
あした大きな地震がおこるかもしれない
そして娘はだんだん大人になってゆく
息子はきっと家を出ていくだろう
そんな時になったら
さくら湯に入っていた頃のことを
あれは夢だったのかと
思ってみたりするのだろう
娘がキャーと叫びながら
ザブンと湯の中に入ってきた
菜の子の顔に湯がかかり
白い湯気といっしょになって見えなくなった
掌で目をぬぐうと
笑った娘の顔が目の前にあった
現代俳句 現代俳句
経 蔵 俳誌 とちの木 木村美恵子
城門の乳鋲美しき草の花
綿実る溜め池多き河内野に
天高く一切経蔵を廻しきり
大空は夢みるところ鵙の贄
口紅をすこし濃くして冬に入る
小雪の水車の水を眩しめり
冬ぬくし正午に近き水時計
酒饅頭さげてをとこの寒見舞
寒灯婚の荷物の置き所
玉垣の祖父の名うする寒椿
2015年3月 更新
句集紹介
飯田良祐句集
「実朝の首」
川柳カード叢書 ②
発 行 2015年1月25日
編 者 小池 正博
発行所 川柳カード
表紙絵 くんじろう
序 文 樋口由紀子
試 論 小池 正博
序文の中で樋口由紀子はこう述べる。
「飯田良祐さんは川柳界に突然現れて突然消えた。自死だった。口髭をはやし、いがくり頭の、憎めない笑顔が思い浮かんでくる。・・・・彼は多くの密度の濃い川柳を残した。あんなに早く、さよならも言わないで、この世を去っていった彼に恨み言のひとつふたつは言いたいけれど、飯田良祐さんに出会わなかったことよりも出会えたことをよかったと思うことにしている。」
また飯田良祐試論のなかで小池正博は次のように述べる。
「飯田は西脇の詩論(西脇順三郎の詩論)に共感していたのだろう。今から考えてみると、良祐の西脇への傾倒は川柳にとって本質的な契機を含んでいる。前句付をルーツとする川柳は言葉と言葉の関係性に敏感であった。飛躍し迂回しながら、見えない糸で言葉と言葉がつながっている。日常的な意味の文脈ではなくて、矛盾やイロニーを含めて一句の中でつながっているのである。西脇は良祐のお気に入りの詩人だったのだろう。良祐は西脇症候群にかかっていたのでありそのことに自覚的であった。」
飯田良祐さんは、その最晩年に一度だけ点鐘散歩会に参加されたことがあった。たしか京都近代美術館で開かれた藤田嗣治の個展であったと思う。その時の参加者が33名で参加数の記録ではまだそれを越したことがない。無口で、すみっこで作句されていた姿が妙に印象に残っている。
この句集を読みながら、ともすれば川柳界に埋もれてしまうに違いない一川柳作家の作品にあらためて目を瞠ると同時に、これを句集として川柳史上に残されたカード叢書にこころから拍手を送りたい。
角田古錐句集
「北の変奏曲」
発 行 2015年 2月10日
著 者 角田 古錐
発行所 東奥日報社
目 次
破船の夢 72句
八月の自転車 72句
ゼブラゾーン 72句
寒立馬 72句
みちしるべ 72句
角田古錐氏は川柳をはじめて20年になられると言う。あとがきに次のように書かれている。
「日常を通じて私は常に川柳を楽しもうと思っています。伝統句も革新の句もれぞれの良さがある訳で、また難解な句もそれを読み解く楽しさがあり、句会や柳誌で色々な川柳に出会うことは、今では大いなる楽しみとなっている・・・」とある。
その言葉のとおり、ページをめくる度多彩な作品に出会うことが出来た。
犬は犬の影引きずって夕焼ける
八月の自転車に積む火の記憶
右の手はホントは他人だと思う
納豆とモーツアルトを掻き混ぜる
不意に来て喋り続ける喪の葉書
女ってしょうがないなと薔薇を買う
自然薯のような女とレレレのレ
青春はパラパラ漫画だったなあ
どの作品も楽しくて飽きることは無かった。
2015年2月 更新
エッセイ集 紹介
わたしのせんりゅうものがたり
風 濤 露木 沃子著
これは2005年6月から月刊「おかじょうき」に連載された「せんりゅうものがたり」を纏めて2011年に刊行されたもの。最近私の手元に送られてきたので楽しく読ませていただいた。
この本の帯には次のような一文がある。
「ひとつの川柳をモチーフに、ひとつの小篇小説を作ろうという斬新な試み。それだけ川柳には人間をみつめる力があると言わなければならない。その挑戦が成功したか否かは、読者にゆだねるとしよう。が、どこのページから開いても、川柳・小説・エッセイの使い手である著者の意気込み、緊張感が伝わってくるはずである」
と解いている。
内容はといえば、主におかじょうき近辺の方々の川柳をアトランダムに取り上げられながら、
その作品の解説というのでなく、一篇一篇自由に発想を膨らませてショートショートというにふさわしい小説に仕上げている。まさしく掌編小説。一作一作の川柳作家自身の想いに添うのでなく、あくまでも露木沃子氏の世界にその川柳を引き入れての短編になっている。
取り上げられた作品としては
昔ここは戦場だった桔梗の黄 北野岸柳
胸さわぎ花は狂わず散り終える 吉田州花
断りの電話一気に蝉しぐれ 守田啓子
この雨と僕との間にある殺意 SIN
朝顔が咲いた暗渠に封をして 北里深雪 などなど。
さてこれらの川柳からそれぞれどんな掌編が生まれたかは一読されてからのお楽しみというところ。自分の川柳が読み手によって色々な広がりや深みを持って行くなら、そんな幸せはない。
改めて紹介させていただく。
風 濤 わたしのせんりゅうものがたり
発 行 2011年7月
著 者 露木沃子
発行所 北の街社
定 価 1200円
2015年1月 更新
現代俳句 現代俳句
俳誌 とちの木同人
木村美恵子
こころ
少年は宇宙に夢中松の芯
酒蔵の大釜黒き暮春かな
文机の古きに触るるみどりの日
聖五月風をまとひて船上婚
結ひあげし項の白き薄暑かな
薄暑光アンパンマンの丸き鼻
坪庭の卯の花白し夕支度
ながし吹く夕べ明るき郭跡
蒪采の池面たひらに夕鴉
夜の秋漱石のこころを読んでをり
水音
秀吉の道とや蝉のこゑ烈し
水音のころがって来る夏桔梗
放生会の幟はためく水の色
水音の澄みきってゐる敬老日
稲雀水音高き杣の道
ご縁札吊るす色なき風の中
山国の山に雲影稲匂ふ
かんなびの真昼しづかに小鳥来る
筆塚は筆のかたちに石蕗日和
宿坊の籬古びし照もみぢ
2014年12月 更新
現代詩 現代詩
毎夜十二時 日本詩人クラブ 德永 遊
毎夜十二時
西の隅の三畳ほどの洗面所で
キツネのお化粧した母は
ため息をつきながら顔を洗います
赤いヒーターチロチロと燃え
一日で一番安らぐ時間が来ます
やわらかなタオルで顔をひと拭きしたら
のっぺらぼうの知らない人が鏡の中にいます
今日も一日夢だった
どう考えても夢だった
いくらしゃべっても突っついても
焦っても騒いでも
ほじくってもつねっても空だった
昨日出会ったあの人だって夢だった
その証拠にいくら話しても無駄だった
金魚すくいの紙のようだった
掬ってもすくっても破れるばっかり
だから黙って諦めた
それでは私はもう寝ます
窓を閉め
カーテン閉めて
歯をみがき
モンダミンで
ゴロゴロして
現代俳句 現代俳句
句集『忘憂目録』より 船団同人 甲斐 一敏
忘憂幾許パプリカの尻のくびれなど
靴下の裏はいちめん笑い茸
食み零す馬齢馬鈴薯馬糞茸
囀りやパパパパパパパパパゲーノ
花はらはら花はらはら無限カノン
余春やら余命やら唱え鱧食う
木枯しや草間彌生の南瓜呵呵呵
囀りは吉吉ハイボールからんころん
風死んで一波二波三波蝉フーガ
そぞろ寒むそぞろ幸せトロ一貫
『忘憂目録』という句集の題名は中国の詩人陶淵明に由来していると、句集序文に記されている。陶淵明の飲酒と題する二十首の連作の中に「此の忘憂の物に汎べて/我世を遺るるの情を遠くする」という一連があって、酒を飲んで憂いを忘れたいという思いを述べているらしい。以来忘憂の物とは酒の代名詞になっている。
この句集の帯文に坪内稔典氏は次のように述べている。
「吉良常がいて、チェーホフがいて、リリコ姫がいる。そこへたたきごぼう、鮒ずし、駱駝、大島渚などがやってくる。乱痴気騒ぎというか、飲中八仙をしのぐ飲中無礼講が延々と続く。その座に私もいたい」と。
私が甲斐一敏さんと出会ったのは、八木三日女さんの晩年の句会「花」でのこと。ごくごく身近な数人と、三日女さんのご自宅のテーブルを囲んで和気藹々と作品を披講しあった。席にお酒は一滴もなかったけれど、酒の肴になる一敏さんの話題は多種多方面にわたり、毎回こころ温まって帰った。酒に音楽に文学に絵画に・・話はクルクルと転回した。そして馬齢を重ねることの悲哀も充分に読むことができた。花句会は終焉してしまったけれど、船団にて引き続き独自の心境を吐露しておられる事を楽しくまた羨ましくも思っている。
句集発刊に乾杯!マテニーで乾杯!
『忘憂目録』 甲斐一敏句集
発 行 2014年11月16日
著 者 甲斐一敏
発行所 ふらんす堂
序 文 桃山学院大学教授 串田 久治
項 目 忘憂一献・邯鄲・リリコ・ルフラン・鳥帰る・飲酒雑景
作者略歴 1914年 台北生まれ
2001年 作句を始める
2007年ー2011年 花句会参加
2009年 船団入会
2014年11月 更新
句集紹介 句集紹介
今井和子句集
「象と出会って」
びわこ番傘川柳会同人・点鐘の会会員でもある今井和子さんがこのほど実妹の大谷栄子さんの絵とコラボして美しい句集を発刊されました。洋子の部屋にも長年作品を寄せて下さいました。川柳作品は、とても優しい人柄と感性の滲み出るすばらしい句集です。出版は川柳界ではおなじみの倉本朝世さんの「あざみエージェント」。読みやすくて美しい装丁と編集で、何度でも開けてみたくなります。
螺旋を描く 象と出会って太くかく
父は見ているどんな形でまわるのか
さざ波が光って湖はよろこんで
あとがきによると お父様も美術の造詣に深い方らしく「父のアトリエを建て直して妹のアトリエの表札が掛かっている」と書いてあります。静かな感性は富山という風土とも重なって和子さんのDNAにも受け継がれているのだと思います。
蛇口からぽつんと落ちる忘れ物
呼んでも呼んでもふかーい蒼の中
横にいて時々水をかけてやる
うれしくて寂しくて寒いよさくら
絵のような字のような あなたのような
風だからあなたの横を通るだけ
たくさんの人に会うたびもっと咲きたい
いいと思う作品にもっともっと沢山チェックをいれました。
どうぞこの句集をご自分のてのひらに乗せてじっくり味わってみて下さい。
らせんの奥へ奥へと引き込まれてゆくかもしれません。
「象と出会って」
著 者 今井 和子
発行者 冨上 朝世
発行所 あざみエージェント
発行日 2014年10月20日
2014年10月 更新
句集紹介 句集紹介
池田澄子百句
編 者 坪内稔典・中之島5
発 行 2014年8月16日
発行所 創風社出版
この句集の帯には次のような呼び掛けの文がある。
「表現されているままに読む
澄子をしらなても読める
じゃんけんで負けて蛍にうまれたの
ピーマン切って中を明るくしてあげた
現代俳句の一翼を示す池田澄子の100句を鑑賞」
この一冊は池田澄子を仲間とする船団の会の会員が、澄子の俳句について1句1句その表現の魅力を尋ね考えあったもの。したがって、坪内稔典と中之島5(なかのしまファイブ)が編集委員になっている。その5人のメンバーは香川昭子・久保敬子・芳賀博子・陽山道子・山田まさ子
で坪内稔典の俳句塾の受講生の出身者である。中で芳賀博子は川柳作家でもある。
坪内稔典氏のあとがきには、川柳作家が加わったことで編集作業に広がりが出来たとも書かれている。
解かりやすく楽しく読める一冊なのでぜひみなさんに一読をおすすめしたい。
むさし句集
亀裂
発 行 2014年9月10日
著 者 むさし(八戸通正)
発行所 株 東奥日報社
著者あとがきに次のように書かれている。
「並べ方はランダムである。
じっくり読んでもらうためには1句ずつ脳内をリセットしてから句と対峙しなければ
ならないように無作為に並べた方が私ごときが作為を持って妙な並べ方をするより
ずっといい。いずれにせよ背から剥がれた赤錆のような句ばかりである」 と。
ページを繰って行くと次々面白くて、付箋を貼りながら一気に読んでしまった。
そして何やしら力を貰ったような気もしている。何度も読んでみよう。
本棚の右から旅が始まった
みぞおちのシャチがゆっくり滑り出る
外はどしゃ降りイエスタディをかけてくれ
犬よ鳴くな俺が遠吠えしたいのだ
骨箱に明朝体の「あ」がひとつ
あげたらきりが無い。先ずは句集を手にして頂きたい。
2014年9月 更新
現代詩 現代詩
碧空(あおぞら) 日本詩人クラブ 德永 遊
クソのように積まれた廃棄物の中に
耳の無い子犬がいたりして
あお向けに転がっている
かじかんだ手の人形がいたりして
その他は碧空
年寄ったらさぁ
何もかもこうなるんだって
私のおばあちゃんが証明する
いろんなことはさぁ
クソのようだねぇって
廃人が言ったけど
ほんとうにそう思うよ
それからさぁ
碧空だね
くっきりと碧空
2014年8月 更新
現代俳句 現代俳句
昼の月 俳誌 とちの木 木村美恵子
百歳を祝ぐ夕映えのいわし雲
ベーコンをカリカリに焼く朝の虫
口笛は今だに吹けず茨の実
猪撃ちの音のおもたき昼の月
団栗を蹴って引き寄す幼き日
新米やぽつりと過去を話しだす
箒目のまだ新しき式部の実
城跡に風なき勤労感謝の日
乗初めの船窓を打つ雨の音
島の子の耳朶赤く独楽を打つ
黒木鳥居
古井戸の滑車の錆も春隣
梅匂ふ黒木鳥居をくぐりけり
いつまでのいのち春雪てのひらに
球児らの声弾みだす黄水仙
ふらここを漕ぐ子漕がぬ子夕映えに
風光る岬に近く地鎮祭
亀石を撫でて一願あたたかし
亀の鳴く虚実皮膜の間に鳴く
信号は手押しボタンで青き踏む
燕来るしきりに海の見たき日よ
2014年7月 更新
現代詩 現代詩
ボクサーになれなかった男の記憶 青森県大鰐町 月波 与生
俺はくだらない男だ
身の上話はあまり明かさないが
これでも人並みに幸せを求めた頃もあったんだぜ
まあ、あんたがどう思おうが勝手だが
ちょっとだけ俺の話を聞いてくれ
故郷と家族を見捨てたときは
いっぱしのつもりだったがまだまたガキで
街を出る夜は駅で泣きそうだった
その頃は酷い暮らしで
「いつかここをでて行ってやる」
毎日そればかり考えていたもんさ
街を出てからは
安宿でホームレスの奴らと出会い
みすぼらしい人々が寄る所に
みすぼらしいなりで暮らした
Lie-la-lie . . .
安酒にありつけさえすればよいと
仕事を探し始めて
毎日あてもなくさまよっていたな
優しい声をかけてくれたのは売春婦だけ
「どう?」ってさ
それが嬉しくて慰めてもらったものだよ
Lie-la-lie . . .
あれからずいぶんと時は流れ
俺も歳を取り昔より狡くなった
でも人生ってそんなもんだろ?
俺が馬鹿をみない代わりに他の誰かが馬鹿をみる
長生きするとはそういうもんだろ?
でも正直にいうなら故郷へ帰りたいよ
いや、ここから消えてしまいたい
俺という人間をすべての人の記憶から
消してしまいたいよ
ああ、帰りたい
俺を称えるな
俺を気にとめてくれるな
俺は人を傷つけて暮らしている卑しい男だ
ボクサーのように負けられたらどんなにいいだろう
もういやだ
俺として生きなければならないのなら
もう勘弁してほしい
そう願ってもこの街で生きている
卑しい顔をして
人を傷つけてな
Lie-la-lie . . .
2014年6月 更新
川柳誌 紹介
川柳誌 紹介
川柳さくらぎ 別冊
川柳江戸ある記 ①
江戸六阿弥陀詣
この程 川柳さくらぎ発行所から別冊として「川柳江戸ある記」が発行された。表紙は天明五年版の江戸全図より抜粋したカラー版のユニークなもの。編集人は尾藤一泉氏、制作は玄武堂企画とある。
この冊子のあとがきに尾藤一泉氏は次のように述べている。
「柳多留250年にあたり『誹風柳多留』の巻頭句から、川柳を受け継いできた先人たちへの感謝をこめて、六阿弥陀の川柳を紐解いてみました。
江戸っ子を解いて辿る六阿弥陀 玄武洞 」
川柳江戸歩きの1回目として、江戸六阿弥陀の現在の様子とその歴史を、写真入り図版入りで詳しく編集されている。江戸六阿弥陀を先ず取り上げられたのは、川柳の原点ともいえる『誹風柳多留』初版巻頭に次の一句があるから・・。
五番目は同じ作でも江戸生まれ
六阿弥陀五番目の賑わいを読んだこの句こそ、十七音独立文芸として確立した今日の(文芸川柳)の原点ともいえる一句であると 一泉氏は述べる。
江戸の六阿弥陀信仰とそれに纏わる縁起伝説について、この号では詳しく面白く諸説を紹介している。柳多留のなかの実作を紐解きながら、現在地に足を運んでの記述は説得力があり、なるほどと頷ける事ばかりである。
詳しくはぜひ購入していただき、あらためて川柳の歴史に触れていただければと思う。歩いて実感して川柳の今と昔を考えるのも、深く川柳に携わるご縁になるのではないだろうか。
「川柳さくらぎ」第28号 川柳江戸ある記① 江戸六阿弥陀詣
発 行・ 平成26年3月5日発行
編集人・ 尾藤 一泉
制 作・ 玄武堂企画
発行所・ 東京都北区栄町38ー2
川柳さくらぎ発行所
販 価・ 500円プラス税
2014年5月 更新
現代詩 現代詩
不安の人 日本詩人クラブ 德永 遊
みんなみんな不安の人でした
みんなみんな落下して行きました
今年の桜は一週間も晴天が続いて
私は花見に四日続けて行きました
笠原のサクラ
野洲公園のサクラ
高取山のサクラ
草津川堤防のサクラ
不安の人が
あちらこちら
花びらの散る下に座っていました
何をしているのでしょうか あれは
何の意味があるのでしょうか それは
みんな生きているのが不安なので
象徴のように
花びらをじっと拝んでいたいのでしょうか
何処からか見られている神々しいものに
自分を晒していたいのでしょうか
ああそれはわからないが
今年もまた
サクラの花の下で不安の人が集まっている
2014年4月 更新
現代詩 現代詩
まど・みちおのうた
童謡で有名な まど・みちお ですが 大人子供の区別なく、すばらしい詩人であると思いますので、わたくしの好きな詩のひとつをここに揚げます。とても シビアな作品です。
まど・みちお詩集
「ことばのうた」より
めだまやき
戦後につかわれだしたのだそうだが
「めだまやき」ということばは いたい
いたくて こわい
いきなり この目だまに
焼きごてをあてつけられるようで・・・
いや 小さな弱い生き物たちの
はだかの目だまに
はだかの生命に
この手が じかに
焼きごてを当てつけて楽しむようで・・・
いいことばだ どんどん使え
使いなれて 平気のへいざになれ
あの「たまごやき」ということばのように
と 何かにそそのかされているようで・・・
そのちょうしで そのちょうしで
いよいよ さいげんなく はてしなく
ざんにん ざんこくに なっていけ
と 何かにそそのかされているようで・・・
こわい
「めだまやき」ということばは こわい
けしゴム
自分が かきちがえたのでもないが
いそいそと けす
自分が書いた ウソでもないが
いそいそと けす
自分がよごした よごれでもないが
いそいそと けす
そして けすたびに
けっきょく 自分がちびていって
きえて なくなってしまう
いそいそと いそいそと
正しいと 思ったことだけを
ほんとうと 思ったことだけを
美しいと 思ったことだけを
身がわりのように のこしておいて
2014年3月 更新
追悼 八木三日女さん 本多 洋子
平成26年2月19日、八木三日女(下山ミチ子)さんは89年の生涯に幕を下ろされました。
昭和30年代中ごろから、現代俳句前衛派の女流俳人として、戦後の俳句史に一大旋風を巻き起こされたことは周知のことと思います。句集には
「紅茸」 昭和31年
「赤い地図」 昭和38年
「落葉期」 1974年
「石柱の腑」 昭和59年
「私語」 2001年
「八木三日女全句集」 平成18年
最後に発刊されたこの「全句集」の帯に次のような記載があります。
『作句を平畑静塔・西東三鬼に学び、戦後前衛俳句のフロンティアの中に独自の抽象とエロスを形象化してきた女流作家の全句集』 と。
その間、眼科の医師として献身的な活動も続けられ多くの人々の患いをも癒されました。また堺出身の与謝野晶子への憧憬は深く、「晶子をうたう会」の代表世話人を長年務められ、晶子歌碑の建立にも尽力されました。
最晩年には三日女邸に、ご子息やごく身近な俳人が集まって和やかな俳句会「花」を催しておりました。そのお仲間のひとりに入れて頂いていたことを嬉しくなつかしく思っております。
ここに遺された膨大な数の三日女作品のなかから数句を抜粋して、今いちど心にしみじみと味わってみたいと思います。
黄蝶ノ危機ノキ・ダム創ル鉄帽ノ黄 八木三日女
紅茸の前にわが櫛すべり落つ
紅き茸礼賛しては蹴る女
満開の森の陰部の鰓呼吸
マラソンの足扇形に滝の使徒か
百足百匹洗骨の儀はすみしかな
産卵の亀の涙が溶けた潮
尚 2月22日、堺中央メモリアルホールにて告別式が催されましたので、私も参列させて頂きました。その際、祭壇の片隅に色紙が飾られてありましたので、そっとひかえて参りました。ご子息の下山晃氏と俳人の夏石番矢氏の弔吟でした。
残雪や赤い地図から三日女消ゆ 夏石 番矢
いま二月女装の騎士をいま弔う 下山 晃 (雅号 響太郎)
謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
三日女ゆく風花のよう童女のよう 洋子
2014年2月 更新
句集紹介
川柳 「六福神」 渡辺 隆夫 著 本多 洋子
渡辺隆夫氏は、1995年第一句集「宅配の馬」を発刊されてから3ー4年毎に、他に類をみない独特のスタンスで句集を発刊されている。これまでに「都鳥」「亀れおん」「黄泉蛙」「魚名魚辞」など発刊の度にセンセーションを巻き起こしたのは周知の事である。結社ではバックストロークにその終刊まで川柳作品を掲載されていたが、現在氏の川柳作品が見られるのは点鐘誌においてのみ。所属に拘ることなく、独特のエスプリを効かせた作品を、句集にして世間に発信し続けておられる。
今回の「六福神」の表紙帯には成田利一氏が次ぎのように書かれている。
蓮の花 二人で乗って一人落ち
人を愛し、人に背くニューマン工学を、正気と痴気のカオスをもって、俗列を遥かに越した奔放な野面を展開している。川柳と俳句のハイブリッドで利かす特異なエスプリの笑い泪は、正に人間の性根を掘り続ける作者一流の解体白書とも言えよう。 成田 利一
序には「真面目な助平」と題して、らふ亜沙弥さんが、親愛の情をこめて「こんなに真面目で不真面目な句が書けるのはタカオさんしかしりません。川柳の批判性と俳句の痴呆性を併せもった鬼才なのです」と書いている。
私なりに選んだ十句ほどを挙げてみる。
極楽の招き猫です曼珠沙華
逸楽の犬ふぐりです落玉華
君が代を素直に唄う浪花のポチ
ポチが唄えばタマも唄うか
キッスまでゆけば上々走り梅雨
蓮の花二人で乗って一人落ち
毀れつゝ地球に秋が来ています
寒うて自分やら死体やら分からへん
人類や弔辞読んだり読まれたり
人類の誰が最後に死ぬでSHOW
さて渡辺隆夫氏が京都工芸繊維大学で、ショウジョウバエの研究をなさっていた頃、点鐘散歩会で大学の、暗いごちゃごちゃした研究室にお邪魔したことがある。猩猩バエのお酒好きなこと、繁殖が早くて遺伝の研究にもってこいの事、ニコニコと楽しそうに語られた事を思い出す。当然その時にも校内の一室をお借りして、句会を開いたのだけれど、その時の隆夫氏の作品には次ぎのような一句があった。
大学のカレーを食ってオバサンも卒業 渡辺 隆夫
あつかましくも、川柳のオバサン達は、昼食に学食のカレーを頂いたのである。
2014年1月 更新
現代詩 現代詩
こおろぎ
日本詩人クラブ 德永 遊
「淋しい晩ですね」
少し枯れた声のおさななじみの
優しい育ちゃんが声をかけた
転がる鈴のように秋の虫が鳴いている
路地裏のブロック塀のこんな所にも
ほのかな月の光が射して
行く先もないように消えて行く
かすかに遠い電車の音などもして
「おから炊いたからあげます」
路地裏を跨いで育ちゃんが来た
ぷ〜んといいニオイのするおからです
「ありがとう あなたは本当にいい人ですね
私はあなたが大好きです」
こんな恥ずかしいことを
死ぬまでに一度言ってみたかったのです
こおろぎがぷっと
おからの屁を吐いた
現代俳句 現代俳句
春の雨 俳誌 花 甲斐 一敏
記憶とはと首うちふるや蝉カノン
木漏れ日に身さらしユビュ王ふやけ行く
祭り笛ボバリーは村へ帰らない
熟柿啜るゆらりカザルスの鳥の歌
キキョライと鳴くはかはたれ老い鶯
メッキーメッサばらまけ御ぶつ物語
初時雨明日晴れるやゴド―はどこ
語るな歌え歩むな踊れ去年今年
悲しくて笑うほかなし春の雨
めくり癖 俳誌 とちの木 木村美恵子
河骨の黄色きりっと禁煙す
むらさきの風ふきくるよ菖蒲園
手に受けしあぢさゐの青弾みをり
ながし吹く開けしまゝなる農機小屋
夕風の小川で洗ふ早苗籠
噴水の穂の高々と句友逝く
小流れの音のよろしき木下闇
蝉しぐれ社務所は朝のしづけさに
汗巾を買ふて宇治橋渡りけり
秋深し季寄せに残るめくり癖
2013年度
2013年12月 更新
句集紹介 句集紹介
「松田 俊彦 句集」
昨年8月に急逝された松田俊彦さんの遺句集が、俊彦さんに学ばれた「えいの会」の皆さんの手で発刊されました。
句帳として愛用されていたツバメノートの装丁に、厳選の100句が収められています。表紙には直筆ペン字の「松田俊彦」のサインがあります。とてもシンプルでしかも心に染みる温かみのある句集です。
一頁一句だて、しかも選りすぐった100句はどれもしんみりと優しくて、読むほうの心をすっかり和らげてくれます。
こんなに神経の行き届いた句集に出会ったのは初めてです。中の文字印刷に使われたカラーはただの黒色でなく、それは多分俊彦さんが日頃使われていた万年筆のインクの色ではないかと思います。本当に心のこもった素晴らしい句集だと思いました。
巻頭の一句は
きのういた象の姿を見ませんか
で始まります。
ぶらんこを待っていた子がいなくなる
ポストまで妻の帽子を借りてゆく
ひき返すために岬にたっている
出ておいで桜はみんな散ったから
火を消すと近くで水の音がする
待つ場所を間違えていたことにする
おとうとと喪服で入るラーメン屋
木になって待っているからここだから
そうさなあ百年たてば風かなあ
発 行 2013年10月31日
発行者 with えんの会
連絡先 中野 六助
606-8030
京都市左京区吉田中阿達町18
シオン 6
2013年11月 更新
現代詩 現代詩
ダリア
日本詩人クラブ 德永 遊
滅びゆく一族には
夜中に汽笛が鳴るのだそう
皆の嗚咽がひとつになって
哀しい汽笛になるのだそう
それから汽笛は長い尾を
引きずりながら夜明け前
霞の中に消えてしまうのだそう
秋雨の降る夕暮れ
車を走らせる
ワイパーをかけて溜まった雫を
振りはらう
そこに現れたのは
シュパッと青い炭酸水のような
鮮明でドキドキする
なんとも切ないこの世です
この切なさを消してはダメ
残り火のようにチロチロと燃える
この切なさを消してはダメ
これがために私たちは生きられる
生きねばならない
目の下の隈が融けるように
いやそれは隈ではない
ダリアだ
真っ赤なダリアだ
2013年10月 更新
句集紹介 句集紹介
連句集
蛙 山崎蒼平 監修 連句蛙の会 編
これは川柳作家五人を連衆として巻かれた連句の句集である。
三十六歌仙「青嵐の巻」 「重陽の巻」 「小春の巻」 「春嵐の巻」 「香水の巻」 「菊の巻」
「寒雪の巻」 「春装の巻」 「菊節句の巻」 「「雪の峰の巻」 それと百韻「金魚の巻」が収められている。
ここでは季節がら「菊節句の巻」を紹介させていただく。
三十六歌仙 菊節句の巻
初折表 秋 菊節句めでたや盤寿迎えけり 蒼 平
月 齢重ねて今が月の出 正 冶
秋 禅寺に映えたる熟柿まん丸に 麻 子
雑 梢ゆらして小鳥ついばむ 文 子
夏 見つめればなお透きとおる水母かな 和 美
夏 空蝉残しわれは飛びたつ 蒼 平
初折裏 雑 原発の汚染引きずる虫の数 正 冶
恋 おそるおそると触れるくちびる 麻 子
恋 告白の瞳まっすぐ燃えあがる 文 子
雑 花火を散らすライバルの肩 和 美
雑 母こそは拳の中で守る指 蒼 平
雑 落ち目になると頼る守護神 正 冶
冬月 月も子も羽子板市へつれてゆく 麻 子
冬 雪だるま立つ校庭の隅 文 子
雑 泣き顔の後ろにつづく影法師 和 美
雑 紙の帆張って妻と出る海 蒼 平
花 風受けて園児を撫でる糸桜 正 冶
春 雛祭りには弟も呼ぶ 麻 子
名残表 春 父からも訓示長男卒業す 文 子
雑 本積んだまま鳥の声聞く 和 美
雑 若い日の夢だよ今日も飛びたいね 蒼 平
雑 気流を掴むハングライダー 正 冶
夏 エスケープして波乗りに行く日和 麻 子
夏 久しき避暑地仲間集まる 文 子
雑 綿雲の行方は知らずひとり旅 和 美
恋 玉蟲色に恋す八十路の 蒼 平
恋 仏壇の鉦が色香を響かせる 正 冶
雑 声を沈めて手打ち酒呑む 麻 子
月 いずこにかハミング月の砂漠行く 文 子
秋 盲導犬も赤い羽根つけ 和 美
名残裏 秋 鬼灯や老いても火の玉になれる 蒼 平
雑 拳握って笑う赤ちゃん 正 冶
雑 明日いくつ重ねて虹の絵を描く 麻 子
雑 青きペン先伸びる家系図 文 子
花 満開の桜に吊るすぶうらんこ 和 美
挙句 春 雛壇歓喜自民満開 蒼 平
菊節句の巻 平成24年10月26日
平成25年3月22日
連衆 山崎 蒼平
瀧 正冶
古俣 麻子
松井 文子
藤原 和美
山崎蒼平氏のプロフィール
1931年生・1950年に川上三太郎氏より雅号を蒼平と命名される。
1972年中村富二主宰のaの会を創立。
1992年「現代川柳 隗」を創立
2007年年 集結 柳暦63年 著書多数。
句集「あとがき」によると
2009年頃より 隗の同人であった藤原和美さん・松井文子さんなどの声かけで何かを始めようということになり、古俣麻子さんや瀧正冶さんも加わり五人で連句の会を始める。それから五年を経て今回の連句集の発刊の運びとなったという。
『川柳作家による長句、短句の妙、五名の付け合いの間などをご笑覧いただきたい』としたためてある。
連句集 蛙
2013年9月9日 初版発行
編 者 連句蛙の会
監 修 山崎 蒼平
発 行 新葉館出版
2013年9月 更新
現代俳句 現代俳句
青の時代 俳誌「花」同人 甲斐 一敏
忘却とは生あたたかき花吹雪
夕桜鳥の歌聴きうなだれる
覚めやすい夢の入り口に端居して
端居して気狂いピエロ呼び寄せる
階段を下れ下れ青の時代まで
河童忌や象亀鼻歌歌えない
夕立ち過ぐまなかいに豹柄点滅す
駝鳥走れ方舟あたふた補堕落へ
狼も蛍もなく麦酒かな
2013年8月 更新
現代詩 現代詩
空 日本詩人クラブ 德永 遊
確かに母という名のその人は
八年前この椅子に腰かけていた
今私が腰かけているダイニングのこの椅子に
そして五米ほど離れたベッドの上と
この椅子の間を一日二回往復していただけだった
一日二回の食事に車椅子に座らせて
ダイニングテーブルへ連れて行く
そして下手で貧しい私の手料理を
まずいとも言わずもそもそと口を動かし
お茶を飲みして食べてくれた
あの何ともなつかしい可愛らしい顔をした
かわいそうでかわいそうでたまらない
母という名のその人は
八年前居なくなってしまった
家が傾いた頃に迎えた母の終末が
かわいそうでたまらなく
私はなるべく明るく振るまっていた
半分自分がわからなくなっている母を
ひとり残して悪人の私は逃げ出すように
よく出かけたものだった
それなのに母は
“気い付けて行くのやで”とベッドの中から
声をかけて私を励ますのだ
母の居た部屋から見える空は
今も変わらない
現代俳句 現代俳句
夕簿暑 俳誌とちの木 木村美恵子
仏舎利のあかくちいさくかぎろひぬ
散水栓きっちり閉めてチュウリップ
潮風の舞子や松の花盛り
阿国忌の水は光りに吹き晴るる
南座は川の辺りや柳絮飛ぶ
盛砂の崩れてゐたる夕簿暑
倒けさうで倒けぬをさなの川遊び
滝壺は青き地球のまなこかな
万緑のこゑとなりけり水の音
滝風を纏ひて下る箕面山
2013年7月 更新
句集紹介 句集紹介
川柳若葉の会 100回記念
若葉の句集 Ⅲ
句集の前書より抜粋
≪この6月、若葉の会は、2005年3月の第1回から、月に1度の勉強句会を重ね、節目の百回を迎えることとなりました。第二句集から3年経っての「若葉の句集Ⅲ」ですが、この間に、あの東日本大震災をはじめ、大きな災害、事件がありました。また私たち若葉の仲間にも、つらく、悲しい別れがありました。月に1度いつもの場所で、いつもの仲間と川柳を楽しむ、そんな変らないひとときの大切さを、改めて感じた3年でもありました。≫
B6版40頁のこの小冊子には、会員18名の3年間の作品の中から、選りすぐった各14句づつにタイトルをつけて、短いコメントと共に体裁よく編集されている。文字どおり、「若葉の会」の名にふさわしく、若い会員の方々の、川柳に対するみずみずしい情熱と意欲が、ひしひしと伝わってくる。この欄で全部を紹介する訳にはゆかないが、その一端を覗いて頂けるように、ひとり1句づつを次に掲載させて頂こうと思う。
ユトリロの遠近法に棲む孤独 石田 和雄
黒豆が問うことあってお正月 出雲寺 紘
さえずりに迷いたくなる風の径 伊藤 礼子
満天にひとり一音ハンドベル 乾 妙子
大空の端で一服 帆のこころ 越智ひろ子
ゆっくりとドライフルーツになる女 籠 明子
夢に乗り星を目指して船出する 蒲池 直恵
初盆の父からもらう星の地図 斉藤 和子
厭離穢土残る時間は薪を割る 重田 和子
洗ったら色が戻った空の青 鶴田 幸江
たゆとうて水母の独白ばかり浮く 那須 明夫
親展という夕焼けを送られる 西田 雅子
じゃらんじゃらんブリキの勲章ぶら下げて 野村 笑吾
凛としたハンサムウーマン野水仙 馬杉とし子
仏にも鬼にもなれず喜寿の春 万 代 勉
未決箱たまりに溜まり自爆する 目加田邦子
賢者のようにこの世をなぞる風ぐるま 元永 宣子
いっときのことかもしれぬ風の箱 和田 洋子
平成25年6月11日 発行
発行 川柳若葉の会
編集 越智ひろ子・西田雅子
2013年6月 更新
現代俳句 現代俳句
≪花≫句会作品より
海岸市道 俳誌「花」 八木三日女
人さそう茶の間にゆずをころばせて
思い草あゝその辺に置いといて
古びたルノーで海岸市道飛ばすのよ
ファーストキスああ秋晴れのエーゲ海
宿り木にすずめの尻尾とんとんとん
白詰草昨日の約束忘れたよ
しゃが咲いておつりをさがすあねいもと
虫虫虫素直な枝にとんでゆけ
うなだれている桔梗私が植えました
チョコレートのどをまさぐり梅雨はげし
2013年5月 更新
現代詩 現代詩
春 日本詩人クラブ 德永 遊
思い残すことはないかって聞かれて
思い残すことはいっぱいあるって答えて
それは一体何だって聞かれて
よく考えてみたら何も無いのです
半分見えにくくなった視力のようなものです
見よう見ようと思っても
何だかいつまでも焦点が合わなくて
何か異物がくっついているかのように
何か嗚咽が止まらなく切なくて悲しくて
訳がわからないものです
それは病気なのか
春の魂のようなものなのか
この世のものではないのか
昨夜散り吹雪いた花びらのようなもの
しみったれた街角に置き忘れた
こうもり傘から垂れた雫のようなもの
明け方近く激しく気ままに
雨戸をたたいて去って行く風のようなもの
2013年4月 更新
現代俳句 現代俳句
麦こがし 俳誌 花 同人 甲斐 一敏
三月の海リリコリリコと鳴く鴎
春の雷不意と大仰にストラビンスキー
爆弾になりたくてなりたくて春キャベツ
雪解風長寿遺伝子穴を出る
麦こがし三日女にむせたことなくもなし
花疲れ千年の愉楽抱き寝袋へ
あかまんまの花歌わず芋食わず
2013年3月 更新
現代俳句 現代俳句
正倉院展 俳誌 とちの木 同人 木村美恵子
冬近き正倉院展へ長き列
うそ寒の肩先揃へ館に入る
行く秋の螺鈿の光る琵琶の背ナ
つき
秋深き坏は太古の海の色
秋燈に悠久の瑠璃泛きにけり
ことだまのごときさいころ身に入めり
宝物の鑑賞疲れやレモンティー
枸杞の実のあかき薬膳料理かな
雨上がり雲の小走る新松子
色変へぬ松に雨後の日ちちのこゑ
鹿に逢ひ仏に逢ひぬ火宅かな
鹿の目の澄みきってゐる櫨もみじ
2013年2月 更新
現代詩 現代詩
雨の戒壇院界隈 あんだんて同人 柴本 菊乃
ところどころ漆喰のはげた築地塀
その下のほそい溝に
華奢な白い花をみつけた
なつかしい たねつけ花
雨の日に似合う野草
戒壇院の
ゆるい勾配の石段を登りきった時
うぐいすが鳴いた すきとおった声
鳥たちは梢の葉の繁みで
しずかに雨のやむのを待っているのかと思っていたが
やっぱり雨がすきだったのか
満足そうに鳴いていた
2013年1月 更新
現代詩 現代詩
月夜の袋 詩誌 あかぺら 德永 遊
月夜の道を歩いている
月夜の道を袋をひっ提げ
とっとかとっとか歩いている
袋の中は
親だの子だのの肉体だ
時々 手を入れて
指を入れて
歩きながらかき廻す
血や骨や関節や腸管や
髄液やリンパ液や
その他もろもろのものを
ガシャガシャと
サラサラと
クネクネと
音を立てて
耳で聞き
指で確かめる
(確かにここにあるのかと)
道ですれ違う人も
袋をひっ提げ
俯いてかき廻している
月というものが出ている
衰運の夜である
2012年12月 更新
現代俳句 現代俳句
受診 俳誌 とちの木 木村美恵子
戦を知らぬ父と子水鉄砲
蟻の道古戦場へとつづきおり
荒城の石より焼くる真夏かな
人間にことばのありて泉湧く
着陸の翼を打てり大夕立
南京の花ほっこりと旅便り
はたて
夏が逝く十勝平野の果より
番号で呼ばるる受診秋暑し
割り箸の歪にわるる走り蕎麦
ポケットのなき服が好き女郎花
2012年11月 更新
現代俳句 現代俳句
海月旅 俳誌「花」同人 甲斐一敏
海月旅気狂いピエロの首軋む
胡桃割る向うは明るいのだろうか
科学の子木漏れ日にうなじ軋ませて
本棚の古層あたり赤い月
鰯雲軋みつ溶ける背びれかな
眠り浅くヌサモトリアヘズ濁り酒
桔梗きりり忸怩忸怩と日が軋む
初時雨かさぶたのごとき文庫本
冬の雷シェーラザードの声軋む
月光を浴びスチャラカチャカポカ夢の中へ
現代詩 現代詩
私の首に顔がある
詩誌 アカペラ 德永 遊
前から思っていたことです
けれど今まで言ったことは無いです
私の首には顔があるって
それも父の顔です いや父の首です
父の首はいやに喉仏が突出していました
人様よりずっと大きくて
喉仏は男の象徴みたいなものだと
私は前から思っていました
けれど父を想い出す時
その特徴ある喉仏を想い出すのです
私はつくづく自分を鏡に映して
いやに首が気になるのです
いや本当に鏡の私の首のところに
髑髏のような顔が見えるのです
だから私は父と一緒に居るのだと
少し安心するのです
生前の父は大安心を会得するために
生きていた人です
私もそうです
如何にしたら安心を得られるのかと
思っています
何かいつも妙に淋しく不安です
この歳になっても駄目なのです
何をすれば良いのか
どうすれば満たされるのか分かりません
この世は一生修行だと言う人がいますが
私は幸せになりたいのです
つまりは欲が深いのです
いや欲ではありません それが普通です
このごろ詩も書いていません
言葉なんてものは何の意味があるのですか
この世は欺瞞と自己保身 欲に満ちています
人間そのものがいや生物そのものが
そのように生かされているのでしょう
勝ったものが残っていく
弱いものは淘汰される
これは自然界の掟なのでしょうか
人間だけがそれに対してブツブツと
文句が言える
私の首に居るお父さん
私が生きている内に
一緒にブツブツと文句を
言わせていただきましょうね
2012年10月 更新
現代俳句 現代俳句
不在地主 俳誌海程同人 竹内 義聿
遥かなる百済近くなる下町
明るい真昼殺風景にグラスありぬ
夾竹桃女生徒に道尋ねられ
常夏の葦あおあおと音立てる
駒鳥の歯切れ良い朝児童図書館
貨車通る町がほとんど万葉集
その時何が鳥居を潜り振り返る
はまなす
廃線に玫瑰ハニホヘトイロハ
もどかしいほど虫すだく不在地主
深夜わがイエローカード窓明り
2012年9月 更新
現代俳句
句集紹介
「卑弥呼の空」 俳誌「苑」同人 次井 義泰
作者あとがきには次のような一文がある。
『句集名を『卑弥呼の空』としたのは集中の「命蒔く」の章の
初茜卑弥呼の空と思いけり
から採ったものである。・・・この句は、今年ふと、農民であった祖父が毎朝太陽に手をあわせ拝んでいた幼児の記憶が蘇り、農耕が定着した卑弥呼の邪馬台国では、人々は現代の私達以上に天体の運行や自然の移ろいに対する畏怖の念を持って日々を暮らしていただろうとイメージが膨らんで成ったものである。』
句集は平成17年秋冬から平成24年冬春まで八章に別れ
雁渡る 行く春 青時雨 遠花火 鯊日和 秋澄む 稲実る 命蒔く
の各章に 人間味あふれる温かい作品が並ぶ。
次に作者自選の十句を揚げてみる。
初茜卑弥呼の空と思ひけり
闇を梳くライトアップの糸桜
キャンパスに創始者の像青嵐
原子炉へ入るロボット五月闇
山国の昼の閑かさ草刈機
夜の更けて達者ばかりが踊りけり
だんじりの響き伝はる茅淳海
天高しコシノ洋裁店二階
牧水や李白や新酒酌み交はし
絶対は否定の副詞開戦忌
大鍋 俳誌 とちの木 木村美恵子
少年に色のやさしき山つつじ
ボール蹴る父子にさくら吹雪かな
亀鳴いて四阿の隅くもりをり
筍を湯がく大鍋借りにゆく
繰り言の多き母なりカーネーション
よしきりの葭のはびこる隠れ里
あめんぼの水に流れのなかりける
巻紙の墨匂ひたつ薄暑かな
少年の声いきいきと捕虫網
すこやかな五臓にひびく滝の音
2012年8月 更新
ああ 佐々馬骨さん
川柳北田辺で何回かお目にかかった佐々馬骨さんが、去る6月7日逝去されていた。とても寡黙な方で、ユニークな作品を創られる方だった。
亡くなられてから「隕石抄」という俳句集のあることを知った。
俳句では佐々木秀昭と名乗られていた。巻末の著者略歴の中には、
1954年京都府に生まれる。現在無所属とある。本当に宇宙から隕石のように飛来されて、また次の星へと飛翔されたように思う。句集の帯に、 短歌から俳句へ。ストイックな夢の残照 とある。 合掌。
隕石抄 佐々木秀昭
美しきサイコロほどの火事ひとつ
散紅葉二重まぶたの猿をみて
冬トマト茹でつつ君の死を願う
隕石の中に淡雪眠りたる
やわらかき殺意も見える桜かな
春の虹ひと色欠ける旅もある
万緑にまぼろしを見る途中かな
呼べば咲くねじ式である白牡丹
うたがへば万世一系夏の月
虫売りの父が呼び込む美少年
作者自選10句
2012年7月 更新
現代詩 現代詩
普通の人 詩誌 あかぺら 德永 遊
心は暗くて憂うつなのに
鏡に映して安心する
あたしって明るい顔してるんだ
何てことはない
深刻なものは何もない
これだったら何人でもだませるよ
これだったら普通の人で通るって
顔と心は別のもの
心は暗くて憂うつなのに
顔は気さくで明るくて
お調子者ときた日には
まんまと何人だませるか
これなら大また歩いても
ふつうで通る ふつうで通る
ふつうの人で通りゃんせ
ふつうの人が一番いい
2012年6月 更新
現代俳句 現代俳句
飲酒雑景 俳誌 花 甲斐 一敏
マテイニー二杯過ぎにし春のことどもよ
牡丹の崩れ行く待つリースリング
なが雨や尖りし一個の蛍消ゆ
ビター一杯内ポケットより蝉時雨
夕立走るうつうつの棒ひょうと融け
青鈍の空映すウオッカ鳥帰る
浄められた夜豚鱈茸(なば)ひとつ鍋
泡酒の白魚のひらり春の闇
吟醸一献ギャテイギャテイ春の雨
泡酒やなすべきことぽよんぽよん
忘憂幾許夜来風雨五月尽
骨密度 俳誌 とちの木 木村美恵子
なりはひの潮を読みをり懐手
鉛筆の芯尖らせて初句会
梅咲いてまた下がりゐし骨密度
凍て滝の音なき音の青さかな
ゆるやかな坂に雨降る茂吉の忌
料峭の疎水の辺り歩きけり
朝まだき結界石に春の雪
義母の忌の葉牡丹くくのたちはじむ
適塾の教室狭き楓の芽
春寒し水の模様の白砂壇
現代詩 現代詩
つぶやき 大阪狭山市 八木 侑子
今はもう同窓会で逢うだけとなった高校時代の友から突然届いた初夏の贈り物。封を切ると歳を経てすっかり茶色になったザラ紙に謄写版刷りの五十数年前の大学の文芸クラブ誌。 この詩を書いた昭和三十一年は中野好夫が「もはや戦後ではない(文芸春秋)」を発表後に戦後論争、独占資本主義確立論争などがおこり、五味川純平「人間の条件」がベストセラーとなり、大衆社会論争がはじまった頃。まだまだ戦後が色濃く尾をひき時代が大きく揺れうごいていた。そんな時代の一回生の硬いちっちゃな私のつぶやき。
生 川端 侑子
灯火が水面をもがき
光のつぶをまいている
白くうごかない釣り針
血走った目を
褐色の藻から離さぬ
(チカッ チカッ)
色のぬけた蟹
きれぎれの鋏
肉のふやけた赤紫の貝
(チカッ チカッ)
みんな中空を求めたのだ
波止の先から
生の大海を求めたのだ
------冷気-------
2012年 5月 更新
現代俳句 現代俳句
象あざらし 海程 竹内 義聿
蛇穴を出る日舌出し嚥下体操
二月かな土壌を深めゆく祀り
ヤドリギに鳥発ち地球白みたり
地下鉄にあざらしがいて花筏
輪廻転生叶わぬ椅子の廃棄物
旅人は商人菜の花に水路
沸々とさくら三月十一日
波乗りの半身椅子に在りリハビリ
焼却炉に青い月夜の象あざらし
駅前にして駅裏の町である
2012年 4月 更新
現代俳句 現代俳句
うろこ雲 俳誌 とちの木 木村美恵子
栴檀の実の真っ青に父の恋
はなびらとなり降りて来ようろこ雲
みの虫の蓑の暮れきり生活の灯
姫路城二句
小鳥来る城は修理の最中なり
お菊井の水面の暗き石蕗の花
すぐそこに西鶴の句碑暮早し
須磨水族園
横顔よろしきかじき冬うらら
山墓へ父の匂ひの落葉踏む
大和路の風の乾きし柿のれん
大根の穴に雨降る検診日
現代詩 現代詩
ずっと 詩誌 あかぺら 徳永 遊
風が吹いていた
明瞭で透き通った光が射していた
光にも風にも
かすかに早春のニオイがした
季節はずれの風鈴が鳴っていた
寒いけれど心地は好い
峠を越した風邪だが
気管支炎を患っている胸は
まだ少し息苦しく痰混じりの咳が出てくる
ツーンとした冷気の中
どこからか少し酢酸のニオイもする
洗濯物を干している
洗濯物の影が透明な光の中を
斜めのグラデーションの影絵になって
揺れている
風がガラス戸や
はずし忘れた風鈴や電線を叩き
音を出して自分の存在を確める
お母さん
こんな日に私を
産んでくれたのですか
寂しいが故に
子を産んだのだと言って下さい
そして その子である私もまた
寂しいが故に子を産んだのです
お母さん
この寂しいはずっと続くのでしょうか
あの山のはるか彼方の空の果てまで
ずっとずっと
続くのでしょうか
2012年 3月 更新
現代詩 現代詩
雪 詩誌あんだんて 柴本 菊乃
Tさんとこの おばあちゃんは
今日のような
花冷えの日には
炬燵にはいって
あの雪づくりを
しているでしょう
「昔はこの辺も
よう雪が降ったもんです」と
話かけながら
紙を幾重にも たたみ
先のとがった洋バサミで
紙を切る
毛すじほどの
細部も
切ることで 生み出していく
新しい造形は
もう一枚の紙でなく
六角形の
雪の結晶に 表現され
物体になって 音さえも
その物になりきる
やぶれないように
細い線を しずかに
ひろげる時ができ上がり
花や野菜もつくる
百合
かぶら
ほうれん草
種をまいて 収穫まで
一気にハサミをうごかす
畑仕事ばかりにつかってきた
太くどっしりとした指に
老いのうつくしさを
かいまみる
「眼もだんだん 弱ってきました これは子達のおみやげに」と
水ようかんのきれいな空箱に
今 できたばかりの
雪や野菜を入れてくれる
ふしくれだった手の甲に
とても簡単なことやと 云う
秘密がかくされている
2012年 2月 更新
現代俳句 現代俳句
春の闇 俳誌 海程 竹内 義聿
明晰に夜が来る羅漢晴ればれあり
梳るリアルタイムに枯木灘
煮凝にこころ驚く春の闇
此処の市張り合い頷き合い離散
界隈に神社とコンビニ一月なり
段々畑を行くごと何棟何階何番地
糸瓜忌の操作場楽屋のごとくあり
なでしこジャパン日本語が亡びるとき
韮の花ガード下から歌起こる
挨拶をすれば蝮の負けである
2012年1月 更新
現代俳句
現代俳句
リリコ 俳誌 「花」同人 甲斐 一敏
冬岬リリコリリコと啼く鴎
鮟肝くちゅりポリーニのパセテイック
浄められた夜豚鱈茸小鍋立て
キテイちゃん行こか戻ろか喜屋武岬
たたき牛蒡噛み噛み歯噛み去年のこと
松竹にクリムト投げ入れ鳥雲に
海の青空の青飛魚韜晦す
飯蛸の飯食めば緑なす鐘の音
山羊祀る夕陽はよう鎮まりなされ
ミモザ咲きましたかと耳なし芳一
現代詩 現代詩
たとえば 詩誌 あかぺら発行 德永 遊
たとえば
帰宅して
山積みされたお茶碗を
放ったらかしにしたまま
寝てもいいわけだ
もうそこで時を止めることも
できないわけではない
こんなに降り続くすさまじい雪のせいにして
けれどそこで
何とはなしに出たため息をひとつして
皆目わからない私に
夢中になることもできるわけだ
降り積もる雪を見ていると
もうこのまま私を止めてしまおうか
父母って何だろう
夫婦って何だろう
兄弟 友人
生活そのものって何だろう
なんとも生温かいこの身体って何だろう
その中を流れる血や液体って何だろう
一皮剥けば神秘そのものの
宇宙になってしまう
さもありなんと拡散する雪
雪を被って黄色い花が下を向いている
雪が陽で溶けると
またピンと頭を上げるんだろうなぁ
2011年12月 更新
現代俳句 現代俳句
盧遮那仏 俳誌 とちの木 同人 木村美恵子
夏雲を光背とせり盧遮那仏
告別の支度ととのふ蝉の声
土砂崩れくづれしままに蝉鳴けり
扇風機の風やはらかく臥せてをり
心太柱に古き刀疵
包丁の刃先の欠けし今朝の秋
禁煙をはじめて三日新豆腐
世界一低き山頂銀杏の実
艦艇の国旗はためく水の秋
さはやかに渡しの人となりにけり
2011年11月 更新
コラボ
漢詩 漢詩
&
川柳 川柳
初めての試みですが、寄せられました漢詩に
共鳴して川柳を競作してみました。
漢詩 「風雅明吟」主幹 石田紫園
月下吟 仄起式下十一尤韻
、、。。 、、* ひゃくせき
月色玲瓏百尺楼 月色玲瓏 百尺の楼
。。。、 、。* ばんきん
今宵三五萬金秋 今宵三五 萬金の秋
。。、、 、。、 まんち はる
清光満地美人杳 清光満地 美人杳か
、、。。 。、* ついろむせい しげ
墜露無聲蟲語稠 墜露無聲 蟲語稠し
。、。。。 、、 えん
鴎鷺開筵詩未就 鴎鷺筵を開くも 詩未だ就らず
。。、、 、。* じょうが
嫦娥入座酒堪酬 嫦娥座に入って 酒酬ゆるに堪えたり
。。。、 。。、 そうし
明朝迢逓相思別 明朝迢逓 相思の別れ
、、。。 、、* ぎんじょう
一脈吟情一刻愁 一脈の吟情 一刻の愁ひ
川柳
相思 本多 洋子
高層のビル発芽せり月の色
装いて月は仮面を取りはずす
露しげし 虫の談合つづくなり
連絡をお待ちしてます ちちろ虫
風雅の邪鬼も酔眼朦朧
仙人も車座におり興じおり
明け近し相思の月と別れねば
哀しみのグラデーションの中にいる
2011年10月 更新
現代詩 現代詩
グッドバイ "ザ めしや"
詩誌 あかぺら 德永 遊
"ザ めしや" を出た親子三人は
車に乗ってまたもや
棺桶のような家に帰るのだった
行く手向こうの闇の中から
青いネオン赤いネオンが交互に
さんざめいている
"私たちは何処へ消えて行くのだろうねぇ"
豆腐とひじきとカボチャの煮付けが
胃の中でチャポチャポひっくり返っている
"またもや明日が来るのだろうか
自信ないよ"
何だか心の底から嘔吐にも似た
ケダルサがジンワリと襲ってきた
私は娘の首を掴んで
欠けた月へ放り投げてしまった
2011年9月 更新
現代俳句 現代俳句
蚊食鳥 俳誌 とちの木 木村美恵子
春惜しむ明石やたこのやはらか煮
魚糶のはじまる桜東風の中
甲板の話しの弾むみどりの日
手話の子の目のいきいきと五月かな
桜の実ベンチに傘を忘れ来し
ひとり泣きつられて泣く子さくらの実
梅雨寒のがらんと女性専用車
人を待つ子午線の町濡れ燕
潮風は青田の波となりにけり
石切りの山膚白し蚊食鳥
2011年8月 更新
現代俳句 現代俳句
ルピナスの種 俳誌 「花」 甲斐 一敏
男らが無為無為無為と桜餅
吉良常は何か言うたか揚雲雀
景色濃くうつうつと独活の皮を剥く
フクシマの海空水玉の鯨跳ぶ
ルピナスの種アリス婆フクシマに蒔く
軽薄でありたくてありたくて紋白蝶
向日葵野ざしきわらし瓜食らう
八月の葱焼き齧る鉄腕アトム
ジパングに犬猫牛馬百物語
遠き雷笑い死にそうな夏ありて
テトラポット 俳誌「海程」 竹内 義聿
青虫も毛虫も一途投票日
ケータイとうめぼし反省っぽい気分
花の雨計器衒う信あるなり
母が居た頃の布巾と紋白蝶
亀が鳴く夕べ存在感しきり
空港という風土記生む豊葦原
馴染まず馴染む海灰色のテトラポット
地蔵より鮮烈 路地の八百屋の顔
天幕の内側夜明け星うごかず
摂りたくなる顔と戦場カメラマン
2011年7月 更新
現代俳句 現代俳句
青 嵐 俳誌「幡」同人 辻 弘斗
青嵐きみを緑に染めにけり
狂言の鉦はこびくる青嵐
約束を見降ろしてゐる棕櫚の花
メロンの香吐き出してゐるエレベーター
寿司折に残りし葉蘭梅雨湿り
明け易しベッドに添ひて妣の影
斑猫に導かれきて大観峯 〈阿蘇〉
足止めて聴く鱧の骨切りし音
2011年6月 更新
現代俳句
現代俳句
百年生きて とちの木 同人 木村美恵子
山車蔵に日暮れきてゐる寒椿
大凶のみくじ大寒の日に晒し
幾万の墳の葺き石春を待つ
いにしえの火の手は知らず梅真白
やっぱり好きです紅梅の空のいろ
存分に梅のにほひの誕生日
鳥声や嬉々と二月の川流る
内濠の水の平らに春の鴨
百年を生きて花種蒔きてをり
ふる里は魚島時か屋根普請
2011年5月 更新
現代俳句 現代俳句
三角巾 海程 同人 竹内 義聿
あざらしとカトレア頷き合っている
春の雲みたいに長岡診療所
葱畑五丁目の夕日にテニスクラブ
蓑虫が鈴生り天に耳耳耳
凍蝶を三角巾に包みけり
万両と対面をして我在りぬ
落葉が好きな優しい犬で手に負えぬ
三時のあなた並木道から遥々と
ローソクを灯せばあたり森の中
雪の日の鴉書店と交信する
2011年4月 更新
今回の大震災で肉親や兄弟を亡くした方が沢山おられます。
まだ きっと現実を認めることが出来ず、悪夢であったらと思っておられる方が多いことでしょう。
昔懐かしい姉弟の、心あたたまる詩を見つけましたので、今回の招待席は次の一片にさせて頂きます。
姉 弟 柴本 菊乃
鞍馬へ行った時に
生まれてはじめて
雪をみた二才の息子
まだおしめをしていた
ちいさい手のひらで
いっぱい雪をすくって
砂のように手から落とすけれど
さらりとはいかない感触を
なぜの顔をして
なんかいもくり返していた
一郎 これ雪いうねんで
雪食べてもええねんよ
姉らしく説明している
服もズボンも濡れているのに
平気で手をまっ赤にして
雪と遊びながら
雪を食べている姉と弟
ずいぶん昔のことなのに
そうは思わない
思えない
2011年 3月 更新
現代詩 現代詩
おユキさんと亀 詩誌「あかぺら」 徳永 遊
おユキさんは疲れると
大きな亀の上に乗って
ジダンダすることにしている
亀はそんなおユキさんを
キライなのだけれど
なんせ動きが鈍いのでどうしようもない
それをちゃんとおユキさんは知っていて
「あ」も「い」も言わさず乗ってしまうので
亀はもうすぐに諦めるのである
何故に神様は私に大きな甲羅を
お作りになったのだろう
と亀は時々考える
おユキさんを乗せるためか
はたまた自分の意気地無さが暴かれた時に
こっそり頭や手や足なども隠せて
”知らぬ存ぜぬ どうにでもしてくれ”と
石のようになれるからであろうか
裏返しになってしまったら
その丸い甲羅のために
中々起き上がれなくて
自分で起き上がろうと必死にもがく内に
頭や手や足がニョキニョキと出てきて
そのおそろしい正体がはじめてわかるだろう
それなのにおユキさんは
全くそれを知らない
けれどとにかく
自分は動きが鈍いので
あの短気者のおユキさんにとっては
この上ない安らぎの揺り籠になるらしい
現代俳句 現代俳句
待 春 俳誌 「幡」同人 辻 弘斗
あす蝌蚪になりさう紐のやうなもの
折鶴に春分の陽のやわらかし
セピア色の記憶のなかの二日灸
立たせたき人あり水路閣待春
パソコンが感情を持つ夜半の春
春一番合唱隊を攫ひけり
ケイタイのむかふも聴いてゐる雪崩
剪定はたしか面皰のやうなる芽
刃物市 俳誌 「とちの木」 木村美恵子
水切りの水の澄みきる忌明かな
しなやかな風をまとひて秋遍路
はらからのみな逝きにけり草の花
霧深き島や男の磯料理
神留守の雨の降りこむ刃物市
鍼灸の腰をなだめて走り蕎麦
連峰は雲の中なる草もみぢ
さるぼぼに目鼻つけたや時雨宿
音もなく小道に雨の白秋忌
耳朶のほてりて終わる忘年会
2011年2月 更新
現代俳句 現代俳句
邯鄲 俳誌 「花」同人 甲斐 一敏
邯鄲の魔味いとおしき毛桃かな
隠遁の穴底そこはか黄蝶舞う
軋む歯で燻りがっこや春軋む
風花に踊る猫柳ア・パガニーニ
風立ちぬタテウエタルモノヨと老鶯
青蛙古池イマゾヒハチカシ
アンチョビもバッハも抱きしめて夏祓い
原産地表示なき冷奴原爆忌
葱焼きて齧り焼き齧る大くさめ
ツルンと日暮れ海鼠恋しくなり候
ハッピーと言えなくもなくものせりなずな
囀りの吉吉と聞ゆる枕かな
2011年1月 更新
現代俳句 現代俳句
葛 湯 俳誌 「幡」同人 辻 弘斗
逢ひたさをいへば葛湯の甘さほど
寒鴉中央市場へ急ぎけり
もう逢へぬかもしれぬ背へ冬茜
風葬のやうに案山子が捨ててあり
小春日を浴ぶ平熱の体温計
待つ人のある幸せや冬薔薇
二句抜けの俳誌に止まる冬の蝿
バス停の人工音声冬の声
大数珠 俳誌 「とちの木」 木村美恵子
午後の日を梢に留めて鳥の恋
流れゆくものに歳月花筏
春愁の紅茶にすこしウイスキー
青麦や声を残して子らの去り
妙齢の鞍に凛々しく竹の秋
米蔵の白漆喰に夏来る
一願の大数珠担ぐ梅雨入かな
四阿の隅より梅雨の声がする
砂利音のシャリシャリ梅雨の深みけり
和気橋の色の明るし男梅雨
2010年12月 更新
現代詩 現代詩
コロッケ 徳永 遊
落ちかけた
秋の陽の中で
コロッケを買っている
乳牛のような
肩をしたおばさんが
肉くさい手で
コロッケを包んでくれた
新聞紙だった
一瞬
ここはどこかと思はれた
私は
垂直に
少女になり
チャアチャアと
遊んでいる私が
おばさんの
肉のあつい先のほそい指の
とこらへんに居た
詩誌 あかぺら発行
弔辞 中野 輝秋
朝早く
道端に積まれた青いゴミ袋が
カラスの嘴に腹を割かれ
はらわたを引きずり出されたまま
ヘナヘナと崩れ落ちていくのを
僕は見ている
しばらくすると
白いつなぎの服を着た
弔い人の男がやってきて
骸をひょいひょいひょいと摘み上げ
手早く葬儀をすませて去っていく
霧雨が降りつづいている
猫がひっそりと通りすぎる
鳩が冷たげに首をすくめながらも
舗道の上に散らばった餌を啄ばむ
ゴミ袋の置かれていた場所には
一輪の小菊の花がひしゃげている
僕は今日の午後
知人の葬儀の席で
弔辞を述べなければいけないけれど
すこし吃る癖のある僕は
ハ行で始まる知人の名前を言うときに
きっと嗚咽するふりをして
うまく誤魔化してしまうだろう
それがとっても辛いんだ
詩誌 都大路
現代俳句 現代俳句
風ころころ 木村美恵子
しま馬の縞くっきりと梅雨あがる
あめんぼの水の動かぬ日暮かな
路地多き南京町の蝉の穴
豚足のぐつぐつ煮ゆる我鬼忌かな
鬱の字がすらすら書ける涼しさよ
水道の水生温き広島忌
原爆忌あうらに熱き浜の砂
ゆだち止み夕立の匂い残りけり
カーテンのすこし揺れゐるちさき秋
えのころの風ころころと山日和
俳誌 とちの木同人
2010年11月 更新
現代詩 現代詩
羽根ぶとん 柴本 菊乃
おばあちゃんば羽根ぶとんで寝たい
というので 今年の冬はかるくて
あたたかい羽根ぶとんをはりこんで
買いました なのに大阪はちょっとも
冬らしくなってきません
他県で暮らす娘に
近況をしらせるハガキを書いたその晩から
急に寒くなって 老母も私らも
みんな羽根ぶとんで寝た
なんだか他所の家の
ふとんで寝ているようで
もぞもぞ寝にくかったが
まあまあ眼がさめたら朝であった
驚いたことにみんな亀の甲羅の中に
入ったようになって寝ている
みごとに膨らんだ羽根ぶとんが
ぽこりぽこりと部屋の中にあった
ああ結構やった ええおふとんで寝さしてもろて
と仏壇にも報告して
老母はよろこんでくれたけれど
やっぱり私は木綿のわたの
重たいふとんのほうが
どっしりと体をつつんでくれるようで
信用できる
詩誌 あんだんて より
2010年 10月 更新
現代詩 現代詩
いのち 京都市 中野 輝秋
居間の壁に
友人から贈られた
多色刷りの百年カレンダーを貼り終えると
たちまち
一九五一年生まれの男の残量が
膨張することもなく
くっきりと浮かび上がる
まるで宇宙船の窓から眺める
海や陸や都市や密林のように
さだかなる
境界線を喪失したまま
歓喜と絶望と陶酔と不安が
混沌として意識のなかに
生まれ
さまざまな色彩に彩られた
歳月のうしろにぶらさがる余白が
暗褐色ひといろに塗り潰され
消されていく 夜
詩誌 都大路 31号より
現代俳句 現代俳句
木屋町 秋声 俳誌 「幡」 同人 辻 弘斗
秋風のまっ正面に清涼寺
螺鈿屋の香合に棲む秋の虫
舞楽面真つ赤博物館秋さなか
秋雲の下の三十六度かな
木屋町秋灯「松鮨」在りしころ
炎帝に灼きつくされし九月かな
本棚が意識にのぼりだす九月
一杯の水の冷たさ秋匂ふ
2010年 9月 更新
現代俳句 現代俳句
ハートフルゲート 海程 竹内 義聿
黄昏は人情溜まり胯線橋
朝の芹歩行器は僕の片割れ
飛行船が部屋に到着したようだ
灯籠の前も後ろも水の景
野良犬の喉逞しい夏の草
ひるがおや簾に深い闇がある
長雨のあと老人の外来混む
65年目の蝉とハートフルゲート
平野区を地下鉄が月運んで行く
立葵亀の子束子祝婚歌
2010年8月 更新
現代俳句 現代俳句
遊ぶ蟻 俳誌「苑」 同人 次井 義泰
明易の路地に出されしゴミ袋
鵜篝や身を焼くほどの恋はせじ
活字抜け余白の海に遊ぶ蟻
前髪を垂れし少年栗の花
蚊を憎む億光年の瞬時あり
父の日のDNAの話かな
箱庭の子は永遠に空見上ぐ
草笛を鳴らす傘寿の男の子
白南風や壁に介護の仕様書
鳴く河鹿聞き入る河鹿水昏し
大方のものは見尽くし蛇穴に
現代詩 現代詩
こけしの風鈴
詩誌 あかぺら発行 徳永 遊
妙な夢を見ました。
私は何だか修学旅行に来ているみたいなので
す。一時休憩があってトイレタイムだったの
ですがそのトイレのある場所に行ってみると
何と驚き囲いが無いのです。
みんな白い石のようなものでできていて流れ
る所が無くて水も無くて自然に黄色い土の中
に無理に吸い込まそうって訳です。
まるでそれは簡単な墓のようなものが散在し
ているってカンジがしました。
そこで”せぇー”という訳です。
私もマッちゃんやらチエちゃんやらと行った
のですがどうしてもそこでする勇気が出ない
のです。けれど膀胱は膨らんでくるしそこへ
跨いでする人もいるので
”あぁこの人はもう
済んだのか”と妙な嫉妬感みたいなものを持
つ訳です。
頭の中でそこで跨いでする自分を想像するの
ですけれどやっぱり誰かが見ているのではな
いかという恥ずかしさでどうしても勇気が出
ない。友達はというとそれが半ばでわからな
くなってしまいました。
ふと横をみると私の一番嫌いな時ちゃんと一
諸にいるのです。その人は顔がお獅子みたい
で行動も何か私とそぐわない人ではじき飛ば
されるような体型でいやに他人のことを知ら
ないのに知ったかぶりをする人でした。
何で私がその人の横にいて一緒に行動してい
るのかわからないのですが間をおいてこの際
私をぶつけてみたらこの人にも反応するのじ
ゃないかなどと訳のわからない「モヤ」みた
いなものを持っているのです。
とにかく時ちゃんとその辺りをトイレを探し
て歩いていると旅館らしきものが見つかり私
と時ちゃんはその中へ入って行きそこはまる
で素敵な所だったのですけれど(そこの主人
は絵が趣味のようで部屋もアトリエ風にしつ
らえどことなく品があるのです)
”トイレ貸してもらえませんか”と懇願する
ように頼んだら無機質な顔で捉えられ他の人
に耳打ちしているようなのです。
「ここで待っていて下さい」と食堂風な所で
待たされていたら時ちゃんが一人で立って何
処かへ行ったので私も後を追って行ったらそ
こは風鈴がいっぱい吊り下げてありました。
今まで見たことがない風鈴ばかりで”これは
面白い”といろいろ眺めて母と私に一本ずつ
買って帰ろうと探しておりました。
時ちゃんもいろいろ探して杖のようなものに
風鈴がぶら下がっているのを一本手にとられ
ました。"何でこんなものがいいのか やっ
ぱり私とはちがう”と妙に感心いたしました。
私の手にとったのは編んだような木でできた
こけしの風鈴でした。可愛い顔をしています。
それを母と私の二本分買おうと思いましたが
”こんなものあげても母は喜ぶだろうか何だ
か少し抹香臭いカンジもするのでやっぱりや
めとこう”一本五百円するしこのところ一円
の銭ももったいない私なのです。
それはそれで膀胱も前よりいっぱい膨らんで
きたのでもう堪らぬまだかいなと思っていた
ら女中さんに呼ばれどうぞと通されたのが風
呂の中なのです。風呂の戸をガラッと開けた
ら三人の女の人が入浴していてみんな後ろを
向いています。その横に木戸がありそこがト
イレらしいのです。それもきっと水洗でもな
いし何だか非衛生的なカンジがするのです。
けれどももう覚悟を決めて入らなきゃと決心
して入って行こうとするところで目が覚めた
のです。そしてふと私達は何をしているのか
と、今時分先生が自分達二人をせっせと探し
ているのではないかとそう思ったら、急にふ
くらはぎが痙攣をおこしました。
2010年7月 更新
現代詩 現代詩
少年 Ⅰ 江口 光子
十歳くらいの少年が二人
自転車のサドルを台にして
競うようにして折紙を折っている
なにを折っているの?
手裏剣。
いま学校ではやっているんだ。
手裏剣を投げてみせてくれた
目にあたったらあぶないわね。
このあいだ先生に取り上げられちゃった。
おばさんに作りかた教えてくれない?
うん
少年は口をつぐんで
野生の鹿のような顔をして
折紙を折ってみせてくれた
少年 Ⅱ
小春日和の午後
スケボーに乗った少年
「じょうずねー」
と 声をかけたら
「ターンが難しいねーん」
と 言った
腕でバランスをとりながら
汗びっしょりになって
ヒダリ
ミギ
ヒダリ
ミギ
激しくまわりの空気を切る
光りのシャワーのなかの
一枚の板の上のスター
関西詩人協会 会員
2010年6月 更新
現代俳句
現代俳句
木下闇 俳誌「幡」 同人 辻 弘斗
手帳からみどり零れる皐月かな
青大将の鱗かがやく皐月かな
山笑う大文字山笑ひすぎ
初蝉の名前も知らず石舞台
豆腐屋のリヤカー掠めつばくらめ
葉桜をいっぱい抱いて逢ひにゆく
病院の廊下ポピーとすれ違ふ
大屋根の毬いくたびか夏の来て
コップ酒 俳誌「花」同人 甲斐 一敏
鯨なす山の背一本若桜
二月散々三月四角五里霧中
おそるおそる晩年一頁白牡丹
憂シ憂シト舞ウ黒アゲハ黒ビール
土砂降りの朝何故あたふたと牡丹咲く
浅き夢酔ひもせす覚めコップ酒
緑なすアブサン燃えず梅雨入りかな
きりきりしゃん冷やし焼酎芋念仏
人工骨 とちの木句会 木村美恵子
真っ新な杖の先より冬に入る
柚子風呂のゆずを届けに風の中
身のうちの人工骨にしむ年酒
震災の歌碑一月の空澄めり
寒晴れの秒針赤き花時計
臘梅に日の透きとほる忌中札
梅咲いて二日つづきの歯の痛み
バスを待つ五分の長しバレンタインデー
下萌えや音をたてずに鳩歩く
風光る小川で洗ふスニーカー
俳誌とちの木第六号より
2010年 5月 更新
現代詩
現代詩
幸福者 詩誌 あかぺら発行 徳永 遊
おかあさん
さっぱりと何もかも
無くなってしまいましたね
茫然自失となるくらい
さっぱりと
何もかも
今夜は満月が出ています
私はひとり
こっそりと外へ出て
夜道を歩きました
あんまりヒンヤリと
お月さんが染みるので
私は鼻が痛くなりました
おかあさん
あなたの特徴のある鼻を想い出します
何もかも悉く受け入れてくれた鼻です
受け入れすぎて
(愛しすぎて)
さっぱりと
何もかも
無くなってしまったのですね
あなたはこの世で最高の母親だった
私はほんとう
幸福者でした
近江詩人会 会員
雨の戒壇院界隈 詩誌 あんだんて同人 柴本菊乃
ところどころ漆喰のはげた築地塀
その下のほそい溝に
華奢な白い花をみつけた
なつかしい たねつけ花
雨の日に似合う野草
戒壇院の
ゆるい勾配の石段を登りきった時
うぐいすが鳴いた すきとおった声
鳥たちは梢の繁みで
しずかに雨のやむのを待っているのかと思っていたが
やっぱり雨がすきだったのか
満足そうに鳴いていた
2010年 4月 更新
現代俳句 現代俳句
俳誌 「苑」 同人 次井 義泰
ライバルと判る校名受験絵馬
節分に因む一献「鬼ころし」
茂吉忌と龍太忌同じ鳥雲に
春は曙隣り合わせの部屋に寝て
ナナハンを停めて見ており雛流し
南大門修二会の闇に鹿の顔
水取の最後浴びたる飛び火の粉
春彼岸流す経木の数増えて
念仏してあくがる浄土日想観
一途なる春と逢ひたり和歌浦
俳誌 「海程」同人 竹内 義聿
路線橋林田紀音夫冬の葱
照る日曇る日弘法大師二人分
たるむ歳末付録のように休診日
海征かば水兵着メロ野春菊
歩道橋敗者復活の気分
オリーブの陸が誉れの船大工
コーヒーの出前届ける休耕田
2010年 3月 更新
現代俳句 現代俳句
CTの穴潜りゆく寒さ 俳誌「幡」同人 辻 弘斗
柿の木に柿のひとつもなき寒さ
ラガーらは湯気の塊り雪しまく
寒鮒のほのかに匂ひ残りし掌
ひとひらを剥がし始まる牡丹鍋
枕頭に紅梅一枝解剖台
カナリアの一声に春宿りけり
飛び降りにしくじつたのか猫の恋
木の仏 俳句四季 吉田 貞夫
花吹雪いま全身が木の仏
罌粟ひらくマリーローランサンひらひら
眼科医の眼ばかりを見て梅雨に入る
満月や最も無防備な姿勢
霜の朝どっかと単車沈ませる
雌鳥に雄鳥の影日脚伸ぶ
冬帽子しわとなるまで祈りおり
四季吟詠句集24より
2010年2月 更新
現代詩 現代詩
とぎ汁 高田 文月
あさひが
台所の流し台を照らしている
すきまから指しこむ光りが
そこにだけ
あたっている
日溜りのなかで
米を研ぐ
この台所は
谷底の冷たさと湿り気をおびた
場所
生きていくのは
きつい
電話口でそう伝えてきた男が
死ぬ前に刈り取った米の白い
とぎ汁
ボクの刈った米たべてや
和歌山の友だちの田んぼで刈るの手伝ったんやで
京都の家をしばらくたたんで友人宅に身を寄せるとハガキは届いていた
日あたりのよい田んぼ真ん中で
帽子と手ぬぐい姿の男が
稲刈りをしている
根っからの農夫ではないが
労働する喜びで
生きていく糧をみつけようとしている
男の姿をかってに想像して私は男の米を口に運んでいた
じめじめと暗い流し台の前で
男の稲刈る姿が
明るく照らされる
ずっと米を食べつづけていた
男の死んだのもしらず
残された米を食べていた
死の知らせをきいてからも
はるか遠くの山のなかで
身辺をすっぱりと整理して
ひとり
消えていつた男
見晴らしのよい
ひのやま公園と呼ばれる場所で
米を研いでる
手もとだけが
明るく
白くにごった
汁が
流れていく
大阪文学学校 詩クラス チュゥター
2010年1月 更新
現代俳句 現代俳句
マイロード 海程 同人 竹内 義聿
裏木戸が向かい合わせに冬の恋
仏壇はお部屋の中に春の雲
便秘症夜明け前の音聞いている
ラグビー場田鼠に雲の影走り
戸毎に落葉掃き出す夢を見て目覚めて
夢のことなれど火の玉はじめて見た
雨上がり鶺鴒コインランドリー
青葡萄河内訛りのスペイン語
花園に電車が着地して走る
たんぽぽの絮がいっせい墜道に
和尚かなぜんまい蕨田なんまい田
葉桜の頃に鋳掛け屋何処から来た
落花生と菜の花島人自由奔放
知らなくてもいい言葉覚えて竹の秋
花ぐもり理学療法士と対す
「海程457号」に掲載分より
冬の景 俳誌「幡」同人 辻 弘斗
モンサンミシェル冬の星座を背負ひけり
生牡蠣とシャブリがすべりゆきし喉
鰰の尾のはみ出せるひとり鍋
綿虫の割り込んできし立話
投函の音たしかめる冬の月
枯れてゐる景色ばかりやファインダァ
国訛丸出しにしてぼたん鍋
無限カノン 俳誌「花」 同人 甲斐 一敏
夕映えを見入る汝の背にミッキーマウス
わが飛蚊やや寒々とポロネーズ
鯨水菜来世祝々おおくさめ
ショパン木枯らし芋焼酎やらズブロッカやら
十二月葱焼き齧る無限カノン
コニャック舐める巻き戻す十二月
現代詩 現代詩
手 詩誌 あかぺら発行 徳永 遊
痒いと思うから痒い
背中の肩胛骨あたりがリリリと痒い
足首もパッチからぬっと出ている部分がうす
ら寒い パッチの裾をずらせるのだが すぐ
に上がってくる
乳首の所に何か触っている 肌着であり掛布
団の重さだと思うのだがそんな気がしない
手で払いのけようとするのだが払いのけられ
る訳がない これはきっと生きている圧力だ
と思っていつも諦める
布団の中で枕を穴のように凹ませたり叩いた
り もそもそと右を向いたり ぐあぐあと左
を向いたり いろいろと試してみるのだが
眠れない
手はどうするのだ
手はどの位置に置いたら一番安心できるのか
いつも始めは胸に置くのだが心臓がドキドキ
してきて嫌がるのだ これくらいの重さをと
思うのだが許してくれない
だから今度は腹に置く 腹は心臓ほど繊細で
はなく寛容だと思うので けれどこれまた
両手を置くと嫌がるのだ
何だか腹も癇癪持ちのようである
行く所を失った手は何処へ置くのだ
敷布団の上に誰の迷惑もかけずにと
自由に両手をダランと置いてやる
そうすると自然に仰向けに寝ることになる
仰向けに寝ているとまた心臓に圧力が
諸にかかってきてドキドキしてくる
そしてまた手で心臓をガードしてやる
そしたらまた心臓が手を嫌がる
阿呆な諍いのくり返しに
呆れ返った晩秋の夜は
ただ粛々と更けて行く
近江詩人会 会員