TOPベルウィックサーガ部屋小話部屋>正直者の嘘

 

 

正直者の嘘

 

 レゲマン砦での任務から帰ってきた後のアーサーは変だった。話しかけても上の空だし、無表情が多くなったように思う。顔色も悪い。剣筋も冴えない、とルヴィは隣で剣の手入れをするアーサーの顔を見た。陰鬱そうな顔だ。先ほど三本勝負をしたが、二本先取でルヴィが勝利してしまった。いつもならアーサーが一本目をとるのに、とルヴィはアーサーの横顔をじっと観察する。彼は自分の世界に入ってしまって全く気がつかない。

「・・・・アーサー」

名前を呼んでも気がつかない。

「アーサー、ねぇ」

「・・・・・・あ、ルヴィ、なに?」

 もう一度呼ぶと、アーサーは気がついてルヴィの方を向いた。なに、じゃないわよ。なにじゃ。ルヴィはアーサーをちょっと睨むと溜め息をついた。

「ねぇ、具合悪そうだけど、気分でも悪いの?悩み事?」

「いや、別に・・・・どこも悪くはないよ」

「すぐにばれる嘘をつくものではないわ。帰ってきてからずっと顔色が悪いわよ」

「そうかな・・・」

「剣も冴えないし、任地で何かあったの?」

「別に・・・何も無かったよ」

 アーサーはそういうと顔を背けた。変だわ、とルヴィは思った。すぐばれる嘘、と言ったが、彼ほど嘘をつくのが苦手な人間もいないだろうと思った。目が泳いでいる。陰鬱な雰囲気と相まって、遠くから見たら別人に見えるのではないだろうか。

「らしくないじゃない。お家にも帰っていないようだし・・・おば様、心配しているのではないの?」

「家は・・・・・」

アーサーは母親思いだ。任務から帰ってくればすぐ家に帰って家族に顔を見せてから宿舎に戻ってくる。戻ってくる時はいつも手土産の酒を持ってくるから、帰ってないことはすぐに分かった。

「・・・・・帰りたくないんだ。ちょっと事情があって」

「・・・親子喧嘩でもした?」

「違うよ、ルヴィじゃあるまいし」

 はは、と自嘲するかのような笑いを漏らすアーサーの横顔をルヴィは黙って見つめた。

「ねぇ、本当にどうしたの?よければ話を聞くわ。解決にはならないかもしれないけど・・・・」

「・・・・・・・・・・・・ごめん、ルヴィ」

「何故謝るの」

謝ることなど何も無いわ、とルヴィがそう言うと、彼は少しだけ目を見開いてルヴィの顔を見た。疲れた目だった。あまり寝てないのでは、とルヴィはその目を見て思う。

 アーサーは少し俯くと座っていた石段から腰を上げ、剣を腰の鞘にしまった。

「・・場所を変えよう。他の人には聞かれたくないから」

 

 

 風のよく通る場所だった。住宅街の外れの空き地で、確かに人の耳はなさそうだが、寂しい場所だとルヴィは思った。アーサーは何も言わないまま自分をここに連れてきたが、その間彼は全くの無言だった。古ぼけたベンチが一つだけあって、座るとぎしぎしと音がした。

 ざぁざぁと風の音が心なしか大きく響く。声が聞こえないのでは、と思ったその時、アーサーのささやく様な声が不思議とクリアに聞こえた。

「父上に会ったんだ」

「・・・父上、って・・・・ハロルド殿に?生きていらっしゃったの?」

「うん・・・レゲマン近くのオムールと言う街で父上に似た人がいると噂で聞いたから確かめてきて欲しい、と母上に頼まれてね。僕は勿論確かめに行ったよ・・・その為に任務のメンバーに入れてもらったんだ」

「その噂の・・・人が、お父上だったのね」

「最初は嘘だと思ったんだ。帝国に寝返ったと言うのも、戦死したと言うのも、僕は信じてなかった・・・でも僕の顔を覚えていたんだ・・・」

「そう・・・でも、生きていらっしゃったなら何故ナルヴィアに帰ってこられないの?何か事情が?」

「・・・・・父上の隣に綺麗な女性がいたんだ。彼女は乳飲み子を抱いていたよ。誰の子かと問い詰めたら、父上とその女性の子どもだと言われた・・・」

 風の音が耳障りなのに、アーサーの声だけははっきりとルヴィの耳に届いた。信じ難い話だ、と彼女は思った。何故妻子がいると言うのに別の女性と別の家庭を持っているという展開になっているのか、ルヴィには想像できない。ルヴィはアーサーの父であるハロルドを知っている。父親のクリフォードと同輩の騎士だった。アーサーと似ていて、とても真面目な騎士の鑑のような人だとルヴィは思っていた。だから余計に想像がつかない。

「な、何でそんな事に?子どもって・・・」

「僕にもよく分からないんだ。嘘なのか、本当なのか・・・父上はその当時記憶を失って、瀕死のところをラーズの神官であるその女性が助けたと聞いたけど、僕もまだ混乱してるんだ」

「・・・それは、そうよね。私だって信じられないわ。そんなの・・・」

ルヴィはもし自分の父がそうなったら、と考えて背筋が凍った。そんな馬鹿な話があるだろうか。ルヴィには既に母がいないから、自分だけならなんとか割り切れる気もしたが、実際そんな事になったら、と思うとあまりの恐ろしさに思考が硬直してしまう。

母、と言う単語を思い出して、ルヴィはアーサーが家に帰りたくない理由を悟った。

「家に帰ってないのは、そういうことだったのね・・・」

「・・・・・母上に、何と申し上げればよいか、言葉見つからないんだ・・・僕の知った真実をありのままに話すのはあまりにも・・・母上は父上を愛していらっしゃるから、だから僕に本人かどうか確かめてきて欲しいと頼んだんだ・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・アーサー・・・」

「本当は父上を殴ってでも連れて帰るべきだったかもしれない・・・でもね、子どもがいたんだ・・・可愛かった・・・・・・僕は、その子のために父上を殴らなかったし、連れても来なかった・・・」

「そう・・・・」

アーサーの独白に近い言葉を聞いて、ルヴィは掛ける言葉を失った。

彼が気の毒だった。多分、ずっと寝ていないのだろう。父親を尊敬し信じていたアーサーには残酷すぎた。誰も良かれと思ってしたことが、すべて彼を傷つけるようにしか思えなかった。

「死んだと、母上には言おうと思っているんだ・・・生活は今までどおり僕が支えればいい・・・」

アーサーは遠くを向いたまま言う。ルヴィは蒼白の横顔を見て心が痛んだ。嘘なんて得意じゃないのに、その彼が嘘をつくと言う。家族の為の嘘だ。

優しい嘘、しかし彼にとっては残酷な嘘。彼の目に溜まった涙を見ればそんなことはすぐに分かる。ルヴィはアーサーの肉刺だらけ手をとり、ぎゅっと握り締めた。

「僕は・・・生きていて欲しかった・・・・父親に死んでいて欲しいなんて思わなかった・・・この街を追い出されたって、帝国に寝返ったって、生きていて欲しかったんだ・・・それなのに、僕は・・・・・・・」

瞬きとともに雫が落ちてきて、アーサーの膝の布地に丸い染みを作った。

「・・・・ねぇ、アーサー、泣いてもいいのよ。誰もあなたを咎めたりはしないわ」

「ルヴィ・・・ごめん」

「貴方は何も悪くないわ」

握り締めたルヴィの手の甲に暖かな涙が落ちると、風の音が心なしか少し優しくなった気がした。ベンチはギシギシうるさいままだった。解決にはならないかもけれど、せめてこの涙がアーサーのことを少しでも救いになればいい。そうルヴィは思った。