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初陣

 

 鋼と鋼がぶつかり合う音が蒼天に響き渡り、騎馬の蹄の音と土煙がイストバルの五感を刺激した。戦場に出るのは初めてではなかったが、彼は既に喉の渇きを覚えていた。緊張しているんだ、と自覚した。傭兵としての初陣だ。緊張しないわけが無かった。

(うまくやれるか?)

そう思いながらイストバルは弦の調子を確かめる。戦闘に出る前にシノン軍から支給された弓と矢は、自分の使っているものより幾分かよい物だった。借り物か、と自分を傭兵ギルドに紹介してくれた弓騎士のクリスに問うと、彼女は少し微笑んで「雇われている間はあなたのものです。大切に使ってください」と言った。

 その彼女も、今は前線に上がっている。前線が持ちこたえている間は、後方の安全は一応保障されるだろう。帝国軍の追撃から同盟軍の撤退を支援するのが今回の任務だ。とはいえこのゴラン高原には惨敗兵を狙う盗賊が出るらしく、指揮官であるシノン軍の若き公子は自陣を護衛する軽兵を多く投入していた。イストバルはその中でも比較的後ろ、接近戦を主とする剣士や斧兵の後ろに配置されていた。だからいろんな意味で前線からは程遠い。それでも彼は緊張した。

 唇の乾く感触を覚えてイストバルは唇を噛む。意識したわけではないが、その行為は昔から彼の癖だった。これからはこうして戦場に出て家族を養う為に戦わなければならない。殺すことの罪悪は務めて忘れるようにしなきゃいけないな、と思った。

「ねぇ、そこの弓を持った金髪のあんた」

「え、俺のことか?」

「あんた以外に誰がいるって言うのよ」

呼ばれて振り返ると、赤い髪の弓を持った女が立っていた。身体に似合わぬ長弓を装備しており、強かそうな光を目に湛えている。強そうな女だった。

「新兵よね?そんなところうろついてないで後方へ下がった方がいいわよ」

「・・・ここは後方だろ」

「馬鹿ね。ここだってすぐに戦場になるわよ。あんたみたいな戦いなれてなさそうなのは真っ先に狙われるんだから、ふらふらされてると邪魔なの。ここは私が代わるから、あなたは後方でシスターの護衛をしなさい」

毒舌な女だった。戦場だから気を張っているのかもしれないが、そうも見えず、戦い慣れた者の印象を受けてイストバルは黙り込んだ。女の言うことは尤もだ。

「勝手に持ち場を離れるのはいいのかよ」

「後方の指揮は私とあそこにいる彼に任されているわ。口ごたえはやめたほうがいいわ」

そういうと女は後方の指揮を執る若き槍騎士を指差した。

「リース公子はあんたみたいな若手の新兵に経験積んで欲しいんでしょうけど、死なれたらもっと困るわ」

「いつ死ぬって決まったんだよ。大体、俺が新兵って何であんたに分かるんだ?」

「立ち姿が新人そのものよ。新兵に見られたくないなら鏡で立ち姿を研究することね、新人君」

女の毒舌はますます鋭さを増す。イストバルはその毒舌には対抗できないことを悟った。妹のアリーナもそうだが、女っていうのはどうしてこうも口達者なのだろう。彼は舌打ちしてこう言った。

「・・・・俺はここにいろとリース公子から言われた。俺をここからどかしたければリース公子から命令を受け取ってくるんだな」

「強情な奴・・・名はなんと言うの?」

指揮官の名前を出し、居座ろうとするイストバルの意固地な態度に女は呆れたように言い放ち、名を問う。イストバルだ、と彼が名乗ると、彼女は意地と名前だけは立派ね、と意地悪く言った。

「私はアポロネアのシルウィスよ。覚えておいてね、強情な新人のイストバル君」

「強情は余計だ!」

イストバルがそう言い返すと、シルウィスと名乗った女は歴戦の兵らしい精悍な微笑を見せた。シルウィス、と言う名は聞き覚えがあったが、イストバルは思い出せない。

 思い出そうとしたその時、「敵襲!」という排斥からの声がした。「西のポイントね」とシルウィスは呟くと弓をすばやく番えてイストバルに静かに問うた。

「手柄が欲しい?」

「・・・・欲しい」

「いいわ、付いてきなさい」

イストバルの返事にシルウィスはそう返すと、軽い足取りで西の街道近くのポイントを目指して走り出した。彼女の後を彼も駆けた。戦域を離脱するギリギリのところで戦場を荒らす盗賊団の一団とシノン軍に雇われた傭兵達が乱戦を繰り広げているのが肉眼で確認できる。砂埃と血と鉄の入り混じった臭いが鼻を衝き、イストバルは眉を顰めた。

「撃てるわね?」

「当たり前だ!」

余計な事を、とイストバルは思い矢を番えた。斧を振りかぶり味方を狙う盗賊を狙い、弦を引き、放した。矢は弧を描き敵の腹に命中する。致命傷にはならなかったが、続けざまの味方の斧を受け、盗賊は倒れた。シルウィスも流れるような動作で撤退してくる同盟兵を狙う敵に容赦なく弓を射った。彼女の放った矢は正確に敵の脳天に突き刺さった。

「・・・私は撤退する同盟軍の護衛に回るわ。あなたはここで彼らの支援をよろしくね」

当たった、と安堵するイストバルにシルウィスはそういうと駆けて行った。

 

 彼女の言うとおり、戦闘が始まって6時間、イストバルら後方の兵たちが交戦を始めてから4時間ほど経つと前線は近くなり、騎馬の蹄の音が一刻一刻と近づいてきた。イストバルは弓を射続けた。動いている敵を射るのは意外と狩りの要領と似ており、矢が尽きるまではやれそうだと彼は自らを過信した。倒した敵もいるし、倒せなかった敵もいる。人殺しをしていると言う罪悪感も、いつ殺されるかと言う緊張感も、過度の興奮から頭から吹き飛んでいた。後方で安全に弓を射続けたからかもしれない。

味方に守られた状況で、彼はすっかり戦の意図を忘れた。身体のキレがよかった分頭の方のキレが悪かったのかもしれない。

撤退を、と叫ぶ声が響いたが彼はそれを聞き逃した。なおも交戦を続ける傭兵達の背が近くなった事にイストバルは気がつかない。不自然な影が出来てドラゴンが飛ぶ姿を見た。落とそうと思い、狙いをつけたところでシルウィスの声が聞こえた。

「イストバル!あんた何やってんの!?こんな前線にいないでさっさと撤退しなさい!」

「何でって・・・戦ってるんだよ。ここが前線?」

騎馬隊に混じり戦っていたシルウィスは撤退ポイント近くで粘り続けるイストバルの姿を見て怒鳴った。同盟軍の撤退は完了し、傭兵部隊も半分は撤退を終えていると言うのに、この馬鹿は何をやっているのと呆れた。

「だからすぐに前線になるといったのに・・・身の程知らずと撤退の機を見極められない馬鹿な新人はあの世に一番乗りよ!」

「シルウィス殿の言うとおりだな、イストバルやら、お前はすぐに撤退しろ」

 前線が後ろに下がったことで後方に戻ってきたシノン騎士団の隊長騎士がシルウィスの言葉を肯定し、イストバルに命令を言い渡した。まだやれる、とイストバルが抗命すると、「馬鹿者!」と一喝が飛んできた。

「お前のような命令を聞かぬ奴が一番死に易いという事が分からぬか!それほど死に急ぐと言うのなら次からはお前のような傭兵は雇わぬ!」

「くっ・・・」

「嫌ならさっさと撤退せよ。イストバル、返事を」

「分かった・・・」

イストバルは渋々命令に従い撤退ポイントに走った。シルウィスは機動防御の要として残るようで、既にその場から姿を消していた。不公平だ、とイストバルは身の程知らずな事を思った。

 

 結局、初陣のイストバルは戦闘中盤で怪我も無く離脱し、最後まで残ったシルウィスは多少の刀傷を受けて戻ってきた。彼女は殿の部隊に最初から組み込まれていたようで、後日、ギルドにシノン公子が直接やってきて彼女に礼を述べる場面にイストバルは出くわした。

リースはイストバルを見ると、彼にも礼を言った。礼儀正しい奴だ、とイストバルは驚いた。

「イストバルといったね?前の戦では世話になったと聞いたよ。力になってくれてありがとう」

「いや・・・俺はそんなに大したことはしてないよ。シノンの隊長にも怒られたし・・・」

「ああ・・・ウォードはああ言うけど、やはり皆の支援があってこその勝利だ。弓兵は貴重だし、これからも力を貸して欲しいと私は思っている」

「そうかな・・・」

「ライバルが増えそうで嫌だわ。リース公子、賞金首のお話は私に最初に下さいね」

「勿論だよ、シルウィス」

シルウィスの横槍を軽やかに避け、リースはギルドを出て行った。やるわね、とシルウィスが呟いた。

「・・・・・・・この間は世話になったな」

「あら、いつのお話かしら、強情で頭の弱い新人さん。立ち姿の研究は進んでる?」

「そんなことするわけないだろ!」

意地の悪い冗談にイストバルがムキになって言い返すと、シルウィスはへぇ、と薄く笑いを浮かべて手にした自前の弓を磨き始めた。軍から支給されたはずの弓があったはずだが、彼女はそれを持っていなかった。立派な長弓で、軍の支給の物より随分物は良さそうだ。

「まぁいいけど、あんた、弓の腕は見込みあるんだからもう少し頭を働かせなさいよ。戦で散々扱き使われて死にたくなけりゃね」

「そんなに簡単にくたばって堪るかよ。こっちは家族養わなくちゃならねーのに」

「ふーん・・・ま、長生きしたけりゃ生意気言わずに言うこと聞いて兵法書でも読んで知識積むことね」

「アドバイスとはないのかよ」

「するわけないでしょ。このギルドの人間は全員ライバルよ。私の本業は賞金首の捕縛だし」

ふん、と鼻を鳴らしてシルウィスはそっけなく言う。

「新人をわざわざライバルに仕立てる必要もないでしょ」

「アポロネアの凄腕スナイパーがそんなケチな事を言うと思わなかったぜ」

イストバルはシルウィスの言葉に精一杯の嫌味を言い返す。

「大体、アドバイスならしてあげたじゃない」

「?・・・なんだよ」

「立ち姿を研究しろって」

しれっとした声で彼女は言い切る。それは冗談だったが、新人の彼には通じなかった。

「もっと別に言うことねーのかよ!」

イストバルがそう怒鳴ると弓の名手は今度こそ大声で笑い出した。