写真00

MGC のアンクルタイプのP-38 です。ミリタリーよりも先に発売されました。タニオアクションです。
アンクルって言ったって最近の人は知らないでしょう。ナポレオンソロで検索してみてください。

アンクルは0011 が所属する世界秘密組織です。
犯罪者をやっつけるエージェントが多数所属しています。
もちろんテレビドラマのお話です。007の映画が大ヒットになったので、そのシチュエーションを真似て造られたアメリカの連続TV ドラマで、けっこう人気だったです。すこしギャグ系だったと記憶しています。その中で使用された変形P-38 をアンクルタイプと呼んでいます。


写真01

日本でも放映されていましたので、このアンクルタイプやアタッチメントが、販売されました。

右サイドのネジ穴には、スコープ・マウントが取り付けられるようになっています。


写真03

MGC アンクルのグリップデザインはよく出来ています。握った感じが良くて銃が小さく 感じます。ナカタのは、でっかくて握り心地は悪いです。
 
ミリタリータイプとスライドストップの形状が違います。ミリタリーよりもアンクルの方が長いため ミリタリーに取付けるとグリップが嵌まらなくなります。


写真02

MGC のミリタリータイプとは、フレームの金型は別物です。


写真04

このようにアンクルタイプは、アタッチメントをガッチリと取り付けられるように フレームが伸びています。グリップのネジ位置が違いますね。

ナカタのアタッチメントは、グリップのみで支えますので、グラグラして、とても振り回して 遊べるような物ではありませんでしたが、MGC の方はしっかり取り付けられたのでしょう。


写真05

反対側です。右サイドに設けられたタニオ動作のガイド溝が、設計の素晴らしさを物語っています。


カートリッジ

カート写真

匿名様よりカートリッジの写真をいただきました。有難うございます。
カタログのカラー写真では、真っ赤な箱のようなのですこし色あせているのかもしれません。 右端に9mmパラのダミーカートを置いて比較しているようにMGC のカートは、かなり小さく作られています。 匿名様、写真有難うございました。


紙 箱

紙箱写真

匿名様より紙箱写真を頂きました。有難うございます。
あとから発売されたミリタリーモデルとは、全く違うデザインです。ゲシュタポも同じ箱だったようですね。


アタッチメント

アンクル写真

MGC のカタログ写真から切り抜いたものです。 アタッチメントは、別売りでした。昭和46年(1971年)の銃口閉鎖規制によりバレルアタッチメントは、取り付けられなくなりました。

写真はGIF ですので使いたい方は、どうぞ 取って行ってください。gif 形式の画像は、背景が透けますのでWEB で使いやすいです。


アタッチメントその後

↓拡大できます 写真12

46年の銃口閉鎖規制からは、アタッチメントも取付けられなくなって販売されていなかったのかと思いましたが ジョイント金具が2種類発売され、それを使うことでアタッチメントが取付けられるようになったようです。


写真13

これはモーゼルにも使える汎用タイプですね。


写真14

こちらは、アンクル専用タイプです。
 
たいへん貴重な資料、写真を頂きました。有難うございました。
知らないことばかりなので、今後もよろしくお願いします。


各種アタッチメント

写真15 1971年(昭和46年)のMGCカタログに
載っている各種アタッチメントです。
 
右写真はクリック拡大します。

CMCと比較

写真06

CMC のゲシュタポ旧タイプと並べました。バレル長は、同じですね。

このMGC P-38 が誕生する頃は、下記のようなとんでもない事件が起こってしまいました。


Gun 誌にみる業界分裂への道

写真07

これは、1965年3月号ですが、中田商店の広告にP-38 製作予告が載っています。

当時MGC は、独自広告は出していましたが販売網は持っていなくて、MGC 製品はマルホコルト(のちの堀内商店)、江原商店(のちのCMC)、丸郷商店(マルゴー)、コクサイなどが販売していました。


写真08

翌月の4月号には、中田商店のお詫び広告が載っています。P-38 は、日本MGC 協会が開発中との事なので、当社は急遽ルガーP-08 に変更しますと書いてあります。
MGC と業界はまだ蜜月状態でした。
これにより中田商店初のモデルガンは、六人部氏の開発したルガーP-08 となりました。


ブローニングの乱

写真09

PPK で乗っていたMGC の新機種は、ブローニング380で、業界こぞって登場を待っていました。そこへMGC は、住民票で登録しないと販売しないと言う姿勢を打ち出します。これは、 各小売店でも、そうしないと出荷しないと言う固い決意でした。
しかも、それまでは作る会社だったMGC が直販店をあろうことかGun ショップあふれる上野にオープンするというではありませんか。このことだけでも、ケンカ売っているようなモンです。
ふつう商売とは、売る方が偉くて作るほうは目下に見られています。MGC の行動は、販売店から見ると明らかに謀反でした。

写真は、1965年7月号と8月号です。どちらもブローニングのカラー広告の裏側です。

MGC の考えは直接的には、1965年2月の猟銃乱射事件により、同年7月いきなりの銃刀法改正で住民票と精神科の診断書が銃所持に必要になったことに関係しているでしょう。


絶縁状

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1965年12月号のGun 誌広告です。

MGC の考えに賛同できない、その他会社は組合を作ってMGC 製品をボイコットします。ここにMGC 対 その他会社 というモデルガン業界の不幸な図式が出来上がりました。
こののちMGC は、コクサイが母体のGun 誌には広告を載せなくなります。Gun 誌にMGC の広告が復活するのは、1979年のMGC 創立20周年です。15年ほども対立は続いていたのですね。

MGC の神保氏の考えは、先を見通していました。発禁も食らったMGC は、警察の一方的な規制を予見し 、犯罪にモデルガンが使用されないように予防した物でしょう。事実1970年にはMGC のPPK を使用して ハイジャック事件が起こっています。中田側は、危険ではない玩具を危険だと宣伝することは、 受け入れられなかったことでしょう。

また当時人気絶頂のMGC 製品を販売できなくなることは、商売上も痛手です。
しかしそれは、各社がMGC デッドコピー品を作りだして、解消されました。
MGC をやっつけることは、当時の 業界多数派では正義だったのです。


くやしかったんですよ

写真11

業界分裂後は、モデルガンも社会にあふれ、犯罪にも使用されだし、警察は規制に乗り出します。46年には銃口閉鎖と黄色塗り、52年には銃身分離型販売禁止。特に52年規制は、 一体でない業界の弱さが露出しています。業界自主規制のsm規格付きモデルしか販売しないと言う 決まりを守らず国本氏や六人部氏が真鍮モデルを販売しだしました。おかげで理不尽な52年規制が 勝手に決められてしまいました。

神保氏と中田氏の考えはそれぞれ正解だったのでしょうが、結果としてモデルガン業界の ためにはなりませんでした。おかげで僕たち少年ユーザーは、ずいぶんと悔しい思いをしたんですよ。

(その反動が今頃出てきているオヤジたちも多いようですが・・)


おまけ

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