広島地区なつかしの映像(1981)

 

広島編の時と同様、大阪編でもおまけ映像を公開します。
撮影は1981年3月で、神戸でポートピア’81が開幕した直後のことでした。当時は当たり前かも知れませが103系はまだバリバリの現役で、ローカル線区(可部、富山港線など)ではまだ73系が健在であり、旧型電気機関車もまだあちらこちらで目にすることができた時代です。今ではその103系があの当時の73系のような状況に近づきつつあります。もう四半世紀もの時が流れてるんですものねぇ・・・でもそんなに過ぎた実感はあまりないなぁ(笑)。このバックグラウンド色も当時の車両に合わせたものです。さて、どこの電車の色でしょうか・・・。

いつものことですが、こちらの映像の無断使用は固くお断りいたします。

 

東海道線普通列車103系と留置中のEH10です。EH10が留置されているってことは、撮影地は恐らく吹田だと思います。25年も経っちゃうとさすがに覚えてないっす(^^;
103系は非冷房で原型ライトのようです。
久々に黒い電気機関車の姿を目にしましたねぇ(^^;。当時EF15の撮影をしてましたから、東海道線で撮影していると目にすることができました。
今度は117系新快速とEH10の映像です。
関東の人間からすると「新快速」って種別は通常接することがないのであまりピンとこないのですが、一度乗車するとあまりの速さに腰を抜かすくらい(ぉぃ)の驚きがありました。この当時は117系が登場したばかりで、その前はこのページの最後から3枚目の映像と同じ車体色の153系だったような記憶があります。ホントとにかく早くて、急行線を走る特急を追い抜いてしまうこともあったようです。
前照灯が原型なので一見非冷房車に見えますが、冷房改造を受けており、方向幕が電動化されています。前面方向幕も「普通」ではなく、きちんと京都行を表示していますね。
撮影場所は東海道線山崎駅付近の阪急京都線をオーバークロスする地点です。
103系の普通列車を特急雷鳥がパスしていきます。
料金なしの快速電車に117系のような車両が投入されると言うことからして国鉄時代から私鉄との競合が熾烈だったのだろうと推測できます。ドアの配置こそ違うものの、「特急」(新特急)として料金を取って運用されていた185系とほとんど差がないですもんね。
普通甲子園口行の103系冷房車です。
この当時の東海道・山陽線に使用されている103系の特徴に運転席窓にクハ111などに用いられていたタイプと同様のデフロスターが装着されています。
こちらは原型シールドビームの非冷房車の普通京都行です。
この時期の東海道線普通列車の方向幕(もちろん手動で前面のみです)は「普通」で固定になっていましたね。
特急雷鳥の堂々たる編成です。この時期の時刻表を紐解いてみると、当時は12両編成で一部の列車を除きグリーン車2両と食堂車が連結されていたようです。映像からも食堂車の姿を見ることができますね。
阪急京都線とのクロス部分を引いて撮影するとこんな感じになります。
阪急の下り列車(河原町方面)と新快速下り列車(大阪方面)とのすれ違いです。
今では廃止されてしまった湊町駅で撮影したものです。現在のJR難波と同様、関西線列車の起点になっていた駅です。
撮影されている車両は関西線普通列車王寺行101系です。パンタグラフがPS16ではなく、旧型国電などで使用されていたPS13をを積んでいます。現在の103系の先頭部には白い帯が巻かれていますが、当時は黄色い帯が巻かれていました。
確かこの撮影の後の出来事だったでしょうか?、王寺駅一帯が洪水で冠水し、留置されていた多くの101系車両が水没で使用不可となり、首都圏で廃車予定になっていた101系などをかき集めて関西線に投入すると言った出来事があったように記憶しています。
湊町構内に留置されている第2種休車のEF15−99他旧型電機です。関西線の久宝寺駅付近に大きな操車場があり、そこに竜華機関区があったのですが、これらの車両はその竜華所属の廃車待ちのカマです。機関区構内が手狭だったせいでしょうか・・・ただ、同じ管理局(天王寺鉄道管理局)管内でしたから、ここに留置されていても何ら不思議ではなかったんですね。
電留線に留置されている関西線用の113系です。新快速色の帯を青から赤に変えたような塗装になっています。
阪和線山中渓駅周辺で撮影した映像です。
列車は阪和線・区間快速天王寺行103系(日根野電車区:「天ヒネ」所属)です。よく見るとクモハを含んだ組成なんですねぇ。
上の映像の列車を逆から撮影したものです。クモハの対になっているクハですので、恐らくクハ103の500番代だと思うんですが・・・。連結器上の通風口が塞がれている以外はほぼ原型を留めているでしょうか。
日根野電車区所属の113系で運転されている快速電車です。阪和線にも昔は新快速が運転されていた時期があって、この113系が充当されていたので、この塗装を勝手に「新快速色」と呼んでいました(^^;。
この時は紀勢本線の御坊まで足を延ばして主にEF15の撮影をしています。この頃の阪和・紀勢線は走っている車両がバラエティに富んでいておもしろかったですね。
大阪を離れる直前に大阪駅中央口(だったかな?)の改札口付近にあった列車案内表示機です。今ではLED(しかもフルカラーも登場)の表示機でしたが、当時はこの「パタパタ式」(ぉぃ)か「幕式」が主流で、特にこの方式の表示機は歌番組の「ザ・ベストテン」でも順位の発表に使用されたりして、回っているところを見ていると「ワクワク」したものです(笑)。
表示装置も懐かしいのですが、表示されている内容もホントに懐かしいですね。夜行急行列車がこれだけ走っていたとは、ちょっと驚きです。この中で残っているのは「銀河」だけって言うのが寂しいですなぁ。
深夜の大阪駅構内の様子です。当時はまだ東海道線などの幹線級の路線では、かなりの本数の荷物列車が走っていました。宅配便が発達した現在では見られない光景です。荷物列車は東京だと南へ向かう列車が汐留駅から、北へ向かう列車は隅田川駅から出ていました。大阪の荷物列車の扱いは主に大阪駅で行われ、9・10番線が使用されていたようです。当時の荷物列車には車掌が乗務してましたが、暖房には映像でもわかるように蒸気発生装置(SG)が使われています。写っている荷物列車牽引機はEF58−160(浜松機関区)、右側にはこれまた懐かしい入換用のDD13の姿(DD13−196・・・所属は不明ですが吹田でしょうか)も見えますね。

Last update 2006.01.15


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