2005年2月20日にホームページを開設してからのTOPページを飾った映像です。

ホームページを開設した時のTOPページを飾る最初の映像がこちらです。新三郷駅が開業したのが1985年3月14日。この映像はその年の5月くらいのものではないかと思われます。まだ武蔵野操車場が稼動しているようですが、翌年の11月には廃止されておりますので、もう末期の頃ですね。しかしこの駅ができるまでは吉川−三郷の駅間が異常に長かったことを記憶しています。特に上りでは操車場の到着線への引き込み線が本線をオーバークロスした後、到着線を横目に坂を駆け登るため、三郷駅出発して加速が完了し、その後2回ノッチ投入して加速した後に吉川駅へすべり込むなんてこともよくありました。しかし、101系は「ボロ」が多かったですねぇ。種車の多くの車号が若く、後部標識灯のレンズ周りの保護がない編成がほとんどでしたから。武蔵野線で使用された101系は長いトンネルが多いことから「A基準」を満たす必要があったため、難燃化対策を実施して1000番台を名乗っていました。
【掲載期間:2005.2.20〜2005.2.25】
2005年2月24日にE26編成が廃車になったため、早々とTOPページの写真が入替わってしまいました。上の写真にはちょっと未練があったのですが(笑)、やはり廃車になった車両に敬意を表す意味で後ろ髪を引かれながらも(まだ言うか)変えました。
映像は2003年12月27日、吉川−新三郷で撮影したものです。朝、目が覚めて室外を見たら一面の雪景色だったので慌てて撮影に出かけた記憶があります。
E26編成ですが、中間車にモハ103-787+モハ102-2044から車号が3ユニット連番となる美しい編成でした。
【掲載期間:2005.2.26〜2005.3.5】
惜しまれつつも2005年3月30日に廃車になったE7編成です。撮影したのは2005年2月27日でしたが、この時点でいつ廃車になってもおかしくない状況でした。
映像は始発の海浜幕張で発車を待つ1746EのE7編成、クハ103-140です。
【掲載期間:2005.3.6〜2005.3.10】
上の映像と同じく2005年2月27日に撮影したE25編成で、撮影地は吉川駅すぐ東側です。
3月10日に103系の廃車が発生するというウワサが出て、多くの人たちが該当編成はE7と思っていたのですが、実際はこのE25編成が対象でした。不謹慎ですが、この知らせに安堵の溜息をついたような状況でした。
【掲載期間:2005.3.11〜2005.3.20】
やっぱりこの「ジャンパ栓2本」を見ると101系だなぁと感じます(笑)。撮影をしたのは一番最初の新三郷のものと同じで、1985年の5月頃かと思われます。新松戸3番線での撮影ですが、この当時は最後部付近に屋根がなかったんですねぇ。
【掲載期間:2005.3.21〜2005.3.27】
《当時の解説文》
101系が引退してもうすぐ20年、その101系を追い出した103系がまもなく引退を迎えます。写真は103系と並ぶ101系。ジャンパ栓の本数、窓の縦横比や後部標識灯レンズ保護「なし」などが103系と異なる部分です。
1985初夏の新松戸駅
いよいよE7編成が廃車の時を迎えた際に掲載した映像です。撮影は2005年2月27日、三郷−南流山(江戸川鉄橋付近)でした。
最後の営業運転は3月26日(土)の43Eで、午前のみの運用の少々寂しいラストランでした。その後3月29日まで京葉車両センタでの留置が続き、もしかしたらと言う淡い期待を寄せましたが、3月30日に大宮へと旅立っています。いつかは来ると思ってはいても、ホントにショックでしたねぇ。
【掲載期間:2005.3.28〜2005.4.8】
《当時の解説文》
3/26の43Eをもって運用離脱したと伝え聞いたE7編成。Mc編成が去った後、唯一の低運転台の編成でした。できれば最後まで残っていて欲しかった・・・36年間もの間、本当にご苦労様でした。
2005.2.27 三郷-南流山
下の解説文でも書かれていますが、先頭車は98年2月に転入した比較的武蔵野線での活躍が短かった編成です。78年に製造されて蒲田電車区配置となり、以後、京浜東北線一筋でしたが98年2月10日に豊田電車区に転属しています。撮影した場所は上のE7と同じ場所ですが、天気が良かったので「青い空」を活かそうと土手(江戸川)を少し下りて見上げる角度で撮影しました。
【掲載期間:2005.4.9〜2005.4.22】
《当時の解説文》
4/2に稼動していたのを確認していたため、てっきりまだ活躍するのかと思っていたE37編成。4/5に大宮へ回送されました。武蔵野線では98年2月から約7年の活躍でした。短い間でしたがご苦労様でした。
2005.2.27 三郷-南流山
E7編成が運用を離脱してから、まだ103系が7編成稼動しているにもかかわらず、何か脱力感のようなものを感じている時に、M7編成に「粋な計らいがなされている」との情報をキャッチしてやっとの思いで撮影したものです。
窓ガラスは光るし、走行中は揺れてブレるはで散々だったのですが、かろうじて1枚だけ見るに堪えられる映像がこちらです。下のコメントにもありますが、かなりジ〜ンときましたねぇ(笑)
【掲載期間:2005.4.23〜2005.5.9】
《当時の解説文》
M7編成・偶数(上り)向きのクハ204-48乗務員室背面窓に掲出された遮光幕についての案内。伝え聞いて初めて見た時は周りが真っ白になり、目頭が熱くなりました。東所沢電車区に103系への思い入れの深い方がいらっしゃるんですねぇ。
2005.4.23 1313Eにて
103系のトップナンバー(クハ103-1)に乗車できたなんてホントに信じられません。昭和39年5月28日に産声を上げた車両ですから、実に41年間も走り続けた事になります。元相棒のクハ103-2も日根野電車区で健在です。窓枠の改造などで印象はちょっと変わりましたが、状態は端から見るととてもよく見えます。しかし関西地区に新形式を投入し、玉突転配で103系を淘汰する計画があるようです。それまでの間に是非もう一度訪れてみたいですね。
【掲載期間:2005.5.10〜2005.6.13】
《当時の解説文》
同じオレンジ103系でもこちらは大阪環状線(森ノ宮電車区:大モリ)4M4Tの8両編成で、関西本線の区間快速運用に就いているクハ103のトップナンバー「1」です。武蔵野線用よりちょっと非力ですが、王寺以西の快速区間では爆走を見せてくれます。
2005.5.6 天王寺駅にて
101系の原型ライト車の映像です。103系と比べてみると随分角ばったイメージがあって、何か可部線や鶴見線などで見たクハ79を見ているような錯覚に・・・って、きっと若い人には解らないとは思いますが・・・こうやって考えるともうおじさんだなぁ。次のTOPページはもっとすごいし・・・(^^;
風景もすごいですね。駅から田んぼが間近に見えているし、吉川駅東側の武蔵野線をくぐる隧道に信号はないし・・・。下の解説文にもありますが、武蔵野操車場上り到着線がまだ残っています。はるか遠方には場内の中継信号が微かに見えますねぇ。
【掲載期間:2005.6.14〜2005.7.09】
《当時の解説文》
吉川駅を発車する101系の西船橋行下り列車です。今から20年前の映像になりますが、写真左側の方はかなり変わってしまいましたね。映像を見ると吉川駅がどうしてこのような構造になったのか理解できますね。中の線路は武蔵野操車場上り到着線です。
1985初夏・吉川駅
随分昔から自分は古いものを追いかける習性がありまして、一時期EF15・16・58や旧型国電をに興味を持ち、あちこち出かけました。当時の武蔵野線の電車の映像が残っているとしたら、おまけにしか過ぎないといった状況でした。今から考えるとホントにもったいない事をしたと悔やんでいます。
今後、旧型電機や旧型国電の映像もアップして行きたいと思います。
【掲載期間:2005.7.10〜2005.7.28】
《当時の解説文》
とてつもない映像が登場しました(笑)。武蔵野線馬橋駅(ぉぃ)・・・常磐線への引き込み線の馬橋方合流点に入る東京機関区所属のEF15−11です。武蔵野線では東京、新鶴見、高崎第二、八王子の各機関区に所属するEF15があちらこちらで見られました。 
1980.10.14 馬橋駅
吉川駅1番線ホームの西船橋方から300mmのズームを使用して撮影したものです。自分では面白い角度で撮影できた写真だと思っています。しかし問題なのは、最近の撮影はこの位置ばっかりになってしまいました(^^;
当時の解説文にも書きましたが、ホントびっくりでした。まさかJRWに武蔵野線103系を譲渡するなんて。噂によるともう1編成くらい譲渡される可能性があるとか。いずれにしても1両でも多くの103系が1日でも長く、本線上で姿が見られるよう祈るばかりです。
【掲載期間:2005.7.29〜2005.8.23】
《当時の解説文》
いやぁ、驚きました。全く想像できなかったE38編成JR西日本への譲渡ですが、これでまた追いかける楽しみが増えました。転籍後、吹田で全検を受けるようですが、どうか外観が変わらない事を望みます。大阪、和歌山、広島、どこでも撮影に行きまっせ
2005.6.19吉川−新三郷
これまでTOPページの映像は電車の場合、103系か101系を使用してきましたが、ラッピング広告が実施されたことにより始めて205系を使用しました。101系から103系に世代交代したのが今から約20年前。今回の103系から205系への世代交代がまもなく終えようとしていますが、これからしばらくはこの205系が武蔵野線の主役なんですよね。101系の時と同じで武蔵野線オリジナルの番台ですから、近いうちに愛着が湧くようになると思います。どうぞこれからしばらくの間、よろしくお願い致しますm(_ _)m。
【掲載期間:2005.8.24〜2005.9.05】
《当時の解説文》
以外にもTOP映像で205系採用は初めてです(私が言うのも変ですが)。恐らく武蔵野線で初めてのラッピング広告をM26編成に施しました。内容は常磐線のPR。TXの影響が武蔵野線にも出ると睨んでの導入だと思います。いよいよTX開業ですね。 
2005.8.16吉川−新三郷
E14の運用離脱に伴ってUPした映像です。
先頃、中央線201系の置換えがプレス発表されました。回生ブレーキ付の「省エネ電車」までもが置換えの対象となる現状では103系の引退も受け止めなければならない時代の流れですよね。例えがよくないかも知れませんが、団塊世代の社会での歩みと共に活躍し、その世代が第一線から離れようというこの時期に役割を終えて退いていく・・・。ごく少数ですが、第2の「人生」を歩みだした車両たちには是非末永く活躍されることを祈るばかりです。季節のせいもあるのかもしれませんが、何か感傷的になってしまいますねぇ・・・。
【掲載期間:2005.9.06〜2005.11.05】
《当時の解説文》
また1編成去っていきます・・・今度はE14。この写真を見ていると発電ブレーキのモータ音を轟かせてホームに入ってきそうな気がして涙が出そうです。悪名高き103系ですが、私にとって、物心付いた時から30年以上見続けた「電車の中の電車」であり、名車なのです。長年通勤ラッシュを支えて来た頑鉄のモノトーン電車が今、首都圏を去ろうとしています。是非最後は暖かく送り出してやって下さい。
2005.6.19 吉川
10月に撮影に出かけて、ギャラリーに半分を載せるまで1ヶ月を擁してしまいました。まだ大阪編が残ってるのよね・・・早くUPせねば(^^;。ご覧のようにクハは「瀬戸内色」(?)の塗装を施され山陽線や呉線、可部線で活躍をしています。こんな遠く離れた地域で走っている車両が、撮影をした3ヶ月前には武蔵野線を走っていたと思うと何か不思議な気分がしたのと同時に、周りにいた広島の人に「この電車はついこの間までオレンジ色で東京郊外を走っていたんだよ」って教えてあげたい気分になっちゃいました(笑)
となりにいる105系が103系1000番台だった頃、共に御茶ノ水を走っていたというのも何かの因縁でしょうか(^^;
【掲載期間:2005.11.06〜2005.12.07】
《当時の解説文》
武蔵野線にあまり良くない話題が続いているのですが、明るい話題の一つとしてE38編成の西日本転籍がありました。その全車が3箇所にに別れて稼動開始しましたが、10月末に配属先となる広島、大阪に出向き撮影を行ってきました。両地区とも103系がまだ多く活躍しており転籍車たちも「水を得たさかな」のように元気に活躍しています。   
2005.10.26 広島(可部発安浦行)、左下2005.6.19 吉川 共にクハ103-821
やっぱり寂しい・・・通勤で電車に乗る時も、「もう103系は来ないんだ」と思うとさみしくて仕方ありません。最後の編成となったE15編成はホントによく姿を見たし、撮影もしました。そんな出来事ももう想い出話になってしまった・・・。
これからは気を取り直して205系を地道に追いかけていきたいと思います。103系・・・長い間ごくろうさまでした。
【掲載期間:2005.12.08〜2005.12.13】
《当時の解説文》
いよいよこの日を迎えてしまいました・・・2005.12.08、103系運転最終日。ラストランは43Eですから、4:30頃の出区で長年ねぐらにしていた東所沢電車区に別れを告げ、20:40シシ到着ですべてが終わります。最後の編成はE15編成・・・撮影に出かけると、「もういいよ」と思うくらいよく被写体になってくれた編成でした。そんなE15編成ももう見納めです。本当に長い間ご苦労様でした。101系の時と同じようにさよなら運転で花を持たせたかった・・・。自分があの世に行ったらまた乗せてもらうことにしましょう。それまで心の中で走り続けます。
2001.12 西船橋駅
毎日武蔵野線を利用していても、どうしても「てつ」として張り合いがない(^^;というか、楽しみがなくなっているような気がします。もう少し205系編成の編成内容・特徴などが記憶できれば少しは興味が湧いてくるんですかねぇ・・・。そんな状況で更新したTOPページなもんで、全然気合入ってないゾゥ!(笑)
【掲載期間:2005.12.14〜2005.12.31】
《当時の解説文》
昨日12月13日、9786Mの運転がありました。口の悪い人は「ドナドナ」列車と呼ぶ大宮総車セへの廃車回送です。これでもう武蔵野線には103系がいないんですね。さよなら運転もなく、ヘッドマーク1つさえ装着されることなく静かに去って行ってしまいました。千葉支社の京葉車セ配置なった時点で、ある程度覚悟はしていましたが・・・・やっぱりちょっと寂しい。上の写真はE7の撮影をした日にE7の1本先行で、南船橋で折返した時に撮影したものです。夕日に映えてとても美しいですね・・・行先方向幕の「臨時」はちょっとご愛嬌です(笑)
2005.2.27 南船橋駅
なんかやり無理昔の映像を使ってるって感じですね・・・。映像ですが、常磐線から入ってきた貨物列車が武蔵野操車場に到着したシーンです。カマはEF80と言う常磐線特有なもので、田端・内郷機関区に配置されていました。
【掲載期間:2006.1.1〜2006.1.15】
《当時の解説文》
新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。新年早々大昔の写真からスタートしてしまいました(^^;。武蔵野線を長い間見守り続けてきた者にとって、2005年と言う年は本当に激動の年でした。武蔵野線で約25年活躍を続けた103系が姿を消し、101・201・103系と続いたオレンジ色の鋼製車両から銀色のステンレス車205系にバトンタッチされ沿線の景色が変わりました。でもまだ国鉄車両はクハで15組残り、国鉄最後の205系もM25編成として活躍しています。さて今年はどんな出来事が待っているんでしょうか
三郷方から上り到着折返線に到着したEF80牽引解結貨物列車 1980.11 武蔵野操車場
一度103系が引退した京都・神戸線に森ノ宮区の103系を借り受ける形で復活し、その後この編成が宮原区に配置されましたが、今から考えると321系の投入時期が延びたので、その繋ぎ役だったのかなと思っています。今度は阪和線で活躍しているようなので、是非訪れてみたいと思います。
【掲載期間:2006.1.16〜2006.2.3】
《当時の解説文》
遅れ馳せながら元E38編成ギャラリー大阪編をUPしました。この映像に写っている編成の2・3・5・6両目が元E38編成から転用されたMMユニット(モハ103・102)になります。この撮影を行った2005年10月28日時点ではスカイブルーに塗装された車両は宮原に配置され東海道・福知山線を受け持っていましたが、12月に321系が運用を開始した時点でこの103系編成が運用を離れて日根野電車区に転属し6連で運用を開始したと聞いています。その意味でこの1枚は貴重なものになりました。
2005.10.28 福知山線三田・道場間、普通大阪行
元E38のクハですが、1月30日に吹田工場へ入場し妻窓・戸袋窓を塞ぐ工事を受け、3月8日に出場し広島へ戻ったようです。この映像はその工事前のもので貴重な映像となってしまいました。姿が武蔵野線時代と変わってしまったのはちょっと残念ですが、これで異端児扱いされず、西日本103系の一員として長くがんばってもらえるような気がします。また機会があったら今の姿の撮影するために訪れてみたいと思います。
【掲載期間:2006.2.4〜2006.3.20】
《当時の解説文》
元武蔵野線E38編成のクハ2両はこの写真のような瀬戸内色に塗装され広島運転所に配置されましたが、先日動きが出始めたようです。直接の確認ではなく鉄道系掲示板の情報によると、この編成が先日吹田工場に入場した模様です。クハの2両は要検、全検共に検査切れになる時期ではなく、中間のモハは要検で入場してもおかしくない時期ではありますが、どうも別の色に塗装されて転属になるのではないかとの噂が持ち上がっています。もし日根野に転属なら元同僚と編成を組む可能性もありますね。   
2005.10.27 山陽本線新井口駅、普通広島行
やっちまいました・・・orz。この映像の差替えの際、当時の解説文を保存してませんでした。何書いたっけ?(ぉぃ)
2006.3.16に天王寺駅で撮影したクハ103−1です。関西線(大和路線)内を奈良からJR難波まで探し回り、そこでいないことを確信してから天王寺で待ち構えていたら・・・来ましたよ(ゲッツ・・・古っ)。外回りの運転中、天王寺折返しで入線したところをタマタマ補足しましたv(^-^)。雨に濡れているせいもあって塗装が綺麗に見えますが、昨年5月時点よりもちょっとくたびれてるかなぁと感じました。是非環状線が201系化されても他の路線で活躍し続けて欲しいものですが・・・ちょっと厳しいですかねぇ・・・。
【掲載期間:2006.3.21〜2006.4.2】
大阪駅に停車中のクハ103-1です。隣の車両と比較するとよくわかりますが、かなり色が違うのがわかります。私の感覚ですが、どうも西日本の最近塗装された車両と東の車両や西の従来からの車両とでは色が違うような気がするのですが・・・気のせいですかねぇ。
【掲載期間:2006.4.3〜2006.4.7】
《当時の解説文》
大阪環状線で活躍するクハ103−1です。昭和39年5月に誕生し約42年間走り続けています。誕生時の相棒クハ103−2も日根野電車区で活躍を続けていますが、321系登場以後201系が大阪環状線に投入され、玉突きで奈良・日根野電車区へ転配し、そこで余剰となった車両が廃車になっています。また森ノ宮電車区配置車からも直接廃車が出ており、若番で延命工事を受けていない車両は今後、直接廃車になる可能性が高いと思われます。ちなみにこの車両の前回全検は「13−4」です…ちょっと気になりますねぇ。
2006.3.17 大阪駅
北千住〜取手を3往復したさよなら運転ですが、最後の運転を終えて松戸への回送列車が発車しようとしているところです。この後列車が動き出した時に大きな拍手が起き、「おつかれさま!」「ありがとう!」と言う掛け声があちらこちらから上がっていました。本当に感動的なシーンで、物心ついた頃から見続けたものがなくなると考えたら思わず涙ぐんじゃいましたね(^^;。
【掲載期間:2006.4.8〜2006.4.17】
《当時の解説文》
いよいよJR東日本管内の103系が本線から姿を消してしまいました。最後まで残った松戸車セ配置の常磐線103系ですが、4月8日に北千住〜取手をさよなら運転で3往復し全ての営業運転を終了しています。充当された編成は第7編成のみの10連で、できたら付属編成を従えた15連で走ってくれればと思ったのですが・・・。しかし、このような機会を与えて頂いた松戸地区の関係者の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。9日は松戸車セへ行ってホントに最後のお別れをしてきます。たくさんの想い出を残してくれてありがとう。
2006.4.8 北千住駅
非常に充実したイベントでした。特に空ノッチ実演はホント興味深かったです。参加している人数が限られているため撮影もそれほど混乱なく行えましたし、いろいろな催しも混乱はありませんでした。しかし、裏を返せば参加できなかった人が多数いた訳で、外から会場を覗き込んでいる人が多数いるのをみたら、ちょっと気の毒だなぁと思いました。
【掲載期間:2006.4.18〜2006.6.8】
《当時の解説文》
4月9日の松戸車両センター車両展示会に参加して来ましたが、ホントに楽しく充実した一日でした。多くの関係者のみなさん、大変ご苦労様でした。そして楽しい想い出をありがとうございました。残念ながら当日参加できなかった方々にそのお裾分けと言うことで、当日、会場の様子を撮影した映像をちょっぴりギャラリーにUPしました。よろしかったら覗いてみてください。
2006.4.9 松戸車両センターにて
1971年に常磐線複々線開業と同時に営団地下鉄(当時)千代田線と直通運転を開始しましたが、その時の緩行線に国鉄側の車両として導入されたのがこの103系1000番代でした。営団の6000系とよく比較され、8M2Tで抵抗器が自然空冷式の列車は「走る電熱器」と囁かれて評判はよくなかったのですが、パンタ4丁を上げて走る姿は圧巻でした。それに個人的には国鉄マークが「カッコ良かった」(^^;。昨年和歌山・広島でほぼ原型を留めた105系を見てとても懐かしかったことを覚えています。
【掲載期間:2006.6.9〜2006.7.17】
《当時の解説文》
とうとう関東地方から103系がいなくなってしまいました。松戸電車区の車両も長野へ回送され、車両の解体が始まっているようです。JR東日本の103系は仙石線用の1編成が残っていますが奇跡の復活があるのでしょうかねぇ。動いている103系を見るとしたら西日本へ行くしかないですね(^^;。上の写真は常磐緩行・千代田線用の1000番代が203系の玉突きで快速線に転用された直後のものです。常磐線無線、国鉄マークが懐かしい…。この1000番代も形式は変っていますが西日本へ行けばみられますね。
1985.5 松戸駅にて
これまた懐かしい写真を引っ張り出してきましたねぇ(爆)。1982年の奥多摩駅の映像ですが、手前が特別快速「おくたま」に充当された101系(6連?)で、奥が青梅線ローカルの103系4連です。解説文にも書きましたがヘッドマークも懐かしい・・・「ビバ・ホリデー」って、確かにそんなキャンペーンやってましたね。24年ぶりに奥多摩へ行ってきましたが、手前の線路はすべて無く、構内が狭く感じました。そう言えばこのオフ会の写真公開してなかったような・・・orz
【掲載期間:2006.7.18〜2006.8.15】
《当時の解説文》
首都圏から103系が居なくなってしまい、かなりTOPページ写真の選択に節操なくなってきたような気がします(^^;。クモハ101の特別快速「おくたま」とクモハ103の青梅線普通列車のツーショットです。こう言う風に見ると101系と103系の違いがある程度解ります。しかしこのヘッドマーク懐かしいですねぇ。この写真を見るまで東京近郊でPRしていた「ビバ・ホリデー」とそのマークの存在をすっかり忘れていました(^^;。今度オフ会で青梅線に訪れる予定ですので、24年でどれくらい変わったか見てこようと思います。  
1982.5 奥多摩にて
この写真を見て随分前のことのように感じてしまいましたが、まだ1年経っていないんですね(^^;。元武蔵野線E38編成の車両が譲渡され約1年になろうかと言う頃に戸袋窓を埋める改造工事が行われました。西日本では戸袋窓を腐食を理由に嫌っているようですが、そんなに違うものなんですかねぇ。掲載期間が8/16〜ってことは旅先で更新したようです。
【掲載期間:2006.8.16〜2006.9.6】
《当時の解説文》
8月13日に元E38で宮原から日根野へ転属したスカイブルーのモハ4両に出くわし、戸袋窓が埋められていることを確認できましたが以前に森ノ宮から奈良へ転属したモハ2両の戸袋窓がないことを確認できていましたので、クハ2両のみが戸袋窓埋めが未確認のままでした。15日に広島入りしてこの車を「リーチ一発ツモ」状態で引き当てました(ぉぃぉぃ)。やっぱり印象が変わってしまうものですね。うっかりしていると見逃してしまいそうです。これでサイドビューから判断できるのは、車号と乗務員室扉くらいですねかねぇ    
2006.8.15 広島駅にて
兵庫県には何度か出かけたことがあったのですが、和田岬支線の存在は気にかけたことがありませんでした。103系が淘汰されつつあるこの状況でこの路線に103系が使われていることから今回行ってみようと考えました。行った感想は、ちょっと不思議な路線でしたね。関東で言えば鶴見線みたいな存在かもしれませんが、ラッシュ時は6両編成で運転していながら昼間は何時間も運転されない・・・そのギャップがおもしろいですね。
【掲載期間:2006.9.7〜2006.10.31】
《当時の解説文》
8月17日に訪れた山陽本線和田岬支線の基点である兵庫駅です。沿線は住宅地と工場地帯の顔を持ち、川崎重工の鉄道車両工場脇をすり抜けて走っています。最近まで「和田岬は非電化」と言うイメージを持っていたのですが、もう5年も前に電化していたんですね。車両は網干・明石支所配置の103系6連です。夕方の和田岬駅で勤め帰りの多くの人が103系に吸い込まれていく様子を見ていると、古き良き日本の風景だなぁと感じました。でもこんな運転に用いられるとは、103系ももう末期的状況ですね。   
2006.8.17 兵庫駅にて
今回も和田岬支線です。解説文にもありますが、何かローカル線チックなところがおもしろいと言うか・・・神戸市内で住宅や工場が立ち並んでいるので実際はローカル線ではないのですが。車の状態も良いのでしばらくはこの編成が使用されると思いますが、いつまでもこの風景が見られるといいなぁと思っています。
【掲載期間:2006.11.1〜2007.2.25】
《当時の解説文》
今年8月に訪れた山陽本線和田岬支線の103系です。写真としては暗いし、粒子は粗いし、ピントは甘いしで最悪なのですが、何か絵本か何かに出てきそうなガタゴト揺れながら走るローカル電車っぽいところが可愛らしくてTOPページに使ってみました(決してネタががなくなったなんて言わないで(笑))。関東の感覚で言うと、南武支線、京成金町線や東武大師線のようなイメージでしょうか。線路はまっすぐなんですけど架線がまっすぐでないのがよくわかります。架線柱がH鋼なのもおもしろいですね。   
2006.8.17 和田岬駅から
茨城交通の阿字ヶ浦駅です。初めて気動車の写真を使ってみました。最近、地方のローカル私鉄の廃止が相次いでいます。同じ茨城県では鹿島鉄道が廃止になり、その前では日立電鉄、さらに遡ると筑波鉄道(古すぎ!)。他の地区でも「くりでん」、神岡鉄道、北海道ちほく高原鉄道等々。この茨城交通も経営は安泰と言う訳ではなさそうで、行末が少し心配です。民間会社である以上、利益を追求せねばなりませんが、今日の地方に於ける鉄道業に利益を求めるというのは現実的ではないような気がします。「環境にやさしい乗り物を守る」ためにも福祉的観点も必要なのではないでしょうか。
【掲載期間:2007.2.26〜2007.3.24】
《当時の解説文》
もう随分前になりますが昨年10月にyujitさんと茨城県内の「乗りてつ」に出かけてきました。「ときわ路パス」と言う茨城県内のJR線や関鉄、茨城交通、鹿島鉄道等が1日乗り放題2000円と言う破格な特企券を使用したのですが、この日は天気も良く、朝から晩まで鉄分をたっぷり補給できた日でした。これはその途中の茨城交通阿字ヶ浦駅での1コマです。車両はキハ22類似車で留萌鉄道から移籍したものだそうですが、TOPの映像は当分手持ちの国鉄型車両の写真を使用してみようと思います。  
2006.10.8 阿字ヶ浦駅
今回も気動車です・・・予讃線下灘駅の夕暮れの風景です。今の職場に移って約2年が経過しましたが、どうも馴染めず、忙しさも手伝って「鬱」ぽい症状も出ていましたが、この景色は一時の最良の「薬」になりました。たった2時間しか滞在していないのですが、ものすごい時間がゆっくり流れたような気がしました。また何もかも嫌になったらここの景色を眺めに行こうかなと思っています。
【掲載期間:2007.3.25〜2007.6.4】
《当時の解説文》
ここしばらく仕事が忙しくて土日も満足に休めなかったのですが、その溜まった代休を消化することになったので以前から行きたかったこの写真の場所・・・愛媛県下灘駅へ出かけてきました。18キップのポスターに使用されたり、映画「男はつらいよ」のロケで使用された場所です。線路の向こうには瀬戸内海が広がって、夕日が海に沈んでいく様子を撮影したり、ぼーっと眺めていましたが何か時間がゆっくり流れているような感じでした。車両は松山運転所配置の国鉄型車両キハ47です。  
2007.3.18 予讃線下灘駅
初めてバスの写真を使ってみましたが、よくよく考えるとかなりローカルな話題と言うか、映像を使ってしまって失敗だったかなぁと思いましたが、サイト名に系統番号「吉01」を使用しているのだから「まぁいいか」と開き直っていたらだんだん愛着が湧いてきました(^^;。ウチの周りで最近バス路線がいくつか開設されていますが、利用する方ももう少し自分たちの足を大事に守っていかないと、そのうち本当にバスがなくなってしまうのではないでしょうかねぇ。路線新設の陳情をして開設されたら放っぽりぱなしではいつになってもバスを取り巻く環境がよくならないと感じています。
【掲載期間:2007.6.5〜2007.7.24】
《当時の解説文》
前回の下灘駅の映像が気に入っていたので差し替える決断ができなかったのですが、2ヶ月半以上も経っちゃうとねぇ・・・(^^;
ダイヤ改正でちょうどタイムリーだったので初めてバスの映像を使ってみました。手前が東武バス吉川営業所の新7EノンステップTYPE-A架装車です。東武バスで初めて導入された7Eノンステ車でしたが、平成13年に導入されて早いものでもう6年経ちました。後方の車両は朝日バスのいすゞエルガミオのノンステップ車で、まだ最近投入された車両です。  
2007.6.05 吉川団地停留所にて
7月、岩手県を中心に東北地方の乗り潰しにでかけました。台風の接近で2日目後半からあいにくの天気になってしまいましたが、いろいろ見聞きできてよいたびでした。特に山田線と岩泉線は充当されている車両がまだ旧型のもので、勾配区間が多いことからキハ52を中心にキハ58などの2エンジン車が用いられている貴重な線区です。現在、盛岡色に混じって写真のような国鉄色の車両も見ることができます。米坂線などにも国鉄色が登場しており、国鉄時代を知る者としてはうれしい限りです。
【掲載期間:2007.7.25〜2007.9.24】
《当時の解説文》
7月の3連休で三陸方面を乗り歩いてきました。車ではもうイヤと言う程行っていたのですが、列車で訪れたのは初めてでした。最近気動車の新車を水郡線などに投入し、余剰となったキハ110が花輪線などに転配されて玉突きでキハ58やキハ52が廃車にになっていたので、もう旧型の気動車には乗れないかなと思っていましたが、山田線や岩泉線でキハ52がバリバリ稼働中でした。しかも国鉄色の車両も何両か見ることができます。何か30年くらい前にタイムスリップしたようですね。  
2007.7.14 山田線区界駅



ただいま原稿作成中





【掲載期間:2007.9.25〜2007.10.31】
《当時の解説文》
ここのところTOPページ映像は国鉄生まれの車両を選択していたのですが、新車を撮影できたので今回は番外編と言うことで。玉突きで花輪線のキハ58、52等を余剰車にした元がこの車両E130系です。9月上旬にyujitさんと水郡線乗り潰しのたびに出かけたのですが、利用者の多さに驚かされました。元々キハ110充当の線区でしたが、これだと2扉車ではちょっとつらいですね。内装や加速性能もまずまずで、欲を言えばきりがありませんが地方用車両としてはよくできていると思います。
2007.9.8 水郡線上菅谷



ただいま原稿作成中

 


【掲載期間:2007.11.1〜2007.3.15】
《当時の解説文》
先日、今話題の鉄道博物館へ出かけてきました。まず第一の感想は『広い!』でした。間近で見ればこんなに大きな車両を多数同じ建物の中で格納、展示されている訳ですから広いのと同時に迫力があります。平日だったにも係わらず多くの人が入場されていましたが、小学生らしき子供も多かったのはどうしてでしょ?。写真は181系の「とき」と455系の「まつしま」で、昔の上野駅地平ホームを再現しています。改札口上にあった発車案内板も再現されていましたが、とても懐かしいですねぇ。
2007.10.19 鉄道博物館



ただいま原稿作成中

 


【掲載期間:2008.3.16〜2008.7.13】
《当時の解説文》
3月15日に武蔵野線25番目の駅として『越谷レイクタウン駅』が開業しました。私も新潟記念Suicaを購入した帰りに早速立ち寄ってみましたが、第一の感想は「広くて明るい」でした。駅中央部分の屋根に「幕」を用いていることから屋根からも採光ができ、壁もガラスが多く使われているため、朝から夕方まで自然光だけでかなりの明るさになると思います。周辺は元々あった高校くらいしか施設が無く、住宅も商業施設もまだ建設中で秋には日本最大級のイオンモールが開業します。
2008.3.15 越谷レイクタウン駅



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【掲載期間:2008.7.14〜2008.8.17】
《当時の解説文》
今回は国鉄型車両シリーズです・・・前回の205系も国鉄型ですが(^^;。5月に久留里線を訪れたのですが、その時に撮影したキハ38です。昭和61年度の製造で7両全車が国鉄の工場で製造されており、キハ30等の廃車による発生品やバスの部品を用いる等、徹底したコストダウンが図られ、当時の国鉄の財政状況の悪さを物語っています。現在は全車が久留里線に集結して余生を送っています。同線にはキハ30も残存し、タブレットも使用しているのでオールドファンにはたまりませんね。
2008.5.3 横田駅

Last update 2008.8.18



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