上海〜無錫〜上海
1991年2月8日〜11日
有志8名で真冬の中国へ、この年から有志での冬の中国旅行が始まる。上海のホテル地下のカラオケバーで演歌で日中友好を行う。
2月8日 飛行時間3時間。免税店のウィスキーでとろんとしたと思ったら眼下に中国大陸が見えだして下降、旋回し着陸態勢に入った機の窓に、見覚えの上海の街並みがぐっとせり上がって来た。入国審査パス。8人の「日本老年組」は出迎えのガイドと対面。中国旅行社の若いガイド嬢秦さん北京外語大卒、22歳とは思えぬあどけない素顔が爽やか。老年組もまずは安心。空港から市内へ。上海訪問は3回、5回の一行と聞いて申し訳なさそうに差し出す「上海案内」を片手に、手持ち無沙汰の秦ガイドに、最近の物価・住宅事情など一応の経済的?質問。模範的回答にうなづきながら、窓外の街並みを観察する。夕方のラッシュが始まった市街は、通勤自転車の洪水と満員バス、車のクラクション、バス停に群がる人々や街路頭上に干された洗濯物の下を行き交う人々。無錫への列車待ち時間を駅前のレストランで夕食。先ずは老酒で乾杯。1本3元(約80円)也。春節(旧正月)を目前に、帰省客でごった返す上海駅の我ら外人客用待合室はがらんとして人けなし。天安門、湾岸戦争が陰を落として、日本をはじめ欧米の旅行者がた減りで、中国国鉄、旅行社は目下渋い表情だ。南京行の客快(急行)336列車は20時15分定刻発車。無錫までは128q、約2時間。15輌編成の1輌が軟座車(グリーン車)、他の硬座車(普通車)は満席だが、軟座車は我ら8人の老年組と、自称?香港旅行団のオバサン連中だけで車内はがらがら。座席の真ん中の小卓へ中国茶碗を無雑作に並べ、年配の女性車掌?が事務的に龍井茶サービス途中停車駅の蘇州までは1時間半。頃合いを見計らって、女性車掌?は車内販売員に変身、ちょっとは笑顔でお馴染みの「掛け軸」を仲間で8本購入、引き揚げたと思ったら次はスカーフの箱を抱えて販売。これも10数枚購入し中国の発展に寄与。今夜の宿は太湖畔の「湖濱飯店」。 無錫に向かう車中で 上海駅外人用待合室 2月9日 終日、無錫市内観光で前にも来ている錫恵公園、泥人形工場等の見学と太湖遊覧して18時36分の列車で上海に戻る。上海の宿は「上海賓館」明日も同じ。 無錫 ・錫恵公園 太湖湖畔で 2月10日 終日上海市内観光で、玉仏寺、豫園、ガーデンブリッジ、魯迅公園、上海動物園でパンダとご対面。無錫、上海で、昼も夜も紹興酒で乾杯。年代物の紹興酒はホテルで10元(250円)街の食堂では3元から5元、日本の十分の一以下の値段に驚嘆。本場老酒を堪能。上海最後の夜はホテルの地下のカラオケバーに繰り出した。広い客席はほぼ満員で、リクエストの順番待ちは1時間。上海ビールをラッパ飲み。3時間粘って一人3曲。台湾、香港あたりのギャルの得体の知れない歌にも友好的拍手。こちらは「湯の町エレジー」「愛染かつら」はては「チャンチキおけさ」の熱唱。国際カラオケ交流。熱烈友好的拍手交換。中国服の美人ホステスを侍らせて、日本老人組もご機嫌。 上海・玉仏寺 上海・豫園 上海動物園のパンダ 2月11日 朝のMU便で帰国。 |