日常


目の前にあるのは、書類の山。カッツェは、これを今日中に片付けろなんて言いやがる。
ちょっとキツいんじゃねーかなぁ……。
だってコレ、数週間分はあるし。ぜってームリに決まってる。
けど、カッツェの野郎に不平不満を漏らしたところで、返ってくるのはウザったい小言だけ。

『お前には、計画性というものがないのか…』

さっきだって、ほとほと呆れた顔してみせて、溜息交じりにそう言いやがった。

フン、悪かったな。まぁ、俺もだいぶ遊び過ぎちまったな〜とは思ってる。
一国の主として、それは見過してもらえるっつーレベルじゃねーもんな。
俺だって、自覚してないわけじゃない。けど、それは裏を返せばカッツェの野郎が俺の補佐役としてそれなりに有能だし信頼できるってことで、少しくらいサボったってどうにかしてくれると思ってたワケで。
そんなだから、俺は事あるごとにヤツに仕事を任せてたんだが……

『オレは、任せられた覚えはないな。押し付けられたことならあるが』

なーんて、嫌味にも聞こえる言い方をしやがる。しかも俺のこと、すっげー睨んでたし。

あ〜あ、さっきから全然はかどらねー。
アイツの小言が頭から離れねぇ所為だよ…ったく。

「くそっ、やってらんねー」

思わず声に出してから、椅子の背もたれに身体を預けて思いきり伸びをする。
まだ時計の針は一周どころか、その半分も回っちゃいない。けど、それがなんだってんだ。


「……集中力が足りていないようだな」


突然、背後から聞き慣れた声が響いた。
……音を立てずに忍び寄るのは猫の特性。
俺は声のする後方に向かって、気付かれないよう小さく舌打ちする。
声の主はというと、後ろ手でドアを閉め、俺の方へと近付いてきやがった。

「んだよ?」
「言わなくてもわかるだろう。休む暇があるなら、さっさと片付けるんだな」
「お前、わざわざそれ言いに来たのか?」
「主君がサボることのないよう監視するのは、従者として当然の役目だろう」
「だったら、王子が困ってる時に助けるのも、従者としては当然の役目だろ?」

カッツェの口調を真似て言い返す。

「ワガママも大概にしろ。今回の件に関して言えば、すべての責任はお前にある」

やけにキツい物言いだな。相当怒ってやがんのか?

「自分のことは、自分でしろって?」
「そういうことだ。これ以上、オレを煩わせるな」

わかったから、そんな怒ったような目で俺を見るなって。
カッツェは溜息でもつきたそうな顔をして、独り言のように呟いた。

「お前は普段から、オレの言うことを素直に聞いた試しがないからな……」


―――― つーか、そんなこと…今更だろ。


お前が俺の参謀役を買って出た、あの時よりもっと前。それこそ子どもの頃から、俺はお前に対してそうだったんだから。

「それなのに、オレはいつだって、お前の…、…」

言いかけて、ふと止める。カッツェはその先を言わない。

「…なんだよ?」
「……別に何も。それより、さっさと作業に戻れ」

俺の手が止まってることがそんなに気に食わないのか、カッツェは手近な書類の束を俺の方へと押しやると、そのまま何も言わずに部屋を出て行く。
アイツが言い淀むなんて珍しい。歯切れ悪ィと、余計気になるっての。

俺は、カッツェにとやかく言われるのだけは嫌だったから、とりあえずこの数時間だけはがんばって耐えた。
アイツのことだ、さっきみたいに手を休めれば、また足音立てずに入って来るに違いない。
それにホントは監視なんて、口先だけだろうし。
ヤツの場合、その場の空気や気配を少しでも感じ取れさえすれば、それですべてが分かっちまうんだから。
肝心の俺の仕事の進み具合はというと、早くもなく遅くもなく、いつものペースでやってるから、まだまだ終わりは見えそうにない。
いくら今日中に終わらせろったって、限度ってモンがあるだろ。
未処理の書類は脇に無造作に積まれたままだ。いっそ全部消えてくれたら、どんなにセイセイすることか……。

そんな事を考えてると、ふと背後に気配を感じた。またかと思いながらも振り返る。

あぁ、やっぱコイツってば正真正銘の猫だよな……直前まで気配消してやがるし。

「いくらか、進んだようだな」

俺の隣に立ったカッツェはそう言うと、机に散らばった書類を手にし、目を通し始める。

仕事で疲れてる俺に向かって掛ける第一声が、それか?気遣いのカケラも感じられねぇな。
さすがの俺も、ちょっとばかしカチンときた。

「いくらか、じゃねーよ。これでも結構片付いた方だろが」
「今まで溜め込んだ分をこなすのは当然だろう。自業自得というヤツだ」

疲れてる俺の気も知らないで…っ
それにな、俺だって自分の行いが自業自得だってことぐらいわかってんだ。
自覚してることを、こう改めて指摘されると、すげームカつく。

「あー!!もう休憩だ、休憩!!やってらんねーよ」

俺は椅子から勢いよく立ち上がると、すぐ横のソファーに身体ごと投げ出して、思いきり四肢を伸ばした。

「やれやれ…」

カッツェはそんな俺を横目で見て、軽く溜息をつく。

…なんか、癪に障るな。
でもこんな状況じゃ、さっきヤツが言い掛けた言葉の続きを訊きたくても、聞けないんだけどな。

なんとなく、気になったから。ただ、そんだけ。

俺は、ソファーに身を沈めたまま目を閉じる。
その横で、ガサゴソと紙を掻き集める音がする。カッツェの野郎が、俺の仕上げた書類でも仕分けてんのか…。
そんなことをボンヤリ考えてると、頭上から声が降ってきた。

「おい、横になるなら他の場所にしろ。お前の体重でソファーが傷んだらどうする」

薄目を開けると、書類の束を手にしたカッツェが立っていた。
マスクのおかげで表情は読めないが、その目はいくらか和らいでいるようにみえる。

「なぁ、カッツェ」

今のそのセリフは聞き捨てならねぇが、それより今は他に聞きたいことがあるからな。

「何だ?」
「お前さっき、言いかけただろ?」
「は?」
「途中で止めたじゃねーか。らしくねぇ」
「……さぁな」

どうやら、思い当たったようだ。

「言えよ」

先を促すように、じっと見上げる。
そしたらカッツェは、溜息交じりにこう言った。

「…そうやってオレに命令するお前と、それに従う自分について考えていただけだ」

金の瞳が、僅かに翳る。

「…それだけか?」
「それだけだ。まぁ、お前がオレをどう思っているのかと問うならば、何でも自分の言う通りに動く召使並みの配下、といったところか。今回の事だってそうだ」
「別に、そんな風に思っちゃいねーよ」

そりゃ、お前をアテにしまくってた俺も悪いとは思うが、今はそれなりに反省もしてる。

「どうだかな。おかげでオレも最初のうちは少々手を焼いたが、しばらくしてお前の仕事をそこまでして手伝う必要もないと悟った」

…そのまま悟ってくれなくてもよかったんだけどな…なーんて。

「つまりは、自分のことは、自分でしろって?」

数時間前に口にしたセリフを、もう一度。

「あたりまえだ」

カッツェは、ツイと視線を逸らして横を向く。

「お前がオレを頼るのは、それ以外のことだけで十分だ」

あぁ、その横顔がカワイイなんて言ったら、本気で張り倒されるかな。
俺はそんなことを思いながら、ゆっくりとソファーから身を起こす。
そして、残りの書類を少しでも片すべく、机に向かった。


Fin.


update : 2006.2

表記としてはヴィント+カッツェかな…。一応フェンリルの治安が安定した後の話ってことで。じゃないと、ヴィントはこんなにお仕事サボれません!


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