山口県の旅行・観光名所、穴場スポット、グルメ&お土産情報満載!

のんびりドライブを楽しんで、旅先で見た山口県の風景を紹介しています。
各地域で購入したお土産や、ご当地の食事なども写真で地域別に紹介。

山口県の風景(萩市)

前原一誠旧宅

松下村塾門下生の一人で、吉田松陰に目をかけられ「勇有り、知有り、誠実さ人に過ぎる」と
称賛された人物です。
維新後は参議や越後府判事に就任するも木戸孝光や山縣有朋と対立し、萩へ帰郷。
新政府に失望した前原は明治9年(1876)、不平士族を集めて萩の乱を引き起こしましたが
鎮圧され捕らえられ、12月3日に斬首刑に処されました。享年43。

前原一誠旧宅は当時のままで現存していますが、見学は外観のみとなっています。




前原一誠(1834~1876)
安政4年(1857)、24歳で松下村塾門下生となる。
松陰に目をかけられ「勇有り、知有り、誠実さ人に過ぎると称賛され、玄瑞と晋作に才と識は劣るが、人物の大きさは前原が勝ると評される。

松陰の死後は長崎と藩内の西洋学問所で蘭学を修め、
その後は晋作らと共に行動し、幕長戦争や戊辰戦争に従軍。

維新後は参議や越後府判事に就任。
越後府判事時代には信濃川の治水工事をはじめ、困窮農民の年貢を半減するなど民生に手腕を発揮したが、新政府の木戸孝允、大久保利通らとは意見が合わず明治3年に辞職し帰郷した。

全国的に維新の改革により士族たちの不満が渦巻き、萩藩でも士族の不満は高まる。
明治9年(1876)の秩禄廃止(秩禄給与の全廃政策)により士族の不平不満が爆発し、
明倫館を本営として挙兵(萩の乱)するが鎮圧され捕らえられ、12月3日に斬首刑に処された。享年43。

この萩の乱には松下村塾門下生が多く関わっており、責任を取る形で、松陰の叔父であり
松下村塾創設者である玉木文之進は先祖の墓の前で自害し、塾は閉鎖となる。

前原一誠旧宅
前原一誠旧宅周辺は住宅街で。
生活道路も狭い。

駐車場もないので、徒歩で来るか、
レンタサイクルを利用する必要がある。

何年か前から幕末の偉人めぐり旅をしていたけど、前原一誠旧宅はずいぶんと後回しに
なっちゃったなあ。維新巡りは歩く必要があるから、季節が限られちゃうんだよね(笑)

前原一誠旧宅

前原一誠旧宅は当時のままで現存しているが、
個人所有の為、見学は外観のみとなっている。



INDEX


前原一誠旧宅

旅をした日
2018年06月13日
………………………………………駐車場
無し
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
野山獄跡・岩倉獄跡
………………………………………最終更新日
2020/02/09
内容一部変更


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