山口県の旅行・観光名所、穴場スポット、グルメ&お土産情報満載!

のんびりドライブを楽しんで、旅先で見た山口県の風景を紹介しています。
各地域で購入したお土産や、ご当地の食事なども写真で地域別に紹介。

山口県の風景(萩市)

天樹院墓所

天樹院墓所は萩藩を創設した毛利輝元の墓所で、輝元と夫人及び家臣の長井元房の
五輪塔形墓石3基があります。

ここは以前輝元の隠居所(四本松邸)のあった場所で、輝元の死後に天樹院(輝元の法号)
という菩提寺が建てられましたが維新後に廃寺となり、現在は墓所のみが残されています。

天樹院墓所

この日は萩のぶらり旅歩きということで、堀内地区周辺を散策。この時に見て回れなかった名所は翌年に大河ドラマ「花燃ゆ」に関連して、維新旅をしている。

天樹院墓所には駐車場がないので、歩きとなる。
入口には毛利輝元卿墓所という碑が立っている。
天樹院墓所

現在は廃寺となり、墓所のみが残されている状態だが、墓所の維持管理のために、大人20円の拝観料が必要。

入口の所に料金箱が設置されているので、拝観料を入れてからお参りをしよう。
天樹院墓所木々に囲まれているので、新緑の頃なんかはいいかも。
天樹院墓所天樹院墓所

墓は五輪塔形で、毛利輝元のものは高さ2.1m、夫人のものは1.8mと大型だ。
萩藩を創設した毛利輝元の墓所を始め、県内では同じく萩市の東光寺と大照院、
山口県の香山公園の4ヶ所に藩主毛利家の墓所がある。
毛利輝元

毛利輝元は、天文22年(1553)毛利隆元の長男として安芸国吉田郡山城(現在広島県安芸高田市)に生まれました。戦国時代中国地方の覇者となった毛利元就の孫にあたります。

永禄6年(1563)父隆元の死去にともない家督を継ぎ、祖父元就の手によって養育されます。

毛利輝元

織田信長や豊臣秀吉と覇を競い、中国地方8か国112万石を領有する大大名に成長し、天正17年(1589)広島に居城を築きます。豊臣政権下では五大老の一人となり権勢を誇りましたが慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで破れ、周防・長門2か国36万9千石にさ削封されました。

慶長9年(1604)、居城を萩に選定し、同年11月11日、萩城に入城。萩開府にあたって、城下町の建設を推し進めるとともに、萩藩経営の安定に腐心しました。

寛永2年(1625)73才で没し、萩城三の丸(堀内)の天樹院に葬られました。(説明板より引用)
長井元房の墓

こちらは、輝元の家臣であった長井元房の墓。
元房は、若いころ萩から逃げ出し他国に流浪していたが
その間も輝元はひそかに元房を庇護。その後、萩に戻った元房を以前同様に家臣として遇した。

輝元が亡くなると、後を追って殉死。
招福堂縁起絵巻

元房にはたいへん可愛がっていた猫がおり、忠義の猫として、猫町伝説が残されている。招福堂縁起絵巻は天樹院の末寺、雲林寺で入手だ。

猫は主人である元房亡き後の49日の間、天樹院にある元房の墓前から離れようとはしなかった。やがて、自ら舌を噛んで、亡き主の後を追ったという。

すると、夜になると辺りに猫の鳴き声がするようになった。
天樹院の僧が猫を哀れんで供養をすると、不思議と声はピタリとおさまったのだという。
雲林寺 千体地蔵として知られる萩市むつみの雲林寺がネコ寺として人気。
境内、そして本堂内もネコづくしで、住職手作りのネコの絵馬に
おみくじ、お守りがとても可愛らしい。

猫町萩博物館の西側の筋に元房の屋敷があたことから、
この筋に猫町(ねこのちょう)という名が付けられている
萩にゃん

で、こちらが猫町伝説の主人公、忠義の猫のよみがえり、萩にゃん。毛利家紋の肉球バージョン入り陣傘をかぶり、首には鈴の代わりに萩の特産品「夏みかん」。
服は憧れの人・高杉晋作が結成した奇兵隊の隊服を着用。

好きなものは蒸気まんじゅう、長州おはぎ、金太郎、
萩の瀬付きあじ。

萩市観光課課長代理に就任し、全国に萩の魅力をPRしている。
萩にゃん。 萩にゃん。朝の城下町散歩イベントでは、記念撮影や
握手など、萩市観光のお客様をおもてなし♪

INDEX

天樹院墓所

旅をした日
2014年03月23日
………………………………………拝観料
大人:20円
小人:10円
………………………………………駐車場
無し
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
堀内まちあるき
萩城跡・指月公園
菊ヶ浜海水浴場
堀内鍵曲
………………………………………最終更新日
2019/08/27
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