山口県の旅行・観光名所、穴場スポット、グルメ&お土産情報満載!

のんびりドライブを楽しんで、旅先で見た山口県の風景を紹介しています。
各地域で購入したお土産や、ご当地の食事なども写真で地域別に紹介。

山口県の風景(長門市)

村田清風旧宅(三隅山荘)


5代の藩主に仕え「天保の改革」を実施し、財政難であった長州藩の藩政改革に
手腕を振るった村田清風(むらたせいふう)。
人材の養成にも力を注ぎ、後継者の周布政之助や吉田松陰に影響を与え、
明治維新の礎を築いた人物として知られています。

清風が生まれた家は現在も残されており、1855年(安政2)に病死するまで過ごしています。
隣には村田清風記念館もあり、清風の遺品や周布政之助に関連した品々が展示されています。




村田清風
村田清風(1783〜1855)
天明3年(1783)4月26日、村田四郎右衛門光賢の
長男として、長門市三隅下沢江に生まれる。

文化5年(1808)26歳で毛利斉房の小姓役になると
72歳までの46年間に5代の藩主に仕え、特に最後の
藩主敬親に抜擢されると、財政難であった長州藩の藩政
改革に手腕を振るった。

また、人材の養成にも力を注ぎ、後継者の周布政之助や
吉田松陰に影響を与え、明治維新の礎を築いた人物として
知られている。

一度は隠居するも、安政2年(1855)に周布政之助の要請により再び藩政に携わる。
しかし持病の中風(脳血管障害)が再発し、同年に萩市平安古(ひやこ)の役宅で死去。


村田清風旧宅
こちらが清風が生まれた家。
ずっとこの家に居たわけではなく、19歳まで
過ごした後に萩に移り住んでいる。
再び家に戻ってきたのは弘化2年(1845)で、
死去するまでここで過ごしたらしい。

現在は国の史跡に指定されている。


村田清風旧宅
おじゃましま〜す(入れないけど)

さて、この家があるのは長門市三隅の下沢江。
清風は幼少時代にこの家から萩市の明倫館までの
道のり約20kmを毎日徒歩で往復したんだとか。

とてもじゃないが真似できん(笑)

現在「清風キャラバン」なるものがあって、毎年7月中旬に小中学生を中心にキャラバン隊を
構成して三隅から萩までを1日がかりで歩くらしい。

村田清風の遺徳を偲ぶとともに、郷土の歴史を再確認してもらおうという意図があるみたいだ
2017年は開催されてないような気もするが…。


清風旧宅清風旧宅

清風旧宅は三隅山荘とも呼ばれ、清風はここで約30年過ごしている。
隠居後は、吉田松陰などが清風の教えを乞うために山荘に訪れている。

五葉の松山荘前にあるのは五葉の松
文政5年(1822)清風が40歳の頃、武蔵国八幡宮で
購求した五葉の松の稚苗を移植したもの。
その後、明倫館再興掛として大いに尽くし
諸規則改革等の事成るに及んで、記念して嘉永元年
(1848)明倫館御殿に67歳の頃寄贈しているものと
同様のものらしい。

成12年1月末に降った豪雪のため、
上部の枝の大部分が折れる被害にあったとのこと。


清風松

清風松
松食虫の被害で枯死した清風松の孫松で、
平成13年3月にこの地に移植したもの。


すぐそばには清風松の碑がある。

明治元年(1868)5月、萩に帰った木戸孝允は平安古にあった村田清風の別宅を
訪ねてみると家人は山口に移り住み、清風遺愛の松が寂しげに留守を守っていた。
かつて清風をして『松を撫して唯託す千秋の後』と詠ぜしめた清風松を見て感慨無量、
後人の剪伐を戒めるために自ら石碑を選び碑文を草して『清風松の碑』を建てた。


尊聖堂尊聖堂(そんせいどう)
村田清風は天保年間の内紛の際、郷土の青少年に
文武の振起と士風作興(しふうさっこう)を講ずる
ため、三隅山荘のこの地に尊聖堂を建立し、
天保13年(1842)8月21日釈典(せきてん)
(孔子の祭り)を行ったものである。
山県大華(やまがたたいか)(藩校明倫館十代学頭
の撰文尊聖堂記は、村田清風記念館に展示してありこの建物は往時のものを記念するために縮小した
ものである(説明板より)


籾貯蔵庫籾(もみ)貯蔵庫
文政元年(1818)村田清風36歳のとき、江戸浪人
柴田癸堂(しばたきどう)から米の籾貯蔵法の
口授を受けて記録し、それに基づき建造した倉庫。
床下の風通しに配慮が払われている。
籾貯蔵法はその後、天保改革のころから藩内に
広まった。これにより米を良質のまま長く貯蔵
できるようになり、防長米の名声は一層高まり
高値で取引された(説明板より)


村田清風の墓への道

村田清風の墓は旧宅から335m離れた
大歳山にある。
行ってみようと歩いたんだけど、入口周辺に大きな
○モがいたので先に進めず断念。
↑もう怖くて怖くて(笑) 大っ嫌いなのだ!


村田清風記念館
さて、村田清風旧宅側には村田清風記念館がある。
館内は村田清風及び、清風の改革の後を受け継ぎ、
革新的政治家として藩内外の志士を指導し、
難局した藩政の舵取りをした周布政之助の生涯や
業績をパネルで紹介、遺品等を展示している。

パネルでの展示では、幅広い年齢層に対応できるようストーリー性や漫画が使われている。


周布政之助(偉人かるた)
周布政之助(1823〜1864)
村田清風の影響を受けた人物であり、清風の死後は
改革を受け継ぎ、革新的政治家として藩内外の志士を指導幕末期の長州藩の実質的指導者(尊王攘夷派)として、
難局の舵取りを行っている。

長州ファイブをイギリス密航留学へ送り出したのも
周布政之助であり、日本の近代産業の発展にもつなげた。

1864年、イギリス・フランス・オランダ・アメリカ
四国との武力衝突事件、いわゆる下関戦争の勃発後、
高杉晋作とともに改革派と保守派の藩士の暴発を
抑えようとするも失敗。

その後に起こる禁門の変や第一次長州征伐も事態の収拾に奔走するも、
実権を椋梨藤太ら保守派に奪われる。
苦難が続く長州藩。その責任を感じた周布政之助は9月26日深夜、山口矢原の
庄屋・吉富藤兵衛邸(現・山口市辛町)にて自刃。享年42歳。

墓は自刃の地に近い石州街道のそばに建てられ、後に近くに顕彰碑が建てられる。
現在も一帯は「山口市周布町」としてその名を残している。


村田清風記念館の展望所村田清風記念館の展望所

村田清風記念館の2階は展望所になっており、三隅の風景を眺めることができる。


村田清風特製しおり周布政之助特製しおり



2018年は明治維新150年ということで
村田清風の特製しおりがもらえた。
裏には文のイラストも描かれている。

周布政之助の特製しおりは
2015年5月訪問時に貰ったもの。


村田清風記念館村田清風記念館しおり

帰る前に入り口で売られていた村田清風のお土産を購入。
左は7枚入りの村田清風ポストカード、右は記念館周辺で摘んだ草花で作られたしおり。


村田清風クリアファイルこちらはイラストの村田清風と、
詠んだ歌が書かれたクリアファイル。
「来てみれば 聞くより低し 富士の峯
 釈迦も孔子も かくやあらん」

近くに来て見ると、噂に聞いていたより
富士山は低い。お釈迦様や孔子様も偉いお方と
聞いているが、これと同じだろう。手の届かない
ことと思っていたが、自分も努力してやれば出来る



INDEX



村田清風旧宅


旅をした日
2014年10月29日
2015年5月6日
2018年5月9日
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村田清風記念館・開館時間
9:00〜17:00
但し入館は16:30まで
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休館日
・毎週火曜日
祝日の場合は開館・翌日平日休館
・年末年始
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観覧料
一般200円
小中高生100円
長門市民及び市内の学校の児童
生徒は無料
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駐車場
有り
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周辺の立ち寄りスポット
みすゞ公園の桜
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最終更新日
2018年5月23日
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