山口県の観光スポット、穴場スポット、グルメ&お土産情報を紹介しています。桜や紅葉、四季の花々等、目的別の旅もおすすめ。

本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪

山口県の風景(柳井市)

池の浦道路公園 ~池の浦の合戦~

柳井市と上関町を結ぶ県道72号線沿いにある池の浦道路公園
ここからは瀬戸内海を望むことができ、ちょっとした休憩には最高のロケーションです。
平家と源氏の戦いの地でもあるので、海を眺めながら思いふけるのもいいかもしれませんね

池の浦道路公園断崖沿いに遊歩道があるので、美しい瀬戸内海の島々を眺めながらドライブの疲れを取ろう。駐車場から少し歩くけどね…。
池の浦道路公園

薄く見える大きな島は周防大島町で、右に見える島は下荷内島。

海と一緒に島々が見られる場所はいいよね♪
池の浦道路公園

波打ち際まで行くこともできるけど、砂浜ではなく石なので歩きづらい。

正面に見える下荷内島は鯨のような形をして、灯台が見える場所はまさに潮を吹く位置。ひょっこりひょうたん島にも見えますな。
池の浦の合戦

池の浦には、屋島(やしま)の合戦(1185年3月22日)に敗れた平家の軍勢の一部が室津半島に立てこもり、激しく戦ったという古戦場があるそうだ。池の浦の合戦は説明板をそのまま引用して紹介しておこう。
池の浦道路公園

合戦の模様は「風土注進案」によると、平家の軍船が大島あたりから池の浦の松原を見て漕ぎ寄せてみると、そこに大きな潟があった。これは願ってもない隠れ場所である。

ありがたや天の助けとばかり、さっそく軍船を潟の中へ漕ぎ入れた。

源氏の方から見ていると、遠く雲間にただよっていた平家の白旗がかき消すように消えてしまった。不思議に思って船を進めていると、群れ集まったかもめが帆柱の上を「こよ・こよ」と鳴いて西へ渡る。その群れについて行くとそこが池の浦で、大池に平家の軍船がひそんでいた

池の浦道路公園かもめの暗示によって平家の軍船はたちまち見つかり、池の浦の江の口で激しい合戦が始まった。平家方は破れその一部は相の浦へ、一部は皇座山を越えて赤間関へ落ちのびた。そのとき主君を奉じて越えた山が皇座山と呼ばれるようになり、平家の軍船が通った坂が平家坂、また舟を引き上げ、かついで山を越えたので船越の地名が残されたという。

なお、宇積の妻崎から200m奥に勝負が迫という古戦場がある。
ここは落ちのびた平家が源氏の追手と激戦して、一人残らず討死したところでこの名がある。
池の浦道路公園その後、池も埋まり荒れた地のままになっていたので、領主・浦元敏が領民に耕作させたけれども五穀が実らずしかも種々の怪異が起こったので、怨霊のしわざだと考え、地中に埋もれていた刀剣・矢じりなどを掘り出しそれをご神体として祭り、平家大明神と称した。これは享保11年(1726))のことである。

その後は怪異も止み、五穀は実るようになった。
平家大明神は明治4年(1871)に祭神を安徳天皇とし、社名を池浦神社と改めた。

池の浦の合戦以来、このとき鳴いた鳥を「平家だおし」と呼び、平家滅亡の命日が来ると、平家の恨みをこめて、「こーい、こーい」と悲しく鳴いて空を渡るという。今でも夜になると、その鳴き声を聞くことがあるという。

最後に、皇座山を越えて赤間関(壇ノ浦)へ落ちのびた一部の平家軍はどうなったのか?
この池の浦からさらに西へ追われること、1185年3月24日。下関市の壇ノ浦にて大将・平知盛は挽回を狙った戦いを繰り広げる。最終合戦となった壇ノ浦の戦いである。

平家軍は奮戦するも、敗北を悟った平家一門は入水し、6年にもわたる長き内乱に幕を閉じた以後、平家一族は歴史の表舞台に再び現れることはなかった。
INDEX

池の浦道路公園

旅をした日
2009年09月07日
………………………………………駐車場
有り
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
阿月湯原海水浴場
………………………………………最終更新日
2019/08/15
周辺の立ち寄りスポットに
阿月湯原海水浴場を追加


キーワード

平家

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