長野峻也の日記(2006年07月)
2006/07/26 美火月丸、外見上はほぼ完成?
まっ、写真をご覧下さい。ここまでできましたっ!
鞘作るのはちょっと苦労したけど、グリーンに染めたエイ革を町田の東急ハンズで買ってきて補強のために部分巻きにしてみました。
それと、鞘材の繋いだ部分にはこれも補強のために木綿糸を少し巻いてみました。
その上から新うるしの黒を塗って、金粉を適当に散らしてみました。
コジリは、刀剣工房の濃州堂さんに注文して突兵拵え用の真鍮コジリを取り寄せて装着してみました。
何せ、この寸法だと流石に抜く手も見せずに抜き打ちに・・・というのは無理があるので、鞘ごと突き倒せるようにしたいな〜と思った訳です。
もちろん、本当に使うつもりはありませんが、気分が出ますよね。
予算が尽きたので柄糸はまだ巻いていませんが、今の状態でもカッコイイから、当面はこのままにしておこうかと思っています。ちょっとずつ完成していくというのが楽しいんですよね。
後は、地道に刀身を研いで綺麗に刃紋が浮かぶくらいにしていくつもりです。(今度の大阪セミナーには持っていくつもりで〜す。もう甲野氏に文句言えないな〜)
2006/07/26 夜回り先生よ永遠に・・・
夜回り先生こと水谷修先生が深夜のトーク番組で若い人達を前に講演をされているのを観ました。
麻薬や覚醒剤の怖さを訴えるいつものトークだけでなく、今回は定時制の先生時代のエピソードも話されていて、思わずハッとさせられました。「人を許して自分のいたら無さを反省する」という教育者としての理想を実際にやってみせた水谷先生の靭さは、もう名人のレベルですね。
以前、うちのセミナーに参加されていた方が、水谷先生と親しいのだそうで、少しばかりエピソードを聞いていたんですが、本当に凄い人がいるもんだな〜と思います。
こういう凄い人だな〜と思う感覚は、他には田中泯さんくらいですかね。私が知っている人の間では・・・。
確かに武術・武道の世界で凄いな〜と思う方は何人もお会いしていますが、でも、やっぱりちょっと違うんですね。
武術・武道って、結局は“自分”を護るというところにかえってくるんですが、それが社会的に開かれた方向へ向かうということはほとんど無いんです。
私自身も、自分の生活支えるのがやっとこさで、世の中に働きかけていくバイタリティーは残念ながら今のところは持っていません。
でも、水谷先生って、自分というものを捨ててますよね。子供達のためにって口で言うのは簡単でも、あそこまで本気でやれる人って万人に一人もいないと思いますよ。
その証拠に、何年も前から癌に侵されて余命いくばくも無いと宣告されているというのに、あんなに精力的に活動している。しかも、何だか以前より生き生きとしている。
経絡の流れが観えるうちの師範代は、「長野先生、あの人、確かに癌は有るけど、進行してないですね」と言っていましたが、私にも朧げにそんな風に感じられます。
多分、もう“自分”という概念を捨ててしまっているから、癌の進行が止まっているんだと思います。
医学的な常識は知りませんが、癌に侵されてから長年生きるという例は実際にあるようです。簡化太極拳を制定した太極拳家もそうだったといわれます。
自分という器を捨てて大道に乗って生きれば、天命の尽きるまで死ぬことはない。
水谷先生を観ていると、これが、生命の原理なのではないか?と思えてなりません。
そして、子供達を救うという想いと子供達の想いが水谷先生を生かし続けているのは間違いないでしょう。人間の想いというのはそれほど偉大な力を発揮するものです。
だから、恨みや妬みは自らの人生を殺してしまうし、私みたいに嫉妬心を向けられるとそれを発奮のエネルギーに転換して仕事に集中するタイプもいるんですが・・・。
何だか、嫌がらせの電話とかネットで悪口書かれるとか、ああいう人達も屈折した愛情表現としてやっている訳でしょう。単に嫉妬深い性格だと言ってしまえばそれまでですが、出る杭は打たれるで、私も随分、鍛えていただいておりますね。
でも、他人に向けるエネルギーは私は無いし、そういう人達の負のエネルギーを「このヤロー、目にもの見せてやる」っと、反骨精神を燃えあがらせる燃料にしている私にとっては別に不都合はありませんけど、自分の生活を犠牲にしてまで他人の中傷に励む人達って、何か得することがあるんでしょうか?
多分、水谷先生はそこまで読めているから、「いいんだよ」と言えるんでしょうね。今まで無駄に無益に自分を駄目にしてきていた人達に、これから良くする道を示そうとしているんでしょう。やっぱり、凄い人だな〜。
2006/07/26 特撮物の名優達
ファミリー劇場で『シルバー仮面』の集中放送をしていて、改めて鑑賞し直してみると色々な発見があって楽しいですね〜。
まず、『シルバー仮面』が、『スーパーロボット・レッドバロン』と同じ宣弘社の制作だったという点を知りましたけれど、そういえば、『シルバー仮面』の後にやっていた『アイアンキング(メッチャ弱いので有名)』は、外見は変身巨大ヒーロー物だけれどもロボットという設定だったので、この後の『スーパーロボット・レッドバロン』『スーパーロボット・マッハバロン』『小さなスーパーマン・ガンバロン(ダイバロンという巨大ロボも登場)』と続くバロン・シリーズの巨大ロボット特撮物の萌芽はあった訳ですね。
ところで、『シルバー仮面』を観ていて、宇宙飛行士が帰還して宇宙船から出てくると怪物の様になり果てていた・・・という、『ウルトラマン』のトラウマ怪獣ジャミラのパターンを踏襲した“ヤマシロ”という巨大化した宇宙飛行士の回が出てくるんですが、これってB級ホラーSFとして有名な『溶解人間』とそっくりなんですね。話もデザインもクリソツだから、製作時期から考えると『シルバー仮面』を観て映画を作ったんじゃないかと思えて仕方がありません。もっとも、『溶解人間』はハリウッドの50年代SF作品のリメイクということでしたが、でも、『シルバー仮面』のボロボロの宇宙服を着て全身やけ爛れてケロイドに覆われたヤマシロの姿の方がそっくりです。ただし、溶解人間は巨大化はしませんが・・・。
リメイク作品って、案外、公表されている作品ではなくて似たような別の作品が元ネタだったりすることが多いですよね。ローランド・エメリッヒの『GODZILA』が、日本のゴジラ・シリーズの名を借りた『原子怪獣あらわる』のリメイクではないか?というのはマニア間でもっぱらの噂でした。何しろデザインが素肌剣術のように背筋を伸ばして立つゴジラとは似ておらず、介者剣術の構えのように低く前のめりに立って、『原子・・・』の四足歩行のリドサウルスによく似ていました。更に深読みする人は、「これは、日本のゴジラが『原子怪獣あらわる』を真似て作っていることを承知した上でのハリウッド流の仕返しではないか?」と言う人までいました。
ともあれ、ヤマシロの容貌は小学生の時に観てあまりに醜く、夢でうなされた記憶すらあります。何しろ、お父さんが醜い怪物になってしまったというこの話では名子役としてNHKの少年ドラマ・シリーズ等でも活躍した高野浩之の演技も素晴らしく、ヤマシロの哀れっぽい鳴き声に、何となく社会批判的なテーマの作品なんだということは理解できていたんですが、今、改めて観てみると、岸田森演じる博士の熱演と共に、何か作り手の想いが伝わってきますね。ジャミラの回だって社会批判の考えがイデ隊員の口から語られていましたが、このヤマシロの回では、仏教と縁の深い蓮の花が咲き、ヤマシロとシルバー仮面の対決では地獄の絵がインサートされます。SF要素と仏教の世界観が同居した独特の雰囲気で見ごたえがあります。
『シルバー仮面』が、当初の社会派特撮物の路線から低視聴率打開のために巨大変身ヒーロー物へと変更されたというのは有名な話ですが、作り手の想いは減っていなかったんだと思えました。
何よりも、岸田森という性格俳優の起用によって救われています。『怪奇大作戦』『帰ってきたウルトラマン』『ファイヤーマン』『ゴジラ対メカゴジラ』『血を吸う眼』『血を吸う薔薇』『太陽戦隊サンバルカン』といった特撮物への出演でマニアにはおなじみながら、やはり、この人の存在感は群を抜いています。
まず、朱川蕃のペンネームで脚本も書く知性派で、しかも彼の夢想する怪獣は物質を光エネルギーに分解してエサにする光怪獣プリズ魔なんてシュールなヤツだったりするのです。
ケレンに満ちた変装が好きで、『蘇る金狼』の殺し屋役の時なんて銃弾を受けて壁を破って倒れる手順だったのに一回ぶつかって破れなかったものだから、絶叫しながらもう一度無理やり破って絶命するという強引な演技を披露したり、『探偵物語』に出た時は紳士的な怪盗役ながら実はヅラを装着していたというハチャメチャ演技で松田優作のおふざけに同調してみせる・・・。
いや、ひょっとすると松田優作は岸田森の劇団で演技修行していたそうなので、あのオフザケ演技を伝授したのは実は岸田森だったという可能性もあり得るのです・・・。
そういえば、『ウルトラマンA』のナレーションも岸田森が担当していますが、忍者超獣ガマスの回でちょこっと出てくる出版社の編集長役の草野大悟を「ハンサムな編集長が・・・」と紹介するのですが、草野大悟と言えば髭ヅラの原人みたいな風貌が有名な俳優さんで、これは同じ劇団仲間の岸田森流のシャレで喋っていたのが明白なのです。
そういえば、映画関係の友人から聞いた話で、その人が昔、演劇をやっていた頃に酒場で何と松田優作と一触即発の危険な雰囲気になりかかったことがあったそうで、松田優作といえば空手をやっていてケンカっ早いのが有名でしたが、その人も空手をやっている。
これは引くに引けない男の意地ってところだったみたいですが、その危険な雰囲気を同席していた岸田森が割って入って収めてくれたのだそうです。松田優作はどんなに売れても先輩だけは立てていたといわれますし(売れっ子俳優になっても佐藤蛾次郎と一緒に飲んでいた時に「や〜い、ガジロー」と冷やかした客をブン殴ろうとしたとか・・・)、芝居の大先輩で師匠ともいえる岸田森の言うことにはおとなしく従ったんでしょうね。いい話です。
ところで、岸田森は時代劇にも結構出てますよね。『座頭市と用心棒』では隠密上がりの九頭竜という殺し屋をやっていたし、必殺シリーズでは妖怪と呼ばれた南町奉行、鳥居耀蔵役が定番になっていたし、決定的な印象を残したのは、『斬り抜ける』の敵役でした。妾腹の子供として屈折した感情で主人公たちを追う岸田森は、何とか出世してやろうと画策するのですが、最後は父親殺しをせざるを得ないハメとなり哀しい最後を迎えます。あまりに哀し過ぎて主人公を食ってしまう程でした。
それに、『大江戸捜査網』にゲストで出た時も、生まれの哀しい定めを背負った剣客の役で、何だかその回は隠密同心達と共に悪人達を倒すという掟破りな展開のカッコ良過ぎる役でしたね〜。実際に剣道をやっていたそうで、チャンバラも上手でしたね。
カッコイイ役、不気味な役、コミカルな役・・・と、岸田森は普通の役をやっているのを見た記憶がありません。
もっと長生きして欲しかったですよね〜。
さてさて・・・、特撮物に出ていた俳優というと、藤岡弘、(仮面ライダー1号)、佐々木剛(二号ライダー)、宮内洋(V3,ズバット)、誠直也(アカレンジャー,ファイヤーマン)、団次郎(帰ってきたウルトラマン)、長野博(ティガ)、村上弘明(スカイライダー)、オダギリジョー(クウガ)、さとう珠緒(オーピンク)、加藤夏希(ロビーナちゃん)・・・と、意外に沢山おられますね。
長谷川初範なんてウルトラマン80に変身していたし、今や日本を代表する国際俳優になった印象のある真田広之だって、TVの『銀河大戦・宇宙からのメッセージ』ではヒーローを演じていたし、『バイオマン』(JAC所属のイエローフォー矢島由紀が失踪しちゃったからお詫びの印に出たそうな・・・)にゲストで出たこともある。
千葉ちゃんだって数々の特撮ヒーロー物に主演(『アラーの使者』『宇宙快速船』『新七色仮面』等々)していたし、あの梅宮辰夫(『遊星王子』)や宇津井健(『鋼鉄の巨人スーパージャイアンツ』)ですら変身ヒーローを演じているのです。
かつて、「特撮物に主演したら、それっきり役者業も鳴かず飛ばずになる」と役者間で言われたものでした。実際に特撮物に主演して、その後は主演作品に恵まれず消えていった人も少なくないようです。
けれども、脇役一筋の役者人生だって有るし、子供向けであっても主演作品があるというのは役者として誇りに思うべきでしょうし、そういう下積み経験を糧にして大ブレイクする人だっています。
例えば、二時間ドラマや時代劇の主演で知られる小林ネンジさんなんて、『キャプテン・ウルトラ』ではキケロ星人のジョーですよ。それ以外では時代劇の斬られ役でよく出ていたものです。
この前なんて、『特警ウインスペクター』に渡部篤郎が銀行強盗役で数分だけ出ていたのを東映チャンネルで観ましたが、それだけの出番で主演を食う程の演技力を示していましたから、やっぱり凄いですね〜。
また、アニソン女王堀江美津子が唯一出たドラマとして有名な(夏夕介や佐々木剛の立場は?)『宇宙鉄人キョーダイン』に橋爪いさおが出ていたり、『巨獣特捜ジャスピオン』や『仮面ライダーブラックRX』『特捜ロボ・ジャンパーソン』にレギュラーで高畑淳子が出ていたとか、『電撃戦隊チェンジマン』に黒田福美が出ていたとか・・・。
トヨエツだって売れない頃はVシネのヤラレ役演じていたし、出世作になった『NIGHT HEAD』だって、深夜枠の実験的な番組だったからブームになるとは予想外だった訳で・・・(武田真治だって、『おいら女蛮』の主演だったり『七人のオタク』のアイドルオタク役だったりしてた)。
あるいは、『ラストサムライ』にも出たコワモテ演技が有名な菅田俊が『仮面ライダーZX』にパンチパーマ頭で主演していたのは有名です。
そうそう、水野美紀ですら、下積みの頃は『地球戦隊ファイブマン』のゲストや、“くのいち忍法帖”に出ていたのです。
余談ですが、あれだけの素晴らしいアクションができて演技もできる若手女優をどうして活かせないのか?と、私は以前から不思議で不思議で仕方がありません。『千里眼』で見せた水野美紀のスーパーヒロインっぷりは大きな可能性を感じさせましたし、『恋人はスナイパー』シリーズは水野美紀を前面に立ててヒロイック・アクションを目指した方がずっと成功したでしょう。それこそ、国際的に活躍できるチャン・ツィイーを超える逸材になれると私は思うのですが・・・。
大体、売れない下積みの時代はどんな有名人にだって有る訳で、逆に超売れっ子であっても、その人気がずっと続く道理はありません。これは役者に限った話ではなく、どんな人の人生にも当てはまることでしょう。
運に恵まれた人もいれば、自分から運を切り開く人もいるでしょう。ただし、自分から切り開いた方がそれだけ可能性は大きくなりますから、今後は役者は演技力だけを磨けば良いというのではなく、積極的に自分をプロデュースしていくようにしなければいけないでしょうし、もっと武器になる芸事とか習得しておいた方がいいのではないでしょうか。『ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス』で、ウルトラマンジャスティスに変身する人間体の時の姿を女性にしようという案が決まり、その時に立ち回りのアクションができる若手女優を探した結果、吹石一恵に決まったそうです。吹石一恵が空手をやっていたことがものを言ったのですね。で、吹石演じるジャスティスの人間体ジュリが地球を滅ぼす執行官役として現れたものの、人間性を獲得してコスモスを助けて自分も戦うことになるのですが、クールに無感情だったジュリが最後にニコッと微笑むカットで映画は終わる・・・中々、シャレた演出でした。
もう、ほとんど特撮物に出たから役者として終わりだ・・・なんて偏見は消滅し、むしろ、特撮物に出た方が役者としての成功が約束されたような印象がありますけれども、やはり、役者というのはどんな役でもものにできなければいけませんよね。
私なんか寸劇とか自主映画でしか芝居したことないですけど、本当に、芝居に人生かけてる人達って、どんなに貧乏でも何だか素敵ですよ。今、テレ朝で上戸彩が小劇団に入って・・・というドタバタ・コメディー『下北サンデーズ』をやってますけど、あれは面白いですね〜。人間の幸せって、外部から見てどうかってことじゃなくて、あくまでも本人がどう感じるかの問題ですからね・・・。
2006/07/23 夏休み特別集中セミナー急遽開催!
いやはや、猛暑が続いたかと思えば梅雨冷えになったり、体調管理が大変な季節です。
私は夏は嫌いです。冬も苦手です。春と秋の一時期だけが好きですが・・・。
突然ですが、8月26日(土)の駒込稽古会は、夏休みの特別セミナーを開催することになりました。
例年、夏休みには特別集中セミナーを開いて参りましたが、今夏はダンス・フェスティバルの参加や四月に父が亡くなって初盆で帰省するため、取りやめにするつもりでおりました。が、今年もやって欲しいという要望がいくつもありまして、駒込の稽古会を一日振り当てて開催することに致しました。
会場は少し手狭ではありますが、朝10:00〜昼3:00まで5時間たっぷりやれますので、普段のセミナーではやれなかった技術解説や参加者の方の個別の質問にもきめ細かくお答えできると思います。
料金は10000円とさせていただきます。5時間みっちり解説指導しますので、御満足いただけると思っております。
また、8月20日の江古田月例セミナーは通常通り(テーマは游心流武踊“舞の手”;変性意識下に於ける迎撃反応の誘導護身掌法。今回は游心流で秘密裡に研究してきた気の運用法について体感していただきます)に行いますが、こちらにも参加された方は半額の5000円にて参加いただけます。
特別集中セミナーのコンテンツは・・・
1,伸筋抜骨鍛錬法(発勁の打てる身体作り)
2,丹田開発速修法(立禅・丹田歩法・呼吸操錬)
3,脱力体応用技法(合気・化勁・借力)
4,読みと交叉(後の先・対の先・先の先)
5,対武器法(ナイフ・剣・棒等)
・・・となります。それぞれワンテーマに1時間程度を割り当てて、原理解説から入って技法実習まで超短時間習得を目指します。
「こんなに色んなことをたったの5時間でできるようになる訳がない」と思われる方には来ていただかなくて結構です。私は信じて欲しいなんて少しも思っていません。事実を事実として提供するだけです。疑ってかかる人に教える気はさらさらありませんし、人生が終わる時まで嫉妬心を燃やして誇大妄想に浸っていれば宜しいでしょう。
しかし、謙虚に学びたい、真剣に体得したいと思われる方ならば、何の経験もない全くの初心者であっても、武術研究家の誇りにかけて責任をもって御指導します。ですから、私自身もリスクを負います。満足いただけなかった参加者の方はどうぞ御遠慮なくお申し付けください。その場で料金は返金致します。
“男子三日会わざれば刮目して見よ”と言いますが、人間は、変わる時には一瞬で変わるものです。変わらない人、成長しない人というのは、本人が変わりたくないだけです。
例えば、皆さんは、大人になったら身長は変わらないと思われるでしょうか?
でも、実は身長は一日の間でも1〜1.5cm程度は変わるのです。これは朝起きた時は関節が伸びているので、誰でもこの程度は伸びているのです。それが昼間活動している間に自重で関節が縮んできてしまうという訳です。
私も、何度か、一瞬で自分がガラッと変わったという実感を得た経験があります。
それは精神的な感動であったり、身体的な変化であったり、心臓が痛くなるような想いであったり・・・です。
私が武術を続けてきて何が楽しいか?といえば、それは多分、日々刻々に身体と精神が変わっていくという実感が得られることです。
できなかった技ができるようになる。
動かなかった身体が自在に動く。
観えなかった人の動きが観えるようになる。
変わるということは「自由になっていく」ということです。
私自身、指導法も指導内容もどんどん変わってきました。秘伝・極意といった言葉に付随する「常人には体得し難いもの」という既成概念がポロポロとヒビ割れてシンプルな原理だけが現れてきました。私は、そのシンプルな原理をできる限り、そのまま伝えたいと思っています。ややこしく解りづらくオブラートして、またぞろ権威づけるような愚かで邪まな真似をしてはいけないと思っています。
2006/07/20 大太刀“美火月丸”、ただ今7割方完成!
いや〜、やっぱり、刀がデカイと、拵え作るのもそれだけ大変ですよね〜。
私は作業はかなり早い方なんじゃないか?と思うんですが、かなり手間どってます。
柄が何とか鮫革巻きまで完了したので、取り敢えず鞘の製作に移ったんですが、まず、刀の寸法に合わせて、余っていた模擬刀の鞘と白鞘を半分に割って、繋ぐ位置をそれぞれ互い違いになるようにして工作用の薄刃鋸で切って、内側を刀の反りに合わせて削り直したんですがね〜。
単純に切断して繋げなかったのは、それでは接合面積が少な過ぎて強度面に難点があるし、刀の厚みはそうでもないんですが、身幅が定寸刀の1.3倍以上はあるんで鞘の縦幅は広げないといけない。
だから、二本分の鞘材を一旦は完全にバラして内側を削り直したり、模擬刀の表面の塗りは一度、全部削り落とさないといけません。でも、模擬刀の鞘材は元が薄いので削り過ぎるとそれこそペラペラになって使いものにならなくなってしまう・・・。
いや〜、大変です。鞘材を滋賀県の武道具店に注文しようか?とも思ったんですが、何せ寸法がデカ過ぎるから有るかどうかも判らない。専門家に任せたら、また何十万円もふっ飛んでしまうし、何よりも、それじゃあ武術研究家としての誇りが傷つく・・・。
それより少々苦労しても有り合わせのものを活用した方が経済的にも助かる。
それでなくとも本の印税つぎ込んでますからね〜。ここは知恵絞って何とか作らねばなりません。
と、作り始めは弱音も出ましたが、頭の中であれこれと製作イメージを考えて作業しているうちに、次第に調子が出てきて、鞘材の加工も終わり、仮組みしてみたら中々の出来になりそうな予感・・・。
で、秘密兵器のエポキシパテを練って、ペタペタと手早く鞘木に粘土を塗り付けるようにして形を整えていきました・・・。
この作業は、エポキシが段々固くなってくるので手早くやらないといけません。
約1時間以内に終了させねばなりません。だから、細かいところまで成形していくのは無理があります。とにかくペタペタと千切ってはくっつけ、千切ってはくっつけ・・・という作業で鞘材を組み合わせ、後は数時間放置プレイです・・・。
まあ、鞘材のパーツ自体を完全な形にしておらず、粗く成形して後でカンナとヤスリで整えていく予定だったので、組み上げた鞘の下地は恐ろしくデコボコです。模擬刀の鞘と白鞘だと材木の種類が違っていたのも頭が痛くなりましたね。模擬刀の鞘の塗りを削り落としてみたら朴材じゃなくて、もっと安そうな木材だったんで、組み合わせの色が変な具合になってしまったし、白鞘の方がかなり厚いもんだから、段差ができてマヌケなんですよ〜。こんなチグハグでデコボコじゃあ、何だかフランケンシュタインの怪物みたい。
でも、6時間近く経過してエポキシもほぼ固まった頃合いにカンナとヤスリで鞘の表面を削ってならす作業を始めたんですが、エポキシが堅くてカンナでスイスイ削れない。
アレ〜? 以前の製品はもう少し柔らかかったような気がするけど・・・。
で、ヤスリにチェ〜ンジ!
これは結構削れる。でも、ヤスリ目が細か過ぎて能率が悪いな〜。もっと荒目のヤスリは無かったかな〜と工具箱をあせってみたら、手頃なのがありました。
ゴシゴシ削ると鞘木とエポキシが同時に削れる。ナイスです!
何か、調子のいい工具を使うと楽しいですね〜。夢中になってゴシゴシやってたら、割りとスンナリ、鞘の表面のデコボコ状態もならされました。
しか〜し・・・、しまった! 慌てて適当にエポキシパテをつけたので、随所に細かい空洞が出てきてしまいました。これを埋めるエポキシパテはもうない・・・。
困ったな〜・・・としばし考え、「そうだ。アロンアルファで埋めてしまおう」と閃いて、
さっそく、余っていたはずのゼリー状アロンアルファを見つけてちびっと付けては竹切れでペタペタッと隙間に塗り込む作業・・・。これはいいアイデアでした。程なく修整完了! 我ながら、何とアドリブが利く人間なんだろう? 作りながら考えるという凄い泥縄状態なのに、それで“できちゃう”んだからな〜(特に鞘は物凄〜くテキトーに作ってます)。
事務長が原稿を入れたフロッピーを取りに来る度に、私の作業を見て「先生、ほんとに器用ですね〜」と呆れ顔だったのが、段々、マジな顔になってきて本気で感心してくれている様子になってきたのが内心うれぴーです・・・。
いや、はっきり言って、私は下手ですよ。綺麗に作るなんてできませんよ。
でも、DIYに限らず、武術の技術体系作るのだって、文章書くのだって、クリエイトすることに関しては私は好きなんですよね。理屈抜きに・・・。
だから、武術に関しても創造的なものを目指してしまうんですよね。無意識に。
後は、もっと鞘の下地を細かく磨いて糸巻きか革巻きにして補強した後にコジリ金具を装着した上で塗りをやって鞘は完成。それと柄は目貫をはめ込んで革巻きにして完成。それから刀身を地道に研いで刃紋がきちんと映るくらいまでにして、全て完成。
という次第で、現時点で、我が愛刀“美火月丸”は、抜刀の稽古に使える水準まで出来上がりました。大阪セミナーではもう少し完成形に近づけ、白州ダンス・フェスティバルには“完全体”を御披露できるかと思います。
追伸;この大きさの刀をクルッと回して納刀するのは流石に無理かな〜?と思っていたものの、鞘ができるとやっぱ、やりたくなりますよね〜。おっかなびっくりでやってみたら、ちょっともたついたけど、何とかできましたよ。でも・・・部屋の中でやっちゃダメだよな〜。だって、間違って天井にドスッて刺して、上の階の人が寝てるところを刺し殺しちゃったりしたらシャレになりませんからね・・・。
追伸2;そうそう。DVD付き空手道教本の原稿校正もようやく終わりました。結局、私が全部書いたんですが、編集段階で表現が全面的に変えられていました。チキショー!って感じなんですけど、まあ、一般向けのスポーツ教本としてはあまりディープに過ぎると良くないという判断は正しい訳で、しかも私が著者ではないので文句は言えません。編集スタッフも死にそうな顔で頑張っているのを見ると、尚更、「あ〜、こういうのを同じ釜の飯を食うとか戦友とか言うのかもな〜?」なんて、ちょっと感動してしまって、俺がいっぱしの作家ぶって文句言うのは思い上がりってもんだな〜と思い直した次第。そして、完成寸前のDVD映像と本の内容も見てみましたが、これは従来の類書が越すに越せなかった水準を超えた内容になっていると思います。私の書いた片鱗はほとんど消えていますが、それでも空手道という武道の身体操作の基本と極意がきめ細かく書かれた革命的な内容になっていると思います。それに、もし空手道がオリンピック種目に選ばれたら、世界のトップで戦う日本を代表する精鋭が揃って演武しているのですから、これだけでも物凄い画期的なことですよ。このまま順調に進めば8月の10日頃に書店店頭に並ぶ筈です。皆さん、これは空手をやっている人も、そうでない人も、他の武道をやっている人も、あらゆる人に買って読んで見て欲しいです。基本技から組手、形、トレーニング法まで全て網羅し、極意中の極意「腰から動く」という身体操作の具体的なやり方とトレーニング法まで解説してしまっているんですよ。これって、他のスポーツや芸事やっている人にも参考になるでしょうね。現に、私は取材で物凄〜く勉強になりましたよ。本当に損はさせません。必ず期待に応えてますから、買ってくださいね。発売日が近づいたら書名等も書きます!
合掌!
2006/07/20 武術の在り方も色々
ここ最近、印税が定期的に振り込まれて本当に生活助かってます。「この本が売れなかったら田舎に帰ろうか?」と思っていたくらい背水の陣で書いたので、武術の本としては異例に売れたという点も嬉しいんですが、案外、周囲でも知らずに買っていなかった人が多くて、ということはまだまだ売れる?ということで、目指すはロングセラーです。
(まだ買ってないという方は神田神保町の書泉グランデさんにはまだまだ在庫ありますから、急いで買ってくださいね〜)
でも、教えに行く以外は家で刀の拵え作っていたり、半分職人と化してて、全くもう、仕事してるんだか趣味に走ってるんだか訳の判らない人生になっておりますが、「こういう時こそ次の仕事に向けて勉強せねば・・・」と思って、武術本を買い集めてきました。
まず、『真伝・無外流居合兵道』(監修・塩川寶祥 刊行・気天舎)。
この本は何と12000円という高額な技術書で、そうそうおいそれと買えるものではないと思われますが、でも、私は絶対に欲しいと思っていたんですね。
このような高額な武術書というと学術研究書として書かれたものが大半で、中身はほぼ文字だけで、しかも無味乾燥・・・読むのに酷く疲れるので、ほとんど読まれないまま“ブ厚い枕”と化すのが必然的結末となるものなんですが、この本は連続写真で型(技)の解説をほどこした、あくまでも実践する者にとっての良き教本として利用できる内容なのです。
そして、私が買わねばならないと思ったのは、塩川先生の武人としての名声を玄人筋でしばしば耳にしていたからであり、現代で本当に数えるほどしかいなくなってしまった本物の達人のお一人であると聞き及んでいたからです。
更に、“無外流”という古流武術や時代小説の愛好家にとっては一種、憧れの流派というべき流儀の技法を知りたいという欲求もありました。
無論、私のエッセイを読まれている方の中には勉強熱心な方が多く、「無外流居合術は、開祖・辻月丹が、自鏡流の居合術を採り入れたものであって、本来の無外流の剣術とは別物だろう」とおっしゃる方も必ずおられると思います。
はい、その通りです。
ですが、辻月丹は山口卜真斉に山口流を学んだ後に武者修行で多くの流派を学んで様々な剣術流儀の技や理合を融合し、その上で禅で悟るところあって無外流を興しています。
となれば、自鏡流居合術を採り入れた時点で、“辻流”になっていた筈と思われるのです。従って、今に伝わる無外流居合兵道の技は紛れもなく“無外流”と呼んで差し支えないと私は思います。
例えば、柳生新陰流に併伝される居合術は、元々は制剛流(当身拳法に優れた柔術の流派として知られる)抜刀術が採り入れられたものです。
しかし、演武会や最近発売されていたDVD付き本では“柳生新陰流居合術”と称されています。柳生新陰に伝承している以上、あらためて制剛流という呼び名に拘る必要もないでしょう(無論、拘るのが悪いという意味ではありません)。
その意味では、私なんて研究して採り入れたのは70流派を超えますから、それを一々出所を説明していたらシャレになりません。だから、“游心流”と名乗った訳ですし、観る人が観たら、体術も拳法も剣も杖も居合も、全て同一の原理で技を遣っているのが判るでしょう。個々の技の外観や手順を見て「何々流の技だ」と論評するのは本質が観えないマニア的な見方でしかありません。身体操作の特徴や戦闘理論で判断しなければ武術は理解できません。
さて、そんな無外流ですが、『剣客商売』の秋山親子をはじめ、『雨あがる』とか、良質な時代小説の主人公の流儀としている場合が多く、新陰流や二天一流、一刀流とかいった有名流儀なら解るんですが、はっきりいって地味な流派なのに何故か人気が高い。
ケレン味が無いという点は、質実剛健な実戦本位な流派というイメージに繋がるから、主人公にピッタリという作者の好みに合うんでしょう。
ちなみに、私も学んだ日本武道医学の創設者である中山清先生も無外流居合を修めておられたそうです。
まあ、そんな理由もいくつか有って、たとえ12000円でも絶対に入手しなければと思っていた次第です・・・。
で、買って良かった・・・ホントに・・・。
これはもう、あと3000円高かったとしても買いますね。
だってね〜。御高齢の塩川先生が仁王のような迫力を発散させているんですよ。凄い先生です。まだ、こんな凄い先生がいらっしゃったという事実だけで感慨深くなってしまいました。
いかにも高尚な文章をエラソ〜に書き並べておきながら、写真見たらヘニョヘニョで鍛えた形跡が微塵も感じられない人が増える一方で、写真一枚で目を釘付けにされるような本は滅多にお目にかかるものじゃありません。
それなのに、大量の連続写真で技を見せているのですから、もう、お宝ですよ。
恐らく、この値段ですから、部数は極めて少ないでしょう。入手しようと思った時には絶版になって数万円で古書店の店頭に並ぶことになるでしょう。早く買って良かったですよ。
まあ、お薦めしても値段が値段だから買う人は少ないでしょうが、併伝武術として柳剛流杖術・神道夢想流杖道・中和流短剣術・一心流鎖鎌術・神道流剣術・内田流短杖術・琉球古武道・糸東流空手道も紹介解説されていますから、何か、凄い得をした感じがしますよ。関心を持った方がいらしたら、買って損無し!と保証しておきます。大型専門書店の武道書コーナーがあるお店だったら置いているところも少なくないと思いますが、もし無かったら、注文されるとよいでしょう。
さてさて、仕事が一段落したので何冊か武術本を買って読んだのですが、何か独善的な内容の本が多いですね。
それも、実戦的かどうか?という点を論じ過ぎている印象を受けます。
武術であろうと武道であろうと格闘技であろうと、無駄で遊びが有るからこそ意義が認められていると私は思うのです。
あまりに原理原則に拘って、無駄、遊びを排除していこうとすれば、それはもう人間性そのものを否定していく方向にしか向かわないでしょう。
護身術としてのリアリティーを過剰に求めれば、それは殺人術と変わらなくなります。
その殺人術を真に効率良く実践するには、人間としての感情は無駄で無益なものになってしまいます。
それでは、戦闘用ロボットと変わりません。
優秀な軍人は正義の名の下に敵と見なした人間を殺すことにためらいを持たないでしょう。これを論理や思想で正当化することはいかようにもできるでしょうが、殺人という行為自体に何の変わりもありません。罪の重さに善悪は無関係です。まして、正義という概念は、それが成立している思想的基盤から離れてしまえば全く反対になってしまう性質のものであり、絶対の正義なんてものは原則的に有り得ません。
独善的な考え方の人間は誰からも相手にされなくなるだけです。
人間は悩んで馬鹿な失敗を繰り返して生きていくところに人生の面白さが有る訳で、何でも自分の思う通りになってしまったら面白くも何ともありません。他人の自慢話や成功した話くらいつまらない話はありません。
確かに、平和ボケした日本人の武道修行が治安の悪い外国や倫理観の崩壊しつつある日本でも通用しなくなるというのは正論でしょう。
しかしながら、それは断じて武道や武術が無価値になるということではありません。形骸化した形の稽古が現実にそぐわないかどうか?という点も、結局は、取り組み方次第でしょう。形骸化していると思えば再生活性化させれば良いだけだと思うのです。そうすることが武道・武術の新しい楽しみ方として提案できるのではないか?と私は思いますし、昔から伝わってきているものが、そんなに底の浅いものである筈はないと思うのですが、こう考える私は、考えが甘いのでしょうか?
武術にとっての正論とは世間一般にとっての正論とはなりません。
悪に対するのにより威力ある悪で対処する正論を選ぶのは、知性を放棄した動物的本能に頼った合理主義であると私は思います。とても世に広く受け入れられる考え方とは思えませんし、そのマイナーさを自覚している武術師範方は、いつも一歩引いて正論を声高に主張することはしません。その奥ゆかしさを忘れて戦前の軍国主義者のような物言いになってしまったら、暴力団と変わりがない。武術なんて無くなってしまった方が世の中のためでしょう。
人間は軍隊や警察や武器なんてものを持たずに済むくらい個々人が成熟していくことを目指さなければいけないし、武術が単なる人殺しの技術だけでしかなかったとするなら、そんなものは既に用無しになっていた筈で、精神の完成を目指す修行そのものに存在理由をシフトしていったことが欺瞞であったとは私は思いません。
無論のこと、“道”という言葉を実践している修行者が少ないのは事実でしょうし、武術の技を追究しないまま道を説くのは本末転倒であるという意見には賛意を覚えます。
しかし、それは本人の自覚の問題であって、どんな流派でも研究熱心で優れた遣い手はいる訳で、外部から上辺を見て批判するのは少々皮相的な観察という印象を受けてしまいます。
一つのことにガムシャラに集中して追究していると、ついつい周囲が見えなくなってしまう場合があります。やっぱり、人間は生きている限り、自分の知らない未知の領域が有るという謙虚さを弁えて生きていかなきゃいかんな〜と、最近、つくづく思う次第です。
同じ分野であっても、10人いたら10通りの考え方があります。真実は一つと考えるなら、1人だけが正しくて後の9人は間違っているのか? それとも10人とも間違っているのか?という理屈になりますが、要は、価値基準をどこに設定するかによって正しいか間違いかはその都度、変わってしまうということです。
私が武術研究家と名乗り始めて10年以上たちますが、やればやるほど、自分の知らないことが次々に出てきます。しょっちゅう、自分の無知さ未熟さを自覚させられて怖い。けれども、未知のことが判るということは、それもまた楽しい。自分の研究が会員さん達が上達していく様子で客観的に証明されていくのも感無量です。そういう楽しさを追求することが無意味だとは誰にも言わせません。
最近、TVで甲野善紀氏が古武術の技を応用した日常生活の送り方?とか解説していてたまたま二回くらい見ましたが、「相変わらず演技性人格障害っぽいオッサンだな〜」と思いつつも、長年の試行錯誤の成果として世間に武術が注目されるような“独自の様式”を編み出してみせたという点だけは評価すべきかな〜?という、少しばかり優しい気持ちで見ることができました。(私も年とったからかな〜?)
先日、ある武友から電話を受けて、本とDVDの感想をうかがいました。
彼は、「いや〜、長野さんは偉いよ。俺はまた、長野さんは全部隠さずに公開しちゃうんじゃないか?と思っていたけど、全然出してないじゃない。『相手の動きを察知するのに肩の動きを見ろ』な〜んて、そんなしょーもないことを言って煙に巻いているんだから偉いな〜。長野さんが、武術をいかに大切に考えているか判ったよ」と言われました。
そうなんです。確かに『読み』の初歩は目付けなんですが、いつまでも目付けに頼っていたら『読み』は発達しないのです。ただ、初心者にとっては目付けから入った方が確実に上達していけます。手掛かりも無しに『読み』の能力を磨こうとしたら個人差が出過ぎて武術流派としての稽古システムが確立できなくなってしまいますからね。
それに、具体的な技の解説をしなかったのは、やはり悪用されたら危険過ぎるからですね。私は、「判る人にだけ判ればいい」としか思ってませんからね。だから、私と私の会に対して敵愾心を秘めている人には一切、教えるつもりはありませんし、そんな人は個人指導やセミナー参加もお断りしています。どうしても私と手合わせしたい人は、勝手に道場破りなり路上で襲うなり好きにしたらいいんじゃないでしょうか?(人を憎むヒマがあったら、その分、練習して腕を磨いて差をつけようって、何故、思わないのか?)
でも、私の方針は“すぐに警察に連絡してブタ箱に直行していただく”ということですから、どのみち、お相手はしませんが。せっかく法律が有るんだから使わなきゃ〜ね。腕試ししたいんなら、色んな大会があるんだから、一回出てみたらいいんですよね。でも、実際、姿隠して中傷したり嫌がらせする人間の方が目立ちますが、こういう卑劣な連中を人間扱いする優しさは私には皆無です。軽蔑するほどの価値もないクズ人間っているんですよね〜。
技術を本で公開するということは、悪用する人間に武器を与えるにも等しいことでもあって、私はちょっと躊躇してしまいます。
やっぱり、暴力に暴力で対処する方法論というのは万策尽きた最終手段であるという“無常”を説くのが先なんじゃないかと思いますね。
だって、北朝鮮がミサイル乱射で威嚇したからって、すぐに「自衛隊で爆撃することは可能か?」って極端な論議に走ってしまう日本の評論業界って頭が悪過ぎると思う訳ですが、こんな目先の現象を現実と早とちりして後先考えずに突っ走るタイプは武術業界には掃いて捨てるほどいるように思えるんです。思い込みが激し過ぎるというか状況分析しなさ過ぎるというか・・・IQ低過ぎですね。
追伸;会員さんの提案で、中級クラスの稽古に複数の相手を捌く練習も採り入れてみました。以前から、やはり突発的に巻き込まれるストリート・ファイトでは、相手が一人だけであることはむしろ少ないだろうから、やった方がいいだろうな〜と思ってはいたものの、練習システムとしてどうやるべきか考えあぐねていたので、ずっとやらずに来たのですが、合気道を参考にして始めてみました。取り敢えず、二人相手に捌く練習から始めていますが、中々、面白いですね。ガムシャラにやって怪我したりしないよう遊び感覚でやるように指示していますが、やはり、やってみて始めて判ることもありますね〜。今後は対武器等についても研究していきたいと思いますが、游心流では始めたばかりなので、無理せず焦らずリラックスして段階的にやっていこうと思っています。
2006/07/20 NPO新体道発足記念祝賀会に行ってまいりました。
新体道協会が解散したと連絡を受けて心配していましたが、この度、NPO法人化をして新たな一歩を踏み出すということで、記念祝賀パーティーの招待状を頂戴致しまして、有り難く参加させていただきました。
本当に、一時はどうなることかと思いましたが、NPO法人となって再出発されるというのは、本当に目出度いことだと思います。
もう何年かぶりに青木宏之先生にお会いできましたが、腰の大手術を経ても変わらない人間味溢れたお人柄は相変わらずで、本当に嬉しかったですね〜。
現在は書家として御活躍されている青木先生ですが、大阪支部長の「世界の青木のサインを貰ってきてくださ〜い」という“おねだり攻撃”に応える絶好の機会と思って、パーティーが終わって参加者と歓談されている青木先生にお願いして書いていただきましたが、「サインを・・・」と言った瞬間、傍らにいらした御婦人の顔が引きつったのを見て、“はっ、やっぱり、書家に対して気楽にサインを頼むのはマズッたか?”と思ったものの、青木先生は気安く書いてくださいました・・・(でも、やっぱり本当はマズかったような気がする・・・)。
そうだよな〜。画家に「ちょこっと似顔絵描いて」って頼むのは無神経どころの話じゃないし、私だって、一応、文筆業だから、原稿料無しで文章書くのは嫌だもんな〜。
という訳だから、大阪支部長は心して青木先生のサインを家宝として扱うように!
でも、本当に、色々な武道・武術の団体と付き合ってきましたが、新体道に関しては、ただの一度も嫌な印象を受けたことがありません。
武術とか武道とかいったカテゴリーを飛び抜けて、前衛芸術的体技へと昇華させた青木先生とプロジェクトチーム楽天会の存在は、現代に於ける武術の在り方の最も先に進んだ形を見せてくれているように思えます。
数年前までは、もっと武術・武道としての良さを活かして欲しいと思っていましたが、今は、結局、正しい方向だったんじゃないか?と思いました。
それは、やっと時代が新体道に追いついてきた印象を受けるからです。
ラブ・アンド・ピースの和合の精神が日本武道の本質であると解くのは、植芝盛平に始まった訳ではなく、実は上泉伊勢守(新陰流開祖)や飯篠長威斉(天眞正伝香取神道流開祖)の頃から有ったといわれます。
更にそれを実技として流儀の奥義“相ヌケ”に置いた針ケ谷夕雲の無住心剣術を具体的にイメージされていたフシのある青木先生は、遠当て(昔は真空突きと言っていたそうな)の遣い手として世に知られるようになりましたが、世界的に活躍されるトランペッターの近藤等則氏や、メビウス気流法の坪井華穣氏、そして今をときめく古武術ブームの立役者である甲野善紀氏を世に出したことでも斯界で知られています。
1980年代にブームとなり今も続く“気”、能力開発のブームの火付け役となったお一人でもあります。
もちろん、私も直に習ったことはありませんが(新体道の実技に関しては気楽会の中村晴一先生に教わった点が多いです)、青木先生から武術研究上の貴重な示唆を受けた点は少なくありませんし、それ以上に、人をリラックスさせ楽しませ自信を持たせる名人だな〜と思いますね。
NPO新体道となり、大井秀樹主席師範によって運営されていくことになった新体道は、きっと、これから本当に世の中に受け入れられ広がっていくのだろうという予感がしています。それは、きっと時代の要請としてそうなる気がするんですね。
そういえば、大井師範と初めてお会いしたのは10年くらい前に花木先生の新体道空手の合宿にお邪魔させていただいた時だったでしょうか?
まだまだ修行時代の頃を拝見させていただいた訳ですが、人一倍の熱意で懸命に稽古されていた姿が脳裏に浮かびます。
また、ムック本の取材で岡田先生、青木太郎先生と共にお会いした時は、10m程の距離を一挙動の縮地法で滑り縮めてみせられ、仰天したものでした。
その大井師範の新体道“大妙”の型の演武は、堂々と自信に満ちて一点の曇りの無い明鏡止水の実に見事なものでした。これほどまでに成長されていたんだな〜という感慨を持つのは不遜かも知れませんが、青木宏之先生をはじめ、岡田先生、伊東先生、皆川先生、花木先生といった卓越した高手の薫陶を受けてこられた精華を見るような想いがしたのが偽らざる本心です。
そしてまた、「人を見たら敵と思え」といわんばかりのギスギスした武術業界の中で、段々嫌気がさしてきていた私にとって、本当に久しぶりに触れた新体道のおおらかさ、柔らかさ、暖かさというのは、何物にも代えられないものに思えました。
人間は、感動が無いと人生を生きていくことはできない。
思想や宗教が世界を分断し争いの元凶となっている中で、国家や人種、民族の境界を超えて共感を育んでいくことができるのは、感動を与える芸術だけでしょう。音楽や絵画、映画、舞踊、演劇・・・等々。新体道は、武術を芸術へと昇華した最初のケースです。
新体道の新しい出発を微力ながら応援していきたいと思っています。
2006/07/13 インフォメーション
『オルタナティブな日本の選択(道)』
第一回 映像とトークイベント 7月27日(木)アップリンクファクトリー(渋谷)
TEL03−6821−6821
前売り(電話予約)1000円 当日1500円
第1部
「出草之歌」台湾原住民の吶 背山一戦 (2時間)
上映 午後7:00〜9:00 トーク(井上修) 午後9:10〜9:30
第2部
トークイベント「私たちにとって“靖国神社”とは?」
午後9:30〜10:45
ゲスト 井上修 「出草之歌」撮影・編集者
日高恒太郎 ノンフィクション作家
[問い合わせ先]
(株)アートカインド内「オルタナティブな日本の選択(道)」
TEL03−3865−7007 FAX03−5822−1671
(長野記す)
台湾の原住民族タイヤル族が戦中に日本軍に組み入れられ、戦後に靖国神社に祭られたことに対して、先祖の霊を返すように要求しているということは聞いていましたが、それを音楽活動でおこなうグループがあるということは知りませんでした。
以前にも書いているように、私は右でも左でもありません。思想的信条や社会に対して何かの運動をやっていこうという意志も全くありません。
しかし、映像を通した友人であるドキュメンタリー作家の古野克己さんが「社会運動的な連続イベントの幹事をやるんだ」と言ってこられた時に、友人として微力ながら手助けはしようと思いました。
ご承知のように、私は社会運動に与する気持ちは全く無く、むしろ、好きではありません。それでも、今回の演題である台湾原住民の霊が靖国神社に祭られているという話に関しては、実は以前から気になっていました。というのも、私の世話になった武友の奥さんはタイヤル族の方で、彼が台湾に武術修行にいっていた時に下宿していた御家族の娘さんだったのだそうで、間接的にタイヤル族の勇猛果敢さに関する話を聞いていたせいかも知れません。
靖国神社の存在意義に関して私は何の意見もありません。従って是非を論じることもしません。肯定する人も否定する人も、思想的な根拠を持って意見を持っている筈ですから、そうでない私が論じるのは失礼というものでしょう。意義を感じて作った人達の意志を、考えの違う人達が非難しても何の益もありません・・・。
けれども、戦争の都合で他国の人間を連れてきて死んだ後も故郷に返さないというのは、北朝鮮の拉致被害者に対するのと全く同じ扱いではないか? この点に関して宗教的な理由を根拠に日本人が正当性を主張することは完全に間違いと言わざるを得ません。日本人が日本民族であることに誇りを持つなら、他国の人間の尊厳も守らねばなりません。そうでなければ北朝鮮の非道を咎める権利は無くなってしまいます。これは靖国神社の存在意義とは全く異なることでしょう。他人を責めるには、まず自分を正さねばなりません。
と、このように考えていた私は、今回の「出草之歌」を、まずは純粋に観てみたいと思っています。(ちなみに“出草”とは、首刈りの意味。タイヤル族が昔、戦闘で倒した敵の首を刈ったことから・・・)
御関心の向きは足を運ばれてみられたらいかがでしょうか?
2006/07/10 『空とぶ幽霊船』は名作です!
東映の懐かしアニメの中でもSFスペクタクル・アドベンチャーの傑作として知られる『空とぶ幽霊船』が、東映チャンネルでやっていました。
私の小学校時代の作品なんですが、今鑑賞しても少しも古びた印象がありません。
昔は毎年、夏休みになるとTVで再放送していたので3〜4回は観た記憶があるんですが、現在の映像クリエイターの中にも影響を受けている人が多いらしく、クレヨンしんちゃんの「丹波哲郎が出てくる温泉の映画」に出てきた巨大ロボットのデザインなんか、この作品に出てくる黒潮産業が謎の国際シンジケート“BOA”の援助で開発した巨大ロボット“ゴーレム”そっくりだったり、飲み続けると中毒になって、最後は身体が溶けてしまうという恐ろしい“BOAジュース”が、エヴァのミサトさんがガブ飲みしているジュースだったり・・・なんて、細かいネタとして使われているんですが、有名なところでは、ゴーレムが都市破壊しているところに戦車隊が一般車輛を押し潰しながら到着するシーンや、幽霊船とミサイルの撃ち合いをして破壊されるシーン等に宮崎駿監督が参加していたということが業界的に有名なんですが、確かに戦車隊が一般車輛を押し潰しながら到着して都市破壊も構わずゴーレムに攻撃するシーンなんかは、後の新ルパン三世の最終回でロボット・ラムダを攻撃する戦車隊のシーンによく似ていますし、ボロボロの幽霊船からミサイルが出てきて発射されるシーンなんかは宮崎監督のアクション演出のテイストが感じられます。
ところで、この作品は以前にも「是非、実写化して欲しい」と書いたんですが、今回、久しぶりに鑑賞していて、これは本当に凄い作品だな〜と再認識しましたね。
丁度、北朝鮮のミサイル乱射事件があったばかりで色々と論争されている最中だったからか、要するに、この作品は“BOA”という正体不明(恐らくエイリアン)の敵を設定してはいるものの、随所に現代社会の裏側を批判的に描いている点が凄かったんですね。
まず、飲むと中毒になって飲み続けずにはいられなくなり、最後は身体が溶けてしまうという“BOAジュース”は、当時(今も)、「コカコーラにはコカインが入っていてその成分が中毒症状を起こすんだ」とか、「コカコーラは骨を溶かす成分が入っていて飲み続けていると骨が脆くなる」と言われていた都市伝説を三十数年前に採り入れて脚本が書かれていたのが明白なんですね。
それと、幽霊船が貨物船を襲っていたのは、黒潮財閥が軍事産業で武器を輸出していたから、それを襲って沈めていた・・・という真相が語られると、何だか、北朝鮮のミサイル発射訓練が武器輸出のためのエキジビションだったというのとかぶって見えますし、子供(小学生)向けのアニメでそんな国際社会の裏事情を描いてどうすんの?って話なんですが、ゴーレムを「我は幽霊船の使い」と宣言させながら都市破壊させたのも、軍事費用を高めさせたり都市再建の建設費用を自分の会社でやろうとする水戸黄門に出てくる悪徳商人みたいな理由なのも凄いですが、その罪を幽霊船におっかぶせようとする卑劣っぷりも、現実社会によくいる独善的な人間が自分の気に入らない者に罪をかぶせようとするのに似ていて、私なんか、しょっちゅう、それをやられているんで余計に感心させられましたね〜。悪だと思っていた幽霊船が正義で、善人だと思っていた黒潮社長が悪人だったり、主人公のハヤト少年でなくとも首をひねりたくなりますね。
しかも、TVを使って国民を洗脳していこうとする手法とか、どれか一つだけで十分に映画としてのメッセージ性になるのに、それを何重にも重ね合わせた合わせ技を短時間に纏めた手腕は、この監督さんは凄いな〜と思いますね。
しかしまあ、これだけ社会的なメッセージ(イルミナティとかブラックメンとかサブリミナル効果とかコカコーラとか武器輸出とか・・・)がこめられているのに娯楽性が全然損なわれていないのも凄いです。
映画のオリジナリティーが高く、下手なシリーズ化もされなかったのが孤高の名作という印象も受けますが、巨大ロボット“ゴーレム”と“空とぶ幽霊船”というメカ・キャラクターはアニメ史に残ると思いますね。
無論、それ以外にもドクロのマスクを被った“幽霊船長”や、カニ・ロボット、シャコ・ロボット、巨大なマシン・ダコ、ラストに、深海の巨大なBOAのアジトに特攻した幽霊船の原子炉が爆発してチラッと登場する超巨大なハマグリ(これがBOAの正体か?)とか、この映画オリジナルながら捨て難い個性を持ったキャラクターが沢山出てきます。
と、ここまで書いていて気づいたんですが、巨大なハマグリが吹き出す“気”が蜃気楼の正体だという江戸時代の説があって、“蜃”という妖怪だと言われていた訳ですが、石ノ森章太郎先生はそのことをご存じで描いておられたのでしょうかね〜?
ますます、この作品の実写版リメイクが観たくなりました。
追伸;大槻ケンヂさんが私の本『あなたの知らない武術のヒミツ』を御自身のブログで非常に好意的に評価して紹介されていました。いや〜、どこの雑誌も新聞も無視していたのに、有り難いことです。大槻さん、ありがとうございました。著作映画化がうまくいくといいですね。私も『極道忍者ドス竜』『バトルガール』『STACY』は観てますよ。
2006/07/10 黒田鉄山先生、キャラ変わってきてない?
師範代が『秘伝』を買っていたので、ちょっと見せてもらいましたが、黒田鉄山先生の結婚写真が載っていて、「ウレピー」ってはしゃいで書いている黒田先生・・・絶句!
あの〜、一体、どうしちゃったんでしょう? あのダンディーでクールで硬派でちょこっと皮肉屋なキャラだった黒田先生が、ウレピーって・・・。
師範代は真顔で、「先生、もしかして『秘伝』でもゴーストライターやってるんじゃ?」って聞かれて、「そんな訳ないでしょ〜」って答えたんですが・・・確かに、これは今までの黒田鉄山先生のキャラとは真逆です。
むむぅ〜、その他の質問への返答は生真面目に書かれていつもの黒田先生キャラなんですがね〜。
こりゃあ、頭の堅い人達から「けしからん」とか言われてしまいそうだし、私くらいは応援しておこうかな〜?
黒田先生、ナイスですっ!
追伸;うちの会員さんが痴漢捕まえるの手伝ったそうで、お手柄でした。大東流とか心意六合拳とか色々やってきていたのが役立ったのかな? 偉いっ!
追伸2;“美火月丸”の拵え、かなりできてきました。柄は強化のために真鍮板を張り付けたり柄木の中に挟み込んだりして、その上から針金巻き付けました。目釘もS師範代から貰った竹を削って装着しましたら、これまでの拵え製作の中でも最も頑丈にできましたよ。鮫革は二枚使うけど、そのままで柄糸巻く必要はないかな〜? でも、せっかくオシャレな目貫も揃えたし・・・。材料をどうするかで悩んだ鞘も、模擬刀と白鞘を寸法合わせて切り張りして何とかできそうです。接着は混合式エポキシで粘土みたいに練って硬化接着するタイプ。これはもう随分昔から愛用してきましたね〜。昔はエアガンのカスタムに使ってたけど、今は刀の拵え作りに重宝しております。でも、何と、最近、これは東急ハンズに売ってなくって、焦っちゃいましたよ〜。慌てて一駅移動してホームセンター探したら有ったけど、こんな便利なものは無くしちゃダメですよね〜。で、このエポキシ接着剤で鞘を成型した後で表面を粗削りしたら麻ヒモで巻いてウルシ塗料で塗って、乾く前に金粉撒いて、その上からクリヤーのウルシ塗料を塗ってみようかな〜とか思っておりますが、何しろ、刀が物凄くゴッツイんで、華奢な作りだとペキッと折れたり割れたりしそうなんで、やっぱりコジリは金具を装着しようと思ってますが・・・。大阪セミナーの時は八割くらい完成した実物を持っていけそうな感じですけど、白州のダンス・フェスティバルの時はほぼ完全版を御披露できると思います。でも、何か、大太刀と言うか、もう長巻とか大薙刀みたいな感じになっちゃってますぅ・・・。柄が長過ぎましたね。だけど、そのお陰で刀の重量があまり気にならなくなってきたから、まっ、いっか・・・?
追伸3;DVD付き空手道教本、校正見本があがってきたので直しチェック中です。が、こりゃあ、苦労した甲斐があってスゴイ本になりそうですよ〜。あ〜、早く守秘義務とれて発表したいな〜。まっ、とにかく従来にない革命的な伝統派空手道の技術教本ですから、是非とも御購読ください。何せ、松濤館・剛柔・糸東・和道の四大流派のトップ選手が競演しているんですから、凄いですよ〜。もちろん、空手道の基本から古典、最先端の技術まで網羅した基本にして極意を解説紹介していますから、空手道のイメージが根本から変わりまっせ〜。でも、8月発売はできるのかな?
2006/07/10 共産主義って人間を何だと考えているのかね?
当年とって43歳の私は、中学時代から概ね社会科の先生は共産主義を理想とする人が多かったので、当然のように“社会科学思想”の洗礼を受けました。
別に私は右でも左でもありませんが、学校教育で左寄りの考え方を植え付けられると、知らない間に左寄りの考え方になっちゃいますよね。
で、実際に20代後半には社会運動関係の人達との付き合いも多かったので、周囲の人達にも左寄りの人間だと思われていたみたいですね。
ところが、どうも、左の人達とは考え方が根本的に合わない。
なんか、彼ら彼女らの考え方には納得がいかない・・・。
民主主義は自由主義(自由競争の資本主義)と言われますけれど、その完成形が“共産主義”なんだと言われて、「ハイ、そうですか」って納得しようにもできませんよ。
この違和感は何なのか?と思っていたのは、「世の中のため」「自由と平等と平和のため」と言いつつ、ことあるごとに「闘争」とか「革命」とか言う物騒な言葉を使いたがり、「資本主義社会では国民は搾取されているから団結しなければならない」といった被害妄想チックな考え方を他人に押し付けたがる人(全共闘革命家崩れの人に影響受けて人生を誤ったルサンチマンにゴリゴリに凝り固まっていた)もいたりする訳で・・・その実、会の中では不倫が横行してたり、合宿が修羅場と化して・・・なんて阿呆臭い事件が起こると、「なんじゃ、こりゃ?」と思うしかなくなり、「あ〜、結局、世の中がどうしたこうしたとか言うとるけど、愛に飢えてるだけなのね・・・。だったら、素直に自由恋愛サークルにでも行ってくれよ」って感じで、人間、誰もがドラマチックな人生を送りたいというロマンチストの側面があるんだろうな〜?なんて思ったりしたものでしたが・・・。
で、社会運動って、やっている大抵の人にとっては既に“祭り”なんじゃないですかね〜? 文系人間は文化祭の一カ月前から燃えるし、体育会系の人間は体育祭の一カ月前から応援練習に燃える・・・。
全共闘世代の人達って、既に燃え尽きてしまった青春時代の祭り感覚をずうっと追い求めているみたいに見えて哀しいものがありますね。
そして、貧乏フリーターだった私は自分の生活支えるのもやっとなのに、社会運動に参加するヒマも金も無く、かといって明確な運動家としての志しがあった訳でもなく、そのまま無政府主義者(単なるホームレス?)になりかねない状況だったので離れた訳ですが(ライター業も始めていたし、自分の才能に投資しようと思ったのですね)、なんか、一つだけ勉強になったな〜と思うのは、「全共闘世代の人達って、世の中に対する物凄い怨念を抱えて生きているんだな〜」ってことでしたね。
私は、「人間は弱い存在だから」って言う人がどうも好きになれません。いや、はっきり言うと大っ嫌いです! 「私は弱い人間だから過ち犯すのも当然なんだから責めないでね」って感じで卑屈で無責任で自堕落・・・。身体が弱くても頑張って生きている人の前でそのセリフ言うてみろって言ったら平然と「私は心が弱いの」って言った阿呆がいましたけど、こういうヤツは問答無用でブッ飛ばしたくなります。
確かに人間は“弱い”って言ったら、そりゃあ“弱い”かも知れませんけどね。
でも、弱い存在だから「(弱い個人を支えるために)社会制度がパーフェクトになって、誰もが自由と平等を享受できねばならない」って考え方には、何か不信感が拭えないんですよ。
単純に生命原理の法則として、弱肉強食は自然界の摂理ですよ。そして、どんな弱そうな生き物でも自衛手段を本能的に備えていきますよね。それって、生きることに対する必死さの現れですよ。自由や平等を外部から保障してもらおうと考えるから、その保障システムとしての社会制度が個としての人間より優位に置かれてしまう・・・。「人一人の命は地球より重い」って言ってみたって、現実には多数の人間を生かすために少数の人間は犠牲にされてきたのが人類の歴史であり、「個人が集合して成立している社会そのものをシステムとして生かすことが、個人の住みよい環境を提供する前提になるのだ」という単純な理論が無批判に横たわっていると思うのです。
だからこそ、社会科学思想は人間をおいてきぼりにして社会システムを追究してきた訳なんだろうと思うんですね。人間の心の問題は宗教や倫理観に任せて・・・(というか、無視してる)。
しかし、災害に遭遇したり病気になったり、あるいは武術が最も想定している暴漢に遭遇した時、それが自らの生命そのものを脅かす恐れがあった時には、究極にして基本に戻るのは、つまり、どれだけ自分自身が生きようとする意志を持っているか?ということであって、その意志の強さによって選択肢は決まるでしょう。
天災に遭遇しても、「自分では何もせずに、じっと我慢して救助が来るのを待つ」とか、病気になったら、「病院に行って薬を貰うか手術するか」の医者任せにするとか、暴漢に襲われたら、「抵抗せずに警察が来るのを待つ」とか・・・、まあ、そういうのもあながち悪いことではないかも知れないんですが、これも状況を見定めて自分で解決できるかどうかを咄嗟に判断して速やかに対処すれば浅い傷で済むかも知れない・・・ということを考える人が随分、少なくなってきているように思えて仕方がありません。
人間は子供時代に身体鍛えたり勉強したりするから、成人してから仕事をして家庭を支えて社会を支える“力”を得られるんじゃないですかね?
最近の子供殺しちゃう事件とかニュースで見ていると、要は、「子供を育てる“力”が無い」から自滅しているようにしか見えません。つまり、弱過ぎるんですよ。「子供を虐待してしまうのも心の病なんだ」って話ですが、違いますよ。死なすほど虐待してしまうのは、自制心が無さ過ぎるだけ。躾として「殴っちゃいかん」とは私は言いま
せんよ。現実に私は不登校生の塾で教えていた時、ゴツンゴツン叩いてましたよ。でも、怪我させたりはしませんでしたよ。安全な部位を痛みを感じる程度で後遺症が起きないような叩き方をしていたからです。人を叩いたり叩かれたりしたことの無いヤツが、加減が判らず怪我させたり誤って死なせてしまったりするんです・・・。犬や猫なんて小さい時に兄弟同士で取っ組み合いしますよね。ああいうじゃれ合いで力の加減を身体で覚えるんですよ。
ああいう動物的な本能を必要以上に抑圧してしまうから暴走してしまうんじゃないですかね? どっちにしろ、私に言わせてもらえば「心が弱過ぎるだけ」なんですよ。
努力しないで楽に暮らしていこうなんてバカなこと考える人間は、昔は見かけませんでしたけど、何か最近はざらにいますよね。
ヒルズ族とか言われて勝ち組だのと言われる人達って、私は全然魅力を感じないんですけどね。口先(指先)三寸で莫大な金を稼ぐって、昔は悪徳詐欺師のやり口だと嫌悪されていたものなのに、現在では有能な人間のやることだと称賛されたり、本人も誇らしげに金の力を見せつけて、懸命に頑張って仕事している人達を牛耳ろうとするんだから、私には男の仕事とは思えないですけどね。
ニュース番組でホリエモンや村上さんが捕まった時も、一所懸命に弁護している経済評論家とかいたけど、「お前ら、自分が真っ当な仕事してきてないから自己弁護したいんじゃないのか?」って思いましたよ。
仕事で金を稼ぐというのは額に汗して頑張るのが基本ですよね。
私も色んなバイトしたよな〜。苦労したから何とかここまでやってこれたんだと感謝していますよ。よく、やって来れたもんだな〜・・・と思います。色々な人から支えてもらってきたから、これから恩返ししなきゃいけない。
心の余裕ができてからなのか、嫌がらせとかしてくる人に対して仕返ししようという気持ちも無くなってきましたね。ただ、「そんなことして楽しいの? 自分がミジメに感じないの?」ってことは聞いてみたいですね。
で、共産(社会)主義って、労働の大切さは訴えているものの、結局、人民は頑張ってようが頑張ってなかろうが平等に扱えって話なんじゃないのかな? な〜んか、論理に無理があるような気がして仕方がない・・・。
その論理の矛盾が、共産(社会)主義思想で構築された国家で、国民が奴隷のように管理されて、時に虫けらのようにブチ殺されたりする理想と現実のギャップを生み出してしまうんじゃないでしょうか?
中国で文化大革命の時代に殺された武術家とか随分いたようですし、弾圧から逃れるために台湾に逃げた大陸出身者の武術家も大勢いたそうです。要は、強い力を持つ人間は、いつ国家に反逆して抵抗勢力を組織するか判らないから抹殺しようとした訳です。
天安門事件だって、もし同様の事件が日本で起こったらどう思われるでしょうか?
自衛隊が89式小銃を乱射しながら国民ブチ殺してる情景を想像できますか?
さて、今更ながら、北朝鮮がミサイル乱射してきましたね・・・。
ノドンだのテポドン2だのバンバン日本海に発射して、「訓練ですから・・・」って言い逃れが通用するんでしょうかね。確かテポドン2って、アラスカまで届く性能があった筈なのに、半分もいかずに日本海にドボン! 失敗だったとか言う以前に、北海道に落ちなかったのが本当に幸運以外の何物でもありません。
挑発してるとしても、やることがキチガイの度が過ぎますね。死の商人向けのデモンストレーションだとしても、そんなので金稼ぐのは止めて、自分の国の農業から立て直すのが先だろ?ってツッコミを今更入れても仕方がないんでしょうが・・・。
流石に、国家公認で人攫いする連中のやることは無茶苦茶ですね。
北朝鮮を理想の国だと信じていた共産主義思想を信奉する人達は、今のこの事態をどう認識しているのでしょうか? ソ連が崩壊した時、全共闘世代の人達は大きなアイデンティティー・ショックを受けたと言っていましたが、今回はそんな甘い話では済みません。
要は、社会制度の理論を優先させた結果として“独裁者”を生み出して“人民を虫けらのように扱う国”を生み出した現実こそを直視しなければいけないでしょう。
これは、かつての日本が“軍国主義”で塗り固められて突っ走ってしまったのと同様の過ちでしょう。
私が社会科学思想に違和感を感じたのは、要は国家という社会制度システムを先に考えて、“人間”を国家を成立させる単位としてしか考えていないように思えて仕方がなかったからでした。
私は社会運動団体に関わっていた頃に、武術をやっている人間だというだけで非常に警戒されたものでしたが、武術は右翼のやるものというイメージだけでなく、どうも、社会運動をやっている人達には「弱い人間が団結する」という点に妙な拘りがあったみたいで、個としての人間が強い存在であろうとすることを否定しようとする意識が働いている様子がうかがえました。
つまり、“弱さ”こそが人間の制度的平等性を確立させる根本であり、社会には卓越した(突出した)能力を持つ人間はいてはならない訳でしょう。「何という屈折した卑屈さなんだろう?」と思いました。人間個々の弱さを認めることで人々は平等であるということを確認できる。突出した強さを持つ人間がいては都合が悪いと言わんばかりで、天下国家の在り方にケチをつけて自己満足を得ようとするケチ臭い精神構造には辟易とさせられました。
自分が代案を出して改革していく自信も無いのに・・・。
だから、私は左寄りの人と話していると虫酸が走るようになりました。口先だけの負け犬っぷりが嫌だったのです。まだ、右寄りの人の方が人間の情の部分で共鳴できるから、話していて気持ちが良かったですね(が、私は右翼思想は全然ありません)。
はてさて・・・、北朝鮮は今後どうなることでしょう。あんな振る舞いを続けていて未来があるとも思えません。慢性的に疲弊している国民を助けず国家の権力だけを外部に示そうとする元首が中心にいたら遠からず国が滅ぶのは自明でしょう。
問題は、同じ滅ぶにしろ、どんな具合に滅ぶべきか? そして、その後にどう再生していけばいいのか?ということでしょう。
最悪のシナリオは、「死なば諸共に世界を道連れに・・・」という選択を北朝鮮がすることです。国民個人の自由意志が奪われた国家で、狂った独裁者にロボットのように従う軍人達・・・絵に描いたようなマンガチックな図で噴飯物ではありますが、それが現実なんだから困ったものです。「気違いに刃物、独裁者にミサイル」ってのはシャレになりませんね〜。
こういう状況で小泉首相のボヤキ漫才みたいなコメントも逆に得してるかも知れませんね。一方的に非難しても“悪いことしてるのを解ってやってる人間”に通じる道理もないから、「話し合いが肝心だ」って最後に付け足す辺りは“不毛なのは百も承知”で、平和的解決の意志を伝えている。強硬に圧力を加えれば逆ギレして何しでかすか解らない北朝鮮の傾向を測った見事なスカシ具合です。小泉さん、案外、頭いいかも?
あ〜、でも、アベさんでなくて良かったかも・・・?
もし、アベさんが北朝鮮を非難しまくったら、金正日がブチィッ!って切れて、ミサイルばんばん発射してくるかも知れないし・・・(やりそうだから怖いよね〜)。
やっぱり、日本も綺麗言はやめて、世界のどの国にもできない日本の二大特産“忍者”と“ロボット”を、お国を護るために活用する時期にきたかも知れませんね。
江戸村からスカウトしてきて“忍者部隊・日光”とか組織して、早急に巨大ロボを建造して対抗しなきゃ〜ね? もちろん、長官は初見良昭先生でね。(結局、特撮ネタだ)
せめて私は、核ミサイルで荒廃した未来をケンシローのように生きていける人間を育てる老師?の役割くらいは果たすべきかも知れませんね〜(あ〜、やっぱり漫画だ!)。
あ〜、またも不謹慎なオチつけちゃって、スマン!
2006/07/08 ダンス白州2006中間報告・・・
8月の白州ダンス・フェスティバルでのうちの武術ワークショップは8月17日(木)の午前中にやることになりそうです。
昨年は基礎錬体に絞ってやったので、今回は突っ込んだ武術技法を色々やってみようかな?と思っています。
今回は剣術もやってみようと思ってまして、何とか“ミカちゃん”も完成して同伴させようと思っております(でも、やっぱ危険だから、当面は刃は付けないでおきます。こんなデカイ刀に刃が付いていたらベルセルクかブリーチか?って感じだし、全長は私の身長くらいあるし・・・)。近隣にお住まいの方、宜しかったらおいでくださ〜い。
2006/07/08 犯罪おかすヤツの親って・・・
最高裁差し戻しになった母子殺害事件(母子を殺した後、母親の死体を犯した未成年者の事件)のニュースを見ていて、殺された母子の父親が「自分の時間はあの時からずっと止まったまま。できることなら私が犯人を殺してやりたい・・・」と言っていたことから、私もずっと印象に残っていたんですが、犯人が反省しているのかどうか?とか、未成年だったから死刑にならず、無期懲役だと7年くらいで出所してしまえるとか・・・そんな話をニュースで聞いていて、「自分がこの父親の立場だったら本当に犯人を殺すかも知れないな・・・」なんて思ったりしていたんですが・・・。
でも、今回、ニュース番組を見ていて、犯人の実父のインタビューを聞いていて、「なるほどな〜。この子供にしてこの親あり・・・ってところなんだろうな」と思いました。
この父親は、こんな具合に言っていました・・・。「あの子も未成年だったんだし、時間がたって反省もしてることだし・・・」って言い分でしたが・・・呆れるのを通り越しましたね。
もし、私の子供があんな凶悪事件を起こしたとしたら、「こんな人間のクズに育ててしまって世間に顔向けできません。とても償いのできることではありませんが、未成年だろうが何だろうが、分別のつく年齢なんですから、あいつは死刑にしてやってください」とでも言うしかありませんよ。
全くフザケたオヤジです。人殺しして死体を犯すなんて人間のできることじゃないし、その邪魔になるからと赤ん坊も殺したんですからね・・・こんなヤツが更正すると思えますか? 倫理観が無いとか言う以前に、人間としての良心が無い。もし、良心が有るのなら、「取り返しのつかないことをしでかしてしまった。死んで償います」って死刑を願い出るか、あるいは自殺しますよ。本当に反省していたら必ずそうなりますよ。
本当に、あのオヤジには、「クサレ息子の代わりにお前が死んでお詫びしろ」って言いたくなりましたよ・・・。
何だか、本当に最近は「自分の欲望のままに周囲の迷惑考えないで行動した揚げ句、妙な理屈で自己弁護したがる“世界の中心にいて絶対正しいオレ(ワタシ)”みたいなニンゲン」が増えてきているように思えるんですが、私の気のせいかな〜?
あのワイドショー賑わせた自作自演女も“死にかけのフナ”みたいなツラしてて、やっぱり人間の心は顔に出るな〜と思いました。ドヨ〜ンとした目、締まりの無い口・・・あ〜、怖いな〜。
でも、そんな顔したゾンビみたいな人間が多いような気もするし・・・。
私が武術やってて良かった〜と思うのは、武術や武道やっている人達って目に力が有って姿勢がシャキッとしてどことなく引き締まった印象が有る人が多い点ですね。
特に女性武道家って美人度が三割増しになりますよね。オーラが輝いて見えるから。
そう考えると、趣味とか好きなことに熱中している時って人間は内面から輝きが出てくるんじゃないでしょうか?
あっ、そうか・・・。それなら、無趣味なニンゲンでも、何か自分が好きで打ち込んでやれるものが有ったら真っ当な人間になれるのかも知れないな〜?
どうなんでしょうね? 皆様の御意見を聞かせてください。
2006/07/07 本の紹介
『松田隆智の続拳遊記』BABジャパン
雑誌『秘伝』に連載されていた記事を纏めた松田先生の新刊本です。これはもう専門家向けの内容なんですが、初心者が読んでも読み物として楽しめる点が素晴らしい。
松田隆智先生と言えば、“八極拳”というイメージがありますが、この本ではむしろ“心意六合拳”への憧憬の念が色濃く感じられ、一拳必殺の拳技を求めて武術探究してきた松田先生の武術職人的な念の強さと、それとは反対に達観した修行者の悟りを思わせる透明感が陰陽一体化したような不思議なバランス感覚で一貫していて、読み物として松田先生唯一の漫画原作『拳児』の舞台裏を実録しているような面白さが感じられるのです。
当然、中国武術実践者にとっては修行に益するヒントがテンコ盛りになっているし、「自分の意志ではなくて天の意志で動かされているような気がする」という松田先生の主張には、私も弟子の末席の端っこを汚す一人として(っても、西荻の〜村で八卦掌の8回連続講座の後半三回だけ参加しただけなんですけどね)、「そうなんだよな〜。な〜んかわからないけど、続けてきちゃったんだよな〜?」って共感する面が多かったのです。
それと、私が評するのは生意気過ぎではありますが、恐らく観えない人がほとんどだと思うので敢えて書きますけれど・・・、松田先生が偉いのは、壮年期より70歳近くなった現在の方が格段に実力が伸びている点ではないでしょうか? 写真観たら判ります。本当に本に書かれている通りに練習されていらっしゃいますよね。名誉や金よりも武術修行そのものを至上のものとして生涯かけて探究してこられた松田先生は、やっぱり究極のフリーマンですね。「俺は最高の冲捶を出した姿勢のままで死にたいな〜」と冗談で言っていた松田先生・・・その言葉に嘘偽りは無いと私は確信しております・・・。
NHKは早いとこ人間ドキュメントの取材に行きなさ〜い。
2006/07/07 映画の感想
『SPL殺破狼』
ドニー・イェンとサモハン・キンポーがガチンコ対決するハードアクション香港ノワールとして本国で大ヒットしたという作品ですが・・・う〜む〜、何とも後味が悪い。
アクションは私好みなんですけどね。ちょっと北野武調の乾いた怖さを感じさせる殺気に満ちたバトルが、かつてのデブゴンでならしたサモハンのコメディー風のカンフーが想像できない。ドニー・イェンならではのカンフーとキックボクシングが合体したような華麗にしてパワフル且つスピーディーな打撃技に対抗して、黒社会のボスを演じたサモハンの凄みのある風貌と凶暴な技が炸裂!
でも、アクションとして面白かったのは、ウー・ジン演じる短刀持った殺し屋の冷酷非情っぷり。ウー・ジンは顔が童顔だから今イチかと思ったものの、動きのシャープさと静かな狂いっぷりでキャラが立ってます。こいつに警棒で挑むドニーとの対決が一番の見せ場でしょう。「ドラマもいいんだぞ」って話でしたけど、脳腫瘍に侵された警部の外道な捜査っぷりとか見せつけられると、ちょっと感情移入しづらい・・・っつうか・・・、やっぱりアクション物は最後にスカッとさせてくれないとな〜。『シルバーホーク』の方が好きだな〜。ハードボイルドに極めるのなら、アクションも抑えなきゃダメなんですよね。
この前観た『トムヤムクン』みたいにアクションそのものが売りでございますってポジションで観せてくれた方が個人的には好みですね。ハードボイルドはハードボイルドで好きなんだけどさっ・・・。やっぱ、ドニーの危ない刑事っぷりだけ観せてくれりゃあいいんですよね〜。はて・・・? 今、気づいたけど、ドニーって、最後に死ぬ役がやたら多くない?
『チーム・アメリカ』
さて、話題になっていたパペットお下劣パロディ映画『チーム・アメリカ』を、遅ればせながら観ましたよ・・・。
これ、18禁なんですけど、サンダーバードみたいな子供向け人形劇と勘違いして小学校の映画観賞会とかで上映したらエライことなっちゃいますね〜。
何しろ、人形同士でS●X(事務局判断で伏字)してるところや延々とゲロ吐いてるところがあったり、もう下品なんですよね。チームを抜けた主人公がチームに復帰する時に「覚悟の程を見せるのにオレのをフ●●●オ(事務局判断で伏字)しろ」ってリーダーから命令されたり・・・危な過ぎます。
なんか、観てて頭痛くなってきましたよ・・・。
テロリストを撃退するワールド・ポリス『チーム・アメリカ』って、アメリカの右翼思想をパロってるのは一目瞭然なんですが、アルカイダのバックに北朝鮮がいるという「それはヤバイでしょ?」って設定を堂々とやっていて、チャップリンの『独裁者』みたいな金正日が独り孤独に歌ったりするシーンもあります。
そして、ハリウッド・セレブが北朝鮮に加担してチーム・アメリカに対抗してきて次々に惨殺されたり、「黒豹のエサにしてやる・・・」って言って出てきたのが“黒猫”。人形にサイズ合わせたとか言う以前に、昔観た『地底探検(タイトルうろ覚え)』って映画思い出しました。トカゲに背鰭とかくっつけてディメトロドンみたいな恐竜に見せかけてたっけ・・・?
最後に、死んだ金正日の口からゴキブリ(本物)が出てきて宇宙船に乗り込んで脱出するところなんて、私は『地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン』のM宇宙ハンター星雲人(正体はゴキブリ)とか『ガッチャマン』の最終回の総裁Xとか思い出しちゃいましたよ。あっ、そういえば仮面ライダー・シリーズの悪の秘密結社(ショッカー、ゲルショッカー、デストロン、GOD、ゲドン、ブラックサタン)の首領が実は同一人物で、しかも宇宙人だった?という設定も思い出しますね〜(でも声が銭形のとっつぁんでおなじみ納谷五朗さんだって点で歴代ライダーやおやっさんは何故、もっと早く気づかなかったのか?)。
追伸;特撮ネタを書いてて思い出したんですけど、『牙狼』に森本レオが出ていた時に、恐らく映像で出たのは初ではないか?と思われる珍し〜い拳銃が出てきました。それはトグル・アクションを初めて採用しルガー・ピストルの原型になった自動拳銃ボーチャードです。この拳銃はエイリアンの頭みたいに後ろに思いっきり出っ張った機関部が特徴でバランスが悪過ぎたので実用化されなかったみたいですが、独自のトグル・ジョイント式遊底で半自動式に撃発装填を繰り返すメカニズムは最初期の自動拳銃のメカとして捨て難く、ドイツ軍の正式採用拳銃となったルガーP08へと受け継がれていきました。ちなみにこの回は拳銃が出まくりで、画面が暗いので確認しづらかったんですが、ベレッタM9やベレッタ93R(3点射バースト機構のついたマシンピストル)、グロックG18Cなんかが出ていました・・・。『牙狼』は、細部をチェックするとディテール細かいです。
2006/07/04 月例セミナー情報
7月9日(江古田ストアハウス);『空手と中国武術』
今回のテーマは空手道と中国武術の技法の比較検討をやります。太極拳と空手道の併習は可能か? 空手道は打撃技だけの武道なのか? 太極拳はどのように使うのか? 北派拳法と南派拳法はどこが違うのか?・・・等々、疑問に思われている点を解明してみたいと思っております。また、空手奪刀(くうしゅだっとう)の技法やツボを攻める点穴技についてもやってみます。
7月30日(大阪);『空手と中国武術・改定版』
江古田でおこなった内容と同様のものを予定していますが、それに加えて棒術・剣術・扇子術もやってみたいと思います。
8月17日(山梨県白州);『游心流武術ワークショップ』
今年も呼んでいただきましたダンスフェスティバル。昨年は奇しくもN〜〜の芸術劇場の取材と重なり、知らない間にTVに出ちゃって赤面物でしたが・・・今年はどうかな? 昨年は基礎錬体に絞ったので、今年は応用技法をバンバンやってみようと思ってます。
8月20日(江古田);『舞の手(変幻自在な技の体得)』
かねてより舞踊の動きの中で武術の技を駆使することを研究してまいりましたが、その第一段階の練習法を初公開したいと思います。“動けば即ち技となる”を目指しますぞ。
2006/07/04 游心流セミナー内容
1,『月例セミナー』
ほぼ毎月一回のペースで実施している游心流武術健身法の概略を紹介するものですが、特に遠方にお住まいで、毎週の定期稽古会に参加できない方が月に一回の定期練習に利用していたりします。
内容は、二部構成となっており、前半は基礎錬体・歩法・発勁と合気の基本技の履修となっています。
基礎錬体は・・・
a,スワイショウ
主に“脱力体”の養成を目的としており、同時に背骨を中心にした全身骨格の歪みの自動調整運動を兼ねていますが、他の団体ではやらない護身術への応用法(打撃技・関節技・絞め技・投げ技)も種々工夫して指導しています。スワイショウの運動だけで、健康体操及び護身術として役立つものを考案しています。
やり方は、DVD(『長野峻也・游心流武術秘伝の原理』クエスト刊)及び、本(『あなたの知らない武術のヒミツ』アスペクト刊)を御参照ください。
b,立禅
こちらは、脱力体を養成した後で“中芯軸”を体感し、更に静止したままで身体内部の律動を感じて身体内奥からわき出てくる“内気”の流れを循環させる、静気功法として身体のバージョンアップ(身体能力と脳機能のアップ)を図るものです。
主に健身椿・技撃椿・伏虎椿・降龍椿の四つをおこないますが、他にも、馬歩式(八極拳)・三才式(形意拳)・独立式(意拳)等もあります。
健身椿のやり方は本でも紹介していますが、できれば独修はやらない方が無難です。
どうしてか?といいますと、静気功の場合、気のエネルギーが滞留しやすく頭に昇ったまま滞留すると少々問題が起こったりするからです。副作用の無い薬がないように、万事良いことずくめの健康法なんて代物はあり得ないという点をくれぐれもお忘れなく。
c,三元試力
立禅を練習した後は、溜まった内気を身体中に散らして発散させる必要があります。また、この練習法は、ゆっくりと全身を連動させて動かす体操なので、様々な武術形の稽古を圧縮しておこなうような効果があるように工夫しています。
その秘密は、全ての動きを骨盤を“中芯”にしているという点にあり、骨盤の横回転・縦回転・8の字(螺旋)回転を主体として全身をブレイクダンスのように連動させて動かすものです。
例えば、横回転は空手の突き蹴り、野球のピッチングやバッティング等の動き。縦回転は剣道の垂直斬り、形意拳や通背拳の打拳、畑仕事で鍬を振る動作やマキ割り、のこぎりをひく動作等。8の字回転は八卦掌や合気道の動き、スキーの動き等のパフォーマンスを上げるのに役立つでしょう。
d,歩法
歩法は、人間の歩く動作そのものをエクササイズとしたもので、古来から素人を達人へと変えると言われていた“丹田”の養成を、最も短期間に効率良く安全におこなえるものとして游心流では重視しています。
また、この歩法訓練によって性エネルギーが高まる効果があることが会員の報告で判明し、今後は中高年層にお勧めしてみたいと思っています。もちろん、精力が高まるということは、必然的に体力アップに繋がる訳ですから、年中疲れている若者層にも良いかも知れませんね。
それから、歩法に関しては、武術の戦術にも関わる“居着かない動き”を体現した“蛟龍歩(コウリュウホ)”という歩法を開発しています。これは第一段階(スリ足蛇行歩法)から第二段階(縮地法を細かく連結させた歩法)、第三段階(沈墜勁を利用した腹圧圧縮の反動を利用して発勁を連発しながら動く歩法)、第四段階(第三段階の動きを圧縮してスピードのみに特化した超・加速歩法。ちなみにまだ未完成)まで研究しております。
e,発勁基本錬法
発勁打法の最も簡単にして効果的な体得法を指導しています。基本はミットや座布団を重ねて胸の前に置き、拳面か掌を接しておいて打ち込みます。これは、直接打つと危ないので、安全を確保するために“打ち放す”ようにします。一見、押し飛ばすような形になりますが、これができるようにならないと発勁の威力は得られません。
武術業界的には、「発勁は筋肉力を使わず気と勁のパワーを使う」との説を自分勝手に解釈して何の威力も出せない“チョコン突き”で打つものだと勘違いしている人もいますが、伸筋の力や重心移動の力を有効に送り込まなければ効くものではありません。何も神秘的なものではなくて力学的なものなのです。その意味では、空手やボクシングの突きと原理的に変わるものではありません。
更に、基本の当て方を体得した後は、身体各部で打ったり、通常の突き蹴りに発勁的な効果をプラスさせる指導もしています。その延長線上では器物を通してもできるようになりますから、スポーツ等にも応用は随意にできるでしょう。
f,合気基本錬法
合気の技は、『あなたの知らない武術のヒミツ』に比較的詳しく説明していますが、やはり、体験してみないと納得しがたいかも知れません。
これは太極拳の化勁(力を化かす技術)にも共通するものですが、大なり小なり大抵の武術・武道・格闘技の技術の中に内蔵されているものです。
仕組みを知らないと神秘的な秘術のように思えますが、原理が解れば後は応用変化のパターンはいくらでも工夫できるものであり、基本的な攻防技術を訓練していなければ演芸で終わってしまう性質のものです。
これまでは“演芸のレベル”で指導することにしてきましたが、今後は武術技法としてのリアリティーある応用研究成果を毎回示していこうと思っています。
以上が、前半の基礎錬体編でおこなう主な内容です。
かなり圧縮して進めていますので、初心者にはボリュームが有り過ぎるかも知れませんが、前半のみなら武術に関心の無い人の身体操法トレーニングとしても御利用いただけるので、「こういうものは初めてだ」 と思われる方にも向いていると思います。
さて、後半は、武術技法の応用練習編です。
形式は、交叉法による戦闘理論の基礎練習法である“対錬(二人一組での相対練習)”で、参加者同士で組んでもらって技の掛け合いをおこないます。
あくまでも技と理論の体感が目的なので、勝負心は抜いていただきます。これはエキサイトして自由組手をおこない、初心者が怪我をしないようにするためです。
古武術が二人組んでの型稽古オンリーなのは、技の性質が禁じ手ばかりのために試合形式の練習が難しかった点に理由があると言われますが、それも故無きことではないでしょう。自己満足で相手を怪我させかねないような攻撃をする人がたま〜にいるものですが、そういう人は退場勧告します。
所詮、趣味の練習で怪我をしても意味がありませんし、練習相手を怪我させて己の強さを示したいような精神構造の人には武術は気違いに刃物にしかなりません。
ちなみに、游心流では突き蹴りはコントロールして寸止めにし、投げ・逆固め・絞め技等もダメージを与えないように注意してやるようにしています。
それから、武器法に関しては、剣・杖(半棒)を時々やり、短刀(ナイフ)その他の武器術も指導していますが、これらは体験的なものであって、本格的に学びたい人には入会をお勧めしています。
ただし、うちでやっている武器法は、素手の体術だけでは理解できない武術の理合をより具体的に体現したり、護身術として武器に対処する方法を考えるために練習するものであり、必要以上に武器そのものに興味を持つ人の場合、悪用の可能性もあるので入会をお断りする場合も有りますので、まずはセミナーで体験していただきたいと思っています。
2,『大阪セミナー』
大阪セミナーも三カ月に一回くらいのペースでおこなっておりますが、基本的には月例セミナーとほぼ同様の内容となっています。
ただし、大阪人のノリの良さに感応して? 毎回、調子に乗って普段は見せないような技も見せてしまったりしています。
ちなみに、大阪支部長主催による稽古会も随時、実施されていて、甲野先生の物真似とか、『酔拳』のユアン・シャオティエン(TV放送小松方正吹き替え版)の物真似とかといった、超マニアックな“芸”が披露されて盛況だそうです・・・。
3,『平日夜間ワンテーマ・セミナー』
こちらは平日夜間に二時間の実習兼講義形式の連続セミナーです。
毎回、テーマを決めて講義し、その後、講義内容に準じた技法の実習をやっていますが、料金もお安くなっているので、初めての人には参加しやすいようです。
ただし、不定期なので、ホームページを随時チェックしておいていただかないと関心のあるテーマの回を見逃してしまわれるかも知れませんので、御注意ください。
4,『游心流“健身法”セミナー』
游心流古巣の西荻窪ほびっと村学校に、2006夏に復活する游心流セミナーです。ただし、内容は“健身法”であり、游心流最強の師範代“最終兵器マカベ”がデビューしますので、夜露死苦!(でも、“健身法”なんですよ・・・)
尚、詳細は、近々、游心流健身法のホームページが開設されますので、そちらを御参照ください。
番外 『橋本駅前シダックス“太極拳”講座もリニューアル』
橋本駅前シダックスの游心流太極拳講座も、内容をリニューアルします。
基本ラインはこれまでと変わらず、游心流基礎錬体法と簡化24式太極拳をベースにしますが、今後は“護身術”そのものをテーマにして、太極拳技法をより実際的な護身術に応用させることを目指していきます。
このリニューアルを目指して現在実験的に色々やっていますが、まずは打撃技(突き・蹴り)を強化していく意味で、釘脚・踏脚・斧刃脚・膝当て・足刀蹴り・回し蹴り(ミドル・ロー・内回し・外回し・裏回し)や、飛び蹴り(二段蹴り・旋風脚)、前掃腿・後掃腿等の蹴り技も練習メニューに加えました。
私、昔は蹴り技が大好きで練習していたんですが(ちゃんと前後左右に180度開脚できたんだぞっ!・・・あ〜あ・・・)、古武術や内家拳をやるようになって「蹴り技は実戦的じゃな〜い」という説を信じて練習しなくなり、また、脚裏腱をブッチーン!と切ってしまってきちんと治療しないで自然治癒させたものですから、脚が固くなって上がらなくなっちゃったんですね〜。
それで手技ばっかり練習して脚は歩法に特化したんですけどね。でも、最近、空手道のDVD付き本をお手伝いして、伝説的な蹴り技が有名なある師範の非常に素晴らしい教授法と上達理論を目の当たりにして、「あ〜、蹴り技はカッチョエエな〜」と、感動して、かつての“華麗な蹴り技を連発できたオレ”に戻りた〜いと思った訳なんですよ〜。
それに、カンフーと言えば“蹴り”ですよね〜。蹴りといえばブルース・リーを筆頭に、ブルース・リャン(河童ハゲ状態の火雲邪神役に大ショック)、タン・トウリャン(『空飛ぶ十字剣』)、ウォン・インシック(『ヤングマスター』の悪漢キム役は最高。『ドラ道』の「おまへがタンロンかっ?」「おーイタ、あーイタ・・・」の情けない日本人空手家役と同一人物とは思えん)、ウォン・チョンリー(『酔拳』『蛇拳』『龍の忍者』の敵役は最高です)、カサノバ・ウォン(はっ、ここまで挙げた人達って、カンフーじゃなくてテコンドーの人ばっかりじゃん?)、ベニー・ザ・ジェット・ユキーデ(『スパルタンX』でのジャッキーとの勝負は素晴らしい)、シャン・シンシン(J・リーの陰のスタントで頑張ってる人です)、トニー・ジャー(『マッハ!』『トムヤムクン』の飛び膝蹴りの滞空時間と距離の長さはため息ものです)、ドニー・イェン(マッハ蹴りの異名を持つドニーさん。『SPL殺破狼』のラストは愕然とさせられます)、倉田先生(千葉ちゃんとの対決はどうなったのかな?)もいまだ現役!・・・。
まあ、私ができるようにならなくても、生徒さん達ができるようになればいいんだけど、一応、見本を見せなきゃならんし、取り敢えず、四十の手習いで初心に戻って蹴りの練習も始めております・・・。
以上ですが・・・。
セミナーにしろ稽古会にしろ、終わった後は喫茶店やファミレスで食事しながらダベるのが恒例になっております。
内容は技術論から武術や身体操法業界の裏話等々、聞かれたら知ってることには何でも答えたりしておりまして、常連さんは、この食事会の話が聞きたくて参加している人も多いそうです。
また、不思議なことに食事会に参加する人の方が格段に上達スピードが早いんですね。
何でかといいますと、練習しているエクササイズの意味がよく理解できるので、意味も解らず練習しているのとは圧倒的に差がつくからみたいなんです。
それと、食事会の時は本音が出やすいので、私としても参加した人の目的が判るので、アドバイスしやすくなります。遠くから参加されている方とは特にお話するようにしていますので、気楽にどうぞ・・・。
2006/07/02 武術は超能力じゃなくて身体技法なんですよ
前回のセミナー受講生の方の御感想で、私の打った発勁の威力に驚いたという御意見を頂戴しましたけれども、何だか、誤解されそうな気もするので、多少、御説明しておきたいと思います。
過去にも実演してみせたところ、何度か力が出過ぎて「翌日動けなくなって仕事を休んでしまった」とか、「夜中に七転八倒した(こちらは師範代の背中での発勁を受けた方)」とかいった苦情を受けたりしていたのですが、どうも、発勁の打ち方だと筋肉に力を込めて打つのでなく、できるだけリラックスさせたまま重心移動で打つので加減が難しいんですね。だから、軽く打ったつもりなのに怖いくらい威力が出てしまったり、ミット越しに打っても当たり方によっては、その場にうずくまってゲロ吐いたり悶絶してしまった場合もありましたし、会員間の練習で八極拳の“頂心肘”がモロに極まってしまい、受けた方は両眼を開けたまま失神してしまった・・・なんて事件もありました。
素人でも教えた次の瞬間から、こんな凄絶な威力が出せてしまう点が発勁の恐ろしいところでしょうけれども、見方を変えれば、別に全然鍛えていない人間でも方法論さえ理解すれば一撃必倒のパンチを出すことは可能なんだってことでしょうね。
だから、秘伝扱いして容易に教えなかったんじゃないでしょうか? 別のセミナー受講生の方は、「先生、あそこまで教えちゃうと悪用するヤツがいるかも知れないから、やめといた方がいいですよ」と注意してくれましたが、その方は武術に詳しいから、そう思われたんでしょう。私にとっては初歩的な範囲でしか教えていないつもりなんです。
正直、思いっきり打つ方が簡単なんですが、結果が恐ろしくて、たとえキックミット越しでも人間相手に打つ気持ちにはなれず、サンドバックくらいにしか打ったことはありません。
そんな訳ですから、「軽く打ってほしい」とせがまれるのが一番困るんですね。その場で何ともなくても後で大変な事態になるかも知れないからです。
もちろん、セミナーの時は注意してダメージが残らないように貫通させるように打ち放しているんですが・・・。
それと、私の発勁は特にどなたかに習ったものではなくて(やって見せてもらった人は、戸隠流の野口幸男先生、今をときめく甲野善紀氏、武道医学のサイード・パリッシュ先生、躾道会の小林直樹先生・・・等々、何人もの方に見せていただきました)、自分で古流柔術や中国武術や空手道の技を研究していてできるようになったものなので、本物の発勁なんて大層なものじゃありません。もっと凄い人はいくらでもいらっしゃるだろうと思っています。
ただ、私の自信を持っている点は、「私ができることは理論的に稽古していけば誰でもできるようになれる」と思っている点です。その点が達人の秘技や絶招とか言われている個人芸とは違う点だろうと思っているのです。
もしも、私に武才が有るとしたら、それは技術構造を観察して再現できる点と、それを他者に指導して体得させられるということでしょう。つまり、教師タイプなんですよ。
とかく、「武術の達人だからこそできる秘技なんだ」と見せかける人が多過ぎるし、どうにも世間では(というかマスコミやTVでは)武術を超能力紛いのものとして妙に神秘化したり、権威付けして演じてみせる人を無闇に持て囃す傾向があるのはいかがなものかな〜?と思っている訳です。
専門家だったらできて当たり前。持て囃す必要なんかありませんし、威張るような大層なものでもないでしょう。弟子の前で威張るのはまだ許せますが、ほんの些細なことで第三者に凄んで威圧してみたりするようなお馬鹿さんもいたりするから困りものです。
はっきり言って、感想を頂戴した方も書かれていましたが、普通に趣味として一週間に一回程度で三年くらい空手を学んできている人の方が、中堅どころの中国武術家より打撃力は上回っている場合が多いだろうと思いますし、「高名な中国武術家の発勁を(ミット無しで)受けたけれども、二、三歩後ろに押される程度でちっとも効かなかった。あれが発勁だというのなら、フルコン空手を三カ月くらいやってる高校生のパンチにも及ばないだろう」と語っていらした伝統空手出身で中国武術も台湾や中国大陸まで学びに行った師範もいらっしゃいました。
私も色々と見て回っていますが、二、三の方を除いて、中国武術だけをやってきた人の発勁は、貫通性(人を弾き飛ばすようなパワー)は有っても、衝撃力(ダムダム弾が爆裂するような破壊力)が足りないな〜と思う場合がほとんどで、武術業界のマニア間で言われている程の“凶猛さ”を感じたことは有りません。「“李書文に二の打ち要らず”とか、“半歩崩拳、遍く天下を打つ”みたいな超人的な威力が発勁には有るんだ」と思い込んで中国武術に憧れた者の一人として、現実に見る発勁?は、「ええーっ? こんなもんなの?」といった印象を受けることの方が多かったのです。
無論、それしか知らずにブ厚いキックミットの上からでもドバーンとふっ飛ばされるような体験をするとスゲーッ!と思ったりはするんですが、それは体当たりでふっ飛ばされるのと同じことで、衝撃力そのものは大して無い。むしろ、ボクサーの軽いパンチやキックボクサーの蹴りの方が爆発的なパワーを感じる訳で、中国武術に幻滅して格闘技の世界に移っていく人も多かったでしょう。
私も一時期は格闘技の練習もしましたし、空手・柔道・剣道・合気道・新体道といった現代武道も体験だけはしてきました。それで発勁そのものも自分の理想とする貫通性と衝撃力を兼ね備えた打拳を研究した訳です。結局、人間のやることなんですからどんな流儀にも共通するものは有る訳ですから・・・。
むしろ、私の個人的な感想としては、中国武術一般には戦闘法の巧妙さの方に感銘を受けるんですね。「いや〜、よくぞこんな技の使い方考え出したもんだな〜?」とかいった具合の感銘であり、その巧妙緻密にして大胆苛烈な“戦闘法の一部”として、様々な発勁打法が考案されたものと私見しております。
ですから、10年くらい前に中国武術を習っていた先生が、「中国武術が解ると空手(の動作)の意味が自然に解ってくる」と言われていたんですが、確かにその通りになってきました。形の動作だけ観ていて実際にどういう具合に技を使うのか? あるいは単なる繋ぎの途中動作なのか? ってことまで判別がつくようになりました。
一つだけヒントを書きますと、空手の技が拳頭の突きや上足底の蹴りを主体にしていると考えると判別が難しくなります。受け技も、単に突き蹴りを受けているだけだと考えると不十分です。崩し・いなし・投げ・逆手・絞め・・・そして、彼我のポジション(立ち位置)、及び“間合”を考えながら検討すると形の動作の意味が読めてきますし、受け技は攻撃技の変化形だと解釈すれば、実際にはとても使えなさそうな多種多様な手技(山突き・合わせ突き・手刀受け等)が蘇ってきます。
でも、セミナーにしろ稽古会にしろ、初心者にいきなり実戦的な練習なんかやらせても何の益もありません。
物事は段階を踏んで進まなければ何も得られません。
ですから、まず、発勁の基本的な打ち方の特質を体感してもらうために、セミナーでは毎回、
“発勁の基礎的な打ち方の指導”をしている次第なんですが、それを“全体像”だと勘違いするウッカリ者がいるんですよね〜。一口に発勁と言っても、拳・掌・手首・指先・手甲・肘・前腕・内腕・上腕・双拳・双掌・肩・背中・脇腹・肚・額・臀部・膝・足尖・カカト・足裏・足甲・スネ等を使ってできるように練習しますし(更に武器を使ってもできるようにする)、威力の高め方も纏絲勁・沈墜勁・十字勁・弾勁・通臂勁・跟歩等が色々あります。更に打撃法の秘訣(主に効かせ方)や明勁・暗勁の区別もある。
もちろん、ここに書いていることくらいは、私は全部できます。自慢じゃありませんが、かれこれ20年くらいは研究してきてますから、この程度はできるようになっていないと研究家なんて名乗れません。メカニズムが理解できれば後は応用するだけで技は数十、数百と広がるのです。それができない人はメカニズムが理解できなかったというだけの話であって、才能の問題ではないのです。
ところが、初心者向けに教えている内容が私の技の上限なんだと勝手に思い込んで誹謗中傷する人達もいるから困ったものです。そういうことを言うのなら、最低でも私より努力してみて欲しいですよね。やれるもんなら、やってみろ!って言いたいですよ。
はっきり言うけど、私は素人じゃないんだから、勘違いすんなよ、もう〜・・・って感じなんですね。
威力の出し方の次は威力の高め方を学び、その次は当て方を学び、打法のバリエーションを学び、歩法を学び、更に攻防理論を学ぶ。
その後は、選んだ人だけに効果的な人体の潰し方を教え、更に受けたダメージを治癒させる活法や整法を教える・・・これが伝統的な武術の段階教授法です。
私はそこまで研究しているんですけど、教える時は相手のレベルや学ぶ意志、人柄まで観察するんですよ。また、発勁の打法に関しては、いまだかつて誰一人として半分も教えていません。注意されたみたいに、やっぱり、悪用されるとマズイですし・・・。
さて、話を戻しますと、単に発勁の威力があってもあまり意味はありません。
当てられなければ無意味ですし、当てるためには相手の攻撃を何とか処理して近づかなければなりません。
空手家やボクサーが怪我も覚悟で必死で自由組手やスパーリングをこなすことは、それを熟知しているからですし、人間が本気で戦う時の最も大切な勇気を育てることだからですよ。
だから、これを読まれている方の中で空手やボクシング等を学んでこられた方がいらっしゃいましたら、自身が学んだことを決して無駄に思わないで欲しいのです。誇りを持っていてください。
どこの世界に黙って発勁を打たせてくれる人がいるでしょう?
人間が本気で戦えば、どんな達人だろうと不意打ちで素人の果物ナイフで殺されることだってあるんですよ。「強い方が必ず勝つ。だから、偉いのだ」みたいに考える武道家はお目出度いんです。私は「俺は武道家だぞ!」って態度をしている人を見ると、そのチャイルデッシュな精神構造に噴き出したくなりますよ。
・・・でも、そういう「バカか、こいつは?」と思っちゃうような人も多いですね。
私の知る限り、本当に怖気を感じる程の実力の持ち主は、一見、全然強そうに見せませんから・・・だから、私は本心から自分が武術家だなんて名乗れたものじゃないと思っていますし、武術の世界は私なんぞが“武術家でござい”と名乗れるような、そ〜んな甘いもんじゃないと思っています。
だからこそ、私は文章だけで武術の技術を論じたりしたくないんですね。やってみなければ確実に誤解するんですよ。何の役にも立たない技を武術の極意だと勘違いしたり達人だからこそできる秘技なんだと思い込んだり・・・。そして、誤解したまま何の判別もできない“眼”のままで、「あそこは凄いけど、あっちはダメだな〜」なんて勘違いした“武術通”になって我知らずに恥を晒し続けるんです。
武術に限りませんが、実際に稽古を通して身体で理解していかなければ話にならない。 こんな当たり前のことも解らず、何の益にもならない情報だけを集めたがる人が、あまりにも多過ぎます。私は情報をそのまま鵜呑みにはしません。必ず自分で確かめますし、確かめようのない時は「〜だそうです」と、断定しないように気をつけています。
でも、最近は武道の高段者でも全く“眼”が無い人もいたりするから、もう構造的に致命的な状況なのかも知れませんね。肝心要なことが解っていないオーソリティーに、これまた本質が観えない専門家が追従しているんですから・・・。
まあ、あと二、三年はこういう混迷した状況が続くんでしょうね。
でも、それ以上は続かせませんよ〜。エセ武術家を観抜ける人をどんどん育ててますからね〜。最後に残るのは本物を追究する人間だけですよ・・・。
PS;私はこういう考え方ですから、世間的に名の知られた武術家だの武道家だのと持て囃されている人達のほとんどを全然認めていません。