長野峻也の日記(2006年09月)

2006/09/30 セミナー・コンテンツ

10月3日の水道橋夜間セミナーは、前回の続きで“剣術”についてです。

今回は、剣の理合が素手の武道にどのように展開されるのか?という点について講義と実習をやってみます。

1,目付けのやり方。「身体のどこを観察すれば先が取れるか?」

2,体捌きの意味。「向身から半身に転換することで骨盤の回転力を利用する」

技としては、合気道・伝統空手・古流柔術の技法を剣の理合で解析してみます。

続いて10月15日の江古田月例セミナーでは、基礎錬体法の意味を徹底解説してみようと思います(10月29日の大阪セミナーも同様の内容でおこないます)。

スワイショウは身体の捻転の動作で敵の攻撃を避けるのと反撃するのを一挙動でおこないます。単なる健康体操でも気功法の準備体操でもなく、これだけでも百通り以上の打撃技(鞭手・肘打ち・打拳術)・打ち払い技(下段払い・回し受け・受け払い)・関節技(挟み折り等)・投げ技(巻き投げ・入身投げ・回転裏投げ)・絞め技(フェイスロック・三角絞め)等々の展開もできるのです。

立禅も同様に、技の展開がいくつも考えられます。今回は独立椿(意拳・少林拳等)や三体式(形意拳・心意六合拳)、倚馬門路(八卦掌)、白猿献果(八卦掌)・・・等々、色々な形の用法について解説します。

余談ながら、ちょっと、あまりにも勘違いする人が多い(「そうか〜、意拳って、こんな具合に使うのか〜? 感動した〜」なんて言われてギャフンとしてしまうのです。違うって言ってんだけどな〜)ので注意しておきますと、これは“意拳の解釈”という訳ではありません。恐らく、意拳をやっている方で、こんな具合に教える人はいないと思います。 だって、私が自分で考えた“武術全般に通じる錬功法に秘められている訓練の意味についての解釈”なんですからね。だから、それを証明するために、今回は意拳の站椿功ではなく他の門派の站椿功についても解析してみる次第です。どうも、武道・格闘技の業界で意拳が実戦的だと有名になったものだから、「中国武術といえば意拳」という物凄〜い短絡的な認識が広まっているみたいに思えて仕方ありません。意拳がダメだとか言うつもりは毛頭ありませんが、どの門派が優れているとかなんとかいう論議は全く馬鹿馬鹿しい限りで、要は、武術というのは、自分自身が学ぶ流儀をどれだけ理解し技が体現できているか?ということだけが問題なのであって、どんな優れた流派をスーパー達人に習ったところで、ボンクラはボンクラなのですし、無名の師匠の小さな町道場で学んでいても強くなる人は強くなるんですよ。なんで、こんな簡単な理屈が解らないのか、不思議で仕方ありません。こんな調子だから、「武道やってます」って言うと“頭の弱い人”ってイメージで見られてしまうんじゃないでしょうか? 本当、身体鍛えるより脳みそ鍛えてよって言いたいですよ・・・。

脱線し過ぎましたけれど、站椿功の応用解釈は、無論、空手でも少林寺拳法でも剣道でも流派の別なく応用できますし、“独りで練習できる”という点が強みです(これだけやっててもダメなんですけどね〜)。

本当は「游心流のお家芸にして隠しておこうかな?」とも思っていたのですが(自慢めいてお恥ずかしいですが、私がさっぱり練習していないのに技が向上している理由の一つなんです)、非常に応用性の高い効果的な稽古法なので、他流修行者の参考になればいいかな?と思って公開しておりますので、是非、有り難がってくださいね!

三元試力についても、骨盤の横回転、縦回転、螺旋回転によって、打撃力が倍加し、いくつもの合気技法が体得できるようになります。つまり、この三つのエクササイズを練習しているだけで、武道やスポーツ、日常動作の全ての動きが根本から変化してくる、いわば基盤錬法となっているのです。(以上のことは、クエストから出ているDVD『武術秘伝の原理』にて解説していますので、御参照ください。当ホームページの動画でもいくつか公開していく予定です)

最近、定期稽古会が場所が特定していないのと、入会してもさっぱり通えない人が多いので、本気でやりたい人だけでやろうと、思い切って稽古会は完全に非公開にしておりますので、游心流の技が知りたい方は、セミナーを受講してください。

・・・う〜む・・・ごめんなさい。本音書きます!

こういうこと書くのは傲慢なのかも知れませんが、私はやる気があって、尚且つ、游心流の技の価値を解ってくれる人にしか教えたくないんですよ。「武術の最高の境地をものにしたい」と思っている人としか一緒に練習したくありません。「ちょっと、関心があるからやってみたいな〜?」程度の人は、邪魔臭いんで、ほかの道場に行ってください。

本当に、私、ものの価値の解らない人間って大っ嫌いなんですよね。男女問わず。

な〜んか、武術をファッションと勘違いしてるんじゃないかな〜? 浮ついた気持ちで稽古に来られても迷惑ですよね。注意してやらないと大怪我するし・・・。

身体論?とかいうものに関心がある人も、よそに行ってください。うちは身体よりも精神の働きを大切にしているので、そういう身体を機械的に効率よく動かせば何でもできる?式の安直な理論を期待されても困るんですよね。それと、他所の理論とか他所の先生について質問するのも止めて欲しいですね。研究家として知らないとは言いにくいから答えてしまうんですが、大体は批判的な見解にしかならない訳ですよ。だって、他所の理論が良いと思っていたら、こんなことやっていませんからね。私は長年研究してきた自分の理論が一番良いと思っている訳ですよ。本心を言えば・・・。

でも、当たり前でしょう? 誰もが自分のやっていることが最高なんだと思ってやっているんです。その点は私だって同じことです。ただし、私は自分を客観的に引いて見る癖があるから、自分の考えに独善的にならない。

ただ、それだけが違うという話です。

追伸;都内I区在住のS野さん。応援のお葉書、ありがとうございました。お時間あったら、セミナーでも遊びに来てください。

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2006/09/30 亀田弟の試合もムムゥ〜

全然知らずに仕事しながらTVのチャンネルを回していたら、亀田次男の試合をやっていました。

世界ランカーの相手ということで苦戦しており、判定になりましたが、僅差で亀田次男の判定勝ち・・・。会場からどよめきが起こっていました。

私も3Rから見たので、亀田次男が優勢だったというシーンは見ておらず、終始、相手選手のトリッキーな動きに業を煮やして強引な反則で攻撃をしては注意されたり、大振りのパンチを躱されて攻め切れない亀田次男の一本調子の攻撃スタイルを延々と見せられてイラツかされたというのが本心でした。

確かに判定は微妙で難しかったかも知れませんが、私の見るところは相手選手のテクニックが勝っていたように見えましたし、鼻血を出して右瞼も切れて血が滴っている亀田次男の顔を見れば、試合の判定はともかく勝負に勝ったのは相手選手だったのが一目瞭然でしょう。といっても、相手選手がそんなにテクニックがあったのか?といえば、試合を見る限り、さしてテクニックが秀でているとは思えません。特に、打った後に右顔面がガラ空きになるのは「危ないな〜」と思えましたし、防御テクニックの上体のこなしもスピードはありません。30代後半という年齢を考えても、言い方は悪いでしょうが、カマセ犬として選んでいるのでは?という疑問が拭えないでしょう。

亀田兄弟のピーカブー・スタイルでぐんぐん前に出ていって強烈なパンチをバチンバチン叩きつけて粉砕するというボクシング・スタイルは、全盛期のタイソンの模倣に思えますが、タイソンは左右に上体を振って追い詰めていくことで、相手選手がフットワークで逃げるのを防いでいました。亀田兄弟にはこれが欠けています。一本調子で真っすぐ入るだけでは、サークリングを使って回り込まれれば墓穴を掘ります。亀田長男がランダエタを攻め切れなかった理由が、ここにあるのではないでしょうか? パンチ力とスピードが勝れば勝てるというほど、ボクシングは甘くないでしょう。一本調子の闘い方では、研究されてすぐに通用しなくなります。父親の教えの正しさを証明したいという気持ちは解りますが、自分に欠けているものを自覚して、常に勉強して補っていかなければ、たとえ世界チャンピオンになっても長くは維持できない。

名声だけを求めず、息の長いチャンピオンとなってこそ、父親への恩返しになるのではないでしょうか?

金や名声よりも、「俺はボクシングそのものが好きなんだ」と言える人になって欲しいものです。何だか、亀田兄弟を見ていると、メディアに利用されているように見えて可哀想な感じがしますね・・・。

ついにTBSの姿勢も批判されていましたが、乱闘に発展するというのも恥ずかしいですね〜。プロレスみたいなお約束なら、それもエンタメの範疇で楽しめるんですが。

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2006/09/30 グエムル見損なった〜

私、あんまり韓国映画は観ないんですが、私の大好きな怪獣映画で面白いという評判だったので、『グエムル−漢江の怪物−』は、観に行こうかな〜?と思っていたんですが、何となく観損なってしまいました。

何でか?といいますと、これって、怪獣がちっちゃ過ぎて、怪獣映画っていうよりUMA映画みたいだったからです。

まあ、UMA映画も嫌いじゃないんですよ。『ジョーズ』『グリズリー』『クロコダイル』『アリゲーター』『アナコンダ』『コモド』・・・そりゃあもう、いっぱいありますけど、川口ひろし探検隊みたいな味がありますよね〜。

最近も、東映チャンネルで『恐竜怪鳥の伝説』やってて、これがまたプレシオサウルスとランフォリンクスが富士の樹海で戦うんですけど、なんか、モケーレ・ムベンベ対コンガマトーみたいな感じで面白かったんですけど、怪獣映画の醍醐味って、怪獣同士が戦う点ですからね〜。

グエムルって、何かサンショウウオの出来損ないみたいで愛着がわきません。

それにちっちゃいし〜。

やっぱり、ちょっとでかい動物くらいの大きさだと面白くない。そんな現実的な生物感とかいらないですよ。

やっぱり、アマゾンの巨大アナコンダっていったら40mくらいないとね〜。

シーサーペントだったら90mくらい欲しいですな〜。

TVの映画評論家が、「グエムルってバラゴンぐらい」って言ってたけど、バラゴンは25mあるんだから、サイズ的に全然違う。

それに口から熱線吐くし、全然違うよ。

こうなったら、私が怪獣小説書いて映画化目指すしかないかな〜?

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2006/09/26 PDF書籍出版始めま〜す!

これまでホームページで書き溜めてきた記事原稿量は、楽〜に数十冊分にもなっています。内容が危険過ぎてオクラ入りしたものや、実録ノンフィクション、武術や武道の技術分析もの、特撮エッセイ、事典もの・・・等々、自分でも何を書いたのか最早覚えておりません。

本年一月にホームページを移転新設した時に、今後は技術論はなるべく書かずに書籍用に温存しておこうと思っていたのですが、三月にようやっと新刊本『あなたの知らない武術のヒミツ』(アスペクト刊)を出して続編の企画も動いているのですが、どうにも出版社を経由するというのは時間がかかるし夢の印税生活も三カ月しか保ちませんでした。

とにかく、続けて本を出さないことにはオマンマの食い上げになってしまうのですが、依頼が来るのを待っていたら年を越してしまいそうな塩梅です(大太刀の支払いも残っているし〜)。

そこで、「DVD製作も復活させるのに併せてPDF書籍を自分達で出してしまおう」ということになりました。

DVDの方は編集に手間取っていて悪銭苦盗・・・じゃなくって悪戦苦闘しており、9月中に出すのは無理無理〜って担当者が泣いているので、技術的にも予算的にもとっととできるPDF書籍の方を優先することになりました!

まあ、こっちの方だったら、驚異的に書いて早い私にとって、二日あれば十分に本一冊分くらい書けますからね(『あなたの知らない武術のヒミツ』の続編だって約40時間で書き上げちゃったし〜。400字詰め原稿用紙に換算して354枚分ナリ!)。

という次第で、告知しておりましたDVDは、しばらく先送りし、PDF書籍を発売させていただきます。

第一弾は、一挙に三冊!

まずは、『剣鬼・若山富三郎評伝』。以前のホームページでカルト的な人気を呼んだ若山富三郎先生の武芸について熱く語った評伝を、加筆訂正してお送り致します。日本一の殺陣巧者にして剣・柔・拳法・棒・槍・薙刀・手裏剣・水泳・乗馬・居合・射撃と、何でもこなせる総合武術家にしてマジで“達人”だった若山富三郎先生の奇跡の殺陣アクションと武芸を語り倒します! 『子連れ狼』(拝一刀)『唖侍・鬼一法眼』(鬼一法眼)『賞金稼ぎ』(錣市兵衛)『御金蔵破り』(笹島市兵衛)『魔界転生』(柳生但馬守宗矩)『火の鳥』(猿田彦)等々・・・。

それから、以前のホームページでも人気の高かった武術技法解説シリーズからは、『合気を読み解く』。神秘の秘術として現在でも人気の高い合気技法を、語源・流派の歴史・技法原理・実用化試論・・・等で総合的に分析してみます。尚、今回は以前書いた頃から大分、研究が進んだので、全面的に新規書き下ろしにしますので、こう御期待!

続いて、合気と並んで神秘の秘技といわれる中国武術の必殺技の解明、『発勁を読み解く』。語源・発勁神秘化の歴史・技法原理・功罪論・習得と実用化試論・・・等で決定版を目指します。こちらも以前の原稿は使わず新規書き下ろしにします。

さてさて、唐突に始まるPDF書籍ですが、これは、私が一応、プロの文筆業をやっている人間なので、「文芸と情報は有料」でお客様に買っていただくというのが基本スタイルでありまして、でも、出版社から出すのは二重三重に手間がかかって、印税率も低い。書きたくても書けないこともある・・・そういういくつかの制約をとっ払って自分の想うままに書いたものを買っていただいて読んでもらうという点で、最も有効なやり方だと思った訳です。

情報はタダで入手するものと思っている人は、結局、その情報の価値に気づかず宝の持ち腐れにしてしまうものです。引きこもりの青年は、自分が何もしなくとも時間通りに親が飯を食わせてくれると思い込んでいるかも知れませんが、そんな親もいずれは老いて死んでいくのです。労働しなきゃ生きていけないのは自然の摂理です。私が文章書くのは私にとっての労働だからであってヒマ潰しではありません。

武術だって、どれだけ情報を知ったところで、自分の身体で体現できない限りは何の価値もありません。ただの口先だけ達者な身の程知らずの無能な武術マニアに堕したまま人生を無駄に食いつぶしている人が少なくないでしょう。そして、そんなヤツに限って有名武術家を「大したことない」とか中傷して自分の方が凄いんだと誇大妄想に耽って現実逃避してしまうのです。武術は自分が学んで心身を変えていくためのものであって、精神的ホームレスの隠れ蓑ではありません。

だから、私は、私の本を読んだ人に、是非とも、自分の可能性を自覚して貴重な人生の時間を無駄に擦り減らさずに、努力して自分を磨いて現実社会で生きていくための戦いを挑んでいって欲しいと思っています。資格を取ったり技能を磨いたり勉強したりして自分が生活していくための力を養成していかなきゃいけない。私は学校中退してから20年もかかりましたけどね。失敗だって何回繰り返したか判りませんけど、やっぱり貧乏してでも自分のやりたいことを一途に求め続けていけば、いつか願いはかなう・・・といいな〜(って、願望かたってどうする?)。
 
 まっ、そういう訳で、皆様、今後のPDF書籍に御期待くださいませ〜。

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2006/09/26 丹波先生追悼!

丹波哲郎先生が逝去されました。『007は二度死ぬ』で、地下の秘密基地でジャイロジェット・ピストル(ロケット弾を発射する、その当時の最新式銃だったけれども、それだけで終わった。専用ロケット弾が量産できなかったらしい)を撃ってみせたり大物っぷりをショーン・コネリーに見せつけた丹波先生だけれども、やっぱり、私らの一番印象深いのは、『キイハンター』や『Gメン75』のボスでしょう。

けれども、特撮マニアの間では、『日本沈没』の首相や『ノストラダムスの大予言』の博士の印象がダントツでしょう。特に『ノストラダムスの大予言』の方は、世界中で頻発する怪現象まではSFとして良かったとして、核ミサイルが発射されて荒廃した砂漠と化した地上でミュータントの怪物となった人間がミミズを争って格闘するシーン等の後半部分が、そっくりそのまま丹波先生の空想話だったという驚愕の展開で驚かされました。

つまり、「えっ? これってもしかして丹波先生の夢オチ?」って訳。

更に、丹波先生といえば、時代劇にも沢山出てます。『三匹の侍』『暗殺』『武士道残酷物語』『柳生一族の陰謀』『将軍家光の乱心・激突』『鬼平犯科帳』『大盗賊』『人殺し』『道場破り』等々、沢山出ていますが、『丹下左膳』なんて、「左腕じゃあ立ち回りができないよ」と勝手に右腕でやってしまい、丹下右膳にしちゃったという伝説までありますし、『ポルノ時代劇・忘八武士道』で演じた明日死能(あしたしのう)役はモテモテ役だったので大のお気に入りだったそうで、盟友・石井輝雄監督が青酸カレー事件やオウム事件に怒って撮った『地獄』でも、特別出演して明日死能を演じており、地獄で鬼を斬ったりしていました・・・。

剣道六段で空手七段ということでしたが、丹波先生のことですから、多分、大ボラでしょう。なんせ、スピード違反で捕まった時に「俺はGメンだ」といって切り抜けようとしたという話もありますからね〜。そういうシャレの利いたところが丹波先生の魅力です。

大霊界で知られる丹波先生ですが、催眠術の研究家としても著名ですね。

息子さんの丹波義隆さんは『ジャッカー電撃隊』のスペードAでした。大霊界にも出てましたね。

なんか、丹波先生って、生まれつき大物というかボスっていうか、そういう雰囲気があって、下積み生活していた様子が全然想像つきません。

里見浩太朗や谷啓と共演した『三匹のご隠居』の時も、正体は「どこかの藩主だったんじゃないか?」といわれつつ、実は大怪盗“雲切仁左衛門”だったという設定でした。ちなみに山崎努が主演した『雲霧仁左衛門』では、仁左衛門こと辻伊織の兄の辻内蔵之介を演じていて、弟を助けるために「自分が雲霧仁左衛門だ」と自首して身代わりで打ち首になる役を演じていました。

映画版の『雲霧仁左衛門』の時は豪商を演じて岩下志麻演じる“七化けのお千代”が化けた公家の出の女と結婚(詐欺ですな)して、「天女じゃ、わしは天女を手に入れたのじゃあ〜」と恍惚としていたものの、一味に全財産をぶん盗られて呆然としつつ哄笑していたものでしたが・・・。

何にしても丹波先生という名物役者がいなくなってしまうと寂しいものです。

合掌!

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2006/09/25 漂流教室状態?

定期的に稽古できる場所が決まらないので、まだ漂流教室?状態ですが、秋なので公園でやったりするのも気持ちが良かったりしますね。「確保された場所でないと練習できない」という考えは、「条件が折り合うかどうかでしか学ぼうという気持ちになれない」という過保護な考え方になりがちなので、自然に会員のふるい分けになってきているみたいです。

率直に言って、「うちの場合は、本当にやりたいという人だけ集まればいいんじゃないかな〜」という気持ちになってきたんですね。「身体操法に興味があります」とか、「自分が学んでいることにプラスになれば・・・」といった学びたい動機は色々あるんでしょうが、私の本心は、“游心流でなければダメだ”という気持ちの人だけ来てくれればいい訳で、それ以外の人は“お客さん”という意識が先にたちます。申し訳ないんですけど、これは偽らざる本音です。

最近、色々と研究が進展しまくってきて、以前は「これは無理だろうな〜?」と思っていた技が自分だけでなくて“誰でもできるように(ここがうちの強みだよな〜)”教えられるようになりつつあり、このままでは世の伝説の達人だけが駆使できた神技だといわれていた技までできるようになりそうな塩梅なんで、嬉しいのを通り越して怖いんですよ。

だって、ド素人がそんな高度な技だけできても意味ないでしょう? 戦闘に活かせない武術なんて存在価値が無いんです。

まあ、中には「スポーツや介護に活かせたらいいじゃない」と考える人もいるかも知れませんが、そういう他分野に活かすのに武術と称する必要は全然ないでしょう。

私は武術そのものに色んな価値があると思っている人間ですから、他の分野の下請けみたいに考えられているのって腹が立つのです。武術という以上は、護身の役に立たないんじゃ論外でしょう?

無論、ずう〜っと言い続けてきたように、私は競技試合に活かす技を研究するつもりは全然ありませんよ。結果的に使えれば恩の字だとは思いますが、それが目的ではありませんから。あくまでも、武術は護身術として役立つかどうかで考えています。

だから、体術(打撃技・投げ・崩し・逆関節・点穴・絞め)だけでなく剣術や棒術、手裏剣等々の武器術も練習しているのは、あくまでも突発的に起こる市街戦闘での対処法を考えているからですし、対武器、対複数の相手を想定するのも“護身”ということを考えた結果なんですね。

それは、最終的には「武術は実際に使ってしまったらお仕舞い」だという考え方に繋がりました。ケンカ番長的な「どっちが強いか試そうぜ」的な牧歌的なものではなくなってしまっているということです。

困っちゃいますよね〜。誰よりも武術の実用性を追究してきた揚げ句に、「こりゃあ、使っちゃったらお仕舞いだよな〜」という結論になっちゃった訳・・・。

残ったのは、やはり修行あるいは道楽としての趣味性の高いものでしかあり得ないという“物悲しい現実”がそこにあるだけ・・・。あ〜、空しいな〜。

武術が武道となって競技の世界に収斂されていったのは、そうすることでしか市民権が得られないという昔の人達の賢明な現実的選択だったんだろうと最近は思います。

そう思わないとやってられません。

あるいは、合気道のように“精神的な行”としての稽古の在り方なんか魅力的です。

数年ぶりに漂流教室状態の稽古をやっていて、そんな諸々のことを考えたりしていますけど、いつまでもこのままではいかんので、あと一カ月以内に何とか腰を落ち着けないといかんな〜と思っております・・・。

でも、定期稽古会の場所が決まっても、今後は見学等は一切断るつもりです。本気でやりたい人だけしか入れません。一回覗いて来なくなる人はお断りするつもりです。定期稽古は基礎練習ばっかりで面白味ないし・・・。

取り敢えず体験してみたいという方は、セミナーにどうぞ。

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2006/09/17 手裏剣術も見てね

SDカードに記録する形式のメッチャ安〜いビデオカメラを買ったので、これでDVD製作もやることにしました。

以前はHi8のテープに記録するデジタルビデオカメラを持っていたんですが、お友達に貸したら、その人が貧乏生活に困って質屋に入れてしまって、そのまま形式が特殊だから流れっぱなしで返してもらえなくなってしまったんですね〜。私は自分の貧乏話は色々あるんですが、こういうのは初体験でした。人間、金に困ると色々阿呆なことやっちゃうもんですから、別にいいんですけど・・・(友情の方が大切だよ)。

でも、ビデオカメラが無いと困りますしね〜。形式が特殊だから、撮り溜めたテープが全部見れなくなっちゃったし・・・。

それで、先日、小金が入った時に仕事に使うから必要だと思って、先行投資のつもりでビデオカメラも買った訳です(一番、安いのを・・・)。

で、早速、新しい本用の写真を撮ったり、ホームページに出す動画用の技を撮ったりした訳です。気づかないで見ていない方は見てくださいね。どんどん新しいネタ出すつもりですから・・・(「こんなのやって」という要望があったら言ってください。できるだけやってみようと思います)。

え〜っと、それでどうせ動画で出すからには、人前でできないのも出そうかな?と思って、最近、ちょびっと上達してきた手裏剣術を撮ってみようと思ったんですが・・・。

いや〜、これはちょっと失敗だったかも〜?

面倒臭いから、「左手でカメラ持って、右手で打てば撮れるじゃ〜ん」と思って、リハーサル無しでいきなりやってみたんですが、最初は失敗して手裏剣が刺さらない。

こりゃいかんと思って、撮り直したんですが、二度目も失敗・・・。

ありゃりゃ〜、左手のカメラ見ながら右手で手裏剣打つというのは、やっぱり予想以上に集中力が分散したり全身の連動を損なうので無理があったかな〜?

最近、結構上手くなった気分だったので、この程度はへっちゃらだ〜いと思っていたんですが、ちと甘かったみたいです・・・。

でも、三度目の正直。

落ち着いてカメラを構えて、手裏剣をビシッと打つと、今度はドスッと刺中した感触。そのままカメラをズームアップしてみると、手裏剣は畳裏のボロボロになってワラが飛び出している箇所に確かに刺さっています。“よしっ、いける!”と思って、そのままカメラのズームを戻して、二打目。今度は映り良いように少し右側を狙ってみました。これも軽くドスッという音と共に刺中。続けて三打目は今度は左側に打って、これもドスッと刺中しました。

手裏剣が手放れする瞬間に身体がブレてカメラも動揺してしまいましたが、手裏剣打ちの感触を皆さんにも少しは味わってもらえるのではないか?と思います。

欲をいえば、もっと軽快にビシバシ打ってるところを映像に収めたかったんですが、自分でカメラ撮りながら打つということの難しさからすると、まあ、三回目でこれくらいやれたら恩の字だろうな〜と思われます。トホホ・・・。

もっと練習して上達したら、また動画でお見せしたいと思いますが(ヘタクソでゴメ〜ン)、手裏剣って練習場所が無いのが一番の問題点ですよね〜。田舎に帰ったら庭広いから好きにやれるんだけどな〜。

私は手裏剣は一番苦手(会員で私より上手い人が三人くらいいる)なんですけど、でも、練習していて一番楽しい! 不思議だ。

鉄砲好きなのも関係しているんでしょうかね〜。遠くの狙ったところに命中させるという点が、男のロマンをそそるのかな〜? でも、弓道って女の子多いから、やっぱり女のロマンもそそられるのかな〜?

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2006/09/17 やっぱり変態は治らないんだね

ミラーマン植草が、また女子高校生に痴漢して捕まっちゃいましたね。

もう、変態ってのは麻薬中毒みたいなものだから、基本的に隔離して治療しなきゃ治らないんじゃないですかね〜。

問題なのは、バレバレの現行犯なのに、「酒に酔っていて覚えていない」とか「警察のでっち上げだ」とか言っている点でしょう。

こういうのは、「すいません。私は病気です」って謝るしか道はないですよ。

自分が変態・変質者なんだと自覚することから始めないとダメですよね。責任逃れして他人が悪いんだと考える精神構造からは自分は変われないですよね。

「変態性欲くらい誰にでもある」といいたい人もいるでしょう。けれども、欲望全開で痴漢したりするのは自制心を司る脳みその大事な部分が壊れている証拠ですよ。

どうも、最近は、「自分は何も悪いことはしていない」と言い張って、他人に対する礼儀とか節度とか、そういった思いやる精神が欠損している人が増えてきている気がして仕方がありません。他人に対する想像力が足りないんでしょう。

例えば、ある古武術家が社会的に活躍しているから、「彼の問題点に目を瞑るべきだ」と言う人が多かったのですが、こういう言い方をする人達は、その古武術家の無責任な言動によって傷つけられた人達の存在を少しも考えようとしていません。都合の悪いことから目を背けて知ろうとしないのです。

小泉首相を誉め称えている人達は、小泉首相が日本人青年の命を平然と犠牲にしてしまった事実をすっかり忘れてしまっているようです。私は許せないですね。青年の家族までが「日本という国全体に迷惑をかけて申し訳ない」と言わせるように仕向けてしまった非道さが許せません。何で息子を殺された家族が片身の狭い思いをさせられなきゃいけないのでしょうか?

個人を犠牲にする国家なんか無くなってしまえばいい。私は本気でそう思います。

ブッシュだって、テロと戦うとか言いながらイラクに戦争しかけて、一体、どれだけの民間人を殺しましたかね〜。そんな虐殺の首謀者を二度も大統領に選んでしまう国民なんだということを、アメリカの人達は自覚して猛省して欲しい。

と、こういうことを書けば、「政治というものはあんたの考えているような甘いものじゃないんだ。個人の力でどうなるものでもない」といわれるかも知れませんが、そういう考え方が奴隷根性だというのです。

世界というのは、自己を通してしか認識できないし存在もしていないのです。

自分が生きている間だけしか世界は存在していないのです。つまり、自分と世界は別々にあるものではない。自分を通して世界は存在し、世界は無数の人間によって支えられているのです。

だから、もっと自分を大切にしなきゃいかん。

だから、植草よ。オメーはいい加減に自分が悪いんだってことを認めろよ!

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2006/09/17 小学校が暴力教室?

何か新聞読んでてプププッ・・・って吹き出してしまいました。

何ですか? 小学校が暴力教室ってマジっスか? 「暴力ふるったら教育委員会訴えてやるぞーっ」って脅すんだって・・・小学生が・・・。

こんな糞餓鬼になめられてどうすんの? そういう時は、「そうか。そんなら俺はお前の根性叩き直してから教師やめてやる」って、ビンタ張り回してやらなきゃダメ!

そりゃあ、暴力はいけません。そんなのわかってる。体罰なんて言葉は私は大っ嫌い!

でも、小学生に足元見られてびびってるような教師は子供教える資格はないと思う。

やっぱり、先生は優しいだけじゃダメ。悪いことは悪いと叱らなきゃいけない。それが教師という仕事を選んだ人間に必要な覚悟ってもんでしょう。

私の中学時代が、まさに暴力教室でした。一年の時の担任の先生は初めて憧れの教師になったという気持ちがはた目でも判る女性の教師でしたが、まともに授業になった試しがないんだから、あれは辛かったんじゃないかな〜?と思いますね。女の先生が生徒の張り手を食らって泣きながら職員室に帰り、男の先生が凄い見幕でやってきて殴った生徒をぶっ飛ばしていたのを今も覚えています。私もイジメ受ける側の生徒だったから辛かったけど、頑張ってる先生たちの姿を見ていると、私らよりずっと辛い思いをしていたんじゃないかと思いますね。

ある日、学校に行ったら急に学年の男全員が呼び出されて、「お前たちの中に体育館に火をつけた人間がいる。正直に言え」といわれた時は、流石に「ええ〜、そこまでやっちゃってたの? こいつら(不良グループの皆さん)・・・」と、驚きましたよね〜。

今考えても漫画に出てくるみたいな中学時代でしたよね〜。女性の先生の授業だとまともに授業になった記憶が全然ありません。あの経験が無かったら、私は武術はやらなかったでしょうね〜。でも、タイムマシンがあったら、昔に戻って自分に武術教えてやりたいですね〜(はっ? これって漫画の原作に使えるかも〜?)。

でも、今と違って、先生たちは遠慮せずに生徒をひっぱたいてましたからね。その点はストレス溜まらなかったんじゃないでしょうか? 

私の両親は学校の先生だったので、私が大学行っていた時は、「せめて教職課程を取っておきなさい」と母親からいわれたことがありました。が、私は教師だけにはなりたくなかったですね〜。

何故かって?

だって、私が教師になったら、凄い暴力教師になっちゃいそうだもんね。

TVドラマだったらアリかもしれないけど、現実にそれやったらお仕舞いですよね。

でも、空手の強い先生とかいたら、いいんじゃないっスか〜? 小学生が騒いでいたら、いきなり机の上で自然石割りやって、「空手教えてあげようか?」って聞くの。怖いよ。

もう、いっそのこと、教職課程の中で空手必修にしちゃうとかですね。

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2006/09/15 夜間セミナーの状況

今回の夜間セミナーは、正直いって非常に参加者が少なくて赤字になりそうで頭痛いんですが、それなのに成果はかつてないくらい進んでいるんですから、不思議です。

初回の太極拳の戦闘法にしろ、前回の合気技法の実用化にしろ、自分でいうのも何ですが、ここまで進んでしまっていいのだろうか?と思って怖くなってしまいました。

特に前回の合気では塩田剛三先生のDVDを見て仕入れた技をいくつもやってみましたが、全く武道経験が無く、しかも50代半ばの方が、体重100kgを超えようかという巨漢会員を軽く振り飛ばしてしまって、「自分で飛んでいませんか?」と聞いているくらいで、教えた私が口アングリ状態になってしまいました。

正直いって、私は研究家ですから、大抵の技は見ればある程度は再現できます。実際、先日、『格闘SRS』に出演していた日野晃氏の技も実験してみましたが、すぐにできました。嘘だというなら動画でバンバン見せちゃっても構いませんけど、きっとみんな泣いちゃうかもね。しかも、原理を口頭で教えて会員さんにやらせてみたら、その会員さんも簡単にできてしまって、これまた口アングリ状態です・・・。

でも、ただのパクリじゃつまんないので、色々とアレンジしてみましたが、どんどん色んな技ができるようになってしまって、「おいおい、こんなにできちゃっていいのかよ〜」と、マジでびびってしまいました。

あ〜、またまた嫉妬されちゃうな〜、ヘッヘ〜ン。

できてしまうと、「これって、多分、教えたら誰でもできちゃうよね〜?」と思えてしまうのですが、戦闘理論を抜いて不思議チックな技の仕組みだけ教えてしまっても、単なるナポレオンズになってしまうし、やっぱり、やり過ぎるといけませんよね。

だって、いくら色んな不思議チックな技ができたところで、武術である以上、実戦で使えなければ全くの無意味。塩田先生が尊敬されたのは実戦が強かったからであって不思議チックな技ができたのはオマケなんですよね。

という訳で、スンマッセン。私、ちょっと調子こいちゃってましたっ!

先週日曜日は月例セミナーというより普通に稽古会になってしまったんですが、ほぼ会員さんばかりだったので、段級の審査もやり、下は二級から上は三段まで認定しました。

二級が一人、一級が一人、二段が二人、三段が三人でした。で、三段から指導員資格が得られて師範代にもなれます。将来的には師範として独立させることも考えていますが、それは五段以上からですね。やっぱり弱小異端の団体だから、よっぽど実力がないと非難されてしまいますからね。

中には三段でもおっつかないくらいの実力があるな〜と思う人もいたんですが、取り敢えず、当面は游心流の最高段位は三段までとしておくつもりです。

来なかった会員さんは無審査なので次の審査会の時まで無段無級となります。次は12月にやる予定です(大阪は次のセミナーの時に審査します)。ちゃんと来ましょう。他の団体みたいに審査料とらないんだから・・・。

ちなみに、体術と剣術で段位は別々にします。剣術の審査は9月中にやります。

え〜っとですね〜。審査の基準としては、

1,基礎練体の完成度

2,基本対錬の完成度

3,脱力できているか?

4,交叉法の読みができているか?

5,骨盤から動いているか?

・・・といったことを審査します。剣術も基本的な部分は同じですが、

1,剣尖に気(意識)が届いているか?

2,正中線の攻防を体感しているか?

3,剣と体が一致しているか?

4,間合と死角を認識しているか?

・・・といった点が加わってきます。

で、次の19日(火)夜の夜間セミナーでは、日本武術の根幹原理である剣術の原理を分析していきます。

体術に関しては、ここ半年くらい驚くほど研究が進んでしまって、これ以上は交叉法そのものを磨いて必勝の理合を探るしか他にやることが無くなってしまい、それで「交叉法の研究を最もシビアに進めるには剣術をやるしかない」という結論に達した次第です。

今回のセミナーでは、大太刀・定寸刀・脇差・短刀のそれぞれの使い方と、その延長としての手裏剣術についても解説してみます(手裏剣も不思議なことにまたまた上達してきたんですよね〜)。そして、剣術から無刀の術へと段階的な戦術を練習してみます。

それから、間に合うかどうか判りませんが、セミナーでの游心流DVDの販売も再開します。内容は以前のものとは別に完全新規撮り下ろしで作っていきますので御期待ください。

予定としては・・・

1,基礎練体編『骨盤の動きでカラダが変わる』2006年9月発売予定

2,太極拳編『交叉法で蘇る太極拳防衛術』2006年内発売予定

3,健身法編『誰もいわなかった気の理論』    〃

(お値段は3000円台を予定しておりますので、宜しくお願い致します)

追伸;『続・あなたの知らない武術のヒミツ』原稿書き上げました。今回は写真も一杯撮りましたし、前回の反省でおバカ度アップ、技術解説アップしてますから、期待しててくださいね。でも、書き上げるのにマジで40時間かかってません。俺って、本当に原稿書いて早いわ〜。自分でビックラこいちゃいますよ〜。この調子なら9月中にもう一冊書けそうだから、書きためとこうかな〜? でも、永岡書店さんのDVD付き武道教本シリーズの第二段(合気道を予定)も決まりそうだから、流石に無理かな〜?

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2006/09/06 DVDで学ぶ『達人の神技伝授』

会員さん達が一定水準に達するまでは教えても遣いこなせないから意味がないと思って基礎錬体と基本対錬中心に指導してきていましたが、最近はぐぐっと会員さん達のレベルも上がったので、そろそろ個別の技を色々教えていこうと思っています。

何回か、ホームページでも、「これまで私は1/10も教えていない」と書いてきましたが、ハッタリだと思っていた人が多かったみたいです。

けれども、例えば、関節技一つとっても、片手だけで手指・手首・肘・肩の取り方のバリエーションだけで数十種類となり、それを複合させると三倍くらいになります。これに取り方のパターンを加えて急所の責め方を足すと更に倍加しますし、当て身を入れたり交叉法の入り方を分けるとまた倍加します。崩しを入れたり投げや固め、絞めを入れると無限大に技のパターンは広がってしまうでしょう。

だから、最初は徹底して基本だけに拘って練習させた訳です。基本ができれば応用は自在にできるようになる。逆に基本ができていない人間に応用ばかり教えてもものにならないし混乱するばかりなのです。

先日、次の道場が決まるまでの繋ぎとして江古田ストアハウスで練習しましたが、ここで次の本用の写真撮影もしました。

うち、いくつかはホームページにも紹介していますが、クエストから出ている塩田剛三先生の黒帯研究会指導風景を撮影編集したDVDを会員さんが貸してくれて忘れていたのを前日夜に早送りしながらざっと見たのですが、それで「あ〜、これならできそうだな」と思った技もその場で実験してみたところ、あっさりできてしまいました。

塩田先生は教えない人で有名でしたが、DVDを見ると物凄く細かいポイントまで丁寧に教えられていて、ここまで教えてもらってできるようにならなかったとするなら、それは習う人達がボンクラ過ぎだろう?って話になるのではないかな〜?と思ったのが偽らざる本音でした。

塩田先生の技の特徴は、瞬間的な沈身のエネルギーと脱力体で、重心を集中させている点があり、足先だけで立って踵を浮かし、一瞬にストンと踵を落として沈身を効かせています。後は背筋を真っすぐにしたところから上体をお辞儀するように倒すことで威力を倍加させていますね。80歳くらいの動きが実に鋭く速いのには驚かされてしまいます。

動力源としては骨盤の回転力の利用が上手いですね。

でも、私が感銘を受けたのは心の強さです。塩田先生のスピードであの技を使えば、受け手は大怪我をしかねません。お弟子さん達がギャァ〜!と悲鳴をあげて潰されたりしているのは大袈裟でも何でもないんですね。確かにあの技は黒帯の人達しか受けがとれないでしょうが、普通の人間だったら怪我させちゃマズイと思ってゆっくり技をかけようとするところを、塩田先生は腕も折れよとばかりにビシャーッ!と潰してしまうのです。

お弟子さん達は、さぞや大変だったろうな〜と思いました。

このDVDで仕入れた技は、次の日曜日のセミナーでもやってみようと思います。

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2006/09/03 駒込自由学校、ただ今空き教室あります

游心流の本部道場として数年間を過ごした駒込自由学校ともお別れの時となりました。

思えば、バックアップしてくれていたある人と決定的な別れを経験し、一挙に経済的にうまくいかなくなり、夢を諦めて田舎に帰るかどうか?という瀬戸際の時に借りて、「ここでうまくいかなかったら潔く田舎に帰ろう」と決意して始めた道場でした。

それまでの会員さん達はほとんど来なくなり、最初のうちは誰も来なくて、たった一人で黙々と稽古し、ほどなくして前事務長のS君が入り、「先生、僕が個人的に先生の文章を読みたいから、ホームページを作りますよ」と言ってくれて、彼の頑張りで一人増え、二人増え、TVの取材、雑誌の取材、ラジオの取材を受け

・・・と、徐々に盛り返し、連続セミナーも彼の案で始めて盛況となり、ビデオを作り、DVDを作り・・・と、彼無くして今の游心流は考えられません。

だから、彼に恩返ししたくてあれこれと考えたものでしたが、結果論から言えば、それは彼の為にはならなかったのかも知れません。

人生はどこでどうなるか皆目判りません。でも、苦しい時に助けてくれた人のことは忘れてはいけないでしょう。それを忘れてしまったら人間としてアウトですよね。

例えば、やはり第一に親です。今年の四月に父親が逝去した時、私は何にも恩返ししないうちにいなくなってしまったと悔しいやら情けないやらで、未だに残念です。せめて、母親だけは生きているうちに恩返ししたいと思っていますが、これは離れて生活しているから余計にそう思うのかも知れませんね。

駒込自由学校で稽古を始めて、最初は火曜日の昼から夜。後に土曜日の午前中から昼にかけてやるようになり、色々な人と出会いました。練習後に蕎麦やお好み焼きを食べたり、ケンタッキーで何時間も馬鹿話でねばったり、趣味を同じくする者同士の話は楽しい。これはセミナーの時も同じですが、やはり、会員同士の話は格別です。

専用の道場があるということで、気がねなく技の研究に専念できたので、技術上の色々な進展もありました。以前、通っていた道場の先生がやってみせて、自分には到底できないと思っていたのも、いつの間にかできるようになっていました。自分で言うのはおこがましいのですが、正直、ここまで向上できるようになるとは思っていませんでした。

無論、私なんか遠く及ばない優れた遣い手は沢山います。これは謙遜でなく事実です。

しかし、そんな人達に近づいていけるという確信は得られました。それは会員の上達ぶりでも証明できるでしょう。寸勁でマキワラをへし折った人、寸勁で壁に穴を開けた人、背中で当て身が入れられるようになった人、三尺二寸五分の大太刀を左右どちらでも抜き納めできるようになった人、わずか一時間で手裏剣術が私以上にできるようになった人等々、ちょっと武道の常識的にあり得ないだろう?というようなことができるようになった人がゴロゴロいます。しかも、武道の経験未経験が全く関係ないのですから、教えている私も驚きます。

それもこれも、駒込自由学校という誰にも邪魔されない実験場所があったからこそだと思います。

オーナーと契約解消の話をしている時、色々な思い出が蘇ってきて懐かしく、このまま辞めてしまうのが惜しい気もしましたし、正直、ギリギリまで契約更新するかどうか迷いました。次に入る団体のことを考えて、本当は一カ月前くらいに通知しておくのが常識なんですが・・・。

けれども、ここは思い出があり過ぎるのです。思い出に浸っていたら先に進めなくなってしまう。先に進むためには心機一転していく必要があるという参謀?の言を受けて、駒込自由学校を離れる決心をしました。

游心流が育った場所として、駒込自由学校は元気で続いていって欲しいと思います。またいつか、別の形で復帰するかも知れませんが・・・。今は別れの時でしょう。

「ありがとうございました」

追伸;
游心流が離れましたから、駒込自由学校の土曜朝10:00〜昼3:00までの時間帯が空いています。駒込駅から歩いて2分くらいの好立地で、更衣室・シャワーもついていて一面は鏡張りですから、舞踊や太極拳、ヨーガ、ピラティス等にはもってこいですよ。他にも、今現在、日曜日は昼も夜も両方の時間帯が空いていますし、月・火・水の午前中から昼の時間帯も空いていました。練習場所を探している団体の方は尋ねてみられたらいかがでしょうか?

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