長野峻也の日記(2007年1月〜3月)

2007/03/31 丹田セミナー報告

3月25日に江古田ストアハウスにてDVD発売記念の“丹田開発セミナー”をば開催致しましたっ!

まずはいつもの自己紹介から始めて、参加者の意識を探る・・・。
 この時点で、コミュニケーションを取っておかないと進行がスムーズに行かないこともあるんですよね〜。

特に“丹田”というと、どうもオカルティックな超能力養成のものという先入観を持っている人も少なくないので、注意が必要なんですよね。
 うちのトレーニング法は、あくまでも「当たり前のことを原理に沿ってやれば、当たり前に体得できます」ということを解説指導してきている訳で、何か特別な神秘体験が得られるのでは?というミョーな期待をしている人にとっては肩透かしを食らったみたいに感じる方もいるみたいなんですね。

それで、今回のセミナーは、その辺の勘違いしている人が参加して他の人達に迷惑がかからないように注意していた結果、真面目な方ばかりで助かりました。

また、今回はK師範代が体調不良で欠席していたので(彼の丹田パワーは凄いんですけど、見せたかったな〜)、真壁師範代とTさんが手伝ってくれて、本当、助かりました。

私が指導する東京でのセミナーは久しぶりだったので、以前のセミナーの常連さんも参加されていて、上達ぶりが確認できたのも良かったです。何か、スゴイことになってましたよ。

まずは、解説から始めて、上・中・下の丹田について・・・。
「下丹田はライダーベルトの風車みたいなもんです。中丹田はカラータイマーですね。上丹田はウルトラセブンの額のランプ・・・まあ、仏像の額にあるホクロみたいなやつですね。あれをイメージしてもらえばいいです・・・」
 な〜んて説明をしていたんですが、これは冗談みたいですけど、結構、真相をついている訳ですよ。

こういう身体のエネルギー・スポットについては、ヨーガのチャクラなんかもありますけど、意外と世界中にあるみたいですね。
 カポエィラにもあるって知人が言っていましたね〜。

今回は、主に下丹田を養成する“丹田歩法”のやり方について実修しました。
 中丹田は立禅のポーズの一種で養成するやり方を説明しましたが、これは歩法みたいな即効性は無いので、各自で日々の練習で体感してもらうしかありません。

上丹田については敢えて指導しませんでした。これは自己流でやると危険だからです。
 クンダリニー症候群みたいな、心身の不調和を起こしてしまっては一大事なので、今回は割愛しました。

周天法もやらないと上丹田の開発は危険性があるんですね。

それで、まずはスワイショウで気血の巡りを良くしておいて、それから各種立禅のやり方を指導し、三元試力で経絡を通す・・・。
 普通は、ここまでなんですが、この後はうちのオリジナル丹田養成法である歩法をやります。

その後は休憩を挟んで、後半は合気的な技で下丹田の開発具合を確認するボディワークをやりました。

と、ここで、ついつい面白いものだから、うっかりして“収功”をやるのを忘れていたのを思い出して、慌てて“収功”のやり方を指導しました。
 丹田ができていないうちは、スワイショウで散らしておけばそれほど心配ないんですが、丹田が開発されてきてクンダリニーが上昇するようになったら、それを降ろして丹田に収める方法を知らないとマズイ訳です。

これは百会穴から両手指先で誘導して顔の前面を降ろしていき、臍のところで両手を重ねて腹中に収める動作をするのですが、形式的なものではなくて、実際に気感が出てくると、これの重要性が具体的に理解できる筈です。

恥ずかしながら、私はこれまでなおざりにやっていましたが、真壁師範代の指摘を受けて、あらためて重要性を痛感した次第です・・・あ〜、危ない危ない・・・。

セミナー終了後は、いつものファミレスで親睦会をやりましたが、ほとんどの参加者が来られて色々とこの手のセミナーや講習会のこと等の裏話を披露致しました。
 まあ、面白かったですね〜。

しばらくセミナーはお休みするつもりでおりましたが、ゴールデンウィーク期間中には第二弾の発勁のDVDを出す予定なので、発勁のセミナーをやろうか?と思っておりますが、御要望がありましたら、お寄せください。

あっ、それと丹田セミナーの参加者の感想もお待ちしております・・・。

(丹田開発トレーニングDVD発売中! 申し込みは游心流ストアへ・・・)

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2007/03/26 『猫目小僧』は傑作です!

会員になっていたレンタルビデオ屋さんが潰れてしまったので、橋本駅近くのツタヤに新規入会しました。

流石にツタヤは品揃えが格段に違うから、今まで観たくても観られなかった作品を一挙に借りてきて観まくりましたよ〜。

まず、日本のカラテ・アクションの黄金時代を支えた大御所、千葉真一と倉田保昭(サイン入りDVDをセミナー参加者から貰って持ってま〜す!)の最初(実は『影の軍団』以来の二度目だけど)で最後の激突!がウリの『マスター・オブ・サンダー決戦!!封魔龍虎伝』を観ました。

悪くはありません。アクションも凄いし、設定も夢枕貌風の伝奇物の雰囲気をかもしだしているし、木下あゆ美(デカイエロー)や小松彩夏(セーラーヴィーナス)等の特撮出身女優陣が頑張っていて娯楽作品として十分に楽しめます。

ですが、“千葉チャンVS倉田先生”という日本のアクション映画の歴史的記念作品として、こんなに軽くていいの?って印象は拭えません。
 格闘アクションの醍醐味を見せようというコンセプトならば、『マッハ!』や『トムヤムクン』とまでは言いませんが、もっと見せ方の工夫が必要だったのではないか?という疑問が残ったのが正直なところです。

無論、期待感が大きくなり過ぎる大御所対決故の“物足りなさ”を感じざるを得ないのは、ファン心理として当然の成り行きですし、その状況で悪戦苦闘したであろう監督の心情を察すると、「頑張ったね!」だけで済ましたいところではありますが、そう書けば角は立たないけれども、何か余計に慇懃無礼な気もするのです。

だから、敢えて苦言を呈しておきたいです。
 格闘アクションの躍動感を見せるにしても、ドラマとしての盛り上がり無しには客は感動しないでしょう。やはり、シナリオの構成の甘さが欠点でしょう。アクションは凄くて当然の作品なのだから、ドラマをもっと丹念にディテールを細かく造形していく必要があったと思います。

要するに、設定が浮いてしまって乗り切れなくなってしまったのです。細かいギャグが唐突過ぎて小学生でも笑えないレベルになっていました。むしろ、ギャグ表現は完全に切り捨ててシリアスに撮った方が良かったでしょう。

とは言え、大御所対決を何はともあれ、撮ったということに意義があります。谷垣監督の次回作に期待します。

さて、お次は三編のホラー・オムニバス『コワイ女』です。
 これは映画館に観に行くつもりでいたのに気づくと上映が終わっていて、残念だった作品です。

前評判では、ズタ袋を被った異形の女に振り回される主人公を描いた『鋼(ハガネ)』の新感覚ホラー・コメディっぷりが絶賛されていたんですが、ホラー物としての怖さでいったら、私は雨宮慶太監督の『カタカタ』がダントツで良かったですね〜。

これがまた、マジで怖かったんですよ〜。
 不倫している女性が深夜に不倫相手の奥さんが包丁持って襲いに行くから気をつけろって電話で聞いて、気づいたら部屋の中に赤い服で包丁持った異様な形相の女がいる!
 それから逃げに逃げるんだけど、この女が実はこの世のものではなくってストーリーはどんでん返しで、結局、この女は人間でも幽霊でもなくて何か得体の知れない妖怪だったという話(演じているのは舞踏の人なんですが、全身で表現する舞踏派役者さん達の力量をあらためて実感させられます)・・・。

こいつが出てくる時は、カタカタカタ・・・って音が鳴るんですけど、これってガラガラ蛇みたいなもんでしょうかね〜? いや〜、夜中に独りで観ていて冷や汗かいたのは久しぶりです。

無論、『鋼』は面白かったです。何かエロチックでお茶目な鋼チャンのキャラが出色ですが(サルバトール・ダリの絵みたい)、唯一、不満が残るのは、ズタ袋の中がどうなってるのか最後まで解らないままってところですかね〜? 続編を期待・・・。

もう一本の作品は半睡眠状態で観てしまったので、記憶がぼんやりしています。割りと正当派のホラーで、田舎に戻ってきた母子の母親の方が精神を病んでいくのですが、それが古い掛け軸の呪いか何かのようだ・・・という設定は、偶然でしょうけどTVKで放送していた『超コワイ話』とネタがかぶっていたので、まあ、そこそこって感じでした。

さてさて、お次は奇跡の実写化!『猫目小僧』です・・・。
 少年妖怪の妖怪退治物といえば、水木先生の『ゲゲゲの鬼太郎』、永井豪の『ドロロンえん魔くん』(最近、ちょっと大人になったえん魔くんのオリジナルアニメが出てる)、高橋留美子の『犬夜叉』とか、色々とありますが、奇才・楳図かずおの『猫目小僧』は、特に高い戦闘能力がある訳でも正義感が強い訳でもない。

だって猫だも〜ん。

あなた、猫娘が主役の妖怪退治物って想像できますか?
 それから、昔、ミッキー・ロークがボクシングやってた頃、あまりのヘナチョコ・パンチで相手が倒れてしまったので、“猫パンチ”って呼ばれてヤラセを疑われたものでしたよね〜。
 そのくらい猫って戦闘的なイメージないですから。

しかし、かつてゲキメーション(紙芝居みたいなアニメ?)で放送されていた『妖怪伝・猫目小僧』は、何か凄い正義感の固まりで“猫目キック”(スッゲーッ!)という必殺技も持っていたのですよ〜(堀江美都子が歌う歌にあるだけだけど・・・)。
 そして、猫目小僧がピンチに陥ると、何故か、お釈迦様が現れて「猫目小僧よ・・・」って呼びかけてくるんだけど、何かスポンサーに仏教系の教団とかついてたのかな〜?

で、今回の実写劇場版ですが、原作にも出てくる肉玉の話で見事に楳図かずおのテイストを出しているし、異形の者が差別されることと、美に執着している者が心を失うことと、自分を犠牲にできる真の愛情について描いていて、トンチキな映画なのに意外と奥が深くて驚かされます。

監督の井口昇は、『クルシメさん』や『恋する妖虫』、『おいら女蛮』等で下品さの中に味わいのある心理描写のあるカルト作家で、ウンコ、オシッコ、ゲロがやたら出てくる作風が好みを分けてしまうでしょうが、そこさえ我慢するとリリカルな味?があります。
 何でもAV監督としてカルトな人気があったんだそうですね〜。日本のクローネンバーグとも言われていますが、恐らく、大作は撮らないでしょう・・・。

ちなみに、この『猫目小僧』を観て、私はムクムクと創作意欲が湧いてきまして、以前、構想だけしてお蔵入りにしていた時代小説を思わず、書いてしまいましたっ! 
 まっ、読んでやってくださいませ・・・。

え〜、それから、あまりにエグクて劇場公開時には記録的な不入りだったという噂がある『MEATBALL MACHINE』・・・。
 確か、何年も前に自主製作映画で話題になったSFバイオレンス・スプラッター作品をリメイクしたものだと聞いていましたが、これって『死霊のはらわた』とか『Versus』と似た展開ですよね。

丁度、私が高校卒業して予備校行ったり大学行ったりしていた時期に、一大スプラッター・ホラーのブームがありました。『北斗の拳』だって、TVアニメ化が決まった時は大騒ぎだったのです。だって、あれって人体破壊の大スプラッター武術SFでしょ?
 その後、猟奇殺人事件とスプラッター・ホラーの関係が社会問題となって論議されると、自粛ムードが支配的になっていきました。『ギニーピッグ』シリーズ(『マンホールの中の人魚』って作品が中々の純愛路線で傑作でした。日野日出志が監督してたっけ?)が槍玉に挙げられたり、TVシリーズ『エコエコアザラク』(佐伯日菜子がいきなり結婚した時はショックで寝込んだよ〜)が放送中止になったり・・・(テレ東でも世間の目を気にするんだな〜?)。

が、規制されると反骨精神を燃やすのがクリエイターというものです!
 その心情は、私にもよ〜く解ります。“破壊”の衝動というのは人間の本能なのです。
 その本能を作品にぶつける作家と、稽古にぶつける武術修行者は、どこか似ていますよね〜。

さあ、そんな『MEATBALL MACHINE』ですが、これって意外に叙情的な泣かせる話じゃないですか〜? DV(ドメスティック・バイオレンス)の問題や、貧しい生活の中で鬱々として生きている若者のやるせなさとか、実にきめ細かく描けていると思います。

まあ、『鉄男』(自主映画『電柱小僧の冒険』も)や、『エヴァ』『死霊のはらわた』『サンゲリア』『タクシードライバー』等の影響も感じられますが、テイストとして近いのは、岩明均の大傑作漫画『寄生獣』だと思いましたね〜。
 この『寄生獣』は、清水崇監督でハリウッドで映画化企画が進んでいると聞いていますが、テーマ性を取り違えないように撮って欲しいですね〜。

ところで、この『MEATBALL MACHINE』って、タイトルは可愛い感じですが、確かにこれはエグイですよね〜。予想はしてたけど・・・。小学生がグチャグチャになっちゃうのは、流石にやり過ぎ感があり過ぎです。虚無的なアナーキーさを描こうという意欲は買いますが、この手の作品を「ギミックで見せてるから・・・」と熟知している私でさえ、思わず顔を背けたくなってしまいます。
 海外では評価されたりするでしょうが、これを今の日本で評価させようって考え方は、ちと賛成しかねますね。マニアックなファン向けと割り切った方がいいのではないかな〜?と思いましたけど・・・。

作品として、こういう挑戦をしていくことを否定はしません。しかし、本当に力を注ぐべきところはどこか?ということを考えない作家が、表面的なスプラッター描写を真似して、それらの作品を見たマニアックな変態が事件を起こさないとは限らないのではないか?と、最近は思いますね。
 やっぱり、漫画やアニメ、ゲームなんかが実際の事件と無関係だとまでは言えないですよ。何らかの心理的影響は有ると考えるべきでしょう。作家としての表現の自由と、その作品が社会的に与えるであろう影響に関する責任は自覚しておくべきだと思いますよ。

以前、新宿のロッテリアで待ち合わせしていた時、テーブルの上にエアガン、ガスガンを大量に並べてマニア談義をしているサバイバルゲーム好きな連中がいましたが、場所を弁えろよって言いたかったですよ。怒って乱射してきたら大事になっちゃうから無視しましたけどね〜。コレって、立派に犯罪になりますよ。

何か、マニアックな人は、「他人に迷惑かける訳じゃなし、そんなの個人の自由だろ」って考え方をしがちなんですが、第三者の目や耳に不安を感じさせることは立派に迷惑かけてることになるんですよ。個人主義を履き違えるんじゃな〜いっ!

個人を尊重するってことは、自己中心主義ではなくて、他者も尊重しなきゃならないってことです。こんな当たり前のことも認識できない人が少なくありません。

だから、作品の送り手の側は、その影響までも見越したメッセージ性を大切にして欲しいと切に思います。

まあ、ハリウッドの何も考えていないようなホラーと比べれば、日本の作家は凄いと思うんですが・・・『MEATBALL MACHINE』の場合は、過剰な残酷描写の奥に、人間の叙情が描かれていて、私はかなり感動的な佳作だと評価できたんですが、はたして、そういう部分に目を向ける人がどれくらいいるんでしょうか? 表面的に面白がってしまう人の方が多いように思えるんですね。
 あるいは、最初っから無視するか・・・。

個人的に、この作品を「必見だ!」とは言いません。誰にでも観て欲しい作品ではないと思うからです。
 ですが、もし、関心を持った方だったら、じっくり観てみることをお勧めします。
 作り手の熱気という点では『Versus』に近いものを感じるんです。
 そうやって、きちんと評価されるといいですね〜。

それにしても、TVの『怪奇大家族』で巻き込まれ型のひ弱な青年を演じていた高橋一生が、非常に硬質な演技を見せてイメージを一変させています。役者さんって凄いよ。

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2007/03/21 丹田開発トレーニングDVD完成!

お待たせ致しました!
 丹田開発のDVDが完成致しました。

「游心流内でのDVDはもう作らないんですか?」という御質問を沢山、頂戴しておりましたが、製作担当者の退会独立にともないまして、DVD製作は一年以上中断しておりました。

昨年は、クエストさんで集大成的なDVDを製作して戴けたこともあって、自分達で作る必要はもうないかな?と思っていた訳ですが、「個別の技のトレーニング法について製作していって欲しい」という要望も内外から結構あったものですから、製作体制を整えてDVD製作も再開致しました。

復活第一弾ということで機材確保や技術面での問題点が色々とあって、予定よりかなり遅れてしまいました。まだまだ不備な点は少なくありませんが、現時点でのでき得る限りの力は尽くして、武術のみならず、あらゆる身体運動や健康法としても役立つことが期待できる“丹田開発法”に絞って映像教材を製作してみました。
 恥ずかしながら、丹田開発の決定版と自負しております。
 PDF書籍と併せてご覧戴くと、より役立ててもらえるかと思っております。

御購入申し込みは『游心流ストア』サイトをご覧ください。

尚、今後は、游心流内部での最新の研究成果を、その都度、DVD映像やPDF書籍での発表をしていきたいと思っておりますので、宜しく御贔屓くださいませ。

DVD第二弾は、最新研究の発勁理論トレーニング法を予定しております。

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2007/03/18 “有る”と想定することで成立する気功の真相・・・

“無い”と言ったら、気なんてものは無い。だが、“有る”と断言し納得すれば、気は厳然として、その当人にとって存在し得るのだ。

これは、人間の“信じる”という思考活動が及ぼす物理的に知覚できる身体の感覚作用を「物理現象として認めるかどうか?」という認定の問題に過ぎないのだ・・・。

認定の問題は、科学とは別次元である。科学は数値化された物理現象として感覚に左右されない揺るぎない存在を測定することを以て科学として成立するものと規定される(従って、自然科学に対する社会科学、即ち弁証法唯物論の理論は構造的に矛盾を抱えており、科学ではなく哲学として規定されねばならないだろう)。

そもそもが、人間の身体感覚(見る・聞こえる・味わう・触れる・匂う)は機械的正確さは持ち合わせていない。測定基準はひどく曖昧なのである。
 例えば、私は視力は両目共に2.0である。多少は落ちたかも知れないが、1.5は下らないと思う。これは眼鏡やコンタクトレンズが無いとはっきり見えない人からは驚異的に視力が良いと言われるのだが、見え過ぎるためか酷く疲れやすいようだ。
 特に田舎にいた頃より都会に出てきてからが疲れ目は酷い。

田舎にいると外界のストレスが少ないから感覚は鋭敏になる。が、都会の喧噪の中では鋭敏な感覚は、むしろストレスを余計に受けることになってしまう。だから、疲弊して感覚を遮断しようとする訳である。

よって、感覚の曖昧さは決してマイナスではない。曖昧であるからこそ、人間は機械的に生かされている環境を自ら作り替える創造性を育んでこれた。動物のように自然環境に適応し過ぎると、逆に突然の環境の変化に対応できずに死滅してしまいやすい。

感覚の曖昧さが、環境を自分が快適に暮らせるように作り替える創造性を生み出している点を知らねばならない。
 人間は、本来、“無いもの”を想像し、具体的に創造する能力を持っているのだ。
 例えば、宗教がそうだ。芸術もそうだ。思想だってそうなのだ。
 曖昧さを問題視して排除する必要はないのだ。むしろ、そこから文化も文明も無限大に創造され得るのだということを、もっと誇ってみてもいいのではないか。

しかし、問題は「認めるか、認めないか」なのである。

そもそも気とは、受け取る人間の感覚無しには感知できない。受け取る人間が感じたものを「これは気である」と表現しているだけなのであって、極論すれば、百人いれば百通りの“気の感覚”の受け止め方がある(感じない人も含めて)。

ぼんやりした熱感や、スースー微風が来るような涼感、ビリッと静電気が起きたような痛み、ピリピリするような感覚、蟻が這っているようなムズムズしたむず痒さ、湯気が沸き上がっているように見える感覚、色味を感じる感覚・・・。

これらは、前提としての“気が有ると想定して信じること”から、感覚が研ぎ澄まされて実感へと変化していく過程で生じる感覚的生理現象である。

もっとも、これは生理“現象”であるから、そのまま“気は実在する”と説くことは慎重を要する。
 忘れてはならない。“感覚は曖昧”なのである。

実感には幻覚も含まれる。
 気功の訓練が脳機能の主に感覚領域を拡大することは確実だが、それは統制されたものでなければ単なる精神疾患による幻覚と変わらなくなってしまう。その区別は本人によっては困難であり、第三者の、このような事例の判別に慣れた専門家に頼らざるを得ない。

この手の訓練を実践している者の多くが、弊害について口を閉ざして効能ばかり並べたがるのは、宣伝戦略か、さもなくば脳内覚醒様物質の作用による多幸感に支配されて現実感覚を喪失している可能性も少なからず有り得る。

実際に、後者のケースは、気功・ヨーガ・武術の業界に想像以上に多く実例が認められる。が、それ以上に、新興宗教・自己啓発セミナー・マルチ商法・精神世界の業界に普遍的に見られるものでもある。

こうしたケースは、思うに、本人の強い現実逃避願望からもたらされている。
 現実社会で無力感に苛まれている者にとって、そこから超越された精神の絶対的充足の感覚は、時に現実的充足感である筈の金銭や名誉以上の魅力を持って希求される。
 だからこそ、卑しい願望を内に隠した者が精神世界やヨーガ、気功にはまって“自爆”してしまう実例が頻々として絶えないのだ。
 考えてみられたい。
 何故、反社会的事件を起こした宗教団体を捨てられない信者がいるのか?

自爆する者は現実の自己を見失っている訳だが、これは麻薬や覚醒剤の中毒患者と同類と見て間違いあるまい。自爆し、廃人と化してしまえば現実社会に適応できなくなる訳だが、現実社会の規範に合わせる必要もなくなる。その能力が無いと見捨てられるからであるが、生きながら死ぬことで現実社会のルールの輪廻から逃れることができる・・・と、彼の人達は“致命的な誤解”をしてしまっているのである。

自爆者(廃人)となっても生きている限りは生活していかなければならない。
 誰かが世話してやらねばならない。結局、自分がやらねばならないことを誰かに押し付けてやってもらって、何も恥じない性根の腐った臆病者でしかないのだ。

私は、こんな人間には何の同情もしない。心から軽蔑を込めて“お可哀想に”と思うだけである。
 中には、「私は病気なんです」と同情して欲しがる自己弁護に励む者もいる(責任回避の常套文句である)が、卑屈さ、見苦しさが倍増するだけである。
 私には、末期ガンを周囲に隠して仕事と修行に励んだ友人がいた。昨年亡くなられたが、人間は誰でもいつか死ぬのであるから、生きている限りはできることはいくらでもある。
 彼はそれを見事に証明してくれた。

40過ぎてニートの引きこもりで武術や精神世界のマニアという者を、これまで何度も見てきた。“お可哀想”と言うしかない。彼らは骨の髄まで臆病者でありながら、武術や精神世界の秘技を体得すればいきなり超越者として復活できると夢想して現実逃避に勤しむしかできない程、心が腐り爛れているのである。恐らく、修復不可能な程に・・・。

“気功”は、人間が本来持っている感覚の世界を練り上げていく方法論である。
 それは、カラダの持つ感覚を通して、他者と、環境と、世界と繋がっていくものであり、東洋の哲学的身体観と宇宙観を包括する実践哲学である。
 観念の作用でありつつ、そこから具体的な身体感覚を通じて世界と繋がっていこうとするものである。

だからこそ、東洋の武術が気功的なるシステムを取り込むことで単なる格闘の技術を超えた身体観と能力開発法を生じていったのは、必然的な目的意識が存在していたと考えられるのである。

従って、その真相を解しない者の無目的な興味本位の取り組みは、何の効果ももたらさないばかりか、害にすらなりかねず、現実に多くの心弱き者が害毒におかされてしまっているのである。

何故ならば、気功に取り組み、自己の感覚を磨いていく過程では、多くは自己の心身の問題点が浮かび上がってくるからである。
 単に健康に良いだろうとか、気持ちがいいから、美容に良いだろうから・・・と安易な気持ちで取り組んでいればアテが外れるだけなのである。

ゆめゆめ、心得違いなさるまい・・・。

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2007/03/18 映画でディテールは大切だよね〜

先日、『龍が如く−劇場版−』を見ていた時に、韓国人の殺し屋が武器屋で銃を選ぶ時に、S&W(スミス・アンド・ウエッソンと読もう。昔々、新聞記事でスミス・アンド・ウエスタンとルビが振ってあって、コケたことがある。ウエスタンはないでしょ〜? この社名は、ホーレス・スミスとダニエル・ウエッソンという二人の創業者の名前から採ったもので、後にダニエルさんの一族は別に会社を興してダン・ウエッソンという銃器メーカーを創立しておりますが、まあ、コルトと並ぶアメリカ随一の銃器メーカーから三流安物銃器メーカーへと成り下がってしまいましたよ。銃身の取り替えが利くとか革命的な路線を狙ったのは良かったんだけど、技術力が追いつかずに製品の質が悪いんだから仕方がないですけどね〜。S&W社は現在でも第一線を譲っておりません。ごリッパ!)の44マグナム弾が撃てるModel,No29を選んで、武器屋から「プロだねえ〜」と感心されるんですが、この銃にサイレンサー(消音器)を装着したりするんですから、私はトホホ感満点になりましたぜよ・・・。

何故かと言いますと、この拳銃は回転式弾倉の拳銃なんですね。こんな拳銃の銃身にサイレンサーを取り付けても、弾倉と銃身の隙間から発射音が漏れるから、全く意味が無いんですよ。
 サイレンサーを取り付けられるのは発射の寸前に薬室が閉鎖される自動式の銃なのですね。回転式拳銃でサイレンサーを装着して効果が望めるのは、回転弾倉が発射の寸前に前進して銃身の隙間を無くす機構になっているナガン・リボルバーくらいでしょう。
 もっとも、1970年代くらいまでのアメリカ映画でも、この手の間違いはよくやらかしていました。『ダーティハリー2 マグナムフォース』でも、超法規ポリス始末人軍団の一人、デビッド・ソウルがCOLTパイソン357マグナムの4インチ銃身(シティハンターが使ってるヤツです)にサイレンサーを装着してマフィアのボスを暗殺するシーンがありました。銃の描写が命の作品で、この手のポカをやらかしてしまうと、ウ〜ンと唸ってしまうんですよね〜。

そういえば、優作の“遊戯シリーズ”でも、実はオイオイって箇所が結構あるんですよね〜。『最も危険な遊戯』では、M1カービンを改造した狙撃銃を使って狙撃するシーンで、警官隊の一斉射撃を食らった優作がビルの屋上から逃げる時、ドアノブを撃ってドアを開けようとするシーンで、銃のスコープがズレたのをさりげなく指で直すんですけど、アチャーッ!って思いましたね〜。

第二弾の『殺人遊戯』はもっと露骨に凄いことやります。愛用の44マグナムを奪われた優作は、アジトに隠していたコルトガバメント45口径(銭形警部が持ってるヤツね)を持って敵地に乗り込むんですが、電気着火式ステージガンの悲しさで、空薬莢が排出されません。んで、優作はバンバン撃った後で拳銃のスライドをガチャガチャガチャッとやって薬莢を何発分も手動で?排出させます。うわ〜ん・・・カットしろよぉ〜。

まあ、第三弾の『処刑遊戯』はさしたるポカはありませんでしたが、優作の動きを仙元カメラマンが追いかけてる“影”が映っちゃってるんですよ〜。心霊映像かよぉ〜?
 何だか、ショボイところがテンコ盛りの遊戯シリーズ(弾着でドアに穴が穿つところだけドアにベニヤ板が張り付けてあったり・・・)なんですが、優作のカリスマ的強引な演技で全てが許せる気持ちになってくるのでした・・・。

でもね〜。普通、殺し屋が使う銃といったら22口径とか小さな弾丸の弾頭に火薬が入った特製のエクスプローダー(炸裂弾)を使うとか(『ジャッカルの日』が何故、名作として語り継がれ、リメイク作品の『ジャッカル』が駄作と罵られるのか?ということを考えてみましょう)、そういうスキルが肝心なんであって、反動のでかいマグナム拳銃とかは使わないと思うんですけどね〜。

ディテールを大切にする監督といえば、やっぱり、山田洋次監督でしょう。藤沢周平三部作はいずれもディテールに凝っておりました。
 それから、個人的に思うに、雨宮慶太監督もディテールに凝る監督さんだと思います。
 雨宮監督のオリジナル・デビュー作『未来忍者』では、侍大将役の人が鉢巻で耳たぶの上を覆っていましたが、これって武芸考証で知らない人達が多いところの筈なんですよ。
 どうして耳たぶの上に巻くのか?といいますと、これは合戦の時に耳たぶが引っ掛かって千切れないようにするためなんです。
 SFなんだから、本来なら、こういう細かい箇所に拘る必然性は薄い筈なんです。が、そこを敢えてリアルに描くことで作品に奥行きが出ると思うのです。

そういえば、先日、『逃亡者(のがれもの)おりん』を観ていて、宅麻伸が馬に乗るシーンで、刀の鞘を返して刃の有る側が下になるようにしているのを見て、おおぅ〜!って唸ってしまいました。
 いや、これは間違いじゃないんですよ。馬に乗る時は太刀みたいに鞘を返すのが正しいのです。が、キャッツアイ・レオタードにケンシロー肩パッドのコスチュームで戦う主人公の作品で、こんなところの武芸考証がしっかりしているとは思わなかったから、あまりに意外で驚いてしまったのです。宅麻伸が殺陣が結構上手いのにも驚いたけど(榎木孝明が上手いのは有名だから驚きません)。
 毎回、オイオイってチャチャ入れながら観てたのに、何か、作品のグレードが上がったような気さえしましたよ〜。

こういう点は若い監督さんは時代劇の約束事とか勉強しないまま撮るから、妙なところでポカを連発しちゃいますよね〜。知ってて崩すのと、知らないで崩れるのでは似て非なるものですからね〜。
 そんな訳で、私も時代物小説(構想としてはゴジラvs七人の侍・・・)の方は、もうちょっと勉強しないと書けませ〜ん!

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2007/03/18 女ドラゴン武者修行

「教えてください」と、N県からわざわざ来られた人(女性)がいたので、土日の二回練習に参加してもらって指導したんですが、その人は少林寺拳法をやっていて、東京でも少林寺拳法の道院に練習に行くと言っていました。意味が解りますか? つまり、少林寺拳法って、日本全国、どこの道場でも練習に参加できるんですね〜。いや〜、何か素晴らし過ぎますよね〜。普通、他の武道だったらあり得ないですよ。他道場の人間が「練習させてください」ってやってきたら、それは「道場破りに来たものと思え」という暗黙の教えがあって、他所の道場で「あそこの先生はダメだ」とか吹聴されないように「ギタンギタンの半殺しにして帰せ」って言われていたもんです。まあ、時代が違うと言えばその通りですが、今でもこういう考え方の先生は少なからずいますよ。だから、少林寺拳法の「どこでも練習に参加してOK!」ってルールは何か凄く感動的でした。今年に入って全く新規の入会希望者は断っていたんですが、こんな人だったら大歓迎ですよ。従って、いつもは教えないようなことも色々サービスして教えちゃいました(だって、入会しても続かない人の方が多いんだから、教える気が無くなりますも〜ん)。

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2007/03/17 『丹田開発トレーニングDVD  丹田を開発するスリ足歩法』

丹田DVDは3月20日頃発売予定です。発売に際して丹田開発トレーニング特別セミナーを開催致します。感覚の鋭い人なら、その場で丹田の充実感が得られる前代未聞の丹田錬成トレーニング法で、安全性も高いものです。当日は、丹田が錬成されるとどういう効果が得られるか?ということを武術技法で実験してみます。飲み会で酔った勢いでやってみせれば次の日からパワハラ上司が礼儀正しくなるよ〜。

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2007/03/15 石原志保『昭和の体重3』感想

桃花村の舞姫、石原志保さんの独舞『昭和の体重』シリーズの第三弾をplan・Bにて観てまいりました。
 第二弾の時はビデオ撮影と重なって行けなかったのですが、この連続演舞企画は、一回でも観逃すとエライことになっているのだな〜・・・と、今回、つくづく痛感致しましたよ。
 第一回目の時は、「横溝文学を鈴木清順が監督したような・・・」という印象だったのですが、今回は、「鬼太郎の出ないゲゲゲの鬼太郎を実相寺昭雄が舞台演出しました」みたいな、より妖奇(あやかし)の世界に入っていったようなシュールな舞台空間での演舞でした・・・。

しかしまあ〜、正直言って、田中泯さんは舞踊家を育てるつもりなのか、はたまた影の軍団を養成しようとしているのか? これを、“舞踊”と称していいのだろうか?
 何か、毎回、どえらいハードな挑戦(いろんな意味で・・・)を強いているのではなかろうか?という、いらんことを考えてしまいました。
 せっかく、こんな綺麗な人なのに、うわっとどん引きしちゃいそうなブキミ顔やらせてみたり、恐らく、そんなことやっても観ている人の誰一人として理解できないであろう肉体的にどえりゃ〜辛〜い演技をやらせる・・・。

「田中泯は鬼だぁっ! フルメタルジャケットの鬼軍曹だぁっ!」と、私は思いましたよ、マジで・・・。
 いや〜、もう、稽古している場面が脳裏に浮かびます。タイガーマスクの虎の穴だよ。「虎だっ! 虎だっ! お前は虎になるのだぁ〜!」って、泯さんが叫んでいる・・・そんな感じでしょう(スマン。俺の妄想だ・・・)。

今回、公演が始まり、照明がついた瞬間。ウワァッ!って心の中で驚きました。
 逆さまに立てられたガラス戸の後ろで、これまた逆さまに赤い襦袢を来た石原さんがのぞいている・・・「アレッ? どうなってんの・・・暗くてよく判らないぞ・・・」と思って、じっと我が目が暗順応するまで待っていると、ハシゴがかけられて、それに逆さまにブラ下がっていたのでした・・・が、その状態のままでかなりの時間が・・・。
 あの〜、その体勢だと頭に血が上って毛細血管切れたりして、メッチャ危ないんですけどぅ〜・・・そろそろ止めた方が・・・と、いらんことが気になっちゃってハラハラしましたね。第一回の時も、かなり腰椎に負担のかかることをやっていましたが、コレは遥かに危険度が高いです。見た目に激しく動いた方が危険性があるみたいに思えるでしょうが、そんなのよりじぃっとしている方が大変なんですもん。
 例えば、空気椅子の姿勢でじぃっと30分静止するのと、その姿勢で空手の正拳突きを繰り返すのでは、実は後者の方がずっと楽なのです。コレ、試してみたら判りますよ。運動量が大きい方が大変だと思いがちですけどね・・・。

それはそれ。
 そしてまた、音楽の灰野敬二さんが、今回はスンゴイんですよ〜。最初に客席に座っているところから始めて、舞台を移動しながら演奏するんですが、長い白髪と相俟って、ゲゲゲの鬼太郎の魂を抜いたギターを持った妖怪・夜叉を思い出してしまいました。
 それがまた、音楽も前衛だから不協和音も何のその。まさに観客の魂を抜き去るがごとき鬼迫!で、次々に楽器を変えて演奏。尚且つ、叫ぶがごとき歌・・・。
 それに合わせて、石原さんも妖怪染みた動きで俊敏にハシゴを登り降りし(猫科の野生動物のように動きが滑らか)、ガラス戸の回りをぐるんぐるんと巡り、転がり、ヤカンを叩き(何故、そげなところにヤカンが吊るされている?)・・・。

「あ〜、何だか、入江たか子の『怪猫・有馬御殿』の化け猫の踊りを観ているみたいな気がするぞぅ〜」なんて、うっかり想像したら、本当に化け猫(猫娘?)に観えてきちゃったよぉ〜。こんな風に観てるのは俺だけなのか〜?
 はっ? もしかして、あのヤカンは・・・妖怪ヤカンズルを暗示しているのか?・・・って、そんな超マイナーな妖怪は水木先生と京極夏彦以外は誰も知らんだろ〜よ〜(でも、俺は知ってたぜっ、フハッ!)。
 私、内心、半ズボンに下駄履いてチャンチャンコ来た田中泯さんが、後ろから突如として出現するのでは?なんて、思っちゃいましたよ(そりゃ、寸劇だよ〜)。

最後は、石原さんがハシゴを登って天井に捕まり、異様に光る目で客席を見つめながらフフフ・・・ヒヒヒ・・・と笑う・・・って、コエ〜よぉ〜。夢でうなされそうだよ〜。
 石原さん。貴方は凡百の役者が束になっても敵わないような(田中泯直伝)細胞レベルの身体的演技力があるのだから、脳波までコントロールしてしまっては本物過ぎです。怖過ぎですよ。
 公演終了後に素に戻ってなかったらどうしよう?とびびって、お話もしないで逃げ帰りました。失礼しました。スマンです・・・。
 でもね〜、ガラス戸越しに身体が伸びたり縮んだりする“技”って、人間にできる技じゃないでしょ〜。

はぁ〜、Jホラーを凌ぐゾクゾク感を覚えるとは、予想もしておりませんでしたよ。
 それにしても、ラストの石原さんの演技は、大関優子改め佳奈晃子が『魔界転生』で演じた細川ガラシャが、結婚式の時に突如として神憑りとなって、ピョーンと天井に跳び上がるところを思い出しちゃいましたね〜。マジでびびったとですたい(唐突に九州弁が出てきたばい。そがんいえば、石原さんは薩摩オゴジョじゃ聞いたげな?)。

とまあ、色々と書いておりますが、要するに、こういうの大好きなんですよね〜。
 第三弾でここまで来てしまったからには、この先はどうなるのでしょうか? 全く想像つきません・・・。一応、個人的な希望を出しておけば、もうちょっとカワイイのにしてくださいませ・・・コワイから・・・。

さて、余談ですが・・・『ハゲタカ』に、いよいよ田中泯さんが出ます。過日、TV放送された『隠し剣・鬼の爪』では、やっぱり、泯さんの動きを観た後ではクライマックスの決闘シーンがウムム〜って感じで、困っちゃいましたけどね〜。比べるのも酷だとは思うんですけどね〜・・・。
 公演の最中に石原さんの歩きを観ていても思ったんですけど、骨盤から動ける人とそうでない人では身体の動きのブレが全然違うんですよね。重心移動がうまくできないから筋肉に無駄な緊張が出て動きが滞ってしまう・・・。特に時代劇って、刀を腰に差して歩くから、腰が据わってないと刀がブランブラン振られてしまうんですよ。身ごなしがブレてる証拠ですよ。
 そこだけ見れば上手下手が素人でも判る。
 もう、根本の身体性が違い過ぎると、形ばかりの演技力ではどうにもならないですよ。
 これは、私の専門分野である武術に関しても同じで、きちんと動けないから筋肉を鍛えて補おうという発想をしてしまっている。身体の芯を鍛えないで筋肉量ばかり増やしても身体のバランスが崩れるだけで無駄というより害の方が大きい。だから、もう武道とか格闘技とか観ても感動しないんですよね。

まっ、とにかく、『ハゲタカ』を観ましょう!

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2007/03/15 『戦慄!最強戦闘術』感想

フルコムの達人シリーズの最新刊で、私好みの本が出ていたので、思わず買っちゃいましたよ〜。
 何が目当てだったか?というと、システマ!
 それから古式ムエタイ!と、カリ・シラット!ですね〜。

DVD付きだから、¥2300でもお得感があります。
 で、やっぱり、買って良かったですよ〜。

まず、カリ・シラットは中村頼永先生のダンスを思わせる流麗な動きが美しく、カリ・スティックの動きも非常に素早く、ナイフ捕りも幻惑するような見事さです。
 昔、中村先生が演武助手を務められたジークンドー・ビデオを見た時に、中村先生は技をかけられても目をつぶらないでちゃんと見ているのに感動したものでした。
「この人はただ者じゃない」と思っていましたが、やはり、ただ者じゃなかったですね。
 今ではJKD一門の中でもかなりトップレベルの実力者なのでは?とお見受けします。
 それにしても、随分、身体を絞られましたね〜。

それから、古式ムエタイもシンプルだけれども映画『マッハ!』を思い出して楽しめました。確かに沖縄空手の雰囲気も少し感じますね〜。

それから、お目当てのシステマ。
 変幻自在な芸術的動きに見ほれてましたが、今回は、そういう見世物芸ではなくて間合に関する基礎的原理についてレクチャーされていて、全く違う意味で、非常に感銘を受けました。
 テクニックではなくて戦闘の理論について解説しているというのは、武道や格闘技の本やビデオでは皆無といってもいいくらいでしょう。しかも、間合の心理的な意味について解説したのは、私の知る限り、初めてなのではないか?と思います。
 最近は、間合については考えない武道家や格闘家がほとんどだと思いますが、本来、武術にとっては間合と拍子(タイミング)こそが最も重要で、技は二の次だった筈なのですが、その最も重要な点について解説する人が極めて少なくなっていました。
 それをロシア武術から教えられるとは・・・。

競技格闘技でも武術でも、間合の処理の大切さについては変わらない筈です。
 しかし、それを考えている人の少なさは致命的な状況に陥っていると思います。実戦的と言われながら、その大切な部分を考えていないのでは?と思える人が、あまりにも多過ぎるのです。
 小手先のテクニックに目が向いている限りは、最も重要なことは観えないままです。
 日本の武術文化の衰退は、“理合”を研究しなくなったことが原因のように思えます。
 ある本で、「術理は一つだけだ」と書かれていましたが、これは理合と術理を混同して書かれたのだろうと思われます。
 術理というのは「個別の術技に関しての理合」という意味であり、当然、無数に存在します。
 理合というのは、「合理性を有する理論」という意味であり、戦闘理論の根本的構造的原理を指し示しているものです。理に合うから“理合”なのであり、不合理なものは理合に外れると称する訳です。

例えば、合気の“術理”と言えば、あくまでも術技の合理性を指すものであり、これは、以前に私がビデオやセミナーで解説してきたものが相当します。
 が、合気の“理合”と言えば、必然的に戦闘理論の意味を内在します。これは合気道でも会派や師範によって違うし、大東流になると、もっと違ってくるでしょう。
 ですから、術技の理合は無数に有り得ますが、それが合理合法であるかどうかは実際に通用するかどうか?でしか測れません。
 限定し固着された間合で、“受け”に限定させた条件設定で行われる演武は、あくまでも“演技”であって、実用とは程遠いものです。受けに限定させないで自由に攻撃して良いという条件にすれば達人芸がかき消えてしまうことが容易に判別できる人もいます。

もちろん、私が映像で見せてきたものも、全て演技でしかありません。
 実用に役立つかどうかとは、全く別のことです。
 ですから、「長野の技は見世物芸に過ぎない」と批判する人がいましたが、その批判は当たっています。人に見せる以上、演技にしかならないからです。
 ただし、演技の上でも、そこに武術としての戦闘理論の有無を表現することは可能ですから、私は親切に示したつもりではいます。解る人は少なかった様子ですが・・・。

一番、阿呆らしいのは、「強いか弱いか」でしか判別できない人です。こういう人は技の威力やスピードといった目に見える範囲のものしか判断材料にできない素人です。
 が、困ったことに最近は専門家である筈の人達ですら、素人レベルの識別眼しか持っていなかったりするのです。これは有名で実力がある人でも事情はそう変わりません。
 困るのは、本当は観えていないのに、「自分は結構観えている」と勘違いしている人でしょう。こういう人が本を書いたりすると、途端に世間に間違いが広まる。
 本当に二重三重に困ったものですよね〜。
 一つには、“身体の動き”、所謂、“身法(身体操法)”に全てを収斂して考える風潮が広まったことが原因の一つかも知れないな〜と私は思っています。
 人間は機械じゃないんだから、そんな単純な理論で測れる道理がありません。
 鬼の首とったみたいに喜んでる人達の無邪気さはカワイイですよね〜。

あっ、それから、中国武術の専門情報誌が刊行されましたね。
『J・Kung−Fu』・・・頑張って戴きたいです。やっぱり、中国武術の専門誌が無いという状況は文化的にマイナスですからね。昔、F堂の『ウーシュウ』に関わっていた者の端くれとして、中国武術専門誌の登場は期待大です。
 学研さんで頑張って出してもらっても良かったんじゃないの?とも思ったんですが、やっぱり、餅は餅屋ってことでしょう。
 私は中国武術の専門家じゃないけど(というか、真っ当な意味での武術家じゃない。研究家ですからね〜)、一ファンとして、陰ながら応援してます。
 やっぱり、中国まで学びに行ったりして頑張っている人達をきちんと採り上げたり、競技スポーツや健康法としての中国武術の魅力についてアピールしていって戴けると、間接的に私も勉強させてもらえて有り難いです。
 あ〜、それから武侠小説や映画についてもやって欲しいですね。頼みます!(陳静老師を出してぇ〜)

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2007/03/14 丹田開発トレーニング法DVD、間もなく発売!

販売までに時間がかかりましたが、丹田開発トレーニング法のDVDが間もなく発売します。

普通、丹田を開発するのは腹式呼吸法を中心にした気功錬丹の修行法を行うか、肥田式強健術くらいしか無いと思われています。
 肥田式は、運が良ければ一瞬で丹田が開発される可能性もあると言われますが、成功した人は創始者の肥田春充翁以外には、少なくとも一人も出ていないと言われます。
 気功系の錬丹法の場合は、毎日続けても一年以上、平均して三年くらいはしないと丹田の感覚は得られないのが普通です。

ですから、私も、ことさら丹田を開発したいという願望は無かったんですね。そんなものに拘るより、武術の技を磨いた方が現実的だと考えていたからです。それで気功の訓練はもう十年近くやっていませんでしたよ。

ところが、三年くらい前に偶然、この丹田開発法を発見して練習メニューに加えてやってきて、今では常連会員さんの全員が、かなり丹田が開発されています。
 それが、技の水準にも比例していて、何だか凄いことになっていまして、それで真壁師範代を気功指導班長に任命して、最近は気功訓練も採り入れています。
 その結果、かつては大した成果が上がらなかった気功も、丹田が錬成されたせいもあるでしょうが、物凄い急激な進歩をしています。

実際に、気感が有ると武術の技全般が無理なく自然に行えるようになってきます。
 これは、健康法としても良いもので、風邪っぴきの私が、今年の冬はほとんど風邪をひかずに済みました。二月の大阪セミナーも、いつも体調が悪くなってしまっていたのに、今回は健常そのものでした。

今回のDVD化した丹田開発法は、呼吸運動によらず、スリ足歩法によって骨盤内に蓄電するみたいに腹圧を高めるものです。
 危険性が少なく、練習法も容易で、効果も抜群です。
 動画で見せている腹圧を高めて腹で打つ発勁は、丹田開発法トレーニングによって錬成された丹田の腹圧の効力を見せるためにやっているものですが、これは以前に台湾の高名な武術家の秘蔵映像を見た時に、自分にもできるのでは?と思って試してみて以降、特にやってみたことはありませんでした。見世物演芸を見せるのは不本意ですが、素人目に成果が判別できるものとして敢えてやっています。
 これは、トレーニングを積めば、誰でも可能になるものです。そしてまた、丹田が開発されていくに従って、技の威力そのものも高まります。
 スポーツ等にも応用は効くでしょう。

それと、恐らく、丹田が開発された結果だと思うのですが、トラブルに見舞われても精神的に動揺しなくなってきますね。ハラができるというのも本当のことだと思えます。
 その他、応用は相当に考えられるでしょう。実践して「こんな風に応用できた」という報告を頂戴できると有り難いです。

追伸;日頃の御愛顧に感謝して、小説一本サービスしております。読んでね!

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2007/03/14 『龍が如く〜劇場版〜』感想

東映チャンネルでやっている予告編のあまりのカッコ良さにほれ込んで、衝動的に映画館に足が向きましたね。
 普段、ヤクザ映画は全く観ないんですけどね。

映画サークルの仲間にも言っていませんが、実は私、ヤクザ映画と戦争映画って、大っ嫌いなんですよ。
 だから、たとえ尊敬する若山富三郎先生主演であっても、ヤクザ映画だと自分から観る気にはならない。
 当然、硫黄島ナントカもナントカ大和も観ておりません。
 勧められても全く観たいと思わない。権力構造が透けて見えるのが虫酸が走っちゃってダメなんですよね〜。同じアクションでも権力から切り離されたヒーローが権力を粉砕する超人的強さを発揮するものでないと全くダメ! 見る気がしない。権力に負けて惨めに死ぬ主人公の悲愴美・・・なんか、わざわざ映画で観なくていいっしょ。

だから、『七人の侍』よりも『用心棒』や『椿三十郎』の方が好きだし、そういえば、戦国時代の合戦物なんかも全然、面白いと思わないんですよね。主人公が独りで闘って勝たなきゃダメだよ。忠臣蔵も、私がストーリー書いたら、「実は大石蔵之助がたった独りで乗り込んで吉良上野介の首を取った・・・」という風に無理やり書いちゃいますもん。
 集団に頼るってのが気に入らない。“群れ集うのは弱くて無能なヤツ”と相場が決まっています。

ただし、今回は、「三池監督だから、面白いに違いない。北村一輝主演で独りで闘いまくるみたいだし・・・」と、いつものオヤジ・デーに、ワクワクしていつもの映画館に観に行ってきました。

平日の昼間だからガラガラかな?と思っていたら、『どろろ』程じゃないけど、結構、人は入ってましたね〜。意外だ・・・。
 私はゲームもやらない人間なので、原作ゲームももちろん、知りません。
 しかし、東映チャンネルで放送してた船木誠勝主演の“序章”を観て、一応、ストーリーの背景はそれとなく解りました。

でも、キャストが一新されているので、この“序章”は観ても観てなくてもあんまり関係なかったみたいです。
 船木主演の格闘バリバリ版でも良かったかも知れないと思いつつ、日本では格闘家から俳優に転向してうまくいくケースは少ないのかな〜?とも思いました。

けれども、最近、北村一輝はいい役者だな〜と思います。アクションも上手いし、役作りのために前歯を抜いたり、肉体改造するところは松田優作を思わせますが、多分、優作みたいにワガママではなくて超エエ人っぽい感じがします。
 以前は、顔のバタ臭さと“ホスト顔”っぽさが好きになれなかったのですが、『ゴジラ・ファイナルウォーズ』のX星人役の怪演っぷりで親しみがわきました。
 多分、私みたいに感じている人は多いんじゃないでしょうか?
 どこから見ても善玉役のできる顔には見えません。
 それが、やっぱり演技力というのは凄いものですね〜。持って生まれた身体イメージそのものを変えてしまえるのですから・・・。

さて、そんな『龍が如く〜劇場版〜』ですが、ストーリー的にはVシネマっぽいのに、エンターティンメント大作化していくのですから、やはり、三池監督は凄いですね。
 意味無しギャグがシリアスな中に突如として挿入されるシュールな展開も面白いです。
 そういう遊び心をもって撮りつつ、根幹は骨太な点が御立派! 凡百の監督だと笑いとシリアスのバランスが取れずに、遊びの部分が全体を崩壊におとしめてしまうものなのですが、三池監督はそうならない。

ただ、ストーリー構成的には、登場人物のシークェンスが並列的に進行する構造が、やや散漫な印象も受けました。
 桐生中心に登場人物が収斂していく構造にした方が良かったのではないか?とも思えました。一瞬だけ繋がって無関係に進行するそれぞれのドラマというのも悪くはないのですが、暗殺者や銀行強盗やバカップルの破滅とかはストーリーの中心から弾き出されていて無駄なものにも思えてしまったのです。
 まあ、都市という場で起こる日常に隠れた非日常の個別のドラマを見せるという狙いは解るのですが、蛇足的印象になってしまったのは残念です。もう少し桐生とからませると、もっと面白くなったのでは?と、思いました。
 特に、クライマックスに対決する幼馴染み錦山役の真木蔵人はもったいない・・・。
 上半身裸になると、相当にマッチョで驚かされるんですね。「アレッ、真木蔵人って、こんなにマッチョ体型だったっけ?」って、ビックリするんですが、北村一輝は、そのまま北斗の拳のユダがやれそうなくらいマンガみたいなマッチョ体型で笑ってしまいます。
 これまた役作りで短期間で鍛えたそうですが、トレーナーが呆れ果てるくらいウエイトトレーニングやったらしいですね。
 そんな訳で、出番も少ない真木はラスボスなのに印象が薄いのです。

しかしまあ、脇役の目立つ作品だな〜・・・という印象がありますね。
 強盗に入られているのに妙に冷静に対応する諏訪太郎とか、岸谷五郎が演じる真島の配下の、ど突き回されながら従順についていくヤクザ達とか、ドMの情報屋兼武器屋の荒川良々とか・・・。

そして、何といってもキレ・キャラを楽しく演じている岸谷が素晴らし過ぎます。本来だったら、この役は北村一輝の十八番だったろうと思われるキャラですが、岸谷の奇妙な存在感で際立っています。桐生も敵わない凶悪で強いキャラかと思っていたら、出会っての第一戦で、いきなり桐生にボコボコにされてしまうし・・・。

ところで、岸谷五郎って、昔、格闘アニメ『ジャングルの王者ターちゃん』の声をやっていたのを知ってますか? 今回の作品を観ていて、ふとそれを思い出しましたよ。
 いつぞや、俳優をやっている人から聞いた話では、岸谷五郎は実際にメッチャ喧嘩が強いのだそうです。必然的に立ち回りも上手です。
 従って、真島は悪役なのにどうも憎めないキャラで、最後は松田優作っぽく死ぬ?と思わせておいて・・・といったオチもあります。
 続編もアリではないか?と思う楽しさでありました。クレイジーケンバンドの歌もカッコ良いですぞ。

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2007/03/09 丹田開発法セミナー

丹田開発法のDVD発売を記念して、DVDの内容に準じた丹田開発法セミナーを3月25日に開催致します。はっきり言って、最短・安全・確実に丹田を開発できるトレーニング法の決定版だと自負しています。私もこれで丹田がぐぐっとできて、お陰で気功をやったら指先がビリビリきて、おまけに“吸星大法”までできるようになっちゃいましたよ〜。今回は下丹田と中丹田まで開発する方法を指導します。それと溜まった気が暴走しないようにする収功と経絡を巡らせる方法についても練習します。

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2007/03/06 大太刀完成しましたっ!

いや〜、やっとこさ、大太刀が完成しました〜、フゥ〜ッ・・・。

まあ、稽古用に鉄板買ってきて自作しちゃおうか?とすら考えていた程度だった刃渡り三尺二寸五分の稽古用の大太刀でしたが、剣術師範代Sさんの紹介とアドバイスで、昨年、打ちおろしの状態で破格の料金で作ってもらい、それがまた予想を遥かに超えた出来映えに驚き、分割払いでチマチマと支払って、ようやく入手した刀・・・。

何でも、打っていただいた刀工の方曰く、「二度と作りたくないよ」と言わせた程の大変な作業だったそうで、普通の刀の三本分の材料を使い、焼き入れも特別だし全体の形を整えるヤスリ掛けも大変な労力だったそうです。

それは、その後の刀身の研ぎ、鞘作り、柄作り等々の作業をやってきて、私にもよく理解できました。
 これまで数本の刀(短刀・脇差・定寸刀・模擬刀)の拵え製作をやってきたのとは比較にならない大変さでした。
 サイズがでかいというだけで、作業労力は数倍になってしまうのです。
 いや〜、我ながら、よくできたよな〜と思うばかりです。

正直、稽古用に使うつもりだったので、長さとそれなりの重量があれば刀身は多少ペランペランでも良かったんですよ。正直言って、刀の形してりゃあいいんですよって考えでした。

が、出来上がってきた刀はアニメの主人公が使うような超剛刀だったので、お店に飾ってあった時はお客さんが珍しがって触りまくり、指紋の錆がムチャクチャ付いていましたよ。これが研ぎ上がってる刀だったら専門家に研いでもらって30万円くらいかかった筈ですよね。

そんな刀なんで、当然、重量もハンパじゃなく(片手で振るどころか維持するのさえ難しかった)、「これは重くて居合抜きは無理かな〜?」と思っていたんですが、色々と工夫して拵えをチョコチョコ細工しているうちに、何とかそれなりに抜き納めできるバランスになってきましたね(稽古後で筋肉痛になったけど・・・)。

特に、外装を拵える時の最大の注意点は、刀身の重量に負けて柄が折れたりしないようにすることでしたが、あらかじめ茎(なかご)を一尺の長さにして目釘穴も二つにしてもらっていたお陰で、柄さえしっかり作れたら問題は生じないだろうと思われました。
 それで、全般的に日本刀に詳しいS師範代に柄を補強する方法を教えてもらって、結構、頑丈に作ることができました。

私は、元々、軽い刀をヒュヒュッと振って敵の急所を的確迅速に斬ることを目指していたので、重い刀はあまり好きじゃないんですが、それとは別に、昔っから規格外にでかいハッタリ臭い武器というものが妙に好きで、拳銃も大口径長銃身のマグナムガンが大好きだし、ライフルも対戦車ライフルとかアンチマテリアルライフルみたいなバカみたいな超強力なものが好きなんですよね。拳法だって、変幻自在な戦法も好きだけど、それ以上に一撃でコッパミジンコに粉砕してしまうような、無意味に超強力な発勁でズドゴォッッ!とぶちかますのも大好きなんですよ〜。

だから、居合術の研究始めた時から、三尺二寸くらいの大太刀を抜き納めできるようになろうと思っていた訳で、色々とツテを頼って模擬刀で入手しようと思った訳です。
 が、アルミ製ならいざしらず、模擬刀で三尺以上というのは製品化が難しいそうで、いっそ、「真剣で作った方が確実」だということで、何とか安く入手できないものか?と思っていた訳なんですけど、こんなに早く入手できようとは思っていませんでしたよね〜。

武術研究上の主な目的だった「南北朝時代の戦場刀はどう使ったのか?」を研究できる物を手に入れた訳ですから、今後は、この大太刀をどういう具合に使いこなすか?という研究を本格的にやってみようと思っています。

意外だったのは、最初は長巻風に柄を長くしていたものの、こっちの方が使いづらくて、普通の刀の長柄くらいに切り詰めてみたら、むしろ格段に扱いやすくなったことでした。
 長巻仕立ての時は全長が私の身長と同じくらいでしたが、現在は、顎の辺りくらいまでです。つまり、頭一つ分、コンパクトになったんですけど、これで室内で振れるようになりましたからね。

以前、剣道場をお借りして稽古した時に、広いから大丈夫と思って振ってみたものの、あまりうまく扱えませんでしたから、やはり刀身が長い場合は刀柄の方がバランスが取りやすいのかも知れません。
 もっと、大薙刀とか大身槍とか使ってみないと何とも言えませんが、三尺ちょっとくらいまでの大太刀なら、普通の刀柄の方が扱いやすいように思えます。

ただし、往時の大太刀は、重ねが薄くて案外、軽いと聞きます。確かに、一昨年だったか阿佐ケ谷の骨董店で三尺の直刀を持たせてもらった時は、かなり軽くて驚きました(江戸時代初期のものでしたが・・・)。
 が、三年前くらいに表参道の刀剣店で三尺一寸の刀を持たせてもらった時は、相当に重くて、とてもじゃないけど、こんな重い刀は使えないと思って購入意欲はわきませんでした。結構、安かったので少し気持ちが動いたんですけど、数カ月後には売れていました。
 どうも、樋(刀身に刻まれている溝)が入っているかどうかで重量はかなり違いが出るみたいでしたから、私が注文した時は樋を入れてもらいました。これが無かったら重過ぎて全然振れなかったかも知れません・・・。

結局、あれこれ考えてみても、既製品を探すより、作ってもらった方が良かったと思います。もっとも、今回の値段で同じくらいのものを打ってもらうのは刀工の方が断られるでしょう。
 実際に、最初は中堅どころの名のある刀工の方に依頼して、「そんなサイズの刀は作るのも難しいし、下手なものを作れば恥になってしまうから・・・」という理由で断られていたのだそうです。それで、新進の刀工の方に依頼してもらった訳なんですが、刀剣店の社長さんは「まだ未熟だ」と言われるものの、いや〜、そんなことはないと思います。
 現に、社長さんも将来性を買っているらしく、色々とアドバイスしてバックアップされているように見えますし、私もまた、お金の都合がつけば、二尺八寸前後くらいのもう少し実用的な寸法の打ちおろしの刀を注文するつもりでいます。

そんな訳で、念願だった三尺二寸五分という長寸の大太刀を入手し、しかも細かい仕様も注文通りに作ってもらい、その上、きちんと磨けば相当に価値が出そうな見事な刃紋もあり、稽古に使うには立派過ぎるものだったんですが、何とか、私の愛刀として後世にも遺せる刀として形にすることができました。将来は私の田舎に武術資料館を作って飾っておこうと思っています(死後の話・・・)。

拵えはかなりデッチアゲ感満点なんですが、まっ、どっちみち、異様なサイズの刀なんだから、拵えもアニメチックにしようと思って作りました。
 後は、お金の余裕がある時にチョコチョコとバージョンアップしていくつもりです。
 これから、毎日、きちんと稽古して早抜きできるようにしていきますよ〜。

追伸;報告が遅くなりましたが、私の家の電話番号を変えました。連絡は事務局へのメールのみとなりますが、宜しく願います。個人指導申し込みの方も事務局に問い合わせてください。理由は、昼夜を問わない嫌がらせのH電話で仕事に支障が出てしまうのを防止する意味です。本当に毎日毎日、御苦労様って感じで嫌がらせ続けて、「こいつ、ちゃんと仕事やってんのか?」って感じでしたけど、やっている犯人は特定しているので、この程度の嫌がらせしかできないのか?って思うと、マジメに哀れ過ぎて訴える気力も起こりませんよ。自分が惨めにならないのかな〜?と、本当にお気の毒です。私だったら仕事で実績上げて見返してやろうとしか思わないんですが・・・。
(ところで、ヤスオちゃん、元気? 今度、ク・・・からDVDが出るそうで、お目出度うございますゥ〜)

追伸2;丹田DVDは3月20日頃発売予定です。発売に際して丹田開発トレーニング特別セミナーを開催致します。感覚の鋭い人なら、その場で丹田の充実感が得られる前代未聞の丹田錬成トレーニング法で、安全性も高いものです。当日は、丹田が錬成されるとどういう効果が得られるか?ということを武術技法で実験してみます。飲み会で酔った勢いでやってみせれば次の日からパワハラ上司が礼儀正しくなるよ〜。

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2007/03/04 ヤンキー先生はエライです!

ヤンキー先生こと義家弘介さんの講演を放送していたのをTVで観ました。
 丁度、イジメ問題に関するものでしたけど、「弱い者を基準に考えるのはおかしいのではないか」という女子高校生の質問についての解答に、ハッとさせられましたね。
 目からウロコが落ちるというのは、このことか?って感じでした。

ヤンキー先生曰く、「勘弁してくださいよ〜」って、まず第一声!
 はっ?と思ったら、「いいですか? 弱い者に基準置くのは当たり前でしょ?」とのたまう。
 ええっ?と思ったら、「誰だって、いつ事故にあって歩けなくなるかも知れないし、年とったら身体弱くなるでしょう。例外なんて無いんだよ」とピシャリと言ってのけます。

う〜む・・・言われてみればその通り・・・。
「弱い者を切り捨てる世の中でいいと思う訳? そういう発想ってとっても怖いよ」とヤンキー先生は続けます。うむ〜・・・私は二の句が継げません。何か、自分が叱られてる気分になってきたぞ〜。

「いいですか? 弱い者は助けるのが当たり前! そういう世の中でなきゃいかん!」と説かれると、道徳の話を“常識”として堂々と主張するヤンキー先生・・・カッコイイ!

そして、「子供は皆、弱者なんです。イジメられているのを見たら助けてあげてください。助けて強くなるように鍛えてあげてください」と説き、それが大人の責任だと言うのです。

夜回り先生といいヤンキー先生といい、考え方は違っていても情熱に従って真っすぐ生きてる人の迫力って凄いな〜と思います。
 私も、怒りオヤジ先生と呼ばれるように頑張らなくっちゃ〜・・・って思いました。

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2007/02/25 2007冬・大阪公開稽古会記

2月24日、久しぶりの大阪に行ってきました。

今回からは初心者向けのセミナー形式から、游心流大阪支部の会員をメインにした公開稽古会にした訳ですが、事前に「ついてこれない人はおいてけぼりにします」と釘を刺して、甘い考えの人が参加申し込みしないようにした訳ですが、それでも赤字にならない程度に参加者は集まり、内容的にも今までにないレベルのテクニックを指導することができました。
 まずは成功と見ていいと思います。

これも、大阪支部を引っ張ってきてくれているハマちゃんのお陰です。
 彼は武道経験が全く無かったのが幸いして、従来の武道・格闘技と著しく異なる游心流の稽古システムをありのままに受け止めてくれたので、ここまで大過無く楽しい稽古会として続けてこれました。
 引き続いて、今後も趣味のサークルとして気負わずに楽しんで伸びていってくれたらと思います。

今回は、東京でのセミナーが休止になったことから、東京からわざわざ大阪まで受けに来てくれた人がいたり、私の郷里の天草からも仕事の出張の合間に参加してくれた人、東京セミナーに来ていた愛知の人、以前は橋本駅前の太極拳講座を受講していて転勤になっていた人・・・と、遠方から参加してくれた方もいました。

受講料より交通費が何倍もかかってしまう訳ですから、こうした方の期待を裏切る訳にはいきません。
 ですから、今回は武術の実用テクニックとしての“交叉法”と“差し手”と“推手”からの応用法について特に指導してみました。

結局、打撃技に対しては、出てくる寸前に潰すか、出てくるのに合わせるか、出させて隙を突くかの“三つの先”で制圧するしか有効な戦法はありません。

しかし、先を取っても、間合を潰したり死角に回り込んで相手の攻撃できる範囲から抜け出ていかないと結局のところは体力勝負になってしまう訳です。

そうなれば体格と体力に優れた人間が圧倒的に有利になってしまいます。
 即ち、「強い者が勝つ」という格闘技の常識の範囲に納まるべくして納まる訳で、そこには“老齢の達人”や“小さな男が巨漢をあしらう”といった武術のロマンは介入する余地が無くなってしまい、特に試合なら、概ね、そうなってしまいます。

武術の秘伝がどうして存在するのか?ということを考えたことがあるでしょうか。
 武道家や格闘家には、「武術の秘伝なんて嘘っぱちだ」と否定する人が少なくありませんが、実際には伝統的な武術にとって“秘伝”というものは厳然として存在している訳です。

ですが、一番の秘伝というのは、発勁や合気、毒薬の製造法・・・といったものではなくて、実は戦闘理論なのです。
 自分より強い者に勝つには常識的な戦闘法をやっていては駄目です。いかにして相手の裏をかくか?ということが重要になる訳で、裏をかくためには隠しておかないといけないという訳です。

例えば、「太極拳は接近密着して相手の打拳を封じて戦う(から最強だ)」という優秀性を解く人はいても、「いかにして接近密着して相手の打拳を封じていくか?」という肝心要の点については誰もいわないし書かないし教えない・・・。

理由の第一は「知らないから」であり、第二は「秘伝だから」です。

太極拳を学んでいる人達で「太極拳を遣いこなせない」と悩む人達は、接近密着する方法を知らないから遣えない訳です。推手から相手を弾き飛ばしてみせても、それは一方的に自分が勝てる状況で技を見せているに過ぎず、いざ離れた間合から相手が自由に攻撃してきたら何もできずに顔面をタコ殴りにされて惨敗してしまった・・・なんてケースがいくらでもあります。

だから、推手がいくら凄くても、それだけで通用するとは思いませんし、それで通用すると信じ込んでいる人はお目出度いな〜としか思いません。格下の人間とヌルい練習しかしていないと、勘違いして誰でもふっ飛ばせると誇大妄想に陥りがちですが、そういう人は遠間から超高速で突き込んでくる伝統派空手のエジキになるだけでしょう。

そんな訳で、今回の稽古会では、差し手で合わせる“対の先”と、アップライトに構えている相手の構えを封じて抑えていく“先の先”のやり方について指導してみました。
 これは、接近密着して相手の攻撃を封じていくための游心流で考案した戦闘理論の基本なのですが、本来だったら“秘伝”として隠しておくべき内容でしょう。

実際にこれまでは一般向けの稽古会では指導内容には入れていませんでした。
 他流会派によっては技術的に公開しているところもありますが、戦闘理論の基本として指導しているところは私の知る限り、皆無です。

正直、こんな内容は素人に教えても豚に真珠、猫に小判の類いです。
 けれども、今回はそれなりのキャリアのある人もいたので、実際に役立つものを教えていこうと思った訳です。無論、ほとんどが会員だったことも理由としてあります。

価値の解らない部外者に教えて、「游心流の技はこんなものだ」と他所でしゃべられると誤解が広まるだけで迷惑千万です。

東京での定期稽古会ではようやく戦闘理論に沿った実技指導の段階に入ったのですが、大阪支部でもそれをやらなければ、いつまでも基本練習だけでは仕方がないでしょう。

後半は、東京でもやっている居合術をやりました。
 目付け・読み・体捌き・位取り・抜き付け・・・といった要素を一挙に修練できるので、これは今回、きちんと指導しておかないといけないと思っていたものです。

右剣と左剣、口縄の三つの型の表技だけをやりましたが、何とか無事に稽古でき、これらの型の応用としての無刀捕りを数パターンやってみました。

真剣でこそないものの、合金製の居合刀でやったので、下手をすれば大怪我を負いかねません。これは充分に注意してやらなければなりません。
 が、だからこそ、交叉法の感覚がより一層、鋭敏になっていくのです。

今回、勝手知ったる人ばかりだったので、思っていたよりもちゃんと習得できていた様子で、特に落ちこぼれた人はいませんでした。会員さんに関してはハマちゃんの指導が良かったのでしょう(ハマちゃんの新ネタ物真似芸、平泉成は、大滝秀次と間違いそうで微妙過ぎます・・・)。

ただ、ここまでくると、ますます初心者はついて来れなくなると思います。初心者でやりたいという方は、まず大阪支部の稽古会に参加して基本をみっちりやった上で参加されることをお勧めします。
 そうでないと、参加しても何も身につかないのでは金の無駄使いでしょう。

少々、誤解が広まってしまったかな〜?と反省していますが、「游心流はズブの素人でも一回受けたら武術の極意が簡単に体得できる」というものでは全くありません。
 極意のタネと仕掛けを明かして見世物演芸パフォーマンスなら体得できるようになりますが、それは張り子の虎と同じで、できるようになっても実は何の意味もありません。

一朝一夕に体得できる習い事なんてどこにもありません。
 こんな簡単なことを勘違いして、頭で理屈が判れば体得できると思い込んでいる人が結構、多いようです。
 游心流のシステムなら、ズブの素人でも一年か二年続ければ他流の数年から十年分に匹敵するくらいの実力アップができる・・・と、創った私自身は自負しています。
 けれども、それも最低でも一週間に一回、2〜3時間の稽古に参加し、毎日、15分程度の自主練習をやれば・・・の話です。
 日頃、何もせずに一カ月か二ケ月に一回くらい稽古に来ても、上達できる筈はありません。

しかし、今回、驚いたのは、私の郷里から初参加してくれた方は、DVDを教材にして練習していたに過ぎないのに、基礎錬体が非常に上手だったことでした。
 要するに、探求心の問題だということでしょう。

うちの会の圧倒的大多数の幽霊会員の皆さんが、彼のように、せめてDVDで自主練習してくれていることを期待したいところですが・・・。

「上達しなくてもいいけど、長野先生のバカ話が聞きたい」という人は、まあ、許容範囲ですけどね・・・。

 

追伸;中国武術業界の名物男だった龍飛雲老師が亡くなられたという話をクエストさんで聞いて驚きました。何でも、腎臓が悪かったそうで、中国で移植手術を受けたものの経過が思わしくなく逝去されてしまったということでしたが、まだお若いのに惜しいことだと思います。『ギルガメッシュナイト』の『乳拳』は楽しく観ていましたが、酔拳や蛇拳といった珍しい拳種(クエストから両方共にDVDが発売されています)をやっていて中国武術の競技試合トーナメントという独創的な試みで知られ、生前は賛否両論がかまびすしい人ではありましたが、亡くなられてしまえば何か物悲しく侘しい気持ちがします。慎んで御冥福をお祈りします。

追伸2;長年、フルコンタクト派空手を修行されている会員さんが試合が近いので、対策を練ろうということで、橋本駅前シダックスの講座の時に軽くスパーを見せてもらったんですが、いや〜、流石は長年鍛えた突き蹴りの回転の迅さと攻撃のバランスの良さに感心してしまいました。やっぱり、ちょっとやってます程度の人とは格が違うな〜と改めて思いましたし、これだけの技を持っているのに体力の衰えだけで試合に通用しなくなるのでは悲しい。何とか勝てるようにしてあげたいな〜と思っております。“最強オヤジ養成プロジェクト”を立ち上げてみようかな?・・・なんてね。

追伸3;ボクシングの名城選手が『アンビリバボー』で採り上げられていましたが、もう“リアルあしたのジョー”ですよね〜。大恩人を試合で破ったものの死に追い込んでしまい、復活したものの顔が打てなくなってしまう・・・という展開は、ジョーが力石を試合で死なせてしまって顔面が打てなくなってしまうのと全く同じ。しかし、その精神的ショックを克服して世界チャンピオンになった名城選手の体験は、メディアが作ったものではない真実の重みがあって感動的でした。格闘技の感動はこういうものでなくてはね。

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2007/02/22 気功は安易な気持ちでやらない方がいいよ

小周天セミナーのおさらい会を、小周天セミナーを受けていない人が勘違いして申し込みしているみたいなので、ちょっと、御説明しておきますね。

気功の訓練は、第一に気感を得ることから始まります。これが得られない限り、何をどう稽古しようが向上は得られません。
 游心流の常連会員は、多少なりとも気感が養われているので、そこから次の段階の訓練をすることができる訳ですが、気功の訓練をやったことの無い人や、あるいは自己流でやっていて邪気が出るようになってしまっている人の場合、訓練に参加すると他の人達に悪影響が出てしまったりするのです。
 気功の訓練は、非常にセンシティブなものですから、自己催眠(自律訓練法)と同じものだと思ってもらった方がよく、通常の武術の技の練習とは全く別物なのです。
 よく、「気というものは本当にあるんでしょうか?」と考えているタイプの人は、この手の訓練はやらない方が無難です。
 気功の訓練は「気のエネルギーを利用して身体の内力を高めていくもの」という認識を受け入れて暗示作用によって身体感覚を高めていく点に目的があり、それ以外に「超能力を得る」とか「神霊の領域に入る」とかいった神秘性(宗教的権威性)を目指せば、自我が肥大して狂気に陥るのがオチだからです。
 はっきりいえば、人為的に統合失調症(いわゆる分裂病)に陥る危険性があるものなのです。決して、軽はずみな気持ちで実践すべきものだとは思いません。
 恥を申しますが、私が教えた者の中にも、そのような病的な状態になった人間が何人かいましたし、そのうちの一人は行方不明で家族から警察に捜索願が出ていたりもします。
 親御さんの心労を思えば、何とか助けてやりたいところなのですが、どうしようもありません。正気の時にこれを読んでいたら、是非とも、実家に連絡をするように祈るばかりです。

どうして、私がしつこく気功的な訓練の弊害について忠告を書くのか、御理解いただけるでしょうか?
 精神を病むことを「気が狂う」というのは、言葉の綾ではありません。
 あまりにも軽く考えている人が多過ぎる。

武術についても同じです。単に破壊的な威力を求めて何をやりたいのか? 意味もなく力を養っても何の役にも立たないばかりか、むしろ、実生活を害するケースすら少なくありません。まず、現実に生活するための努力をやらなければいけないのに、ニート状態のまま武術に救いを求める“腐れ馬鹿”が結構います。
 別に武術の腕が上がっても、それだけで人生が好転するものじゃないのです。
 私も、文章書く能力が無かったらどうしようもなかったでしょうし、文才を認めてくれて専門誌に記事を書かせてくれた元F堂のIさんには、今でも心から感謝しています。

よく考えてみたらいいんですよ。
 独力でやっている人間なんかどこにもいませんよ。第一に、親がいなければ自分は存在していないんですからね。
 だから、他人に感謝の気持ちを持てない人は、もうそれだけで人間失格ですよ・・・。

私が、気功の訓練をやるのは武術の技を向上させたいからであり、武術をやるのは、自分自身の存在証明みたいなものになってきていますよね。

従って、他人に認めてもらおうがもらうまいが、そんなことはどうでもいいんです。
 もう、私自身の本能レベルで武術をやらずにおれなくなってしまっているんですよ。

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2007/02/22 大太刀カスタムアップ中!

会員さんの刀の拵えが満足いく出来になったので、余勢で脇差の拵えも作った訳なんですが、これがまた職人魂に火がついちゃいましたよ。

三尺二寸五分の大太刀“美火月丸(通称・ミカちゃん)”の刀身の研ぎも再開したところ、何だかウズウズしてきちゃいまして、長巻仕立てにしていた二尺もある柄を取り外して、思い切って、一尺二寸くらいのところで切ってしまいました。

当然、これは普通の刀より多少長い程度にしてみようと思ったからなんですが、刀身の重さを支えるためには長巻状態にしておかないと無理だ・・・と思った昨年とは違って、短くしてみたら案外、扱いやすくなりましたよね〜。

「あ、これなら稽古に十分に使えるぞ」と思って、急遽、柄を作り直すことにしました。

まず、縁金の寸法が小さ過ぎていたのを刀剣店で大きめの金具を買ってきて(一万五千円もしたけど、これでも安い方。平気で三万〜五万くらいするからね。刀道楽って金がかかるね。一日一食にしてでも趣味には金を惜しまない芸術家気質なオレ・・・ってことで御容赦くださりたく・・・って、やっぱダメ?)、これを装着するべく柄に張り付けていた鮫革をべりべりと剥がす。

そして、補強のために巻いていた針金を解き、エポキシパテで固めていた真鍮の板を外し、桜材の柄木を改めて削り直して真鍮板を柄に埋め込んで完成後の握り心地を良くするために、彫刻刀で久々の柄木削り・・・。

桜材は元々堅いから結構大変なんですけど、昔削った樫材よりはマシ。白地のところは比較的柔らかいので削り易いんですが、赤地のところはかなり堅いんで大変です。
 彫刻刀は中学時代から愛用の年期の入ったヤツは研ぎ減りしててかなり刃も丸まっているので、今回、町田の東急ハンズで新品を買ってまいりました。

流石、新品は切れ味が良い。血豆ができることもなく作業完了致しました。道具は良い品を使う方が作業効率が全然違いますからね〜。

サクッと作りたいところなんですが、今回は刀の柄の形にするので、実用一辺倒ではなくて、そこそこの美観に仕上げたいところです。
 東急ハンズでは、皮革売り場で鹿革の焦げ茶ヒモを七つ買ってきて、これを繋げて柄糸にするつもり。これを武道具店で買うと数万円もかかってしまうので、できるだけ安く仕上げようという作戦なんですが、一つが90cmの長さしかない鹿革ヒモなので、これまで短刀の柄に使用したくらい。

「これが何mもあったらいいんだけどな〜」と思っていたものの、ここは現代の強力な接着剤の威力を信じて、繋げてみようと思った次第です(これからやるんだけど、うまくいったらお慰み〜)。

まあ、二月中には完成させるつもりですが、ちょこちょこと改造していく中で武術の技に反映させる工夫ができる点も随分とあります。

今後、游心流の免許皆伝として師範に任命する時は、私が作った刀をあげる・・・ということを本気でやろうと思っております。
 何でか?というと、游心流の武術技法を全部、居合術の中にエッセンスを入れる形で構想しているからなんですね。
 丹田・中芯軸・縮地法・交叉法・読み・体捌き・無刀捕り・多人数捌き・・・等々を居合術の独り稽古で体得していけるような構造で作っているんですよ。
 だから、刀が必要な訳です。初心者は模擬刀でもいいけど、師範代以上は真剣でやって欲しいところです。

正直いって、日本武術は刀のことが解らないと何も観えてこないと思うんですね。
 丹田や正中線とか、先を取るというのは、刀について知らないと解らない面があるんですよ。やっている人達もそこまで奥深いものだとは気づいていないだろうと思うんです。

最近、常連会員さん達が異常に上達してきたのは、居合術をやり始めてからなんですよね。丹田もどんどんできてきて、最早、内功で練られた内力を持て余す程になってしまい、ここまでくると経絡に気を巡らせる稽古をやらざるを得ない訳です。

以前の私は、“気”ということに関しては批判的な立場でしたから、具体的な武術技法そのものについて学びたい人しか残りませんでしたが、正直いって、私自身は“気”について批判的に論じていても別にそれを否定して「存在しない」と主張していた訳ではありません。

ただ、武術の世界では実技を修めずに気功の力で勝てると信じ込んで精神障害に自ら好んで入り込み、結果的に現実社会に適応できなくなってしまう人がざらにいた訳です。
 それも、“プロ”の中にそんな連中が少なからずいたのですから論外でした。
 そういう人達をこれ以上、増やさないためには批判せざるを得なかったのが正直なところなのですし、専門雑誌でそういうものに興味を持つ人達を対象にして記事を作っていく体質そのものに危惧を感じていたのも動機の一つでした。

実際、私もかなり気功的な訓練法は色々と試してきていましたし、“心法”と呼ぶカテゴリーの中で工夫した面はあった訳です。
 しかし、自分では整理がつかなかったので、人には指導しなかった訳です。中途半端にやれば狂人を生み出すだけですからね。

ところが、予想外に、私たちの技術は内家武術の原理そのものになってしまいました。
 十三勢長拳から陳氏太極拳が生まれたように、技法原理が根本から変容してきた訳なのです。ここまで内功が高まってしまうと、気を巡らせる訓練をやらないと逆に危険性が出てしまいます。

幸い、真壁師範代がいてくれたので、私の足りないところは彼が補ってくれているし、游心流健身法は彼が完成させてくれるだろうと私はかなり楽観しています。

そしてまた、常連会員さん達のレベルは急速に私を追い抜きそうになってきていますし、今後は武術界のエディ・タウンゼントを目指していきたいな〜なんてことを思っていたりします・・・(とかいいつつ、まだまだ若い者には負けへんでぇ〜って本当は思ってたりします・・・)。

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2007/02/18 ストアハウスカンパニー公演『Ceremony』

2/17(土)に、最近、土曜日の定期稽古会の場所としてお借りしている江古田駅前のストアハウスの公演の招待状を頂戴していたので、観てまいりました。

もう、3年くらいセミナーや稽古場として使わせて戴いていますが、いつも色々な劇団の方々が公演をやっていて、稽古場を借りている我々が場違いな集団になっているんですけれど、そういえば、公演そのものは一度も観たことが無かったりしている訳です。

もっとも、うちの会でそもそも演劇やダンスパフォーマンスに関心のある人間はいない筈で、皆、根っからの武道バカだったりするのが関の山。それでも、「ダンス系統の動きは武術の研究に役立つ」という言葉を信じて、最近は騙されたつもりでダンス公演にも足を運んできている次第ですが・・・。

それで、今回は私が一人で観に行きました。
 稽古場の上の階が芝居小屋だというのは知っていましたが、入るのは初めてです。土曜日ということもあって席は満席。
 ストアハウスカンパニーの公演は、通常のお芝居ではなく、ボディムーブメントによる抽象演劇であって、舞踏の系列に近い・・・ということは聞いていたんですが、舞踏って、普通、太極拳みたいなゆっくりした動きや静止する動作に特色があります。
 しかし、今回の公演を拝見する限り、非常に動作は激しい。
 烈しく足を踏み鳴らして歩き回る複数の男女・・・。舞台の中央には小山のように積まれた布キレ。一見、1970年代のTVドラマに登場していた夢の島のゴミ堆積を思わせますが、布キレはカラフルで汚い印象はあまり受けません。
 それにしても、膝を高く上げてドスンドスンと踏み付けて歩く演技者の根性は見上げたものだな〜と、ヘンなところに感心してしまうのが健身法を研究している人間の癖です。
 あれだけ強く足踏みすれば脳震盪起こしてもおかしくありません。特に、前田愛似の女性は膝を腰より上まで上げて、脱力してドスン、ドスンと踏み下ろす様子が、中国拳法の震脚の要領になっていて、小柄なのに一番、踏み込む勢いが強烈でした。
 もう、演技というより“修行”ですね。
 そして、布キレにまみれて裸で転がり、立ち上がり・・・ところが、これが全然、いやらしい感じがしないんですね。正直、裸になったりするのを見るのは私は苦手なんですけどね、もう、何というか“無心”で演じられていると、赤ちゃんを見ているみたいな感じなんですね。
 でも、普通の役者にこれを演じてみせろって言われてもできないでしょう。演技を付け足していくんじゃなくて、そぎ落としていくマイナスの発想から出てくる作為を超えたものなんだと感じます。
 それにしても、心身共に限界まで追い詰めるようなハードさと、一時間半くらいの公演時間が、一切のセリフが無く、ずうっと動きっぱなしなのに、短く感じられたのには驚かされました。
 最後は、散乱している布キレの中からズボンやシャツ、靴、カバン、帽子を拾って各自が着ていくんですが・・・これまた、ゴミの山になった中から拾い出して着るというのは、とんでもない大変さだろうと思うと、丸でマジックみたいです。
 音楽も良かった。キイボード演奏のリズムが演技者達の動きを無意識に先導しているみたいで、しかし、でしゃばらない。

本当に素晴らしい!

2/20(火)まで、夜7:30からやっていますから、御関心のある方は是非、どうぞ(夏と冬にもあるみたいです)。

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2007/02/15 合気道と中国拳法を融合研究中

ここ最近、居合術を集中稽古してきてましたが、体育館の稽古で隣りの合気道団体の人数がえらく多くて、スペースが狭くなってしまったものですから、模擬刀を使うのは危ないと思って、今回は体術のみの稽古をやりました。

でまあ、せっかくなんで、これまでは教えなかったような細かいテクニックも色々とやってみました。

まずは、差し手で相手の中心線を取る練習。
 相手のパンチを差して交叉し、そこから肘打ちや崩し、固め技に変化する。
 コークスクリューパンチでクロスカウンターし、更にそのまま相手の腕を巻き込んで岩石落とし、更に岩石落としが効かない時にすかさず裏投げに変更・・・。
 ローキックからそのまま暗腿で崩す。
 前蹴りを差し手ですくい上げながら単鞭で倒す。
 組み手構えの相手に誘いをかけて反応したらすかさず構えの隙間に攻撃する方法等々。

間合を保って突き蹴りの応酬をすると体格差はいかんともしがたいものがあります。
 だから、差し手で接触して安全に間合を潰して密着戦法で制圧していくやり方を具体的に稽古してみた訳です。

無論、これまでも狙いは同じだったんですが、交叉法の読みができて、身体が練れていないと教えてもできない。
 第一に、交叉法って、一番のネックは相打ちするくらいの覚悟が無いと相手の攻撃を見切って入ることができない訳なんですよ。心理的な要素が物凄く大きいのです。

この戦闘理論は絶対的な自分の技量に対する信頼が無いと使いこなせない訳です。不安や恐怖があったら、まず成功しません。
 かといって、自由組手や乱取りに慣れて試合度胸がある人なら大丈夫か?というと、そうでもないんですよ。

どうしてか?と申しますと、相手が素手とは限らないからですし、複数の場合も考えないといけません。
 そうなると、単純な度胸ではむしろ危険なのです。

今、初心者を稽古に混ぜたくないのは、稽古している内容が中級から上級の人向けのものだからです。
 教えて形だけ覚えても何もならないし、できるようになったと勘違いしたら逆に危険だからです。

実際に、今、定期稽古に参加している会員さん達は他の団体だったら指導員クラス以上の人ばかりです。そこに初心者を混ぜたら稽古の質が落ちてしまいます。
 何しろ、以前は教えたくても教えられなかったようなことばかり指導していますし、一年前では考えられなかったような水準になってきました。
 空手・太極拳・中国拳法・合気道・剣術・居合術等が全て融合してきました。
 空手修行者が合気技を使い、居合術を使う。合気道修行者が空手技を使い居合術を使う。太極拳修行者が合気技を使い、居合術を使う・・・。
 なんか、凄いことになってきています。

これまで、私が知っている技のせいぜい1/10くらいまでしか教えたことはありませんでした。吸収できる人がいなかったのです。打撃技・関節技・絞め技・脱力技・崩し技・点穴技・投げ技・受け身・訓練法・棒・杖・半棒・槍・手裏剣・ヌンチャク・トンファー・釵・扇子・暗器・活法・整体・武器の製作・・・等々を全て教えて吸収できる人がいるとは思えなかったのです。
 ですが、今はどんどん知っている限りのことは教えていこうと思っています。
 そうすれば、来年にも、この中から游心流の師範が出ることになりそうです。私の代理ということではなくて、一本立ちする訳です。そして、害の無い形で武術を広めていってくれることを期待しているところです。

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2007/02/15 『どろろ』は怪獣映画

今回の奇跡の実写映画化が実現した『どろろ』ですが、登場してくる妖怪って、何だか怪獣みたいでしたね〜。

ヤシガニ蜘蛛妖怪は『ゴジラVSデストロイヤ』に出てきた第二形態の“デストロイヤ”みたいだし、桜魔人は『ゴジラVSビオランテ』に出てきたゴジラ細胞と沢口靖子?のDNAを組み込まれたバラ怪獣“ビオランテ”? カラス天狗はウルトラマンに登場した高原竜“ヒドラ”みたい。
 大山椒魚妖怪はウルトラマンに出てきた“ガマクジラ”が直立してるみたいだし、尻尾で攻撃するところは“ゴモラ”の雰囲気もありますね。舌を延ばして巻き付ける戦法はウルトラマンAの“サボテンダー”とかウルトラマンタロウの“ジレンマ”みたいだけど。
 赤と青の狛犬妖怪は、これもウルトラマンに出てきた赤い怪獣バニラと青い怪獣アボラスになぞらえていたりするのかも・・・?

そして、原作でも印象深い蛾の妖怪マイマイオンバは、紛れもなく“モスラ”!
 イモ虫状態の七つ子妖怪なんて“幼虫モスラ”みたいだし、食べられた子供達の霊が集合した妖怪なんて、“ミニラ”じゃ〜ん!

醍醐景光に乗り移る四化入道は、鬼と悪魔のイメージが混在してますけど、角の感じとかからするとウルトラセブンのカプセル怪獣“ミクラス”に似てるかな?

そんでもって、両手に仕込んだ刀を使って戦う百鬼丸って、ゴジラと五度も戦った(『地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン』『ゴジラ対メガロ』『流星人間ゾーン』『ゴジラアイランド』『ゴジラファイナルウォーズ』)サイボーグ怪獣“ガイガン”っぽくない?

あっ、そういえば、ガイガンって、水木先生が描いた陰摩羅鬼(おんもらき)をモデルにしているって説がありましたね〜。

・・・ってなことを映画好き漫画家のお友達と電話で話していて、咄嗟に思いつきで喋っていたんですけど、彼は呆れて笑ってました。

彼は『どろろ』が原作に忠実過ぎて御不満だったみたいです。
「もうちょっと、何とかならんかな〜。特にクライマックスはあんな凄い城があるんだから、城の中で対決して欲しかった・・・」というのですが、確かにそこは一理ありますよね。炎上する城の中で『魔界転生』のように魔人と化した醍醐景光が若山先生のようにバッタバッタと誰彼かまわず斬り殺し、そこに全身に梵字を書いた百鬼丸が「オヤジ殿」って現れて・・・(って、それじゃ、『魔界転生』の千葉ちゃん十兵衛だよっ!)。

まあ、柴咲コウがどろろを演じたからには、そこはアダルトな展開があると期待するのが当たり前のところではありますが、柴咲コウは、なんと、原作のどろろの性格、そのまんまの女っ気無し(原作以上?)演技でガハハ女っぷりを披露してくれて、私はこういう方が好きですけどね。『どろろ』で中途半端な色恋沙汰観せられてもね〜。
 百鬼丸が股間蹴られて痛がってる時点で、「あっ、そこは既に取り返してましたか?」って思ったけどね。

そんでまあ、『どろろ』が妖怪映画というより怪獣映画みたいなのは、ゴジラ・シリーズが終わっている中では大変に貴重なことでありまして、原田芳雄の呪い医師が百鬼丸の擬体を組み上げるシーンなんてフランケンシュタイン博士の実験みたいだし、マイマイオンバの卵は『エイリアン』を思わせますし・・・モンスター映画の集大成として評価してもいいんじゃないでしょうかね。

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2007/02/13 日本の政治家はハラが据わってないね〜。

な〜んか、安倍首相の人気下降は気の毒ですね〜。
 小泉さんと比べて決断力が無いとか非難されていますけど、安倍首相のやっていることって、凄く義理堅い人情味ある対応をしているようにしか思えませんけどね〜。

郵政民営化に反対した人達を自民党に戻すとか、失言大臣を懸命に庇ったり、仲間想いで本当に善人っぷりをビシビシ感じますけどね〜。

政治家としては冷酷に人を切り捨てられないといけない場面もあるでしょうから、安倍首相の頑固さは方向性を誤っているように見えるかも知れませんが、でも、私は個人的に小泉さんなんかよりずっといい首相になる可能性はあるんじゃないか?とも思いますけどね〜。

ただ、どうも、安倍首相バッシングの理由は他にあるのかも知れませんね。
 一部の週刊誌で書かれているような宗教団体がらみの問題点があるのかも知れません。

それに、防衛庁がいつの間にか省に格上げされていたり、軍事国家の基盤を密かに築こうとしているようなキナ臭さは感じますよね。この調子だと「徴兵制は国家としての当然のシステムです」とか言い出しそうな人ではありますからね〜。
 石原慎太郎だったら「あったりめえだろっ? 自分の国を護るのによその国に頼ろうって方がおかしいんだよ」って単純明快な正論?をブツのに何の躊躇もしないでしょうが、安倍首相だと「この美しい国を護るために美しく戦いたい」とか、ナイルなトトメスみたいなことをいいそうですからね。

戦争に美しいも糞もないと思いますけどね。戦争は徹底的に単なる虐殺。それ以外の何でもありませんよ。国を護るとか何だとか嘘つくなって話です。国家の利権争いのために国民を駒にしてパワーゲームやろうってだけの話ですよ。
 実際に、何の恨みも無いのに殺し合いやらされる者のことを少しでも考えていたら、戦争なんか絶対にできるものじゃありませんよ。人としてのまともな神経があればね。

私の両親は二人共に中国で生まれていますけど、下手したら残留孤児になりかねなかった訳で、そうしたら私も存在していなかった訳ですよね。
 日本に帰ってからは貧乏暮らしで大変だったとよくいっていました。
 簡単に国を護るためなんていったって、現実に苦しむのは国民なんですよ。現実に戦場で戦って死ぬのも国民。そして戦争をおっぱじめた当の政治家は生き残る。国益を護るために戦争も仕方が無いと言い張るのなら、政治家が人間爆弾に乗って敵国に突っ込め!
 国家を護るために国民を犠牲にするんじゃなくて、国民を護るために政治家が率先して死ぬべきです。爺様達が死んだって、若い者が後から国は立て直すから大丈夫ですよ。
 安心して国民のために死にに行け!
 政治家よ。国のためを思うなら、貴様等が率先して死ね! 国民のために命を捧げて死ね! いつまでも権力の座に居座って生きながらえるより、残り少ない命を国民のために捨てろ! その覚悟がないなら政治家なんかなるなっ!

・・・てなことを書くと、何て過激な・・・って思うでしょ?
 でもね〜。こういう覚悟って昔の日本人だったら普通に持ってたと思うけどな〜。
 主君の横暴を諌めるために陰腹(カゲバラ)斬って、忠告した御家老様なんて、普通にいたと思うんですよね〜。

今の政治家には、「国家のことは考えても国民のことを考える人はいない」という不信感どころか、軽蔑の念しか感じないのが国民の一般的本音なんじゃないでしょうか?
 つまり、究極の利己主義者・・・。政治家って、結局、“金と権力にしか興味のない人達が最終的に目指す職業”でしかないですもんね。そうじゃないとしたら、だったら何を目指してるの?って聞きたいんですよね。

安倍首相の“美しい国”発言に多くの人達が反発したのは、そんな美辞麗句で現実社会の問題点を解決していける筈がないし、「上っ面のごまかしだろう」という不信感しか感じられないからですよ。“育ちが良過ぎて現実が見えていないお坊っちゃま”的な頼りなさを感じるから支持率が急落している訳でしょうね。でも、本当に善人そうだから、可哀想だな〜。あんな国民の命の一つや二つは犠牲になってもどうってことなさそうな小泉さんより人気が無いってヘンだと思うけど・・・。

要は、政治家に迫力が無さ過ぎるからいかんのじゃないでしょうかね? 「俺は国民を護るためには敵国のトップと刺し違えてでも戦争を止めてみせるぜ」みたいな過剰な気迫が欲しいですよね。「敵国が攻めてくるのに備えて防衛力が必要だ」なんて寝ぼけたこといってるようじゃダメですよ。政治家が率先して兵法家になっていないとダメですよ。国を護るんじゃなくて国民をただの一人も犠牲にしないことを最優先して考えないとダメです。そんな考え方のハラの据わった人間ばっかりが政治家になっていたら、よその国から付け込まれたりしませんよ。最高の武器は人間の知性だということを忘れて軍備に頼ろうとする発想が阿呆なんですよ。

やっぱり、頭しか鍛えてないからダメなんだと思いますね。昔の政治家って文武両道の人がいたじゃないですか。
 だから、戦争に負けた後でも驚異的な発展をした訳ですからね。

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2007/02/13 キノコ怪人の呪い・・・

キノコって何か怖いですよね。毒キノコを間違って食べたりするのも怖いんですけど、「人間がキノコになってしまう」というシチュエイションは、数々の特撮ドラマで描かれてきたような気がします・・・。

あの『超人バロム1』でもありました。ドルゲの魔人キノコルゲは、人間をキノコに変えてしまうのです。
 でも、バロム1って、敵の攻撃が全然通用しないところが凄いのです・・・。
 溶解液とか浴びせられても、「そんなものはバロム1には効かないぞっ!」っていって全然平気だし、今のところ、ミイラルゲの蛇に首絞められて弱音吐いたくらいしか敵の攻撃に苦戦してないです。
 ところが、キノコルゲって外見がコミカルなのに、バロム1の攻撃が効かない。強いのです・・・。
 結局、太陽光線に弱いというのが解って撃退しますが、キノコの怪人って、仮面ライダーに出てきたキノコモルグとか毒霧系の攻撃で強いのが相場ですよね。仮面ライダー・クウガ(演じていたのがオダギリジョーであることを覚えている人はもう少ないかな?)も、キノコ怪人の毒で一回死んだんだったっけ?

そもそも、キノコの怪人の元祖といったら、やはり東宝のホラー映画の金字塔『マタンゴ』でしょう。
 W・ホジスンの海洋奇談の短編『夜の声』を原作にし、巨匠ルチオ・フルチの最高傑作といわれるイタリア・ゾンビ映画の最右翼『サンゲリア』の原型ともいわれるモンスター・ホラーの名作が『マタンゴ』です。

無人島に漂着した若者達が、飢餓に苦しみながら人間に寄生して怪物へ変えてしまうキノコ“マタンゴ”の誘惑と戦う・・・という麻薬中毒の恐ろしさを裏テーマとする社会派のホラー映画でした。

一人だけ生き残って都会に帰ってきた青年が語るマタンゴ島の恐怖・・・。そして、誘惑に負けて次々にキノコを食べてマタンゴ怪人へと変身していく仲間を置いて逃げ帰った彼が、ラストに振り向いた顔は既にマタンゴに寄生されて醜く変貌しつつあった・・・という、このショック演出の見事さは子供の時にTV放送で観てトラウマになった人が多数いるでしょうね〜。

この退廃的な映像美は、現実社会で公害問題が大きく取り上げられる前兆みたいな印象がありました。
 この『マタンゴ』の退廃的な空気感を引き継いでいたのが、大問題作『ノストラダムスの大予言』であり『ゴジラ対ヘドラ』だったような気がします。
 そして、TVでは『宇宙猿人ゴリ』の公害怪獣や、『ゲゲゲの鬼太郎』の第二期シリーズの公害問題とからめたエピソード「泥田坊」「雨降り天狗」「マンモスフラワー」「土転び」「すねこすり」「あかなめ」「原始さん」の回や、公害で凶暴化した妖怪を逮捕して地獄に送り返すという設定の『ドロロンえん魔くん』等がありました。

『マタンゴ』の設定は、水爆実験で放射能に汚染された島で突然変異を起こしたキノコから生まれた怪生物・・・というSF設定があるにはあったんですが、放射能で突然変異という設定自体がモンスター映画の常套になっていたので、今となってはウムム〜って感じなんですが、成長ホルモン入りの餌を食べていて巨体化したイノシシ“ホジラ”の実例もありますからね〜(ウルトラQのハニーゼリオン食べて巨大化したモングラーみたいなものか? はっ? またも納得する人を限定・・・以下自粛・・・)。

あっ、そういえば、実相寺昭雄監督の追悼特集で『ウルトラQ・星の伝説』をファミリー劇場で放送していたので観ていたんですが、この作品、一般的にはあまり評価されなかったんですけど、私は昔、観た時に何か凄く感動したんですね〜。
“常世の国”をキイワードに現代文明批判をしつつ、宇宙人の子孫たちが地球の未来に絶望してロケットで宇宙に帰っていく・・・という壮大なドラマを実相寺監督得意の幻想的な夢のような映像美で魅せる。
 古代史ロマンを特集するTV特別番組のスタッフが遭遇する不思議な事件は、『ウルトラQ』よりも『怪奇大作戦』の「京都買います」の雰囲気の方が近い気もするんですが、幻獣としての巨大神獣“薙羅(ナギラ)”がロケットの外側のレリーフになっていたりするところは、ヤラレタ〜って感じがしましたね〜。
 元々が宇宙人説がある遮光器土偶型から銀色の菩薩型に変身する宇宙人マユミが、主人公とほのかに恋をするところなんかも夢の中の出来事みたいでシュールな展開です。
 そんな中でも、私が妙に記憶に残っていたシーンが、天族の子孫たちが海岸で不思議な禊の舞踏をやっているところで、何か突出したインパクトとなって記憶の中に焼き付いていたんですが、改めて観てクレジットタイトルを読んでいてエエッ?と驚いてしまいましたよ。
 この映画の舞踏の振り付けは、あの田中泯さんがやっていたんですね・・・。
 いや〜、この時から私の中では縁が芽生えていたのか〜って、ちょっと新たな感動がありました。未観の方はビデオ借りてきて観直してみてご覧なさいな。

PS;NHK土曜ドラマ『ハゲタカ』に田中泯さんが出演されるそうです。映画は結構出演されてますけど、TVドラマは初めてでしょう。必見!

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2007/02/13 ついにあの、最弱ヒーローが出たっ!

もう、かつてTVの前で、「あちゃ〜・・・何て弱いんだよ、コイツ〜」と頭を抱えて見ていた特撮巨大ヒーロー(ロボットだけど)番組『アイアンキング』が、ファミリー劇場で始まりました。

『シルバー仮面』をやるんだから、その後番組の『アイアンキング』もやるだろうとは思っていましたが、いざ始まってみると、石橋正次のヒーローに、巨大ロボットに変身できる役立たずの浜田光男という図式が何か、斬新です。
 丁度、松田優作と中村雅俊の青春刑事ドラマ『俺たちの勲章』を特撮ヒーロー・ドラマとして再現したような感じで、1970年代の時代性をある意味で最も象徴するような異色のヒーロー物でした。

敵も巨大怪人ロボットを操る忍者みたいな“不知火一族”に、恐竜型ロボットを操るテロリスト集団“独立幻野党”(赤軍派みたいなもんですね)に、昆虫型怪獣に変身するエイリアン宇虫人“タイタニアン”といった三部構成で敵組織が変わる・・・というもの。

アイアンキングは水をエネルギーにしているという設定で、巨大ロボットなのに普段は人間体という不思議な設定です。ですが、凄いのは変身して活動できる戦闘時間です。
 何と! たったの1分ですよ。
 ウルトラマンの3分でも短いし、GAROの99.9秒というのも短いけど、1分ってハンパじゃなく短いっスよ〜。60秒ですからね〜。童貞君の初体験じゃないんだから、勘弁してくださいよ〜って感じですよね〜。

当然、アイアンキングが登場してもすぐにピンチに陥り、ヤベ〜ッてなって、そのまま撤退しちゃったりするんだから、「こいつ、もしかして足引っ張りに出てきたのか?」って思ったりするぐらいなのです(記憶の中では・・・)。

いやね〜。活動時間が短いなら、最初っから光線技ビシバシ出したり、パンチやキックがムッチャクチャ強くて一撃必殺だったりするといいんですけどね〜。
 第一回からして石橋正次のピンチに変身したはいいけど、アイアンキックは躱されるし、結局、バキュミラー倒すのは石橋正次が投げ付けた不知火一族のバッチなんだもん。
 アイアンキング、全然、活躍してね〜じゃ〜ん!
 これだったら、同じ1分しか戦えないのでも、帰ってきたウルトラマンが変身できなくなったウルトラセブンにプレゼントするために持ってきた怪獣ボールに入っていたセブンガーの方が遥かに強かったよな〜(byウルトラマンレオ。スッゲ〜、解る人を限定するコメントですね〜)。

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2007/02/13 変態教師は採用するな!

問題教師の事件が出てくる度に思うんですけど、なんで、こんな変態が採用試験を通ったのかな〜?ということです。

教員資格を持つ人は多いと思いますが、その人達が教師に向いているかどうか?となると、かなり少なくなるんじゃないでしょうか。
 ロリコン、ショタコン、ホモ、おまけに事故死した子供の写真をホームページに掲載するネクロフィリア・・・となったら、そんな人間を教師に採用してしまう側にも問題は大アリなんじゃないでしょうか?

変態(こういう表現自体が差別だと非難されがちですがね〜)にも人権を・・・みたいな論調が性差別問題を考えている人達からは出てきますけれど、周囲に迷惑をかけて問題行動を抑制できない人間の“人権”を尊重して、行動そのものを容認してしまうのはどうなのか?って思いますよね。

この前も知的障害のある人物が子供に大怪我させた事件がありましたけれど、障害があっても自制できるレベルかどうかを判断することは不可能ではないでしょう。事件が起こる前から予測して行動に規制をかける方が現実的だと思えます。

最近、インターネットの問題点が色々出てきて思うのは、変態的な性癖のある人格障害者を野放しにしてしまう環境を与えているってところが一番の問題点なんじゃないか?って思いますね。
 差別するなって反感を煽るかも知れませんが、何か、自分達の人権を主張する前に、マイノリティとしての節度を弁えて住み分けした方がいいんじゃないか?って思います。

例えば、ホモセクシャルが公然と活躍しているファッション業界や、ちょい変態くらいがキャラが立ってて人気が出る芸能界、精神を病んでいた方が面白い文章が書ける文芸の世界・・・。
 色々あるじゃないですか?
 要は、適材適所に置けばいい訳ですよ。

私だって、普通に会社勤めとかはできないタチだし、刀研いだり拵え作ったり、武術教えたり、バカ文章書いたりしている方がいいんだし、今は本当に自分の天職をまっとうしているという実感がありますよ。ある意味で私は自分が立派に奇人変人だと弁えていますからね。間違っても自分が常識的普通人だなんて勘違いはしていませんよ。「奇人変人の割りには意外と常識あるでしょ?」って程度ですよ。

でも、変態が学校の先生やお医者さんをやっていたらコワイですよぉ〜。

あの、捕まった児童ポルノ教師なんて、私の知ってる人に顔が似てて、特に目がそっくりで怖かったですよ。脳の状態は目に現れるものですから、本当にこの教師は野放しにしておいたら危険でしょうし、それなりの治療的対処が必要だと思われます。

犯罪おかす人には一種の中毒性がある場合がありますよね。麻薬や覚醒剤の中毒患者が、中々、それをやめられないのは、依存欲求が生理的なレベルであるから、理性で抑えるのが難しい訳ですけど、それと似た欲求が脳内神経伝達物質の作用で起こっているのが現代医学では、ほぼ解明されている訳です。

この児童ポルノ教師なんて、その典型的な変態性欲の中毒患者みたいなものなんですから、学校の教師には最もしてはならない筈の人物ですよ。
 問題行動を止められない人間ではマズイ。
 本能的欲望を理性で抑制できない者は人間として壊れているんです。治療が必要です。

ある芸能人が盗撮を止められずに何度も捕まったりしていましたが、彼の場合も投薬治療で欲望を制御するしか効果的な対処法は無かったでしょうね。
 本人の責任が無いとはいいませんが、周囲がきちんと治療を受けさせるようにしなければ治らないですし、倫理観が無いと非難したって意味がないんですよ。本人が努力して直そうとしたってできないんだから、ある意味、可哀想だと思いますよ。

私には、そういう自分で自分の始末ができない困った人が寄ってきやすい波動が出ているみたいで、そういう人達を叱ると、逆恨みから嫌がらせ(イタ電・濡れ衣風評・ネット掲示板の誹謗中傷)を受ける確率が物凄〜く高いんですが、そういう人達は自身の変態的病的気質について認識して、しかるべき治療を受けるのが先決なんですよね。
 そのためには、周囲の人達がきちんと状況を認識して本人が治療できる環境を整えて手助けしてやらなきゃどうしようもありません。ネット掲示板ではしゃいでる人がいたら、皆で「病院に行ってちゃんとした治療を受けるべきだ」って説得してやった方がいいんですよ。

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2007/02/11 刀の話・・・

もの書き仕事が小休止中なので、ずうっと放っておいたやりかけの脇差の拵え作りを会員のTさんの刀の拵えのやり直しのついでに、やってみました。

Tさんの刀は室町時代の古刀らしく、戦場で使ったようなかなり大きな太刀だったようで、刀身が随分重くて同田貫みたいな感じです。
 古い刀なので多少の錆び疵がありますが(恐らく、一度、完全に錆びて、研ぎ直したらしい)、そのくらいで折れそうな感じは全然しません。新刀・新々刀・現代刀と斬り合っても折ってしまいそうな重厚な感じがしますし、よくよく刀身を観察すると砂流しや稲妻といった刀身に浮き出る鉄の粒子の細かいツブが出ていて、疵が無ければかなり価値が出た刀じゃないかな〜?と思われます。
 刃紋の幅が妙に狭いのと、茎(なかご)の目釘穴が三つ、不自然に開いているので、恐らくは元々はもっと長くて身幅も広かったのではないかと思われます。研ぎ減りしたのと刷り上げて縮めたためではないか?と思われるのですが、それでも二尺五寸くらいあるので、元々は二尺七〜八寸くらいあったのではないかと思えます。
 反りもかなり深く、既存の模擬刀の鞘や刀屋さんの古鞘で合うものが無かったので、鞘は白鞘を削って作りました。

Tさんは空手道場の師範代格なので実戦志向が強く、模擬刀も同田貫(子連れ狼!)を使っていたので、「頑丈さを優先して作ってください」とのことで、鍔や金具も自分で選んで買ってきていましたので、それを装着しました。
 最初に作った柄は頑丈さを優先してあまり削らなかったので、握りがやたらに太くなってしまいました。それで、ちょっと不格好なのでやり直した訳ですが、柄木を削り過ぎると強度に不安が出てしまうので、針金を巻き込んで鮫革を巻き、柄糸で締めるという具合に作りました。針金を巻いて強度を上げるやり方は剣術師範代のSさんに教えてもらったんですが、そのまま巻くと針金の分が出っ張って見苦しくなるので、今回は三角ヤスリで柄木に針金が埋まる溝を掘って、巻いてみました。これも溝が深くなり過ぎると柄折れの原因になりかねませんから、万事、勘で作らねばなりません。美術品なら、こんなことは考えないで済むでしょうけれど、実用を考慮すると中々大変です。
 刀の拵えを実用を考えて自分で作っている人は試し斬りをやる人くらいでしょうが、据え物を試し斬りにするのと、突然の襲撃者を抜き斬りに撃退するのに適した形に拵えを作るのでは、ちょっと違いがあるような気もします。
 私は無論、後者の立場で考えて自作していますが、操刀法によっても違いが出ると思います。

日本刀で斬る運動は、概ね、背骨を軸とした体軸のシナリで斬るやり方が一般的です。
 これに関しては、伝統的な武術を修行した人はほとんどこれを使っています。剣道家でも剣術家でも軸が直立した上体の姿勢を見れば、この操刀原理をどれだけ体現しているかが割合、容易に判別できます。
 現に、合気道を学んでいたM師範代は、この原理が体にしっかり染み込んでいて、私の操刀法が全然違うので、どうやればいいのか?と質問していました。

私は、体癖上、体軸系の動きはあまり合いません。丹田系の動きの方が合うんですね。
 それで、自然に丹田(重心)の沈身を使って斬撃力を出す操刀法になってしまった訳です。この操刀法は、斬るのにはあまり向いていませんが、刀を用いて戦う場合には、軸線で動くより点の移動で動く分、有利な面があります。
 つまり、線だと横からの攻撃を受けると防ぎづらくなるのに対して、点だと捉えがたくなって、その分、有利に働くからなのです。
 となれば、防御が有利な分、交叉法で使う場合の攻撃は、斬るよりも突く方が使い易くなってきます。敵が動いて攻撃してくる瞬間に合わせ突きをするのが効率的でしょう。

もっとも、やはり、日本刀の操刀法としては、ズンバラリ(白獅子仮面?)と斬りたいところです。これは居合術の交叉理論が大分、会員さんに染み込んできつつあるので、春くらいから試し斬りの練習もやってみようと思っていますが・・・。

さてさて、Tさんの刀の拵えでは、割れてヒビの入っていた赤銅のハバキが唯一、強度面の不安でした。そこで、真鍮製の模擬刀用のハバキをヤスリで削って寸法を合わせて装着しました。これも細いヤスリでゴシゴシと削ってやるのですが、万力とか作業台も無いので手に持ってガリガリとやる訳です。
 慣れてはいるんですが、効率は悪いし手元が狂って指を刺したりするで、この作業をやっていると指先がボロボロになりますね。気がつくと指先に血が滲んでいたりして、知らない間に皮膚が裂けていたりする・・・。
 金が入ったら作業台とか色々買って専用の工房にしてしまおうと思っています。

ハバキもつけ替えて金色の真鍮でググッと立派になった刀身に合わせて、鞘の方も突兵拵え風のコジリと鯉口にも金具を付けているんですが、どうも黒一色でヌボ〜ッとした感じになってしまうので、何か物足りない・・・。
 そこで、塗り重ねた上から蒔絵風に金粉を散らして少々、豪華な感じにしてみました。
 黒地に金色の粒子が散っていると、ちょっと夜空を見上げている感じがして私は好きなんですよね〜。銀でもいいんですけど、金色の方が黒地には映えるみたいです。実用上は無駄な装飾ですが、多少の美観は有った方がいいでしょう。
 また、小ぶりのハバキに付け替えた分、鞘の鯉口がユルユルになってしまったので、エゾバフンウニの空箱を取っておいたものをばらして、寸法を合わせてノミで慎重に薄く削り出した木薄片を鞘の鯉口の内側にゼリー状アロンアルファで接着。完全に固まってから刀を入れてみると、いい感じにピタリと納まりました。適当に勘でやったんですけど、バッチリでした。
 ちなみに、この木片は柔らかいバルサ材だったので、使えると思って取っておいた訳ですが、塩分と水分が残っていると刀身の錆びの原因になるので、表面は削り落として日光でよく乾かしておかないと使えません。バルサを買ってきてカンナで削って使うのでもいいでしょう。バルサ材は適度にクッション作用があるので、鯉口の内側に使うとハバキの納まりがいいし、補修も楽です。
 昔、甲野氏から刀の補修について教わった時は「木製の弁当箱を使えばいい」といわれたんですが、その後、「弁当箱は塩分がついているから絶対に使ってはダメだ」とどこかで書いていました。誰かに注意されたのかも知れませんが、180度、真逆の説を言い出すから、このオッサンは本当に困ったもんです。「間違ったこといって済みません」の一言を付け加えるべきですね。
 でも、塩分に問題があるのなら、それを除いて使えばいいだけの話です。アロンアルファとか合成接着剤を使うのも、ご飯ツブを練って作った続飯を接着剤に使う伝統から考えれば本来なら御法度の筈なんですが、結果の実用上が問題である私達にとっては関係の無い話なんですよ。

ともかく、これでTさんの刀はほぼ完成しました。我ながら、中々、よくできたかな?と思っています。美術品として売れる代物ではありませんが、実用品としては充分でしょう。

これと合わせて、自分の脇差も仕上げました。
 鍔は、以前、短刀に装着していた小ぶりの丸鍔を、またヤスリで茎穴を広げて装着。
 鞘の方は鯉口部分に少し割れができていたので、ここを少し強化しておかないといけません。これはどうしたらいいかな〜?と考えていて、Tさんの刀の柄に巻いた茶色染めの鮫革の余りを捨てずに取っておいたので、これを巻いてみようと思いつき、どうせ鮫革を巻くんだから、その下に更に強化用に針金を巻いてみました。
 あまりそこだけ膨らむとみっともないので、少し削って細くし、そこに針金溝を掘って、針金を巻き込み、その上に鮫革を接着しました。が、針金がちょっと出っ張り過ぎてしまって、鮫革がちょっと寸足らずになってしまいました。
 が、まあまあ、いい感じになりました。鯉口にはちょっと口金とか何かあった方がいいですよね。
 後は黒の新ウルシを塗って、金粉を撒いてみました。

この脇差は、最初に拵えを製作しようとしてから途中で放っておいたんですが、いざ完成すると愛着が増しますね〜。
 これも室町時代くらいの古刀らしいんですが、一尺二寸ちょっとくらいの寸延び短刀みたいな平作りで、素剣と護摩箸という簡素な密教彫刻が入っていて、実用ではなく守り刀として作られたものだと思うんですが、無銘なので作者は判りません。刃紋が村正風で特徴的だったので、鑑定に出したら結構な値打ちが有りそうだったんですが、拵えを作るために茎を削ってしまったので、値打ちも大分、下がってしまっているでしょう。
 けれども、元々が五万円という嘘みたいな安い料金で売られていたものだったのと、私自身が実用を優先しているので、躊躇しないで削ってしまったんですね。でも、元の茎の特徴は村正っぽくて、もしかして・・・なんて思っているんですが・・・。
 段ボールで、ちょっと、試し斬りやってみたら、スパーッて、実によく斬れてビビッてしまいましたよ。今回も製作中にうっかり刀身に指が触れてしまったら、スッと皮膚が斬れていました。深く斬らないで良かったですぅ〜。
 あっ、そういえば、この脇差をSさんに持たせて、私が模擬刀で居合の練習やったんですけど、失敗しないで良かったな〜・・・。

この脇差は少し短いし平作りで重ねも薄いので、実用で使うつもりは無かったんですが、拵えをしっかり作ってみると、何だか頼もしく感じられてきます。鍔も小ぶりの円鍔にしたので、逆手持ちでも使い易くなりました。使い易くなると、やっぱり、使ってみようという気になりますよね。室内戦闘用に脇差を使うのは現代のコンバットナイフの実用思想にも当てはまります。
 でかい大太刀もいいけど、短いコンパトな脇差もいいですね〜。
 ダーティハリーの44マグナムもいいけど、銃身の短いスナップノーズ・リボルバーで戦う『フレンチ・コネクション』のポパイ刑事や『太陽にほえろ』のテキサス刑事やスコッチ刑事、『ソイレントグリーン』のチャールトン・ヘストンなんかも格好良かったですよね。長いのが好きだけど、極端に短いのも悪くないもんです。
 もちろん、『たそがれ清兵衛』で戸田流の小太刀を使う貧乏侍や『忍者武芸帖・百地三太夫』で短刀二本の逆手二刀流を見せた百地一族の忍者を演じていた真田広之なんかを見ると、短い刀をスピーディーに使うのも格好良いと思いますよね〜。
 そういえば、『十兵衛暗殺剣』で近衛十四郎演じる柳生十兵衛が恐怖にびびるという驚きの描写を見せた幕屋大休(幕屋新陰流)を演じた大友柳太朗は、小太刀をずいっと突き付けて相手を追い詰めて、相手の大刀をカキーンと叩き折ってしまう秘技で凄い迫力でしたが、大友柳太朗は古流剣術を複数学んで芸を磨いていたのだそうです。
 近衛十四郎は確かに上手いんですけど、柳生十兵衛が逆手斬りをやったり、実際の柳生新陰流の剣術とは全く違うオリジナルの剣法で、私はちょっと好みではないんですね。
 歴代柳生十兵衛役者では、千葉ちゃんと若林豪さんのイメージが私的にはピッタリしますね〜。あのワイルドな感じが合うような気がする。近衛十四郎は素浪人のイメージの方が強くて豪快で陽気なキャラが似合う気がするのです。息子の松方さんはちょっと遊び人というかヤクザ物のイメージが強いし、弟の目黒裕樹が『柳生新陰流』で演じた十兵衛の方が似合ってたな〜。村上弘明も悪くはないけどワイルドさが足りない。中村獅童は若過ぎました。私は未見ですけど、原田芳雄の十兵衛は見たかったな〜。『それからの武蔵』での藤岡先生やVシネ版『魔界転生』の渡辺裕之は中々良かった。『クノイチ忍法帖・柳生外伝』の小沢仁志は意外と合ったような気もする(森山祐子しか見てなかったけど)。

だから、『十兵衛暗殺剣』でも大友柳太朗の方に目がいってしまいましたし、大友を誉める評論家が少ないのが不思議で仕方ありませんでしたね〜。
 幕屋大休なんて、さして有名でもない剣客(原作シリーズのライバルである疋田陰流の山田浮月斎もそんなに有名じゃないけど・・・)をライバルとして持ち出してくるところも、柳生武芸帖シリーズの外伝としてオリジナル脚本で臨んだところが素敵です。荒山徹の『柳生薔薇剣』に登場する幕屋大休なんて、明らかに『十兵衛暗殺剣』からパクッてたしな〜・・・。

PS;2月24日の大阪公開稽古会では、模擬刀を持っている人は持参してきてください。今回は游心流居合術の理合を使って交叉法の具体的な実用法を説明します。読み・体捌き・位置取り・交叉する角度・間合・攻撃手の死角・・・等々について教えるつもりです。ただ、今回のセミナーは素手の体術も居合術も、応用変化技をどんどん教えるつもりなので、はっきりいってついてこれない人は置いてきぼりになると思います。内容はかつてないくらい超高密度にするつもりです。この先、何回、指導に行けるか判りませんからね。多分、全部覚えられる人はいないと思います。1/10でも覚えて根本的な理合を体感してもらえば充分です。また、模擬刀はケースに入れて持ち運ぶようにしてくださいね。そのまま外を持ち歩いたら捕まりますよ。これは木刀なんかでも同じです。武術道具は外から見えないようにケースに入れて持ち運ぶのが常識です。武術の稽古は屋内か体育館等でやりましょう。無関係な人達の目に触れると不審者扱いされて警察のブラックリストに載ることになります。そうなると、何かの事件が起こった時にあらぬ疑いを向けられかねません。それは、疑われるような振る舞いを日頃からやっていた自分の落ち度なのです。武術修行のマナーについて心得の無い人も意外といるので、念のため。

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2007/02/05 情報を弄んでも益はないですよ

今回も説教編です・・・。

例のPDF書籍を買って「高い。誇大広告だ。返品してくれ」といってきた人のことですが、この人は返品に応じると応えたのに対して、捨て台詞を書いていました。

私が「モラルが無い」というのです。

どっちがモラルが無いのでしょうか?
 電子書籍という、一度売ってしまえば情報が漏れてしまう商品を買って、一回読んでおきながら、「内容が気に入らないから返品してくれ」というのは、ラーメン屋でラーメンを注文して、食べてしまった後で「マズイから金を返せ」と言うのと同じです。
 どんな理屈をつけようが、100%、この人の主張が間違っています。

「商品の内容が宣伝と違う。だから誇大広告だ」と、この人が個人的に思うのは勝手ですし、そこまで私がとやかくいうつもりはありません。
 が、それを「不良品を売っている。モラルがない」と、手前勝手な理屈を押し付けて、こちらの落ち度だと言い掛かりをつける・・・どこに人としてのモラルがあるのか?
 チンピラと変わらないやり方です。

私は“モラルがあるから”武術が悪用されないようにできる限りの注意をしている訳なのです。私の追究している武術は、素手でも武器を使うのでも、“一瞬で敵を殺せる技術”を研究してきています。本来の武術がそういうものだからです。
 だから、一般に公開できることは限定しなければならない。武術の秘伝といったら毒薬の調合の仕方や暗殺用の隠し武器の製作法だったりするのです。それに比べれば、発勁くらいはまあいいか?とも思っていましたが、考えてみたら素手で簡単に人体を破壊する技術なんだから、余計に危険性がある訳ですよね。担当者が「こんなことを公開したらダメですよ」というのも道理なのです。「いや〜、この程度のことは知ってる人間も少ないないし、どうせ、知識として知っていたって使いこなせるヤツはいないだろう?」と答えたんですが、「いや、先生の解説文の通りに練習したらできるようになりますよ。その上で試してみたらどうなりますか?」というので、「う〜ん、そうか〜。なら、ちょっとぼかして書いて、その上で限定版ということにして値段も高くするか。値段が高ければ興味本位の人間は買わないだろう」・・・という具合に決めた訳です。

この人は武術というものの性質を全く念頭におかずに論理展開しています。
 非常識極まりないし、世間知らずも度が過ぎる。悪用されかねない危険な情報に制限をつけるのは、人としての最低限度のモラルなんですよ。一体、この人は、まともに社会生活をしているのだろうか?と思えて仕方がありませんでした。 

私の稽古会だって、段階的に人柄と技量を見極めて指導しているのに、どこの誰だか判らない人が読むものに明らかに殺傷力のあるテクニックだけを細かく書く訳にはいかないでしょう? 読めば判ることですが、私は悪用しないように心構えをして欲しいという話も毎度毎度書いていますよ。それを「モラルがない」って、何を考えて文句をいっているのでしょうか? この人は「酒や煙草に年齢制限があるのは何故か?」といった社会の常識についてきちんと考えてみた方がいい。
 私は無目的に武術をマニアックに学びたがる人は単なる人格障害者だとしか思っていません。だから、そんな人には何も教えたくないし、近づいてもらいたくない。

私、何か、理屈に合わないこと書いてますか?

この人は、私が殺傷力のある改造エアガンの作り方をネットで解説する腐れマニアと同類だとか思ってたのでしょうか? 何を考えてうちの商品を買ったんだろう?
 この人は、一体、武術に何を求めているのだろうか?

担当者からどうしようか?と相談を受けた時に、私は「内容が気に入らないという人の金なんかもらわなくていいよ。価値があると思う人だけが買ってくれればいい。返金して内容を廃棄して絶対に漏らさないように誓約を取ればいいだろう。もし、内容を漏らしたら法的に訴えれば済む。俺たちは自分達の修行が本分だし、研究成果を世の中にきちんと発表していくのが目的なんだから、目的意識も無いのに武術の秘伝を情報として知りたいだけのマニアックな人にかかわっているヒマなんかないし、こんな無礼千万なクレームをつけてくるような人間に好かれるより、嫌われた方がいいよ。この人は恐らく、周囲の人に噛み付くのが習性になっているだろうから、まともな人からは相手にされない筈だよ。だとしたら、この人に誉められたら俺も同類だと思われるだろ。だから、この人が『長野ってのはとんでもないヤツだ』って悪口いってたら、真っ当な人は『へえ〜、こいつがこんなに悪くいうんだったら、きっとちゃんとした人なんだろうな』って思うだろ? 例えば、ネットで俺は評判悪いけど、『こんなに悪くいわれてる長野さんって何者なんだ?』って思った人が俺の書いてる文を読んで、『あれっ? マトモじゃ〜ん』と思って応援のメールくれたりするんだもんね。好きに悪くいってりゃ〜いいんだよ。かまへん、かまへん」という意味のことを答えましたよ。

現実に、PDFやDVDを買って練習して著しい効果が得られた人が沢山いるんですし、入会して熱心に稽古に通ってきている人達の上達進度は信じられないくらいです。
 情報を弄んでいるだけの人が何と非難しようが事実は事実ですから、揺るぎません。

この文句をいってきた人が我々より実力が上だったら、「失礼しました」っていいますけど、実力も無い人間が一人前の口を利ける世界じゃありませんから・・・。
 だから、私は自分より実力が上の人の言葉しか尊重しませんよ。
 傲慢かましている訳じゃありません。武術なんだから当たり前の話。武術の世界に人権の平等はありません。未熟者が先輩や師範にタメ口利いたり意見するのは原則的に許されません。私も上位の人に意見する場合は、ある程度、真剣勝負になることも覚悟していってきましたよ。
 従って、10年も色々な道場で武術修行したというこの文句をつけてきた人の言葉を私が全く信用に値しないと思ったのは、まともに修行している人間だったら、文章にそれが反映されている筈だと考えるからです。

余談ですが、前回のブログを読んだという“セミナーに来た八極拳を学んでいる困った人”として私が例で書いた当人から電話がありましたけれども、この方の場合は、「私は長野さんの気にさわるようなことをしてたんでしょうか?」といわれたので、私も丁度いい機会だから遠慮なく指摘させてもらおうと思って、その人の言動の問題点についてお話しました。すると、「よく判りました。済みませんでした。私はネットで悪口を書かれている長野さんという人がどんな人なのか?と思ってセミナーにうかがっただけで何の他意もありません。失礼しました。今後は陰ながら応援しています」とまでいってくれましたよ。私も大人げがなかったな〜と反省しました。ごめんなさい。でも、きちんと意見が交わせて良かったと思っていますし、自分の問題点を何ら反省せずに相手が悪いようにしかいわない人が多い御時世で、何て潔い人だろうと、ちょっと嬉しかったです。

私、普段はそんなにきついことはいわないように心掛けているんですが、相手が一線を踏み越えてきたら徹底的に攻撃しますよ。それが武術に於ける礼節だと思うからです。

どうも、色々な人と接してきて思うのは、武術をやりたがる人は自己顕示欲が強くて異常に自尊心が強い人が多いってことですね。
 しかし、それらの奥にはトラウマのような劣等感が感じられます。
 それを払拭したいから普通の人なら執着しないような“強さ”や“秘伝の必殺技”とかを追い求めるんでしょう(強がったり自己正当化して相手を一方的に攻撃するのも同じ)。
 現実にそれを体得するのは非常に難しいことだし時間もかかる。
 だから、黒帯や段位、肩書、「名人に秘伝を習った」というステイタスに執着し、それをひけらかしたがる人が多いのでしょう。
 自分に自信が無いから他人の言葉や師匠の名前を持ち出す。
 物悲しいですよ。
 そんなもん有り難がる精神構造が既に負け犬根性ってもんです。

私、発勁も合気も縮地法も丹田開発法も、全て自分で研究して創り上げましたよ。
 名人に手とり足とり教わったことなんて一度もありません。
 でも、色々な技を見せてもらったことはありますし、弟子にも教えていないようなことを口頭で説明してもらったことも何度もあります。
 だから、そういったことを教えて戴いた先生方には全て感謝しています。袂を分かつことになった人のことも忘れてはいませんよ。たった1時間かそこらでも、教えた本人が忘れていたとしても、その時に教わったことが後々、色々な形で実をつけたことは事実としてある訳です。

交叉法はその典型です。これだけは教えてもらわなかったら一生、気づかないままだったでしょう。
 だから、貴重な教えと思って、それらを手掛かりに自分でトライアル&エラーを繰り返して技を作り出してきました。あの・・・私の大大大大っ嫌いな甲野善紀さんのやり方と似ているでしょうね。嬉しか〜ないけど・・・(見世物芸目指してないし・・・)。

その上で思ったのは、「武術は自分の身体と対話しながら感じとっていかない限り、上達はできない」ということです。
 つまり、どんなに情報を寄せ集めても、体感していかなければ何も結果に結びつかないということです・・・。

私は、自分が創作してきた色々な技術が伝統的に伝えられてきている技術に比べて本当に正しいものなのかどうかは、残念ながら判別できません。
 一つの流儀を最初から最後まで完璧に学んだ経験はないからです。全部合わせてもたったの30年だしね〜。

しかし、たかが30年でも自分が研究してきたものが、武術として効果的であるという点では自信があります。現実に効くかどうかという観点でしか追究していませんしね。
 それは技量によっても効果は違ってくるものですが、様々な流派に共通する身法・心法・戦闘理論・術法・・・等を探って原理的に追究すれば、武術にとっての最も重要な根源的なエッセンスが抽出できると考えている訳です。

ただし、流派による独自に発展した技法・術法の価値についても探究すべきだと思って、最近は各派の型の分析研究もしてきましたが、それも一段落ついてきたので、今は游心流のオリジナルの型を工夫している最中です。
 だから、正直、今の時点では部外者を稽古に参加させたくないのです。
 交叉法の意味を理解して、一定水準の技量のある者同士で稽古しないと互いの修練にならないんですね。あまり稽古に参加していない人は、他の人と組ませられないんですよ。せっかく来てくれているから組ませてあげたいところですが、現時点では仕方がありません。悪いと思ってますけど、理解して欲しいところです。
 なので、実は今年に入ってから入会希望者の問い合わせも断っているんですよ。
 内功の訓練も始めているので、「部外者の邪気を受けると困る」という面もあります。

前回も易筋経の訓練をやってみたんですが、呼吸法が難し過ぎて身体に負担がかかり過ぎるから、毎回、一回ずつやって身体を慣らして鍛えようということになりました。
 板の間で受け身の稽古をやるのも初心者にはちょっと耐えられないでしょうし、当面は常連会員だけで稽古して、ある程度までになったら、師範代に初心者向けのクラスをやってもらうつもりでいます。
 従って、私は基本的に初心者にはもう直には教えません。
 公開稽古会やセミナーだけは直接教えますが、まあ、それだけですね。教えるのは嫌いじゃないんですけど、自分と常連会員の技量を上げることに専念した方が楽しいし、目的意識の曖昧な人達に教えるのは苦痛なんですよ。武術なんて所詮は、殺人のやり方を修練するものでしかないんですから、格闘技のようなスポーツ感覚で学んでいたらどこか精神に異常を来してしまうように思うからです。哲学的な思考法のできる人(IQが高くて社会的倫理観を弁えられる人)でないと危険だと思いますね。
 本当に頭の悪い人がやると「敵は殺せ」という発想にしかならないと思うんですよ。

とにかく、徹底的に自分達の武術の水準を上げること。今はそれが第一の目標です。
 広めるのはその後でいいやっ・・・て、ことです。

そんな次第で、PDFやDVDは、本気で上達したいと思う人だけ買ってください。
 マニアックに情報だけ知りたい人が買っても何の面白味もありません。実践する人の役に立つことしか考えて作ってないですからね。で、実践していて疑問に思う点は質問してください。せっかく高い金出して買ってくれた人達なんだから、きちんと上達してもらいたいのです。でも、ある程度以上に危険なことは会員でもない限りは教えられません。
 だって、責任持てないもんな〜。

ちょっと前まで合金製の居合刀で無刀捕りできるのは私と剣術師範代くらいで、他の会員さん達はびびっていたのに、もう慣れてしまっていて何の怯むこともなく、全員、普通にこなしていました。
 スゲ〜な〜。
 私がこれ試したの、1999年に游心流って名前つけて初めてのビデオ撮りした時に試してみて、結構、意気込んでやったものでしたけど、皆、ヒョイッて感じでやれるようになっちゃってるもんな〜・・・。
 私も真剣で無刀捕り試したの一、二回しかないですけど、こりゃあ〜、うちの会員さん達が真剣でやれるようになるのも時間の問題だろうな?と思います。

そうそう・・・真剣の無刀捕りの秘訣は小説に書いたんですね。うちの会員さん達が読んだら武術の秘訣がテンコ盛りになってるから驚いてました。そんな、私が普通の小説なんか書く訳ないじゃ〜ん・・・。
 これも、武術の情報にしか関心の無い人達はスルーしちゃって損しちゃうんですよね。
 武術を学ぶには、芸術や学問や、この世のあらゆる事象の理法に学ぶつもりが無いと所詮は近視眼(おっと、これって差別表現だったっけ?)のマニアで終わってしまうんですよ・・・。

どうも、武術の原型が“兵法”であることを忘れ果てている人が多過ぎますね・・・。

以上、説教、終わりっ!

追伸;ホームページ用に稽古風景撮影してみました。久しぶりに新しい動画です。居合のタイミングの取り方と体捌きの様子を見て欲しいですね。自然体から始める居合というのも珍しいでしょ?

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2007/02/05 ミカちゃん(美火月丸)

やっとこさミカちゃん(大太刀のことです)の支払いが全部終わりました。一緒に刀屋さんに行ったTさんは、超ブ厚い刀身の打ちおろしの脇差を購入することにして手付金を払ってきました。刀身の研ぎと拵えの製作は、また私がやる予定です。何か、結構、手慣れてきて、Tさんから依頼された刀の拵えも、ちょっと柄が太過ぎたり、ハバキが割れているのを交換したり鞘塗りもちょっと直したかったので、もう一週間預かって直すことにしたんですが、柄木を削り直して補強用の針金も倍以上巻いて、柄木が細くなった分の鮫革も少し切って接着。その上から柄糸を巻き直したんですが、最初に作った時と比べるとチョチョイッて感じでできてしまいました。鞘塗りは新うるし塗料とか買ってこないとダメなんで、「それは明日に回して、今日はヒビ割れている銅ハバキを真鍮のハバキとつけ替えることにしよう」と、昨年、水道橋の尚武堂さんで買っていたものの寸法を合わせて金ヤスリでゴシゴシ削って・・・とやっていて、これも小一時間くらいで仕上げて装着できました。少し小さかったのでギリギリまで中の穴を削った関係上、金づちで叩いて装着しました(外すのが大変)。真鍮は金色だからワンポイントアクセントになってカッコイイ! 柄の太さも美観を崩さない程度までシェイプできたので、凄みがググッと増しました。これは鞘もバッチシ仕上げるぞ〜(うわ〜、俺ってば、刀剣職人化しつつあるよ〜)。この刀は室町時代くらいのものらしく、戦場で使われたものなんでしょうね。かなり重くて研ぎ減りしているみたいですが、それだけに実戦向きの戦場刀の雰囲気があります。柄が折れないようにあまり細く削れなかったので、異様に武骨な拵えになっちゃいましたが、刀身にかなり疵があるのに、実戦なら負けなさそうな頼もしさが感じられます。
 刀屋さんでは十文字鎌槍とか仕込み杖用の打ちおろし刀身とか色々あって、我々には目の毒でしたけど、刀好きのお陰で剣術の研究が進んだのは間違いありませんね。

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2007/02/04 『どろろ』は面白いですよ

今年、一本だけ映画が観られるとなったら、私は迷わず『どろろ』を選んでいたでしょう。
 そのくらい期待値が高かった『どろろ』ですが、期待を外さない出来で満足です。

まず、何といってもアクションが良かったですね〜。
 チン・シウトン監督のワイヤーワークと香港クンフーの剣法の動きに、日本の剣殺陣の重厚さがミックスされていて、素晴らしいです。
『武士の一分』のようなリアルな殺陣も良いですが、エンターティンメントとしてのファンタジックな戦闘アクションは、アクション好きな者には堪りません。
 ヤシガニ妖怪やカラス天狗、桜の樹の妖怪、恐竜みたいな大山椒魚妖怪、原作にも登場する蛾の妖怪マイマイオンバと、バンモン・・・。

キャスティングも、百鬼丸の妻夫木聡にどろろの柴咲コウが意外に適役でした。
 観てみるまでは、どうかな〜?と一抹の不安もありましたが、観終わってみると、これ以外のキャストが浮かびません。
 特に、どろろ役の柴咲コウは、大人の設定なのに原作の子供のどろろの雰囲気が感じられます。もう美人女優といったイメージをかなぐり捨てての熱演・・・というか、素に近いんじゃないのか?という気もします。
 大人の設定になることで百鬼丸との恋愛も描かれるのが当然の成り行きだろうと思っていたら、潔く裏切って見せる点が爽やかになります。もう、どろどろの恋愛ドラマみたいなのは観る気がしませんよ・・・。

原作の『どろろ』は、百鬼丸の父親、醍醐景光は徹底してエゴイストでしたが、映画ではちょっと違っていて、中井貴一が陰影のある武将役を実に風格ある存在として演じて見せていました。
 私はどうも中井貴一って好きな役者じゃなくって、時代劇にもよく出てるけれども、何か線が細くて弱々しい印象を受けていたんですが、今回は違いましたね〜。
 いや〜、剣の殺陣が凄くいいんですよ〜。
 すう〜っと腰を落として左上腕に峰をつけて刀を構えるところなんか、中々、隙が無くて遣い手って感じです。
 それまで百鬼丸の超人的な剣技が際立っていて、弟の多宝丸も全然相手にならないんだから、親父も全然、相手にならないだろう・・・と思っていたら、むしろ、技量的には格上の風格があるのです。
 流石、中国映画でも活躍してきた実績は違うな〜と思いました。

それから、どろろ役の柴咲コウが殴るは蹴るは・・・結構、アクション頑張ってます。
 原作の持つ陰惨なところが良い意味で払拭されていて、非常にいい感じです。
 既に原作のクライマックスを描いているので、これ一作で完結という印象もありますが、百鬼丸が倒した妖怪はまだ半分。これは続編にも繋がるのではないか?と思いますね。

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2007/02/01 「武術を何だと思っているのか?」

PDF書籍『発勁を読み解く』を買った人から、猛烈に腹の立つ意見が送られてきました。
 この方は、内容の文章量が少ないのと、既知の情報しか入っていないということでガッカリして、「誇大広告だ」と書かれてきて、ある箇所に『具体的な内容に関しては割愛させてもらいます』と書いている点を「公開される気がないならそういった表記はなさらないでください」とまで書いています。
 購入される方に向けた注意書きを読んでいないことは明白ですが、一体、何を目的にして買われたのか?と不審に感じるばかりです。
 この方は文章の意味をまるで理解しようとしていません。恐らく、自分自身の期待している内容と違うので腹を立てたのでしょうが、私はマニア向けの使えない情報を書いているのではないと何度か書いているのです。『公開できる領域をきちんと明示して、「ここまでは公開できるけれども、これ以上は悪用防止のために割愛する」という意味での断り書きを書いている』のは、読者に対するこちらの『親切心』である点を、全く理解せず、言葉尻を捕まえてイチャモンをつけている・・・という印象しか受けません。
 本当に、久々に激怒しました。

繰り返して書くのは嫌なんですが、もう一度、書いておきます。
 游心流ストアで販売しているものは、「練習して体得してもらう」ということを念頭に置いています。できない人に体得してもらうために必要な練習法を中心に書いているのであって、既に体得している人には無用のものです。使い方に関しては実際に練習しなければ何もならない。だから割愛して書いていない訳です。発勁ができもしない人間に、発勁を効果的に用いるための戦闘法を教えて何の役に立つのか?
 だから、必要なことしか書いてないので、文章量は必然的に少なくなります。無駄な役に立たない知識を盛り込んでも無意味だからです。
 逆に「膨大な情報量が載っているのに何一つ体得の手掛かりが無い」という類いの本の値段と比較して高いといわれたって困るのです。「書いてある通りに練習したら基本が体得できる内容」が13000円で高過ぎると感じる人の神経を疑うばかりです。
 普通に中国武術の道場に通っていて発勁ができるようになるのに何年かかりますか?
 その間にどれだけの月謝を払いますか?
 私は3年も4年も通っているのに、発勁の基礎もできていない中国武術修行者にざらに会ってきました。これは合気も同じことです。
 だから、「体得できる」という一点に絞って値段を設定しているので、この方が文句をいうような法外な値段ではないと確信を持っていえます。

従って、知識欲を満足させたいだけの人には買ってもらう必要はないのですし、その旨、ちゃんと断っている筈です。それを読まずに興味本位で買って、自分の期待と違うから「明らかに誇大広告だ」と言う・・・。
 無礼千万!

はっきり申しますが、私は本気で体得して上達していきたいと考えている人にしか買ってもらわなくていいのです。
 私が思ったのは、「この人は、金さえ出せば武術の秘伝でも極意でも何でも教えてもらえるとでも思っているのだろうか?」ということでした。
 色々な流儀を10年程度経験したと書かれているのですが、それが事実であれば、絶対にこんな考え方にはならない筈だと思うのです。
 この方は、打撃訣等は普通にどこでも教えているとも書かれていましたが、基本的な発勁の打法を体得した上で打撃訣を用いると、冗談でなく殺人的な効果が出てしまう場合があります。発勁の威力が不十分なら教えても悪用はできないでしょうが、まともに打てるようになったら悪意が無くともはずみで打って殺してしまいかねません。実際に、私自身がごくごく軽く打ったつもりだったのに、相手が悶絶してしまったり、下手をすれば殺してしまったかも知れないような事故があったのです。私の教えた人の中には空手のマキワラ棒やスーパーセーフを割ってしまったり、壁に寸勁で穴を穿った人もいます。
 PDFに書いてある通りに練習していれば、それくらいの威力が出せるようになれるのです。
 その威力で打撃訣を使って人を打ったらどうなりますか?
 私も師範代も、その恐ろしさを十二分に理解しているから、「これは限定版ということにしよう」と話し合って決めたのです。それも2時間くらいは電話で話し合いました。
 本当に危険だからですよ。理由はそれだけ。だから、興味本位の人が買わないように、わざと限定版を13000円と決めたのです。

「実践して効果が出なかった」というのなら理解できますが、そういう方には無償でアフターケアのアドバイスもしていますし、無料で個人指導したことも何回もあるのです。
 それを、まるで人を詐欺師かなにかのように決めつけて返品して欲しいと言う・・・。
 文章の書き様は丁寧でしたが、文意は言語道断に無礼千万で、本当に久しぶりに頭に血が昇ってくるのが解りました。

過去にも、この方と似たようなことを平然と口にする人が、何回か入会希望してこられたことがありましたが、全員、断りました。
 断る理由として、「僕は貴方には教えたくありません。貴方は金さえ出せば何でも教えてもらえると勘違いしています。武術は人殺しの技術を教えるものだから、その点をきちんと自覚できない人には教えられません」といっています。
 中には金はいくらでも払うから教えてくれという人もいましたが、その人は陰で私の知人の悪口ばかりいう人だったので、「貴方には教えたくない」と断りました。本人の前でいえない悪口を陰でいう人間は最低です。
 その点は、今回の意見してきた人はまだマシな方ですが・・・。

必殺技や絶招といったものを興味本位の人間に教えても無意味であるばかりか、場合によっては、その人がふざけて試して人を殺してしまったりしたら人生が台なしになってしまいます。無目的に学びたがる神経が私には理解できませんし、そんな有害なものをやたらに公開して誰彼構わず教えて良い筈が無いでしょう。強力に効く薬は副作用も大きく、健康な人には毒にしかならないのです・・・。

私がこういう説教臭いことばかり書くのは、こういう当たり前のことを理解できない人があまりにも多いと思うからです。
 人を殴ったり蹴ったりしたら怪我をしたり場合によっては死ぬかも知れませんよね。
 それが解っていて、何故、無目的にそういう技術を知りたがるのか? 何故、武術を学ぶということの意味を考えず、ショッピング感覚で技を金で買うような気持ちでいられるのか? しかもできるだけ安く、できればタダで教えてもらおうという考えを平然と口にする恥知らずすら過去に何人かいました。私は、こんな不心得者の糞バカとは口も利きたくありません。

私の場合、武術修行しているのは、明確に“護身術”として役立てたいからです。
 他人と強さを競いたくてやっているのではありません。
 自分や家族、友人等に生命の危機が迫った時に救えるようになりたいからやっているのです。だから、一対一で素手でボコボコ殴り合って、やっとこさ勝てるかどうか?というような技術では困る訳です。一瞬で2,3人、あるいはそれ以上の暴漢を抹殺できるような技術しか求めていません。そうでなければ武装した複数の敵から逃れることは不可能です。だから、使える状況ならば迷わず銃を使いますよ。生命がかかっていたら死に物狂いで戦うつもりでいます。動物の戦いというのは本来、そういうもので、人間だけが遊び半分に戦う・・・。

私が日本刀を買っているのも、ナイフを持った強盗が押し入ったきたら、コレで斬ることも辞さずの考えがあります。だから、稽古用のもの以外は、室内戦闘に向いた刀を購入していますし、拵えを自分で作っているのも自分用にカスタマイズした方が使いやすいからです。薙刀も長過ぎるから室内で使えるサイズの柄を製作中ですし、マタギが使う袋ナガサという大型ナイフを買ったのも、これは棒の先端に差し込んで熊槍として使えるものだったからです。今、通ってきている会員さんも、私の武術的な考え方に納得して来られている方が大半でしょう。技術に関心を持って来ている人は少ないのではないかと思います。こういうことを過激だと思う人が日本人なら大半でしょうけれど、生命の危機に関する意識が低過ぎるから過激に感じるだけだと思っています。

が、無論、武術は一生のうちに一度も使わずに済めばそれに越したことはありません。
 武術というものは、そういう日々の修練で有事に備える気持ちを持続させることが最大の効用なのだと私は確信しています。実際に必要とあらば敵を抹殺する覚悟があれば、不必要な腕試しみたいなことには一切、関心が無くなるものです。
 正直、他人と腕試ししたがる人達の気持ちが私には皆目、共感できません。ただ勝つためだったら、拳銃で撃ち殺した方が合理的じゃないか?としか思わないからです。
 スポーツと殺し合いを混同して真剣勝負がどうとか論じる馬鹿とは話す気がしません。
 武道がどうとかヌルいこといってないで、「競技スポーツです」と堂々といえばいいのです。スポーツと武術を混同して武道云々と語るからおかしくなるのです。
 スポーツはスポーツ、武術は武術です。全く別物。両者を結んで“武道”という言葉に総括して酔っ払って権威に走るからヘンなことになるのです。別物と割り切ってしまえば何てことはありません。現代の武道関係者は、もう一回、武の原点に立ち返って考えてみる時期なんじゃないでしょうか? それをやらないから勘違いする人間が続出する。

私が日々練習している居合や剣・手裏剣なんかは全て、生命の危機の時には遠慮なく使うつもりで練習しています。刀屋さんで買う時も実際の戦闘に使えそうかどうか?しか考えません。
 無論、一生、使わずに済めば良いけれど、もし万が一の時に備えて修行するものです。
 発勁にしろ合気にしろ、同じことです。身近に武器が無い場合に素手でできるだけ効率良く敵を倒すための技術です。
 だから、私が本気で使う時は殺すことを目的にしますよ。幸い、今まで一度も本気で使ったことはありませんが・・・。
 殺す覚悟が無いんなら、武術なんかやらない方がいいんです。無目的な興味本位でいたら身を滅ぼすだけです。
 実際にそういう人は腐る程、見てきています。心掛けも無いのに武術に入れあげて「俺はこんな必殺技を知っているんだ」と吹聴して自慢する・・・。
 武術は日々の修練で人知れずに研鑽する裏芸であって、他人に誇るようなものじゃないのです。自分の表芸の人生を支えるためのものなのです。

従って、游心流の戦闘理論に関しては肝心要なところは公開できません。
 公開したら研究されて通じなくなるからです。
 意見をくれた方は、そういうものも載っていると思っていたらしいのですが、そういう考え方をする時点で、既に武術というものを根本から勘違いしているのが明白に判ってしまう訳です。自分の戦闘理論を外部に漏らす武術家なんて、ただの阿呆ですよ。あるいは嘘を書いているのか? 私は戦闘理論をきちんと書いている武術の本なんか、ただの一冊も読んだことがありません。やたらに技の用法解説をしているのが関の山です。
 そういうものを戦闘理論と誤解している人も多いのですが、しかし、そういうマニアックな興味を満足させようとしてきた従来の武術メディアの体質に染まってしまっているのか?とも思われます。
 どこの道場でも、いきなり初心者にその流儀の戦闘理論や攻防の原理原則について教える道理がありません。まずは黙って基礎訓練・基本練習。それを数カ月続けて基本的な体が練れてから、具体的な技の練習に入るのが普通です。自由組手で教えるか、型の分解組手で用法解説をしていくかは、その後の話です。
 ですから、意外なことに、まっとうに道場に通って練習している人は、専門誌を一度も読んだことが無いという人が大半だったりするのです。先生に教えられることを繰り返し練習していくのが精一杯で、技の意味だの何だの考えている余裕がないからです。
 私がかつて仕事を頂戴していた中国武術の専門誌も、読者の大半が実際に練習していないマニアで支えられていました。だから、何年も中国武術の練習をしている人が専門誌の存在を知らなかったりすることもざらにありました。実際、うちの会に来ている人でさえ、武術雑誌を定期購読している人は2,3人しかいないでしょう。現実を反映していないので読む気が失せてしまうのです。

当然、実際に道場に通っていないマニアに衒学的な満足感を与えるような内容を目指して編集しないと雑誌が売れない・・・という現実ができあがってくる訳で、中国武術版ムーといった調子の内容になっていく・・・すると、編集する側も「嘘を書いて読者を騙して悪いな〜」と思う気持ちが多少あったりして、辞めていったりするのです。

そういう、メディアとマニアの相互補助の関係で保たれているのが、武術の業界をこれまで支えてきているシステムなのです。
 ですから、この意見をしてきた方は、打撃訣なんて専門誌でも書籍でも普通に載っているし、町道場や団体でも教えている・・・と書いてこられていたのですが、少なくとも私は知りません。私がかつて『フルコンタクトKARATE』や『武術』で少しばかり書いたことはありましたが、それ以外では「インパクトを高める打法のコツ」という範疇で、愛隆堂の中国武術書籍や『秘伝』等で解説されているのを読んだことがある程度です。
 しかし、これらは基本的に発勁が打てないと本来の威力はでません。更に、使いこなすためには、きちんと段階的な練習で相手の攻撃を捌いて当てられるように練習しないと無駄でしょうし、打ち込むツボや効果的な打ち方、打つ時刻等々、本式に学ぼうとすればとてつもなく膨大な情報量になってしまいます。そういったことをシステマチックに訓練させている道場や団体というものを、私はただの一度も見たことがありません。
 この方が普通の町道場や団体でも教えていると書いている点は、「ホンマかいな? 何か、とんでもなく物凄〜い勘違いしてるんじゃない?」と思わされました。
 修行年限だけを単純に比較すれば、私は、意見をくれた方の三倍(30年以上)ある訳ですし、見て回っている道場や団体も、空手関係で八つ、合気道関係で六つ、古武術関係で十、中国武術関係が十五、拳法系で三つ、格闘技系で五つ、その他の武術が五つくらいは見てきていますし、千人は下らない色々な流儀の人達に教えてきているのです。が、この方がいわれているような打撃訣に関しては「打撃の威力を高めるコツ」として一つか二つは教えていても、それを「発勁のような貫通性のある威力と組み合わせてやるもの」として教えているところは一ケ所も見たことも聞いたこともありません。

無論、威力を高めるコツとして、打撃訣に通じるものを教えているところはざらにあります。例えば、極真空手や正道空手の解説書にそのような効果的な突きのやり方に関する解説が載っているのを読んだことがありますし、ほとんどの流派で普通にやっているような当たり前のやり方が、実は重要な秘訣を隠している場合もあります。
 しかし、それは意味を解明できない限り、真価は発揮できないものです。そういうコツを単体で使っても効力はあまり無いのです。重要なのは貫通性と組み合わせて使うことです。貫通性の出ない突きをあれこれいじっても威力が浸透しなければ意味が無い。普通に思い切りぶん殴った方が遥かに効いたりする訳です。
 こんなことは実験してみたら容易に判明することなのですが・・・。

また、その方は、重心移動やそのための身法が書いてないと書かれていたんですが、私が書いている通りに実践すれば、それが自然に重心移動になることを全く気づいていないようでした。自分の読解力の無さを責任転嫁してクレームをつけているのです・・・。
 何か特殊なやり方を教えてくれると期待していたのでしょうが、私は最も肝心でズブの素人がやってもできる重心移動のやり方に絞って解説していた訳です。体得できないような特殊なことを書いたって意味が無いでしょう。
 知らない訳じゃないですよ。恐らく、大抵の武術家はできないだろうと思えるようなことも私はいくつかはできます(腹で打ったり歩法と合わせて連発するのは、恐らく、できる人は相当に少ない筈です)。しかし、うちの会員でもできないものを解説したって仕方がないでしょう。
 ものには順序がありますよ。

PDF書籍中で解説した重心を乗せるやり方を体得できれば、後は身体中のどこでも重心を乗せられるようになる訳です。逆にいうと、最初の練習で重心移動させる感覚を体で覚えない限り、全く先に進めなくなってしまう。その肝心要で最も重要なやり方を解説しているのに、それを「書いてない」と文句をいうのですから、呆れ果ててしまいます。
 やってみたら効果があることが解るのに、何か特殊な秘訣が書かれているのだと思い込んでいるから勝手に勘違いしてケチをつけている・・・。一生、秘伝を探して無駄な苦労を続けてくださいというしかありません。

過去、うちの稽古会やセミナーを受講してきた人の中には他流派の指導員クラスの人が何人もいましたが、発勁と打撃訣を知っていたのはほんの2,3人しかいませんでした。
 中には20年以上、学んでいて初めて知ったという人もいたくらいです。
 ですから、「町道場で普通に教えていることだ」なんていう人の言葉に私は何のリアリティーも感じないのです。
 一歩譲って、確かに八極拳をやっている人なんかで打撃訣に類することを「普通にやっていますよ」という人もいましたよ。ですが、この人は動きが堅過ぎて威力が浸透してこないので、打撃訣を知っていても効力が出せない人でしたし、それがどのような効果を狙って打つものなのか?という意味も全く知らずにいました。
 この程度の効かない打撃なら普通に受けてもどうってことは無いでしょう。さらにいえば、顔面ガラ空きで攻撃してくるので発勁がどうとかいう以前に、まともに立ち合えば顔面を潰されてKOされるのがオチでしょう。遠慮してくれている相手に打撃訣を使って喜んでいたりして、「こういう人は病院送りにしてやるくらいが勘違いが直って本人のためになるんじゃないかな?」と、一瞬、考えたものでした。
 要は、八極拳の本式の戦闘法を体得していない訳ですね。そういう状態で他流と腕試ししようというのは危険だし、指導してくれている先生に恥をかかせることにもなる。
 そういうことは自覚しなきゃダメですよ・・・と、話したものの、理解してくれたかどうかは解りません。どちらにしろ、こんな甘い考えで他流派を覗きに行くのは団体間のトラブルに発展しかねないので危険なんですよ。私もこの手のトラブルメイカーには何度、煮え湯を飲まされたことか、判りません。セミナーを休止したのもこの辺に理由があるのです。色々な道場を渡り歩くのはロクなもんじゃないですよ。
 意見をくれた方も、もしかして、この程度の認識レベルで意見をくれたのかな〜?とも思うのですが、色々な流儀を合わせて10年くらい経験してきたと書かれていたものの、具体的に何をどのくらい修行してきたのか?ということが全く書いてないので、何とも判断のしようがありませんでした。

先日の小周天セミナーなんかも、従来の游心流セミナーを基準にしたら、かなり高額に感じられただろうと思います。
 しかし、游心流の従来の価格設定があまりに安くし過ぎていたのであって、それによって価値判断のできない人を呼んでしまっていた訳です。
 意見をくれた人は法外な価格と感じた様子ですが、私は全く高いとは思いません。高いと思うなら、買わなければいいのです。価値があると思う人だけが買ってくれればいい。
 本気で体得して上達したいと思う人だけが買ってくれればいいのです。
 他人の知らない知識や情報を収集して悦に入りたいだけの人は、むしろ、買わないで戴きたい。

セミナーもそうです。集まらなければやりません。赤字でやる余裕は無いし、上達したいと思っていない人には、最早、教える気はありません。続けられない人は最初から来ないで欲しいと思っています。
 しかし、本心から上達したいと思っている人なら、必ず期待に応えます。継続して来ている人は絶対に上達させます。今のうちの稽古会に来ている人は他団体の指導員クラスばかりですが、くだらない文句は一言もいいませんよ。実践していれば確実に結果が出てくるのを実感しているからです。
 PDFやDVDを買って練習してみたが、「ここが判らない。どうやればいいのか?」という質問は大歓迎です。
 が、実践しもしないで文句をいう無礼な人は二度と接触して欲しくありません。
 どうぞ、御理解ください。

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2007/02/01 この本は必読!

『剣道再発見』(スキージャーナル社)
 フランス在住の剣道家、好村兼一氏が著した現代剣道に対する叱咤激励の本。
 剣道は武道かスポーツか?というテーマから、世界を視野に入れた剣道の在り方について論述されています。
 技術書ではないものの、随所に稽古法に関する重要な示唆がちりばめられていて、剣道以外の武道をやっている者にとっても益するところが少なくありません。
 従来の規格化されている剣道のスタイルを、否定的にではなく建設的な視点から眺めて、より発展させていくために何をすれば良いのか?というヒントを提示されていて、非常に好感の持てる内容です。
 こういう教条的ではない実験精神で剣道に取り組むことが、かつての剣聖の目指した領域へと向かう道筋を探り出すことになるのではないでしょうか?

『心に響く言の葉』(気天舎)
 太気拳を創始した澤井健一先生の高弟で、太気拳一門のまとめ役的な立場である佐藤嘉道先生が、武道に限らず、これまで出会った様々な分野の有名無名を問わない人達との交流で、心に残った言葉について綴ったエッセイ集。
 当然、武道・武術好きの者にとっては、澤井先生や大山倍達先生といった人物に目がいくのですが、何と、内家拳法の遣い手として日本武道界を震撼させた王樹金先生やその弟子、王福来先生、天真正伝香取神道流師範、大竹利典先生や、警視庁剣道師範の黒田市太郎先生、剣道範士九段、大野操一郎先生、極真空手史上に名高いカレンバッハ先生、中村忠先生・・・といった諸先生方について触れられています。
 その中で、私が読んで一番、ギクッときたのは、P135の『武道を好む学者が自分を高く持ち上げることに喜びを感じ、強くなったと勘違いしてしまう』という箇所でした。
 この言葉は、私みたいに物書きを仕事としながら武術研究をライフワークとしている人間にとっては、最も陥りやすい落とし穴でしょう。
 正直、理論先行で研究していると、武術・武道をガムシャラに頑張って稽古している人達が、もの凄く不合理なことをやっているように見えることがあります。「あんなの簡単に倒せるだろうな〜」なんて不遜なことを考えてしまう場合もあるのです。
 それが自分の力量を勘違いさせてしまう一番大きな罠だと思います。
 この本を読んでいて、言葉もともかく、武道家の写真を観て、う〜ん・・・と唸らせられる箇所がいくつもありました。どんな立派なことをもっともらしく書いていても、写真はごまかせません。
 黒田市太郎先生の抜き付けの写真、大竹先生の抜刀の備えの写真、澤井先生が佐藤先生の前蹴りを差手で切り落としている写真、上段に剣を構えた写真、王福来先生の三体式の写真、佐藤先生の這いの写真、岩間先生と佐藤先生の組み手の写真・・・これらの写真は取り繕った虚言よりも遥かに雄弁に語りかけてくれます。
 武道家の顔だな〜・・・という感慨がありますね。
 無論、武道とは関係のない方々の逸話も興味深いものでした。中でも、生徒の話や、たまたま知り合った市井の人達との交流で感じた“言葉”に感動したというところが佐藤先生の御人柄を表しているんだろうな〜と思いました。

 

追伸;新年会は2/3(土)に私の自宅で夕方7時から10時まで行います。皆で『風のファイター』を観ましょう〜! それから、Tさん。ようやく刀の拵えが仕上がりましたよ〜。とにかく頑丈に作ってくれってことだったんで、柄は相当太く作りました。柄糸も太かったので、妙に図太くなりましたけど、目釘も二本だし針金巻き込んでいるので頑丈ですよ〜。鮫革は茶染めで柄糸は黒。柄糸を外して鮫革巻きだけの方が握り心地はいいかも知れません。お好みでどうぞ。鞘は突兵拵えで口金付きの黒漆仕上げにサービスでちょっと高級な下げ緒も付けてま〜す。反りが深いから太刀拵えの方が合いそうですけどね。

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2007/02/01 日本武道の明日はどっちだ?

あ〜、ついに、日本剣道が歴史的屈辱を喫してしまうとは・・・本当に残念です。
 第13回世界剣道選手権大会で、ついに準決勝でアメリカに敗れてしまったというのですね。12月10日だったそうですが、新聞やニュース番組でも見なかったし、柔道のようなオリンピック・スポーツとの差を見るばかりです。

ここ数年は危なかったとは聞いていたんですが、ついに敗れてしまったか・・・という寂寥感があるばかりです。
 理由をどうこういっても仕方がないとは思うんですが、日本人全体の意識水準が下がっている影響が武道の世界を侵食していっているような気がして仕方がないのも事実です。

この情報は、『剣道・攻めの極意』を書店で読んでいて驚いて、購入してきてじっくり読んだ上のものです。
 韓国がコムドが源流だと主張している矢先に、負けてしまっては絶対にやばい・・・。
 実力で押さえて見せない限り、伝統は侵食されていくものです。
 日本剣道界の発展に何か力になれないかな〜?と思っていますが・・・。

それから、こちらは嬉しいニュースですが、諸岡奈央さんがアジア大会の形で金メダルを取りましたね〜。
 DVD付き空手道の本の取材でお会いしましたが、明るくて可愛らしい人でした。
 それが形の演武になると気合鋭くガラッと変わるところが流石でしたね〜。

私、なよなよした女は嫌いだし、一途に自分の好きなことに打ち込んでる人間が好きですからね〜。しまったな〜。記念写真撮らせてもらえば良かったな〜・・・。

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2007/02/01 『シグルイ』は凄い!

鬼才、南条範夫の『駿河城御前試合』の一編『無明逆流れ』を漫画化した『シグルイ』は、第一作を読んで以降は読んでいなかったんですが、会員さんが貸してくれたので七巻まで読みました。

いや〜、原稿の直し作業があるのに、一気に読んじゃいましたよね〜。
 凄いよな〜、コレ・・・。

この原作って、確か時代劇画の巨匠平田弘史が劇画化したものの、この一作だけは「趣味じゃない」ということで描かなかった・・・っていう、あの問題作中の問題作なんですよね〜。
 で、これを少年誌で連載してるってのがまた凄いな〜。

この作中に登場する虎眼流というのは、私も聞いたことありません。多分、創作だろうと思いますけど、九つの流派が合体しているという戸隠流忍法体術の中に“虎倒流”というのがありますけど、これが割りと近いんじゃないかな〜?と思いましたね。

虎倒流は古流骨法術の流派で当て身技に特徴がありますが、作中でも剣術のみならず、骨子術とか当て身技の描写、それに空転受け身の最中に脇差を抜刀してのけたりする体術系の動きの描写があって、無関係とは思えません。

私は南条範夫の原作の方を読んでいないので何ともいえませんが、諸岡一羽の一羽流とか柳生新陰流、神夢想林崎流、一刀流、富田勢源の中条流、神道流、田宮長勝(田宮流)とかが登場してきて、相当に古流剣術には詳しかったみたいです。
 だから、虎倒流についても知っていてモデルにしたんじゃなかろうか?という気がします。

それにしてもいつもはボケていて、ここぞという時に正気になる虎眼先生のキャラはバキに於けるオーガを思わせますけれど、死に方も素敵過ぎますね〜。

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2007/01/30 今年は本をバンバン書きます

アスペクトさんから出す予定の、第二弾の本の原稿の初稿のチェックが終わって、今、加筆原稿を書いております。

何しろ、打ち合わせ後に一気に二日で400字詰め原稿用紙で360枚分くらい書いたんですが(自分でもビックリ! そういえば小説も15時間で200枚くらい書いたからな〜)、「ムチャクチャ書いたのでかなり直さないとダメだろうな〜」と思って日にちを空けて読み直して一日掛けて訂正したものを編集部に送ったんですが、それでもかなり直しが必要で、やっぱり、あんまり早く書き過ぎるのもいかんですね〜。

読んだ師範代は「面白いです!」って瞳をキラキラさせていってくれたので、武術や武道、格闘技が好きな人にとっては刺激的な内容になっていると思いますが、一般読者をおいてけぼりにしてしまうのでは論外なんで・・・。

また、今回は技術的な秘訣について書くことにしたので、結構、突っ込んだ内容にしたんですけど、どうも、技術論を突っ込んで書くと、私の場合、誰も理解できないようになりかねないので、どの辺りで止めるか?というところが難しいんですね。

特に今回は気功的な解釈も盛り込んでいるので、前作よりかなり怪しい度がアップしております。写真解説載せないと「クルクルクパアが書いたのか?」って疑われてしまいそうです。・・・なので、今回の写真は全部、自分でやってみるつもりです。前作で素人にもできる演芸武術の部分は納得してもらえたと思うので、今回は応用編という訳です。

でも・・・一般の人が読んで理解できて「面白い」と思えるような本って、いうのは簡単だけど実際に書くのは難しいと思いますよ。

武術の本なんて2000部売れたらホテルでパーティー・・・って水準ですからね〜。
 一桁違うでしょ?って感じなんですけど、私の前作もマイナーな分野にしてはよく売れましたねって程度でしかなかったですから、今回はもう少し狙う角度を変えてみました。

しっかしまあ・・・自分でいうのも天狗になり過ぎてますけど、私って、ムッチャクチャに書いて早いよな〜。「一週間に一冊、本書かないと死ぬ」みたいな病気になったら逆に長生きしちゃいそうですよ。これだけは自慢できるかも・・・。
(って訳で、全国のネタ不足で困っている編集者の皆さん。私に仕事下さ〜いっ! 特に漫画の原作やりた〜いっ!)

あっ、そうそう。書いた原稿が全面的に直されてしまうのでは?と思っていたDVD付き合気道本のゲラ刷りを見せて戴いたら、想像していたより直されてなくて、ちょっと安心しました。あのダメ出しの感触だと原型を留めていないんじゃないかな〜?と、すっかりやる気無くしてたんですけどね。多分、直そうとしたけど難し過ぎて戻しちゃったんじゃないのか?とも思いますが、著者の先生が元々、非常に理論的に説明できる先生なので、私の勝手な解説より先生が書いた方が早いんじゃないかな〜?とも思っていたんですけどね〜。何しろ、合気道は内部感覚と理合が占める領域がほとんどなんで、IQ高くないと全然解らないと思うんですね。素人にも理解できるようにってのはどだい、無理な話ですよ。教えてる先生だって全然解ってない人がざらにいるんだから・・・。

今回は、私は役得でしたね〜、ホント。

ところで、最近は常連の会員さん達の上達っぷりが目覚ましく、もう居合術なんて危なげが無くなってきて、余裕すら出てきていますね。これ、居合やってる人が見たらビックリするだろうな〜? これだけ運剣のコントロールができるようになれば真剣でやっても大丈夫でしょう。
 例えば、R流という剣術流派を修行している会員のKさんは素地ができていたから、相手が斬り込むのを躱して抜き付ける動きも滑らかになって、初めてやらせた時とは別人のようです。首里手系空手道を修行しているTさんも相当に上達していて、この二人が練習しているところは横で見ていて惚れ惚れしちゃいましたよ。

剣を初めて持つ人も多かったんですが、もう、稽古している最中にグングン上達していくのが判るんだから驚きますよ。K空手を長く修行していたMさんなんて、やっている最中に見る見る動きが変わっていくから、相手をしていた真壁師範代が唖然となっていました。

この二人組んでの組居合の練習は、間合・角度・タイミングを体得するには絶好です。
 実際に、これを練習するようになってから、体術でも交叉法の切れ味がガンガーンとレベルアップしてきています。

シダックスの講座でも試験的にやってみましたが、こちらは天井がそこそこ高くて鏡張りなので剣術・居合術をやるには絶好ですね〜。中国剣も久しぶりに練習してみましたが、運足と共に手首に付ける中国剣法の秘訣を居合斬りや運剣に採り入れていくと、余裕を持って対処することができる。『笑傲江湖』の独孤九剣の破剣式と破刀式ですな。

よく考えると、私は他流の技をどうやって破るか?ということを研究してきて、それを纏めて游心流と名付けたようなものなんですが、武術家って、自分の技をやたら見せびらかしたがる人が結構いて、私なんて性格悪いから「いや〜、素晴らしいですね〜」なんていいながら、「この人、首が前に出過ぎで背中丸まってるから背後がスキだらけだな〜」とか、「脱力が肝心だっていいながら結構堅いな〜」とか、「この人、動きが途中で切れちゃってるんだけどな〜」とか、「正中線がガラ空き」「残心が居着いている」「間合が近過ぎ」「タイミングの取り方が単調過ぎ」「足が止まってる」「胴体が働いてない」とか、色々と弱点を観察するのが癖になってますからね(誰のことだか判るかな〜? わっからないだろうな〜。シャバダバ〜、イェ〜イ・・・)。

だから、心得のある人は自分の技はそうそう見せません。見せても肝心なところは隠すものです。
 私もそうしています。が、今回の本ではその辺りについても多少は解説しています。
 解説しないと誤解が広まってしまうからです。解ってない人間が解ったつもりになって悪気の無い間違いをペラペラペラペラと書き散らして、嘘を広めてしまうからです。
 誇大妄想に陥っている人間が大バカやって「な〜んだ、武術なんてこんなもんか?」って世間から蔑まれてしまう事態は避けたい。
 それが私にできる武術に対する恩返しでしょうし、実際、武術から学ぶことで現代武道や格闘技を学ぶ人にも、あるいは全くそういうものに関心が無い人にとっても、益することは少なくないと思います。

その一つが、丹田開発でハラを作るということでしょうか。
 実際、度胸がついて物事に動じなくなってきますよ。ストレスに負けなくなります。
 無論、技の威力も倍増します。うちに今通ってきている会員さん達を見てもらえば私が嘘をいっていないことは判るでしょう。当面は少数精鋭でいきたいですね。

さて、2月24日の大阪公開稽古会は、特に丹田開発によってどんな効果が出るのか?ということをやってみたいと思っております。
 謙虚に書くと勘違いする人が多いので明記しますけれど、游心流では現在考えられる最高の丹田速成開発法を練習しています。
 疑問のある人は練習の邪魔なので参加はお断りします。観る目の無い人に教えるのは猫に小判状態だからです。払った金の分の価値があるのだろうか?と考える人もお断りします。あるに決まっているからです。価値があると思う人だけ来てくれればいいです。集まらなければ中止するだけの話。

追伸;定期練習の日時と場所が判らないという人がいますが、ホームページをよく読んでくださいね。

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2007/01/24 いやはや、捏造は困るよね〜。

『あるある』の「納豆で痩せる」は絶対ウソですよ〜って、うちの会員さん達が話していたんですけど、その通りに捏造されていたことが判明して番組打ち切りに・・・。
 人気番組で私も結構、観ていたからな〜。裏切られた感は凄いですよね〜。
 というか、健康に関する情報って、下手をすると危険な訳ですからね〜。そういうので捏造するというのは単なる詐欺じゃすまないと思うんですよ。

TVの制作会社って、次から次に番組を作らなきゃいけないから、本当に大変みたいですし、私も四度程、TV番組の打ち合わせで相談を受けたことがあるんですけど、一度目は番組のADの方で、程なく会社を辞めましたという連絡がありました。元気で新しい職場で仕事されているといいんですけどね。
 二度目は子供向けの教育番組の相談で、いくらかアドバイスした程度ですが、その番組を見たらアドバイスを活かされていて良心的に頑張って作られているんだな〜と感心しました。
 三度目はいきなり「真剣白刃取りをやってもらえませんか?」だったんで、これは危険だと思って断りました。芸人相手にやらされて恥かかされるのがオチでしょうからね。
 四度目は「キム・イルソンが縮地法をやったというんですが、縮地法って何ですか?」という報道局の人からの質問でした。

一昨年、ラジオに出た時は、当然、シナリオがあるものだと思っていたら、本当に芸人さんをブッツケで連れて来られて、驚きましたね。生放送だから、慌てましたよ〜。下手なこと喋ったら全国放送されちゃう訳だし・・・。

NHKの芸術劇場に白州ダンス・フェスティバル2005の様子が放送された時も私達が映っていましたが、出てると思ってなかったんで驚きましたよね。

私のメディア体験はこれだけですが、何か、出版業界にかかわっていた時も胡散臭いな〜と思うことは二度や三度じゃありませんでした。
 情報は、基本的に捏造された部分を含むものだと考えているくらいが丁度いいんじゃないでしょうか。

発信者が正しく伝えても、途中でねじ曲がってしまうことはざらだし、そもそもが発信者が意図的に嘘を流したらどうしようもありません。

だから、嘘を見抜ける人がいないとダメなんですよね〜。週刊誌の存在意義もそういう点にあるんだし・・・。
 でも、納豆業界はえらい迷惑ですよ。イメージ商法の犠牲にされて・・・。

しっかし、不二家もビックリですよね〜。次から次によく出てくるよな〜・・・。
 食品作っているって自覚が無いんじゃ論外だもんな〜。

生産効率を上げることを考えていると多少の杜撰さは仕方がない・・・って考え方になっちゃうんでしょうけど、食品の基本を弁えずに生産効率だけ上げようとしてたら、そりゃあ問題起こるでしょう?

なんだか、問題の根っこは同じみたいな気がしますね。

嘘の情報を流しても、結局は自分の首を絞めるだけの話ですよ。

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2007/01/22 丹田開発DVD撮影完了!

土曜日に、PDF書籍で出している『丹田開発』のDVD版の撮影をやりました。
 何か久しぶりの撮影だったんで、ちょっと緊張しちゃいましたよね〜。

何しろ、「丹田の開発法について」なんで、映像で見せるったって地味っスからね〜。
 武術の技だったら、見せ方はいくらでもあるんですけど、映像で見せて違いが判るのって、お腹膨らませてみせるくらいしかないんですよ。
 ウシ蛙じゃないんだしね〜(でも、やったけど・・・)。

一応、解説して、やり方の注意点を見せて、一通りやったんですけど、何か、それだけだと“お腹フェチDVD”みたい? タモリ倶楽部向けですね・・・。
 で、何とか、丹田の威力が見せられないか?ってことで、“お腹発勁”とか“お腹合気”とか無理やりな応用技を編み出してやってみせてます。
 何だかな〜? もう演芸パフォーマンスとか見せるのも飽きたんですけどね〜。

手伝ってくれてる会員さんには、某立派な空手団体で長く修行していた人とかもいてですね〜。こ〜んなキテレツDVDでお笑いみたいな見世物芸の受けまでやってもらって、申し訳ないですよね〜。
 まあ、これはこれで武術的な応用性ってのはあるんですけど、丹田そのものの威力を見せようってコンセプトでは、いかんせん、見世物みたいなことしかできません。
 そんな訳ですから、誤解されないように祈るばかりですよ。
 シャレの判る大人な方だけ見てください・・・(別にヤラセやってる訳じゃないんですけど)。

でも、「丹田開発の最終兵器DVD」となっているだろうことはお約束できます。
 私も色々な丹田開発の訓練法は見てきたんですけど、こ〜んなダントツで効果のあるものは他には無いと思います。自分でいうのも憚られるんですけど、事実は事実だし、やれば確実に効果は出ますからね〜。
 これができれば、色んな武道をやっている人の実力がググッと上がるだろうことは確約できますよ。
 ただし、若い人がやると絶倫になり過ぎて困るかも知れませんから、中年以降の人がやった方がいいかな〜?

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2007/01/14 放送禁止って何なの?

まさか、40過ぎて『レインボーマン』や『シルバー仮面』や『超人バロム1』が観られるとは夢にも思いませんでしたけど、昔の作品を観ていると、放送禁止用語が多いですね〜。当時は禁止されていなかったのに、その後に禁止するようになったのは圧力がかかったということなんでしょう。

私は観なかったんですけど、NHKの紅白歌合戦でDJ・OZMAの歌のバックダンサーが裸みたいなボディスーツで踊って大騒ぎになった・・・というのも、いや〜、大変ですね〜って感じですけど、NHKに抗議が殺到したっていうのも、神経質な日本人が多いんだな〜って印象しか残りませんね〜。NHKは品行方正にしなきゃいけないとか思っているのかな〜? 政治家の不正な金の使い方を責めるマスコミも、変だと思いますけどね〜。私はメディアに品位とか求めないし政治家に正義があるとか夢にも思わないですよ。
 阿部首相が「美しい国“日本”」とか言ったって、その言葉をまともに信じる人がいるんでしょうか? そもそも今の日本人に“美しさ”って概念が認識できるのかってことからして疑問ですけどね・・・。欺瞞と偽善をプンプン匂わせる人なら星の数ほど見てますけど・・・。

ところで、バロム1を観ていたら、予告編で「発狂魔人!ミイラルゲ」ってタイトルが出てきて、思わずのけぞってしまいました・・・。いきなり“発狂魔人”ってのはキッツイな〜と思いましたけどね〜。ここまで言い切っちゃうとハハア〜ッ!って頭下げたくなります。

そういえば、1970年代以前はキチガイ・ネタが多いです。
 ドロロンえん魔くんの「きちがい竜魚の怒り」の回はタイトルロールが書き換えてあるし、『ジャンボーグA』の主人公は口が悪くて「けっ、あのキチガイめっ!」とか罵ったりするし、『レインボーマン』の主人公は死ね死ね団の発狂薬キャッツアイを飲まされて通行人に抱き着いたりビルの屋上から「魚が飛んでるよ〜」と叫んだり・・・、何かスゴイです。

ふと思い出しましたけど、去年だったかな〜? 相模原駅のプラットホームで電車が来るのを待っていたら、中年のオッサンが独りでゲラゲラ笑ってブツブツ何か言っていました。どうも、気功とか武術とかの単語が断片的に聞こえて、師匠から「お前は魔境になっていると言われた・・・」とか何とか早口で喋りながら“笑いながら怒っていた”んですが、あれって、クンダリニーが頭に溜まって脳内にドーパミンが出過ぎているみたいで多幸感に浸って楽しくてたまらなかったんでしょうね。

嘘か本当かは知りませんが、現代人の五人に一人は鬱体質で、百人に一人は統合失調(分裂)体質なんだそうです。確かに、そのくらいの頻度でいるみたいに思えますね。
 鬱体質の人って著名人にも多いし、統合失調体質の人は武術の世界にはやたら多いですね(ホントに多いですよ。精神を病んでいなかったら変態とか?)。そういう体質の人が興味を持つ要素があるからなんでしょうけど、廃人になるから手を出さないのが賢明ですよ。本当に、取り返しつかなくなるから、止めておきなさいよ。

他にも、役者とか作家とかには精神を病んでいるタイプの人が多いですけど、それが個性になって役立っていれば恩の字ですからね。

まあ、変人と言われて喜ぶ人は少ないでしょうけど、私は変人と言われても全然、気になりません。事実だし。オタクと言われても気にならないですよね。事実だし。
 私は、事実に関しては何言われてもハラ立ちませんよ。
 でも、嘘つきだと言われるとハラが立ちますね。かなり嘘言わないタイプですからね。人間関係で揉めるの嫌で我慢して他人の嘘に付き合ってあげたこともありますけど、本当に自分の立場を護るためだったら平然と嘘つく人間がいるから驚きますよ・・・。
 裏表のある人とは付き合いたくありませんね〜。

キチガイ・ネタの金字塔としては、やはり封印された作品『怪奇大作戦』の「狂鬼人間」の回がありますが、先日テレ東深夜に放送された『マスター・オブ・リアルカンフー大地無限(原題・太極張三豊)』も、ジェット・リーが仲間を殺されて精神を病んでしまう描写がありました。しかし、ミシェール・ヨーと道教の道士の看病で治癒し、その過程で拳法の原理を悟って無敵の拳法“太極拳”を編み出すのです。

さて、放送禁止の他のものとしては、障害者差別に繋がるものが多いですね。
 メクラとかオシとかツンボとかカタワという言葉はマズイというものですが、今、CSでは座頭市が人気があるし、『神チョウ侠侶』の主人公は後半に片腕になるんだけどな〜と思うと、どこまで許容できるのか?って問題なんでしょうかね〜。

若山富三郎先生の『唖侍鬼一法眼』の放送時はタイトルは変更され、クレジットタイトルから“唖”の文字が隠れるようにトリミングしてありました。
『シルバー仮面』の「シルバーめくら手裏剣」の回はどうすんのかな? 『妖怪人間ベム』のリメイク版はベム達の人間体の時は五本指になってたし(変身すると三本になる)、『どろろ』なんて映画化されちゃったからな〜。

障害者のヒーローって言えば、丹下左膳がいるし、柳生十兵衛だって隻眼なんだし(実際はどうか判らない)。

この手の身体的差別に関するものって、どの辺で線引きすればいいのか分かりにくいですよね。チビ・デブ・ハゲ・ブス・・・際限なくありますでしょう? それらを一緒くたに含めてキモイの一言で言ったりする女子の言語感覚の貧困さは別に構わないけど、何か、本当に上っ面しか見ない人が多いんじゃないのかな〜?って気がして仕方がありません。

『武士の一分』が感動的なのは、健常だった頃は漫然と生きていた夫婦が、夫が盲目になったことで劇的な変化があって、それを夫も妻もそれぞれに乗り越えて本当の絆を手に入れる・・・という過程が良かったと思うんですよね。

死ぬか生きるか?って避けられない状況に遭遇して、それを乗り越えた瞬間に開けてくるものがあるんですよね。
 だから、漫然と平穏に楽に暮らせればいいんだと思ってる人達って、何か可哀想な気もするんですよね。

だから、何で差別されることを怖がるの?って思うんですよ。
 作品作る側だって、差別を重要なテーマとして作品作るのって社会の中で生きる人間にとって大切なことを考えさせる切っ掛けになるんだから、そんなに自主規制していてどうすんだよ?って思う訳ですよ。

山田洋次監督なんて『フーテンの寅さん』でフーテンという差別言葉の禁忌を払拭してしまったでしょう? 伊丹十三監督だって『あげまん』という言葉を当たり前に世間に浸透させちゃった。宮崎駿監督なんて『千と千尋の神隠し』の裏テーマが少女売春であることを指摘されて堂々と認めたってんだから大したもんです。映画監督にはゲリラ的精神が無きゃあダメですよ。

障害者差別の問題について運動している人から聞いたことなんですが、障害者は特別扱いされて哀れみの視線を向けられるのが一番苦痛なんだって言うのです。確かに、私もそう思うだろうな〜と思いますよね。

何だか、テレビの放送禁止用語とかって、臭いものに蓋をして知らないフリをしているだけでしょう? そういうのは“言葉狩り”という、更に胡散臭いものに発展するだけなんですからね。

でも、言葉は自分の気持ちや考えを他者に伝えるものなんですから、やはり甘く考えてはいけないですよね。口先だけの美辞麗句や傲慢さや考えの浅さがかいま見える言葉って、発した人間のレベルをさらけ出してしまいます。その怖さは知らなきゃいけないと思うんですけど、解ってない人が多くなってきている気がします。

何か、苦労を知らないと言うか、世の中の怖さを判ってないと言うか・・・。
 だから、目前に現実の厳しさが現れると途端に萎縮して自信無くして、自殺したくなったりするんじゃないですかね〜? ぬくぬくと温室育ちしているとそうなってしまうんでしょうね。やっぱり、若いうちに苦労した方が絶対にいいんですよ。

追伸;PDF書籍で出ている小説ですが、会員は必読です! 読まない人は破門!(マジです・・・)

追伸2;アスペクトさんから昨年出た『あなたの知らない武術のヒミツ』の姉妹編の本の出版がほぼ決まりました。今回は、“武術の秘訣”について書いてみます。前回が基礎編だったので、今回は応用編という訳ですけど、基本練習の意味とか、技の秘訣、戦闘理論、心得等については、案外、どなたも書いてないんですよね〜。前作と併せて読んでいただくと有り難いです。特に、空手・合気道・中国武術・居合術等を修行している人には読んでいただきたいですね。それらの上達法や戦闘理論の活かし方についても書きますよ。

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2007/01/11 ストリートダンスは凄いっ!

ダンスに興味を持った最初は、芝居の殺陣で女性ダンサーに教えていた時に、私が二年くらいかかってようやくできるようになった技を一目観ただけであっさりと体得されてしまった事件が切っ掛けでした。

これは侮れないと思って、以後、こっちはダンスから武術に応用できないものか?と思ってきましたが、お陰で田中泯さんのダンス・フェスティバルに呼んでいただいたり、かなり研究が深められました。

ところで、深夜番組で『スーパーチャンプルー』ってやってますけど、皆さん、これは観た方がいいですよ〜。人間がこんな動きができるのか?って感じで驚かされます。
 もう、こういうのを見ていると、武道やっている人達の身体の動かなさったら、絶望的ですよ。もう、ガッチンガッチンでギクシャクしてて悲しくなります・・・。もっと、軽く柔らかく俊敏に動けないとダメですよね。ただし、重さと瞬発力が使えないとダンスそのものの動きでは武術にはなりませんが、これは教えたら一発でできますからね〜。

私が好きなダンサーは、“ひとりでできるもん”。ユーモアがあっていいです。昨年の白州ダンス・フェスティバルにも参加していたらしいのですが、日程が合わずに見れませんでした。残念〜。

さて、この番組は色んなダンサーのランキングを決めていますが、中でスーパーストロングマシーン一号二号という親子ユニットがいて、正体不明の一号の正体を暴く・・・ということで出てきたのが、何と、私が武道医学で一緒に学んだ村上祐尊さんではないですか?

たまげてしまいました。
 そういえば娘さんがあれくらいの年齢になっているだろうな〜?と思うものの、日本人で初めてムエ・カッチューアと闘った格闘家で沖縄松林流空手道の師範。そして、武道医学を学んだ後には古武術を中心に修行されていた・・・というところまでは知っていましたが、まさかその後、ストリートダンスまでやっていたとは〜?
 本業はお坊さんだし、しかも真言密教の・・・。

あ〜、本当にビックリしたな〜、もう・・・。

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2007/01/11 浪人生が妹殺した事件について思うこと・・・

最近、猟奇的な事件が増えてるとは思っていましたが、この事件もかなりヤバイですよね〜。もう、ホラー映画みたいですね〜。
 エリート歯科医一家で起こった猟奇殺人事件って、この浪人生の兄ちゃんの顔もヤバイけど、エリート一家で自分の個性を開かせていこうと芸能の道を目指した妹の気持ちも哀れな感じがします。

でも、これは妹がアパートでも借りて一人暮らししていれば起きなかったと思います。

例えば、私も両親は学校の先生でしたから、もしも実家に戻っていたら親のコネでどこかに就職して普通に結婚して退屈な生活を送っていたでしょうし、何度もそうなる寸前までいきました。
 けれども、遠くに住んでいたから好きに生きてこられた訳です。私は何よりも自由に生きるのが一番の理想ですからね。

だから、自分の夢を持って生きようとしていた妹さんが本当に可哀想だなと思います。
 このお兄ちゃんも犠牲者と言えば犠牲者でしょう。先の見えない浪人生活で歯科医を目指すのも三年となると流石に疲れますよね。私も二年浪人したからよく解ります。浪人すると出口の見えないトンネル歩いている気分になっちゃうんですよ。
 今だったら、別に大学出ることに意味を見いだせなかったら別の道を選べるんですが、その時は「それしかない」という気分で思い込まされてしまうんですね。だから、思い込みで浪人して大学入った後は目標を見失ってしまって、私は一年間アパートに籠もって宗教哲学の本ばっかり読んだりしてましたよ。

もちろん、事件起こした彼に同情はしませんけど、どこか彼は自分や妹を追い込んでいるエリートの親に対する復讐心というものもあったんじゃないか?と思うんですね。妹を惨殺した後の行動が明らかに変質的ですが、そんなことをすればどうなるか?という判断ができないほどではなかったでしょう。
 哀れなのは残された家族ですよ。家も仕事も全てさらけ出されて、前途多難じゃないですか? 犯罪起こすのは、明らかに本人の問題なんですけど、現実には犯罪者と関わりのあった者にまで被害が及ぶのです。だから、復讐するは我にありってことですね・・・。

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2007/01/10 2月大阪公開稽古会の予定

東京の方では当面のセミナーや公開稽古会はお休みすることにしていますが、大阪では続けてやろうと思っております。

12月の健身法セミナーは中々、内容が濃かった様子ですが、2月の公開稽古会では、交叉法と合気的な崩しのテクニックについて特に集中して指導してみたいと思います。
 やっぱり、武術なんですから、相手の力に力で対抗するのはマズイでしょう? 大阪支部は基本はしっかり練習しているので、今後は徹底的にテクニックを指導していこうと思っています。

人間は体勢が崩れれば攻撃力も防御力も大幅に半減します。だから、「死に体」という言葉がある訳ですが、通常の武道や格闘技の試合を見ていると、この「死に体」の観念がほとんど無くなってきているように思えます。
 双方が、十分に攻防の実力が発揮できる間合いに足を止めて、急所を晒したまま打ち合う姿を見て喜ぶ素人・・・。さらに、そのおかしさに最早気づかなくなっている専門家も少なくないのですから、空しさが倍増するばかりです。

大晦日のK−1を観ても、キッドと須藤元気(引退はもったいないね〜)の試合くらいしか個人的には楽しめませんでした。あれは格闘家の洗練された技を見せたいのか、キャラクターの対決だけを見せたいのか、意味が判らなくなってきましたね・・・。

まあ、そんな訳で、2月の大阪公開稽古会は、もう原理的な技の解説ではなくて、一歩進めて実用の武術技法の秘訣について指導していくつもりです。ですから、初めて参加する初心者の方は、申し訳ないんですけど初心者同士で基本だけ練習してもらうつもりでいます。そうしないと経験者の練習が先に進められないからです。発勁や合気は既にできるものとして稽古を進めますから、体験希望の方は大阪支部の通常の稽古会に参加して、基本錬体法や初級対錬のやり方を覚えてから参加してもらうようにお願いします。

セミナーの時はお客様扱いする部分がありましたが、今後は稽古会として参加者をお客様扱いはしませんから、真面目に参加してきている人の迷惑になる人は参加をお断りしますし、指示に従わない人は即刻退場していただくつもりです。

こういうことを書くと「うわ〜、厳しい人だな〜」と思われるかも知れませんが、武術なんだから自分勝手なことをやれば危険な訳です。参加者に怪我をさせないようにしなければいけないし、その第一番目に必要なのは、怪我をしないように注意する意識が有るかどうか?ということです。だから、ふざけたり考えなしに自己中心的な態度で練習する人間は本当に危ないのです。周囲に気を配るのが武術の第一歩です。

私の中学時代は校内暴力で大変でしたが、やっぱり、勝手なことをやらせてしまうのは指導者失格ですからね。周囲の迷惑になる人には厳しく対処するのが義務ですし、いい大人になって自分勝手な振る舞いをするのは常識が無いでしょう。だから、こういう点はしっかり明記しておかないとロクデモナイ人間が入ってきてしまうのだと思っています。

それでなくとも、「金を出しているんだから、教えるのが当たり前だろ?」みたいな腐った精神構造の者が武術の世界には結構多いのです。私は、そういう人間には今後は絶対に容赦しません。たとえ少数でも、技量も人格も優れた人だけを育てたいし、そのためには優しい顔だけしている訳にはいきませんからね。それに、くだらんヤツと話していると気分が悪くなるんですね。この正月にも、陰で人の悪口言ってるヤツが友達気分で電話してきたので「ふざけんな、このヤロー、二度と電話かけてくるなっ!」と怒鳴っちゃいましたよ。裏表のあるヤツが一番嫌いです。本当の友達だったら、時には厳しいことも指摘するもんですし、「男だったら、思ってることを堂々と言えっ!」と言いたいです。陰で人を陥れるような真似ばっかりする、オカマの腐ったようなヤツが多くて、武術業界は本当に嫌な業界ですよ・・・。

武術業界にロクデモナイ人間が少なからずいるということはさておいて、武術の危険性というのは、第一に「全てが自分に返ってくる」という点があるのです。これを甘く考えている人が物凄く多い。
 その結果として、犯罪者になったり精神を病んでしまったりした人が少なからずいるのですから、節度を持って修行しなければいけません。

特に気功的な訓練は、体質によっては“精神病養成訓練法”になってしまう危険性のあるものです。この点を全く理解せずに、むしろ危険性のある体質の人ほど、興味を抱いて取り組んでしまうケースが非常に多いのです。私が指導した中でも10人くらいはそんな人がいました。こういう人は、気功で治そうと考えるようですが、まず治りません。むしろ、悪化します。だから、止めた方が絶対にいいです。私は、高い効果はあるものの、人によっては精神分裂症状を起こし易い立禅に代わる訓練法を今、考えているくらいです。
 はっきり書いておきます。立禅は“分裂気質”の人は絶対にやらない方がいいです。90%以上の確率で精神科の厄介にならねばならなくなりますよ。これはドーパミンが分泌過剰になって、脳の本来繋がるべきでない箇所が繋がって、幻視・幻聴等の幻覚が発生して現実感覚を失う覚醒剤中毒症状のような状態になってしまうからです。一度、こうなればフラッシュバックが起こるように脳に回路ができあがってしまうので、中々もとに戻らなくなってしまうのです。

腕が上がり、肩書がつくごとに、自惚れて自分を見失う危険があるのも武術の世界の問題点です。後進を見下し、実力の乏しい先輩を嘲り、実力と才能を持つ者を妬む・・・そういう邪心に捕らわれることが武術修行者には誰しも経験があるでしょう。でも、こういう邪心は必ずいつか完膚無きまでに粉砕されるものです。
 その時に目を覚ます人と、より以上に邪心を膨張させる人に分かれるものですが、後者はろくな最後は迎えないでしょうね。

そんな訳で、2月の大阪公開稽古会は、真摯に道を求める人の参加を願っています(それから、多分、当日は新作DVDも販売できると思います)。でも、体力的には無理のないように進行しますから、御心配なく・・・。

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2007/01/09 予定変更! 次回は武侠小説書きま〜っす

怪獣が出てくる時代小説を書こうと思っていたら、時代物のお約束として色々勉強しなきゃいけないということに気づき、ストーリー構成を考えている最中に、早くも行き詰まってしまいました。

で、編集からのアドバイスで予定変更。
 以前から考えていた日本武術と中国武術の対戦物をやろう・・・ということになりました。

一応、現代劇のアクション・ファンタジーなんですが、山田風太郎の忍法帖シリーズ最高傑作『魔界転生』と、『ゲゲゲの鬼太郎』の妖怪反物の回(金毛玉面九尾の狐の弟、中国妖怪チィが日本妖怪を征服しようとして襲撃してくる話。アレッ? 待てよ・・・九尾の狐って元々はインドから渡ってきた妖怪だったような・・・?)、そして『幽々白書』の暗黒武闘会編をゴチャ混ぜにして『バキ』っぽくしたような話です。

けれども、私の脳内ではキャラクターが空中を飛び交いながら剣をふるっている様子がイメージされていて、アクション監督はチン・シウトン(『どろろ』が早く観た〜い)ですね。

先日、町田のブックオフで買った『笑傲江湖』を読んだり、チャンネルnecoで始まった『神チョウ侠侶』TVシリーズや、『天龍八部』を映画化した『シスター・オブ・ドラゴン』を観たりして、新たに金庸の武侠小説の面白さにはまっちゃってるんですね〜。

処女小説にも武侠小説の影響が出まくってしまったし(夢枕貘の影響も・・・)、これはもう日本版武侠作家を目指すしか道はないかも?
 特に、小説の中で最強の悪役キャラを考える時に参考にしたのは、『笑傲江湖』の東方不敗でした。映画版『スウォーズマン女神伝説の章』でブリジット・リンが演じ、それが『機動武闘伝Gガンダム』の主人公の拳法の師匠にもなったキャラでした。ネタバレになるからこれ以上は書きませんが、第三部だけの登場の予定だったのに、第四部も再登場して結果的に敵の親玉よりも強いという設定になってしまいました。でも、このキャラにも実在モデルがいるというのは誰も想像がつかないでしょうね〜。

昨年末はジェット・リーの出世作ワンチャイ・シリーズ(南派拳法の英雄で、必殺技“無影脚”“鐵線拳”が有名な洪家拳のウォン・フェイフォンが活躍するシリーズ)がCSで放送されていたり、テレ東深夜に太極拳の始祖として知られる張三豊(伝説だから仮託ってことですけどね)を描いた『マスター・オブ・リアルカンフー大地無限』を放送していて楽しんで観ました。ミシェール・ヨーとジェット・リーの共演って、多分、これだけでしょうけど、『映画秘宝』のインタビューでジェット・リーのことを聞かれたヨー姉さんは意味深に笑っていたみたいですけど、もしかして・・・? そういえば『シルバーホーク』もnecoで放送してるけど、『サユリ』と同時進行でこういうB級アクション物を自分で企画して主演するヨー姉さんの男気(というかコスプレ好き)は立派です!

あっ、それから藤原紀香の『スパイ−N』も観ましたけど、結構、頑張ってましたね。
 国際派アクション女優として売り出そうと思ってま〜すって、プロデューサー根性が全然隠されてないのが男気を感じます。でも、もう峰不子を演じることはないでしょう。まさか陣内と結婚するとは・・・。
 お笑い系の人って美人女優と結婚する率が高いですよね〜。タカさんが鈴木保奈美でノリさんが安田成美・・・案外、美女ってイケメンと結婚しないもんですね〜。むしろ、面白い人と一緒にいる方が安心できて気楽なのかも知れませんな〜。そういえば、ムスッとした美女よりニコニコして愛想のいい女の子の方が好感は持てるから、一緒か? でもな〜、女は裏表が激しかったりするからな〜(って、男でも一緒だよね?)。

ちなみに全然関係ないんですけど、朝の日テレのズームインSUPERを観ていて、お天気お姉さんの伊東凛さんが不二子コスプレをしていましたが、これが似合い過ぎていて目がテンになりました。それ以来、天気予報見ていて凛ちゃんが峰不二子に見えます。

でも、この『スパイ−N』に、マーク・ダカスコスが出てたのにも驚きましたね〜。『ジェボーダンの獣』では脇役なのに主役みたいだし、『クライング・フリーマン』では脇役で出演する予定だったのにアクションが素晴らしいからってんで急遽主役になったというダカスコスは、日本人の血も混ざっているのだとか? これからもっと活躍を期待したいところです。

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2007/01/09 アメリカ人の考える格闘技って何?

ナショナル・ジオグラフィックの格闘技の技の分析をした番組を録画したものをお世話になっている編集者の方から頂戴したので拝見しました。
 以前、ディスカバリー・チャンネルでやっていた格闘技特集と似たものでしたが、色々な種類の武道・格闘技の技の威力やスピード、反射神経、バランス感覚、テクニック、武器の優劣等を比べるという趣旨で、こういうものは日本だと番組として成立しないでしょうから、アメリカ人って本当にマーシャルアーツ好きだな〜・・・と思いましたね。

空手・ボクシング・ムエタイ・カンフー・グレイシー柔術・忍法等の技の威力やテクニックの優秀性を比較していく点は、大衆向けとしては面白いと単純に思います。専門にやっている人間にとっては、どうしても批判的な感じを持ってしまうんですが、まあ、『修羅の門』とか『バキ』といった格闘漫画を見ているみたいな感じと割り切れば楽しめるでしょうね。

私も昔は色んな格闘技、武術、武道のどれが一番凄いのか?と考えたものでしたが、経験を重ねるうちに、結局、遣う人間の実力の問題しかないんだと思い至って、今はどれが凄くてどれがダメだとかいう比較論をやる気は起こりません。

例えば、「私は居合道七段だ」という人が全然下手だったり、段位なんかも案外、アテにならないんですよね。そういえば、体育館で練習した後、「俺は50年修行してるからな〜」と言ってるオジサンの話を小耳に挟みましたけど、失礼ながら隣りで練習している30前後くらいの人達の方がよっぽど上手でしたね〜。段位や長くやっているということは自慢にはならない。私も修行を始めて30年以上は経過しましたが、当初の目標は充分に越えたと思うものの、その後に理解が深まるにつれて目標も高くなってきているので、やはり、現在の自分の実力程度で満足していたら恥ずかしいと思うようになりました。

やっぱり、やるからには「本物の達人」と呼ばれる領域に到達しなきゃ〜面白くないでしょう? 「黒帯取れるくらいまで・・・」と言う人は多いですが、黒帯取ったから強いのか?というと、そんなことは全然ないんですよ。現実問題として・・・。
 私も別に「地上最強になりたい」とは思っていませんけど、生きてる限りは常に進化し続けていきたいものです。体力が衰えるのと同時にダメになっていくような技じゃなくて、内功で磨く合気道みたいな武術が理想的ですよね〜。もうすぐ44だし、体力は19歳頃のピークの時と比べてマジで半分以下だと思うんですよ。100m全力疾走したら心臓マヒで死ぬと思いますね。昔から白髪は多かったけど、最近、胸毛や陰毛にチョロッと白いのが発見した時はムムゥ〜って思いました。そういえば顎髭にも白いのが増えました。
 でも、打撃力も瞬間のスピードもテクニックも今の方が全面的に上ですから、武術というのはよくできてるな〜と感心してしまいます。私みたいな運動音痴でさえ、これくらいできるんだったら、本当に素質と才能に恵まれた若い人間だったら、一体、どこまで上達するんだろう?と思うと楽しいですよ〜。

話が逸れましたが、アメリカ人のマーシャルアーツ観って、“ゴッタ煮感覚”なんですよね〜? 浅く広くって感じがします。
 空手とテコンドーのどっちが蹴りの威力が上か?ってことを真面目に検証しようとする発想が、大衆向けでなくて検証の番組として成立する点が凄いな〜と思う訳です。
 でも、同じ蹴り技で比較するんじゃなくて、違う蹴り技で測定したりしているんだから、肝心なポイントがアバウト過ぎてナイスです・・・。

それに、パンチやキックのスピードを競ったりするのはまだ解るとして、両手両足に見立てたミットに装着したランプが点灯したら打つスピードを測定するというのを、どうも武術の先を取る「読み」と混同して論じているのですが、これは動態視力と反射神経の問題でしょう。全然関係ないとは言いませんが、厳密に言えば違うものです。動態視力と反射神経に頼るものであれば、素質と才能の個人差が大き過ぎて学ぶのには不都合ですから、そういうものが武術の理合である筈がないのです。個人の適性に左右されるものは武術の稽古法としてシステム化できないのですし・・・。

でもですね〜、今回も日本刀の使い方の酷さには本当に目を覆いたくなりましたよ〜。
 バトンみたいに空中にクルクルッと投げ上げて、落下したところを掴んでイェーッ!ってポーズを取る青い目のサムライ・・・茫然となりました・・・そんな日本刀の使い方、アンタ、一体、誰に習ったの〜? こいつはカンフーと空手の区別もつかなくって忍者や侍が江戸時代の“中国”を闊歩していたんだとか思ってるんじゃないかな〜?って気がして仕方がありませんでした。銃弾の衝撃力を測定するゼラチンのダミーボディを、日本刀で斬り刻んでみせてる様子は、発狂したとしか思えない“危ないバカ”って感じでした。

でも、「『バトルフィーバーJ』のバトルフランスがフラメンコ(それってスペインでは?)の遣い手」って設定してしまう日本人もいい勝負だろうから、異文化交流って大切ですよね〜。

ケチばっかりつけちゃいましたけど、久しぶりのヒクソン・グレイシーや、ダニー・イノサント師父のカリ・スティックのテクニックや、『SFソードキル』で藤岡先生と戦い、『ニンジャタートルズ』で悪役を演じていた小幡利城師範の試斬が見れたのは得した気分でした。
 小幡師範は刀道の林邦史朗先生に学び、殺陣武劇の公演でアメリカに行った時に現地に留まって、ハリウッドの剣殺陣の第一人者として活躍されていると聞いています。

それから、イチャモンをつけておきながら何ですけど、各武道・格闘技のテクニックの特徴を見ると面白い面もありましたね。私自身も番組の解説は無視して客観的に技術分析に努めました。その結果、重い打撃を打つヒントとしては、「打点を目標の後ろに置くこと」とか、「身体を止めておいて拳だけで打つより身体ごと突きに体重を乗せた方が重くなる」とか、「筋肉を締めて打つより脱力させて当たった瞬間だけ締める」とか、「硬い樫の棒でも、人体に近い物体を叩き続ければ折れたり砕けたりする」とか、よくよく考えてみれば物理的に当然のことが確認できました。無論、番組中でそういう分析はされておらず、数値上でしか分析されていませんでしたが・・・。

それと、やっぱ、アメリカ人ってスゲェ〜!と思ったのは、そのパワーですね〜?
 拳鎚で椰子の実を叩き割っちゃうんですよ〜? 単なるでかいオッサンで武道の技なんか全然知らないような武道家?が・・・。
 拳道会の倉本先生の、手刀の威力の凄さを示すものとして椰子の実割りの実験をやっているのを雑誌で見た記憶がありましたが、“超人倉本”の絶技を天然パワーで楽々とこなしてしまうビッグフットみたいなオッサンがアメリカにはいるんだよな〜・・・と思うと、空しくなっちゃいましたよね〜。

思えば、風のファイター大山倍達先生も、「自分がアメリカのプロレスラーとかに勝てたのは、彼らが空手を知らなかったからだ」と謙虚に言われていたそうですが、今や空手に柔道、柔術、ムエタイ、テコンドー、カンフー、合気道、忍法・・・と、何でもかんでも採り入れているアメリカン・マーシャルアーチスト達は鬼に金棒状態ってことですかね〜?

彼らは実力が無い形式しか知らない武道家を崇める感性は無いでしょう。私だって、実力も無いのに威張り腐ってる武道家なんか吐き気がするほど嫌いだもん。威張ってても実力があったら、それなりに敬いますけどね。でも、実力が無くても謙虚だったら「いい人だな〜」と思えるし、実力が凄いのに謙虚だったら尊敬できますからね〜。やっぱり、威張りん坊の爺さんとかは嫌だな〜。

アメリカのマーシャルアーチスト達は、今までは未知の武道を修行している東洋人を敬っていたでしょうが、今後は形骸化したものを後生大事にしている愚かな連中だと見下すようになるんじゃないですかね〜?
 現実に、そういう兆候は始まっていると思うんですよ。
 だから、実力の無い武術家が海外に行って恥ずかしい真似をやるのは勘弁して欲しいな〜と思うばかりですし、武術・武道という世界に誇れる財産を伝えてくれている先人に感謝して、東洋人である日本人は、もっと武術・武道を大切にして学んで欲しいものだな〜と思いますし、実際に学んでいる人達も、もっと自分の学んでいるものに誇りを持って勉強して欲しいと思います。

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2007/01/06 今年の目標第二弾!

皆様、年末年始はどう過ごされましたか?

私は、忘年会の第二弾として、小説で寺田・五行というキャラのモデルになっている会員二人と三人で、私の部屋で練習アンドDVD映画鑑賞等をして過ごしました。

昨年末に小説『拳游秘伝』最終巻(メッチャ面白過ぎるんで会員は買ってね〜)を書き上げまして、その後、新刊書籍の企画の打ち合わせに編集の方が来る予定だったのですが、体調を崩されて延期になったので、年末は今年の予定を色々と考えて企画を練ろうと思っていた訳でした。

で、その矢先に個人指導の申し込みで小説キャラ“寺田さん”のモデルになっている会員さんが来て、空手の組手に応用できる目付け・正中線を制する角度の取り方・横と縦の連続掌打の使い方・踏み足と入身のやり方・空手技法を応用した両拳同時寸勁のやり方・小太刀の使い方・・・等々の指導をしました。
 彼は元々、首里手系伝統派空手道を長く修行されているので、メキメキ上達されていますし、性格が素直で面白い人なので会の中でもムードメイカーです。
 一見コワモテに見えますが、後輩の面倒見も良く礼節も弁えていて、空手道場の先生がいかに優れた方なのか?ということが容易に想像できます。「弟子を見れば師匠が判る」と言われる所以です。

最近、うちでは礼儀作法をきちんとするように努力していますが、やはり、外に出た時に礼儀知らずだと恥になりますからね。「游心流の人間は礼儀知らずで傲慢だ」と言われたくはありません。最低の常識は弁えて口を慎むようにしなければいけません。
 それも、主宰者である私が模範にならないとシャレになりませんからね。今年の最大の目標ですね。

・・・ってな訳で、年末年始は『チームアメリカ・ワールドポリス』を観て大爆笑して過ごしましたけど、これって実名でバリバリ、パロッてて「うわっ、これ、いいのか?」ってビックリ仰天していました。キムさんなんか、あのマンマですから・・・アメリカ人って、こんなの平然と作っちゃうんだから凄いな〜。

何はともあれ、会員さん達も相当に実力アップしてきているので、向こう四年間は会員の実力アップと技術の深化、稽古システムの完成を目標にして頑張ることを第一に、個人的目標としては漫画の原作とか映画とかクリエイティブな仕事をやってみたいですね〜。

そういえば、『本の雑誌』にて大槻ケンヂ氏が拙著『あなたの知らない武術のヒミツ』を書評してくださっていました。
 ブログに続いて公の雑誌の書評で採り上げていただいて感謝感激です。私がネチネチとイヤミを書いている“某氏”が誰なのかも判ったみたいですね〜。

それに、論評のポイントが鋭く、解説している技も実験してみたらできたそうで、流石に芸能界でも名高い格闘技好きの面目躍如といった感じでした。

まあ、そんな具合で昨年出した拙著が今になって注目を集めるのも縁というものでしょうが、第二弾として書いていた原稿はお蔵入りしてしまいまして、企画を練り直して姉妹編的な内容のものを出そう・・・ということになっております。(お蔵入りした原稿はもったいないので、書き直してPDF書籍として出しま〜す)

まっ、私は「二日で本一冊書ける男」ですから、別にどうってことはありません。
 何しろ、処女小説でいきなり400字詰め原稿用紙に換算して900枚弱書いちゃいましたからね〜。学生時代に真似事で短編書いたのがあるくらいで、23年くらい小説なんか全然書いたことなかったですからね〜。まさか、こんなに沢山書けるとは思いませんでしたよ〜。

学生時代に友達から「長野、文才あるよ〜」とかおだてられて、そうかな〜?なんてその気になって文章書き修行してきて、20代後半で当時のI編集長の御厚意で月刊空手道に書かせていただいて、30代は何となく、文章書くので食えるようになれたらいいな〜?って感じで試行錯誤に費やして40代に突入・・・去年くらいからようやく形になってきたかな〜って感じですけどね。何事も、そう一朝一夕には成就しませんわな〜。
「俺は才能が無いんだ〜」っとか寝言ほざいている20代のヤツ見ると、蹴っ飛ばしてやりたくなりますね。徹頭徹尾、努力が足りないだけ! 甘えたこと考えてるヒマがあったら努力・努力・努力・・・もう、それ以外に何もありません・・・。

このままド貧乏生活で一生を不遇に費やしても仕方なかったかも知れませんが、周囲の助けで何とかやって来れたし、今が一番、自分の力を目一杯使っているという充実感があります。それもこれも、武術研究だけは止めずに来たお陰です。これが私の本分です。

正直、あまりに貧乏で将来設計も全然無いという20年余りの時期を、発狂もせずに乗り切ってこれたのも、「俺は武術の遣い手にさえなれればホームレスで孤独に一生終わったって満足できる」という物凄く捨て鉢な想いが有ったからなんですね。
 そうして自分が研究してきた武術の技法・稽古法・戦闘理論に関して書き残しておけば、死んだ後で必ず評価されるだろう。そうすれば歴史に名前が残せるんだから無駄な人生にはならない・・・という達観が得られていた訳です。

でも、今は、幸いにして私の研究をサポートして受け継いでいってくれる人達が周りに何人もいるんですから、これ以上、望むことって無いですよね。生きてるうちにそれなりの評価は得られそうだし、本当に有り難いことだと思っています・・・。

さて、新年の稽古は1月13日(土)と27日(土)は、朝10:00〜昼1:00まで江古田ストアハウスで行います。20日(土)は、ビデオ撮影を予定しておりますので、会員さんで協力できる方は御参加ください。多人数掛けとかもやる予定なのでお願いします。また、日曜日のシダックス橋本駅前店の太極拳講座も、内容は通常の定期稽古に変更しておりますから、こちらもお勧めしておきます。現在、唯一の定期的に稽古できる場所ですので、御活用ください。
 水道橋の平日夜間公開稽古会は参加者が規定人数に満たないので、当面はお休みさせていただきます。個人指導は継続しておりますので、関心のある方は申し込んでください。
 ただし、こちらは中途半端な気持ちの人はお断りします。他流会派と掛け持ちの方も原則的に今後はお断りします。その他、こちらが何らかの理由で指導できないと判断する方はお断りします。

当面は会の内部規律を確立するために興味本位の人は入れないつもりです。現在、来ている会員の実力を、どこに出ても恥ずかしくないレベルに引き上げるまでは、安易な普及活動には力を入れないつもりです。

現在の稽古内容に関しては、基礎錬体・歩法鍛練・初級対錬・推手・応用対錬・剣術・居合術を主に稽古しておりますが、今年は基礎トレーニングにも力を入れていこうと思っております。発勁(全身の各部に重心を集中して打ち込む)・合気(相手の力の作用点をずらして0化して崩す)・化勁(相手の攻撃の軌道を逆転する)・借力(相手の力を逆利用する)・点穴(急所を刺す)・縮地(気配を出さずに動く)・合わせ(対の先)・読み(目付けで予備動作を察知する)・聴勁(推手で養成する皮膚感覚)を駆使した体術・剣術・棒術・居合術・手裏剣術等ができるようにしていきます。
 素手でも武器を持っても、敵が複数でも戦える万能型の武術家を目指していきます。
 空手のスピードと破壊力・合気道の精妙な崩し・太極拳の受け流し・八卦掌の入身旋体・八極拳の複合技・その他中国武術の巧妙な変化技・古流柔術の当て身殺活法・剣術居合術の交叉の理合・・・に、游心流オリジナルの丹田の回転を使った連続縮地法を駆使する歩法。剣体一致の攻防理論を体得すれば、単に剣を振っているだけで実力向上できる稽古体系を考案しています。
 しかし、これらは原理が解れば物凄く簡単なんですけど、解らないとさっぱり上達しません。そういう点で理論派の人の方が上達は圧倒的に早いです。技法に関しては応用変化技を一々覚えていたらキリがありませんが、基本技の組み合わせを覚えるとかなり応用変化できるようになります。この辺は創作のセンスに左右されます。応用変化のヒントは各種武術の形・套路にありますが、基本原理さえ解っていれば舞踊や体操から武術的応用を工夫することも可能です。

例えば、立禅の腕の形は、打拳にも崩しにも掴みにも対応できます。防御的には払い手と受け崩し、更に“含胸抜背”で相手の胸への打拳を“呑”で0化しつつ蓄勁して“吐”で発勁して打ち返す・・・という“呑吐”の呼吸動作にもなります(実際には二動作の連続ではなく連結した一動作となる)。一つの形態がいくつかの技法へと応用展開される訳です。ただし、「打拳(パンチ)は拳頭で打つもの」という固定観念があると技の展開は限定されます。立禅の形での打拳は、指先・背掌・曲げて固めた手首・前腕・肘等を駆使するつもりでいなければいけません。つまり、通常のパンチとは全く違う打撃理論が必要になる訳です・・・。

こうした理論は別に新しい訳ではなく、本来は流派の別なくやっていた筈だと私は考えています。だから、游心流という新しく作った器の中に入れてはいても、その根源にあるのは昔から伝わってきた武術のエッセンスを技の形に抽出して成型しているだけです。大抵は、秘伝の形で選ばれた伝承者に伝えられてきていたであろう武術を解読するキイワードを、私は原理的に解析しているだけなのです。ただ、これをきちんとシステム化した後はほとんどの流儀に当てはまるでしょう。

もっとも、それをやれば流派の特色は失われてしまいかねません。だから、今はまだ誤解と混乱を招く危険性の方が勝っていると思うので、全面公開は控えます。が、恐らく、時代はそっちの方向へ向かっていっているだろう・・・という感触はありますが・・・。

今、甲野善紀氏のドキュメンタリー映画が公開中ですよね? 彼がやっているものは、もう武術とは言えないと思いますが、「武術の技法原理のいくつか(脱力と沈身、重心の分散と移動)を用いれば、一見、力学的に不可解な身体操作が体現できる」という点を一般に知らせたという側面は評価に値すると思います。
 ただ、甲野氏の問題点は、それらを自分の名声を売るためにしか使っていないという点で、必ずしも武道・武術の評価を高める役にはたっていません。私はそこに憤りを感じる訳です。武道・武術の真の姿を世間一般に歪めて伝えてしまっているようにしか見えないのですが、まあ、彼だけが悪いとは言えません。類似の売名活動に励む人が少なくないのですし、そういう人達は基本的に“理論”を楯にして武道・武術を“オカズ”に使っているだけですから、無知で信じ易い人達をシンパに取り込むことに熱心で、武道・武術を文化として尊重していこうとする気配は感じられません。

そして、圧倒的大多数の武道家・武術家が、自己の学ぶ流派のみを上位に置いているので、そこに客観性は望むべくもないのです・・・。

かつての松田隆智先生や高橋賢先生のような、客観的な立場から武道・武術の文化的位置付けをしようとする人材が、今は見当たらないのが残念です。
 甚だ力不足ではありますが、今のところ、私がやらなきゃいかんのだろうな〜?という気持ちでいます。「誰かやってくれよ」と言いたいところなんですが・・・。

かような次第で、游心流では“やる気”があって“有能”な人材のみ募集しておりますので、宜しくお願い致します。

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2007/01/06 昔の特撮観ていますぅ〜・・・

いや〜、やっぱり、昔の特撮ドラマはいいですね〜。

大晦日に会員二人と三人で、ファミリー劇場で『ウルトラQ』を観ていたんですが、岩石怪獣ゴルゴス、大土竜モングラー、侵略ロボット怪獣ガラモン、冷凍怪獣ペギラ、古代怪鳥ラルゲユウス、人工生命体M−1号、未来怪人ケムール人、大蜘蛛クモ男爵、原子怪獣パゴス、海底原人ラゴン、宇宙怪獣ボスタング、貝獣ゴーガ、大蛸スダール・・・といったモンスターの活躍するSFドラマを二人共に「ウルトラマンは再放送で観たけど、ウルトラQは初めて観ました」と言うので、あ〜、世代の差ってのはこういうことなんだな〜?と感慨深かったですね〜。

で、二人共に、「良くできていますね〜」と驚いていましたが、確かに、昔の作品って良くできているんですよね〜。
 特にウルトラQはSF風の大人向けドラマを狙っていたので、今観てもチャチな感じがしません。着ぐるみもミニチュアも緻密に作られているのには驚かされます。
 ストーリーも一話ごとに雰囲気が違うので、コミカルなものからパニックスペクタクル物まで幅広いのが魅力でした。

中でも私が子供の時に観てトラウマになったのがゴシックホラー調の『クモ男爵』の回でした。
 冒頭に灯台から始まり、沖の船から「灯台の光におかしな影が見える」という無線連絡が入り、作業員が点検に行くと巨大な蜘蛛が現れて・・・という展開が怖い。
「夜の蜘蛛は不吉だ・・・」という石坂さんのナレーションが記憶にこびりついた人も多いでしょう。

そして、朽ちかけた洋館に侵入した主人公たちが、蜘蛛に変身したという蜘蛛男爵の話をするところは、最近の都市伝説型の怪談に通じます。お約束の主人公たちが大蜘蛛に襲われるシーンを経て、車にひかれた大蜘蛛が死ぬと洋館は炎上して崩壊していく・・・という滅びの美学を描いていて30分に圧縮されたホラー映画を観るような感じでした。

ただ、先日、気づいたんですが、この洋館が崩壊するシーンで、一瞬、後ろから壁を押して壊すスタッフの手が映っているのです。何だか、心霊映像みたいですが、明らかにミニチュアを壊しているスタッフの手が映ってしまったミスでしょう。白黒映像故に注意して観ていないと気づかない程度なんですが、何だか得した気分でした。

そういえば、『シルバー仮面ジャイアント』が冷凍宇宙人と戦う時に、いきなりライターみたいなのを取り出して炎を突き付けるという描写があったんですが、単なる放火魔にしか見えません。更に、その武器を投げ付けるのですが、もう火炎瓶そっくりなんです。
 シルバー仮面とかアイアンキングって、全共闘世代の怨念が宿ったような裏テーマがあるんですが、まさかヒーローが火炎瓶投げつけるとは思いませんでしたね〜。

私は、「武術って、どんな汚い真似してでも勝たなきゃならんものだ」って思ってるんですが、だけど・・・ヒーローが汚い技使うとドン引きしちゃいますよね・・・。

東映チャンネルで『超人バロム1』が始まったんですが、まさか、この作品がもう一度観れるとは夢にも思いませんでしたね〜。
 原作のバロム1は、少年二人が合体してゴルゴ顔のオッサンに変身するという無茶苦茶さが素敵でしたが、実写ドラマ版は仮面つけた特撮ヒーロー物です。フツーに・・・。

でも、この作品、改めて観てみるとキャストが濃い〜ですよ〜。
 主人公の一人は数々の特撮SFドラマに出演していた高野浩幸。その母親役は、アニメの声優として活躍していた上田みゆき(コンバトラーV、ボルテスVとか? ちなみに確か佐々木功の奥さんだったっけ?)、もう一人の方の父親役は次元大介の声でおなじみ小林清志、その娘は『流星人間ゾーン』で防人蛍役を演じた戸島和美、悪の権化ドルゲの人間体は室田日出男、召し使いは花巻五郎(ガンバロンでワルワル博士の召し使いやってた人・・・あっ、知らない?)、フランケルゲに変身するのは五社英雄時代劇の名悪役で知られる居合抜きの名人、佐藤京一先生! そういえば、佐藤先生は特撮物にも結構出てたな〜? 仮面ライダーXの時は八百屋のオッサンだったっけ〜?

ちなみに、放送当時、ドルゲ君というドイツ人の子供が学校でイジメられて問題になったという事件がありましたけど、友達同士で「バロームクロース」とか叫んで腕を組み合わせたりしたもんでしたね〜。子供はやるよね〜。正義のコプー(大体、マント着た爺さんと相場が決まってます。悪魔くんのファウスト博士、マグマ大使のアース、ライオン丸Gの果心居士とか・・・)と、悪のドルゲってパターンも神話の世界から最もポピュラーだし、幻魔大戦だとフロイと幻魔大王?

ついでに言うと、当時、ドルゲの作り出す魔人がグロ過ぎて怖いという批判もありましたね。今観るとチャッチイから怖くないんだけど・・・。

ですけど、バロム1ってば、フランケルゲを攻撃するのに二本貫手(Vの形した手)で目潰しやったりして、ウワッ!って思いました。帰ってきたウルトラマンがモグネズンに食らわした時も驚いたけど、これって正義のヒーローがやる技じゃないよね〜?

いっそ、無茶苦茶リアルな殺人テクニックばっかり使う正義のヒーローがいたら、話題にはなるだろうな〜? どなたか野心的なヒーロー作品撮りたい方、私をアクション指導に雇ってみませんか?

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2007/01/02 2007年頭の御挨拶

新年の御挨拶を申し上げます。

と申しましても、昨年、父が亡くなりましたので、慶賀の言葉は遠慮させて戴きますので、御勘弁ください。

え〜、昨年は、本当に色々ありました。あり過ぎたと言うべきかと思いますが、過ぎ去ったことをあれこれと考えても不毛ですからね・・・。

さて、それで今年の抱負としてですが・・・

まず、第一に、「少数でも武術の遣い手を育てる」ということですね〜。
 空手ができて、中国武術ができて、合気道ができて、居合術ができて、剣術ができて、手裏剣術ができて・・・といったオールラウンド・プレイヤーの武術修行者で、それぞれ五段から六段くらいの実力の人を育てるのが目標ですね〜。

それから、「流石に、武術をやっている人は違うな〜」と言われるような外柔内剛の人柄の良い人達のサークル活動にしたいですね。とにかく、根拠のない他流非難とか自惚れた言葉は言わせないように徹底していかなくちゃいかんな〜と思ってます。

さてさて、それにしても、早く定期稽古会ができる場所を特定したいものですが、どこか良い場所を知っていらっしゃる方はいらっしゃらないでしょうか? できましたら、剣術ができる広さがあって、土曜日に借りられる場所だと有り難いのですが・・・。

それと関連しますが、日曜日の橋本駅前シダックス・カルチャークラブの講座は、既に内容的には交叉法を中心にした游心流武術の練習内容にしております。ここが一番、練習内容的にはきちんとやれますから、お勧めですよ。一時間半あるので時間的にも十分ですし、初心者向けです。

え〜っと、それから、今年はDVD製作も再開します。値段は少々高くなりますが、価値のあるものを安くして、無価値なものと誤認させてしまう愚は避けなければいけないと考えています。これは武術の技に関しても同じことで、常に進化させていくように工夫するのが当然と思います。交叉法を核として技術を深めるのみです。

その他、執筆活動やら何やら、今年は昨年以上に頑張りたいと思いますので、宜しくお願い致します。

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