長野峻也の日記(2007年4月〜6月)

2007/06/28 『スペクトルマン』『快傑ライオン丸』『マグマ大使』がCSで!

特撮ドラマを制作していた会社の中でも、ピープロと言えば独特の位置を占めていました。

円谷プロの『ウルトラマン』と同時期に、手塚治虫原作の『マグマ大使』を実写ドラマで放送していたピープロは、『帰ってきたウルトラマン』の頃に、『宇宙猿人ゴリ』という敵方の名前を冠したヒーロー番組を放送していました。

これは、惑星Eから追放された敵方である宇宙猿人ゴリが、放浪の果てに地球の美しさに注目し、地球を汚している人類を抹殺して美しい地球を支配しようとする物語であり、ゴリの崇高な?理想実現を邪魔するサイボーグ戦士スペクトルマン・・・といった逆転したヒーロー番組だった訳です。

何という野心作でしょうか? 出てくる怪獣も、ヘドロン(イソギンチャク型のヘドロ怪獣)、ゴキノザウルス(単に巨大なゴキブリ)、ネズバードン(ネズミとカラスが合体した病原菌を撒き散らす怪獣)、ダストマン(ゴミ巨人)、モグニチュードン(モグラとナマズが合体した地震怪獣)、クルマニクラス(交通事故の怨念から生まれた怪獣)といった超個性的な怪獣ばかりです。1970年代の社会問題を集めたようなテーマが、『宇宙猿人ゴリ』(後に『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』になり、最後は『スペクトルマン』に改題されていた)の魅力でした。

放送当時、小学生だった私は、最終回も含めて何本か見逃していましたが、これが何と、7月に日本映画専門チャンネルで集中放映されるのです!

それだけではありません。『マグマ大使』はフジテレビ721で、『快傑ライオン丸』は時代劇専門チャンネルで放送されるのです! ピープロ創立者の鷺巣富雄氏が亡くなってドラマの放映権が売られたのでしょうが、やはり名作はより多くの人に見られるのが作品にとって幸福なことだと思います。

私も、44歳にもなって、見逃していた作品をまた見られるとは感無量です・・・。

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2007/06/28 K君からのメール

先日、元会員のK君から、今まで多大な迷惑をかけてしまったという謝罪と、告訴を受けますという内容のメールが届きました。

K君はいわゆる多重人格という病気で、人格が転移してインターネットに私と游心流に関する誹謗中傷文を度々書き込みし、何度も問題を起こし、私が心療内科に連れていって診断を受けたものでしたが、中々完治せずに仕事も住所も転々と変わって、何度も何度も同じことを繰り返していたのです。

一昨年でしたか、彼が失踪して行方不明になっているので心当たりはないか?という彼の友人の連絡を受けたことがあり、直接訪ねてくれたので駅前のファミレスで話を聞きました。御友人は、何でもK君の御家族から頼まれて来たのだそうでした。

何故、私のところに連絡されたのかを聞きますと、K君の失踪した後の部屋の荷物の中から、インターネットに書き込みしていた私と游心流に関する誹謗中傷文を全て記録してあるCD−ROMが出てきたのだそうです。

正直、この時は、確かにK君はある種の精神疾患であることは間違いないだろうと思えましたが、人格が転移している時の記憶が無いとすれば、わざわざCD−ROMに文章を記録しておいたりするだろうか?と、かなり不審に感じたのが偽らざる本音でした。

しかし、学生時代にも失踪したことがあったという話や、幼少時のイジメ虐待で重大なトラウマを負っているらしいという話などを聞くにつれ、自分にできるだけのことはしてやろうと思いました。無論、それが私自身の活動を護ることにもなりますから。

それで、相変わらずネット掲示板にK君らしき人物が書いたと思われる書き込みがあったという会員の報告を受け、「それなら、失踪していてもどこかで私のホームページは読んでいるのだろう」と、思い切って、K君にあてたメッセージを数回、書いてみました。

苦肉の策でしたが、何とか彼の誠心に通じて実家に戻って治療を受けながらやり直す決意をしてくれたことが分かり、本当に良かったと思っています。

彼は告訴されるのも覚悟していると書いていますが、反省して二度と繰り返さなければ、訴える必要はありません。それよりも、治療に専念して立ち直り、心配をかけた家族へ孝行をして欲しいと思っています。

今はただ、彼が実家に戻って人生をやり直すべく決意してくれたことを心から嬉しく思っています。

人を恨み、世を呪っても人生は変わりません。自分を変えるしか方法はないのです。
 が、匿名で何でも書けるネット掲示板は人間を自滅させる場になりかねない怖さを感じます。

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2007/06/26 『合気開発トレーニング』DVD発売中!

合気技法の教材DVDが発売できました。

自分で見直してみて、今回はいくつか反省点がありましたね。

まず、「う〜ん、まだまだ脱力が足りないな〜」ということ。撮影していた時は、自分なりに相当脱力できていたつもりだったんですが、まだまだ足りませんね〜。

その未熟っぷりが、受けを取ってくれていた会員さん達の安全を配慮する余裕を失わせてしまって、かなり乱暴な技の掛け方になってしまいました(自分で観てアチャー?って感じです)。

実際、身体を傷めた師範代もいました。発勁の時はマジでまともに打ったらヤバイと思って相当威力を落としたんですが、今回の合気では力のコントロールがうまくいきませんでした。

本当に申し訳ないです。

合気の実用技の撮影の時は、当身入れたくなっちゃうんですよね〜。「殴った方が早いよな〜」って、ウズウズしちゃって困りました。

(おっと、こんなことしか書いてないとDVDが売れなくなってしまう〜)

まあ、それはそれとして、今回のDVDは素人をビックリさせるための演芸合気(居着いてる相手に掛けて見せて達人っぷりをアピールする見世物)に止まらず、格闘技の技や複数の相手、武器に対処する実用合気の使い方を収録した点が画期的ではないかな〜?と思います。

だって、単に演武見せられたって、納得できないでしょ? 「合気でローキック受けられるのかな?」って素朴な疑問から解決していかないとね〜。

やたらに“達人”って連発して旦那芸みたいな技しか見せられないと、私は白けちゃってですね〜。「あんたら、呑気にお行儀のいい人達相手にチンタラ技かけて威張って見せて、自分のバカっぷりを晒してるだけなんだよ。武道をなめるんじゃないよ」って言ってやりたくなります。

そういう現状に一石を投じるという意味で、今回のDVDはいろんな人に見ていただきたいですね(特に、合気道の実戦性に疑問を持っている人は参考にしてください)。

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2007/06/26 甲府『桜座』二周年記念

田中泯さんが全面協力されている山梨県甲府市の“桜座”の二周年記念式典の招待状をいただいたので、T師範代を誘って、6月25日(月)に、甲府市まで出掛けて参りました。

割りと涼しかったので、快適な日帰り小旅行になりましたよ。

T師範代とお喋りしながら電車に揺られて二時間半、初めて降りた甲府駅。『風林火山』で盛り上がっておりますね〜。

かなり早めに到着したので、まず桜座の場所を確認してから駅前の喫茶店で時間を潰すことにしましたが、店員のお姉さんがモデルみたいな綺麗な人でビックリ!

それだけではありません。町を歩いている女性がやたらに綺麗な人ばかり!

何だか、この町はモデル体型のスラ〜ッとした女性が多くて、異国情緒を感じました。

純日本人体型の私とT師範代は、何か、やり切れない思いでしたけどね。

で、桜座の開演時刻に現地に行くと、もう立ち見するしかない状態! うわっ、凄い。

田中泯さんは「初めて司会をやります」と、マイク片手に話されていて、祝辞に樽開きと和やかに進行していきました。

驚いたのは、ある人気俳優さん(名前書きたいんだけど、仕事抜けて来たみたいなんで書くとマズイよな〜)が飛び入りで来られていて、場内、大喝采! 噂には聞いていましたけど、本当に気さくで感じがいい人です。

そして、私が能に関心を持つ切っ掛けになった、大倉正之助さんの大鼓の演奏もたっぷり見れて、生で聴くのは十数年ぶりなんですが、あの鼓を打つ瞬間の腕の脱力っぷり、少し上体を前かがみ気味にして腹圧をかける姿勢・・・素晴らしい・・・。

そしてそして・・・今回はトークのみと書かれていて少し残念だった田中泯さんが、大倉さんとコラボレーションで即興で踊る! それも軽やか! ノリノリ!

あ〜、来て良かった〜。人が多すぎて話するヒマもなかったけど、泯さんの踊りも見れて、美味しいお酒と料理もいただいて、電車の時刻で最後まで見れなかった(泯さんと樹木希林さんとのトーク・・・聞きたかったけど、ちと残念)以外、本当に楽しく充実した一日でした。

末筆ながら、甲府桜座の益々の発展をお祈りします!

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2007/06/26 『誰も知らない武術のヒケツ』、ようやく入稿完了!

ふう〜っ・・・『誰も知らない武術のヒケツ』が、やっと入稿完了しまして、後は書店に並ぶのを待つばかりですよ。

あ〜っ、結構、シンドかったな〜。もう、何回、書き直したか判らないですよ。

前作は、「これが売れなかったら田舎に帰るしかない!」という決死の覚悟で頑張って書いたものの、それが気持ちの余裕を失わせてしまったところもありました。
 だから、会員さん達には「ギャグが足りない」「既にネットで書いている事を書き直しているだけだから目新しさがなかった」「某氏の名前を書いてないのが解せん!」と、意外と評価が低かった(よく読んでもらえば、そんなことないのが解るのに・・・。現に、何カ月か経過してから、「後から読み直すと、あの本は凄くいい本ですね〜」と言う。もう〜)

でも、皆さん。今回は期待してくださいっ!
 マジでこれまでの武術に対するイメージが塗り変わる内容になってますからね。

前作が導入編だったとしたら、今回はいきなり武術の核心に迫る内容です!
 初心者にはちょっとハードル高くなってしまったかも知れませんが、前作と併せて読めば納得してもらえるでしょう。
 実際に、空手や中国拳法、太極拳、居合術、合気道を学んでいて修行の方向性に悩んでいる方にとっても、きっと刺激的な知的興奮を味わってもらえるのではないかな〜?と思っております。

何しろ、今回、伝家の宝刀である『交叉法』の原理と方法論についてかなり明確に解説していますから、形や型、套路の意味について口訣を明かすのと同等以上の秘伝解明となっている筈です(理解できる人にとっては・・・)。
 恐らく、元々の技量が一定水準に達している人なら、一読後に世間で達人と崇められている人達の技のメカニズムがはっきり観え、封じ方まで工夫してしまえるでしょう。

つまり、この本をある程度の技量に達している人が読んだ場合、恐ろしいスピードで達人化していく可能性が十分にあるのです!

無論、理解できない人であっても、脱力の意味や、タイミングの重要性については解ってもらえると思います。DVDを見たりセミナーを何回か受けてもらえば、確実に体得できると思います。

写真では、私も実演していますが、師範代二人をよく見て欲しいですね。二人共に伝統空手を修行していたのですが、游心流の理論で空手の動きに磨きがかかって、短期間で素晴らしく向上しました。

私は空手は専門外なので、彼らの方が参考になると思って、空手の技法解説のところは二人にやってもらった訳です

特に縮地法は必見です! 動いている最中に上体がほとんど崩れていません。
 大抵の人の縮地法は上体が崩れますよ。私も崩れます。しかし、彼は、この撮影の時に初めて縮地法をやってみたのですが、一回目は緊張して距離も伸びませんでしたが、二回目はリラックスして3m以上、軽く一挙動で滑り縮めていました。少し練習すれば5m以上は楽にできるでしょう。

二人ともに、空手を教わった先生がいかに基本を大切に教えてくれていたか?ということが判るのです。基本さえできていれば、応用は難しいものではないのです。

とにかく、武術・武道に流派の優劣なんか原理的に無いのです。どんな優れたものであっても、学ぶ者がボンクラなら、その流派の真価は体現できませんし、その逆に、きちんと体系化されていない流派の型だけしか習っていなくとも、コツコツと基本を忠実に稽古して我が身にしっかり体得していれば、そこから応用発展させて流派のシステムを新たに深めていくことができるのです。

私が、今回の本で言いたかったのは、単にそれだけのことです。
 自分が学んだ流派に誇りを持とう。そして、それと同等以上の敬意を他流に持とう・・・ということです。その精神があれば、武道・武術の世界は、随分、爽やかになると思いますよ。

さて、話を本に戻します。

空手道と合気道の技術分析については、永岡書店のDVD付き教本の仕事にライターとして参加した成果がありました。
 私は空手道も合気道も正式に修行したことがありませんが、取材を通じて何年分もの修行を圧縮したような勉強ができました。香川先生と佐原先生の明晰な理論に触れられたのが良かったと思っています。

もっとも、そのままパクッてたら芸が無いので私なりにアレンジしましたが、それでも基本の重要性を教えていただいたから解ったことが少なくありませんでした。永岡書店の本と読み比べてみたら、どこがどう影響を受けているか?というのも解って面白いでしょう。

今回の本は前作より30Pもページ数が増えて、連続写真と漫画形式の連続イラストで技術の原理を表現しているので、本当に、ある意味で技術教本的なものになりました。技の用法も、無構えから始まって、相手の攻撃を交叉法でどう制圧していくか?という戦闘理論を解説しています。

今回、この戦闘理論の解説に関して、漫画家の黒谷薫先生に技の写真を撮ってもらって、そこから動きの流れを漫画調の連続イラストで描いてもらったんですが、これがまた、連続写真ではよく判らない動きの流れが素晴らしくよく判るんですよ〜。うちの会員さん達も、「うわぁ〜、これはすんごいな〜・・・」と感嘆していました。

よくアクション漫画とか、私も好きだから読むんですけど、いまだかつて、ここまで武術の技が生き生きとリアルに描き出されている絵って、見た記憶がありません。
「写真を撮って、それを基に描いたから・・・」と言われるのですが、いや、それなら多くの漫画家もやっているでしょう。何かが根本的に違うと思います。正直、黒谷先生が武術漫画を描いたら、凄い物になるだろうな〜と思わずにはおれませんでした。

そして、今回、調子に乗って写真を沢山撮り過ぎて、「これはどうやってレイアウトしたらいいのか?」と心配していたんですが、これまたデザイナーの広田正康さんの天才的なまでのセンスの良さで、こっちが予想もしていなかった、実に絶妙なまでの配置で処理して戴いて、本当に頭が下がりました(この御二人の才能が今回の表紙ではフュージョンしていますので、店頭で是非とも御確認ください)。

いや〜、会員さん達にも何度も協力してもらって、本当にただもう、「感謝」の一語ですよ。ただ、最初に撮った写真は背景が良くなくて、全部、撮り直しになったので、協力してくれていた師範代二人には申し訳ないことをしました。ごめんなさい(後書きに名前のみ掲載しています)。

編集の関さんは、体調不良のところを、前作より良いものにしようと懸命に頑張ってもらいました。暴走体質の私を粘り強くダメ出しして軌道修正してくれたお陰で、最初のものから比べると数倍は面白くエキサイティングになりました。この恩返しは、ただもう、前作より売れてくれるのを祈るばかりです。

出版業界は不況が続いていると言われますが、作家(オレが名乗るとこっ恥ずかしいな)は編集者によって活かされるのが現実です。
 十数年前に、当時、福昌堂の月刊空手道・季刊武術(ウーシュウ)の編集長を兼任されていた生島裕さんが私の文才を評価して記事を書かせてくださってから、艱難辛苦の時代を紛いなりにもライターとして乗り越えてくることができました。経済面をまかなえることはできなくても、自分の微々たる才能に希望を託して生きるよすがにできたのは、生島さんの御陰だと思っています。
 そして、壮神社の恩蔵社長にも一言では言えない御恩を受けました。

思えば、二十四年前に、学生だった頃に友達の栗原君が何げなく言った「長野〜。お前、文才あるよ〜」の一言が、(そうか? オレって文才があるんだ・・・)という勘違いの思い込みとして脳に刷り込まれ、そこから作家への道を歩きだしていた?・・・ような気がします。

人間は、誰からも理解してもらえなくとも、たった一人でも認めてくれる人、あるいは言葉が有れば、それだけで自分を信じて生きていけるのかも知れません・・・。

純粋に、私個人のオリジナルの著作としては、今回が二度目になりますが、これまで仕事を戴いた、壮神社、福昌堂、クエスト、マガジントップ、永岡書店の関係各位にも御礼申し上げます。また、最初にアスペクトを御紹介戴いた武格連の皆様にも御礼申し上げます。(う〜ん・・・何か、御礼を書くべき人を考えていたら、段々、キリが無くなってきたような・・・)

昨年は親父も亡くなり、年末には武友も癌で逝きました。私の不徳で離れていった会員も多くいます。毎日のようにホームページに迷惑メールを送ってくる哀しい元武友もいます(せっかく、才能が有るのに、こんなつまらんことをやって自分を腐らせて何になるのか? 人を呪わば穴二つです・・・)。

しかし、それもこれも含めて、全ての人に「感謝!」の一語を捧げたいと思います。

(ちょっと、こういう綺麗言は柄じゃないんですけどね〜。でも、少なくとも今、これを書いている瞬間は、ひと仕事やり切ったという、爽やかな充実感だけで一杯ですよ)

応援して戴いている皆さんの期待に応えて、今回は相当頑張りました! 6月25日に発売の『誰も知らない武術のヒケツ』、楽しんで読んで戴ければ幸いです・・・。

追伸;7月1日に、新刊本発売と、合気開発トレーニングDVDの発売を記念してセミナーを開催します。書中に解説している合気技の具体的なやり方もお教えしますよ。丹田の開発法から発勁と合気の関連性や、その具体的な実用法についても指導します。できましたら、事前にDVDを観て予習してきていただくと体得が早いと思います。
(丹田開発トレーニング・発勁開発トレーニングのDVDは游心流ストアでお求めください。発勁開発トレーニングDVDは、神保町の書泉グランデ、高山本店でも販売されています)

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2007/06/24 『誰も知らない武術のヒケツ』見本完成!

6月15日(金)に『誰も知らない武術のヒケツ』見本誌が完成致しました。店頭には6月25日(月)に並ぶ予定です。
 多分、神保町の書泉グランデさんとかには前日には並ぶかも知れませんが、コンビニの予約やアマゾンでも予約できるそうです(予約購入した方はセミナーの参加費一万円を割引サービスで八千円にさせて貰います)。

正直言って、7月1日に出版記念セミナーをやると決めたものの、「本が間に合わなかったらどうしようかな〜?」とマジで心配したくらい、物凄いギリギリの進行で、担当編集者ですら、「間に合わないかと思ってました・・・」と弱音を吐いたくらい。

完成したという事実は、何か、ジーンと来ますね。

前作では「全くの素人でもできる」ということを証明したくて私は実演していませんでしたが、内輪では「先生がやらんでどうすんの?」って文句を言われてしまったので、今回は反省してバシバシ演じております。

ですから、別に技術教本でもないのに、かなり解説は気合が入り、蟷螂拳(蟷螂捕蝉式)・太極拳(攬雀尾)・八極拳(頂心肘)・意拳(技撃椿)・八卦掌(白蛇纏身・転換掌)・合気柔術(小手返しの素手とナイフ取りの用法比較・多数取り)・居合術(抜き付け)・剣術(切り落とし)に、師範代二人が空手(受け技の攻撃技への応用展開)と秘技<縮地法>を実演しております・・・。

よく「游心流の技は公開しないんですか?」と言われるんですが、今回も游心流の技そのものは丹田歩法と交叉法くらいしか出していません。
 どうしてか?と言いますと、一流派の枠組みの中の技や理論を出してみたところで、武術という分野全体に貢献できるものは少ないだろうと考えたからです。

それに、後、数年は、かなり体系的に変化すると思うので、出せても基本技だけか、あるいは応用変化技を無駄に膨大に演じてみせるかのどちらかにしかならないでしょう。

意外に思われるかも知れませんが、膨大に演じてみせる方が私は楽なんですよね。
 どうしてか?と言うと、アドリブで動けば、そうなってしまうからです。
 空手・少林寺拳法・合気・忍法・太極拳・形意拳・意拳・八極拳・八卦掌・古流柔術・居合術・剣術・杖術・半棒術・棒術・手裏剣術・・・etc.
 こういう、今まで多少なりとも習ってきた武術の動きが、私の身体の中では完全に融合していてふいに出てきてしまうので、枠組みを作っておいて動くというのは実は大の苦手なのです。だから、DVDで撮影する時は、結構、苦労して自分勝手に動かないように気をつけていますよ。

私は、游心流の技を薄めて広めるつもりは全然ありません。だから、「見学したい」と言う人もほとんど断っています。パンダ見に行くみたいな気持ちで来られても誤解されるのがオチだし、向上心を持って武術に取り組みたい人としか話をしたくないのです。マニアックな人は、自分と同類と思われる人と無駄にマニア話を楽しみたいと思うのでしょうが、私はそういう趣味は無いのです。ヒマが無いと言った方が正確かも知れませんが。

率直に言ってしまいますけど、私が追究している武術って、<どんな屈強な敵でも一瞬で何にもさせずに抹殺できる技と理論>を持つ武術なんですね。
 だから、他人と競ってみたいとか全然思わないのです。私が本気で武術を遣う時は“絶対にこいつを殺す”と決意した時だけと決めています。
 そんな決意は一生、しないに超したことはありませんよ。腕試しで人生を捨てる訳にはいかんでしょう?

ヤンキーの喧嘩で「人間はそうそう殴っても死ぬもんじゃない」って言われますし、プロ格闘技の選手は普通の人間ならまともに入ったら死んでしまうような打撃を何発も耐えて試合していますね。
 だから、「人間は、そうそう死なない」って論じられる方も少なくありませんし、その論は間違いとは言えません。実際にそうなんだから・・・。

でも、その一方で、人間はほんのちょっとした弾みで簡単に死んでしまうものでもあります。武術は、「いかに簡単確実に殺すか?」という点の研究に何百年も費やしてきている訳なんですよ。はっきり申しますが、人体の機能を停止させるのは簡単なことなんですよ。弱いポイントだけ攻めれば子供でもできます。だから、秘伝にして隠したのだし、危険過ぎるから必要ないとして現代武道の中には伝承してこなかった訳です。その殺し方を省いた武道を何年やったって、そりゃあ、殺せる技能は体得できませんからね。

先日、公園で個人指導していた時、師範代が教えていたら、見るからにヤーサンみたいな小父さんが「それ、空手なの? 俺も空手やってたんだよ。S館の二段なんだよ〜」って、練習に入ってきそうな塩梅だったので、これはマズイな〜と思って、「これはこういう具合に遣って、本当は相手の目ン玉潰して金玉を引き千切る技だよ」とか、一気に残忍な遣い方ばかり教え始めました。
 そうしたら、小父さんは無言でフェードアウトしてしばらく見ていましたが、「押忍! 失礼しますっ!」と私に挨拶して去っていきました。ケンカ自慢であっても、殺人の研究をしている訳ではありませんから、自分の想像していた以上に残忍な技ばかり見て、下手に関わるとヤバイと思われたんだろうと推測しています(と言うか、そう思うようにワザとやってみせたんだけど・・・)。

空手で二段というのが強いのか弱いのか知りませんけど、「空手の技は殺人技なんだ」なんて言ってみたって、素手で殺人しようって考える人はいないでしょう。中国武術やインド武術は、素手の体術や拳法は基本技で、実際に戦う時は刀剣や槍を使うものです。これは日本の古武術のように槍や刀が表芸なのと同様です。現代で武道を学ぶ人は、もっと視野を広げていろいろな武芸を研究してみるべきだと思いますね。

それから、これは何度か書いたことがありますが、あまりに平然と武道家だの武術家だの名乗る人が多過ぎるように思えて仕方がありません。
「よく自分で武道家だの武術家だの名乗れるな〜」と感心してしまう訳なんですよ。「で、先生は、今まで何回くらい命懸けの戦いをくぐり抜けてきたんですか?」って聞いてみたくなっちゃうんですよね〜。私は命懸けって言えるほどの戦いは経験が無いから、とてもとても自分で武術家だなんて言えたもんじゃありません。

私の先生も自分から武術家だの武道家だのというものの言い方はしませんでした。
 武を語ることに対して、凄く謙虚な先生でした。
 私は、先生が紛れもなく<達人>だと断言できますが、御本人は、嫌な顔をして、「自分なんかが達人だなんて冗談言っちゃいけないよ」って言っていましたね。

何か、こういう畏怖する心とか、戦いに対する覚悟とか、そういった心が置き忘れられて身体理論ばっかりが持て囃されて、妙にお綺麗なだけの思想が幅を利かせているんじゃないのか?って思えるんですね。

だって、今のメディアに躍らされてる人達って、中身が伴ってないし理論だってデタラメもいいところなのに、周囲に集まる連中が崇め奉って・・・達人のバーゲンセールみたいですよ。
 何で、誰も「おかしい。阿呆らしいよ」って言わないのか不思議です。

「嘘も百回言えば本当になる」って言葉がありますけど、嘘は百万回言ってみたって真実には変わりません。捏造された虚偽が歴史を騙くらかすだけの話。そして、その捏造に手を貸す志しを無くした連中が多いんだな〜って、本当に空しい気持ちになります。

私、今回の本では自分も清水の舞台から飛び降りるつもりで、交叉法の理論についてはっきり書きましたよ。これが解れば、形骸化していた武術が蘇る。権威主義で騙くらかしていた連中が青ざめるでしょうね。特別な人間にしかできないことだと信じられていたことが全て真っ赤な嘘だったという事実をはっきり書いちゃいましたからね。

武術というのは、所詮、自分のエゴを満足させるための修行に過ぎないんです。そこに思想性だの美学だの持ち込むのは、結局、自己崇拝願望でしかない訳ですよ。簡単に言えば、「エバリたいだけ」です。私も自分の中に「有名になって、人様から称賛されたい」という願望はありますよ。でも、それが「こっ恥ずかしい願望だ」という認識の方が強いんですね。やっぱり、ナルシストにはなれません・・・。

余談ですが、今年の夏は、ダンス白州に参加するだけでなく、田中泯さんのインターナショナル・ワークショップでも武術を指導することを依頼されました。
 もう、この期に及んでだから、「私なんかが・・・」みたいなヤラシイ謙遜はしませんけど、でも、責任重大ですよね。だって、私がヘッポコな真似やらかしたら泯さんの恥になるだけでなくて、「武術なんてこんなもんか?」ってことになりますよね〜?
 俺、ハッタリかますの苦手だし〜。

泯さんは私の技を直接見たことはありません。クエストのDVDは見ていただきましたが、それだけで頼まれたとは思えません。2005年に初めてお会いした時、ある武術家をTVで見て、「子供達に勝ち方ばかり教えるより、むしろ、負け方を教えた方がいいんじゃないか?」と言われて、私自身が諭された気持ちでガビィーンとなった時のことを思い出します。そんな田中泯さんが、私に頼まれた理由を考えながら、背伸びしないで自分のできるだけのものを飾らずにお見せしてこようと思っています・・・。

さて、今回の『誰も知らない武術のヒケツ』。果たしてどんな具合に受け止めてもらえるのでしょうか? できあがった以上は、評価は読んだ人の自由です。書いた者としては、楽しんでもらえれば、それで十分ですけれど、よかったら感想もお送りください。

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2007/06/23 キムタクに演じて欲しい・・・『柳生一族と闘った男』

コンビニで、『柳生一族と闘った男』という時代劇画が出ていたのでペラペラッと立ち読みしてみました。

中々面白そうだったのですが、あいにく、持ち合わせが少なかったので後で購入しようと思っていたところ、翌日には売り切れてしまっていました。

それで、しばらくしてからまた並んでいたので、今度は即買いました。

この劇画の主人公は二階堂主水(にかいどうもんど)となっており、はてな? どこかで聞いたことがあるけれど・・・と思っていたら、二階堂流の松山主水(まつやまもんど)のことでした。

もちろん、劇画自体は創作ですけれど、上泉伊勢守信綱から新陰流兵法の印可を得るために暗殺しようとする柳生石舟斎とか、世渡り下手の宮本武蔵とか、槍の宝蔵院も出てくるし、柳生心眼流や中国武術の遣い手も出る。五味康祐の『柳生武芸帖』の仇役だった山田浮月斎も出てくる。

そして、主水の敵は裏柳生・・・。

いやはや、時代小説の有名どころがテンコ盛りで、唸ってしまいました。さいとう・プロの武本サブローの『血闘者』を改題したものらしいです。

それにしても、二階堂流の松山主水というのは、九州八代(熊本県)の剣術指南役だった人で、正直言うとあまり評判は宜しくない。“心の一方”という瞬間催眠術を遣ったとされ、これで色々とイタズラをしたらしい。
 腕はたったけれども恨みも買い、最後は暗殺という不名誉な末路を辿っています。

映像作品では、『それからの武蔵』に出てきて武蔵をライバル視して暗躍するものの、姫に惚れて気に入られようと頑張ってみたり、ちょいと可愛いところがあります。

しかし、姫は武蔵に惚れているので振り向いてくれない。それで、酔って姫の屋敷に乗り込んだところを武蔵の弟子達に討たれる・・・という、悪役に成り切れないちょっと可哀想なキャラにされていました。

ヨロキン版の『それからの武蔵』では、亀石精一郎(『シルバー仮面』の春日兄弟の長男)が、欣ちゃん版では白竜が演じていましたね〜。
 どっちにしても松山主水のイメージは、「体制に従わないニヒルな剣客」といった感じなのでしょう。

まあ、暗殺という不名誉な死に様なので評価は低いのですが、実は、この松山主水という剣客には、宮本武蔵が立ち合いを所望しておきながら試合場に来なかったという話も伝わっているのです。

つまり、ひょっとすると宮本武蔵もびびるくらいの実力者だった可能性もあるのです。

だから、この作品でも不当に低く評価されている松山主水を正当に評価してあげたいという作者の想いが働いたのかも知れません。

何しろ、のっけから日本剣術史上最高の名人とされる上泉伊勢守が柳生石舟斎の刺客に襲撃されるという凄い展開から始まり、伊勢守が自害してしまう!という仰天の導入部が描かれるのですから、新陰流を習っている人が見たら、卒倒してしまいそうです。

ですが、この作品を見ているうちに、「これは映像化すると凄く面白いぞ」と思いました。剣の追究者とイメージされている宮本武蔵が、実は剣で栄誉を求め、柳生にコンプレックスを持っていたという解釈から、真に剣の神髄のみを追究して栄達を求めなかったのが二階堂主水だった・・・という作者の主張は、歴史の影に隠されていた者に光を当てようとする暖か味を感じます。

そして、「映像化するなら主役は誰か?」と考えた時、『武士の一分』で気迫の演技を見せたキムタクの姿が脳裏に浮かびました。

一回、イメージができてしまうと、もうキムタク以外に二階堂主水を演じられる役者はいない!という感じがしてきます。

『武士の一分』は素晴らしい作品でした。しかし、一つ、不満が残りました。

それは、“闘い”が少な過ぎる点です。と言うか、キムタクの死闘を存分に見たいというチャンバラ好きの血が騒いだのです・・・。

他の配役も考えてみました。初代二階堂主水(祖父)は石橋蓮司。上泉伊勢守は田中泯。柳生石舟斎は緒形拳。宮本武蔵は阿部寛。李朱明は北村一輝。くの一の胡蝶は檀れい。山田浮月斎は西田敏行。柳生貞厳は麿赤兒。柳生厳勝は夏八木勲。
 まあ、こんな感じですかね〜。

面白いと思いますけどね〜。

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2007/06/23 新刊発売記念

新刊本『誰も知らない武術のヒケツ』の発売日に合わせて、『合気開発トレーニングDVD』(游心流ストア)も6月25日(月)から発売致します。

一年ぶりの新刊本なので(手伝った本は二冊ありますけどね)、まあ記念ということで、ケータイ小説・猫目又十郎の連載も、今回は二回分ドーンと掲載しちゃいますよ〜。

何しろ、怪忍獣VS巨大変形ロボの対決という時代劇の掟破りのスペシャルな展開ですので、必読を宜しゅう・・・。

思えば、昔の赤影とか特撮系時代劇には、普通に怪獣とか出てたし、ライオン丸も最後は巨大神変化の術を駆使する大魔王ゴースンと戦ったりしてました。

最近の作品はセンス・オブ・ワンダーの精神が低下してる気がしますね〜。

あ〜、そういえば、休刊した特撮専門誌『宇宙船』の版元の朝日ソノラマが九月には解散しちゃって朝日新聞に吸収されちゃうんだそうですね〜。これで復刊は難しくなってしまったか〜?

おっとっと・・・また、話がコロコロ変わってしまった。

まあ、6月25日の新刊発売を機会に、いろいろやっていくつもりですので、宜しくお願いします。(7月1日の新刊本発売記念セミナーも宜しく!)

追伸;過去ログの訂正があります。田中泯さんのインターナショナル・ワークショップでの私の武術指導は一日の間違いでした。訂正してお詫び申し上げます。フェスティバルの一般向け武術ワークショップは別にやる予定です。日時が決まり次第、告知します。

それから『発勁開発トレーニングDVD』の店頭販売は、神保町書泉、高山本店と、西荻ナワ・プラサードです。納品したのを勘違いしておりました。御要望があれば店頭販売分DVDも丹田、合気も置かせてもらおうかな?と思っております。「ネットで買うのは性に合わん」と言う昔気質の方はどうぞ。

えっと、もう一つついでに・・・。個人指導に関してですが、私、今後、益々忙しくなりそうなので、指導料金を値上げさせてもらいました。先日、申し込みしておいて来られず、そのまま連絡も無い方がおられました。その日はまだ料金は値上げしていなかったんですが、勘違いされたのでしょうか? どっちにしろ予約された日時は私は予定を空けて待っている訳ですから、最低限、事前連絡はしてください。お願いしますね。

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2007/06/21 居合術新技“卍月”完成!

久しぶりに、ホームページを漫画喫茶で見ました。
 何しろ、自分ではパソコンもできないし、携帯電話すら持っていなかったのですが、「ケータイ小説まで書いているのに携帯電話持ってないって、ど〜よ?」って周囲から言われまくって、ついに携帯電話を購入しました。けど、中々慣れなくってね〜(それにしても、知らない間に携帯電話ってえらく進歩してたんですな〜。パソコン要らなくなるかも?)。

で、ホームページを見て、自分が書いてるブログを読んでみて驚きましたよ〜。
「何じゃ? この文章量は?・・・」と、まず、唖然・・・。
 そして、話があっちこっちに飛んでいって(二転三転どころか七転八転してる?)、最初のテーマと何の関係もなくなって終わる・・・というパターンが多い・・・。

「これって、気ィ狂ってる人の文章みたいじゃ〜ん?」って、自分で読んでてビックラこいちゃいましたよ〜。今後は、もうちょっと整理して書こうと反省しました。

さて、本日のお題は、武術の個人指導をやっている最中に開発した新技についてです。

新規入会した方への個人指導の相手役で来てもらっていたT師範代に、指導が終わった後に居合を教えていた時、刀の抜き・斬り・納めまでを一挙動で行う若山富三郎先生が時々披露していた居合術について質問され、私が半分くらい秘密を解明できていて、そのようにやって見せて、「恐らく、こうやっている筈なんだけど、これでは斬りに力が乗らないしスピードも出ないんだよね〜」と言いつつ、一応、教えてみました。

T師範代の苦労している箇所を「もう少しこうやってみて・・・」と何度か注意している時に、『シグルイ』の虎眼先生のあの不自然な抜き方に似た形でやってみると、これが意外といい感じでできた。

それで、何回か練習しているうちに、「こうやってみたらどうかな?」と、ある握り方を試してみたら、何と、結構、ピュンッという感じで剣が走って、そこそこスピードが出た。

おっ、こりゃあ感じがいいぞ?と思って、T師範代にもやらせてみたら、やっぱり、中々いい感じです。柄を握る位置と人差し指の形を工夫してみただけで全然感じが違ってきたのです。何度か試しているうちに、「あっ、これならイケる!」と確信できたので、この技は游心流居合術の秘伝にしようと思いました。

それで、名前をつけようと思って、後からやって来たK師範代も交えて案を練りましたが、「若山富三郎先生の秘術だから“若山スペシャル”ってのはどうかな?」とか、阿呆な技名しか思いつかない。それで、後でゆっくり名付けようということで、その日はお開きにしました。

今、この原稿をワープロで書きながら考えたのは、“卍月(まんげつ)”という名称です。
 最初は剣の軌道が円を描くので、“満月抜き”にしようか?と思ったんですが、漢字がパッとしない。イマイチです。
 そこで、“まん”の字を漢字変換で探したところ、“卍”の字が有って、「はっ? これは、ブリーチの死神の隊長格しかできないと言われる“卍解(ばんかい)”みたいで、かっこいいかも〜? 剣がクルッと回転するこの技の特徴もそのまま表現できるし〜?」と思って、“卍月”にしました。

三尺三寸の大太刀を抜く神夢想林崎流の秘訣に“卍抜き”というのが有りますが、これは技の名前ではないので、まあ、いいだろうと思います。

名前も付けたので、これからしっかり稽古して、この技が実用に役立つように磨きをかけていきたいと思います。でも、かなり難しいから、游心流の秘伝として師範代格以上の者にしか教えないということにしま〜す。

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2007/06/12 『連城訣』を観て・・・

金庸原作の武侠ドラマは、『射チョウ英雄伝』を皮切りに、『笑傲江湖』『天龍八部』『神チョウ侠侶』がチャンネルnecoで放送され、現在は、『連城訣』を放送しています。

私が武侠ドラマを知ったのは、『機動武闘伝Gガンダム』の、主人公のカンフーの師匠で、素手でガンダムをブチ壊すオヤジ、“マスター・アジア”こと“東方不敗”が、武侠映画に登場する最強のオカマ(ブリジット・リンが演じておりまする)からインスパイアされたキャラクターであるという話を知ったからでした。

このGガンダムは、ガンダム・シリーズ中、屈指の異色作として(必殺シリーズに於ける『翔べ!必殺うらごろし』みたいなものか?)、好きな人は大好き、嫌いな人は「あれはガンダムじゃないっ」と言いたくなるような作品でしたが、私は大好きでした。

国際紛争を、各国代表のガンダム同士の格闘戦で解決しようという知る人ぞ知る特撮SF巨大ロボット作『ロボジョックス』みたいな設定なんですね。
 現実に、こういう設定にしたら、日本がぶっ千切りで覇権握っちゃいそうですね。

このGガンダムの監督の今川泰宏さんが、徳間文庫から出ている『連城訣』(下巻)の解説文を書いていて、武侠小説に対する熱い想いを述べています。「そうか〜、東方不敗は仮の名前だったのが間違えて雑誌に載って、変更できなくてそのままになっちゃっていたのか〜?」と、私は妙に感心させられましたね。

さて、そんな『連城訣』のドラマですが、何でも31回の連続ドラマをダイジェスト編集して7回分にしているとのこと・・・ちょっと、それってどうなのさ?と言いたいところではありますが、金庸版「岩窟王」と呼ばれるこの作品、主人公の悲惨過ぎる運命を延々と見せつけられるのは確かに辛いかも?・・・と、原作本を読んで思いました。

金庸作品は、『神チョウ侠侶』(日本語版小説では『神チョウ剣侠』というタイトルに変更されてます)と、『笑傲江湖』は読んだんですが、非常に面白いものの、ラストの終わり方が何だかパッとしないんですね〜。何だかウヤムヤになって終わってしまう感じがするのです。

そこんところ、『連城訣』は上下二巻の作品なので、終わり方は何だか慌ただしくって、オヤオヤ?とは思うものの、最後の最後にジワッとくる感動的なエンディングで、これはダニエル・キースの名作『アルジャーノンに花束を』に匹敵しますね。

まあ、「中国人の性格ってこうなのか?」と、呆れてしまう印象も受けますが、出てくる武術の遣い手たちの性格の酷いこと酷いこと・・・ムチャクチャでござりまするがな〜という感じなんですね〜。こんなに平然と人の信頼を裏切る武術家って・・・流石に、一人くらいしか思いつかないな〜。

で、主人公は木訥過ぎて誤解されまくり、濡れ衣を着せられまくります。これだけだと、あまりに悲惨なだけなんですが、そこがそれ、金庸先生は主人公に、天下無敵の超達人になる運命を与えてくれています。

多分、金庸先生は、武術の世界の内情に相当詳しかったんでしょうね〜。知らないで書ける道理がありません・・・。
 特に、今回、「花胡蝶なんてあだ名の人が武林(武術界)にいるんでしょうか」なんて書いてあるんですが、「シュアイジャオと八卦掌の達人に“花胡蝶”ってあだ名の人がいたよな〜」って思いましたよ。知ってて書いているんだろうと思いました。

ところで、ドラマ版の方で、連城訣を唯一知っていて、三人の弟子に命を狙われた鉄骨墨萼こと梅念笙を演じているのが、ジェット・リーのデビュー作『少林寺』で悪の将軍を演じてデビューし、『少林寺2』を経て『黄河大侠』では主演、この武侠ドラマのシリーズでは『笑傲江湖』の必殺“独孤九剣”を主人公に伝授した華山派剣術流の風清揚、『神チョウ侠侶』では、“弾指神通”“玉簫剣法”を主人公に伝授した“東邪”こと黄薬師を演じた于承恵です。

この人は、元々が剣術の名手として有名な武術家で、顎髭の感じと鋭い目付きが石橋雅史先生を彷彿とさせていました。『連城訣』では、久しぶりに、剣術の腕前を披露してくれていますが、これが実に見事で、惚れ惚れしてしまいました。ちょっと猫背で敵の隙間に剣尖を滑り込ませていくような剣遣いは、昔はピンとこなかったんですが、今観ると巧妙精緻で無駄がありません。両手で柄を持って中心線から突きを出していく技なんかも、他の剣術ではあまり見ない独特なものです。もちろん、ドラマですから、笑ってしまいそうな演出はありますが、その動きは紛れもなく本物の実力。カッコイイです・・・。

もっとも、一話で死んでしまうので、残念です。もう結構な年齢の筈だから、長丁場のドラマ出演は無理なのかも知れませんが、技そのものは昔より向上されているように感じられましたね〜。やっぱり、年よりが強いっていうのは武術のロマンでいいですね〜。

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2007/06/04 『ウミヒコヤマヒコマイヒコ 田中泯ダンスロード・インドネシア』公開中!

6月2日(土)は、いつも練習している江古田ストアハウスが取れなかったので、初めて大塚のつばさ基地を使わせてもらって、健身法と半棒術の稽古をやってみました。

いや〜、初めての場所で、アクション女優として活躍されている秋本つばささんが主宰されているスペースですが、実に環境が良く、しかも秋本さん直々に出迎えていただいて、感無量でしたよ。(色紙買ってきてサイン書いてもらうの忘れてしまったぜいっ)

さてさて、それはそれでまた次回の御報告にするとして・・・、ついに田中泯さんのドキュメンタリー映画がロードショー公開されましたっ!
 初日ですから、稽古が終わってから渋谷のシアターN渋谷に直行して、二回目の上映を会員三人連れで観てきました。

丁度、油谷監督と泯さんのトークが上映前にありましたが、製作のきっかけや裏話が聞けて面白かったですね。
 インドネシアの島々を回りながら、道端で、村の中で、森で、川で、滝で、海で、船で、田圃で・・・田中泯さんの始源の踊りが衝動的に始まる様子は、圧巻です。

私は、2005年の白州と、先の試写会に続いて三回目だったんですが、本当に、この作品は何回観ても印象が変わる、摩訶不思議な作品なんですね。

「アレッ? こんなシーン、有ったかな〜?」と思ったのが一度や二度じゃない。三回も観た映画で、こんな印象を受けたのは、これまで一度もありません。

いや、似たような経験は一度だけありました。やはり、ドキュメンタリー作品で、『伝承』というチベットを描いた作品でした。

しかし、この作品は、一種のアート・ビデオのような趣の作品だったのです。田中泯さんのナレーションが入った、一応の筋立てのあるドキュメンタリー作品で、こんな経験をするとは自分でも驚かされてしまいます。

そして、何回観ても、本当に素晴らしい作品です。映像の美しさ、ロケーションの美しさ、そして、田中泯さんの蠢く肉体の美しさ・・・。

何と表現すればいいんでしょうか? “生命力に溢れた死体”とでも言ってみましょうか? 一切の批評を拒絶するかのような孤高の芸術家の魂と、それさえあっさりと放り捨ててしまいそうな突き放された“権威”。

トークショーで、「田中泯という名前が勝手に肥大して一人歩きすること」への違和感を吐露して、“私はマイナーキングだ”と、粋な自分ツッコミ発言をして観客を当惑させる泯さんの反骨ぶりを、「あ〜、カッコイイな〜」と、私なんぞは心から思うのです。

5月31日の泯さんの踊りを、私は折からの雷雨で不通になった電車のために、またもや観損なってしまっていたのですが、代わりに観てきてもらった師範代の感想を聞くと、「ターミネーターに出てきたT−1000(リキッドメタルでできた変幻自在のロボット)みたいでした」とのことで、「あ〜、そうなんだよな〜。泯さんの踊りは技術を超えた身体の蠢動にあるんだよな〜」と、妙に納得させられました。

そして、師範代はこうも感想を言っていました。

「物凄い気迫を感じて、飛び掛かってきそうな怖さを感じました」と言うのです。
 あ〜、やっぱりそうだよな〜。分かる分かる・・・と、これは私たちだけかも知れませんが・・・。

この“ダンス”と格闘するかのような泯さんの旅は、それ以上に、生命の始源を探るような異界を旅するマレビトの姿を映しているように思えました。

昔、『ハチのムサシは死んだのさ』という歌がありましたけれど、ふと、それを思い出しましたよ。“おひさまに挑んで焼かれて死んだハチのムサシ”・・・なんとなく、それを思い出しました。

上映期間中に、もう一回は観に行こうかな〜と思っていますが、皆さん、是非、ご覧になってみてください。

シアターN渋谷(渋谷駅西口南改札より3分ほど。さくら通り坂道のアニメイト2F)にて上映中! 水曜日はサービスデイで1000円だそうですよ。

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2007/05/28 合気DVD撮影しましたっ!

丹田、発勁に続いて、游心流DVDシリーズの第三弾『合気開発トレーニング』DVDの撮影もしました。

いや〜、発勁が頑張って、蹴り技の発勁だの奥義といわれていた全身のどこからでも発勁できるという抖勁(とうけい)をやったり、交叉法を使った先の取り方、歩法(蛟龍歩を使った間合の詰め方)なんかまで撮ったので、「合気で何やろっかな〜?」と思っていたんですね。

それで、今回は見世物演芸よりも、具体的な合気の原理構造をきちんと解説することにしました。

以前のビデオやDVDでは、発勁の打ち方や合気の演芸的な見せ方を中心に撮っていましたが、いつまでもそればっかりじゃ、意味ないでしょう?

だから、“達人演芸”よりも今回は、“理論”を重視して解説してみましたっ!

もちろん、合気の実用研究で、対打撃技、対掴み、対二人、対四人、対ナイフ、対刀もやってみました。

けれども、やってみて気づいたんですけど、私はやっぱり元々が拳法系の思考なんだな〜ってことですね。殴った方が早いじゃん?って思っちゃって、殴ったり蹴ったりしたくなっちゃうんですよね。ちょっと、困ってしまいました〜。

そんなDVD第三弾『合気開発トレーニング』、夜・露・死・苦・・・。

PS;DVDシリーズ『丹田開発トレーニング』『発勁開発トレーニング』絶賛発売中!
PDF書籍もヨロシクねっ! ちなみに、これらを御購入の方の質問歓迎です。都内近郊にお住まいの方に限って、一回限定で無料個人指導もやりますので、御希望の方はメールでお問い合わせください。

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2007/05/28 裁判に思想を持ち込む愚劣さ

戦争を起こす最大の要因は何か?というのを学生時代に考えた時、行き着いた結論は、「思想が戦争を起こしている」というものでした。
 思想、あるいは何々主義、宗教理念といった代物が、対立を生み出して殺し合いに発展している・・・。

だから、私は思想が嫌いです。大義名分を掲げて暴力を正当化する連中が嫌いです。右も左も嫌いです。偽善的な言葉を並べる連中には吐き気をもよおします・・・。

従って、剥き出しの本音を胸を張って言う人が好きです。「私には思想があるのだ」と鼻の穴をふくらませて他人を見下すようなバカにだけはなりたくないと思います。

言葉は基本的に嘘を含みます。真実を正確に語ろうとしたって、そんなのは無理。必ず嘘が含まれてしまいます。だから、言葉で語ることで真実を認識できると勘違いしない方がいい。

嘘をつけないのは身体を使ったことです。「あの人は達人だっ!」と百万人が思い込んでいても、たった一回、マトモに手合わせしてボロ負けすれば嘘が判明してしまいます。
 だから、格闘技は「嘘が無い」というところが本来の魅力であり、そこにヤラセを持ち込む者は非難されて当然でしょう。

私は、嘘が当然として組み込まれてしまいつつある現在のプロ格闘技には、興味が無くなりつつあります。

それならむしろ、最初からフィクション(これは嘘話です)と明確に打ち出したアクション映画やドラマの方がずっと楽しめるのです。

本当に腹がたつのは、いかにも本当めかしたフェイクです。人を馬鹿にしたような茶番劇を「これが真実でございます」みたいな真似で見せられるのは詐欺犯罪でしょう。

今日(5/25)、原稿書きしながら昼のワイドショーを見ていて、事件当時から注目していた母子殺害裁判の大弁護団に憤りを通り越して、殺意すら覚えるくらい腹がたちました。

死刑判決廃止論を標榜する弁護士団が、犯行当時に未成年だった犯人の死刑判決を阻むためだけに集結し、「著しい精神的な未発達が理由の偶発的な事件」と主張して、レイプ目的で抵抗されたから殺して姦淫し、赤ん坊が泣き止まないから殺してしまった犯人を、無理やり傷害致死罪だけに留めてしまおうとしているのですから、酷い話です。

この事件が起こった時、被害者の夫が「できることなら犯人を殺してやりたい」と憤りを訴えていたのを見て、自分だったら本気で殺しにいくかも知れないな〜と思ったものでした。

何しろ、事件の内容が酷過ぎます。鬼畜の所業とはこういうことを言うのだろうと思いました。

ところが、21人もの弁護団の主張は、「犯人は父親の暴力を受けて育ち、母親は自殺して著しく精神的に未熟なまま12歳くらいの精神年齢しかない。だから、犯罪は亡くなった母親に甘えるような気持ちで行われて、偶然的に死に至らしめてしまったので、魔術的な儀式で蘇生させようと姦淫したもので、赤ん坊が泣きやまないのであやすつもりで首を紐で蝶々結びしたら首が閉まって死なせてしまった・・・」というのですから、阿呆らしいというより、「ふざけているのか?」と言いたくなります。

だいたい、12歳くらいになって母親に甘えてじゃれますか? 甘えてじゃれる子供が強姦しますか? 仮に、犯人がそう主張したとして、異常性を疑わせて精神鑑定したとしても、こんな犯罪を起こすような人間を医療的な処置で更正させられるのか?

猟奇事件を起こした人間の多くが性倒錯の変質者です。更正したケースは少ないとされます。ミラーマンや某芸能人の例もあります。中毒患者なので、投薬で欲望を抑制するくらいしか有効な対策はありませんし、江戸時代なら乱心した殿様を閉じ込める座敷牢もあったでしょうが、現代では人権思想(またか?)で犯罪者予備群となる変質者を野放しにしている訳です。投薬で異常行動を起こさせてしまう場合もあるのだし・・・。

思うに、この犯人は小学校に侵入して児童殺傷事件を起こした男と同様で、精神異常を装っている狡猾なタイプではないでしょうか。早く死刑にしてくれと望んだあの男の方がまだマシでしょう。

死刑廃止論という思想に凝り固まった弁護団(弁護士は一人で十分なのに・・・)にとっては、事件そのものの本質論は眼中にない様子です。要するに、自分たちの思想を現実化するためにかっこうの素材だったから、この件に飛びついてきただけでしょう。人権思想よりも、現実を見据えた有効性のある論議をしなければならないのに、思想が先に有りきで前提が揺るがないので、結局、現実の方を歪めて茶番劇のような捏造をしてしまう。本当に愚劣過ぎます。

死刑の妥当性を問うならば、別の場でやるべきでしょう。
 この事件の犯人が傷害致死罪で最高の量刑である(とワイドショーの弁護士がいっていた)20年の刑期を終えて社会に出てきた時、二度と同様の犯罪を犯さない人間性に変わっているのか? 期待できないと思いますね。人間、自分から意識的に変わろうとしたって、中々変われるものじゃありません。ましてや、自分から変わりたいとする意志の無い人間は、無理ですよ。なぜなら、もし、この犯人が本当に自分の犯した罪の重さを反省しているとしたら、自分から「死刑にしてください」というはずだからです・・・。

私は、本当に、つくづく思想というのは人間をダメにするな〜と思いましたよ。
 非道な犯罪の犠牲にされた方、御遺族の方が本当に気の毒です。犯罪者の人権より、被害を受けた側の人権を考えて欲しい。妻と子供を惨殺されて9年間も裁判で戦い続けている夫の心中を思うといたたまれなくなります。早く決着させて、彼に新しい人生をおくらせて欲しいものです。

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2007/05/22 『誰も知らない武術のヒケツ』六月発売(予定だニャ〜)

長らく書き直しのリング・ワンダリングに陥っておりました『あなたの知らない武術のヒミツ』の姉妹編本が、ようやく完成目前となってまいりました。

写真も撮り、イラストもでき、表紙デザインも決まり、後は仕上げ作業を5月中に追い込みでやるだけです・・・。

ふう〜っ・・・。

今回は苦心しましたぜぇ〜。
 でも、苦心しただけに内容は、かつて誰も書いたことがなかった武術の戦闘理論について書くことができました。

いや、本当は、これは書きたくなかったんですけどね〜。その辺の武術本と同列に思われるのは嫌だから、こりゃあもう、書くっきゃねえな〜って感じで、エイヤーッ!とばかりに秘中の秘を公開しちゃいましたよ・・・(でも、知らない人には何が大切なのか、さっぱり判るまい・・・)。

しかし、師範代に任命した会員さん達は、発勁の威力も凄く上がってるし、もう、どこに出しても恥ずかしくはありません。半年後、一年後には、どれだけ上達してくれていることか、想像もつきません。

今回、空手道・合気道・居合術・中国武術が伝えている優れた理合について、今更ながら痛感させられました。
 基本をしっかり習得していた人は、基本の意味が身体で解ると、突然、ワンランクもツーランクも実力アップするという事実が確認できました。

やっぱり、武術は素質や才能とは無関係に誰でもやればやっただけきちんと上達するもんですよ。

六月からは、半棒術も練習して、素手の体術、居合剣術、半棒術、気功とレパートリーを広げていく予定です。

半棒術は、ステッキやゴルフクラブ、バット、傘などで代用できるし、杖術、棍術、槍術、薙刀術等へ発展させていくこともできます。剣術との共通性もあります。
 その半棒術から複数の敵と戦うやり方も研究再開してみようと思っています。

そんな訳で、初級講座とシダックス「武術で護身術」講座も新規入会募集しています。

遠方で都合のつかない方は、DVD(クエスト発売中のものと発勁・丹田開発トレーニングあり。次回作は合気開発トレーニング)と各種PDF書籍で勉強してもらって、たま〜にセミナーを受けていただくのでも十分に上達できますから、お勧めしておきます。

まあ、何もやらなきゃ何も変わりません。変わらない人間というのは、要するに成長しないガキだということです。変わらないあるがままの自分を善しとする人はバカです。
 私は、一秒たりとて同じ地点に留まっていたくありません。
 自分を変えて人生を変えていくには、変わろうとする意欲と実践あるのみです。

ぼやいたり悩んでいたりするヒマはありません。そんな腐っていたら人生はどんどん過ぎていってしまいます。

私も今はドンドコ変わっていって、目指せ! 売れっ子ケータイ小説作家ですよ〜(『逃れネコ 猫目又十郎』ヨロシク! 自分でいうのも何ですが、気ぃ狂ったように面白いから読んでくださいね。書いてて脳内麻薬出てる気がする・・・)。

え〜っと・・・、とにかく・・・『誰も知らない武術のヒケツ』アスペクトより六月発売しますから、買ってくださいね。

追伸;スイマセン。どうやら間違いでした・・・『あなたの知らない武術のヒミツ』は電子ブック版はまだ出ていないようです。誤報で申し訳ありませんでした。

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2007/05/18 超神速の居合術! 君は若山富三郎先生を知っているか?

携帯で新しく出した『剣鬼・若山富三郎評伝』の宣伝をば・・・。

PDF書籍で出した中でも“最も売れなかった”この評論・・・実は読んだ人達からは絶大な高評価を頂戴しております。

そもそも、普通の書籍として原稿を書いて、いくらか出版企画として打診してみたものの、果たせずにいたものでした。PDF書籍にしたのも、自費出版の代わりのつもりだった訳です。

担当者も、「これはもったい無さ過ぎますよ。若山富三郎先生を知らなくても、単純に先生がこれまで書いてきている武術評論としても凄く完成度が高いし、お笑いもあるから面白過ぎますよ」と申しております。

そうでしょう〜? そうなんですよ〜。みんな、「武術家でもない役者の評論だろ?」ってんで、馬鹿にして読まないんだけど、よく考えて欲しいのは、私が「単なる役者の評論を書く訳ない」ってことなんですよ。

何回いっても、「ま〜た、長野先生のいつもの冗談でしょう?」って、会員でさえ相手にしてくれないんですが、私は、正真正銘、若山富三郎先生を“武術家 ”として尊敬しているんですよ。だって、あの物凄い超絶立ち回りの腕前を見て、単なる“立ち回りの上手い役者さん”だとしか感じなかったとしたら、その人は百年武術修行してもものにならないでしょう。

若山先生の殺陣は、明らかに“武術の修行で培った動き”ですよ。それも、本職の武術家も凌ぐ水準なんですよ。どうして、誰もそこが観抜けないのか? 目ン玉腐ってるんじゃないの?って思いますけどね。

若山先生は、天才、役者バカと呼ばれた勝新太郎の兄として、弟の影に隠れて一般的な認知度は低かったんですが、晩年は渋い演技派の名優として評価されていました。

しかし、若山先生の真骨頂は、時代劇の剣戟役者としての卓越した殺陣の技量にあり、しかもその殺陣のベースになっているのが古武術であって、紛れもなく“達人”の域に到達していた点こそ、評価されて然るべきことなのだと私は考えている訳です。

一番目には、“超ハイスピードの居合抜き”。私は、これほど見事な居合抜きのできる武術家を他に知りません。単純にメチャメチャ速いっ! 弟の勝新も座頭市で見事な逆手居合抜きを見せていましたが、若山先生は速いだけでなくて太刀筋がしっかりしていて実際にそのまま斬れるでしょう。『三匹の侍』の最終回にゲストで出た時とか、時々、「あっ、これは本身を使って本当に斬ってるな」と思えるシーンもあったりします。しかも曲芸的な太刀捌きで三尺もある大太刀をクルクルッと回して納めるような熟練っぷり・・・カッコ良過ぎます。

二番目には、“立ち回りの最中に投げる必殺手裏剣”。これも驚きます。立ち回りを演じている最中に手裏剣を投げ打ったりしているのです。これもカット割りしていないシーンがいくつもあるので実際にやっていたのが一目瞭然です。時には、からみ役が着物の胸にガードを隠しておいて、そこに打ったり(命がけだ・・・)、ムチャッぷりが徹底しています。

三番目には、“サモハンのように身軽な体術”。若山先生は太っています。どう見ても80kgオーバーです。それなのに、トンボは切るは、ドロップキックはかますは、仮面ライダーみたいな飛び蹴りはかますは・・・とにかく身軽なジャンプ技を駆使します。しかも、空手殺法や古流柔術の逆関節技なんかも見せます。

四番目には、“とにかく武芸百般、何でもござれ”。殺陣師の上野隆三氏は、時代劇専門誌の取材で「殺陣の一番上手い役者は誰か?」と聞かれて、若山先生の万能ぶりを絶賛していました。とにかく、棒・槍・薙刀・馬術・水泳・射撃・・・と、できないものが無いくらい、何でもできるのです。これは正に、武芸百般に通じていた昔日の武術家そのものなのです。TVシリーズ『賞金稼ぎ』では、銃身が30cm(普通は10cmくらい)もあるコルト・バントラインスペシャルをクルクルッとスピンさせてホルスターに納めていましたし、ある時は伸縮式の特殊警棒を左右の手に持って、ダニー・インサント師父が駆使するカリ・スティックのようにビシバシビシッ!と相手を打擲してのけていました(時代劇なのに・・・)。

こんな素晴らし過ぎる若山富三郎先生のハーデスト殺陣のファンは映画関係者に数多く、かの『キルビルVol,2』のラストでTVに映っていたのが若山先生演じる『子連れ狼』の米国再編集版『ショーグン・アサシン』であったのは、マニア間で話題となったのでした。

若山先生をリスペクトしているのは、千葉ちゃん、暴れん坊将軍(松平健)、緒形拳、高橋英樹、古田新太、北村龍平、坂口拓、クエンティン・タランティーノ、ジュディ・オング、中尾彬・・・等々、その超絶殺陣の見事さにほれ込んだ人達ばかりです。

武術系殺陣の上手い人達は、リアルさに偏ってケレン味を嫌いがちですが、若山先生の場合はリアルさとケレン味のブレンド具合が実に見事なのです。

残念ながら、若山先生の素晴らし過ぎる殺陣が堪能できる作品の多くはDVD化されておらず、比較的鑑賞し易いのは、千葉真一が主演した『魔界転生』でしょうか? この作品は、老いて尚、若山先生の実力が少しも衰えていなかったことを物語る、アクション度は若山先生が千葉ちゃんに勝っている作品です。特に、宝蔵院胤舜との立ち合いでのフワリフワリと浮身を駆使して軽く槍を避けていく体捌きと、緩急自在の鋭い太刀捌き、そしてクライマックスで炎上する江戸城内で大量斬殺に及ぶ柳生但馬守の演技は鬼気迫る迫力でした。

そんな若山富三郎先生の超絶武術を、私が分析しまくった『剣鬼・若山富三郎評伝』、絶対、読んでくださいね〜。

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2007/05/18 何故か、一年後に反響? 『あなたの知らない武術のヒミツ』

ここのところ、何故か、一年前に出した『あなたの知らない武術のヒミツ』(アスペクト刊)を読んだ方からの感想や問い合わせが届いています。

何で?と思うんですが、しばらく書店で見なかったのが、再度、並んでいたりするようで、最近の甲野氏の活躍で、アンチ甲野氏の私に注目する人が増えてきたのかも知れませんね〜。

出版元のアスペクトさんでも“電子ブック版”が出ているみたいですから、書店で買いそびれていた人達が改めて読んでいるのかも知れません。

私も、第二弾を書くにあたって少し読み返したんですが、久しぶりに読むと、「俺って、頑張って書いてるよな〜」と、自分でちょっと関心しちゃいましたよ。

この本を書いてる時は、親父の病状が進んでいて、助かる確率が五分五分だからっていうんで、手術日には郷里の熊本に帰ったりしていました。
 丁度、会の中でトラブルが発生して大変な時期でもありましたけど、今の師範代に任命している数人の会員が支えてくれて何とか切り抜けてこれました。私独りじゃ絶対に乗り切れなかった・・・。

結局、手術は成功しても親父が元に戻ることはなく、半年後には亡くなりましたが、この時も師範代が葬儀場を調べて弔電をおくってくれたりして、今でも本当に感謝していますよ。心配させたくないから親父が死んだのは知らせなかったんですが、シダックスの講座を休むのにお店には連絡して、そこから伝わって調べてくれたみたいです。知らせてないのに弔電が来てたから本当に驚きました。

まあ、この本は、亡くなる前の親父には送って見せることができました。嬉しそうにしていたと聞いて、少し心が晴れました。最後まで親不孝しかしていないんじゃ申し訳ないですからね。出版時期を調整してくれた編集部の関さんにも感謝しています。

でも、正直、この本が売れなかったら、諦めて田舎に戻ろうと思ってましたよ。それくらい乾坤一擲の人生の勝負を賭けて書きましたよね〜。「これが俺の全力投球だから、これが世の中に受け入れられないんだったら、この先も俺の考えが受け入れられることはあり得ないだろう」と思っていました。だから、売れて良かった〜って感じです。

今、読み直すと、訂正したいところや自分の未熟さに恥ずかしい気もしますが、色んな人に支えられて出せた本なので、本当に愛着があります。書いた時点では全力を出し切って書いたという実感がありました。

昔、壮神社で処女作を出してもらった時も、感無量でしたけれど、あの時は監修の先生に結果的に迷惑をかけることになって申し訳なかったな〜と後悔が残りました。
 壮神社の社長さんにも何度も危ないところを助けてもらっていて、まだまだ義理が果たせていないままです(O社長。何か私にできることがあったら、言ってくださいね)。

武道メディアから嫌われている私を拾ってくれたクエストのK社長にも恩義があります。DVD(『長野峻也 游心流武術秘伝の原理』発売中! 一応、レパートリーは一通り披露しておりまする)が結構売れたので、金銭的にはお返しできたのかな?とも思いますが、やっぱり、もっと儲けて戴かないと恩返しとは言えませぬ・・・。

本当、最近つくづく思うのは、人間は他人に支えられて生きているんだってことです。
 親を殺したり、子供を殺したりする人間が出てくるのは、エゴイズムが肥大していっているからなんじゃないかな〜?と思いますよね。自分のことしか考えられない人間が増えていっている気がする・・・。

本当に不幸なことです。人に支えられて自分が生きていけるということを理解できないというのは・・・。まず、親がいたから自分が存在している訳で、親が子供育てるのは無償の愛情があるからな訳ですよね。感謝しても恨む筋合いはありません。

私の場合、「武術を始める切っ掛けを作ってくれた中学時代のイジメっ子達に感謝」「陰で誹謗中傷して、生まれつき呑気な私の“負けじ魂”を鼓舞してくれた人達に感謝」「生活苦の時に雇ってくれたラブホの店長に感謝」・・・もう、感謝の気持ちだけしかないですよ〜。
 いや、決して皮肉じゃなくて本心ですよ。“ものは考えよう”ってことなんですよ。

そういえば、最近、近くのコンビニが閉店していました。コンビニというより昔の駄菓子屋みたいな感じで薄暗いあか抜けない店で、昼間は勤労意欲の無いオバちゃんで深夜はトッポイお兄ちゃんが店番をしていましたけど、深夜に買いに行ったら暗くなってて、のぞいてみたら店の中は商品が無い・・・。予測はできましたけど、無くなると物寂しいものがありますね。でも、どうせ買うなら、若干遠くても明るくて小綺麗なコンビニに行くよな〜、心情的に・・・。

私の郷里の天草も、帰る度に寂れていって人が少なくなっていくのに、妙にだだっ広い店が郊外にオープンしてたりして・・・何かヘンです。土地だけは余ってるけど、産業が無いから人がいつかなくなっている様子です。寂れていく故郷って、何かね〜。別に郷土愛が強い方じゃなかったんですけど、何とかしなきゃ〜いかんバイって気持ちになるもんですね〜。

“故郷は遠きにありて思うもの”って言葉も何か、意味深です・・・。

う〜ん・・・何か、今の日本には全体的にもっと活力が必要な気がするな〜。
 そのためには、ものの考え方を建設的にする心掛けが必要な気がしますよね〜。

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2007/05/18 SAT隊員の犠牲に思う

最近、拳銃を使った犯罪が連続して起こっていますけれど、日本もアメリカ型の銃犯罪社会になりつつあるのか?と思うとぞっとします。

日本の治安が世界一良いと言われていたのは、銃規制が厳しかったのは論じるまでもない訳です。が、犯人が銃を持っていた場合に対する制圧力の欠如が、今回は致命的な弱点として露呈してしまったように思われます。

元警官だった私の小学校時代からの親友は、警官を辞めてかなり経ってから、「実は俺はSATにいたんだ」と告白してくれました。当時は、SATの存在は世間的には知らされておらず、警察内の実験的な特殊部隊として機動隊の中から組織されていたようです。

だから、警官を辞めた時点でSATの存在を口外しないように厳重に誓約を受けていたようです。彼が打ち明けてくれたのは、酔っ払いのハイジャック事件の制圧のために初めてSATが公に姿を現した時でした。

その後、存在が明らかになったSATは、MP−5サブマシンガンで武装した特殊部隊として、世界中の特殊部隊に並ぶコマンドチームを目指していた様子です。

しかし、具体的な銃撃の市街戦闘に対する経験不足はいかんともしがたかったのではないでしょうか?

元SAT隊員だったと告白してくれた私の親友は、柔道や少林寺拳法の心得はあるものの、ごくごく普通の常識人であり、拳銃でためらわずに犯人を射殺できるような冷徹な精神は持っていません。警察学校時代に射撃の点数が伸びないから・・・と、Gunマニアの私に射撃のコツを教えてくれと手紙を寄越して、私が細かく図解つきの手紙で教えたところ、良好な成績が取れたと喜んで御礼のプレゼントを贈ってくれたくらいで、そんな実戦がどうの・・・なんてことは考えたことのない優しい性格の男でした。

殺し合いの頻発する国にでも生まれ育っていなければ、そうおいそれと人を撃てるものではないでしょうし、平然と人に銃口を向けて引き金を引けるような人間を称賛する方がどうかしています。

ですが、その人非人のような行動を敢えて取れる人間も必要でしょう。

今回の流れ弾に当たって死亡されたSAT隊員の方も、普通の警察官だったのではないか?と思います。まだ若く、一歳にも満たない子供がいる父親だったという話を聞けば、警察官という仕事の苛酷さに悲壮感が拭えません。

自分の子供を撃ち、妻を人質にして土下座させた警察官を撃つ・・・そんな凶悪極まりない人間に対しては、やはり、狙撃手を控えさせておいて、被害が広がらない形で射殺するしか道は無かったのではないか?と思えます。

人命を大切にするという考えは理解できますが、今回のケースは、対応法を失敗したと言わざるを得ないかも知れません。今後、銃犯罪が増えていった場合、今回のような対応では対処し切れないことは明白となりました。

残念なことですが、日本も犯罪大国へと突き進んでいくのだろうと思われます。

いつ遭遇するか判らない生命の危機について、日常から備える意識だけは持っておいた方が良いでしょう・・・。

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2007/05/14 石原志保『昭和の体重4』観てきました!

田中泯さん率いる桃花村の石原志保さんの独舞『昭和の体重』も四回目となりました。
 前回は、あまりの凄さに唖然となってしまいましたが、今回は一体、どうなることか?と、興味津々でplanBを真壁師範代と訪れました。

正直、以前は型にはまった綺麗な踊りらしい踊りが好きでしたが、最近は、それじゃあ物足りなくなってきて、「やっぱり突き詰めていくと前衛だよな〜、オレの嗜好は」と思うのです。

もっとも、根がお笑い好きなので、シュールなコントみたいな舞踏の方に吸い寄せられてしまう体質の私にとって、ドォ〜ンと重い感じのは本当は苦手で、どうしても目から入って脳に届く段階で、コント風のイメージがくっついてしまうんですね。

でも、今回の独舞は、舞台美術から、何やらSFチックな趣で、“昭和”テイストの中でも特撮SFドラマ的なイメージがありました。

何しろ、舞台全体をビニールのドームが覆っているのです・・・。

その中央に、チャブ台があって、襦袢を纏った石原志保がけだるい顔で座っている。
 それが、延々と、そのままの時間が過ぎていって、「もしかして、このまま終わるのかな?」とすら思えたくらいでした。

実際、そんな具合に何もしないまま終わる舞踏というものも結構ある訳ですから、「これは前回、アクティブに動いたから、今回は静止から微動する踊りへと戻ったのかな?」とも思っていたのですが、そう思う頃合いを見計らったかのように、徐々に動き出す志保嬢なのでした・・・。

過日、ドキュメンタリー『ウミヒコヤマヒコマイヒコ』の試写会でお会いした時は、「今回も可愛くはないですよ」と聞いていましたが、いや、チャブ台の上でさまざまなポージングを演じていくところは、何か可愛く見えました。小さい頃の姪がふざけているところを思い出しましたよ。

と、ここまでくると、私の脳裏にいつもの例の妄想がムクムクと沸き上がってきます。
「この動きは『激突殺人拳』の千葉ちゃんが見せる“転掌廻し受け”に似てるな〜」「おっ、これは古伝の居合腰から抜刀する時の足遣いみたいだ」「この足の側面のエッジに体重をかけるところはカラリパヤットに似てるな〜。いや、カタカリ舞踊にもあったぞ?」とか・・・。

そして、またもや、あのヤカンがっ!(毎回、出るの?) ザバァァァッッッ・・・と豪快に水を浴びるところは、何か男気を感じましたね。

更に、上半身諸肌脱いで正面を向くところは、感動的です。度胸を決める瞬間は、相当な葛藤があったでしょう。ホイホイ裸を見せるイマドキの女の子と違って、何やら神々しく見えるのは、田中泯流の芸道を受け継ぐ誇りに満ちているからでしょう。ちょっと、恥じらいも感じられたし。もしかして予定と変えちゃったのでしょうか?

クライマックスは、ビニールのドームを切り裂いて外に出てくるところに灰野さんの脳天をつんざく大音量の絶叫が被さる・・・鼓膜も破れんばかりの凄まじい声にも驚きでした。『神チョウ侠侶』の主人公、楊過が内功で鍛えた腹圧で発する気合のような衝撃波がビンビンくるのです。灰野さん・・・あなたは一体、何者?

あのビニールのドームが殻となっていて、そこから出てくる瞬間の“変革”の表現として、これ以上ない“音撃”でした・・・。

余談ながら、ビニールを切り裂くのに小さなカッターを持っていたらしいのですが、何やら、南斗水鳥拳のレイを思い出しましたね〜。ヒョオッ!

演舞の後、先日、神保町と新宿を探し回って、ようやく買った写真集にサインを貰おうと残って、田中泯さんに書いてもらいました。

そして、そのまま打ち上げにも参加して、たまたま観に来ていた『ハゲタカ』の監督さんと話して、無理やり「僕の作ったDVD観たいですか? 観たいですよね? はいっ」と、強引に渡してきました。是非、NHKで甲野先生と対戦したい・・・(ウソウソ)。

ところで、そこで頂戴した泯さんプロデュースのお酒が、物凄く美味しくて、酒の弱い私でも悪酔いしないで飲めましたよ。18〜19度もあるので、大丈夫かな〜オレ?と思ったんですが・・・。

5月の31日にも田中泯さんと灰野敬二さんのコラボで即興公演が急遽決まったそうですが、私は早々に予約させてもらいました。
 そしてそして・・・6月2日には、『田中泯ダンスロード インドネシア ウミヒコヤマヒコマイヒコ』がロードショー公開されます。こちらは是非とも足を運んで観て欲しい超傑作です!(シアターN渋谷にて)

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2007/05/11 発勁について思うこと

GW最後の日曜日に、発勁開発トレーニングDVDの発売を記念して、発勁セミナーを催しました。

発勁というと、「中国武術最高の秘伝」とか、「中国北派拳法にしか伝わっていない」とか、「空手のような筋力で打つ低級なものではない」とか、「体得には才能のある人でも正しい修行法を正統な伝承者から習って30年くらいかかる」とか・・・、とにかくムチャクチャに権威的な説明が初期の頃に広まり、それから30年以上経過した今でも、斯界での認識がほとんど変わっていないようです。

端的にいって、これらの説明は30年の歳月の中で多くが訂正されてきていなければならないものです。中国武術に限らず、空手でもボクシングでも合気道や古流柔術でも、発勁と原理的に共通する打撃技は存在していますし、権威主義的に考えていると百害あって一利もありません。

紹介された当時は仕方がないとしても、今になっても同じ説を無批判に信じ込んでいるとしたら、無駄な努力を費やして何の役にも立たない技を体得し、自己満足に陥って馬鹿げた優越感をひけらかすのが関の山ではないか?と思っています。

10年、必殺の発勁を体得しようと中国武術道場を巡り歩くより、ボクシングジムに半年通った方が、戦闘力がずっと身についた・・・なんて実話も随分と耳にしました。
 最強の技と信じて道場に通ったものの、空手やボクシング、キックを学ぶ人と手合わせして技が通用せず、一方的にやられてしまったことから、「中国武術なんて理論は立派だけれど実際には使えない」と、幻滅してしまった人も多かった様子です。

要は、多くの中国武術道場で、基本功と套路ばかり延々と練習させて、形式だけの技の用法を教える・・・というシステムだから、一向に遣えるようにならない訳です。
 つまり、中国武術は“戦闘理論を抜いて教えられていた”のですが、その点に気づいている人が皆無に近かった訳です。もっとも、似たような事情は他の武道にもある訳なんですが・・・。

私は発勁に関しては、特に誰かに習った訳ではなく、試行錯誤を繰り返しながら自分で研究してきて、独自に打てるようになりました。
 初めて打てたのは20年くらい前でした。
 参考にしたのは、『中国拳法打撃法』とか、『武術(うーしゅう)』とか、『最強格闘技の科学』とかの本と、当時通っていた戸隠流忍法の道場で学んだ当身技のコツを参考にして、インスピレーションに従ってサンドバッグを打ちながら研究してできるようになりました。

それから以後も、甲野善紀氏の当身、武道医学のパリッシュ先生から教わった真極(心極)流柔術に伝わっていたという当身技、古武術研究家のIさんに教わった沖縄空手の突きの秘訣・・・等々、いくつかの当身技のメカニズムを比較研究したのも参考になりましたし、その後、太極拳や形意拳、八卦掌を学んで中国武術の技術構造を知るにつれて、自分の研究してきた方向性が間違いではなかったという感触を得られるようになりました。

それで、「脱力して体内の重心を移動させることで生じる“重さ”を集中して打ち込めばいいのだ」という、物凄く簡略化した基礎原理を定義付けして、トレーニング法はオリジナルに工夫した訳です。

どうしてトレーニング法を別に考えたのか?と、疑問に思われる方が多いと思いますが、「正統といわれるやり方は無駄が多過ぎて、体得に困難が伴ってしまう。普通の人間にはとても無理」だと思ったからです。つまり、原理が解らないまま、形式に沿って練習しようとするから、中々体得できないのです・・・。

例えば、以前、中国武術の専門誌で、「丹田を開発するには、正統な老師に正統なやり方を学んで厳密に練習しなければならない」と書かれて、ある錬功法が紹介されていました。別に、このやり方が間違いだというつもりはありません。私も試してみましたが、確かに正確にやれば丹田感覚ができてくるでしょう。よく考えられた練功法でした。

が、現実には丹田を開発するトレーニング法は古来から色々なものが伝わっているのです。私も新しく“丹田歩法”というものを作っているくらいですし、肥田式強健術のように有名な丹田開発法もあります。調和道や岡田式静座法というものもありますし、座禅やヨーガもベースに丹田開発のシステムを持っています。

つまり、「こうやらねばならない」という認識は、単なる教条主義に過ぎない訳で、その教条主義を支える“正統な伝承者が伝える正統なやり方”というのを殺し文句に持ってきて振りかざしてみせているのが、伝統武術の世界に蔓延する権威主義思想であるという訳なのです。

このような視野狭搾の権威主義は、無知蒙昧な人間の隠れ蓑に過ぎません。丹田の実体について理解していないから、原理的な開発法ではなくて“形式的トレーニング法”を金科玉条に振りかざして見せるのですし、そんな人達が訳知り顔で文章を書いているのが現状なのですから、それを読まされている読者が誤解するのは当然のことなのです。情報を発信する側がこんな調子なのですから、武術の世界が一向に進歩せず、世間に間違いが広まるのも道理だということです。

形式的トレーニング法の問題点は、体格や身体感覚によって個人差が大きく出てしまう点にあります。身長の高い人が身長の低い人の工夫した型をそのままやっても効果は望めないのです。これは、脱力が前提の訓練法を力んでやったり、またその逆の場合も効果が得られないのと同様です。型稽古は決して形式的に稽古してはいけないのですが、大抵は、外形だけを正確に真似して、本質が抜け落ちてしまうようです。このような点について指摘している人は、非常に少なく、理論的に解説されていたのは石橋雅史先生くらいではないでしょうか?(『フルコンタクトKARATE』の取材記事中)

何も知らずに「専門書に書かれているんだから間違いない」と信じて読まされている人達が哀れですし、厳密にいうと、こういう無責任に情報をたれ流すのは犯罪行為の範疇に入るのではないかと思うのですが・・・。まあ、少なくとも書き手に情報を発信する者としての責任感や謙虚さが欠落しているのは事実“有る ”と思います。

ところで、中国武術を学んでいる人の大半が、満足に発勁が打てないという現状があることを、何故、多くの修行者が疑問に思わないのでしょうか? 「30年修行しなければできない奥義」だと信じているからでしょうか? でも、発勁が打てないと中国武術の接近密着戦闘法は遣えない筈なんですが・・・。

普通に格闘技をやっている人達の中には“武術”を毛嫌いする人が少なくありませんが、武術修行者は、訳の解らない実用性の欠けた屁理屈ばっかり言って、説得力のある技が見せられないからではないでしょうか?
 ごくごく一部の修行者だけが秘伝を独占しているのは、時代に逆行した秘密主義と権威主義の産物ですし、古いやり方に拘り過ぎるのは問題ではないでしょうか。

私の場合は、正統なやり方で体得した訳ではなく、伝統流儀の不問律に従わねばならない立場でなかったことから、誰に憚ることもなく教えられました。
 公開されている情報から独自に編み出したので、「秘伝だから公開してはいけない」という門派の戒律に縛られなくて済んだ訳です。

しかし、正統な修行で発勁を体得しようとしている人達からは、蛇蝎のごとく嫌われました。「長野のやっているのは発勁とはいえない。正統な修行でなければ発勁は体得できない。そんな簡単にできるような低級な技ではない」と、非難する人が少なくありませんでした。恐らく、自分達の専売特許にしてえばりたいのでしょうが、そんな真似をしていたら技の進歩発展はあり得ません。権威にすがっていたら技はダメになっていくばかりです。達人の直弟子だといくら自慢してみても、肝心の自分の技が未熟であれば、達人の師匠の名を汚すことにしかならないのです。自己の名声欲のために有名な師匠の名前を利用するのは卑屈に過ぎます。が、武術の世界には権威主義に毒された人物が昔から多数いた訳です。

ですから、うちにも「本物の発勁を学びたい」といってくる人もいるんですが、私はワザと、「私の技は正統な修行で体得したものじゃありません。全部、自分で研究してできるようになったものですから、その意味ではインチキですよ。それでも学びたいですか?」と聞くようにしています。20年間、ただの一度も、「この発勁こそが正統だ」なんて言ったことはありませんからね・・・。

「俺の発勁はインチキだ! だけど、技なんて実際に効けばいいんだよ。正統も糞もあるかっ? 権威主義をひけらかしてもヤンキーにも勝てない技じゃ話にならんだろう? 俺は現実に自分を護れる技術にしか興味ないんだよ。30年修行しても体得できるかどうか判らないような技に頼ろうとする連中の方が頭が悪過ぎるんだよ。現実に使うことを考えたことがあるのかね〜?」と、講座やセミナーの後の懇親会では言い続けてきました。

今回のセミナーでは交叉法も指導しましたが、これは発勁だけできるようになっても、戦闘理論が抜け落ちていたら役に立たないからです。それこそ、技を見せてるだけ。
 どう遣うのか?という方法論を知らなければ、現実には何の役にも立ちません。
 いかに強烈な発勁の威力が出せても当てられなければ無意味。相手の攻撃を見切って、的確にこちらの技をかけられなければなりません。それが戦闘理論というものです。
 戦闘理論は各流儀の根幹になるものであって、これが無ければ武術ではないのです。

しかし、それほどまでに重要な武術の戦闘理論について書かれた本は、ほぼ私はお目にかかったことがありません。書いている人が知らないのか、あるいは知っていて隠しているのか? 恐らく、前者でしょう。今をときめく有名な武術家?の、ほとんど誰も戦闘理論は提示していないのですから・・・。

いろんな技を実演して見せたところで、どういう局面でその技を用いるのか?という戦闘の状況と戦術を説明しない限り、それは絵に描いた餅でしかないからです。現に神業かと思える(素人には・・・)技の持ち主が、いざ実際に普通に乱取りすると一方的にベコンベコンにやられてしまう・・・なんていうのは、要は戦闘理論を知らないからです。ただ、いろんな技ができるだけでは武術にはならないのです。技は道具であり、道具は使い方を知らなければ使えない・・・ということです。

別に実力が無くても謙虚に正直に修行されている人なら、それなりに尊敬できるのですが、中身の無い人に限って自己顕示欲が強くて、人を利用したり陥れたりしようと嘘をつくので、本当に困った人達だよな〜(結構、こういう困った人が多い)と思うのです。
 本当に優れた武術家って、自分を売り込もうとはしないですし、ましてや自分の師匠の名前を前面に出すみたいな恥ずかしい真似はしませんからね・・・。

それから、交叉法は特定の技ではなく戦闘理論ですが、具体的な技術の裏付けが無ければ何の役にも立ちません。しかし、交叉法を知らなければ必殺の発勁も効力を発揮し得ないでしょう。黙って無防備で受けてくれる人なんかいる筈がないからです。

私は武術にしか興味がないし、いざ命がかかった状況に遭遇した時に的確に最善の対処ができるように、“技を通して心を鍛える”というのが第一の目的です。が、戦って勝てるという予測がつかなければ戦いを避けるのも武術の重要な秘訣です。
 武術は護身が目的なのであって、「他人と技量を競う発想は無い」からです。

さて・・・、発勁が打てるようになると、異常に威力が出てしまう場合があって、怖いくらいなのですが、それだけ相手に致命傷を与えてしまいかねない打撃技を実際に使わないと自分の命が守れないとなったらどうするか? ・・・最後は心の問題なんですよ。

今年に入ってから、会員の間で急激に丹田感覚が高まり、気功の訓練も始めました。
 その結果、発勁の威力がグングン伸びてきて、最早、威力を抑えないと危険なくらいになってきました。ちょこっと打ったくらいで殺人拳?みたいなレベルになってきているのです。動画を見てもらえば解ると思いますが、発勁は相手の身体に接触したところからでも打てるのです。通常の打撃技が効果を失う組み合いの間合でこそ本領が発揮できるのです。しかも、熟練すれば全身のどこからでも打てる・・・。

以前から、「これはまともに打ったらヤバイんじゃないか? 打撃訣とか教えたらマズイぞ」と、思ってはいたのですが、ここまで威力が出せるようになると、とても当てる気持ちにはなれません。「試合に通用するかどうか?」と考えている人には教えてはいけないな〜と思っています。技の実験で人殺しに加担することになってしまうからです。

壁に拳の穴が穿たれ、ライフル弾も通さないというスーパーセーフ面が割れ、空手修行者の突きを何万回も耐えてきたマキワラ棒が軽くへし折れてしまう・・・そんな威力が、造作もなく出せるのです。しかも、力のタメも必要無ければ、拳を加速させる距離も要らず、拳でも掌でも肘でも肩でも、身体の接触したところで打てるのです。

危な過ぎます・・・。秘伝にしたのも道理だと思います。

そんな訳で、今回のセミナーは、参加申し込みの段階で人を選びました。教えれば当人のためにならないと思う人は断りました。以前から、「この人に発勁はともかく戦闘理論を教えたら危険だな」と思う人が参加している場合は、交叉法は抜いて教えていました。
 習いたいと思う人すべてに教えて良いものではないと考えるからです。

武術は人を選びます。所詮、人殺しのやり方を学ぶものです。武術を学んだばかりに道を踏み外してしまっている人が専門家にも大勢います。社会生活もできないのに武術に耽溺している人にも、何人も会ってきました。本末転倒です。武術ができても、それだけでは何の生産性にも繋がらないのです。私の場合も、多少、文章書く才能があったから、何とかこれまでギリギリで生活してこれたに過ぎません。武術だけではとても生活できませんでしたよ。

武術はあくまでも護身が目的であり、強さを追求して他人と競うことは目的ではありません。優劣の問題ではなく、スポーツとは全くの別物なのです。社会的なものではなく、ごくごく個人的な自己修養の道です。そして、いざという時に自分や自分の家族を護るために駆使するためのものです。この点を弁えて、私自身も、今後はもっともっと慎重にやっていかねばならないと思っています。

そして、技術構造を解明するだけに終わらず、武術を学ぶことで人生にプラスになるような方向性を示していかなければいけないと思っています。これは綺麗事ではなく、そうしなければ世の中に災いを撒き散らすことに成りかねないからです。

素手で人が殺せる武術は、ある意味で拳銃より危険だからです・・・。無目的に学ぶべきものではありませんし、暴力衝動を抑制できる人にしか教えられません。

そんな訳で、セミナーを受講された皆さん。自分の人生を誤らないように、いざという時の自分を信じられる“寄る辺”として練習してくださいね。
 今の世の中、学校でも職場でもインターネットでもイジメがざらに有るでしょう? そういうのに負けない心の強さを磨くには、武術修行は必ず役に立ちますよ。

PS;発勁開発トレーニングDVD、絶賛発売中。PDFと併せて見ると体得も容易です。詳細は、游心流ストアHPをご覧くださいませ。それと、感想もお寄せくださいませ。(それにしても、撮影の時は師範代二人が重心が落ちて脱力ができているので重いったらありゃしない。半年前だったら飛ばせなかっただろうな〜。本当に今回は威力のコントロールに苦労しましたよ・・・)

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2007/05/06 君は『冒険王』を知っているか?

東映チャンネルで放送終了した『超人バロム1』ですが、次元大介や旧作の妖怪人間ベム、『スペースコブラ』のクリスタルボウイ、ジェームズ・コバーンの吹き替え等で知られる小林清志や『超電磁ロボ・コンバトラーV』の南原千鶴や『闘将ダイモス』のエリカ役が有名な上田みゆき(『妖術武芸帖』の主演や銀河鉄道999の歌で有名な佐々木功の奥さん)が生でレギュラー出演していた特撮番組として、アニソン女王・堀江美津子(地球防衛軍の少尉で超ミニスカの隊員服。流石に石ノ森作品ですね)が出演していた『宇宙鉄人キョーダイン』と並ぶ?作品でした。

宇宙の悪の意志の集合体ドルゲと、正義の意志の集合体(でも、悪魔くんに出てきたファウスト博士みたいです)コプーによって選ばれた正義と友情の証しのバロム・クロスで変身する番長(タケシ)とガリ勉くん(健太郎)の物語・・・。何か、幻魔大戦みたいですけどね・・・幻魔大王とフロイに選ばれたサイオニクス戦士みたいな・・・。

この作品は、原作が『ゴルゴ13』の“さいとう・たかを”ということで、原作のバロム1は、少年二人が合体変身すると顔がゴルゴくりそつになる?ということでサブカル・マニアの間で噂になっている作品でしたが、流石に、それではTV番組としてヘン過ぎるでしょ?って訳で、仮面ライダーのようなマスク・ヒーローとなった訳です。
 顔がそのまま出るヒーローって、実は『マグマ大使』のパイロット版が演じてる役者の顔がそのまま出てて、物凄くヘンで、こりゃあダメだってんでお面になったりしてましたけど、この手の変更って色々ありますよね。『人造人間キカイダー』も、最初は『0ダイバー』ってタイトルだったし、『ウルトラマンA』も、『ウルトラA』にする予定が、それだと版権があるってんで、“マン”をつけたって話。『ゲゲゲの鬼太郎』だって、最初は『墓場の鬼太郎』だったから、子供向けの作品に“墓場”はマズイでしょっ?てんで変えたんだとか・・・。

ところで、『超人バロム1』は、私が小学生の頃に放送していた作品なんですが、その頃に月刊で『冒険王』という少年向けの漫画雑誌がありました。
 この雑誌は、TV放送されている作品のコミカライズが沢山載っているのがウリでしたが、TV放送されるものよりもコミカライズの方が明らかにテンションが高くて面白かったという印象がありました。

コミカライズ版は、TV放送されるもののシナリオに沿って描かれるために、時として原作よりも面白かったりすることもあったんですね〜。TVで観慣れたものに近い内容の方が子供にとっては面白いものです。

だから、今でこそ名作だと解るデビルマンなんかも、最初に原作を読んだ時は、あまりにも不気味な格好で(下半身が剛毛に覆われているだけってのもな〜?)「こんなのデビルマンじゃな〜いっ」なんて思って拒否反応が出ましたね〜。これも最初は『魔王ダンテ』をアニメにしようとして、これじゃ怪獣みたいだからってんでデビルマンになったんだけど、それでも不気味だからヒーローらしいデザインに変えたんだそうですけどね。

そんな訳で、私が小学生の時に喜んで読んでいた漫画雑誌って、『小学〜年生』と、この『冒険王』でした。どっちも月刊。月に一回というところがミソでしたよね〜。週刊と比べてボリュームがありますからね。

しかし、コミカライズの漫画というのは、原作漫画と違って、その時代の旬の頃に読み切りとして描かれているものなので、単行本化されている率が異常に低いものです。
 ましてや、30年以上も昔の作品となると、記憶の片隅に残っているだけで、夢幻と消えて二度と再び見る機会は無いだろう・・・というものです。

大人になれば、二度と子供の頃に戻れないのと同じです・・・。

ところが、最近はCSで昔の作品がばんばん観られる。観逃して悔しい想いをしていた作品を改めて観ることができるとは・・・なんて素晴らしい世の中でしょう。
 私は『帰ってきたウルトラマン』も『ウルトラマンA』の最終回も観逃していたんですが、四十過ぎて、ようやく観ることができて感無量でしたよ。レインボーマンまで観れるなんて夢にも思わなかったし、話だけは聞いていたけど一度も観たことのなかった『恐怖のミイラ』や『忍者部隊月光』も観ることができました。地方に住んでいて観れなかった『ミラーマン』や『炎の超人メガロマン』も観れた・・・あ〜、幸せ〜。

でも、三十数年ぶりに観た『超人バロム1』でしたが、正直いって、アレ?って感じがしたのです。「おかしい・・・こんなだったかな〜?」と・・・。

そんな時に、何と! 冒険王版の超人バロム1の復刻版を入手したのですっ!
 読んでいて、納得がいきました。私の記憶に残っていた超人バロム1は、TV版よりも、このコミカライズの方だったのですぅ〜!
「これだっ! 俺の記憶の中のバロム1は、この漫画だったんだぁっ!」と、感無量。

あ〜、1970年代の冒険王そのものを全部復刻してくれないかな〜?

『超人バロム・1完全版』(原作さいとう・たかを 漫画古城武司)マンガショップコミックス(単行本未収録の幻の最終話を収録)¥1890

PS;『主将!!地院家若美』をT師範代が貸してくれたので読みました。う〜ん・・・
作者の苦労話には共感できますけどね〜。いくら達人でもゲイってのは嫌だな〜。武術の描写は頑張ってるけど、頼むからシリアス路線にはならないでくれぇ〜っ!て感じです。

PS2;『範馬刃牙』って、最近、なんかオリバが主人公になってない? 板垣さんって筋肉フェチなのかな? 武術嫌いなんだろうな? 能書きを粉砕する単純な力が好きって感じで、『幽々白書』の戸愚呂弟みたい・・・。

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2007/04/30 写真集『田中泯 海やまのあひだ』発売中!

ドキュメンタリー映画『ウミヒコヤマヒコマイヒコ』(油谷勝海監督)が上映間近い中、田中泯さんの写真集が発売されています。

私は、神保町の書泉グランデと三省堂を探してみて無かったので、新宿の三越内ジュンク堂も探して、そこにも無かったので紀伊国屋書店のダンスのコーナーで、ようやく見つけて買いました。

この写真集は、ダンサー田中泯と、写真家岡田正人の30年に及ぶコラボレーションのエッセンスを纏めたもので、1970年代の東京「夢の島」から、現在の山梨「桃花村」まで、一貫して舞踊の前衛を追究してきている田中泯の軌跡を写したものです。

岡田正人氏は、2006年3月に、56歳で他界されています。
 丁度、その頃に写真展を拝見させてもらっていて、私自身は生前の岡田氏とはお会いしたことはなかったんですが、作品を通して凄いインパクトを受けました。

作品を残すということは、その人が生きた証しを遺すということだと思います。
 絵・写真・映画・舞台の記録映像・・・等々から、創った人たちの心や魂が響いてくる気がするのです。

大体が、私は何でもお笑いに転化して受け止めてしまう体質で、前衛舞踏は面白がって見るのが癖なんですけれども、この写真集を見ていると、いつものパロディ精神は圧倒されて、ひたすらため息を漏らして唸ってしまうばかりなのです。

何故か?というと、夢の島の産業廃棄物の中に裸で胎児のように横たわる田中泯の凄さ、その写真を撮ろうとする岡田正人の凄さ・・・二人の鬼の魂が、黒い海と空の狭間に静かに佇んでいたりする写真から、波の音が聞こえてくるような気がするからです。

写真の中の世界が動き出してきそうな、見ているうちに異世界に飲み込まれてしまいそうな異様な畏怖の念が沸き起こってくるのです。

田中泯という人には死の匂いがします。それなのに、眩しいような生命力も感じます。
 本当に不思議なオーラが発散されている人です。もう何度も会っているのに、私は今だに田中泯さんと会うとウワッとビックリしてしまいます。ニライカナイからやってきた来訪者のような異人(マレビト)のように感じるのです。理屈抜きに・・・。

私は常人離れした人には何人も会っているんですけれど、田中泯さんは別格です。時たま、お茶目なところを見せてくれるとちょっと安心するんですけど、でも、本質的には、泯さんはやっぱり鬼なんだろうな〜と、この写真集を見ていて思いました。

鬼って言葉は、中国では幽霊の意味ですし、日本でも本来は神(カミ)を表していたようです。つまり、私が思ったのは、人間の本源を突き抜けていっている人なんだという印象なのです。顔に泥を塗りたくって墓から抜け出してきたゾンビみたいな写真。森の中にひっそり佇んでいる姿・・・それらは鳥山石燕の描いた妖怪画のようです。
 が、日本や中国の妖怪は、天地自然の精が変じた精霊、即ち神様の同類なのです。

当然、人間だって同じ。人間を突き詰めたら鬼になるのかも知れません。

そういえば、「舞う」という言葉の語源は、「クルクルと回る」なのだそうです。クルクル回ると目が回る・・・いわゆる平衡感覚を失い重力に引っ張られて倒れそうになります。が、同時にそれは酩酊状態となって快感があります。脳の深いところに眠っていた本能が目覚めてくる・・・人間がカミに近づくことができる。

グルグルと円周を巡り歩く中国武術の八卦掌は、元々は転天尊という道教の修行法から工夫されたものという説があります。スーフィーも天と地を指さして、ひたすらグルグルと回り続ける修行法があります。

舞い踊ることは、人の中からカミを呼び出す召喚の儀式だったことはシャーマニズムの定説です。舞踊家はシャーマンです。
 田中泯さんが全国で“場踊り”を展開している様子は、丸でシャーマンが日本各地の地霊を鎮める鎮魂の祭りを捧げているように私には思えるのです・・・。

写真集『田中泯 海やまのあひだ』定価九千円(工作社 http://www.kousakusha.co.jp)Tel.03−3533−7051 Fax.03−3533−7054

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2007/04/30 阿部ちゃん祭り第二弾「お前の拳は血の匂いがするっ!」

以前に何度か雑誌の映画評コラム(確か、『フルコンタクトKARATE』だった)や、過去のホームページでも採り上げて書いたことがあったんですけど、『大帝の剣』でも達者なアクションを披露していた阿部ちゃんが、そのものズバリのバリバリの空手アクションに挑戦している今野敏先生が原作のVシネマ『拳鬼』のビデオを発掘?しまして、丁度、T師範代の個人教授に来た時に、「うわっ、先生、コレ、すっげぇ〜観たいですぅ〜」とおねだりするもんですから、練習の前に景気付けに観ました・・・。

1995年の作品だから一昔前。よって、阿部ちゃんが若いっ! 眉毛も濃いっ!
 阿部ちゃんといえば、斬心塾の東郷秀信師範に師事していて抜刀術の上手さは『タオの月』(雨宮慶太監督のSF怪獣時代活劇)で確認済みでしたが、空手アクションに関してはどうだろう?と、皆さん、思うのではないでしょうか。

阿部ちゃんの空手アクションといえば、『トリック』でギャグで披露したくらいしかやっていないのでは?
 しかし、御心配には及びません。この作品での阿部ちゃんは、往年の千葉ちゃんにも劣らぬ濃い空手アクション演技を披露してくれ、しかも必殺技は『マッハ!』の古式ムエタイ殺法みたいな、相手の膝を階段みたいに駆け上がり、落ちる拍子に脳天に肘を叩き落とす荒技です・・・。

いや〜、久しぶりに観直したけど、この作品の殺陣は渋くていいな〜。
 のっけから、かつてJACの次代を担うスターとしてデビューし、東宝TVの何とかコップ(あ〜、名前思い出せない。あばれはっちゃくが出てたやつ・・・)のマーズ役で人気が出て、その後も平成ウルトラマン・シリーズにも出たりしていたものの若くして急逝されてしまった塩谷彰吾氏と、空手の試合をしている阿部ちゃん・・・という燃える展開で、阿部ちゃんもでかいけど塩谷氏もでかいから、これが見ごたえがあるんですよ。

そして、この試合でエヴァが暴走したみたいになって先輩(塩谷氏)を撲殺してしまった阿部ちゃん演じる竜門は、その後、整体師となっているという設定がグーですね。

しか〜し、石橋雅史先生演じる八極拳を遣う殺し屋コウモリと出会ったことで、阿部ちゃんの眠っていた空手魂に火がついちゃう訳っス。
 もう、桜井章一のゲスト出演とかどうでもいいっス。やさぐれ刑事の長谷川初範ウルトラマン80もいい味出して、シューティングで鍛えたキレの良い動きをチラッと見せますけど(安達佑実の『聖龍伝説』以来?)、とにかく、阿部ちゃんの“空手”を見ろっ!て感じなんですよ。

そして、千葉ちゃん、倉田先生、志穂美悦っちゃんと激闘を演じ、真田広之の親父を演じてきた、ある意味で日本カラテ映画の歴史を支えた石橋雅史先生の男気が凝縮した隠れた傑作だといえるでしょう。

石橋先生は剛柔会出身で極真会館創設以前の大山道場時代の師範代もつとめていたことが武道界では知られていますが、そうと知って改めて観ると、実にテクニカルな空手技を披露してくれています。

石橋先生を知らない方も、『ジャッカー電撃隊』のアイアンクローや『バトルフィーバーJ』のヘッダー指揮官、『ダイナマン』のカー将軍、『ターボレンジャー』の暴魔博士レーダ等を演じているといえば、「あ〜、あの人か」と思う人もいるかも知れません(えっ、余計にわからん? じゃあ、東宝のSF超大作『ヤマトタケル』 知らないか?)。
 特に、『バトルフィーバーJ』の時は、ネンリキ怪人が化けたベンガルの虎役で剛柔流空手の見事な技でバトルフィーバーを圧倒してみせていました。

そんな石橋先生が八極拳の遣い手で、少林寺秘伝“心意把”を必殺技に持つダークサイドに陥った哀しい拳法家を演じて、メチャメチャ渋いのです。
 ちなみに石橋先生の実演している八極拳は呉氏開門八極拳ですね。以前、この作品のアクション指導をされたAACの横山氏を月刊空手道の取材でお話を聞いた時は、私があまりにマニアックな質問をするのでビックリされてましたね。横山氏は撮影日の朝にビデオを二回観て套路を覚えてしまったそうで、吹き替えも演じられていたそうです。絶句!

阿部ちゃんがビルの屋上で首里手の形を練るシーンなんかも中々良かったです。今野先生が指導されたのではないでしょうか。

この『拳鬼』。Vシネマとは思えないゴージャスな武術アクションの傑作です(今野先生も医者の役でちょいと出演されてました)。レンタルビデオ屋さんで発見したら、是非、借りて観てみることをお薦めしますよ〜(モモコクラブの木内美穂も出てるよ〜)。

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2007/04/23 5月から初級クラス再開します

休んでいた初級クラス会員の皆さん、お待たせしました。
 稽古場所が定まらず、長らく休止しておりました初級クラスも、5月から再開します。

実のところ、まだ稽古場所の完全確保はできておりませんが、概ね、江古田ストアハウスにて毎週やっておりますので、入会希望者も増えておりますので初級クラスもそろそろ始めないといかんな〜と思って、話し合いして決めた次第です。(新規入会希望者の受付も始めます)
 時間帯は以前の駒込稽古会の時と同じく、土曜日の午前10:00〜11:30くらいまでとします。その後は中級クラス(12:00〜14:00)となります。

初級クラスの指導は師範代が実施します。理由は、私は身体が勝手に動いてしまうので、基本技の形をしっかり教えるのに都合が悪いからです。また、私は性格的に規律をきちんと教えることができず、友達感覚で接してしまうので、会としての規律が育たないという致命的な欠陥がありますから、初心のうちは師範代が指導した方が良いという判断です。
 簡単に言って、気質的に武道家とか武術家でない訳ですね。私自身は「武術で一緒に遊びましょう〜」という感じにどうしてもなってしまう訳ですね。初心者にこれで教えたらいかんな〜と思った次第です。
 ですから、今は、セミナーとシダックス橋本駅前店以外では中級以上の会員にしか教えていません。つまり、セミナーもカルチャークラブも“商売”ですから、サービス業と割り切って受講生に楽しんでもらうことを優先している訳です。

でも、会員は別です。
 本気で上達して欲しいし、武術修行が人間的向上にも結び付いていって欲しいと思っています。だって、これまで教えた中の何人かは大失敗してしまったから、責任感じてますよ。叱るべき時は断固として叱らなきゃいかんのだと私は思っています。
「道を踏み外した弟子は斬るという覚悟が無いなら武術は教えてはいかんのだ」という本質論から考えないといけないんだと痛感する訳です。あ〜、俺ってなんて甘ちゃんだったんだろう(な〜んて書いてる時点で本気では反省してねえんだよな〜、オレって)。

セミナーに来た方は、「游心流は初心者でもできるし、習ったその場ですぐにできるようになる」というイメージを持たれるかと思います。
 しかし、形式的に演芸レベルの技ができるようになるのと、実用レベルで技を体得するのは全く別のことです。演芸レベルの技が実用に役立つかのように誤解を与えてはいけませんし、素人同然の腕前で他流儀を批判がましく論評するような馬鹿者は「游心流を習っている」とは言わせたくありません。誰かさんの二の舞いにはなりたくない・・・。
 ですから、心構えの足りない人は入門希望の段階で断ってきていますし、名前のみ在籍している人達が、続ける意志が有るかどうかを確認する意味で、年間登録制も検討しております。

そういう意味で最初が肝心ですから、初級クラスできちんと基礎・基本を習得し、武術に必要な礼法も体得して戴きたいと思っています。

まず基礎的な身体作り(脱力体の養成・体軸の確立・丹田の錬成)が無ければ、百万の技を覚えても実用の役には立ちませんから、その最も肝心要なところを指導するのが初級クラスの役割です。
 そして、基本技の形を覚えるのも大切です。基本技の形を覚えないとその後の稽古が成立せず、グダグダになっちゃうし、形がグダグダだと精神もなまるんですよね〜、不思議なことに・・・。

ですから、一応の目安として、初心者は初級クラスで最低三カ月は、みっちり練習して戴いてから、昇級審査を受けてもらって、二級以上にならないと中級クラスの稽古には参加できないというシステムにしています(「えっ、そんなの知らなかったよ〜」と思った会員の方・・・その通り! 今、決めた!)。
 これを厳しいと思う人もいるかも知れませんが、一般的な武道の基準からすれば信じられないくらい大甘です。何しろ、一週間のうちにたったの二時間しか練習しないで三カ月後に中級に上がれるチャンスがあるんですよ? これで文句言う人がいたら、「よその道場に行ってください」って話です。

さて、ここまでは会員の稽古会に関することです。
「特別に強くなりたいとまでは思わないけれども、楽しんで練習できて多少の護身術や健康法にもなれば・・・」という目的の方には、シダックス橋本駅前店の「武術で護身術」の講座をお勧めします。
 こちらは、日曜日の午前10:30〜12:00にやっております(4/29〜5/6はGW期間でお休みです)。
 基本的な練習内容は稽古会と変わりませんが、個別に体力に応じた内容で指導しますから、武道経験の無い初心者にお薦めです。以前は太極拳をメインにしていたのですが、対練を始めると見学に来たオバチャン達がアワワ・・・って顔して帰っていくので、太極拳という名称そのものを外してしまいました。
 お陰で、今現在は会員のみが受講していて、基礎錬体・歩法・太極拳・推手・対錬(差し手からの発勁や合気の実用技法)・居合術・杖術・ナイフ捕り・・・等々、多彩に練習しております。まっ、手裏剣以外は何でも練習してみようかな?と思っております。

最近、常連会員さん達の技量がググッと上がったので、体術も拳法ではなくて掌法を教え始めています。掌を使う体術は丹田が錬成できて内力を使えるようにならないと威力の点で問題があるから、今まで教えたくても教えられなかったんですが、皆、もう、とんでもないくらい威力が出せるようになってきているので、何の問題もありません。掌法は、打撃・掴み・払い・貫手・巻き込み・点穴・投げ・固め・絞め等々、技の変化が千変万化してくるので、特に複数の敵を相手にする場合を考えると必須だと思うのです。拳を固めると自然に腕に力が入ってしまいますが、掌を開いていると脱力し易く、自然に体変化もしやすくなってきます。ですから、掌法に慣れると拳を握って構えるやり方の方に違和感を感じるようになるんですね。その代わり、内力ができてないと威力が出せず、ペチペチ張り手になってしまうので、初心者には全く使いこなせません。掌打の優位性を説いていた流儀が、結局、拳で殴るように戻ってしまったりするのも、威力を出すメカニズムと訓練法を考慮していなかったからでしょう。掌打は使いこなすのに体系的な訓練を年単位で修行しないと成果が現れてこないのです。

けれども、正直いうと、游心流の武術技法は、掌法を以て完成に至ります。掌から拳には変化できますが、拳から掌へは変化できません。つまり、上位の術法を使うには掌法を知らないとダメなんですよね。そして、そのためには丹田が錬成されていないとダメ。

自分でいうのもなんですが、よくぞここまでシステム化できたものだな〜?と、感心してしまいますね。遊び心で創ったのに・・・。
 もう、ここまで来たら、どこまでいけるかとことん追究していくつもりです・・・。

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2007/04/21 『大帝の剣』は漫才だっ!

夢枕貌の超伝奇SF時代小説『大帝の剣』を映画化すると聞いた時、私は心踊った。
「そりゃあ、スゲ〜! きっと、物凄いSFアクション時代劇になるぞ」と思った。

主演は阿部寛と聞いた時も・・・
「そうか〜。阿部ちゃんは身体もデカイし、『タオの月』でも殺陣は凄かったからな〜。東郷先生の斬心塾にも通ってるし、これは阿部ちゃんのアクション代表作になるかな」と思った。

監督が堤幸彦と聞いた時・・・
「う〜ん・・・そっかぁ〜、堤幸彦かぁ〜。それじゃあ、気楽に楽しみに行こ〜っと」と思った。

お世話になっている編集者から裏情報を聞いた感じでも、私の予想は正しかったみたいで、映画の宣伝の人が頭を抱えるようなバカ映画に仕上がっている模様・・・。

もっとも・・・よくよく考えると、現実離れしたSFアクションを本格的大作として描こうとする行為がそもそもの間違いで、冷静に考えるとツッコミ所が満載になっている筈なのです。

あの巨匠・橋本忍が監督した超大作『幻の湖』なんて、異常に生真面目に撮った揚げ句が脳内麻薬大爆発!な超カルト(東宝の記念大作なのに上映一週間で打ち切り)になっちゃいましたからね〜。冗談で撮った訳じゃないところが凄過ぎます・・・っちゅうか、コワ過ぎます・・・。

それを考えると、堤監督の狙いは正しい! 「ファンタジックな作品はバカ映画にすべし」という鉄則(どこが?)をまっとうしたのは偉い(なんで?)です!

しかししかし・・・意外にアクションは本格的で驚きましたよ。普通、ここまでバカに徹したら、アクションなんか阿呆丸だしにしそうなものなのに。
「殺陣は誰かな?」と思ったら、『あずみ』の諸鍛冶裕太氏でした。やっぱり、諸鍛冶さんの殺陣の演出は私好みだな〜。リアルとケレンのブレンド具合がいいんだ、これが。
『映画秘宝』で高瀬道場の高瀬将嗣監督(実際にTVドラマやVシネマ等で沢山監督されているから、監督と書くのが適切かと思いましたので)も、リアル一辺倒の殺陣のつまらなさについて書かれていましたが、確かにそうだと思いました。私、結構、ケレン味のある殺陣は好きなんで・・・(でも、CGばっかり使っちゃうようなのは嫌だけどね)。

そういえば、舞台であずみを演じた黒木メイサが牡丹=天草四郎を演じていましたけど、これがまたスンゴイ、カッコイイです。この人は剣を持つと異様に映えますね。リメイク版の『魔界転生』も黒木メイサが天草四郎だったら、随分、印象が変わっていたでしょうね〜。とにかく、この作品中で最もハマリ役でした。

それから、本田博太郎が霧の才蔵(霧隠才蔵ですな)を演じて久々に殺陣も見せてくれてますけど、かなり上手いです。必殺シリーズとか時代劇で鍛えた腕前は健在ですね。上手いな〜と感心して見てたら、監督もそう思ったんでしょうかね〜? 「俺もまだまだいけるだろ?」とか手下の忍者に向かっていうシーンがあったりして・・・本田節もきっちり見せてくれてました。

阿部ちゃんは当然、上手いんですが、今回は殴る蹴るも含んでいてワイルドなアクションが楽しいです。船木誠勝と対決してもタッパがあるから見劣りしないし、こうなったら、北斗の拳の実写版も阿部ちゃん主演で撮って欲しいですよね〜。昔、台湾かどこかで阿部ちゃん主演で北斗の拳を撮ろうという企画があったらしいんですけど、今なら実現してもいいのでは? 新人の時にユン・ピョウとWキャストで主演した『孔雀王2』とかもあったけど、今ならアクションも本格的にできるんだから(ハリウッド版北斗の拳は酷かったからね〜)、マッスル・ミュージカル系の役者さん達や格闘家やプロレスラーを動員して撮れば、今更、ハリウッドに頼らなくても面白いのができると思うけどな〜。

しっかし、やっぱりデカイ剣というのはいいですな〜。
 ベルセルクとかブリーチとか、神チョウ侠侶でも、ああいうデカイ剣を主人公が使うところは豪快でいいですよね〜。
 私も、剣でも銃でも、実用を無視した無闇にデカイのが大好きなもんですからね〜。好きが高じて、刃渡り三尺二寸五分もある大太刀を作っちゃったくらいだし。

とにかく、私は何はともあれ、第一にパワー至上主義なんですよね〜実は。身長低いからパワーに頼れないと思ってテクニックとスピードに走っただけなんスよ〜。でも、発勁一撃で100kg以上の巨漢を倒す威力を目標に修行してたら、楽勝で倒せる威力は出せるようになりましたよ〜。だって、90kg以上の師範代二人にお腹に拳付けさせて発勁で跳ね飛ばしてみたら、結構、ふっ飛んじゃったから、最低、180kgくらいの相手はふっ飛ばせる計算になる?って感じですね。腹で打って、これだけ威力が出るんだから、八極拳の頂心肘とか形意拳の馬形拳で打ち込んだら普通の体格の人なら死ぬかも? 丹田が開発されて内功ができるととんでもない威力が出るとは聞いていたんですけど、こりゃあ、本当だと思いますよ〜。だって、私以外にも師範代二人は私と同じくらいの威力は出せる筈だし、他の常連会員さん達も、丹田の錬成に応じて発勁の打撃力が急激にアップしていってます。しかも、拳の加速空間はもう必要無くて、拳を相手に接したところから最大出力で打てる。更に、拳だけでなくて身体中のどこからでも打てるように練習してるから、正直、効かせる打撃訣とか、もう教える必要もないんですよ。軽く打って致命傷を与えられるくらいの威力になったら、今度はいかに威力をセーブするか?という方向で稽古しないと危険過ぎますからね・・・。

重い武器を稽古するのって、丹田錬成にもなります。
 つまり、腕じゃなくって骨盤で支えるようになるからですよ。阿部ちゃんもそういう意味のことを映画の宣伝でTVに出演した時に言っていましたけど、斬心塾の東郷先生の教えなんでしょうか? 私の発勁の威力が急に上がってきたのも、デカイ剣で居合の練習をするようになったことと無関係じゃないでしょう。
 でも、ここまでデカイのって振り回すのは大変だから、一撃必殺で命中させないと外れたら隙だらけになって墓穴掘りますもんね(ということは交叉法向きってことか?)。

『大帝の剣』の竹内力率いる忍者、土蜘蛛衆は、妖怪軍団みたいで、一人一人がキャラが立ってて楽しいです。竹内力が久しぶりに普通の大作映画に出たと思っていたら、ほとんど特殊メイクしたままってのもウ〜ンって感じですけど、大物オーラは流石ですね。

エイリアンと熊が合体した怪人に変身する樵を演じたエンケンも、特殊メイクで怪演していますが、昔の時代劇やVシネマなんかでは結構、二枚目の役を演じていたんですよ。
『忍者戦隊カクレンジャー』で、ガシャドクロの人間体“貴公子ジュニア”を演じた辺りから芸風が変わっていったような気が・・・?

宮藤官九郎の情けない忍者とか、土蜘蛛衆の落ちこぼれ忍者とか、コメディリリーフを用意しているところが堤監督らしいですが、こういうシャレっ気を理解できない人達には評価低いんだろうな〜。実際、劇場で観てて笑ってるのオレだけだったし・・・。多分、本格的時代劇大作だと思って観に来てて、笑うべきかどうか困ってたんだろうな〜? キルビルの時とおんなじでしたよ・・・。

そういえば、前田愛が冒頭に出てて、山賊に捕まった口の悪い娘役でしたけど、あまりにイメージが違うので、最後のクレジットタイトル見るまで前田愛だったのに気づきませんでした。

津川雅彦の真田幸村というのも、ハマリ役ですね〜。っていうか、こういう殿様役って津川さんのための役みたいな印象がありますね。他の役者さんが想像できないもん。

さてさて、それにしてもヒロイン役のハセキョーは、エイリアンに寄生されちゃう姫様役なんで、キテレツな演技を次々に披露しています。モデル出身は演技はダメというのが業界の定説ですが、ハセキョーって実はかなり演技上手いような感じがします。格闘SRSに出てた頃が懐かしいな〜。

かつて、『ハロウィン』や『ザ・フォッグ』『遊星からの物体X』で、ホラー映画の巨匠とされていたジョン・カーペンターが、『ゴーストハンターズ』や『ニューヨーク1997』『ゼイリブ』『マウスオブマッドネス』等々で、「これってホラーなの?」という不可解な唐突過ぎるギャグをかましてファンを困惑させていたのを、ある人が「カーペンターは落語だ!」と見事に本質を指摘していたように、「堤幸彦は漫才だ!」と指摘しておきましょう。

だってね〜。唐突にチワワが飛び出てくるんだよ? タヌキとかじゃなくてチワワなんだよ〜? 意味無しギャグがポコッて出てくるから、観客も困るでしょ? 敵の忍者がいちいちコケるし・・・。

さあ、皆さん。『大帝の剣』という壮大なSF時代劇巨編のフリをした大バカ映画を劇場でバカ笑いしながら観るので〜すっ!
 これぞ、エンターティンメントですよぉっ!

追伸;ところで、このノリって、北村龍平が監督した『ゴジラ・ファイナルウォーズ』にもちょびっと似てるかも? そういえば、堤監督は北村監督と組んで対決物を撮ってた。堤監督が『2LDK』で、北村監督が『荒神』。二人は体質的に似てるのかも?

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2007/04/21 ゲゲゲの鬼太郎がいつの間に〜?

先日、書店で立ち読みしていると、女子高校生二人が入ってきて、うち一人が「ねぇ〜、“ 鬼太郎”やってるの知ってるぅ〜?」と言います。すると、もう一人が目をキラキラさせて、「えぇ〜、本当?」と聞く。もう一人は「うんうん、日曜日の朝にやってるんだよ〜」と、何故か勝ち誇った顔で答えておりました・・・。

今ドキの女子高校生でも知ってる日本アニメの金字塔?って感じで、日曜日の朝から『ゲゲゲの鬼太郎』の5度目の最新シリーズアニメが放送されております。

確かに、またアニメになるって噂は聞いていたんですけど、唐突感は拭えません。
 実写映画とリンクしているのかな?って感じですが、それにしても、鬼太郎って、60年代に白黒アニメのシリーズがあって、次は70年代にカラーになって再開。
 更に、80年代版はかなり人気があって長く続きました。
 そして、90年代版(地味ながら結構、長く続いていた)もあって、そしてそして・・・ついに、21世紀になっても蘇る。

凄いな〜。鬼太郎って、ひょっとしてルパンも超えてる?

10年ごとに蘇るアニメ・シリーズというのは、他にはないでしょうね。
 ちなみに、60年代と70年代版の鬼太郎は、少年ヒーローの声では右に並ぶ人のいない大御所、野沢雅子(いなかっぺ大将・ドロロンえん魔くん・スリーナインの星野哲郎・ドラゴンボールの孫悟空)が担当しておりました。ねずみ男は大塚周夫。同じく声優の大塚明夫(セガールやラングレン、ブラックジャックの声。ブレイク前の伊藤英明が主演したSF『ブリスター』ではスタートレック・オタク役で出演。ちなみに空手家です)のお父さんで、チャールズ・ブロンソンやリチャード・ウィドマークといった渋い俳優の吹き替えが有名ですが、『チキチキマシーン』のブラック魔王や、ルパンのファーストシリーズの目付きの悪い五エ門(イメージが違うけど、私は井上真樹夫より周夫の方が好き)の声も当てていました。特に70年代版のタイタン坊の岩の祟りで目玉や鼻がズボッと無くなる学者の話「足跡の怪」はトラウマになりましたよ。だって、鬼太郎が完全な傍観者で助けてくれないっつうか、助けられないんだもん。70年代版は社会風刺的な話が多くて、結構、哲学的でした。

80年代の鬼太郎は、『キャッツアイ』の瞳の声やアンパンマンの声が有名で、『ショムニ』とか女優でも活躍している戸田恵子。ねずみ男は、故・富山敬(侍ジャイアンツの番場蛮とかヤマトの古代進が有名ですね)。80年代版は人間の少女、夢子ちゃんが鬼太郎のGFとしてレギュラーだったのも特徴でした。この設定は、月曜ドラマランドで放送された実写ドラマ版(結構、よくできていた)の設定からのものだったようです。ぬらりひょんが敵のボスとして準レギュラーになっていたのも80年代版の特徴でしたけど、これもドラマ版の敵のボスが“女ぬらりひょん”だったことが影響しているんでしょう。
 このシリーズの鬼太郎は、ムチや剣状のステッキになったり、つるべ火とか姥ガ火とか仲間の妖怪を呼ぶオカリナが新武器になっていてヒーロー然としておりました。

90年代の鬼太郎は、松岡洋子。ねずみ男は千葉繁。このシリーズは80年代に比べるとやや影が薄いものの、原作のテイストに近いとか、佐野史郎や京極夏彦がゲストで声優をやっていたりして評価が高く、専門家にも評判がいいです。80年代版と同じくらい長く続いたりしていますが、中でも傑作といわれるのは、京極夏彦がゲストで出た「言霊使いの罠」でした。これは妖怪の本質を問う異色作で、猫娘が猫を抱いた少女になったり、塗り壁がただの壊れかけた壁になったり・・・という哲学的な展開でした。

さて、今回のシリーズは90年代版から丁度、11年経過していて、同じ話を何度もリピートしているのではキツイだろうと思えたものの、オリジナル設定にして中々の出来です。それに、猫娘がかなりキューティになっておりました。鬼太郎の古〜い原作漫画に出てくる猫娘の原型と思われる猫子さんは元々美少女なので、そのイメージに近づけたのか、今回は半妖怪という設定になっておりました。
 半妖怪といえば、ねずみ男が先ですけど、犬夜叉の例もあるし、猫繋がりでは、そのものズバリの猫目小僧というキャラもいますよね〜。
 私も猫好きが高じて、小説のキャラを猫顔の侍にしたくらいです。猫娘の活躍を期待したい。

ところで、このシリーズ全てを通じて、目玉おやじだけが田の中勇がずっと演じてきているというのは、ある意味で最も凄いことですね〜。物真似の定番だけに迂闊に変えられないんでしょうかね〜?

追伸;今期のドラマでは『セクシーボイスアンドロボ』と『美少女戦麗舞パンシャーヌ』が非常に面白いです。シャレが効いてていいですよ〜。前者は天才子役大後寿々花の天才っぷりが炸裂し、松山ケンイチの気のいいオタク青年っぷりに、何と!浅丘ルリ子の怪しい骨董屋主人(この演技は岸田今日子?って感じ)という妙なところがゴージャスな感じのドラマですが、クセ者役者揃いの中に揉まれる寿々花ちゃんが霞まないところが大物の予感・・・。後者は国民的特撮ドラマとなった『美少女仮面ポワトリン』のその後って感じの、再び変身ヒロインになったセレブマダム(という割りには庶民的)の、当然のごとく御町内の平和を守る話・・・なんですが、正体がバレるとナマコにされるとか、必殺技が“シロガネーゼアタック”とか、シュールなバカ・ストーリーで突っ走る浦沢節がパワーアップしていて潔い感じです。神様が猫ひろしというのは、ポワトリンの時が鈴木清順だったのと比べると製作費の問題を疑ってしまいますが、まあ、猫ひろしでも問題無しッス。

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2007/04/16 発勁開発DVD撮影完了!

先週土曜日の稽古会の時間を丸まる費やして、発勁DVDの撮影をやりました。
 何しろ、以前から発勁に関する映像は何度も出してきたので、今回は並大抵の内容では誰もが納得するまい・・・と思って、以下のごときテンコ盛り状態に致しました。

1,発勁原理の説明
a,沈墜勁(膝を抜いて沈む瞬間の解放された位置エネルギーを用いる)
b,纏絲勁(捩りによって全身を連動させる)
c,十字勁(作用反作用の力を有効利用する)
d,逆腹式呼吸(腹圧の圧縮で威力を高める)

2,発勁開発の錬体法
a,スワイショウ(脱力体と骨盤の横・縦回転の養成)
b,肩甲骨の柔軟(胴体の力を手先へ通す)
c,馬弓捶(八極拳の基本練習法)
d,ウェイブ・トレーニング(体内部で重心を移動させる)
e,推手(密着戦法の原理を体得する)
f,探手(対人を想定したシャドウ・トレーニング)

3,発勁を当てる部位
拳・掌・貫手・鉤手・前腕・内腕・肘・肩・背中・脇腹・胸・腹・臀部・スネ・足裏

4,パフォーマンスの仕組み
発勁パフォーマンスの仕組み解説。0インチパンチによる杉板割り。

5,発勁実用研究
a,後の先で合わせる(先に打たせて生じた隙を狙う)
b,対の先で合わせる(打ってくる攻撃手に差し手で推手の状態に持ち込む)
c,先の先で合わせる(構えの崩し方)
d,歩法を用いる(危険な間合を制して密着するための戦略)

ってな具合です。
 どうですか、面白そうでしょ?

で、丹田の時より私も師範代の二人も丹田が倍増していて、重くって飛ばないんですよね〜。まいったよな〜。
 しょ〜がないから、結構、ガツ〜ンって打ち込んじゃったら、やり過ぎて危なかったりして・・・。
 何か、丹田が錬成されてくると、確かに自分でも想像できない威力が出てしまうみたいです。丹田DVDと併せて見て練習するとマジで凄くなりますよ。

何はともあれ、会員さんが育ってくれると私が楽隠居できるから有り難いです。あ〜、早く隠居してぇ〜。隠居してバカ小説書いて暮らしてぇ〜。

撮影後は、佐原先生のDVD付き合気道本の出版記念宴会に呼んでいただいたので、久しぶりに編集スタッフの方達とも会ってきました。
 合気道の技術メカニズムを初めて解説した本だからか、売れ行きはかなり好調みたいですね。
 佐原先生もこれからメディアから注目されると思いますけど、いつまでもシャレの解る先生でいてくださいね〜。

ところで、私のアスペクトから出す第二弾『武術のヒケツ』も、悪戦苦闘して原稿直しの最中で〜す。結構、写真撮らなきゃならなくなりましたけど、ふと気づいたら、これって『五輪書』みたいな本を書こうとしているみたい?
 何か、かなり真面目な内容になってきたぞ〜。イヤミったらしいところは全部切っちゃったし・・・。
 最後の映画のところで弾けてみようかなっ?と思っております。

おっと、それでは疲れたから、この辺で・・・。

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2007/04/14 DVD付き合気道教則本、発売!

いやはや、長らくお待たせ致しました〜。
 前々から、前フリだけを続けてまいりました、DVD付き教則本の第二弾“合気道編”が発売されました。

タイトルは、『DVDで見て、学ぶ 身体づかいの理を究める!実践合気道入門』となりました。
 守秘義務で著者のお名前は隠してまいりましたが、これで晴れてご紹介できます。

本著の著者は、清心館道場道場主で、合気道七段、佐原文東(さはらふみはる)先生です。
 あ〜っ・・・やっと明かせたから、気が楽になりましたよ〜。

佐原先生は、合気ニュースや秘伝で紹介されたことがあるので、ご存じの方も少なくないと思います。
 かの有名な甲野善紀氏が合気道を学んだ山口清吾先生に長年師事され、やはり甲野氏が鹿島神流武術を学んだ野口弘行先生に鹿島神流を長く学ばれています。

その他にも中国武術や禅、新陰流を修行されていて、それらが一貫して武術を通した心身修養の道としての理合を探究されている・・・んだけど、意外とお茶目な性格だったりするところが素敵なんですね。

取材を通じて、生前、ほとんどマスコミに登場しなかった合気会の伝説的存在だった山口清吾先生の逸話を色々とうかがったり、仕事を越えて良くしていただきました。
 本当に実力の有る武道家って、やっぱり人柄も素晴らしいです。私はスカポンタンな武術家にも随分会いましたけど、素晴らしい遣い手にも結構会えているんだから果報者ですよね〜。なんて武縁に恵まれているんだろう。おかしな人とはちゃんと縁が切れていってるし・・・(イヤミ? いいえ、偽らざる本心です・・・)。

前々から関心があった野口弘行先生の鹿島神流の剣技も拝見でき、「流石に、本物は違うな〜。いや、比べるのが失礼だな・・・」と感銘を受けましたよ(野口先生の腕の脱力具合といったら、尋常ではありませんでしたよ)。

ともかく、苦心した甲斐あって、合気道の術理について、かつてここまで誰が書いただろうか?というエポックメイキングな本が完成致しました。
 特に、脱力系の合気技法のメカニズムについて、ここまで原理的に解説されたことは今まで無かっただろうと思いますし、合気道が、決して神秘のパワーに頼る不可解な武道ではなくて、合理合法の術理によって成立している優れた武道であることが納得されると思います。

もちろん、これは合気技法のロジックを合理的に解説できる能力を持たれている佐原先生の存在なくして実現することはできませんでした。
 微力ながら、こんな革命的な本にもの書きとして関われて誇りに思いますよ。
 まあ、これにて丸康円四郎名義のライター業はお休みとしましょう。

(いや〜、これから自分の本の仕上げにかからんといかんとですよ! どげんかせんといかん! 5月に出せたらよかばってんな〜?)

『実践合気道入門』佐原文東著(永岡書店)¥1500(税抜き)
みんな〜、買うんだぁ〜! DVD80分も収録されてて、たったの1500円でっせ!
合気道やってる人も、やってない人も、これを買わなきゃ一生の不覚ですぞ〜っ!

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2007/04/14 丹田開発DVD(自分で観た)感想

久々に再開したDVD映像制作ですが、その第一弾『丹田開発トレーニング』DVDを自分でも観てみました。
 もちろん、編集段階で観てはいたんですが、完成版を観ると、担当者の苦労が解って涙無しには観れませんよ・・・(ヨヨヨ・・・)。

で、トレーニング法に限って紹介したものなので、正直、鑑賞用には向いていません。
 が、やり方を説明しているので、練習用の教材としてはよくできたかな〜?と思いました。

もっとも、武術好きなファンの人達は納得がいかないでしょうから、武術の合気や発勁にも応用できることも収録しています。
 刀使うところは真剣使ってるから、怖かったですぅ〜(相手してくれた師範代も僕を殺してはマズイから、ゆっくり振ってるし・・・)。

まあ、こういうのは、丹田が開発されていくと自然に威力が高まるので、技の説明はしていませんが、スポーツでも何でも丹田が開発されてからの応用範囲は物凄く広いです。

それにしても・・・自分で言うのはおこがましいんですけど・・・私も丹田、えらいできてるな〜と自分で観てビックリしますね〜。なんじゃこりゃ?って感じです。
 会員さんの中にも相当できてきている人達が出ているんですが、彼らの発勁が強烈になっていることったらありゃしませんし、K師範代は縮地法が私よりできるし、T師範代は発勁の破壊力は私より上なんじゃないかな〜?

丹田ができてくると急激にパフォーマンスが変わるのは驚きです。
 以前は、自分ができていなかったから、「丹田なんか鍛えても技を知らなきゃ意味ないよ」とか思っていたんですが、最近は、「丹田を鍛えて内功が練れたら技なんか必要なくなる」という中国武術界に流通する話にも現実味を感じます。

だって、身体の芯から威力が出せれば手足の動きは関係ないんですもんね〜。
 凄いよな〜。運動能力の差とかが一気に関係なくなるんだから・・・。

身体操法に関心が集まっていますけど、やはり、昔から丹田が肝心だと言われてきたのは意味の無い話じゃなかったんだと思います。
 もっとも、鍛える方法論が難し過ぎた。呼吸法で鍛えるのは難しいのです。

その点で、たまたま発見したスリ足で丹田を鍛える方法論ですが、これは本当に物凄い発見だな〜と、つくづく思います。呼吸と関係なくできるのは他に知りませんから。

DVDをご覧になって練習してみた方の御感想を、是非、聞かせてください。

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2007/04/14 『ウミヒコヤマヒコマイヒコ』ロードショー上映決定!

2005年夏に白州で観て衝撃を受けたドキュメンタリー映画『田中泯ダンスロードインドネシア ウミヒコヤマヒコマイヒコ』(監督 油谷勝海)が、長い熟成の期間を経て、ようやく、ロードショー公開されることになりました。

4月12日に試写会に行ってきましたが、一昨年にナレーションの無い未完成バージョンで観た時には、「これは『ゆきゆきて神軍』や『全身小説家』に迫るドキュメンタリー作品だ」と思っていました。

ところが、いざ田中泯さん自身のナレーションが入った完成版を観てみると、もう私の知る限りのドキュメンタリー作品のどれと比べても、頭一つ飛び出した素晴らしい作品に仕上がっていました。

良くなっているとは聞いていたんですが、ここまでとは予想していませんでしたよ。

何と言えばいいんでしょうか? “原初生命体としての人間”? それとも、“日本人のルーツを探る南洋の旅に出たマレビト(舞う人?)”・・・。

いや・・・意味付けることが空しくなるような、海と山と空の大自然の中で素朴な農耕や漁を営んで生きているインドネシアの人達の豊かさの中に、唐突に忍び入って一緒に田植えをし、泥田で踊る田中泯さんの何とも奇妙なコミュニケーションの取り方。

一見、これは修行なのか?と思いつつ、いや、はたして泯さんにそんなもって回った意識が有るのだろうか?と思い直して、“挙動不審な怪しい異人”に一番、警戒したのは水田を耕す牛だったりして、“牛がビックリする顔”というのは初めて見ましたけど。

山羊の小屋に入っての舞踊は、警戒心の解けた山羊が交尾を始めるという絶妙な笑いが生まれて、ドキュメンタリーの予期せぬ展開で、よくぞここまで撮れたものだと感心するばかり。

それにしても、ドキュメンタリー作品の方程式としての説教臭いテーマ性が声高に語られることがなく、淡々と、しかし、オーバーラップを活用して、空と海が渾然一体となってスクリーンに描出された異界の空に漂い昇る天ノ鳥船に乗る神のごとく、田中泯さんの魂魄を描き出して見せた油谷監督の手腕は、狙ったものなのか、あるいは偶然のインスピレイションに従って生まれた表現なのか・・・。

もう一ケ所。川に漂う泯さんのアップ映像にも同じ手法で川のさざ波が被さり、それが何やら古代の文字のようにも見えてくる・・・。

全体に、原日本人に海洋から船で渡ってきた民族の血が入っているとも言われ、この作品そのものに民俗学的な匂いが濃厚に有るのも事実。

が、映像のどこか一つのショットのみを取り出しても、それがそのまま絵画のように雄弁であって、無数の絵画が惜しげも無く連写されていくような、時間を停めてじっくりと観たいと思ってしまう。

創作されたドラマでは決して現れないリアリティー。水の冷たさ、痛さ、やんわりと暖かく温んだ感触、日差しの刺すような強さ、風が体の細胞の隙間を涼やかに吹き抜けていく感触、土の湿り、泥のざらりとした感触・・・それらが観ているこちらにも体感できてくるのは、何とも不思議な映像のマジックと言うべきか?

いや、それは恐らく、我々のDNAに組み込まれている遥かに遠い先祖の記憶がデジャヴュのように蘇るからかも知れない・・・。

何とも心地よいトリップ感覚。ナチュラルハイになって、あっという間に二時間の上映時間が過ぎ去ってしまっていた・・・。

自らを“百姓”と称する田中泯さん。その言葉が既に差別用語であるとしてTV放送禁止されているのを「それが一体、どうしたの? 言葉に何の意味があるの?」とでも言いたげに、無邪気に自然に当然のごとくに秘めたる反骨の気概がかいま見えて、やっぱり、泯さんはカッコイイな〜とほくそ笑む・・・。

『たそがれ清兵衛』は怖かった。『隠し剣・鬼の爪』はドウモクした。『メゾン・ド・ヒミコ』は泣けた。『ハゲタカ』は唸った。
・・・しかし、やっぱり、もっと観たかったから、これがベスト。

それに、ロケーションの勝利。あの広い水平線に夕焼け(朝焼け?)の空、雨、疾走するモーターボート(これを逆さまに撮るという手法があったとは・・・)、雨上がりに出たであろう虹・・・どれもCGでは作れない現場の空気を含んだ意図していない映像。

これは、現代の近視眼的に日常に押し潰されそうな日本人こそ観るべき作品です。
 ヒーリング? いやいや、その程度じゃ終わりません。自分探し? う〜ん、その言葉は、な〜んか嫌いなんだよな〜。
「考えるなっ! 感じるんだぁっ!」(byブルース・リー)
・・・ってな訳で、皆さん、この『ウミヒコヤマヒコマイヒコ』は、観ないと一生の不覚ですぞよっ!

『田中泯ダンスロードインドネシア ウミヒコヤマヒコマイヒコ』は、2007年6月2日(土)より、シアターN渋谷にてロードショー!!

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2007/04/09 お花見アラカルト・・・

4月8日の日曜日に、渕野辺駅近くの鹿沼公園で、お花見会をやりました〜。
 今年は参加者が少なかったんですが、去年よりも桜が残っていて、中々の良い感じでした。

鹿沼公園というのは、相模原市の“ダイダラボッチ伝説”の白眉で、「巨人ダイダラボッチの足跡が沼になった」というもので、そこを公園にしている訳です。
 また、最近では“ホモのハッテン場”(ウギャーッ!)としても知られるようになり、以前はよく自主練習とか個人指導で利用していたんですが、な〜んか、こう足が遠のいてしまってですね〜・・・。

でも、桜の季節は中々、綺麗なところなんですよね。
 日曜日は結構、晴れたので花見客も多くてなごやかに私等もお花見致しました。

しっかし、結構風が強くて、桜吹雪が雪のように舞い散って、桜の花びらがフリカケみたいになった寿司とか食べたりして面白かったですね〜。

翌日の9日、月曜日は、電気代を支払いに行ったついでに、相模原でも桜の名所の横山公園に小雨降る中を散策に行きましたら、これがまた凄い綺麗でビックリ!
 来年はこちらに足を伸ばしてみようかと思いました。

さらに帰りには市役所通りから西門通りを桜並木をくぐって帰ってきましたが、ここも綺麗ですよ〜。

もうかれこれ通算で20年くらい住んでますけど、相模原市は桜の名所ですから、毎年、この季節は楽しみです。

追伸;長らく続きを書いていないままだった、武道・武術小事典に合気道編を書きましたので、ご覧くださいませ。

(丹田開発DVDに続いて、発勁習得DVDも近日発売予定です。丹田を開発して発勁を体得すると、ビックリするみたいに威力が出てしまいますよ〜)

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2007/04/05 『収功』のやり方について

収功というものは、丹田を開発したり気功法などの訓練をした時には、ある意味で一番重要なものとなります。

つまり、丹田にエネルギーが溜まって上昇するようになる、俗にクンダリニーが上がるようになると、頭にエネルギーが溜まりやすくなり、そのままにしているとオーバーヒートの状態になって脳機能障害を起こすようになりかねないのです。

ですから、頭に気のエネルギーを溜めないように降ろしていかなくてはなりません。
 その上で、臍下丹田にまた戻すようにしないといけない訳です。
 これを“収功”と言います。
 収功は、丹田歩法や太極拳、気功法等の訓練の最後に必ずやるようにしてください。内功が強くなってくれば、収功をやらないと内力が体内で暴走する危険性があります。

収功のやり方は、

  1. 両足を閉じてまっすぐ静かに立ち、心を静める。
  2. 鼻から息をゆっくり吸いながら、両手(手のひらは上)を左右に開いて頭上に挙げていく・・・
  3. 両手が肩から上に上がるのに合わせて顔も上向きにしていく・・・
  4. 両手が頭上に来たら、指先を向かい合わせにして頭の上の百会のツボ(頭のてっぺん)に降ろす。その時、顔は前方を向く。
  5. 更に、両手の指先を向かい合わせにしたまま、顔の前面から降ろしていき、へその前まで降ろす。その動作中に息をゆっくり吐き出していく・・・。
  6. 少し膝を曲げて気のエネルギーを腹中に収めるイメージを持ちながら息をゆっくり吐き出しつつ臍前で両手の平を重ねて押し込むようなイメージを持ちしばらくじっとする。
  7. 一回、両手を外に開いて軽く深呼吸する。
  8. 再度、両手の平を重ねて臍前に置いて呼吸を整え、心を静める。

以上が収功のやり方です。
 やり方のコツとしては、太極拳のようにゆったりと静かにやることです。慌ててやると気のエネルギーが暴走して危険です。これは気功の訓練法になるものなので、心を静めてゆったりと実施してください。

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2007/04/03 太ったんじゃなくて、このお腹は“丹田”なんです!

早いもので、父が亡くなってから一年が過ぎ、一周忌の法事に実家の天草に帰ってきました。

丁度、桜の咲く頃という分かりやすい季節でしたが、今年は兄貴がドライブに連れて回ってくれて、高校時代に犬の散歩を兼ねてトレーニングに登っていた(その時の事件?についてアスペクト刊『死ぬかと思った7』に掲載されてま〜す)十万山という家の近くの山にも回ってくれたんですけど、いつも練習していたアスレチック施設もそのまま残っていて、しかも桜の木に彩られて素晴らしい景観に唖然となってしまいました。

もう、二十数年も前から時間が止まったままのように変わってないんですよね〜。
 高校の時にクラスで登った時にうちの犬も連れていって、鳥肉もらったのを懸命に穴掘って埋めてたんですけど、あれもひょっとしてそのまま埋まっているかも知れん・・・。
 でも、桜が満開の時がこんなに綺麗だったとは初めて知りましたよ。天草市近郊の方は是非、足を運んでみてくださいな。

それから、農面道路というところは、道路の両側から桜のトンネルが長く続いていて、これも見事なものです。キリシタン墓地公園も中々良かった。こちらも犬の散歩コースにしてたんですが、片思いの女の子が同級生とデートしてるところに偶然遭遇してガビーンッてなった思い出がありましたな〜。いや〜、俺でもそんなことあったんだよな〜。二十歳前は普通?だったから・・・。

しかし、本当に天草は環境的には凄く良いところです。
 昨年、一昨年と、夏には白州ダンス・フェスティバルに呼んでいただいて、田舎に移住するのもアリかも?と思っていたのと、過疎化が進んで老人ばかりになりつつある天草の町興しに貢献できたらいいかもな〜?と思っていたので、割りと本気で考えたりしています。

と言うのも、都会では色々な人と出会って刺激的だし面白いんですけど、何か人間の質というか、そういうものが本質的に田舎育ちの私とは肌が合わないな〜と思うことが多くなってきたんですよね〜。

特に武術の世界の人間関係は“昨日の友が今日の敵”みたいなのばっかりで、ほとほとウンザリしていますよ。嫌な渡世だな〜って感じです。半精神病の人ばっかりなんじゃないのか?って思っちゃいますよ。口で言うのとやることが真逆の人間が多過ぎる。
 あまりに非道いと、批判する気持ちすら起こりません。どうせ、言うだけ無駄だし。
 嘘ついてまで他人から尊敬されたがる神経は私には理解不能ですよ。常識のある真っ当な人間は武術なんかやらないということなのかな〜?と真剣に思えてきますけど、そういう点で、武術にとっての礼法の必要性というのは確かに大きいんだろうな〜って思えますよ、ホントに。まあ、反面教師には事欠かなかったですよ、都会では・・・。

もちろん、田舎は田舎特有の人間関係の煩わしさは有るんですけどね〜。でも、陰で噂してる分には無視していれば問題ありません。他人の口には戸は建てられません。
 でも、土地が余ってて広いですからね〜。私の実家だって100坪近く有るし(田舎で家が広いって言ったら最低でも200坪以上はないと・・・)、庭で菜園もできるから、今回は田中泯さんの桃花村農場で作っている紫じゃが芋を買った残りを持っていって植えてきましたよ。泯さんがネイティブ・アメリカンの友人から貰った種芋から増やしたものなんだそうですが、それが天草でも増えたら、何かいいでしょ?

亡くなった母方の婆ちゃんの家で畑仕事は手伝ったりしていたので、畑仕事とか竹の子採りとか薪割りとか、田植えや稲刈りもやったことあるんですよ。婆ちゃんの家に泊まりに行って庭で木を削って木刀作ったり、枇杷の樹に登って枇杷採ったり・・・色々やってましたよね〜。田舎に生まれて育ったら、普通だもんね。

だから、そういう自然環境の中で武術の道場をやるというのも気持ちいいし楽しいだろうな〜と思う訳です。天草は山も海も有るから自然派嗜好の人が住むにはもってこいですよ。周辺に無人島も有る。ネイチャー派の人にはお薦めできます。
 だから、町興しのためには武術の大学を作って世界中から人を集めるというのもアリではないか?と・・・。

インターネットが発達した今となっては、田舎に住んでいることのデメリットも半減しつつあります。逆に、余っている土地に移住して半農の生活をする人達が増えていくことで、海外に依存率の高い日本の食料事情も少しは改善できるかも知れません。あくせく会社に通って働くより、仕事は自宅のパソコンで、後は家庭菜園の世話。年齢に拘わらず国民はみんな、自分の好きな分野を生涯学習し、学校は教育だけでなくて世代を越えたコミュニケーション学習の場になる。そして、スポーツや文化芸術のサークル活動を楽しむ。

日本は、文明大国としては十分に成長しましたけど、便利さの追求の中で捨てていってしまったものを改めて見直す時期に至っているんじゃないのか?って思います。
 今度は文化芸術に親しむ自然と共存する国としての昔の日本システムをも取り戻していったらどうでしょうかね?
 だって、都会はギュウギュウ詰めでも、田舎は全然、土地余ってるもん。もったいないですよ。もっと日本の人口は都市部に集中するんじゃなくて分散した方がいいですよ。

さて、法事というと親類が集まる。久しぶりに会った叔父さん・伯母さん達から「いや〜、太ったね〜」と散々言われる・・・。
 婉曲的に「お父さんにそっくりになったね〜」と言われるのはいいんですけどね〜。
 その度に、「このお腹は太ったんじゃなくって、鍛えてこうしたんですよ〜。太極拳やると丹田ができるからですね〜」って説明するんですけど、“ウソだぁ〜”って顔をされます・・・(丹田発勁でふっ飛ばして見せないと納得してもらえないかな?)。
 で、自分でも“そんなに太ったように見えるのかな〜?”と思って、一年ぶりに体重計に乗ってビックリ! 5kgも太ってました・・・。お腹以外は肉ついてないと思うんだけども、ということは、丹田で膨らんだ腹だけで5kg増えたってことかな〜? それとも、単に食べ過ぎたかな?

(丹田開発DVD好評発売中! 最小の努力で最短開発。最大の効率で丹田が養成できる革新的心身開発法です。申し込みは游心流ストアへどうぞ)

追伸;会員さん向けの情報です。昨年に続いて今度の日曜日(4月8日)の昼1:00からJR横浜線渕野辺駅近くの鹿沼公園にてお花見をやりま〜す。参加者は前もって事務局に連絡して来てくださいね。

追伸2;え〜、希望者が多くなってきたので、5月から初級クラスを復活します。場所はまだ固定できていませんが、一応、江古田ストアハウスの4F稽古場にて土曜日午前10:00〜12:00を予定しています。指導は游心流師範代が基礎からみっちりとやります(時々は私もやります)。内容は、柔軟体操・スワイショウ・立禅・三元試力・歩法・構え・基本練習・初級対練まで・・・となります。基本技が体得できていないとその先の「動けば即ち技となる」という游心流の理想には達することができません。入会希望者はそのことをきちんと理解して取り組んでください。中級以上の稽古は、現在、指導者養成中なので、私が認めるか、二級以上の会員でないと参加できません。また、見学は不可です。見たい方はDVDをご覧ください。

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