武道・武術解説
第弐回「合気道」
合気道は柔道、空手道、剣道と並んで、現代を代表する武道の一つと言えますが、有名な割りには今ひとつ実体が知られていません。
その大きな理由としては、競技試合をおこなわないことがあるでしょう。
つまり、合気道は現代武道の中でも最も古流武術の形態に近く、競技スポーツ化されていない実質的には武術のカテゴリーに入れても構わない流儀と言えるでしょう。
合気道は、逆技と投げ技が主体の武道ですが、柔道にはあまり伝承されなかった“重心を操作して技をかける技術”である「合気」を主体に技が体系化されています。
それによって、小柄で体力も無い女性や老人でも技を駆使することができるほとんど唯一の武道として異彩を放っています。
そして、剣や杖といった武器術と、武器を奪う術、そして特筆すべきは多人数を相手にして戦う術を伝えている点に、他の武道とは決定的な違いがあります。
多人数を相手に戦うために、合気道には蹴り技や寝技がありません。
どうしてか?というと、蹴り技を出すということは、蹴りを出した瞬間に身体が居着くことになり、一人が相手ならまだしも、複数を相手にした場合は蹴りを出した瞬間を捕まえられて一気に攻め込まれてしまうからです。
ですから、足は自由にしておいて、動き回りながら相手の死角を取って技をかけていくのが合気道の基本戦術であり、寝技が無いのも同じ理由になります。
合気道の創始者は、植芝盛平です。
植芝は、柳生心眼流柔術等の心得があった時に、大東流合気柔術の武田惣角と出会い、大東流の摩訶不思議な技術に魅了されて武田に弟子入りします。
後に、出口王仁三郎の大本教に入信して、思想的に考えの合わない武田の下から去りますが、大本教の教えと行法を積んで精神的に悟るところがあって、合気道を創始します。
即ち、合気道とは植芝盛平から始まったものであり、その他の伝系で合気道を名乗るのはおかしい訳です。
植芝盛平の門下からは、塩田剛三(養神館)、藤平光一(氣の研究会)、望月稔(養正館)、冨木謙治(冨木式)、清水健二(天道館)、砂泊カン秀(万生館)、平井稔(光輪洞)、五月女貢(合気道スクール・オブ・植芝)、杉野嘉男(杉野道場)・・・といった師範が独立して一派をたてています。
また、植芝盛平直門では、斎藤守弘、西尾昭二、山口清吾、小林保雄、黒岩洋志雄といった多くの優れた師範が出ています。
中でも、植芝盛平の直系の技を受け継いでいたのが、岩間道場の斎藤守弘で、基本に忠実な合気道を剣・杖の技も含めてシステム化して教えていたことで、他派の合気道関係者にも評価が高いものでした。斎藤の演武は、全くケレンの無い基本を忠実に見せるものですが、無造作に掌で払われた受け手が、丸で畑から引っこ抜かれた大根が放り投げられるみたいにスッ飛んでいく様子は、並々ならない地力の凄まじさを感じさせます。
また、西尾昭二は独自に居合抜刀術や杖術を合気道の理合に融合して見事な技を工夫して、キビキビとした小気味良い動きが見ていて実に気持ち良くなりますし、山口清吾は柔らかい脱力体から繰り出す重さに特徴があり、門下から多くのユニークな活動をする武道家・武術家を輩出しています。
合気道は、植芝盛平が「剣道家のふるう真剣をことごとく避けた」とか、「至近距離から撃たれたモーゼル拳銃の弾丸を避けた」・・・といった神秘的な逸話が多いことから、“神秘派武道”という茶化したような別称を受けることもあり、試合をおこなわないことから「実用性の乏しい弱者が自己満足でやる武道」といったイメージもあります。
これは、実際に取り組んでいる合気道家の中でも疑問に思う人が出てくる場合があって、試合競技化を図る人もいました(例、冨木式、合気道SA)。
しかし、競技武道や格闘技の関係者からも「達人だ」と認められていた塩田剛三のような合気道家もいた訳です。
もっとも、中には「塩田剛三の強さは塩田個人の強さであって、合気道の強さとは無関係である」と言い放つ武道マスコミ関係者もいました。
どうして、このような論調になるのか?と言えば、簡単な理屈で、「合気道の戦闘理論を理解していないから」です。
つまり、「塩田剛三は強い。しかし、どうして強いのか解らない」というのが真相であり、塩田剛三の強さを示している技法原理と戦闘理論が本当に理解されていれば、塩田剛三個人の強さに論を還元する筈がないからです。
実際に、塩田剛三は、生涯に渡って師である植芝盛平を自身が超えたという発言はしていないようです。これは謙虚さではなく、正直さの現れでしょう。塩田剛三は、師である植芝盛平を超えたという実感が得られなかったのだと思われます。
即ち、それほど、植芝盛平が到達していた境地が高かったことを塩田自身が認識していたのでしょう。
そして、筆者の私見ではありますが、塩田剛三に優るとも劣らない師範も数名はおられると思っています。
所詮、武道マスコミ関係者で合気道の戦闘理論の優秀性を洞察できている人間は滅多にいないのだと思いますし、解らないままに解っているつもりで妄言を吐いているに過ぎないのだと思うばかりです。自分の拙い洞察力で全てを解ったように思い違いをする愚を自省して欲しいものだと思います。
が、それもまた、一方では仕方がないことかも知れません。
合気道は自己修養の武道として競技スポーツ化の道を拒んでいるからです。試合競技で強さを測るシステムが無い以上、その技術構造を洞察できない人が多くいるのは致し方もないことでしょう。試合で強弱を判定する観点しかない人達に、別の観方が有ることは理解の外にならざるを得ないからです。
だからといって、いつまでも、合気道が色眼鏡で見られて専門家を自認する人達から不当に低い評価を受け続けて良い理由にはなりませんが・・・。
植芝盛平の道統は、二代目の吉祥丸を経て、現在は三代目の守央が受け継いでおり、財団法人合気会として全国傘下の合気道道場の統括組織となっています。