武道・武術解説

第一回「空手道」

空手道は、主に突き・蹴り・受けを駆使して身に寸鉄を帯びずに闘う武道である。

琉球に生まれた“手(ティー)”と呼ばれる武術を原型として中国武術の影響を濃厚に受けて育ってきており、その伝わる土地の特色から、首里手・泊手・那覇手の三つが知られていたとされる。

首里手は遠い間合を敏捷軽快に制する術に特徴があるとされ、那覇手は接近密着して戦うのが特徴といわれる。泊手は両者の中間的な技法を用いるとされるが、これらの具体的な差異は詳細には判明していないが、源流が中国の武術にあるだろうことは伝承や技法の解析でも解る。

このうち、首里手を学んだ冨名腰(船腰)義珍が本土に伝えて知られるようになり、その後、琉球拳法“唐手(トウディー)”という名前が知られるようになったが、唐手、つまり「中国から伝わった拳法」というイメージに疑問が付されて、唐手はカラテと読めることから、仏教の“空”の文字からヒントを得て“空手”という言葉が定着した。

また、「空手は柔道の亜流」という初期のイメージからも脱却し、「空手道」という現代武道の一つとなり、同時に日本式の流派を名乗りはじめる。

最初に流派を名乗ったのは、剛柔流であったとされ、その後、松濤館流(冨名腰義珍が松濤という号を持っていたことから後に呼ばれるようになった)、糸東流、和道流が名乗りをあげて、空手道は大小様々の流派会派が林立する巨大な一大武道として成長を遂げていく・・・。

その中で、大まかに三つの空手道のジャンルができてきた。

まず、“伝統派”。これは、突き蹴りを相手の寸前で止めて勝敗を競う試合形式を持つ流派の総称であり、空手道の主流をなしている。

主な流派には、松濤館・剛柔・糸東・和道があり、この四つをまとめて“四大流派”と呼ばれているが、その他にも多くの流派会派が含まれている。

そして、“フルコンタクト派”。こちらは、突き蹴りを直接に相手に当てて負ったダメージの大きさを比較して勝敗を競う試合形式を持つ流派の総称であり、武道と格闘技の垣根を取り払って独自の発展をしている。その最も特徴的な要素としては、空手道の生命線であると言われていた“形”を重視しておらず、中には形の習練を無用のものとして捨て去っている団体もある点だろう。従って、中には空手道の修行経験の無い者が独自の研鑽で一派をたてた例も見られる。

この派で最も有名な会派には極真会館があり、大抵のフルコンタクト派空手道のルーツが極真にある。極真会館をルーツとする会派では、士道館・佐藤塾・US大山空手・誠道会館・大道塾(空道)・芦原会館・正道会館・円心会館等があり、また、極真会館自体も、創始者である大山倍達没後に複数に分裂していっている。

極真会館以外では、拳道会・無門會等が著名である。

また、派閥として空手道の世界の主流とは言えないが、防具を用いて組手試合をおこなう流派もいくつかある。中では少林寺流錬心館が著名であるが、弁証法を用いた武道の理論化で多くの著作をなした南郷継正が興した玄和会も防具組手を提唱している。

最後に、沖縄空手の古い形をそのまま伝えていこうとする派閥もある。

これを仮に“古典派”と名付けておくが、こちらは、伝統派やフルコンタクト派とは異なり、試合競技には重きを置いておらず、純粋に武術としての古伝の稽古法を遵守し、ひたすら心身を練り上げていく過程そのものに価値を見いだす。従って、試合競技そのものを目的にしていないため(競技試合に参加している流派もある)、技法的にも競技向けでない護身術的な点穴技、逆関節技、絞め技、固め技、投げ技等を豊富に伝えている点に特徴がある。“古典派”は、今日の日本本土の“古武道”に相当する形態に近いと思われ、伝統派やフルコンタクト派の多くが、「空手道は徒手空拳の武道である」という素手で闘うことに拘りがあるのと違って、棒(棍)やヌンチャク、トンファー、釵、鎌、スルヂン、ティンベー・ローチンといった武器術を伝える流派もある。ちなみに、これらの武器術は琉球独自に発展したとする説を唱える向きもあるが、ほとんど同種の武器が台湾や中国南方、東南アジアに広く伝承されていることも付記しておく。“古典派”の主な流派には、沖縄剛柔流・上地流・琉球古武術保存振興会・金硬流・本部流・本部御殿手・心道流等がある。

以上、試合競技の形式によっての分類を試みたが、空手道には推定でも三百を越える流派が存在する。それらは他流の技法を採り入れて融合発展していくものもある。

古流柔術と融合したもの(和道流・神道自然流等)、中国武術と融合したもの(賢友流・大日本講武會等)等々・・・。

極真会館の技術にも、ムエタイや中国武術(太気拳)、大東流合気術(吉田幸太郎系)が採り入れられており、その体質は極真出身の師範に他流に学ぶ意識の高い人が多い点でも解る。

それらの流れは海外でも顕著でありケンポーカラテ、カジュケンボー等といったハイブリッド武道が無数に生み出される傾向があり、また、テコンドーやカンフーといった類似の武道をも含めた総称としての“KARATE”が国際共通語となっている現状もある。

しかし、そうした技術面からの発展とは別に、古典に帰って文化としての空手道を復興させていこうとする動きも現れている。これらの「文化を大切に伝承していこう」とする考え方は日本人の特質でもあり、発展普及し過ぎた空手道の原点回帰を目指しアイデンティティーを回復させようとする試みとして評価できる。

それらの試みは、歴史の研究に負う面が大きいものの、沖縄の文化として文書で伝える伝統が薄いために、その多くは口伝承に限られており、久米村に移住した中国人が伝えたという説や、中国冊封使の武官“公相君(クーシャンクー)”が伝えたという説等があるものの、それらは14世紀の頃のこととされ、考証するのは困難である。

従って、空手道の歴史の研究は、伝承されている“形”の所作から分析していく間接手法を採らざるを得ない。

空手道の形には、ピンアン(平安)、ジッテ、ジオン、ウンスー、チントウ、ソーチン、クーシャンクー(公相君)、ナイファンチ、サンチン(三戦)、サンセール(三十六)、ニーパイポ(二十八歩)、ウーセーシー(五十四歩)、クルルンファ、シソーチン、コーソークン、バッサイ、セーパイ(十八)、サイファー、セイエンチン、セーサン(十三)、ローハイ、ワンシュウ、スーパーリンパー(壱百零八)、アーナン・・・等々の多くの形が伝承されるが、これらは体育的な配慮で改編されたり、本土に伝えられる時点で使用法を隠して伝えられたとする説があり、具体的な動作の意味が不明であっり、鍛錬の意味なのか用法の意味なのかが不明瞭であったりする。

その中でも、最も中国武術の影響を受けているとされる那覇手の系列は、比較的にルーツが辿り易く、中国南方の、白鶴拳(鳴鶴拳)・十八羅漢拳・太祖拳等に求められることがほぼ定説とされている。特に白鶴拳のサンチンは開手でおこない、剛柔流のサンチンは拳でおこなうが、上地流のサンチンは開手でおこなっており、上地流の源流が白鶴拳の系統に求められるのは、ほぼ確定的と見なされている。

また、私見ながら、洪家拳や詠春拳の技法にも空手道のルーツを感じさせる手法があるように感じられ、比較研究の必要を感じている。

形の研究は、単に手法や動作の手順だけでなく、もっと原理的な身体操作の特徴について検証すべきではないかと思われる。それによって技の用法が解明され、戦闘理論そのものが明らかにされていけば、自ずとルーツも浮かび上がってくるものと考える。

単に突き蹴りのみの武道であると考えていたら、空手道の形の解釈は難しくなる。

まず、基本的な動作の意味を再検討しなければならない。「突きはなぜ捻るのか?」「なぜ引き手をとるのか?」「蹴りはなぜ膝の抱え込みをするのか?」「寸止めにした理由は何か?」・・・これらを目先の合理性で解釈してはならないだろう。無意味な動作が長い年月を通して伝承される道理は無い。必ず理由があった筈なのである。

技術的な個人の見解はここには書かない。問題提起として読者の探究の手掛かりとしていただきたい。

↑ページトップへ