お便りのコーナー

某氏よりのお手紙

以前のHPに掲載されていた画像ですが、ブログ(2008年5月のエントリー)とリンクしてますので、掲載します。
(下記は過去の長野峻也の文章より抜粋したものです)

ここに掲載するのは甲野氏から貰った手紙です。引っ越し荷物を片付けている時に出てきたものですが、会員さん達に見せていて気づいたのは、この手紙には住所も書いてないし切手も貼ってない・・・ということは、甲野氏は私の家までこれを直接持ってきて郵便受けに入れていったのでしょうかね?(2月14日と書いてあるのが何だか怖い・・・)



(手紙内容)

長野峻也様

さて、貴兄こと、私(注・甲野)と試合をお望みとのこと。

私かねてより真剣による立ち合いということにすくなからぬ興味を抱いておりました。

たとえば新撰組の結城無二三は、道場ではからっきし下手だが真剣となるとひどく強かったとか、ヤクザがイザ斬り合いになったら、大声でわめいていてもお互いへっぴり腰で刀と刀が触れ合うこともなかったとか・・・。

私も武術研究の上から一度機会があれば之を味わってみて、その時の自分の心や身体の状態(恐怖心はどう出るか、未練やあせりはどうか、体は硬直するのか、真剣では相手が異常に近くみえるというが実際はどうなのか)等々知りたいことはいくつもあるのです。

しかし、ことがことだけに、いままでこんな体験の相手を本気でつとめてくれそうな人はまったくおりませんでした。

しかし、今回貴兄は腹をくくっておられる御様子、これは千載一遇のチャンスとひそかに手を打った次第です。

用いる真剣は当方に私が研ぎの練習用にと購入した二尺一寸ほどの米国帰りの刀が二振ありますので、そのどちらでもお好きな方をお貸しいたします。

どちらも拵えはついておりませんので、頑丈な拵えをお作りになって下さい。

作り方があまりお詳しくなければ、合気ニュースに載せております私の連載「実用的日本刀の知識」を御参考に、それでもおわかりにならなければ、刀を取りに来られた時にお教え致します。

ただ、ことがことですので立ち合いに当たっては、あくまでもお互いの武術研究のため、ということに致したいと思います。

しかし、いままでの貴兄とのいきさつ上現在のままでは、お互い憎み合っての果し合いということにとられかねませんので(それでは立合人の方にも御迷惑が及びますので)立ち合いの前に貴兄と私が今度こそ和解した、ということにさせていただきたいと思います。

ただいきなり和解というのも不自然ですので貴兄が私のところへ刀をとりにみえた時にでも私の技を体験していただき、そのことでもキッカケにしていただければどうかと思っています。

まあ私も大したことは出来ませんが来週、総合格闘家のY氏から来て欲しいと言われておりますので(昨年夏に初めて伺いそこの若手選手といろいろやって、又来て欲しいといわれていたもので)貴兄が私の技を受けられて「思っていたより使えて見直した。最近急に進歩したらしい」などと発表されて和解を表明されても貴兄の面目は失われることもないでしょう。

とにかく私は昨年の夏以来「今、この地球の上に人としていることの辛さ」という余人に話しても容易には理解してもらえない(もっとも理解してもらっても困りますが)という思いを抱え、さりとて家族も、私のことを頼っている人もあり、急に消えてなくなるわけにもいかず、段々と精神が地盤沈下をおこしておりました。

こうした折り、命のかかった(まあ私の方はなるべく怪我のないように終わらせたいとは思っておりますが、こればっかりはイザやってみないとなんともわかりません)立ち合いをすることで何かまったく違った精神の目ざめを得ることが出来るかもしれません。

そう思うと、貴兄との長年にわたる逆縁もじつにこの時の為かとさえ思われます。

ただ、コトがコトですので、お互い家族はもちろん、かねてから、貴兄と私とのことをよく知る者以外には、このことをもらさないようお願い致します。

また立ち合いにあたっては、どのようなことが起っても、お互いに一切相手を告発せず事故であったということにする旨の約定を交したいと思います。

本当にお陰さまで久しぶりにワクワクして生きている実感が湧いて参りました。

ではどうか、真剣にての立ち合いの件よろしくお願い申し上げます。

辛巳之年 二月十四日

甲野善紀謹言

どうですか? あなたのハートに何が残りましたか?(by木村奈保子)

一応、この手紙が来た経緯について御説明しておきますと、『月刊剣道日本』に載っていた甲野氏の現代剣道批判論が、あまりにも愚劣かつ無礼千万であると思いましたので、反論を同誌に書き送ったのです。その反論の中では“くだらん論争をチマチマと続けるつもりはないので、実際に勝負も辞さずの覚悟がある”といったことも書き添えていたんですが、それに対して同誌編集部は全く相手にもせず無視していましたが、直接押しかけていって意見だけはしました。私がそうせずにはおれないくらい甲野氏の論は酷い内容だったのですが、いつものことながら、“無名である”ということの辛さと悔しさを感じましたね。嘘だろうが間違いだろうが、世の中は有名人の言葉を信用するものなんだな〜と痛感したものです・・・。

で、程なく、“この手紙”が届いた次第です・・・。

別に怖いとかは全然思いませんでしたが、流石に唖然としてしまいました。こんな気持ちの悪い変態チックな手紙を書くというのはまともな精神をしているとは思えません。まだ、「この野郎、そこまで言うからには肚はできてるんだろうな。たたっ斬ってやるから覚悟して来い!」くらいのストレートな表現をされた方が武術家としては尊敬できます。

要するになんだかんだとゴタクを並べてはいますが、事故に見せかけて私を斬ろうと思っているのが見え見えですし、実際に内輪ではそのように話していたのだそうです。

ですが、そうまでして無理やりにでも“誠実さ”を装うことに拘る偽善者っぷりには恐れ入りやの鬼子母神ではあります(急に江戸っ子になっちゃったよ〜)。 

私は、こんな紳士ヅラしたサイコ野郎が善人なんだったら、“血も涙もない冷酷非情な悪魔君”で結構ですよ・・・。

余談ですが、この手紙はもらった当時にやらせていただいていたホームページでも公開したことがあります。嫌がらせが凄くて、当時やっていた大学の非常勤講師も「こんなヤツは辞めさせろ」という匿名の手紙が学長宛に来たそうです。

で、私は実際に直接彼の稽古会に押しかけていって参加者の見ている前で彼の技を破って見せるつもりでいたんですが、職を失う瀬戸際に立ってしまって断念せざるを得ませんでした。それで、代わりに稽古会に乗り込んだ会員さん達が“甲野氏に圧勝した”という冗談にもならないオチがつきまして、その後、しばらくしてから自分でも恵比寿の公開稽古会を訪ねて稽古後に恵比寿駅前の喫茶店ルノアールで虚勢を張り続ける甲野氏に「時津先生の前蹴りくらって悶絶したでしょ?」とか、「先生、(プロの格闘家と戦っても)絶対負けますよ。嘘だと思ったら僕とやってみますか?」とか言ってイジメて参りました。 

久々に甲野氏の手紙を読み返してみると、いやはや、よくぞここまで自惚れていられるな〜と呆れてしまいます。あのTVやムック本なんかで「格闘技の概念を超えた」とかすんごい惹句がついていた“平蜘蛛返し”とかいう技も、先日のダンス・フェスティバルの武術ワークショップで教えましたら女の子でもできました。が、かからないやり方を教えたらかからなくなります。要するに、踏ん張って居着かせているからかかる訳で、甲野氏の技はほとんど相手の動きを限定しておいて裏をかいて見せるだけのショーもない見世物芸でしかありません。

あんなのが武術の技だとかタワケたことを言うんじゃありませんよ。研究家風情の私を怖がってるような人間が世の中の武術・武道・格闘技のプロをなめ腐ったことを言うのは現実が観えていない妄想狂のタワ言なんですよ。

そして、甲野氏の論を無批判に信じている人達へ。

悪いんだけど、あなた達も何にも現実が観えていないんですよ。勘違いして自惚れて痛い思いしてから気づいても遅いんですよ。

「あなたはまだ甲野善紀を信じますか?」

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